わが友ホロゴン・わが夢タンバール

747.02 ホロゴン外傅240「2018年3月29日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町を席巻」2 なにを今更?



10月18日木曜日、写真家吉田正さんの写真教室でした。
写真作品を撮るのをやめて十年以上、
なにを今更、写真を習うなんて?
そういぶかしむ方もおいででしょう。
私もそんなつもりはありません。

ただ、吉田正さんの語りを聞きたいから。
そして、もう1つ、
教室のみなさんもちょっと変わっています。
かなり個性的な人物がそろい、
写真もすでにご自分の境地をお持ちの方が多い。
個性的な写真も楽しめます。

ついでに、私も月一回「写真家ごっこ」できます。
これが案外楽しい。
人に見せるつもりもないままに撮ってきた写真ですが、
組写真をそれらしく作る遊びを楽しんでいます。
今回はちょっと古い撮影分を漁って、
北京オリンピックの前の年に、
北京の胡同で撮った写真から12枚セットを作りました。

胡同は清朝時代の官僚たちの住宅街。
中庭を取り巻く作りで、四合住宅と呼ばれます。
清朝時代は、小さいながらもひとかどの邸宅だったわけですが、
共産中国になり、何軒かが共同で住む集合住宅街として、
完全な下町となりました。
トイレがなく、ストリートに共同便所がこしらえられてあります。
オープンな平土間に大小の穴が切ってあるだけで、
仕切がありません。
プライバシーの場と思っている日本人にはとても使いにくい場所。
中国人は平気です。
生理は万人共通なので、別に隠すものではないのだから。
ところ変われば品変わる、ですね。

E.T.ホールは人間同士の距離感が民族によって違うことを見つけました。
これ以上近づかれては不快になるという距離を、
「密接距離」と名付けていますが、この密接距離が民族で違う。
中国人はアラブ人と並んで、もっとも短いのだそうです。
つまり、たとえば、男同士触れ合っても、別に不快ではない。

一方、密接距離が一番短いのはドイツ人で、
日本人はこれに次ぐ位置にありました。
でも、日本人は変りました。
近頃は、行列や満員電車に慣れきって、
かなり密接距離が短くなっているようです。

私は通勤仕事をしましたが、まったく慣れませんでした。
今では、奈良の片田舎に住んでいますから、
この性向はますます高じて、
行列や群衆に激しい嫌悪を感じるまで至っています。
私は男性ですが、
女性でも近くに来られると、拒否反応を感じます。

ところが、おかしいですね、
向こうから接近されると、拒否反応でも、
こちらから近づく分には、まるで平気。
(誰でも、そうかな?)
だから、ホロゴンによる接近戦を平気で展開してきました。
今回、吉田正さんの教室に持参したのは、
北京胡同ロボグラフィ12枚セット。
全部、ホロゴンウルトラワイドで撮った写真です。
例の通り、ノーファインダー、ノートリミング。
つまり、15mmレンズを腰あたりに両手で下ろして、
被写体に30センチから60センチ、
せいぜい離れて1mの距離で撮っています。
つまり、ホロゴンのような超広角レンズの場合、
接近すればするほど、写真は迫真性を増します。

いつものように、
吉田先生とごく一部のメンバーが反応してくれました。
大半の方は無関心。
それでよいのです。
今回の写真はそのうち本ブログに掲載しますが、
なんの細工もなく、と言うか、
細工、工夫と言えば、超接近だけという撮り方で、
ただ真っ正面から撮っただけの写真です。

「ああ、自転車を撮りましたね」
即座に分かる写真です。
たいていの方は、意識するにせよ、しないにせよ、
これだけ吐けば、もう言うことはなくなります。
言うことがあるとすれば、
「これがどうしたんですか?」
私に言えることはただ単純に、
「どうもしません。
いいな、と思ったから、撮っただけです」

一つ言えることがあります。
行きずりの人に30cmから50cmに近づいて写真を撮れる人は
ほとんど出会ったことがありません。
でも、私はこれができます。
今でも続けています。
これには仕掛けがちゃんとあるのです。
こちらから近づいて撮ることはなかなか難しいけど、
向こうから近づいてきたところを撮るのは簡単なのです。
秘訣はたった一つ、
気配を消すこと、ただそれだけ。

でも、たいていの写真家は、そんな接近写真を撮りたいとは思わない。
物語性がふっとんでしまうからです。
いつも書いていることですが、
そんなことから、私の写真は作品性を失い、
私にとっての遭遇メモという存在になってしまいました。
私は後悔していません。
私の人生での出会いを記録できれば、それで十分。



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# by hologon158 | 2018-10-19 22:08 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

747.01 ホロゴン外傅240「2018年3月29日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町を席巻」1 サイクル史観へ



近頃、歴史のパラダイムが完全に覆ろうとしています。
文明の単一成長史観から、
複数のサイクル史観へ。

単一成長史観というのは私の造語ですが、
人類が未開状態から少しずつ進歩して、
紀元前4千年紀にメソポタミアに文明が誕生し、
徐々に進歩して現代に至ったとする史観です。
この歴史学の常識をぐらつかせるデータがいくつも出始めています。
それよりも前に、文明の所産としか言いようの無い遺跡が
どんどん見つかりつつあるばかりではありません。
従来、シュメール文化よりも後世とされてきた遺跡が、
はるかに先んじて建設された可能性もどんどん生まれています

その最たるものは、トルコの
ギョベクリ・テペ遺跡。
約1万2000年前であることは動かしがたいようです。

巨石柱を中央に立てたサークル状の祭祀施設もしくは神殿。
当時はまだ定住しない狩猟民の時代であるとされてきました。
でも、Youtubeで検索していただければ一目瞭然ですが、
一定の社会が特定の宗教的信仰に動かされて行った建設事業です。
このような壮大な石造建造物群を生み出すためには、
かなり大きな集団が組織化され、
建築、土木等の知識、判断力に裏付けられた種々の作業を
システマティックに遂行する必要があります。
ただの狩猟採集に従事する旧石器時代人たちの
なしうるような事業ではありません。

もう一つ、地質学者ルドルフ・ショック教授が
スフィンクスについて画期的な発見をしました。
スフィンクス本体の表層部の後世の修復部分の下の層や、
修復部分に覆われていないオリジナルの表層の浸食状態を調べて、
その縦に深く刻み込まれた浸食の形は、
砂混じりの風の浸食によってはできず、
長期間にわたる上空から降り注ぐ雨による浸食であることを
証明しました。

ところが、エジプトに雨が降っていたのは、
現代から1万2000年ほど前が最後なのです。
しかも、スフィンクスは、経歴の長い間、砂に埋もれていたのです。
これでは浸食など起こりようがありません。
つまり、スフィンクスは1万2000年以上前に建設されたのです。

他にも、現代の建築工学技術でもってしても、
ほとんど不可能に見える巨大石造遺跡が、
マチュピチュ、サクサイワマン、バールベック等、
数知れず発見されています。
ボスニアには大ピラミッドを遙かに越える底面積の
巨大ピラミッドが発見されています。
要するに、現代の科学技術をもってしても驚異とされる精度の遺跡が
世界中で発見されつつあるのです。

一例を上げれば、大ピラミッド底辺には、
表面に敷き詰められていた鏡石が残されています。
つるつるピカピカの表面です。
花崗岩なので、ノミや石器では磨けないほど硬いのだそうです。
どうやって磨いたか、謎。

ピラミッドの底辺あたりの石の表面に回転鋸の痕跡が残されています。
Youtubeで見ることができます。
しかも、専門家に言わせると、現代の回転鋸よりも高速なのだそうです。

しかし、この半世紀に明らかになりつつある驚異の遺跡を
各地の考古学者たちは既成の古代史の中に押し込もうとしています。
たとえば、アンデスの遺跡の石組みは、
文字通りカミソリも入らぬほどの精度で不定形に組み合わされ、
信じがたいほどに精巧です。
山岳地帯で、巨大な石組みをどうやって運んだか、積み上げたか、
現代科学技術でも極めて困難。
でも、既成の考古学者たちは平然と、
これらの遺跡をすべて、
たった200年程度のインカ時代の所産であると結論づけています。
ところが、この石組の上層部は、インカ時代の所産なのですが、
底部とは似ても似つかない、ただの積み上げ石なのです。

このような奇跡のような精密建造の遺跡では、
同じことが至るところで起こっています。
わずか2、300年の間に、奇跡の工学技術を発達させたのに、
その伝統は突然失われてしまい、
あとはただ小型の不整形の石を積むだけになってしまった?
訳が分かりませんね。

同様のことがエジプトでも起こっています。
大ピラミッドは底辺各約230mの四角錘の精密建造物。
いわゆる王の間の床は完全に水平です。
正確無比の巨大建造物を構築したのです。
建築時期は約5000年前とされていますが、
以来、表層の鏡石のほぼ全部がはぎとられたほかは、
揺るぎもなく立ち続けています。

ある学者が、土台に水盤を並べて、基礎の水平を出した、
そう主張しています。
230m四方の基礎面を完全にならして、水盤を並べても、
もし肉眼では確認できないほどかすかに傾斜していたとすれば、
手近な水盤同士では水平をチェックできても、
両端ではかなり高さが違うということになるのは避けられません。
しかも、このピラミッドの底には小さな丘が残されています。
地形を完全に水平にならさないで、工事したのです。
上記の水盤説ははなから無効と言う訳です。
自分で試してみないで、机上の空論をひねり出して、
「そんなの簡単だい」と大きな顔をするのが学者さん。

そのうえ、その前後に、いくつもピラミッドが造られたようですが、
全部多かれ少なかれ崩れてしまい、
三大ピラミッドに比肩できる精度の高いピラミッドは皆無です。
大ピラミッド建造の技術はどのようにして発展し、
そして、なぜ継承されなかったのでしょうか?
そんな経緯を証明する遺跡はゼロ。
ただ三大ピラミッドだけがそびえ立つだけ。

ヒエログリフもそうです。
エジプトにも、世界のどこにも、
ヒエログリフに先行する発展段階など見つかりません。
楔形文字も同様です。
近頃、詳しいことは忘れましたが、
2、3000年前の絵文字らしきものがエジプトで発見されました。
エジプト学者らは狂喜乱舞のようです。
それ、ついにヒエログリフの祖先が見つかったぞ!
ちゃーんとエジプトで発達してきたのだ!

でも、私には不思議以外のなにものでもありません。
あまりに単細胞的な反応。
発展説を根拠づけるためには、すくなくとも、
誕生、成長、成熟と、3つの段階の遺跡が見つかり、
かつ、その間の継続を認めるに足りる関連性の証明が必要、
ということは当たり前ではありませんか?
はっきりと関連性をもつ3時点が見つかれば、結べます。
でも、2点だけでは、赤ん坊写真を振りかざして、
「アインシュタインの赤ん坊時代の写真を見つけた!」
と騒ぎまくるようなものです。
ひげもない赤ん坊が本当に彼の幼年時代かどうか、
分かるはずがないではないですか?

大ピラミッドがクフ王の建設であるとされたのも、
内部の壁に、かろうじてクフと読みとれる落書きが、
英国人により見つかったからだけなのです。
古来、落書きをする人間は、
落書きされる壁と無関係なよそものと決まっています。
底辺各約230m、高さ約140m、数百万個の巨石を、
完璧な精度で切り出し、運搬し、積み上げて、
古今未曾有の奇跡的な建築を完成させた王が、
自分が作ったことを証するために、ただ落書きだけさせる?
アホかあ!
(普通人なら絶対にしないような愚かな行動を見ると、
大阪では一言そう言います)
まさに、そんなことを主張する人間はアホ。
そんなアホな説が定説としてまかり通るって、
エジプト学者って、みんなアホか?
そう言いたいですね。

翻って現代文明を考えてみましょう。
機械文明が誕生したのはせいぜい19世紀です。
それからたった200年ばかりで、太陽系を無人衛星で探検でき、
地上の人類を何度も一掃できるほどの軍備を積み上げ、
スカイスクレーパーが林立する巨大都会を作りだしました。
要するに、わずか数千年の歴史が、
このような地球規模の文明を生み出してしまったのです。

人類の誕生がいつか明確ではありません。
どうやら10万年から30万年の間らしいと言われています。
当時の人間と現代人との間には、
遺伝学的になんの変りもないのだそうです。
突然変異による進化はもっと長い時間の所産です。
とすると、一度できたことは何度でもできたわけで、
つまり、長く見積もって1万年でここまで来れるなら、
人類の生存期間を最小の10万年と見積もっても、
その間に、幾度も文明が勃興し、滅亡した可能性だって、
あるのではありませんか?

その証明を一つ、最後にあげておきましょう。
マヤ暦の1年の長さは、グレゴリオ暦により正確なことは有名ですね。
この超絶的精度は長年月の観測のおかげだと考えられています。
ウィキペディアが正確かどうか分かりませんが、
紀元前5世紀ごろから使われていたのだそうです。
でも、一年の長さの超絶的精度がマヤ文明で達成されたかどうか、
これは明らかではありません。
どうやって計測し、どうやって記録し、
その記録の堆積からどうやって正確性を高めていったのか?
時間をどうやって測っていたのでしょうか?
先行諸文明からの伝承もあったのでしょう。
先行のオルメカ文明も時間を大切にする文明だったからです。
でも、どうやって伝承したのでしょうか?
すべてが謎です。

でも、明らかなことが一つ!
本当に誰かが計測し、記録し、後世に伝えた!
そんな知恵の継承の手だてをすでに確立していたのです。
このことを否定することはできないのです。
つまり、昔の人は、もしかすると、
現代人より賢かったのかもしれませんね。

というわけで、私に今言えることはこうです。
① 古代人の知能をあなどることはできない。
② 古代人は、先行文明の知恵を一部受け継ぎ、利用した。
③ 文明の形跡は、何万年かの時間が拭いさっているから、
形跡がないことは、古代先行文明の否定を合理化しない。

形跡がない理由を少し書きましょう。

ティラノザウルスは地上の王者でした。
数千万年、進化を重ねた属の頂点、到達点だったのです。
でも、完全な骨格は確かたった1体しか見つかっていない。

竜盤目の大型草食性恐竜たちも幾種類も栄えに栄えたようです。
大腿骨の年輪を数えると、成体は百数十年生き続けました。
それなのに、完全な骨格はほとんど見つかっていません。

ついでに、書いておきます。
ティラノザウルスのようなこの世で最も怖ろしい肉食獣が、
食料にしようと絶えず襲いかかってきたのに!
なぜ、そんなに長生きできたのでしょうか?
答えは簡単です。
余りに巨大で、肉食獣たちもかなわなかった!
余りに沢山居たので、肉食獣たちは食べきれなかった!
当たり前のことです。

1億数千万年も恐竜が地球上を支配したのは、
その間さまざまな危機がおとずれたのに、
恐竜たちはしぶとく生き続け、
生態系の頂点から末端の動植物に至るまで、
共存し続けることができました。
でも、完全な骨格なんて、ほとんど残っていません。
6千万年の長年月が、幸運に化石化したわずかを除き、
すべての痕跡を静かに消し去ったからです。
それほどに化石化して残るのは難しいのです。

人類が文明化するために使った資材も同様です。
彗星の衝突、氷河壁の決壊による超絶津波、火山、地震、
ありとあらゆる種類の地球規模の惨害が、
先行文明の痕跡を消し去ってきたのです。
でも、そんな惨害をなんとか耐え抜いた石造遺跡が、
世界各地に、海底に、見つかりつつあります。
ほとんどの史学者たちはこのようなデータを無視しています。
自分たちの立つ学問的基盤そのものを覆しかねないからです。
学ぶことを忘れて単脳化した学者ほど始末に負えないものはない。
その証拠にどんな廃品業者も持っていきませんね。

さらに、すでに見つかった遺跡の中には、
ここ数千年の現在の文明期には属さない、
太古の遺跡が混じっていて、私たちは気づかないだけ、
ということだって考えられます。
そんな太古の先行文明も、私たち人類の歴史なのです。
私たち人類がどんな体験を重ねて来たか、
私たちの中には太古の先行文明の知恵が隠されている、
その可能性もありそうです。
恐竜たちの歴史を、見つかった化石だけから判断していたら、
今でも、恐竜たちの生態、歴史について無知なままだったでしょう。
自分たちの祖先がさまざまな栄枯盛衰を繰り返して来た、
そんな可能性をむやみに否定したくないですね。

現在分かっていることだけを金科玉条にする限り、
人類に進歩はない、そう言っても過言ではないでしょう。




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746.00 美との対話5「2018年10月11日アンコールワットの美神たちと出会う」美神の誘い



アンコールワット
美しい響きですね。
いつか訪ねたいと思っていました。
敦煌、大ピラミッド、バールベック、パルミラ、
バビロン、ラサ、アンデスの遺跡、
そして、アンコールワット、
どこも、かなわぬ夢となってしまいました。

神様が「あと一回旅行させてあげよう」とおっしゃったら、
どこに行くでしょうねえ?
ちょっと思案してみましたが、
おそらく敦煌かアンデスの遺跡になるでしょうねえ。

でも、ふっと考えて、神様、いくら寛容でも、
許してもらえるのは、せいぜい2週間の旅だろう。
敦煌もアンデスも行ける場所はほんの一部になりそう。
神様けちだから、飛行機はエコノミークラスだろうなあ。
よしましょう!
自宅で、美と対面する旅を楽しむことにしよう。

図書館で借りたのは、
「アンコール・ワット:密林に消えた文明を求めて」
(「知の再発見」双書)
ブリュノ ダジャンス (訳 中島 節子)

石から刻み出された聖なる像たち。
石壁からポンと飛び出してくるような迫真性があり、見事です。

専門教育を受けたり、特別に修業したりした彫刻家が集まった、
などということはなかったでしょう。
いきなり、造ってみよう、と、石壁を刻み始めたのでしょうか?
それとも、私たちがもはや知り得ない神殿建築の伝統を、
継承したのでしょうか?
おそらく後者でしょうけど、
このような神域、寺院の建築を幾度も試みたわけではないでしょう。
石工たち、彫刻家たちが寺院建築の専門家だったわけでもないでしょう。

おもしろいことは、現代のカンボジアの人たちの風貌にかなり似ていること。
「カンボジアの美女」とか、「ビルマの美女」で、
グーグル画像検索をしてみてください。

どこの国でも聖像はその民族の風貌に似る傾向があります。
彫り師が見慣れた風貌をいわば理想化して刻みつけるのは当然でしょう。
アンコールワットは仏教遺跡だと思いますが、
刻まれた彫刻群の中で、女性の像がかなり多いのでしょうか?
彼らは天女、聖なる存在なのでしょうか?
それとも、諸佛を崇敬する信徒なのでしょうか?
いずれなのか、私には分かりませんが、
分かることが一つ。
みなさん、とても美しく、そして、とても肉感的!
製作者たちの好みが反映しているのでしょうね。

日本人の女性像とはまったく違いますが、
でも、とても魅力的です。
石の中からポンと飛び出たら、
次の瞬間、にっこり笑いそうに思えるほどに、
はちきれそうな生命感にあふれています。

12世紀前半、ヒンドゥー教の寺院として建立され、
15世紀前半、仏教寺院に作り替えられたのだそうです。
美女たちはヒンドゥー教の美神、美女たちなのかも知れません
ウィキペディアによりますと、
境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、
幅190メートルの濠で囲まれているというのですから、広大無辺、
どんなに目覚ましい絢爛豪華な大伽藍だったことでしょう。

参拝者たちにとって、参拝は、想像を絶する超越体験となったことでしょう。
参拝者たちは伽藍を彩る美女たちを憧憬のまなざしで見上げたことでしょう。
もしかすると、ガイドの僧侶が言ったかもしれません。
「仏法に帰依しましょう。
そうすれば、苦しみに満ちた俗世から浄土に昇天することができ、
浄土では、あのような美女たちがあなたを迎えてくれるでしょう。
そして、あなたは極楽の歓楽を永遠に尽くすことができるのです」
男性信徒にとっては、ありがたいお説教よりも効果的だったかも?




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# by hologon158 | 2018-10-11 18:03 | 美との対話 | Comments(0)

745.04 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」4 闇と孤独

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私はどちらかと言うと、暗闇に強い人間です。
子供の頃私が成長した奈良県大和高田市は田舎町でしたから、
夜、午後9時頃ともなると、寝静まった街路はほとんど暗黒でした。
でも、平気でした。

小学校6年2学期に大阪府豊中市に転居しましたが、
事情は変わりませんでした。
当時は、睡眠時間になると、廊下は完全に消灯しました。
トイレに立つと、トイレでも電気など点けません。
月明かりで代用。
小窓から庭を見るのが好きでした。
冬など、月光が冷たく青く庭を照らし、
まるで雪が積もったような気配に満たされていました。

はっきり記憶していますが、
大きな蜘蛛を裸足で踏んでしまいました。
グチャッという感触。
でも、その足をどうしたという記憶も、怖がった記憶もありません。
まあ、そんな少年でした。

だから、長じても、同様。
さまざまな国の都市を一人旅しましたが、
私の子供の頃そっくりで、大抵、夜間の街路はほぼ暗黒でした。
まあ、そんなあたりにいつも宿をとっていたのです。
でも、平気でした。

十数回旅をしましたが、怖い思いをしたことはありません。
友人に言わせると、
私がよほど幸運だったということのようです。
私も賛成です。
私は万事幸運に助けられて生きている、
といつも感じて、生涯を生きてきました。
別に人より幸運なわけがありません。
そうできる理由は実に簡単。
よく言われる言葉があります。
「棒ほど願って、針ほどかなう」
私は、ちょっと違います。
そのような願い方をしたことはありません。
あまり欲も徳もない人生で、
手に入れたものを最高に幸せと思い込むことにしてきました。
手に入らなかったものは手に入らなかったのですから、
悔やんでも、惜しんでも、まったく甲斐がありません。
手に入れたものに満足して、次のステップとすれば、
いつか、さらに幸運な境地に達するかもしれない、
そんな風に考えて生きてきました。

手に入れたものを最高に楽しむ生き方の一つとして、
どこででも、写真を楽しむ、という撮り方を選びました。
大抵のストリート写真家も風景写真家も猟場があります。
その猟場がいつも一定というわけではないでしょうけど、
とにかく猟場を探し、あるいは猟場に足を運ぶ必要がある。
私はそんな必要がありません。
家を出た途端、ときには、家の中でも、
足を運ぶルートはすべて猟場。

そうできる秘訣も実に簡単。
大抵の、ほとんどの写真家は、
一定水準以上の写真を自作と認め、他は捨てます。
写真を始めた頃に出会ったベテラン写真家を記憶しています。
50がらみのしっかりとした姿勢の男性でした。
「私が残している写真は1枚だけです。
ほかは全部捨てました」
格好いい!
そう心から讃歎しつつ、感じたことは、
「この人、寂しいひとだなあ」

あるプロの女性写真家が指導のときに豪語されました、
「私は一本のフィルムに4、5枚は作品が見つかります」
私を含めて、生徒はみんな一斉に讃歎のため息。
5本に1枚もなかったのですから。

それがいつしか変わりました。
「全部、私の足跡じゃないか!
みんな私の人生の証拠写真!」
そう変わったのです。

今でも、写真家、写真家志望、そんな皆さんは、
1枚の傑作を求めて、奮闘努力しておられるでしょう。
その傑作は、写真家自身だけではなくて、
多くの人がそれを見て、そのイメージに心を奪われ、
その作品としての意味に深く思いを巡らし、
感動に心を震わせる、そんなものでなければなりません。

私が感じるのは、「ご苦労様」のただ一言。
そんないわば第三者へのアピールが無用となって、
自分一人で自分の写真を楽しむ日々は実に安らかです。
そのすべてが自分の人生のレンガになってくれる、
という感じ。
人から見たら、いわば「世捨て人」なのでしょう。
私は世を捨てていませんが、世は私を忘れてもよい、
そんな気持ちになっているようです。

カール・ヤスパースはどこかで書きました、
「人は誰もが一人一人孤島である」
それじゃ、自分の島を豊かにしなきゃ、
という気持ちで生きるのが一番。
暗闇を怖がらなかった少年時代の私と、
孤独を怖がらない現在の私と、
どこも変っていない、それが私の正直な印象。





# by hologon158 | 2018-10-07 15:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

745.03 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」3


災難が起こりました。
エキサイトブログだけが読めなくなったのです。
アップルサポート、曰く、
近頃、古いバージョンでのサポートをやめるサイトが増えている!
逆じゃないの?
アップルの方が打ち切ってるじゃないの?
どんどんグレードアップするマックにユーザーを移行させるため!

幸い、私のマックブックAirで読めないアイフォンの写真を読む、
ただそれだけのために、
上位バージョンのOSを別パーティションにインストールしてあります。
この上位バージョン移行のインタフェースはますます進化して、
複雑怪奇になっていて、私は使いたいとは思わない。
そこで、パソコン上での仕事、楽しみはすべて現在のマックでやり、
ブログ記事の原稿をすべて作っておいて、
ブログを更新するときだけ、マックのOSを切り換えることにしました。
この上位バージョンにもサポート停止の魔の手がどんどん近づくでしょう。
悔しいですね。
でも、ブログ人生も楽しみたい。
なんとか切り抜けていきましょう。



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# by hologon158 | 2018-10-04 15:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

745.02 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」2 災厄列島


10月1日月曜日、
台風24号一過の朝でした。
山の端にわずかな雲気を観るだけで、全天快晴。
天気晴朗、完全無欠の秋晴れ。
台風24号、日本列島太平洋岸を疾駆し、
空のゴミをワイパーでごっそりぬぐい去ったという感じですね。

本当に久しぶりに、晴天の月に会うことができました。
青い空にすっと白く月面が見えているのです。
私の住む住宅地は奈良盆地の東側丘陵にあり、
バス道まで西空を見ながら下っていきます。
その間、ずっと晴天のお月様とおしゃべりしました。
お月様がおっしゃってました、
「近頃、君たち人間はすっかりバカになったねえ。」
私、
「そんなことありませんよ。
コンピューターとか携帯電話とか、
便利なものをどんどん発明していますよ」
お月様、にっこり笑って、
「君たち、分かっていないんだね。
おかげで、君たち、それなしになにもできないじゃないかね。
君たち、もうすっかり機械の奴隷になってしまっていることに
気づいていないね。
気づいても、もう手遅れだけどね。」

台風、和歌山県田辺市に上陸して、
奈良県南部を通過したようです。
奈良市の我が家には午後9時から10時頃通過していったらしい。
でも、かなり足音をひそめて、
「おじゃましましましたあ」という風情ですっと消えて行きました。
一階の南側リビングルームに居た妻はかなり風音を聞いたそうですが
二階北側の小さな書斎に居た私には、
揺れはなく、風音もぜんぜん聞こえませんでした。
二重サッシと北側という部屋の位置のせいでしょうけど、
大阪を駆け抜けた前回の台風のときには、
ちょっと恐ろしくなるような風音、振動を感じたのですから、
台風の経路によって、大変な違いですね。

よく台風のコースの右側が危険、と言います。
ジェーン台風、第二室戸台風、平成10年の台風7号は、
全部奈良の北側を駆け抜けた台風でした。
ジェーン台風は1950年、
私はまだ物心ついたばかりの幼児でした。
でも、くっきりと一シーンを記憶しています。
大和高田市の当時の住まいは平屋建てで、
両側に2室分の幅でどちらも廊下になっていて、
縁側には仕切の桟で区切られたガラス戸がついていて、
どちらも雨戸がありませんでした!
北側に大きめの平地、南側に瀟洒な日本風の築山付きの庭、
つまり、家の両側が開けているので、
暴風が我が家を容赦なく風雨で殴りつづけたのです。
南側ガラス戸が突風にあおられてガタガタと盛大に鳴り続け、
不気味にしなり、隙間から雨しぶきが飛び込みました。
いつガラス戸が吹き飛ぶかわからないほどの猛烈さでした。
ガラス戸の向こうの庭木は倒れんばかりにしなり、
ガラス戸にはバケツでぶちまけるように、
バシャバシャッと雨が叩きつけられていました。
下の姉がガラス戸を押さえながら、
「割れるーーー!」と泣き叫び、
私は床に転がって笑い続けたことを覚えています。
記憶はそれだけ、結局ガラス戸は割れなかったようです。

私は20年ばかりテレビを一切観ませんし、
今朝は朝食後すぐに家を出ましたので、
被害状況は分かりませんが、
深刻な被害が出ていないことを祈ります。

中国文明は黄河、揚子江の賜物であるとよく言われます。
洪水等の深刻な災害に対する防災、治水と被害回復の努力が、
漢民族を鍛えたと言われています。
ほぼ同じことが日本にも言えそうです。
日本ほど自然災害が各種頻発する国って、
他に例を見ないのではないでしょうか?
お役人たちが考え出した治水対策は、
全国の河川の河川敷と周辺斜面をコンクリートで固めるという、
土木業者支援事業でした。
五月雨を集めて早し全国の川、
内緒金を集めて懐暖かし議員さんたち、
ということで、周辺丘陵地帯の雨水があっと言う間に河川に集まり、
鉄砲水となって、不測の惨害を下流地帯に与える危険が増大しています。
林野庁の杉、檜等の事業林政策のおかげで、
保水力があり、その斜面から地下水が供給されていた日本全土の多くが、
保水力のない杉、檜林に覆われたことも、上記の惨害を助長しそうです。

でも、そのような人災の可能性がますます拡大する危険も怖いですが、
自然災害が度外れ様相を呈しつつあることがさらに恐ろしいですね。
地震、台風も恐ろしいけど、
南海トラフのような大津波を伴う地殻異変、
堆積されたマグマを日本列島にまき散らし、天候を一変される、
世界で噴火の危険No.1とNo.2である硫黄島、阿蘇山、
さらには、東京都に至近の富士山の大噴火はさらに恐ろしいですね。
これらは日本列島の重要な一部もしくは全部を滅亡させかねません。
孫たちのためにも、これらの災厄が今後何百年も起こらないことを、
毎日祈っています。




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# by hologon158 | 2018-10-01 22:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

745.01 ホロゴン外傅239「2018年3月21日ビオゴン21㎜F4.5が奈良公園に」1 カラオケ


私は一年ほど前から落語を楽しんでいます。
落語界って、人形浄瑠璃とよく似た状況にあるように思います。
大正期から第二次世界大戦を挟む昭和中期までに、
かなりの名人が輩出しました。
その後、テレビブームに乗って、
かなりたくさんの落語家が生まれましたが、
話技においても人間味においても、
先輩名人たちには遠く及ばないレベルと言わざるをえません。
中で、一人だけは例外的に正真正銘の名人だったように思います。

古今亭志ん朝

私が聞いた限りにおいては、ですが。
今そこで、志ん朝の中からその落語が生まれ出てくる、
そんな感じさえさせるほどの板に付いた自然な語り。

でも、ご本人が亡くなった今ですから、言えることでしょうけど、
ちょっと言い方が悪いけど、あまりにもピタリと決まりすぎて、
まるで着流しにネクタイをきちんとしめている、
そんな感じがしてしまうときがあるのです。

じゃ、誰がよいの?
そう尋ねられますと、もう答えは最初の最初から決まっています。

桂枝雀

私は、正直なところ、落語界のことなど知りませんし、
どこかで読んだこともありません。
すべて、図書館でCDを借り、Youtubeで検索し、
自分でCDを物色し始めて、それらを聞いた限りなのですが、
この人は特別です。
志ん朝のような完璧な芸術ではありません。
言い間違え、言いよどみもときにあります。
でも、いつも心が感じられるのです。
まるで生身の人間がその気持ちを全部さらけ出して語っている、
そんな感じさえします。

そんな語りの一つにカラオケを題材にしたものがあります。
彼の創作落語です。
ある日、カラオケにはまってしまって、
あるとき、「アンコールツッ」
というバカにするようなかけ声にムカッと来て、
26曲歌い続けたという顛末。

その中で、カラオケがなぜ気持ちよいのか、
と考えるくだりがあります。
家庭用も売り出されているが、
そんなもの買う人はあまり居ないだろう。
カラオケの醍醐味は、まるで歌手のように大好きな歌を
伴奏付きで歌えることにあるけど、それだけではない。
わたしの歌を人が聴いている、
これが一番大きな理由だとおっしゃるのです。

実は私はカラオケが大嫌い。
カラオケを歌ったこともなく、カラオケ喫茶に行ったこともない。
なぜ?
何十年もテレビを観ないせいもあるでしょうけど、
歌謡曲もポップスも聴いたことがなく、好きでもなく、
したがって、ただの一曲も歌えないことはさておいて、
歌声にさまざまな装飾をかけてもらい、
高下駄履かせてもらって、どうだ、高いだろう、
と威張るようなもので、
私には聴いていられないからです。

でも、枝雀さんの落語にうんうんその通りとうなづきながら、
ふっと、気づきました。
ブログって、まさにカラオケだ!

枝雀さんが言います、
一曲終わったら、みなさん、わいわい喝采するけど、
それは自分のときにも拍手をもらいたいからで、
本気になって賞賛しているわけじゃありませんね。
その証拠に、みんな、聴きながら、
一生懸命自分が歌う曲を探していますね。

ブログもそうですね。
人気ブログにはコメントが続々寄せられるようです、
これはコメントが端緒となって、
ブログ主に、自分のブログに答礼の訪問してほしいし、
人気ブログのコメント欄伝いにたくさんの人が
自分のブログに来てくれるかもしれないから、と、
そう気づきました。

その上、だんだんわかったことですが、
ブログもコマーシャルを引き受けると、
アクセス数に応じて謝礼を稼ぐことができるのだそうです。

数年前、電車の隣に座った青年、エクセルらしい表に一段ずつ、
一口文章を書き殴っていました。
速射砲のように、まさに目にも留まらぬ早業でした。
なんだろう、とちょっとのぞいてみました。
一番左がどうやらURL、次が名前のようです。
一口文章が目に入りました、
「おっしゃるとおりですね。おそれいりました」
「そこまで気づきませんでした。さすが」
「私もそうしたいと思っています」

何のことはない、ブログとは限らないでしょうけど、
そんな類のサイトで友達を増やそうと、
毎日、めったやたらと訪問して、コメントを送り続けているのでしょう。

まだ4、5歳の頃の孫が私の携帯を奪い取ったら、
人気のおもちゃの紹介サイトにさっとアクセスしていました。
妖怪メダルの新発売を紹介する人気サイトは、
それだけで生活できるほどの高収入になるのだと聴きました。
今はどうか知りませんが、私がブログを始めた頃、
毎日の訪問者が1000人を越すブログがコマーシャル掲載を受け入れると、
かなりの収入になると聴きました。
本当でしょうか?

私も裕福な人間ではありませんが、
日記ブログにコマーシャルは邪魔です。
パソコン上の私の2つのブログは、あらゆる装飾を排除しています。
お気に入りとかなんとかそんなものも受け入れていません。
暗黒のバックグラウンドに文章と写真だけが浮かび上がるだけ。
おそらくブログ世界ではもっともシンプルな体裁でしょう。
ところが、携帯で私のブログを開くと、
勝手にiPhoneの画面下5分の1をバナー広告が占領。
過去記事の欄に勝手にコマーシャルが割り込んでいる!
こいつら、なんとかなりませんかねえ?
一応、復讐の意味で、いっさい目をくれず、
ましてオープンなど絶対にしない。
もしかすると、他人のアクセスをいっさい禁止する設定にしたら、
携帯での広告割り込みはなくなるのでしょうか?

でも、私は日記なのに、公開しています。
コメント欄も開いています。
アクセス禁止、コメント不可の設定もできるのに、
していません。
なぜ?
自分で勝手に、これからは本格的に日記とする、
と宣言する前に、幾人かのブロガーと親しくなってしまったからです。
でも、それがなかったとしても、そうしなかったでしょう。
なぜ?

ここで、ブログカラオケ論が浮上します。
なぜ、日記がいつも長続きしなかったか?
どうやら、自分一人の心覚えとして書くだけでは、
結局忙しさに負けてしまい、
どうせいつか読むはずもないんだから、と、
どんどんモチベーションが減退してしまったからでしょう。
でも、ブログを公開しておきますと、
どんな人が読むかもしれないという、緊張感が生まれます。
誰が誰やらわからない御仁が読んだって、
まったく気にすることはないのですが、
やっぱり、あまり恥ずかしいことはできません。
つまり、日記に書けないようなことはしない。
それだけで、生活にちょっとした緊張感が生まれます。

ただし、私には読者がいるんだから、という気分は皆無。
最初の一年、コメント数をチェックしたからです。
ほとんど人が来なかった!
一年間毎日数個以上の記事を出したのに、アクセス数が増えない。
その原因ははっきりしています。
つまり、検索の結果訪問する人は居ても、リピーターはほとんど居ない。
だから、累乗効果が起こらない。
私は思い切りのよい人間なので、それで来客のことは忘れ、
以来、ただの一度もアクセス数をチェックしたことはありません。
その後、別ブログ「レンズ千夜一夜」を始めましたが、
こちらはテーマそのものが拡散性がないので、
ハナからアクセス数など気にしたことがありません。
お陰さまで、自分の好きなように記事を出したり出さなかったり。
出すときは、数十枚ずつ写真をアップします。
そうしないと、どんどん撮影する新着分がはけません。
今でも70回ほどの撮影分が溜まりに溜まっています。

というわけで、ひたすらせっせせっせと、
一人カラオケを楽しんでいるわけです。
「ああ、今日はアップする写真が一枚もない!」
そんなときがいつか来るでしょうか?
もちろん、来ます。
誰も死を免れないように。
でも、それまでは大いに楽しみましょう。




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# by hologon158 | 2018-09-28 22:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

744.00 美との対話4「2018年9月26日日本の秘仏たちのふっくらの美しさに打たれ」



図書館で「日本の秘仏」(平凡社)を借りました。
各地のお寺の秘仏を特集したもので、
見事な精密描写の仏様の写真が並んでいます。
掲載写真をお借りしてブログに記録するときには、
デジタル写真の記録性のメリットを感じます。
複写しても、あまり画像が劣化しません。

でも、仏様としてのありがたみはかなり薄れてしまう感じがします。
美女の肌をシミ、そばかすまで写し取ってしまうのに似ています。
写りすぎです。
デジタルカメラやデジタル写真ソフトは、
そうしたシミ、そばかすをデジタル処理してしまいます。
現代の映画やポートレートに浮かび上がる美女たちは、
精緻きわまりない化粧に画像処理が加わって、
天女のようで、現実の女性とは完全に異質な存在です。
孫の家でテレビを見ましたが、
あらゆる番組の登場人物が毛穴一つない妖精じみた真っ白お化け。
強烈な違和感を覚えました。
みなさん、慣れてしまったのでしょうか?
結局、テレビに出現する存在はすべて人間ではない、
ただの映像、イメージなのです。

ちょっと話が逸れましたが、
デジタル処理でいやが上にも精緻な画像に処理された仏像たちは、
私が複写してブログに掲載するレベルになると、
かなり現実の存在に近い位に画像が劣化します。
まだ我慢ができる程度。

昔、新薬師寺の十二神将を撮影したいと思ったことがありました。
でも、特別撮影許可をもらうためには10万円ほども要ると聞いて、
諦めました。
そのときも、断念することに躊躇はありませんでした。
写真家ではないのです。
それだけのお金を出して三脚に35mmカメラを据えても、
どうせ補助光はストロボ1灯かせいぜい2灯。
陰の多い不自然な明暗のさえない仏像写真が撮れただけでしょう。
仏像写真家たちが撮った傑作仏像写真をお借りして、
ブログ記事を作るなら、安上がりだけではなく、
私なりに仏の心を感じることができるかも知れません。

仏教国はいくつ位あるのでしょうか?
そして、仏像を安置した仏教寺院のある国はいくつあるでしょうか?
私は知りません。
私が知る限りでは、元祖インドのほか、
中国、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジア、韓国、台湾、
そして、日本でしょうか?

おもしろいことに、顔が少しずつ違うのです。
お国柄、民族色がしっかり反映されています。
同じブッダがそれぞれの国の人に似ていますね。
インドでは、ブッダははっきりインド人です。
中国も、インドほどではありませんが、中国民族的です。
日本の場合は、仏教が外来宗教であるせいでしょうか?
やや異国的、つまり、中国的という感じがします。
はっきりと日本人に似た仏像と言えば、石仏でしょうか?

今回収録の仏様たちは一定時期の限定公開秘仏ばかり。
かつては、秘仏にもひっそりお目にかかることができました。
今はおそらくワンサワンサの群衆に揉まれかねないでしょう。
参りません。


1 5349 滋賀県大津市 盛安寺 十一面観音立像

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2,3 滋賀県守山市 福林寺 十一面観音立像

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4 京都府加茂町 浄瑠璃寺 吉祥天立像

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5,6 滋賀県大津市 園城寺 訶梨帝母倚像

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7 奈良県斑鳩町 法隆寺 救世観音立像

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8 奈良市 五劫院 五劫思惟阿弥陀像

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9 広島県尾道市 摩訶閆衍寺 十一面観音立像 

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実はこの記事を書く前に、
「日本の秘仏」は図書館に返してしまいました。
すでにパソコンに取り込んでおいた画像の順に、
私愛用のテキストエディタMiにデータを記載しました。
ところが、いざ画像をブログに取り込む段になって、
なぜかどれがどれやら分からなくなってしまいました。

そこで、ネットで検索してみたのです。
驚きました。
私が本書から取り込んだ画像としっかり対照できる、
そんな精密画像はネットにアップされていない!
秘仏は、ネットにさえも公開されていない?
そうすると、そんな秘仏たちを精密画像で掲載する、
この「日本の秘仏」は、本気に秘仏たちのお姿を拝見できる、
数少ないチャンスを提供してくれているのかも知れません。
実際にお寺で拝観できたとしても、
厨子の奥深くに収められて、間近に近寄れないでしょうから。

もう1つ、面白い発見。
秘仏には、観音様を初めとする女性像が圧倒的に多い!
これも当然でしょうか?
上代からお寺さんたち、その美しさに酔いしれるあまり、
ちょっと恋心も手伝って、
「俗人たちになど見せるのはもったいない!」

そんなかなり俗っぽい想像をしてしまうのは、
観音様たちがとても美しいからなのでしょう。
制作年代はさまざまなのでしょう。
でも、どなたもふくよかですね。
そのあたりからも、感じるのですが、
日本人はかなり長い間中国文化、中国思想の影響を受けてきました。
仏教も、直接インドからではなく、中国仏教のフィルターを通りました。
理想の女性像についても、もしかすると同様のフィルターがあり、
美女の理想と言えば、中国の美女を思い浮かべる伝統が、
日本には静かに定着していたのかも知れませんね。
そのおかげで、僧侶も仏師も信者たちも、
ふくよかな頬の容貌にとりわけ惹かれてきたのかも?




# by hologon158 | 2018-09-26 18:46 | 美との対話 | Comments(0)

743.04 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」4-完-自画自賛



私は自分が写真のど素人であると弁えています。
以前は写真家になりたいと思ったことがあるのに。
よく、不思議に思ったものでした。
なんで、こんなに素敵な写真をバンバン撮っているのに、
誰も私の写真に心を躍らせないんだろう?
そして、ある日、はっと気づいたのです。
「我が身可愛さのあまり」という言葉がありますね。
それなんだ!

コーサラ王とマッリカー妃のお話を思い出しました。
王が妃に尋ねたのです、
「この世で一番愛する者は誰か?」
妃は言下に、
「私です、王様もそうでしょう?」

自分を見るときは、客観視は無理なのかも知れません。
だとすると、写真だって、同じじゃない?
誰も自分の写真が一番好き、というわけです。
でも、自分以外の写真はどう?
そう尋ねられると、誰もがそれぞれに違った写真をあげるでしょう。
たで食う虫もすきずき、という言葉が写真にも当てはまるのです。
みんな一人一人違った人生を歩んできました。
違った趣味とセンスを持っています。
異口同音に「これが最高」と一致するような共通項はない!
そう断言することができるでしょう。
偉大なるカルティエ=ブレッソンについてだって、
アマチュア写真家がさらりと言ってのけるのを聴きました、
「あんなぶれぶれの写真、どこが良いんですか?」
「我々はもうカルティエ=ブレッソンを軽く超えてしまいましたよ」

というわけで、今から10年以上前に、
私は写真家志望をやめました。
気持ちがぐっと軽くなりました。
他人の評価を期待する必要がなくなったのですから。
そこで、なにが起こったか?
自分の写真をさらに深く強く愛するようになったのです!
人に頼るから、いつまでもくよくよすることになる。
人に頼まなくなると、平気で自分の写真を愛せます。

というわけで、幾度も幾度も念のために書いていますが、
私の2つのブログは写真ブログではありません。
「写真日記ブログ」
というより、正確には、
「写真ストック付き日記ブログ」
写真と日記とはほとんど連繋していません。
その場その場で感じたことを書き、
遅まきながら半年ほど前の写真をウェブに蓄積しているわけです。
全部、私のために。
いつか日記を読み返し、ああ、こんなことを考えただなあ、
いつか写真を見返し、ああ、こんな写真撮ってたんだ!

日記帳なら3日も続いたことがなかったのに、
2つのブログ、飽きもせず、ずっと盛んに楽しんでいます。
そして、相変わらず、
「ああ、いい写真、撮れたなあ!」と自画自賛しています。
つまり、自分の大好きな写真。
他の人もそうなのでしょう?
確かに、いい写真を見ることができます。
でも、そうでもないのもあります。
でも、温かい気持ちで見守ってあげなきゃ。




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# by hologon158 | 2018-09-25 22:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

743.03 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」3 木の鬚


奈良、大和路にはさまざまな古い道があります。
その筆頭が「山辺の道」でしょう。
最初から最後まで歩いたのはたった2回ですが、
良いとこ取りであちこちピックアップして歩いた回数は、
数えきれないほど。
でも、近頃、古道の雰囲気を次第に失いつつあります。
際限なく拡大して行く住宅地が随所で鄙びた景観を浸食し、
古道のたたずまいとはほど遠い場所が増えているからです。

そんな現代化の波に現れることがない古道、
そう言えば、おそらく柳生街道とささやきの小径でしょう。
柳生街道は、ただし、林間をひたすら歩くだけで、
さほどロボグラフィにも景観にも恵まれません。
私も30数年で歩いたのはたった2回。
数え切れないほど歩いた古道と言えば、
私の場合、ささやきの小径が筆頭でしょう。

高畑町界隈は、昔風に言えば、奈良の高級住宅地と言えそうです。
さりとて大富豪の邸宅が並んでいるわけではありませんが、
静かなたたずまいの住宅街で、奈良公園と接しています。
東大寺、春日大社のバックグラウンドに広がる春日山は、
原生林を含んでいますが、このささやきの小径から飛火野にかけて、
天然記念物のナギ林が広がっています。
そのナギ林を西側に見ながら歩ける山道がささやきの小径なのです。
もっとも、ナギという木はさほど見栄えの良い木ではありません。
くねくねとのたくっていて、いじけた感じ。
見所は、この小径に覆い被さるような杉や松の古木林。
春日山の主のような老杉の他を圧する巨体にも会うことができます。

今回はそんな古木とマクロスイターとの出会いの記録。
この林に入る度に、思うのですが、
J.R.R.トールキンも私と同じように、
ブリテンの林で出会った老木たちに出会って、
老いた木の精の化身なのだと分かったのでしょう。
彼の生み出したユニークなキャラクター、Ent(木の鬚)は、
このささやきの小径にも、遙かな遠縁の親戚を持っているだろうな。




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# by hologon158 | 2018-09-22 19:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

741.02 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」2 隠棲


8月31日に左肋骨を1本折ったことは報告しました。
治療法は固定とテープ貼付だけ。
固定は簡易なギプスのようなものが用意されているそうですが、
私はすでに購入していた姿勢矯正用のシャツで代用しました。
洗濯を考えて、2枚購入していたのですが、
タンクトップタイプなのですが、とにかく着用が猛烈に窮屈。
そして、着心地もやや拷問に近いので、お蔵入りしていました。
この肩の部分をハサミでジョキジョキ。
ただの筒になり、固定にもってこいの状態。
薄いので、目立ちません。
医師の許可を得て、これを着用。

たった2週間、9月15日頃には痛みがほとんど消えました。
友人3人と奈良公園を撮影し、ホロゴンで500枚弱撮影。
なんの疲れも痛みもなし。

昨日20日、そろそろ起床直後のストレッチを再開することに。
当初は、段階的に慣らし運転するつもりでした。
ところが、やってみると、なんの支障もなくフル運転。
150数えるブリッジや15回の腕立て伏せも含めて、
全コースをスムーズに完了。
おかげで、身体が快調そのものになりました。

生まれて初めての骨折でしたが、良い経験でした。
教訓1 災難はどこに待っているか、分からない。
教訓2 どんな場合でも、冷静に対処するだけ。
教訓3 なにもない平安な一日がどんなに大切か!

一つ、副産物がありました。
私は午前零時、ブログ作成や文章作成を止めて、
韓流ドラマを楽しむ時間に移行します。
その際、近ごろだと、芋焼酎のオンザロックを、
ちょっと大きめのグラスで頂いていたのです。
ふっと考えました。
夜間小用に立つのは、そのせいじゃないか?
(当たり前ですね。今頃気づく方が遅い!)
最初の1週間は、布団に寝ころび、起き上がるのが拷問。
大変な苦痛が走るのですが、私は実のところ、
あまり苦になりません。
苦痛は一時のもの、すぐに去り、記憶しない、
そう分かっているからです。
でも、やっぱり拷問には違いないから、減らしたい。
そこで、3分の1の量に減らして、
小さめのお湯のみのお湯割りにしました。
夜間の小用が激減しました。
私は、へべれけに酔う気分が大嫌いなので、
酒飲みではなく、一人ちょっと嗜みたいだけ。
今回の体験で、量は関係がないことが分かりました。

私は、やるべきことはなんでも習慣化することで、
一生、さまざまな体質改善をしてきました。
「なんでも3週間継続すれば癖になる」
どこかでそんな言葉を読んで、採用したのです。
そのとおりでした。
現在老化を防ぐためにさまざまな工夫をしていますが、
すべて癖になっているので、苦になりません。

数年前、旅行をやめました。
私のやりたいことはすべて我が家でできる!
そう気づいたからです。

これらのことを一纏めにしてみると、
どうやら私は人生をどんどん縮小化していっているようです。
いつでも身体を殻に引っ込められるカタツムリのように、
自分を安全な殻の中に包み込もうとしているのでしょう。
無理をしないで、今、ここで楽しめることだけを楽しもう!
身体はフルに使うけど、疲労は決して残さない。

ソクラテスは、若い頃は重装歩兵(ホプリテース)として、
遠征に従軍しましたが、高齢になると、アテーナイに止まり、
日々、対話に明け暮れました。
思弁の旅以上に遠くに行ける旅はなく、
思弁の旅以上に心を躍らせる旅はない、
そう考えていたようです。
私もソクラテスに倣って、我が人生をひっそり楽しみましょう。





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# by hologon158 | 2018-09-21 12:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

742.00 美との対話3「2018年9月19日中国古代の青銅器文化にただただ唖然」


図書館で次の本を見つけました。

  「中国古代の造形」(杉原たく哉) 小学館

あんまり凄いので、自分でも購入しました
次々と登場する中国古代の青銅器等の発掘品たち。
もう唖然とする異貌の世界。
まず、ざっと並べてみましょう。。
説明しませんから、ただただ、味わってください。




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とりわけ驚いたのは、三星堆の発掘品です。
2枚目の黄金仮面と3がそれです。
顔の峨々たる輪郭、
超自然的な風貌、
厳格な表情、
飛び出た目、
なにもかもが人間を超越しています。
まさに仮面ですが、これに限らず、
古代中国人たちの想像した造形美術は、
いずれも現実界を超越した異貌、異形です。

古代中国人がリアリズムを知らなかった、
写実のアートを創造する能力などなかった、
ということが絶対的にありません。
ちょっと後世になりますが、秦の始皇帝陵の兵馬俑が、
中国人陶工たちの写実力を十二分に証明しています。
4枚目、5枚目がそれです。
さらに、古代の中国人たちの生み出した動物像、
とくに9枚目の馬を見れば、
中国人たちがリアルな動物たちの姿をありのまま認識し、
かつリアル無比に造形する能力を持ちながら、
なぜかデフォルメしているのです。

縄文土器を思い出します。
縄文人は上記の古代中国人よりも数千年も先んじて、
人物像、動物像、土器を生み出しました。
これこそ、古代史最大の謎です。
大陸文化の影響を受けたのだとする説があります。
ところが、いつまで経っても、縄文文化に先行する文化は、
中国大陸に見つかりません。
数千年遅れてやってきた文化が縄文文化に影響を与え?
これじゃ、まるでSFの世界です。

この縄文文化の産物たちも、
不思議なことに、すべてが例外なく、
写実を遙かに超越した異貌、異形の創造物なのです。
いわゆる遮光器土器と呼ばれる異形の人形たちを思い出してください。
遮光器を付けているのだとする説が有力ですが、
じゃ、顔の下半分はどこに行ったのですか?
口がちょぼっと付いているだけ。
猛烈なデフォルメ、アブストラクトの表現?

顔全体を覆うような遮光器って、見たことがありますか?
遮光土器はほぼ全部異様なほどに膨らんだ服を着用しています。
縄文人たちはこんな異様な紋様、異様なデザインの服を
着けていたのでしょうか?
三星堆の仮面と同じくらいに、異様な存在、
そうではありませんか?
遮光器を付けていただろう、なんて軽く済ませて、
分かったつもりになるのは、いささか軽薄すぎるのでは?

人類は飛躍的に脳量が増大したホモサピエンスに進化して以来、
いかなる進化も示していないそうです。
つまり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も、
現代人と風貌、体型ともに変わらないのだそうです。
かつてはネアンデルタール人がゴリラ風の顔に復元されていましたが、
発掘されるサンプルが増加した現在、
上記の風貌はある種の疾患のせいで、通常の人たちのは、
現代人のヴァリエーションの幅に入るのだと分かっているようです。
つまり、超古代人たちは、外観、中身とも、
現代人とぜんぜん変わらないのだそうです。
今でも、裸になってジャングルを飛び回れば、
古代ネアンデルタール人より野生的な人がたくさんいますね。

大阪の御堂筋線の地下鉄に乗る度に、驚愕に近い印象を受けます。
もちろん、私もそんな一人なのでしょうけど、
なにしろ一生見慣れてきたので、自分のことはさておくことにして、
こんなに人間って、バラエティに富んだ体格、容貌、スタイルなのか!
海外の人も多くなっているせいもありますが、
それ以前から同様の印象をずっと受け続けて、笑ってしまいます。
これが日本人だ、これが中国人だ、なんていう基本体型など、
存在しません!

ということで、1万年以上前に日本を闊歩していた縄文人たちも、
はるか後世の古代中国人たちも、現代人と同様の写実力を有していた。
でも、彼らは、通常、現代人にはまねができないほどに、
奇想天外な異形の造形を連綿と生み出し続けたのです。
とりわけ強烈な異形の文化の展開が見られるのは、
四川省の三星堆遺跡。
今回の掲載分では3枚目だけなのですが、
三星堆の発掘品はみなこれに似て、異様そのものです。

ウィキペディアによれば、遺跡は広大です。
東西5〜6000m、南北2〜3000m、総面積12平方キロメートル、
紀元前2800年頃から約2000年続いた文化だということです。
一大文化、政治勢力がここで栄えていたのでしょう。

中国の中心地帯を支配した王朝を並べてみますと、
夏は紀元前2070年頃から1600年頃まで、
殷は紀元前1600年頃から紀元前11、12世紀まで、
周は紀元前1046年から256年までだそうです。
とすると、三星堆文化は夏よりはるか前から始まり、
周の支配になってから200年ほども続いた、
超古代文化だと言えそうです。
ところが、どうやら中国の正史には記載されていない!

私が読んだ当時の史書と言えば、春秋左氏傳と史記だけですが、
三星堆に関する記事を読んだ記憶はありません。
私の推測する真相はこうです。
どの国の歴史もそうですが、
中国でも、その版図の諸国はさまざまに交流し、
さまざまに影響を与えあって進展してきたことでしょう。
でも、そのすべてを目撃し、記録することなど誰にも不可能です。
ある特定の時代にある特定の史家が、彼の手の届く限りの情報を前にして、
史書に記録するに値すると彼が判断した事績を記載して、
史伝を編纂します。
そうすると、人間たちの苦闘の歴史は連綿と続いていたのですから、
正史の記載に漏れたものが、後世の私たちにとって、
本当に知るに値するものではなかったはずと、とても言えませんね。
三星堆はこうして左傳、司馬遷の筆から抜け落ちてしまったのですが、
だからと言って、中国の政治文化史に取るに足りない小枝だ、
と即断することはできそうにありません。

そこで、三星堆の歴史を推測してみましょう。
三星堆文化は殷時代から西周時代にまたがっています。
人類の常として、政争紛争はなかったわけではないでしょう。
でも、我が国でも、およそ1万5000年前から紀元前の終わり頃まで、
縄文土器を作り続けた文化が続いたのです。
さまざまな政争紛争があったとしても、
同一文化圏の部族紛争の域を超えなかったから、
縄文文化が続いたのだと言えそうです。
そうすると、三星堆文化も周辺諸国と無用に争わず、
むしろ平和共存を続けたからこそ、長く続いた。
まさに中国の縄文文化に比肩できるような、
平和の文化だったのかもしれませんね。

その傍証がある、そう考えたいのです。
中国の諸都市がそうであるように、三星堆も城壁で囲まれていました。
でも、残された遺物たちは、博物館に展示されている限り、
青銅の目を見張るような遺物たちに傷、損傷、破壊のあとはありません。
敵国に滅ぼされた遺跡と平和裡に衰退滅亡した遺跡は違います。
モヘンジョダロを思い出して下さい。

当時、青銅は剣、槍、甲冑にも使用されていたはずです。
征服した部族、種族が三星堆の人々と信仰をともにしていたとすれば、
そもそも戦争などなかったでしょうし、
もし異種であったとすれば、
これらの巨大な青銅製品は武器に作り替えられてしまったでしょう。
それなのに、完璧な形で埋没して見つかったということは、
三星堆文化は人知れずひっそりと歴史の襞に覆われて地中に消え去った、
そう考えるほかはないのではないでしょうか?

いずれも想像を絶するような形姿のお面たち。
おそらく三星堆の人たちの風貌の一部は継承しているのでしょう。
でも、あくまでも厳格そのもののまなざし、表情は人間を超えていて、
まさに神寂びた佇まい、気配は神々しささえあります。
三星堆人はまさに神と対座し、神に語りかけていたのでしょう。
もしかすると、三星堆人は人間境と神境とは、
重なりあう別次元の同一世界と感じていたのかもしれませんね。






# by hologon158 | 2018-09-19 21:33 | 美との対話 | Comments(0)

741.01 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」1 衰退期


今日、ある人物に出会ったのですが、
その方がこうおっしゃったのです、
「高齢男性のほとんどが、人の話を聴く耳をもたないですね」
痛い話です。
あなたはいかがですか?
「人の話を聴けない人は、
自分に適した健康法を勉強することができません。
だから、長生きもできません」
ますます耳の痛い話です。
私も、その一人なのですが、
さすがに、近頃は、真剣に耳を傾ける気持ちになっています。

日本社会全体が老人社会になってしまいました。
数年前に、大都会を除く、日本の地方都市には、
出産可能な人口がほとんどゼロに近いと読んだことがあります。
地方都市を訪れる旅人は、名物の家並の多くが空き家か、
それとも売り家になって、町の活力は失われ、
老人だけが寂しく暮らしていることに驚きます。
ということは、日本の食料生産の土台である、
農業、漁業を担う人口が失われつつあるのでしょうか?
日本は一体どうなってしまうのでしょうね?
この危惧をいつも感じてしまいます。

私の住む奈良市もそんな地方都市の一つです。
自然災害が非常に少ないことと、大都市近郊であることから、
住宅建設はかなり盛んです。
奈良市の旧市街の外にそんな住宅地が拡大しつつあります。
でも、町の中心部、旧市街地区は人口密度が激減しつつあります。
簡単に言えば、老いた女性たちばかりになりつつある。
これは、私にとっても、予想外でした。
まだかなり元気です。
まだまだ長生きするつもり。
でも、あと10年も経てば、
奈良市中心部はゴーストタウンになってしまうのでは?
7、8年前に奈良県の西端部に近い五條市に行って、
それと同然の体験をしてしまいました。
旧市街はほとんど人影がない!

奈良市は今かなり賑やかです。
でも、その人波の90%以上が、
内外からの旅行客なのです。
つまり、旅人たちを割り引けば、
奈良市はすでにゴーストタウン?
かなり心配です。




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# by hologon158 | 2018-09-18 14:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

740.03 ホロゴン外傅237「2018年3月10日スピードパンクロ35㎜F2も近江八幡で大暴れ」3 骨折


別ブログ「レンズ千夜一夜」に書いたと記憶しますが、
左肋骨を1本折りました。
でも、10日で痛みがほとんどなくなり、
2週間でほぼ直りました。
まだ肋骨は完全にくっついていないでしょうから、
もう少しストレッチは控えます。
でも、生活は終始平常運転しました。

私はベッドが大嫌いで、
お布団に横になるとホッとします。
通常なら、です。
肋骨が折れてしまうと、まず横になるのが一苦労。
どんな風に寝ころぼうとしても、激痛。
でも、不思議です。
横になった直後に眠りにつきます、例外なく。
そして熟睡し、骨折の痛みを感じたことは一度ない。
夜間2、3度小用に立ちますが、これがまた同じ苦労。
でも、横になった途端に、コトン。
生まれてからずっと完全熟睡人間だったことが幸いした、
そんな感じですね。

そんな状態でも、布団一式を畳んで、
押し入れにしまうのは依然私が担当です。
下手に動くと、突然左胸に痛みが襲うので、
かなり苦労しましたが、
これも頭を使えばなんとかなるものです。
難問クイズに挑戦というスタンスで楽しむ性格が、
こんなときに私を助けてくれました。
主に右手と腰を使い、左手はできるだけ動かさない。
一度に持ち上げるところを二度に分ける。
こんな分散方式でなんとかやりくりしました。

でも、ほぼ完治してみると、嬉しいものですね。
食器洗いも私の仕事なのですが、
シンクの真上にある乾燥棚から小さなボールが落ちました。
骨折してる方の左腕がさっと伸びて、空中でキャッチ。
ニンマリしましたね。
殿はほぼ完治されましたぞ!

3日前、廃棄物処理業の軽トラックの流す音楽に気づき、
飛び出て呼び止め、使わなくなった電気製品その他を出しました。
数度階段を往復して、運び出しましたが、
こんなときは肋骨のことなど忘れますね。
タイムドメインの砲丸型スピーカー大小2セットも、
素敵なサウンドのスピーカーですが、涙を吞んで廃棄。
友人が作った、底面10数㎝もない高さ120㎝ほどしかない、
小型軽量の柱状スピーカーとでも言うのでしょうか、
この超安価なスピーカーに完全に敗北してしまったからです。
4ヶ月ほど前のことでしょうか?
それ以来、私の書斎はザ・シンフォニーホール状態。
ということで、「涙を吞んで」と勢いで書きましたが、
実は「惜しげもなく」さよならしました。

業者のお兄ちゃんに「引き取り価格は1万2千円でお願いします」
そう言われて、ギョッ!
完全に使える良い物ばかり出して、金まで出すの?
楽天やヤフオクに出せば、2、3万にはなるのでしょうけど、
私はそんな器用なことができる人間じゃありませんので、
私も、大阪弁は使えなくても、精神は大阪人です。
「まだ使えるものばかりだから、1万にして」と値切って、
シャンシャンお手うち、2人でにっこり。

そんなことで、書斎のフロアもスッキリしたし、
肋骨骨折ともおさらばできました。
一昨日には、突然両手の手首が自由に回転するようになり、
揚琴のスティックさばきがかなり滑らかになりました。
昨日は、付虹先生の揚琴レッスンでしたが、
宿題の「月圓花好」が一発でオーケーになりました。
でも、「良いでしょう、次の曲に行きましょう」だけ。
劉継虹先生もそうですが、付虹先生、決して褒めない。
妻に、ちょっとがっかりしたと報告したら、
妻怒り、「当たり前じゃないの?
あなた、褒めてもらうために習いに行ってるの?」
おっと、妻も両先生と同類だった。

ということで、まあ、ようやく絶好調に戻った感があります。
ストレッチはずっとお休みしてきましたが、
あと1週間したら、再開します。
いつもの復活プロセスを始めます。
最初の日は、そうですね、各運動3回ずつ。
それから、毎日基本動作は1回ずつ、
主力運動は2回ずつ増やしましょう。
主力運動は30回から60回ですが、基本動作は各10回ですから、
基本動作は丁度8日で、主力運動も2、3週間で復活します。
その頃には、たとえば、ブリッジのように150回数える運動は、
自然に復調するでしょう。

昨日朝、バス停でご近所の奥様に会いました。
「もうこの頃どんどん歳をとって行く感じで...」
そうおっしゃるお顔は、たしかにかなりシワが濃い感じ。
「そんなことはありませんよ」
と返しましたが、結局、
「住宅地の住民全員でどんどん歳をとっていきますねえ」
「ほんとん、ねえ...........」
そこで、180㎝はあろうかと思われる長身の紳士が到着。
よく一緒になる方で、見ると、まだ姿勢はすらりとしていますが、
後ろ姿を拝見して、ほとんど肉がそげてしまって、仙人の風情。
丁度バスが来て、老齢の話題から逃れて、ほっ!

拝見しますに、多くの方は老いることを当然と考えて、
老化を防ぐための努力はとりたてておやりになっていない。
それも一つの生き方かも知れません。
でも、私は、簡単に老いるつもりはありません。
さまざまなストレッチ、マッサージ、ウォーキング、
そして、よく食べ、よく眠り、よく歩く、
健康で、清く正しい生活!
老化を防げることであれば、やれることはなんでもやります!
以前に幾度か話題に上せた水素吸引も、
始めてからかなり経ちますが、ほぼ一日も欠かさず続けています。
私の強みは、やると決めたことは続けることができること。

105歳でなお矍鑠としておられる、芸術家お二人のことを、
かなり前に書きました。
そのお二人が老化に対して決然と戦っておられる姿を
知ってしまうと、
私だってできる、そう考えて、ますます努力してきました。
はっきり分かること、それは、
たゆまぬ努力はしっかりと報われていること。
皆さんもがんばりましょうね。
いくつになっても、若返り術は始められます。

「明日、審判の時が来る、そう教えられても、
「私は木を植える」、
そうルターは言いました。
私なら、こう言いましょう、
「明日、世界が終わりの時を迎えると教えられても、
私はストレッチをし、ブログを書き、写真を撮るために出かけ、
揚琴、リコーダー、二胡を練習し、子供達(猫ですが)の食事を用意し、
妻とおしゃべりをする」
(おっと、妻がラストになってしまいました。
これは妻に内緒)





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# by hologon158 | 2018-09-15 15:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

740.02 ホロゴン外傅237「2018年3月10日スピードパンクロ35㎜F2も近江八幡で大暴れ」2 突然、秋!


突然、秋、ですね。
残暑が戻ることがあるのでしょうか?
気象庁がどう言っているか、調べる気にもなりませんが、
なんだかこのまま秋に突入する気配があります。
これも異常気象のつながりなんじゃないか、
心配になります。

ノーベル賞作家のガルシア・マルケスに、
「百年の孤独」という小説があります。
30代に一回読んだだけですから、ほとんど覚えていません。
その中で、3か月間でしたか、土砂降りが続く、
というような前代未聞の現象が描かれていました。
小説全体がそんな奇想天外な出来事で満たされているので、
そのときも、ただ面白く感じていただけでした、
「そんなバカなことが起こるはずはないね、
マルケスさん、とんでもないことばかり思いつく人だな」

でも、2018年になって、段々とマルケスの想像力って、
自然が生み出す奇想天外には負けているんじゃないか、
という気がしてきました。
山陽道を東に駆け抜けた雨が生み出した惨害は、
マルケスの長雨では起こっていなかったようです。
台風の逆走だって、そうです。
そして、近頃の2度の台風のコースもまた異常ですね。

この夏、炎天が続きました。
来年はもっと暑くなるだろうという予測すら見られます。
そのうち、日本人も腰蓑一つで歩き回るかもしれません。
ファッション界も色めき立っていることでしょう。
「蓑の色は蛍光ブルーかグリーンがいい!」
「そうだ、ベルトからは、ボタン一つで、
絶えず水滴が蓑を滴り落ちるようにしよう」
「それだけじゃ、不十分だ。
5分に1回は頭上からシャワーが霞のように降り注ぐようにしよう。
どんな××も「水も滴る美人」だ!」

電気業界もそうでしょうね。
来年の猛暑を予測して、電気関係の会社では、
携帯式クーラーが目下最大の開発対象かも知れませンね。
「携帯クーラーで、あなたはどこに居ても、
さわやかな切れ者!」
なんて、キャッチフレーズばかり先行開発されているかもしれませんね。

こんな夏には炎天下動きまわらないことしか対策はありませんが、
炎天下あるいは冷房のないところで働く人たちは、
郵便屋さん、宅急便その他の配達要員、土木建築業界等、
数知れずいます。
みなさん、無事乗り切ったでしょうか?
今日、豆腐の移動販売車が我が家にもやってきました。
「近藤豆腐店」という奈良一番のおいしい豆腐作りの店。
その担当の初老の男性、盛りには「汗中顔」という悲惨な状態。
気の毒、としか言いようのない状態で、
冷やしたサイダーを飲んでもらったこともあります。
でも、見事乗り切られ、今日は爽やかな風貌でした。
凄い体力、気力!

私が仕事をしていた頃の公官庁は、冷房温度を押さえるために、
庁舎内はネクタイ、背広なしとしていましたが、
今はどうなのでしょう?
とにかくかたぐるしい礼儀作法から解放されたのですから、
今は気楽なものです。

先日、榛原の子供ランドに長女一家とドライブしたのですが、
訪れる若い家族のお父さんたち、おじいちゃんたち、
私をのぞく全員が、なんと呼ぶのでしょうか、
半ズボン姿でした。
私が独裁者になったら、ファッション警察をもうけますね。
スタイルが悪くて、観ると気持ち悪くなるようなおっさんたちは、
第一回検挙で黄色蓑強制着用、
第二回で真紅の蓑強制着用、
第三回で検挙、3日間拘禁。

ファッション等級に応じた着衣免許制度を作りたいですね。
もちろん男女いずれも、厳守。
超Aクラスは、いかなる服装でも、ときには服装なしでも許される、
最低の超Cクラスは、イスラムの最大限隠蔽型ブルカのみ許される。
低クラスの各種制限は心当たりのある方が自分で問い合わせしましょうね。

それにしても、これからどんな破天荒な天災地変が襲来するでしょうか?
いつもまったく予想しなかった災厄が年々襲いかかる時代になっていましたが、
今年はそれが束になって襲いかかっています。
昨年との災厄膨張率を加味しますと、
来年はさらに恐ろしい災厄が連続襲来するのではないでしょうか?
6千万年前、ティラノザウルスも同じように感じていたのではないでしょうか?

このような時代が来るとは思ってもいませんでした。
このような時代にふさわしい生き方は何か?
これも一人一人真剣に考えるべき課題ですね。
誰にも妥当する生き方などありません。
マルチン・ルターの選んだ生き方が最上かも知れませんね。
「明日、最後の審判が来ると分かったら、あなたはなにをしますか?」
ルターの答えはこうでした、
「それでも、私は木を植える」
私の答えはこうです、
「今一番やりたいことをします。
それが長年月かかるものであっても、それをします」
ルターと少し似ていますが、もっとプライベート。
社会のこと、世界のことなど、構ってなどおれません。
でも、子供たち(猫を含む)、孫たちは別。
最大限、一緒に楽しい日々を重ねたいものです。




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# by hologon158 | 2018-09-12 18:11 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

740.01 ホロゴン外傅237「2018年3月10日スピードパンクロ35㎜F2も近江八幡で大暴れ」組写真


8月30日木曜日、写真家吉田正さんの写真教室の日でした。

大半の方は原則5枚、パソコンデータで持参されます。
スクリーンに投影して、講師のアドバイスを受けます。
私はそんなことをしたことがありません。
必ずプリントします。
私は、幾度も書きますように、写真家ではありませんが、
人に写真を見せるのであれば、プリントすることにしています。
学会で研究発表する際の標本データじゃないんだから、
という気持ち。
私が写真家を目指していた時代は、
「写真をデータで」なんて言葉はそもそも存在しませんでした。
フィルムやベタ焼き、試し焼きなどは、人に見せるものではない。
ポジフィルムの投影も私は大嫌いでした。
写真は暗闇で幻灯機のように見せるものじゃない、
私はそう考えていました。
最後に所属した写真クラブでは、そんな見せ方が主体でした。
私は、ポジそのものを持参した時期もありましたが、
いやになり、きちんとプリントして持参しました。
そして、今、吉田写真教室で起こっていることと同じことが起こりました。
大半の方は私の写真になど興味、関心をもたなかったのです。
だから、私が写真を片隅の卓上も並べても、大半はおしゃべり。
数人がぼちぼちと近寄ってきたり、立ち去ったり。

でも、私はそれで満足。
我ながら、自分の写真に興味を持つ人が居るとは、
当時、全然思えなかったし、今はなおさら、思っていません。
自分のためにだけ、撮る。
人に見てもらうためには、撮らない。
それが20数年前、ホロゴンによるロボグラフィを撮り始めたとき、
厳然として確立した、私のポリシーだからです。

かつてアマチュア写真家のつもりだった時代にも、
自分なりの気持ちで原則を立てていました。
① コンクールには絶対に出さない。
② 人に見せるときは、必ず組写真にする。
当時から、私は単写真の傑作主義は捨てていました。
なぜ?
自分には写真の才能がないことを知っていたからです。
でも、そんな私でも、写真を楽しめる方法がある、そう考えました。
その方法は2つ。
① 組写真を構成して楽しむ。
② 私家版写真集を作る。
私にぴったりの楽しみ方です。

もっともかなり早期に写真クラブをやめましたので、
長い間、もっぱら②の方法で楽しみ、
友人に見せるときに、①の方法で並べて見てもらうことにしていました。
写真集は成功でした。
オリンパスの昇華型熱転写プリンター、
型番は忘れましたが、P-400だったでしょうか?
今もってこれを超えるものはない傑作プリンター。
その理由は面倒なので書きませんが、
このプリンターを使って自分の写真集を40冊ほど、
友人の写真集を10冊ほど作りました。
完全に出版物同様に編集し、大阪長居の雲雀屋製本所に持ち込み、
布装固表紙、背表紙に型押しの表題を彫り込んでもらって、
完全なる出版物の体裁に仕上がりました。
20年以上経ったものでも、今も新品同様で、
頁を開くと、ピッカピカの写真を楽しむことができます。
布にカビが来ない限り、百年でも保つでしょう。

そういうわけで、写真を編集し、組写真を組む訓練はかなり積んできました。
ということで、昔取った杵柄じゃありませんが、
吉田教室では、プリントを教室中央の机に並べて、ご覧いただきます。
生徒さんは、ほとんど銀塩プリントも組写真も体験がないようで、
こんなとき、写真をどう見たらよいのか、ご存じないようです。
机のまわりに、関心なさそうな風情でぐるっと取り囲み、
ずんと直立したまま、傍観する方がほとんど。
組写真を見るためには、正面に来て、しっかり見下ろし、
視線を走らせて、そのシーケンスがなにを物語るか、
全体を見渡しながら、考えを巡らせるものです。
そんなことをする方は大変に少ないですね。
先生が「前に来て、まあ、見てください。面白いですよ」と誘っても、
その言葉に応じて正面に移動した方は、
かなりの回数を重ねている内に幾人いたか?
そのように言われて動かないということは、
「私はこの写真たちに興味がないよ」という、
かなり無礼な意思表示であることにも気づいておられない。
そんな調子ですから、熱心に見ていただく方がほんの一握りという状態。

でも、いつもわくわくしてプリントし、構成を考え、
わくわくして持参するのは、吉田先生にお目にかけるから。
実に熱心に鑑賞され、的確に私の意図、気持ちを見抜いてくださいます。
写真に対する愛情にあふれておられます。
私は、長い写真人生で、人の写真を見るときの態度で、
人間の値打ちが分かるということを学びました。
ほとんどのアマチュア写真家は、自分の写真を溺愛し過大評価しますが、
人の写真には目もくれず、関心などまるでありません。
自分のことしか話さない、人の話には耳を貸さない、そんな人がよく居ます。
そんな態度で、写真そのものを愛してはおられないことが分かります。
ご自分を愛しておられるだけ。

さて、今回の10枚セットは、いつもながら、
「奈良町夢幻」
タンバール90mmF2.2の開放で撮ったロボグラフィたち。
タンバールらしい夢のような茫漠、朦朧写真8枚に、
細工をしている女性、ラップに包まれた野菜セット、
2枚の若干現実感ある写真を組み合わせました。
上下各5枚2段組。
上段の左から読むように作り、
上段2枚目と4枚目に上記の若干現実感ある2枚を置き、
上下とも、中心に華麗な色合いの芯を置き、
両側に、四方に拡散していく方向性で、ロボグラフィを並べました。

吉田教室では、いつも一番最後にご覧いただきます。
今回はちょっと評判がよかったようです。
持参するロボグラフィは大半が美よりも醜に傾く傾向がありますが、
今回の写真はタンバールづくし。
その色彩には古色風の味わいがあるので、
まずまずだったようです。
その証拠に三人の方が写真を「欲しい」とおっしゃって、差し上げました。
家に持ち帰っても、どうせ捨てるだけなので、助かりました。




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# by hologon158 | 2018-09-09 22:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

739.01 ホロゴンデイ208「2018年3月10日ホロゴン15㎜F8Uが近江八幡を少し切り取り」


奈良東向商店街に古い中華料理の老舗があります。
「飛天」
私が30数年前奈良に転居してきた当時から続いています。
私も無事息災に過ごしてきましたが、
その間中、飛天もがんばってきたわけです。
当時あったレストラン、飲食店の95%は消えてしまいました。
生き残ったレストランの戦術はそれぞれに違います。

洋食レストランの「早川亭」は、
シェフが奈良女子大の学生たちのアルバイトを使って、
一人で続けてきたのですが、
その戦術は、シェフの手製料理たった3種の昼食メニューを死守。
ビーフハンバーグ定食
海鮮定食
ビーフカツ定食
(ディナーがこれにコース料理が加わるだけ)
どれもスープとサラダがついて、
絶品と言いたくなるほどの見事な料理です。

一方、飛天は私たち一家が行くようになった当初は、
メニューが豊富なだけで、いわば普通の中華料理店でした。
ところが、あるとき、どうやらシェフが変わったようです。
それからは、独創的で、日本人の舌に合うような、
かなり楽しい中華風創作料理店に生まれ変わりました。

一昨日、長女一家と合計6人、3会の畳の会席室を予約しました。
実は1年以上ご無沙汰していたのです。
おいしい。
でも、ちょっと待てよ?
味がちょっと変わっているじゃない?
四川料理麻婆豆腐がきました。
頂いて、ちょっとびっくり。
この十数年舌鼓を打ってきた、飛天名物の麻婆豆腐じゃない!
ほぼ完全に、中国で頂く麻婆豆腐!
どうして?

中国人は一人一人スペシャルなお好みをしっかり持っています。
昔、上海旅行中に、
日本人女性と中国人男性のカップルと知り合いました。
どちらも北京大学生、才気煥発の二人です。
私とも大変に意気が統合して、
三人で中華料理店に入り、夕食をいただきました。

まだ大学生でしたが、中国人男性に注文を任せました。
すると、彼は、メニューを子細に検討し、
ウェイターと詳しく協議して、
はじめて決定の運びとなりました。
これはありふれたやりとりのようです。
お隣のやはり若い男性、ウェイターとやはり長い間協議したあげく、
すっぱり立ち上がって、出ていってしまいました。
ウェイターも「こんなことは自然」という表情。
私のように、「メニューの選択は君に任せるよ」とか、
多くの日本人のように、「みんなと同じでいいよ」
なんて付和雷同的いい加減さはかなり稀なのかも知れません。

まして、中華料理こそ世界一と確信しているのですから、
多くの中国人旅行客からは、硬軟とりどりでしょうけど、
かなり和風バリエーションにクレームがあったのか知れません。
レジで尋ねてみました、
まさにそのとおりのようで、
「中国人客が大幅に増えて、本場からシェフを一人呼びました」
ということでした。
日本人よりの一人当たりの単価も跳ね上がるのでしょう。
これからもこの傾向が増大するという予測も絡んでいるでしょう。
そこで、飛天はまだまだ環境に適合し、生き残るべく、
変化をおそれず、がんばっているわけです。
ただし、日本人である私にとって、歓迎すべき変化か?
どうもそうでもないみたい。
どうやら当分は中国人客が増加すると踏んだようです。
かくして、そんな潮流の中で飛天が下した判断は、
中国系の伝統への回帰、という方針転換だったわけです。

こんな形で中国化が一歩一歩進んでゆくのでしょうか?
私の大好きだった麻婆豆腐、まあ、おいしいにはおいしいけど、
かなり違和感と落胆を覚えたことは否定できません。
ただし、孫たちが自由に走り回る空間の中で、
他の客を気にせずにゆっくりと食事できる座敷を
気軽に利用できる数少ないレストランです。
若干の不平には目をつぶって、今後も利用し続けることでしょう。

このような出来事は何を意味するのか?
ちょっと即断に過ぎるかも知れませんが、
深く静かに進行しつつある中国との一体化の潮流の現れなのではないか?
奈良でさえそうであるとすれば、
大都市ではさらにその傾向が先行しているのではないか?
そんな気がして、少し怖くなってしまいます。

さて、写真は半年前です。
毎年恒例の近江八幡正月詣でも今年で途切れました。
でも、あまりに惜しいので、呼びかけて、3月に近江八幡に参りました。
サブに持参したのがホロゴン15㎜F8U。
ホロゴンウルトラワイドから抜き出したホロゴンです。
メインは内緒。
次回からごらん頂きます。




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# by hologon158 | 2018-09-06 16:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)

738.03 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F2奈良公園逍遥」3


8月10日金曜日、
妻は長女系の孫たちふたリのピアノレッスンの付き添い。
私は月1回のルーチンの診療所通いでした。
実のところ、別に悪いわけじゃないんだけど、
予防のためにもらっています。
だから、診察まで不要。
毎日元気だからです。
でも、そうは行かないので、診察を受けます。
数日前に軽い風邪に久しぶりに罹患しました。
医師には、一昨日がピークで、ちょっと鼻が潤い、
のどが少し痛くなったけど、
昨日にはどちらも雲散霧消した、と報告しました。
一応、聴診器で胸部を検査することになりました。

枝雀さんの落語にそんなシーンがありますね。
これが楽しい。
「先生に聞いたんですわ。
聴診器使ってなにか分かりますか?」
先生「分かりません」
(そして、続けます)
先生「脱いでください。
パンツまで脱がなくてもよろしい。
一度脱いだら、はかなくてもよろしい」
先生「吸ってください。
へーて(吐いて)ください。
吸ってください。
へーてください。
吸ってください。
へーてください。
へーてください。
へーてください。
へーてください。
どうしたの?
つらいの?」
というようなシーン。
お医者さんの指示どおりがんばる患者がけなげです。

私の担当医は名医の声望の高い方ですが、おっしゃいます。
聴診器を使ったら、「異常があれば、分かります」
空気が気管支から肺胞、肺胞から口へと、
風船を膨らませたり縮ませたりするのですから、
その音は肺、気管支の異常を反映しないはずがありませんね。

今回も、「吐いてください、吸ってください」でしたが、
「吸ってください、吸ってください」はありませんでした。
さらりと終了。
なんの異常もなかったようで、
「来月は、前回検査からちょうど半年なので、
血液を採るように指示しておきますから」

終わりがけ、先生に、
「異常な暑さですから、先生もお体に気を付けてください」
患者からそんなせりふは普通ないようで、
先生、苦笑しつつ、喜んでおいででした。
本日はお盆前ということで、異常に受診者が多い日でしたが、
待合室は満席状態で、しかも全員高齢者。
これじゃ、お医者さん、つまらんだろうなあ。

面白かったのは、みなさん、密接距離が異常に短いようです。
密接距離(personal space)は文化人類学者E.T.ホールの考案。
人間同士の関係性を定義する用語の一つです。
人間には、国、民族、個人によって、
自分の周辺に他人が接近することを許容する距離が違う。
どこまで他人が近づいたら、侵犯されたように感じて、
不愉快になり、ときには怯えるか?
個人的なバリエーション、広狭はありますが、
一般的に民族ごとにその平均値がかなり違うのだそうです。
密接距離が狭く、ときにはゼロでも許容する民族は、
アラブ、インド、中国、韓国。
一番広いのはドイツ。
日本はちょうど中間なのだそうです。

たとえば、中国に参りますと、私の友人が笑って、
「ツアーコンダクタの陳さん、歩いてる僕においついて、
いきなり手を握って歩くんだから、おどろいたよ」
もちろん二人とも男性。

私も韓国の地下鉄でびっくりしました。
座席にびっしり詰めるだけ詰めて座ります。
私の目の前はまだ若い青年男女。
とてもハンサムな男と、とても美しい女性。
電車が大きく揺れるにつれて、
二人ともぴったり密着したまま、左に揺れ、右に揺れ。
まるでチークダンスのようで、ほほえましく、
なんだか映画の一シーンのような、ユーモラスな光景でした。
駅に着きました。
二人とも立ちました。
そして、右に左に分かれて出ていってしまいました。
日本では考えられない位に親密な風情だったのに、
ただの相客だった!
内心、笑い転げました。

でも、診療所に戻りますが、そこまでは行きませんが、
今時の老人たち、かなりこれに近い密接距離を許容するようです。
狭いソファーに男女こもごも3人、詰め詰めに座って、
まるで動じませんね。
私はだめです。
許容するのは妻だけ。
あとはすくなくとも30cm、できれば50cm、
できれば1mは離れていただきたい、そんな気持ちです。

一生、職場でも、一人離れて仕事をしてきたせいもありますが、
子供の頃から、あまり群れるのは好きではなかったのですから、
どうやら生まれつきのようです。
ドイツ人か、もしかするとそれ以上かもしれません。
ドイツ人だったら、友人同士の男女が挨拶として、
頬にキスしたりするかもしれません。
私は絶対にそんなことはしませんから。
まあ、そんな習慣が日本にあっても、
私には誰もしないでしょうけど。



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# by hologon158 | 2018-09-02 23:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

738.02 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F2奈良公園逍遥」2 私の美


(前回の続き)
さて、これからが本題です。
もしかすると、私は完全に間違っているのかもしれません。
でも、私は自分の長年の体験から知っているのです。

私にとって美は、ほかの人と違う。
私が美しいと心を打たれるものを、
他の人が全員、なんだこれは、ゴミじゃないの、ということがある。
逆に、多くの人が、死ぬほど美しい、これこそ完璧なアートだ、
と騒ぎまくっているのに、私にはなんにも感じられない、
そんな体験をどっさりしてきました。

みなさん、お笑いになります。
私は自分のロボグラフィを「これは美しい!」
そう感じて、撮っていることがあります。
もちろん、そう思っていないときもあります。
でも、美しくないけど、私の心にぐいと食い込んで来たのだから、
れっきとしたロボグラフィ、という存在もあります。
でも、私にとって文句なしに美しいものさえも、
大抵の方は、美しいとは思えないようです。

友人と一緒にストリートを撮影しながら、
以前は、「どう? これ、いいじゃない?」と、
勧めたものでした。
でも、20回に19回は、どなたも反応しませんでした。
私が撮ったロボグラフィの写真を人に見せても、
まったく同様に、無反応です。
むしろ冗談、そう受け取られるようです。

7、8年前、私ははっきりと確信しました。
私は人と違った見方をしている。
ほとんどの人は私の見方を理解することはない。
それどころか、理解したくないようだ。
そう確信したとき、はっきりと考えを変えました。
ブログをパブリックな表現手段とは考えなくなりました。
完全にプライベートな体験の記録庫。

それでも、ほんの数名の方が私の見方に共感してくださるようです。
そんな方もご自身の美的感覚と世間のそれともずれを感じておられるのでしょう。
でも、そのずれ方は人によって全然違うかもしれません。
だから、私たちの共感は常に一部の重なりの領域に入ったときだけなのでしょう。
それぞれに独特の個性が美とぶつかって生きているのですから、
むしろ重なりの領域はかなり小さいのかもしれません。
みんな「孤島」で生きているのです。
カール・ヤスパースは、
「私たちは一人ずつ島に住んでいる」と言いました。
私のブログ2つは、私の島の生活日記、ということになりそうです。

そんなプライベートな日記を公開の状態に置いておくことで、
別の島に住んでいる友人たちに、
「ぼくはここで元気に生きてるよ」というメッセージを発している。

私もかなり沢山の人となんらかの交渉を持ってきました。
随分親しくなった方も沢山います。
皆さんもそうでしょう。
私も、その大半の方と音信不通になっています。
私は筆無精なので、住所が変わったことさえ知らせていない。
多くの友人にとって、私は行方不明者なのでしょう。

もっとも私は元気一杯です。
かなり年齢を加えましたが、全身シワ一つない。
今が一番強壮です。
(ただし、頭髪だけ若干薄くなりましたが)
でも、私が生涯に知り合った方の中には、
なんらかの事情があって、世を去った方もいるかも知れません。
ヨボヨボになってしまった方もかなり居るでしょう。

美と出会いながら生きていく、
これが私の第2の人生の唯一のテーマであり、
唯一の関心。
そして、思うのですが、
美だけを見つめ続けること、
これこそ、長生きの最大の秘訣だ!



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# by hologon158 | 2018-08-30 21:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

738.01 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F1.5奈良公園逍遥」1 妖変



私は耐えず美のことを考えています。
でも、いつも美に向き合っているわけには参りません。
美はレアなものですから。

しかも、美というものは極めてプライベートな体験です。
ある人とあるもの、情景との出会いに美が生まれます。
生まれながらに、いわば、アプリオーリに「美」は存在しません。
美は存在ではなく、現象なのですから。
出来事eventです。

そんなことはない、「モナ・リサ」は誰が見ても、美しい。
でも、「モナ・リサ」を美しいと思わない人だって、
かなり存在するだろうと推測されます。
それに、じゃ、誰も見なければ、どうでしょうか?
誰も見ないものを美しいか否かを論じるのはナンセンスですね。

鏡というものがない時代、山奥の一軒家に、
現代に連れてきたら、その美しさに誰もが圧倒される、
そんな女性が生まれたら、どうでしょう?
比較できる女性もなく、鏡もなく、ただナチュラルに日々を過ごして成長し、
父母もただ生きるに汲々として、
娘が美しいかどうかなど考えたこともなかったとしたら、
どうでしょう?
「美しい」「美しくない」という言葉さえなく、
比較対照する機会もないまま、自分が美しいなどと夢にも考えないでしょう。
そんな可能性は現代でさえも世界中至るところにあるでしょう。

それに、「美しい」「美しくない」は日本人の観念のこもる言葉です。
これに対応すると思われる言葉が各言語にあるようですが、
その言葉が日本語のそれと完全に重なりあうものであるかどうかは怪しい。
日本人の「美」に対応する言葉がない言語だってあるでしょう。
たとえば、関西弁には「まったり」という言葉がありますが、
このような方言には独特の意味があって、
他の地方にはこれと同一の言葉、概念が存在しないかも知れません。
同じ日本人で同じ日本語を使っていても、
完全な相互理解が常に保証されているわけではありません。

「美」はすぐれてプライベートな観念です。
とすると、地域ごとどころか、夫婦間でも、まったき理解が可能ではない、
と考えることさえできます。
さらには、自分自身でも、美的感覚はめまぐるしく変わっていきます。

美とは「驚きの体験」です。
馴れると、美はすりへっていきます。
実のところ、あらゆる体験が反復によってすり減って、
意識されなくなります。
慣れたものは無視する、
見慣れないものに注意する、
それが人間の生存の秘訣、というわけです。

だから、体験はすり減らぬように大切にしなければなりません。
たとえば、夫婦がそうですね。
あんなに愛し合ったのに、もうなにも感じない、
逆に、いとわしい、そんなご夫婦もいるでしょう。
夫婦の愛情を保つのは、木を植えるのとおなじ。
たえず水をやり、たえず滋養分をあげ、
たえずケアをしなければなりません。

美に対する感受性も同様です。
たえず自分の心に滋養分、水を与えてあげなければならないのです。
たとえば、あなたが美しい人であるとしましょう。
着るものに、化粧に、つまり外観にばかり滋養分を与えるのは危険です。
見かけ倒しになってしまいます。
本当に美しい人になりたければ、美しい人であり続けたければ、
心にこそ滋養分、水を与えてあげなければなりません。
心が美しくなければ、どんなに美しく装っても、
その振る舞い、言葉でお里が知れたり、
思わぬ馬脚を現したりすることになってしまいます。

私のブログはロボグラフィで埋まっています。
これは必ずしも「美の列伝」ではありません。
私の心を動かすものは美しいものばかりではありません。
「真善美」と言われます。
美だけがこの世の大切なものではありませんね。

私のブログは、私が出会った、
町の片隅でがんばっているものたちの列伝です。
私はどんなものにでも感情移入する性向を持っているようです。
「こいつ、やるじゃないか!」
「すごい、こんなところでがんばっている!」
「まさに掃き溜めの鶴だ!」
感じ方はそれぞれに違います。
でも、私の心を動かしてくれたら、シャッターを落とします。
私の写真は極めてプライベートな心の記録と
言えそうです。

私のブログは文章がたっぷりあるので、検索にかかりやすいはず。
でも、私の写真は、例外的な一部を除き、拒否現象を誘うようです。
まして枚数が半端じゃないので、
「二度とごめんだ」現象にまで落ち込むようです。
そうなるように、文章にも工夫を凝らしています。
と言うより、工夫を凝らさないようにしています。
写真がめったやたらに無意味であるのに呼応して、
文章と来たら、思いつきの羅列に徹しています。
起承転結など、絶対に考慮しません。
あるとしたら、こじつけの論理だけ。
私のことを「頭がおかしいんじゃないの?」、
そう思っている人もかなりいるでしょう。

私が平気でこんなことができるのも、
元来平凡な、どこと言って突出するところのない人間なのに、
かなり特殊な人生を送ってきたせいで、
隠れた変人奇人の域に迷い込んでしまったのかも知れません。
テレビも新聞も見ないので、世間の常識なるものも無縁。
人と合わせることも、人に従うことも、生涯したことがないので、
完全独りよがりの人生。

でも、一つ言えることがあります。
朝8時に起きてから夜午前2時半就寝まで、
あくび一つせず、やりたいことを様々にやり続けて、
飽きない、疲れないのですから、
私にとって、私の人生は楽しくてたまらない。
ありがたいことです。

ダルメイヤーのCマウントレンズの逸品、
スピードアナスチグマート25mmF1.5

曜変を起こした天目茶碗は天下の逸品とされます。
このレンズは、 曜変こそ起こしませんが、
妖変を起こすことができます。
私のロボグラフィは、常に、現実の光景、ものが、
他のなにかに変容していると見えることに醍醐味があります。
なんて思っているのは私だけで、
大抵の真っ当な御仁には、その他のなにかなど浮かび上がらず、
ただ訳の分からぬ写真ばかり並んでいるじゃないか、
こんな写真見せられる身にもなってみろよ、さよなら!
ということでしょう。
おかげで、私は気兼ねせずにロボグラフィを楽しみ続ける、
だから、写真に飽きない、というわけです。
今回は、奈良公園の妖変ロボグラフィ、と参りましょう。





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# by hologon158 | 2018-08-25 16:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.03 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」3 美とは何?


私はいわゆる美学なるものを勉強したことがありません。
その必要があると考えたこともありません。
なぜ?
美、位分かりやすいものはないからです。

たとえば、曲がり角を曲がったとたんに、
疾走してきた自転車にガツンとぶつかるようなものです。
あなたの心はズッデンドウと転がされ、
あるいはメラメラと燃え上がります。
美しいものに出会ったら、
その瞬間に分かるからです。
分からないものは、私にとって「美」ではないのです。

美術展や博物館で、イヤホーンを付けて回っている方を見かけます。
余計なお世話ですが、
やっぱり、これはよしましょう。
目の前に誰かに手をぱらぱらと振られた状態で、
アートと対面するようなものですよ。

おもしろい実験があります。
「アー」と声を出しながら、簡単な数字の計算をする。
できません。
一度に2つのことができない、それが人間です。

しているように見えるのは、瞬時に仕事を交代しながらできる人がいるから。
実は私がそうです。
たとえば、バックグラウンドミュージックを流しながら作業をします。
作業をするときは、音楽は聞こえていないのです。
私は国家試験の準備の勉強をするとき、
大好きなオペラをガンガン鳴らしながらしました。
邪魔にはなりませんでした。
ちゃんと合格したのですから。

理由は簡単。
集中に役立つからです。
試験勉強に集中すると、音楽は聞こえなくなります。
音楽が外界の邪魔な雑音を消してくれます。
勉強に疲れると、音楽に耳を傾けると、心が安まります。
いずれにせよ、他の雑音に気を取られることがありません。
他人が出す雑音は、計算のときに、
横で「アー」と声を出して邪魔されているようなものです。
音楽は、そんな風に他人が出す雑音を聞こえなくしてくれるのです。

でも、これは私の性に合った方法だったかもしれません。
誰もがそうではないでしょう。
私の友人は一笑に付しました。
そんなことをしたら、名曲に全部気をとられてしまうよ。
集中の方法は人さまざま、というわけです。

でも、集中が人間だけの特技ではありません。
すべての動物が集中によって生きています。
集中は生存のための必須の道具、条件なのです。
人間の目は集中に適しています。
一瞬の注意の的はピンポイントなのです。
しっかり集中しますと、それ以外のものは完全に意識からなくなってしまう。

でも、全部見えているじゃないか?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
実は、それは違います。
全部見えてなんかいません。
ピンポイントの集中スポットを高速でずらして、又は、飛ばして、
まさに走査線の仕事をして、注意の対象からはずれているものまで補完して、
外界の姿を脳裏に描き出そうとします。
つまり、知覚は生存のための道具ですから、
ただちに、脳が手助けに駆けつけるのです。
つまり、外界の走査がある程度進むと、
まだ注視していない部分は脳の記憶がさっさと補ってしまいます。

私たちが眼前の光景を眺め始めたと思っても、
すでに頭脳活動が絵を描いてしまっている。
そこに、異常なものが見えたら、
頭脳が、そうであるべきだと思う像に作ってしまいます。
脳が外界のすべてを記憶しているわけではありません。
頭脳は強力な画家なのです。
すでに持っている記憶を頼りに、さっと絵を描いてしまうのです。
でも、その描く絵が正確とは限らないのです。

でも、集中の名人なら、頭脳にだまされません。
今、目の前にある一点に集中することができます。
敵の剣と対峙したとき、
名人の目は切っ先だけに集中すると聞いたことがあります。
だから、動いたら、その瞬間に動きの方向、相手の意図が見えてしまう。
本当かどうかは知りませんが、ありそうなことだと思います。

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの逸話が
これを証明しています。
偉大な哲人で偉大な数学者でした。
彼の弟子もまた偉大な哲人で数学者のバートランド・ラッセル。
彼が先生のお宅に紹介したい人物を連れていったときのことです。
庭に居ると聞いて、二人で庭に出てみました。
芝生の上にホワイトヘッドが座り、ノートに計算式をすらすらと
書き連ねている状態でした。
ラッセルは友人を伴って、ホワイトヘッドの前に行って立ち、
仕事が終わるのを待ちました。
仕事はすぐ一段落するだろうし、
ちょっと視線をはずすだけで、来客の4本の脚に気づくはず!
10分経っても、ホワイトヘッドは二人に気づかず、
仕事の手を休めませんでした。
畏敬の念に心を打たれて、二人はそっと立ち去ったということです。

ホワイトヘッドは、イギリスで数学、数理物理学の分野で頂点を極めてから、
ハーバードの招聘を受けて、70を過ぎてから、哲学教授となり、
形而上学に及ぶ一大哲学大系を築き上げました。
生涯に3人の仕事を1人でやってのけたと言われました。
そんな膨大な業績もこの集中力あってのことなのでしょう。

ということで、なにかをしたければ、
正しく集中すること、
これが第一の条件です。

美術館などでイヤホーンで説明を受けながら芸術を鑑賞する、
いかにも便利に見えます。
でも、芸術を見て、知識を増やしてどうするのですか?
目と心を働かせるべきときに、頭を働かせて、どうしようと言うのですか?

思考と感動は絶対に合体できません。
肝心なことは、芸術を見て、なにかを感じること、
これではありませんか?
知識に耳を傾けながら、芸術を鑑賞して、
芸術を正しく理解しよう、というのは、
本末転倒、勘違いもいいところです。

そうやって懇切丁寧な説明を聞きながら、
ぐるっと展示を見終わります。
あなたは言葉も出ないほどに感動していますか?
それはないでしょう。
じゃ、せめてイヤホーンが語ってくれたことを記憶してますか?
それもないでしょうね。
外から与えられた知識はあなたを素通りして抜けていくでしょう。

後日、思い出したいことは、心を揺さぶられた体験ですか、
それとも、ゴッホの「ひまわり」を確かに観た、という大切な思い出ですか?
そんな思い出を積み重ねて、なんになるのですか?
芸術は知識ではないのですよ。
対決であり、出会いであり、真剣勝負でもあります。
ガツンとぶつかり合って、
どれだけ衝撃をしっかり受け止めることができるか?
それに集中すべきでではありませんか?

アートを取り巻く事情、作家に関する知識がアートの理解を高める、
なんて、勘違いもいいところです。
知識からアートにアプローチしても、知識がおぼろになったら、
アートそのものもおぼろになってしまいます。
アートを理解しようとしてどうするのですか?
アートを理解することなんて、できないのに。

ガンとぶつかって受けた衝撃は忘れることができません。
なにもかも忘れて、そのものと裸で対峙し、裸でぶつかりあう、
これしかアートとの出会いの方法はありません。
知識が増えるのではなく、自分の心が豊かになる、
ときには自分が変わってしまう、あるいは変らないかも知れない。
でも、なにかが起こるかもしれない。
ただそれだけなのです。

つまり、こういうことになります。
アートの出会いはすぐれてプライベートです。
あなたはたった1人の伴侶に出会うでしょう。
誰とも共有できない人間関係を築き始めるでしょう。

私たちの体験、人間関係の中で一番大切なものは、
すべてこの種の極めてプライベートな交わり、
ぶつかり合い、せめぎ合いなのです。

アートも同じです。
誰もが感動すべき偉大なアートなんてものは、現実には存在しません。
それは評論家たちが作り上げた幻想です。
そんなものはありません。
「モナリザ」
うん、ルーブルで観たけど、なんにも感じなかったなあ。
そんな人もざらに居るでしょう。
芸術は国会じゃないのです。
多数決なんかなんの意味もありませんね。




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# by hologon158 | 2018-08-23 15:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.02 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」2 訣別


ちょっと古くなりますが、平成18年8月2日木曜日、
図書館通いの日でした。
2週間の変換期限です。
昼食後出発しました。
炎熱、でした。
気象台発表では、奈良は36度ですが、
遮るもののないコンクリート道で燃え上がる太陽にさらされては、
38度か39度でしょう。
まったく記憶にないほどの炎暑の夏ですね。
これが後2、3週間続くと、もう大地が干上がってしまうでしょう。

妻の厳命で庭に水をまきますが、
これが本当の「焼け板に水」ですね。
だれかが検証した結果では、水まきは地面から数ミリ程度で、
それ以下には及ばないので、実は植物にはなんの効果もないのだそうです。
雨のように全土を静かに満遍なく濡らし続けないとだめだそうです。

この日は、ブログの「美との対話」のために、
フラ・アンジェリコ画集を借りました。
清澄感と霊感に満ちた聖画が大好きだからです。
信仰がないので、私の鑑賞は皮相なレベルにとどまるのでしょうけど、
平気です。
どんな人も、どんなことについても、
自分の能力の範囲内で理解し味わえるだけです。
それに、「私はキリスト者です」とのたまわる御仁が、
どれだけ深い信仰を抱いているか、怪しいものです。

私は深く確信しているのですが、
もしキリスト教の地獄があの世に存在するとしたら、
そこには、キリスト者であると称して、人と虐げ殺戮し、
富をむさぼったりしたような自称キリスト教徒が
そこにはひしめいているはずです。
「汝の敵を愛せ」という戒めに反した王様、女王様、
将軍たち、政治家たちもほぼ全員地獄落ちして、
「騙された!」「神を殺せ!」「イエスをやってしまえ!」、
などと口走っていることでしょう。

一方、天国に昇天できた、聖なる確信を抱き、
十戒を全うに遵守し、愛に満ちて生きた、
真実のキリスト者たちのほとんどは子供たちだけで、
大人の姿は寥々たるものだろう、と確信しています。

この日借りたフラ・アンジェリコ画集からピックアップして、
すでに本ブログの新シリーズ「美との対話」に収録しました。
彼の描く人々は、キリスト教の旗印を掲げて、
異教徒の領土に侵入し、略奪殺戮をほしいままにした、
似而非キリスト教戦士たちとはまったく異質な境地にあります。
このような人たちはルネサンス当時も絶滅に瀕していたし、
現代キリスト教世界の指導層からは完全に消えてしまったのでは?

現代世界は完全な生きるか死ぬかの弱肉強食の世界。
あらゆる理想は画餅になってしまいました。
自由、民主、平和
これらの言葉を実践している国家も政府もなくなりました。
日本の事情はさらに悪い。
政治家も官僚も検察官もマスコミも日本国憲法の存在など、
きれいさっぱりと、忘れ去っています。
国民も日本国憲法のことなど忘れ去ってしまいました。
私はかなり絶望しています。
ますます美の世界に沈潜していくことになりそう。




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# by hologon158 | 2018-08-20 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.01 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」1 不安


ちょっと嫌なことを書きます。
人生、安穏に生きたい方は読まないでおきましょう。

8月7日火曜日、
突然孫プリンスが喘息で点滴を受けることになり、
共稼ぎの父母に変わって、私が面倒をみること。
早速小児科医院にかけつけました。
幸い、2日連続の点滴で、順調に回復しはじめたようです。
タクシーで孫プリンスの家に帰宅したのが午前11時半すぎ。
午後6時半、ママと妹の孫プリンセス1号が帰宅するまで、
孫プリンスと過ごしました。

午後4時すぎ、お昼寝を始めたのですが、
ふとテレビを見ますと、
画面は、なぜか孫プリンスがみていたYoutubeから、
一般テレビに移動してしまい、ニュース番組。
日本ボクシング協会の理事長が暴力団と交際していたことがばれたり、
どこかの医科大学が受験の際、かなり長期間、
密かに現役から2浪までの男子受験生に
一定の点数加算をしていた事実が内部調査でばれたり、と、
中国の王朝末期や江戸時代の官僚たちの生態と相通じるような、
とんでもない腐敗横暴。
今時、まだ男女差別をする連中の頭の構造を疑います。

でも、まったく意外に思いませんね。
自民党が次々と日本国憲法に違反する立法、施策を重ね、
(それ、どんなこと?
あなたがそうおっしゃるなら、
あなたも日本国憲法のこと、基本的人権のこと、
なんにも覚えておられない......)
総理大臣が友人たちのために官庁を動かして、
不法な行政行為を敢行したり、
これらすべてが現代の権力者たちの実態です。
もう日本国憲法の保障する自由平等平和などは
ただの紙切れの書き付け同然に脇に寄せられ、
かなり多くの国民も憲法のことなど思い出しもしない。
さらには、孔子の仁義礼智信の理想も忘れ去られてしまい、
ひたすら金と権力だけがものを言う世界になってしまいました。
総理や大蔵大臣、今回のボクシング協会の理事長、
どれもこれも、飽食横暴に歪んだ卑しげな風貌の人間たちが
誰はばかることなく日本を支配している時代です。
はっきりと末世末法、そうとしか言いようのない惨たる有様。

古来、政治が、支配者が腐敗すると、様々な異変が起きる、
そう言われてきました。
まさにそんな異変が世界中に爆発的に発生しつつあります。
この数年、毎年、予測不能の天災地変に見舞われてきましたが、
前代未聞の暴走大雨、台風逆走に見舞われた日本だけではありません、
今年になって、世界中でとんでもない現象が、
爆発的に乱舞する状態になっています。
地軸が動いただけでなく、
地球全体で地殻が激しく揺れうごきつつあるようです。
どちらが原因なのか、それさえも分からない状態。
そのおかげで、南極大陸を覆う深い氷層に深い亀裂が走り、
グリーンランドほどの巨大な氷塊が離脱する危険が高まり、
南極大陸や周辺の海域に不測の危険が発生するおそれがあるそうです。

太陽も、活動の核である黒点の活動が異常に減退しつつある傾向の中、
ついに一ヶ月間ゼロという異常事態が発生したり、と、
前代未聞の事態が発生しつつあります。
太陽系内を彗星が無数に様々な軌道を描いて駆け回っており、
6千万年前の恐竜絶滅の主たる原因も、
そうした彗星の衝突にあったことが明らかになっています。
近頃、南極にも、その彗星よりもかなり大きな彗星が作った、
クレーターが見つかっています。
地球は不断に数知れぬ変動、災厄に見舞われて、
幾度も種がほとんど絶滅する危機に見舞われてきたのですが、
地球上の生命史はそんなカタストロフィを乗り越えた猛者たちが
連綿とつないで来た苦闘の記録なのでしょう。
現代はどうやらそうして彗星群との交錯がはげしくなる周期に
当たっているのだそうです。

これまでは、種はなんとか生き延びて、新たな展開を遂げてきました。
でも、現代は違います。
とくに人類は、他の種のほとんどを絶滅させることにより、
生存圏ニッチを無理矢理拡大して、繁栄を遂げてきました。
10年ほど前に読んだ学説によると、
毎年4000種が人間活動によって滅びつつあるということでした。
とすると、当時すでに減っていた種は、
現在までの10年間にさらに4万種も滅んでいる計算になります。

日本で言えば、人間のうち、農業と漁業に従事する人間が
これからの10年でほとんどいなくなるでしょう。
食料の自力生産力が激減しつつあります。
そして、恐ろしいことは現代人の生活はメカニズムだよりなのです。
縦横に張り巡らされてきた電気、水道、ガス等のエネルギー源と鉄道、
そして、道路網によって支えられています。
これらがすべて日本人の生命線となっています。
たとえば、阿蘇山は地球上でもっとも巨大なマグマを蓄えつつある火山で、
世界地震学会が爆発の危険がある火山の1番に上げるほどに危険な状態。
これが爆発したら、日本のほぼ全土がマグマで覆われてしまいます。
その瞬間、上記の生命線は消滅してしまい、
日本人はマグマで覆われた国土の上で座して死を待つ羽目に陥りそうです。
富士山が東側に噴火したら、関東はマグマに覆われ、
交通機関は壊滅し、マグマを除去することなど何ヶ月も不可能になり、
日本の国家機能の中核が活動不能になってしまう危険があると言われています。
日本の各地で火山が活発に活動し始めているようで、不安ですね。

縄文期にも幾度か北極の氷河壁の決壊によって、
蓄積されていた大量の水が大津波となって南下し、
海面がその都度何十mか上昇することにより、
各大陸の沿岸部をその都度かなり海面下に沈めてきました。
縄文人は、内陸部を原始林に覆われて、道などないので、
おそらく海岸部に居住し、
海に沿った平地や水路を利用して交通していたはずです。
つまり、その都度、居住地の多くを一瞬にして奪われた筈。
でも、縄文時代は続きました。
生存者たちが新たな海岸線に居住地を開いて生き続けたのでしょう。
現代人はもとよりそんな自活力を完全に失っています。
そして、自然を完全に破壊してしまったために、
自給自足など完全に不可能になっています。
文字通り食うか食われるかの地獄絵となりかねません。

世界中がそんな危機に曝されている訳ではありません。
地震王国の日本列島が地球規模の激動にさらされて、
明日をも知れぬ状態になっているかもしれない、
でも、それが分かってもどうしようもないので、
政府も研究機関も沈黙している、ということでしょう。
昭和期の経済勃興の上昇機運と、
冷戦を経て高まった世界平和への潮流を体験して、
かなり幸せな人生を享受できたのが私たちです。
でも、そんな幸運が段々とすり切れて行きそう、
そんな嫌な気配を感じます。

私たちにできることって、何でしょう?
なんだか日々人生を精一杯生き、
今手に入る歓びを心行くまで享受する、
これだけですね。



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# by hologon158 | 2018-08-17 11:41 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

736.00 フラ・アンジェリコ「2018年8月13日フレクトゴン35㎜F2.4が聖画と会う」




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私は夏季休暇をかなり取れる職業を選びました。
どうやら夏はしっかりお休みをとる、という習慣が、
子供の頃についてしまって、その癖は治らなかったようです。

そして、私の孫プリンス6歳が生まれて初めての夏休みに、
宿題を最初に3日で全部仕上げてしまったと聞いて、
「夏は遊ぶ」という性癖は遺伝性なのかも知れない、
と、本気で疑うようになっています。

その夏休みを利用して、海外旅行を楽しみました。
最初はツアーでしたが、後半になると、一人旅でした。
残念ながら、イタリアは2回、マイナーな場所だけ。
ルネサンスの本場フィレンツェ、ヴェニスは行かず仕舞い。
ちょっと心残りです。

おかげで、偉大な画家たちの絵に接したのは、
他国の美術館の展示で、という結果に終わりました。
イタリアルネサンスの画家の傑作の多くはフレスコ画なので、
ついに無縁のままになってしまいました。
おかげで、偉大な宗教画家のジョットー、フラ・アンジェリコは、
画集だけのお付き合いになってしまいました。

先ほど、このブログ記事を書く参考にしようと、
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」(白水社)を書棚から取り出し、
目分量でさっと頁を開きました。
すると、開いた頁は81頁、
どんぴしゃり、「フラ・アンジェリコ」でした。
なにかご縁がありそうです。

その頁に、
「落ち着いた善良な性格であったため、心の安らぎ、
特に魂の救済を願い求めて、伝道修道会に身を投じるに至った」
本当に、そんな人が描いた絵ですね。

ヴァザーリは、彼の絵を眺めるときの気持ちを描いています、
「信じがたいほどの優しい感情が心の中に湧いてくる。
これらの祝福されたる魂は天国以外には存在しないような気がしてくる。
いや、これらの魂に肉体を与えるならば、このような表現以外なかった、
と言った方がよかろう」

そして、
「この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見当たらない。
作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描き直したりはしなかった。
最初一気に仕上げたままで置いておくのが常だった。
それが神の思し召しだというのが本人の言葉であった」
これらの言葉が絵の印象とぴったり一致しているのが素敵ですね。

立体感はかなり不足しています。
それを補うように、清澄な空気感に満たされています。
そんな表現が題材にいかにもふさわしいですね。

ちなみに、私は、幾度も書きましたように、無宗教です。
形だけでも、信仰者のふりをする、そんなことはできません。
だから、でしょう、
様々な宗教のあらゆる種類の造形をアートとして鑑賞できます。
純粋にアートとして味わうので、本来の受取方ではないのでしょう。
でも、そんなことはどうだって良い。
人が私のことをどう考えるかは、その人の問題。
私の知ったことではありませんから。

フラ・アンジェリコの絵も良寛さんの書もひとしく、
静謐の気に満ちています。
響きは神韻、そんな感じがします。
フラ・アンジェリコも良寛もなにかを描き上げた瞬間、
にっこりとしたことでしょう。
そんな肯定的な気配を味あわさせてくれるのが素敵ですね。







# by hologon158 | 2018-08-14 16:47 | 美との対話 | Comments(0)

735.02 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」2 お休みです


8月6日月曜日、晴れ。
気象庁は「奈良 36度」ですが、
実感は「奈良 38度」、まさに炎天でした。
日本晴れ、と言いたいところですが、
実感は、「熱帯晴れ」
でも、私は暑さ寒さに強いし、春秋ももちろん強いので、
一年中ずっと平気です。

でも、ちょっとがっくり。
毎月第一、第三月曜日は陳少林先生の揚琴伴奏レッスン。
みっちり仕上げて、「どうだあ!」と言いたい、
そう期待して行ったのですが、教室はもぬけの殻。
事務所で尋ねますと、「中国に帰られて、お休みです」
聞いていなかった!
大和西大寺駅に戻る途中、私の次の生徒さんとばったり。
彼女も知らなかった!
どうも、陳少林先生、伝えたつもりで、伝えてくれなかったようで。

でも、だから、どうってことはありません。
日本一立ち直りの速い男と言われた私です。
「じゃ、大和文華館で日本画たちとじっくり面会しよう。
きっと喜んでくれるだろう」
でも、「月曜日 閉館」
ネットで調べると、奈良の美術館は、興福寺の国宝館も含めて、
全部、閉館!

それでも立ち直れますね。
西大寺から近鉄奈良駅に移動し、
近くの行きつけのパン屋さん二階の喫茶室でゆったりと休憩。
メールを一つ書き上げました。
1時間して、炎天下ロボグラフィ散歩に出発。

本日の装備もまた私にとっては超一級です。
ソニーα7
ビオゴン21mmF4.5
ツァイスのレンジファインダーカメラ、コンタックスの超広角レンズです。
伝説の名レンズです。
超広角レンズの場合、近頃は使い方を統一しています。
超接近以外は、F8固定焦点で、ノーファインダー撮影。
つまり、ホロゴンと同じ使い方にすることにしています。
開放にするメリットがあまりないからです。

固定焦点の仕方はこうです。
F8にしたときのヘリコイドリング枠の無限指標の位置に、
ヘリコイドリングの無限のマークを合わせます。
そうすると、概ね最短距離80cmから無限までのパンフォーカスとなります。
こうすると、私は無敵となりますね。
右に左にバッタバッタと切り倒しつつ前進する眠り狂四郎状態。

この状態で、奈良町の商店街の一筋西側の道を南下し、
古い市場を撮影した後、
奈良町に回り、近鉄奈良駅付近まで逆戻りして北上しました。

たくさんの美しい女性たちとすれ違いました。
みんなはつらつとして元気いっぱいですね。
炎天などまったく気にしていない。
帽子も日傘も不要、という人がかなり居ますが、
これは心配ですね。
肌が荒れますよ。
それにしても、昔と違い、肢体がすらりと延び、足取りも伸びやかで、
美しく、エネルギー一杯ですね。
日本人、中国人、韓国人、区別がつかないときがかなりあります。
どの国でも、女性が伸びやかになっていくようですね。
それに対して、男性は普通ですね。
どうしてかな?

最後に、近鉄奈良駅前のパン屋さんの喫茶コーナーに落ち着いて、
この文章を書き上げました。
この日は妻が一泊旅行に出かけた初日でした。
私はこの数年旅に出たことがありません。
在職中は年1回夏期休暇に長期海外旅行を楽しみましたが、
これは過重な仕事を抱えてのリフレッシュ。
有り体に言えば、いっさい忘れて、解放されたかったから。
仕事がなくなると、旅の意欲がさらりと消えてしまいました。
在職中の旅は、一にも二にも撮影旅行でした。
一つの町に滞在します。
下町のホテル、というより旅館を自分で見つけて、
下町を毎日歩き回るのが日程。
名所旧跡は私にとって無縁、無益。
たとえば、イスタンブールだったら、トプカピ宮殿?
それ、どこ?
記憶力の悪い私には、名所旧跡を訪問しても、さらりと忘れてしまいます。
でも、下町、市場、裏通り、スラムだと忘れません。
足ざわり、臭い、空気間、人間たち、
全部忘れません。
写真という記憶のよすががあるからです。

もっともイスタンブールだけはちょっと事情が違います。
記憶のよすがが残っていない。
150本リバーサルで撮りました。
書斎の床に一日だけ置いておいたのです。
明日、ホルダーに収めようと思ったのです。
棚の上になぜ置かなかったのか?
悔やみきれません。

2週間置いて行かれた我が子の一人デビル(猫ですが)が、
その夜、まんまと復讐に成功したのです。
150本のリバーサルシートの山(高さが30cmほどだったでしょうか?)、
翌朝見ると、全体にびっしりと、臭気溢れる液体。
化学反応しているらしく、洗ってとれるものではありません。
ご丁寧にいたずらしてくれたものです。
合計5400枚のうち、無傷で残ったのは、なんと、
たったの16枚!
イスタンブールの路地の隅々、というほどではありませんが、
かなり歩き回って撮ったロボグラフィは夢の果てに消えて行ってしまいました。
傑作なのは、たった16枚なのに、その中に猫の写真が3枚も!
この比率で猫写真を撮ったとすれば、1012枚?
それはありませんね。
どうやら、同族のよしみで、猫の神様が災難を避けるように配慮されたようで。

もちろんメインレンズはホロゴン。
写真人生で一番悔しい災難でした。
でも、デビルをけ飛ばしたり、なんて、仕返しはいたしません。
なぜ?
かわいい我が子に手を上げられましょうか?

ついでに言いますと、猫たちはかなり人間を理解しています。
認識能力もあります。
デビルは毎日夕方6時きっかりに、書斎にやってきて、
私がリコーダーを吹いていたりすると、
リコーダーをぐいと押し退け、ときには譜面台を押し倒してしまいます。

デビルの三代後、我が家の今の末っ子ピッピ、
自分がばりばりと爪研ぎをして破った襖の隅に、
ママ(私の妻です)が猫写真のポスターを貼りました。
すると、やってきて、しげしげと猫の顔をチェック。
「ふむ、大した奴じゃない!」

話を元に戻しましょう。
退職後、私が出かけた旅行らしい旅行というのは、
西遊旅行の雲南省の旅でした。
これでコリゴリになりました。
移動に継ぐ移動、まるで旅ガラスでした。
私のように一都市長期滞在型の人間にはまるで合いません。
そして、気づきました。
地元で十分じゃないか!
こうして、すっぱり旅をやめてしまい、
地場産業ならぬ地場徘徊に徹して、満ち足りた生活を送っているわけです。
私のブログが、人の来ない完全日記化したのも当然です。
プライベートな雑文と、フォトジェニックな楽しさをまったく欠いて、
ただただ薄汚れた駄写真ばかりが果てしなく並んでいるのですから。

お陰様で、ひっそりと自分の書きたいことを書き、
記憶したい片隅を写真に記録して、
さまざまな形で、読み返し見返すことができる日記を
ウェブ上に保管してもらえるという、
隠者にとっては願ってもない手だてを、
超廉価で提供していただいているのですから、
思うことはいつも一緒です。

エキサイトよ、永遠なれ、!




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# by hologon158 | 2018-08-07 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

735.01 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」1


8月3日金曜日、大阪加美の孫たちのピアノレッスン付添日。
お兄ちゃんは6歳の小一、両親が共稼ぎなので、
夏休みも保育室に通っています。

午後2時半までに私が迎えに行く約束。
前回は、私の妻が遅れたために、玄関前で待った孫プリンス、
しばらくして心配になり、泣きながら小学校に戻ってしまいました。
今回はそんなことにならぬよう、
私が午後2時半までに小学校に迎えに行くことにしました。
その後、いったん近くのマンションの自宅に戻り、
午後5時からのレッスンに間に合うよう、
二人で孫プリンセス1号(二女に二人のプリンセスがいます)を
迎えに行くことになっています。

小学校の保育室は2室、
1、3、6年と、2、4、5年の2室に分れています。
1時間ごとに10分間体育館で走り回ることができますが、
それ以外は、3学年の男女数十人が一室に入って、過ごします。
2人の保育担当教師(どうやら退職組)が監護する仕組み。
その1人、中学校教師を引退した男性の先生に話を伺いました。
クーラーは2台付いていて、天井の扇風機で空気を循環させているけど、
中は猛烈な暑さだそうです。
その先生にうかがいました、
私の孫プリンスは球を投げるのが得意で、足も速いのだそうです。
うれしいですね。

私もそうでしたが、孫プリンス、絶えず軽い病気にかかっています。
今回は胃腸炎。
自分で体温計で測り、飲み物も自分で選んで飲みます。
実のところ、体温も正常で、元気です。
少年野球に所属していますが、盛夏の間はお休み。
子供たちもそうですが、第一、コーチたちが保ちませんね。

体を持て余す孫プリンス、バットを素振りし、
ボールを投げ、走り、とめまぐるしい。
その合間に、
「こんなん、してんで(こんなことしたよ)」
と、2冊、算数と国語の学習帳を見せてくれました。
分厚い!
びっしり最後まで書き込まれています。
「ふーん、こんなに沢山やってるんだねえ」
私の1年生の頃、こんな沢山の練習問題、やりましたかねえ?
中身を眺めて、「すごいねえ....!」
孫もまんざらでもなさそうな顔つき。

ところが、帰宅してその話を妻にしますと、
「それ、夏休みの宿題よ。
夏休み始まったら、すぐに全部してしまったんだって」
びっくり。
というのも、私も夏休みの宿題を先にしてしまう口で、
日記以外の全部を最初の2日で仕上げるのが常でした。
あなたもそうでしょうけど、私も勉強嫌いでしたから。

でも、そんなことをする子供には出会ったことがありません。
もっとも片端から尋ねたわけではありませんので、
実はありふれた夏休みのすごし方なのかもしれませんが、
我が家では、私以外、初めてのケース。
たいていはまず遊ぶだけ遊んで、
夏休みの終わりにあわてて済ませるというタイプ。
私の印象では、
①夏休み終わりごろにする、
②毎日する、
③最初にやってしまう、
この順番で逆ピラミッド構造なんじゃないでしょうか?

歩きながら、なにかを見たら、別のなにかに見えてしまう、
そんな私のメタモルフォーゼ癖も孫プリンスと共通しています。
なんだか孫プリンセス2号もその傾向がありそうです。
どうやらこの性癖は劣性遺伝子によって伝えられるようです。
でも、人類の生存にはある種の効能を発揮するようです。
前方の草むら、竹藪の中に敵の伏兵を発見する斥候の適性も
この種のメタモル癖がからんでいるかも知れません。
もっともいざ戦争となったら、私は後方の安全地帯に収まって、
全戦線をしっかり見渡して、果断かつ独創的に全軍を指揮して、
偉大なる勝利に国を導く、そんな役割がふさわしいと思っていますが。

小学校の保育室は小中学校の先生方の
退職後の職場の一つになっているようです。
中学校を退職した先生としばらく話しました。
孫プリンスは、体は小さいけど、エネルギーがあって、
走ったり、ボールを投げたりするのが得意だとおっしゃっていました。
これはとりわけ私にうれしい情報です。

孫プリンスはスポーツはなんでも得意のようです。
保育園最後の運動会で縄跳びレースをしましたが、
手首で縄を高速で回しながら、縄に足を取られずに韋駄天のように駈けて、
場内観衆からどよめきが起こっていました。

私とはそのあたりが大違い。
ボールを投げたり、野球をしたり、サッカーをしたり、
水泳をしたり、という体育の主要な運動は全部からきしだめでした。
駈けるのは速かったし、
生まれて初めての職場に着任して、休み時間に卓球を始めたら、
すぐに人並みに試合ができるようになったり、と、やればできるようで、
未だに体は敏捷にうごき、一日歩いても、ほとんど疲れず、翌日に残らない、
といった状態を総合すると、
どうやら、私は、運動適性がなかったわけではなく、
運動をせず、各種スポーツのやり方も教えてくれる者がいなかったため、
運動が苦手なままに成長したようです。

そんな苦い体験をふまえて、娘たちには再三アドバイスしてきました、
孫たちには、あらゆるスポーツを学ぶ機会を与えるように。
孫プリンス1号も孫プリンセス1号も、ありがたいことに、
しっかり運動能力を開発する機会を与えてもらっているようです。

ピアノの先生のレッスンはちょっとしたお笑い劇のようでした。
最初の受講者である孫プリンセス1号、
「じゃ、わたちがなにをするか決めます。
わたちが先に2回決めて、先生がその後1回」
これじゃ、ピアノレッスンになりません。
レッスンは半時間ですが、適当なところで、
「これでおしまい」
さっさと私のところにやってきます。
ほとんどコントロール不能。
ところが、先生、こんなハプニングにもちらともうろたえず、
ちゃんと対応して、なんとか続けさせて下さいます。
さすがに良い先生です。

孫プリンスは、先月のピアノ発表会の準備練習の頃から、
突然ピアノに目覚めました。
マンションなので、電子ピアノですが、
木製キーで、打鍵の感触がかなり良いピアノを使うようになって、
先生の教室で教えられた感触を家でも味わえるようになり、
両手で異なる動きをすることが楽しくなったようです。
鍵盤にもたれるようにしていた両手首も上がり、
かなりピアノ演奏者らしい弾き方にもなりました。

もともと、祖母、両親とも実に正確な音程で歌えるので、
かなり素養には恵まれているようです。
この日も、童謡の一つをドレミで口ずさんで、音程も正確。
そんな芸当できるの? と、驚きました。
ピアノの先生の指導にも的確に反応し、
集中力をきらしません。
野球の能力もそうでしょうけど、
ピアノをある程度自在に弾けるようになれば、
一生さまざまな形で音楽を楽しめるでしょう。
たゆまず続けてほしいものです。

最後に、この日、一番嬉しかったこと。
孫プリンセスを保育所から引き取り、
ピアノの先生のお宅まで15分の道のりを歩いている道中の後半、
突然、孫プリンス立ち止まり、「お腹がいたい」
まだ胃腸炎が完全になおり切っていない状態です。
やむなく、後半はオンブをして行きました。
小学校に入った孫をオンブできる、なんて、嬉しいですね。
もっとも燃えるような太陽を正面に見て、西にまっすぐ歩きます。
日陰がほとんどないので、わずかな日陰、電信柱の棒の影伝い。
まるでサーバイバルごっこのようでした。

でも、レッスンが終わって帰途につくと、さらに大変なことに。
やっぱり、孫プリンス道に止まって、「オンブして」
すると、孫プリンセスも、「疲れた、抱っこして」
というわけで、自分のバッグとピアノ練習帳の入った手提げを抱えつつ、
孫プリンスを背にオンブし、孫プリンセスを抱っこして帰ることに。
でも、これはさすがに無理でした。
100mほどでダウン。
すると、二人ともこれで満足したのか、すたすた。
なんだ歩けるんじゃないの?
月一回の付き添いですが、毎回、難行苦行にちょっと近いですね。

そこで、なにが嬉しかったか、です。
実のところ、こんな行き帰り半時間の後でも、
まるで疲れを感じなかったし、翌日にも全然残りませんでした。
私もまだ若い!




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# by hologon158 | 2018-08-05 17:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

734.01 ホロゴン外傅233「2018年2月26日ヘクトール28㎜F6.3大阪野田本町をお忍びで」1 明日の我が身


司馬遷の「史記」や、
ローマ史の古典、たとえば、タキトゥスなんかに、
通常絶対に起きないような自然現象、人間事象に関する記事が
挿入されています。
王朝の滅亡を暗示する出来事とされたのです。

今年になって前代未聞の気象事象が各地に発生しています。
日本にもただならぬ自然現象が続発しています。
ただの雨と思われていたのに、未曾有の豪雨に化けてしまいました。
日本列島に襲来する台風は原則として南西から北東に進みます。
それなのに、今回の台風は逆行しました。
司馬遷やタキトゥスなら、日本の支配者の権威失墜、政権交替の予兆、
そう断言したでしょう。

冗談を、と、お考えでしょう。
でも、もちろん現在頻発している異常な気象現象が、
現政権の非政が原因であるとは考えませんが、
人類全体の共同責任で起こっている地球的規模の生態系破壊、
自然破壊が私たちの想像を絶する形で、
地球上の生命全体の危機を引き起しているのではないか?
私はそう真剣に疑っています。

健全な生態系は最強捕食者を頂点とするピラミッド型であるべきです。
そうしないと、全階層に食料が行き渡りません。
もしどれかの階層の生物が滅んでしまいますと、
生態系に致命的な危機を引き起こしかねません。
最強捕食者は適度に捕食を調整する術を知っています。
けっして無用な乱獲は行いません。

ところが、現代の最強捕食者は、ライバルを抱えた会社たちです。
シェアを拡大し、市場を支配するためには、
主力製品を無制限に増産して、ライバルを圧倒しなければならない。
適度に捕食を調整するなんてことはしません。

あらゆる産業が水を必要としています。
最良の猟場は地下水です。
でも、山という山が収益性のある杉、檜の一木林にされ、
保水性の高い、いわゆる雑木林や竹林が激減し、
さらに、川という川が河床も斜面もコンクリートで固められて、
地下水となるべき山の水はストレートに海に運ばれてしまい、
地下水は激減しつつあります。
(近ごろの大雨で予想外の水害が発生している理由もここにあります。
かつては、山の雨水は雑木林、竹林、河床、斜面が引き受け、
地下に沈降するので、大雨の全部が河川に流れ込まないうえ、
河川の堤防ごとに、決壊の危険のある部分がある程度明確だったので、
水害への対応がかなりできていたのに、今や、
河川が処理できないほどの激流を抱え込む時代になったのです)
一方、中国は急速に全土が砂漠化しつつあります。

つまり、今や地球に独裁者として君臨する人類が、
下手をすると、ねずみ算式にあっという間に倍増するでしょう。
すべての資源の消耗も同様にねずみ算式に増大しまいます。
「明日をも知れぬ身」
ときどきそう言いますね。
現代の私たち、私たちもそうではないでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-08-03 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

733.02 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が源氏」2 女性たち

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「源氏物語」は、基本的には男性中心の物語かも知れません。
でも、「源氏物語絵巻」となると、絵巻だけに、
描写の中心は基本的に男性と女性が対等という感じ。
ずらっと順不同に並べてみました。
平安朝の美女たちって、かなり現代の理想からは離れていますね。
これを見て、お感じになるかも知れません。
なんだ、平安朝の女たちって、みんなお多福さんじゃないか?
現代に来たら、あまり評価されなかった部類の女性たちが、
この時代には幅を利かせていたんだなあ、

でも、このような考え方は大間違いですよ。
時間という要素を都合良く取り外してしまい、
自分の時代中心、つまり、自分の好み中心にしているから、
そんな風に感じるのです。

よく考えてみて下さい。
あなただって、平安時代の高位のお公家様に生まれていたら、
まるで違った感じ方をするに違いないのです。
どの時代も、大生はその時代の風流に応じて、美女の理想を育み、
どの時代も、女性たちは当代の美女の理想に向かって変身してきたのです。
若紫や玉鬘も現代に来たら、私たちが身震いするほどの美女に変貌するでしょう。
でも、現代の目が大きく、鼻がつんと高い美女たちも、
平安朝に飛んだら、これらの絵のような慎ましやかな淑女、乙女に変身するはず。

ただし、一つだけ、留保があります。
絵巻の美女たち、一人として、目を上げていません。
慎ましく淑やかに伏せています。
でも、もし顔を上げ、目をぱっと見開いたら、
輝く瞳の大きな眼だったかもしれないのです。

平安朝の絵師たちは、いわゆる「美女」を描くとき、
リアルな容貌を避けて、
当時の美女のイコンに沿った相貌を採用したようです。
浮世絵も同様です。
そのために、私たちは、平安朝の女たちは下ぶくれのお多福顔だったし、
江戸時代の女性はちょっと面長で小さな目鼻ののっぺり顔だった!
でも、そうでしょうか?
何時の時代も、さまざまな容貌の女性が居て、
美女と言われる女性たちの容貌も様々だったはずです。
Youtubeで時折江戸末期から明治にかけての美女たちの写真がアップされます。
仰天ですね。
現代でも稀なほどに、現代的な理想の美女を思わせる、
切れ味豊かな眼差しで、頭脳明晰を思わせる女性たちが登場します。
平安時代でもそんなに違いはないのでないか?
そのように考えても、あまり不思議ではない感じ。

その理由の一つ。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人の頭蓋骨、
さらには古代シルクロードの発見遺体の頭蓋骨を復元すると、
おどろくほど現代人と変わりません。
ときおり、かなり類人猿風に先祖返りしているのが見つかりますが、
これはなんらかの病的な変形ではないかと推測する学者もいます。
つまり、人類学者は、
人類は数万年前にすでに現代人同様の状態にまで進化しており、
その後は進化を気配を見せていないので、
数万年前の人間は現代人と身も心もなんら変わりはなかったと考えているようです。

こんな風に考えてきますと、
ということは、紫の上は実在していたら、
化粧をとった昭和の美女たちとあまり変わりのない美貌だっただろう、
いや、それどころか、私たちが出会っても、
本当に身震いするほど美しかった!
そう推測しても間違いのではないでしょうか?
そんな風に考えてきますと、
源氏物語の美女たちがますます生き生きと、
ますます温かく、蘇ってくるようではありませんか?

それにしても、絵巻の画家の描写力、色づかいのセンスは天才的ではありませんか?
控えめで、上品で、繊細。
このような表現は、平安朝の貴族階級の人々の正確な表現だった感じがします。

今回の女性たちは高貴な身分の姫君、奥方、そしてその女房たち。
かなり振幅のある階層の女性たちなのですが、
ご覧になって、一つ、全女性に共通する点があると思いませんか?
よーくご覧になってください。
現代女性にはほとんど期待できない表情ではありませんか?
そう、そうですね。
全員、伏し目、ですね。

これはなにを意味するのでしょうか?
教育においても、結婚においても、その後の人生においても、
終始、受け身の姿勢で生きること、それが当然、
そう考えていたのでしょうか?
源氏物語をお読みになった方ならお分かりでしょうが、
そうでない女性も登場します。
でも、現存の絵巻部分に残されている女性たちは、
どうやら伝統的な受け身の姿勢を進んで選んでいるようです。

でも、これらの女性たちをじっと見ていたら、
いや、当時の女性たちも肝心要の土壇場では、
きっと目を見開いて、
男性どもにガツンと反撃を食らわせたのでは?
そんな感じがします。
歴史の転回点と言える重要な正念場に登場する女性たちが、
腰砕けになりそうな夫や子供を叱咤激励して、
試練を立派に乗り越えさせた、そんな例はいくらでもあります。
源氏物語絵巻の女性たちを眺めていると、
平安時代でも同様だったのでは?
そんな感じがしてきました。






# by hologon158 | 2018-08-02 18:09 | 美との対話 | Comments(0)

733.01 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が貴族たちと競り合って」


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今回は美との対話の第一回です。
源氏物語絵巻からのピックアップ。

あなたは「源氏物語」を読みましたか?
私も学生の頃、世界の古典を全部読みたいと意気込んで、
岩波の「日本古典文學体系」(古い!)を30冊ほども買い揃え、
読めるモノからせっせと読みまましたが、
この全集本、読書用と言うより、監修者の研究業績の発表、なのでしょう。
読んでいて、あまり楽しくない。
そのうえ、素人の私にはよく分からない。

結局、与謝野晶子さんの現代文への翻訳を楽しみました。
でも、帯に短し襷に長し、ですね。
時代の香りが少し不足しているのです。
言葉って、心と一体ですね。
平安朝のたおやかで健やかで爽やかな姫君、若紫が、
どうしても明治大正のお嬢様に感じられてしまいます。

いつ頃でしたか?
新潮社が「日本古典文学集成」という、
新しい古典文学全集を編纂しました。
私が待っていたのはこれでした。
本文の横に必要最小限の訳文が赤の小文字でさりげなく付けられています。
原文と訳文を同時に読んでいきますと、
いつしか訳文が目に入らなくなります。
原文の意味をかなり我がものにできるのです。
極めて巧妙にできた教育システムをさりげなく組み込んでいる。
全集を読み進むにつれて、本文だけが見えるようになって、
かなり理解できている、
そんな状態になることができました。
おかげで「源氏物語」を心から楽しむことができました。

若紫から紫の上に成長した平安の美女は、私にとっては、
「オデュッセイア」のペネロペイアや
「イーリアス」のアンドロマケーから始まる、
麗しくたおやかな美女の系譜の一人となりました。

余談ですが、私は紫式部による紫の上の描き方が
かなり中途半端で尻切れトンボに終わったという感じを拭えません。
若紫は、心優しい庇護者のおじさまに暖かく守られていると感じて、
安らかに共に暮らしていたおじさまにある日突然押し倒され、
妻とされてしまいます。
若紫は光源氏を愛していたけれど、
男性の伴侶としてではなかったようです。
まして、光源氏には葵の上という正妻が厳然と存在する。
裏切られたという気持ちをついにぬぐい去ることができなかったようです。
しかも、光源氏はその後もさまざまな女性にたえず心を奪われ、
しかも、どの人も手厚く遇するのですから、
いかに平安の時代であれ、正妻なのに、
最愛の妻として遇されているとはとても思えなかったでしょう。

光源氏は、そんな紫の上の気持ちを知りつつも、理解することができず、
まして、紫の上の傷心を真心から温かく包んであげようという努力などしません。
欲しい女性はみさかいなく我がものにし、
そんな女性たちから慕われていくのですから、
紫の上の心にかかったまま晴れない暗雲をはらす術を知らない。

紫の上はたとえようもなく美しい女性に成熟します。
ある日、紫の上が殿中の御簾の陰で外を眺めていました。
ところが、突然御簾がそよ風に吹かれて
フワリと風に翻りました。
光源氏の息子夕霧は、その翻った御簾の隙間に、
紫の上の麗しい姿をかいま見て、
恋心を激しく燃え上がらせます。

光源氏が、御簾の向こうに座らせた玉鬘の周りにたくさんの蛍を放って、
このうら若き乙女の姿をたとえようもなく美しく浮かび上がらせて、
弟の兵部卿宮を恋に誘おうと試み、まんまと成功するシーンも、
世界の文学史上最高のシーンですが、
御簾ごしの紫の上のシーンもこれに劣りません。
私にとっては、「源氏物語」最高のシーンです。

「源氏物語絵巻」は平安朝末期の「隆能源氏」と通称され、
源氏物語を題材にする絵巻物の最古の作品で、
国宝に指定されているほどの傑作だそうですが、
ほんの一部しか残っていません。
元は天地20cmしかない絵巻物でした。
どれほどの長さがあったのでしょうか?
いつのときか、バラバラに切り離されて額装になって、
離ればなれとなり、各地に保管されたものが見つかっています。
どのような経緯がそこに隠されているか、
私は知りません。
ウィキペディアを信用するとすれば、
54帖全部について、ピックアップされた名場面と詞書が並べられ、
全部で10巻程度あっただろうと推察されています。
源氏物語のもっとも華麗な前半部分はほとんどなくなっています。

おそらく絵巻物のオリジナルの持ち主はかなりの地位の人、
皇族もしくは貴族だったはず。
でも、平安末期以降江戸幕府成立までの未曾有の大戦乱時代に、
所有者たちは、困窮落魄の運命をさまざまにたどったことでしょう。
そしてその有為転変の果てに絵巻もばらばらになり、
それぞれの放浪を経て、流れ着いた幾代目かの持ち主もさらに金に困って、
買い主の希望に応じて、切り売りしていったのでしょう。

どうやら絵巻制作当時以降の貴族たちの日記、記録には、
制作の経緯、絵巻の有為転変の情報となる記述は見つからないようです。
制作者も保有者も明らかになっていないのですから、不思議です。
でも、戦乱の世には所有たちも生きるに忙しく、
じっくりと芸術作品を鑑賞するだけの精神的余裕はなく、
その存在価値はかなり低く、
生活費捻出のための経済的価値しかなかったのかもしれません。

今回のシリーズを開始するための準備として、
ヨドバシカメラから複写用の無反射ガラスを取り寄せました。
28×35.6cmの大四つ切りサイズです。
この無反射ガラスを本の上に載せると、
天井の蛍光灯の影響を回避でき、しかも平面性を確保できます。
これを使って、
私の大好きな部分をクローズアップすることで、
私の視線がどんな部分を中心に絵を賞味したかが分かる仕掛けです。

まず、男たちをごらん頂きましょう。
残念ながら、光源氏の姿は残されていないようです。
誰が誰であるかはあまり意味がないので、省略。
皆さん、いかにもお公家さんですね。
下ぶくれでおっとりとした風情で、そっくり。
そして、実にシックな装いに身を包んでいるあたり、
女性とはかなり違った方向ですが、おしゃれだったのでしょう。
さまざまなシーンですが、物思いに深く沈む姿は魅力的です。
下卑たところも、浅薄なところもかけらもありません。
平安朝末期の貴族たちが数チームに分かれて分担したとされています。
でも、ほんの一部で数チームだとすると、
全体ではさらにチームも増えて、かなりの多人数の合作だったのでしょう。
それにしても、その画風の統一感、筆の力、線の確かさ、色遣いの上品さ、
すべてにおいてかなり高度の水準に止まっている感じがします。
このようにクローズアップしますと、
そんな画家たちの妙技がますます冴えわたっていることが分かりませんか?
平安朝貴族が、詩歌管弦書画等、多方面の教養を磨くことで、
出世し、地位を安泰なものにしたと言われていますが、
「源氏物語絵巻」は、平安朝貴族の実力の高さを遺憾なく証明している、
そんな風に受けとってもよさそうですね。


# by hologon158 | 2018-07-29 21:39 | 美との対話 | Comments(0)

732.03 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」3 美との対話


この暑熱の夏には、ひたすら美と向かい合って暮らす、
そう決意したことは前回書きました。
具体的には、できるだけ美術館巡りをしてみたい、と考えたのですが、
書斎にはかなりの数の画集、写真集が並んでいることに気づきました。
それを見直すのもよいのですが、
見直しながら、私の心をぐっとつかんだ名作たちの、
いわば「神的な細部」について、あれこれ文章を書いてみることで、
私の心になおいっそう私の名作たちを定着、沈殿させたい、
そんな気持ちになったのです。

言うまでもないことですが、
偉大なアートに言葉は蛇足です。
自分の感動を言葉に直す必要もありません。
そんなことができるはずもないのですから。
ただひたすらガツンとぶっとばされて、
言葉もなく立ち尽くす、
それが偉大なアートとの出会いですね。

絵の前に立った途端にぺらぺらと講釈を垂れる人がいますが、
こんな人、ぜんぜん感心できませんね。
この人、実は心でアートにぶつかっていない。
ただ頭で、思考で、アートを理解しようとしているだけですね。

でも、本物のアートの本質は言葉、理解を絶している、
そうではありませんか?
そうでなきゃ、描く意味がない。

画家は自分の心の激動をかろうじて視覚的に表現しようと、
あるときは悪戦苦闘し、あるときは激流にどっと押し流されて、
この作品がなぜかこの夜に生まれ出た。
鑑賞者もまた、観た瞬間、心をぐいと鷲掴みにされて、
ただぼうぜんと立ち尽くす。
心は驚きと喜びで一杯となり、時間の経つのも忘れる、
そんな希有の体験にガガーッと押し流される。
それが本物の出会いなのでしょう。

でも、私の心をぐいと鷲掴みにしたアートとの出会いは、
生涯にそんなに沢山はありません。
せいぜい十指で数える程度です。

あなたはいかがですか?
もう数えきれないほどに幾度も幾度も出会ってきましたか?
それなら、よほど感じる心が大きく深いのでしょう。
と、とりあえず申し上げておきますが、
内心では、私は信じていませんけど、ね。

世の中には、アートとの出会いを、
武蔵坊弁慶の刀の千本どりと同列に置いていると疑わしい人がいます。
「ルーブルでモナリザを観ました!
深く感動しましたねえ。
忘れることもできません。
フェルメールをもう23枚も観てきました!
これはもう心の極楽、パラダイスですわあ!
画集で見たつもりになっている人、かわいそう!
わたしほど、本物を沢山見ている人は少ないでしょう。
ワッハッハー!
幸せー!」

この人、きっと手帳に目録を付けているのでしょう。
「2008.8.23 ルーブル モナリザ 10点」
「2009.1.3 マウリッツハイス美術館 
 真珠の首飾りの少女 8点」.....

一枚一枚、来歴、故事、創作後の有為転変等、
生き字引さながらに、
淀みなく、ぺらぺらとおしゃべりもできる人がいます。
「一流の教養人なのである」と言った風貌、物腰もなかなか立派です。