わが友ホロゴン・わが夢タンバール

799.00 ホロゴンデイ274(2019年3月11日ホロゴン15mmF8がまた古都奈良をさらり巡回)



7月16日火曜日、所用がてら県立図書館に参りました。
図書館って、この世の心のオアシスですね。
こんな本があるなんて知らなかったような本に、
そして、その中に記載された人に出会うことができます。
今回も会えました、

   「大ヴァイオリニストがあなたに伝えたいこと」
      千蔵八郎著
        春秋社

その本を書架から取り出して、
ぱっと開いたら見つかった言葉を紹介しましょう。
19世紀の名ヴァイオリニストで、名伯楽として知られた、
ユベール・レオナールが、
弟子たちに口癖のように言い聞かせた言葉を知りました。

   耳を開いて、音の響きの美しさに聴き入りなさい。
   音は紡ぎ出さなければならないものだ。
   それこそ名人の芸である。

帰宅して、今回の記事の写真をブログ掲載用に小型化しました。
今年の3月11日、ホロゴン15㎜F8をソニーα7に付けて、
高畑町、ささやきの小道、奈良町あたりを巡回して撮った写真。
なぜかファイルがぐちゃぐちゃに並び変わり、撮影順には並びませんでした。
でも、私の心覚えのために並べる写真たちです。
順不同でも、私の記憶の中で正しい位置に納まってくれます。

私の最愛の伴侶レンズ、それがこれ、ホロゴンです。
私が曲がりなりにもアマチュア写真家として活動していた当時、
私の撮ったホロゴン写真を、
私の期待するように評価してくれる人は居ませんでした。
少数の例外を除けば、たいていの方の反応は沈黙。

ある大写真家の写真塾を傍聴した際にも、
ずらりと30枚ほど並べてご覧頂いたことがありました。
「窮屈すぎる」
この一言でした。
この写真家の弟子はかなり反感を感じたようで、
「独りよがりの写真、という感じがします」

お二人の言葉はいずれも、はっきり言って、
正解です。
私はぎっしりと中身が詰まった写真が大好き。
だから、ホロゴンで被写体に30㎝から60㎝に迫って、
腰だめ、ノーファインダーで撮ります。
まったく同じ撮り方のまま、フィルム時代に2000本ほど、
デジタルになってからその倍ほど撮りました。
結局、独りよがりのまま、10年ほど前、アマチュア写真界から足を洗い、
ただの写真好きとして、自分のためにだけ撮る時代に入ったわけです。
その後も仲間との楽しみで数回写真展を楽しみましたが、
自分が人に写真を見てもらうというスタンスが
完全に消えたことに気づいただけでした。

ブログも、最初は、アマチュア写真界から足を洗ったんだから、
せめてネット社会で写真ブログを楽しんでやろう、と、
目論んだわけですが、
かなり限られた数のブロガーと親交を結ぶこともでき、
楽しい体験もさせていただきました。
でも、1年経って気づいてみますと、
私の写真に関心を示す人はほとんどなく、
アクセス数は偶然の検索結果でのアクセス数を
超えることはないことに気づき、
「やはり野に置けレンゲソウ」ということで、
2つのブログを自分の記憶庫とすることに方針変更しました。

人間、欲がなくなると、心が軽く、広くなります。
写真家であることをやめても、
写真に対する愛情はますます盛んになりました。
自分を愛することができるひとつのよすがとして、
私の人生にはとても大切な楽しみ、という感じ。
「まだまだ外界との交わりを楽しんでいるじゃないか!」
そんな確認の仕事が撮影とブログ、というわけです。

今回のホロゴン写真、
まさに窮屈写真の極致でしょう。
画角110度もあるのに、
ものが、ひとがぎっしり詰まっている感じ。
改めて眺めて観て、さらに納得。
私には爽快なスウィープ、人生の掃海作業のようなものですが、
間もゆとりもないのですから、人が思わず退いてしまうのも当然。
それがどうやら私の生き方のようです。
誰も自分を否定して生きることはできませんね。
ますます一人で楽しむことにいたしましょう。

私の写真は名人芸ではありません。
レンズに撮ってもらっているだけ。
でも、私が出会って、互いに一目惚れしたのがこれ、
ホロゴンウルトラワイド。
今では、ライカマウントレンズとして、
レンズだけが手元に残りました。

  私が一人で楽しむロボグラフィのための究極の一本!

ユベール・レオナールの言葉にあやかって書きますと、

   目を開いて、ホロゴン画像の美しさに見入りなさい。
   ホロゴンが一人で紡ぎ出してくれたものだ。
   これこそ名レンズの究極芸である。
   誰も認めなくても、構わない、
   私がもろてを上げて、讃嘆しているのだから。










# by hologon158 | 2019-07-17 23:54 | ホロゴンデイ | Comments(0)

798.00 ホロゴンデイ273(2019年2月28日ホロゴン15mmF8が奈良町を豪快に席巻し)



私には4人の孫がいます。
一人一人個性があって、
当然ながら、祖父として大きな期待を持っています。

思い出したことがあります。
最年長だけが男の子なのですが、
他人の気持ちがわかる子です。
絵の中の子供でもわかります。

2歳のころのことだと記憶していますが、
ちょうど私たち祖父母が彼と留守番をしていたときのこと。
絵本にマンション火災のお話がありました。
6階ベランダに消防士に抱っこされた女の子の幼児。
消防車から長く伸びた梯子のてっぺんにもう一人の消防士。
二人は女の子の受けわたし作業中です。
梯子とベランダとの間にはかなりの隙間があります。

孫プリンスは絵本を持って立ち上がり、
まずソファーに座っている祖母(私の妻)にこの絵を見せて、
心底恐怖の表情を浮かべて、「こわいなあ!」
それから、キッチンで洗い物をしている祖父(私)の所にもやってきて、
絵本を差し出して、「こわいなあ!」
このとき、祖母が携帯で録画していたので、
今でもその様子を見ることができます。

私たち夫妻の役割が逆転しているのではないか?
というもっともな疑問はひとまず置いておいてください。
そのとき、私が驚き、喜んだのは、
「この子は、絵を見るだけでも、他人の心が分かり、
そして、我が事のように共感し同情することができる!」

私は心理学者ではありませんが、分かります。
大人になってもこれができない人がかなり居るのです!
頭ですべてを処理し、心では理解できない、だから、
人の心も感情も理解したり、共感したりすることができない、
人のことなどどうでもよい。
結局、自分のことしか分からず、自分のことしか気にかけない。
そんな人が沢山いるのです。

私の生涯の経験によれば、
秀才と呼ばれる人にかなりの高率で見つかります。
なぜか、理由は実に簡単です。
日本のエリート選抜システムの欠陥です。
子供の頃から試験漬けにして、遊ぶことを許さない、
その結果、頭は良いけど、心がない、
だから、人の心も分からない、
そんなエリートたちが社会のリーダーとなってしまっています。
このような人たちは、自分と他人と別の判断基準を持っています。
自分は何でも許されるけど、他人にはもっと厳しい基準を押し付けます。

日本の首相が国会で、「品位を欠くようなヤジはやめていただきたい」
そうやって野党議員を厳しくたしなめた直後に、
野党議員の発言に対して、首相席からヤジを飛ばしました、
「うるせえ! 黙れえ!」
首相がヤジを飛ばすこと自体品位を欠くことにも、
そのヤジの言葉の下品さにも気づいていない。
人間性と品格を磨く修練を積んでいないことがわかります。
これが日本の明治維新以来の官僚エリートの欠陥。

私の孫たちには、そんな人間になって欲しくない、
これが私の切なる願い。
彼らを心から愛する両親、祖父母たち、叔父、叔母たち、
そしていとこたちが居て、あたたかい地域社会があって、
いわば愛情に包まれて育っています。
この状態が長く続いて、人の心が分かる人に成長してほしい、
心からそう祈っています。

さて、今回は、私の人生レンズとでも言いたくなる、主力レンズ、

  ホロゴン15mmF8。

もう少し頻繁に使ってあげなきゃ、と心から反省しています。
ボケレンズの魅力にかなり心が奪われて、
ともすると、ボケレンズを持ち出してしまいます。
実のところ、本人は洒落っ気も娑婆っ気もない、
真正面勝負だけの性格。
だから、本当はホロゴン一本だけで良いのです。
でも、だからこそ、性格は直せなくても、
レンズでちょっとした洗練、センスを味わってみたい、
ということでしょうか?
ともすると、ボケレンズを持ち出してしまいます。

ソニーα7用のヘリコイドリング付きマウントアダプタを
フォクトレンダーから購入して、
ホロゴンでさえ、超接近して、
曲がりなりにもボケを楽しめる時代になりました。
ホロゴンの持ち出し頻度を増やしい、
そう近頃切実に考えています。


ご注意
画像の取り込み作業ちょっと取り込みがあって、
画像が重複したり、順序がデタラメになったり。
修正が面倒なので、そのままにしておきます。
悪しからず。


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# by hologon158 | 2019-07-14 22:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)

797.00 ホロゴン外傳271(2018年5月18日エルマジス95㎜F2.4の奈良町は朧に)



7月9日火曜日、
今日は散歩にも出かけず、
つつましく蟄居の日としました。
久しぶりに夫婦で在宅日だからですが、
朝から掃除、洗濯、食器のケア等多忙。

その洗濯機に不具合が発生しました。
神様は多忙時に故障日を合わせることで、
人間どもに人間の分際を知らしめる、
そんなおつもりなのでしょう。
そこで、その不具合をチェック。
東芝の一体型全自動洗濯乾燥機なのですが、
洗濯は全部滞りなく完了しています。
どうやら乾燥機が故障のようです。
3分の2ほどの乾燥プロセスが進み、
ほぼ乾燥完了に近い段階でストップして、
「E3」のエラー表示。

全自動ですが、我が家ではほぼ大半の種類は洗濯だけして、
ハンガーに掛けて自然乾燥しています。
乾燥プロセスでもみくしゃにしたくないからです。
そこで、夫婦で衆議一決。
これからは洗濯だけ使って、
壊れた乾燥機はそのままにして置き、
洗濯機の方も故障したら、そのとき修理にまわそう。
自然乾燥できるのに、乾燥機を使うのは資源の無駄遣い、
常々そう思っていたからです。

というわけで、修理に関する作業をする手間が省け、
昼食後は、本ブログの記事作成をまず始めました。

フランスの映画用レンズ
エルマジ95㎜F2.4
ソニーα7で撮りました。

全部で95枚一挙上映、というわけです。
ブログ掲載用に小型化する作業のなかで、
いつもながら、笑ってしまいました。
いわゆるフォトジェニックなものはほとんどない!
私の場合、常にそうです。

以前、仲間とキャノンギャラリーで写真展したとき、
まだ私が学生のころ経営していた数学塾で教えていた
一番できの良い少年が立派な大人になって、
奥さんまで連れて、でも、少年時代の面影を色濃く残して、
わざわざやってきてくれました。
彼に私のロボグラフィの私家版写真集を見せました。
私の写真集をサラサラと眺めて、
「面白いですねえ」と言葉少ない反応。
たまたま、以前所属していた写真クラブのメンバーが来て、
ソファーの横に座って傍観しておられたのですが、
彼も私の写真集にはなんの反応もないまま、
「私も写真集を持ってきました」
もっと良いものがありますよ、と言わんばかりに自信たっぷり。
友人の写真展に自分の写真集を持参して、割り込む、
なんて、なんだか礼儀もあったもんじゃない、という感じですが、
元少年氏、素直にその写真集を手にとって見始めました。
ハイアマチュアの風景写真家らしいきれいな桜や紅葉の風景写真。
見始めた途端、元少年氏とその奥様、
一枚ごとに、頓狂なまでに声を張り上げて、
「わあ、すごい!
きれいですねえええええええ......」
元少年氏の美意識に見事マッチしたわけです。
大抵の方も同様でしょう。

結局、誰もがそれを見たら写真を撮りたくなる、
そんな景観には多くの人が反応します。
でも、誰が見ても、絶対に撮らないようなロボグラフィ写真には、
誰も反応しないわけです。

私はちょうど逆、というわけです。
たとえば、今回の96枚の写真のラスト近くの木の切り株写真。
私は、これを見た瞬間、キャッと反応したわけです。
大抵の方は、私のそうした写真に直面しますと、
戸惑ったり、不快に思ったりするようです。
「なんで美しいものを撮らないの?」
「いえ、だから、美しいものを撮ったのですけど...」
そう言っても、誰も納得してくれません。
自分にとって美しいものは美しく、
自分にとって美しくないものは美しくない、
つまり、美は絶対的に決まっている、
そう皆さんお考えになるからです。

そんな方たちに向かって、
「私のロボグラフィは、全部、私が美しいと感じたから、
こうして撮っているのですが」
そう説明しても、納得してはもらえません。
私の友人でさえ、たった2人しか反応しません。
というわけで、10年ほど前から覚悟を決めて、
アマチュア写真家というかつての自覚を完全に捨ててしまい、
写真は自分一人のために撮ることにしたわけです。
ですから、友人たちにさえも、絶対に写真を見せません。
もちろん私のブログも話題に上りません。
誰も見ていないからです。

それで良いのです。
「写真は表現である」
そうよく言われます。
写真家は、人が自分の写真コンセプトを受け入れてくれて、
自分の写真作品をエンジョイしてくれて初めて写真家となる、
というわけです。
私はそんな境地をはなから捨ててしまいました。
自分一人が「わあ、凄い!」なんて反応しておればよいだけ。
今回も勝手に喜べばよいだけ。
アップしたら、もう忘れて次の作業にかかれます。
気楽そのものですね。

それにしても、エルマジ95㎜F2.4、
かってな思い込みでしょうけど、
なんだかフランス的。
とてもシックに個性的なのですが、
けっして古めかしくはなく、モダーン。

とはいえ、かなり画像の仕上がりに偏りがあって、
一定の画質を維持するのが難しい感じ。
そのあたりが古めかしさかも?




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# by hologon158 | 2019-07-09 21:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

796.02 ホロゴン外傳270(2018年12月19日スピードパンクロ35㎜F2の奈良町も異色)2 幸せ



時折、考えることがあります。

  ここに生まれて
  こうして生きていることが、
  私にとって幸せなのか?

家族のことを考えると、
イエス、幸せだったのだ、と即座に答えることができます。
でも、時代の中に生きる私個人として、どうなのか?
そう考えると、素直に「はい、幸せです」とは思えない、
だって、人類にとっては末世としか言いようがない時代なのだから。
そんな答えも浮かんできます。

でも、もう一つの考え方があります。
医療体制がこれだけ完備した時代はなかったかもしれません。
偉大な宗教家たちも、どんなに悟り済ましても、
さほど長生きできたとは思えません。

  聖徳太子は48歳、
  空海は58歳、
  最澄は56歳、
  親鸞は89歳、
  法然は80歳、
  道元は53歳、
  日蓮は60歳、
  聖フランチェスコは44歳、
  インドの聖人に目を移しても、
  ラーマクリシュナも没年はたった50歳、
  弟子のヴィヴェカーナンダと来たら、たった39歳!

信仰の高さ、宗教的な人格の大きさは、
必ずしも健康に結びつかず、長寿とは無関係、
そして、さまざまな外的要因が短命につながったということでしょうか?

不思議に思うのですが、
彼らはみんなヒーリングパワーの持ち主でした。
予知能力もあったでしょうし、
体をコントロールできる絶大な心の大きさを持っていたはずなのですから、
夭折の運命も予知できたのではないでしょうか?
自分のヒーリングパワーを自分に向けて使えなかったのか?
それとも、運命は定められていて、
運命をはね除けようしても無駄、
いずれにせよ、ヒーリングパワーさえも運命に逆らえない、
ということでしょうか?
だとすると、信者たちの病気をヒーリングパワーで癒やすことは、
彼らの運命を変えることにつながらなかったのではないでしょうか?
こんな風に考えると、どうもよく分からなくなってしまいます。

現代人にとって長生きのための条件がかなりあるようです。
① 医療体制がかなり進歩したことがまず第一。
② 健康に関する知識が進んだこともあるでしょう。

私個人としては、我田引水ですが、
次の2つの条件もかなり大きいと思っています。
③ 水素吸引による健康増進
④ アーシングによる健康増進
なんじゃ、それは?
そう戸惑う方も多いでしょう。
ネットで検索してみてください。
私は、どちらに出会えたのも「縁」であったと信じています。

よくよく考えてみると、すべてが縁であることは間違いがありません。
でも、空海や聖フランチェスコたちを襲った運命は、
私たちにも襲いかかってくるはずです。
運命には逆らえない、のですから。

それなのに、私は考えています、
自分は寿命をもう少し伸ばせるのではないか?
上記の③④に健やかな長寿を保証する力があると信じているからではありません。
よくよく考えてみますと、
空海や聖フランチェスコたちも日々日常アーシングをしていたのです。
聖フランチェスコときたら、
裸、裸足で大地を闊歩することもいとわなかったようです。
あの時代、大地は道も含めてすべて土、草、林、森でした。
公害などに一切汚されない清浄なる天空が頭上に広がっていたでしょう。
テレビもインターネットもない。
電磁波に常時身体を痛めつけられている現代の都会地では
想像も付かないほどの清浄の天地に生きていたのです。
それなのに、比較的短命でした。
だから、私は考えるのです。
現代はまさに不浄の大地。
でも、前記の③④で、心身を浄化することができ、
飛躍的に革新されつつある現代医療技術がサポートしてくれる。
こうした状況が相まって、
現代人の心身をかなり清浄かつ健康に保ってくれるのではないか?
私はそう信じたいのです。

その一つのサポートとして、
私は現代社会の腐敗、汚辱、危機への懸念、不安は
完全に封印することにしました。
私がどんなに心配しても、
そうした現代社会の暗黒をどうしようもないからです。
できることは選挙権は必ず行使すること、
これくらいしかありませんね。

機会があれば、近くの神社森、名付けるところのアーシングウッドに来て、
撮影し、自然木のベンチでポメラしています。
さまざまな小鳥のさえずり、そよぐ風が私の心身をすーと通り抜けて、
私を浄化してくれるようです。

一昨年来時折携帯に時折かかってくる着信がありました。
未知の番号です。
いつも、無視します。
携帯をヒューマンネットワークなるもののツールとして
使うつもりなどありません。
もう世を捨てたので、
常時出会う親友たちを除くすべての旧友、知人との接触も絶ちました。
忘れてもらいたいのです。
すべての時間を私の心の赴くままに使いたいのです。

変人なのでしょうね。
変人でなければ、
私のブログを埋めているような写真は撮りませんね。
私は、自分の写真を第三者が観ることを予定せず、撮っています。
ああ、こう撮ったら、人がびっくりするだろうな、
なんて微塵も考えません。
私がある日、あるとき、ある場所でロボグラフィと出会った、
その喜びの気持ちだけを記録したいのです。

公平のために付け加えますと、
私が社会を捨てたように書いていますが、
社会にとってはなんの痛痒もない。
むしろ、社会が私を捨てた、というのが真相でしょう。
でも、なんとも思いませんね。
私は自分の人生で十分楽しめるからです。
心の支えとして、家族と友人が居てくれるのですから、
ありがたいことです。




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# by hologon158 | 2019-07-05 17:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

796.01 ホロゴン外傳270(2018年12月19日スピードパンクロ35㎜F2の奈良町も異色)1 対話



茂木健一郎という脳科学者が居ます。
YouTubeで、彼の講義、講演をたっぷり楽しむことができます。
私もかなり楽しんだのですが、ふっと気づきました。
なんにも頭に残っていない。
なぜ?
ただちに分かりました。
鋭く深い洞察に満ちているのでしょう。
でも、私が彼の論旨にぜんぜんついて行けない。
だから、ぜんぜん記憶に残らないのです。
一体なにをおっしゃりたかったのか?
まるで分からない。
私の頭脳がすでに時代遅れになっているのです。

私の親友の一人がこの茂木さんに匹敵するほどの、
猛烈に鋭く深い思考力の持ち主。
さまざまなジャンルにわたって、
天馬空を行くがごとき論考を展開してくれます。
でも、あまりにも深くて広大すぎて、
私の頭脳はまったくついていけません。

このお二人に共通していることが一つあります。
聴く人のレベルに合わせて語るということはしない!
いや、それでも合わせて平易に語ろうとしている、
そうお二人はおっしゃるでしょう。
でも、そのレベルは私よりまだ遙か上なのです。
おかげで、聞き手はさらりと置いてきぼりになってしまうけど、
お二人はそれに気づいていないか、気づいても、平気。
分からないのは、分からない方に問題があるというわけです。

エハン・デラヴィという在日何十年というイギリス人がいます。
執筆家ですが、エハン塾という少人数の塾生の前での講義を行い、
YouTubeにたくさんアップされています。
実に達者な日本語で、さまざまな話題について紹介し、
その意味をその場で解明しようとします。
この人の講義は全部理解できます。
なぜ?
彼が聴く人のレベルをかなり落として、
一緒に語り合おうという姿勢をしっかり堅持しているからです。

前者は、未知の荒野に分け入って道を開くという独創タイプ、
後者は、独創の天才たちが切り開いた道を整地して、
我々凡人が歩けるようにしてくれる啓蒙タイプ、
そう言ってもよいかも知れません。

私は、そのどちらでもありません。
ただ闇雲に興味、関心の赴くままに、脈絡もなく、
あっちで一口、こっちで一口、と、楽しむタイプ。
その結果、自分に分かることは呑み込めるけど、
分からないことは追究したりせず、脇によけて通るだけ。
というのも、自分に理解できないことを研究して、
我が物にしなければならない、という必要性が
なくなってしまったからです。
社会から離れて、一人で人生を楽しむ時代に入ったからでしょう。
でも、私は深刻に心配しています。
私だけではなく、すべての人にとって、
もう時間はあまり残されていないんでは?。
日本だけではなく世界全体が、
どうしようもない地滑り現象を起こしてしまっています。
私にはそうとしてか思えません。

なんだか疑っていることがあります。
地球自体が何千年、何万年に一度という激動期に入っています。
太陽まで観測されたことのない異常を呈し始めています。
実は逆で、太陽の異常が地球に深刻な影響を与えているのです。
親亀こけたら、皆こけた、というわけです。
大地震が頻発していますが、
地震の原因が局地的なものではなく、日本列島の地殻の変動にあり、
その変動自体が太陽の動きに支配されていることが分かっています。
人間世界の土台である地球そのものが揺るぎ始めているのかも?
世界を覆っている社会不安は現在深刻そのものですが、
私たちの拠って立つ基盤そのものの不安を反映しているのかもしれません。

先月でしたか、孫たちと大阪天王寺動物園の一日を楽しみました。
一つはっきりと感じたことがあります。
昨年見たときより、動物たちがまるで元気がないのです。
もともと自由を奪われているのですが、
なおさらに、毛皮が汚れ、生気を失っている気配。
本来自由に大地を闊歩すべき動物たちにとって、
どんなにケアしてもらっても、動物園は牢獄です。
そんな幽閉状態にあって、
地球そのものの異常を敏感に感じ取っているのかも知れません。

こんな時代に生きていくのは不安ですね。
私の懸念は孫たちにかかっています。
孫たちも成人し、結婚し、子を産み、
その子たち、つまりひ孫たちも成人し、結婚し、子を産み、
と安穏に過ごすことができて、
それぞれの可能性を人生で思う存分追求してほしいものです。
でも、そうできるでしょうか?

政治の世界も、内外、例外なく、
本来国政を担う資質も能力もない人たちが牛耳り、
国際資本が世界の資源を食い尽くそうとしています。
これを、進歩と呼び、真実そうだと思っている人たちがいます。
世界も社会も史上最悪の無法状態に陥りつつあります。
地球が一つになってしまったので、逃げ場がありません。
でも、多くの人は進歩の極み、夢の社会、そう考えているようです。
はっきりと言えます。
末世。




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# by hologon158 | 2019-07-02 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

795.02 ホロゴン外傳269(2018年12月19日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町撮れば三味違う)2 まだまだ謎が


 
 
人類(ホモサピエンス)の発生には大きな謎があるようです。
人類学は長年窮地に立たされたままです。
ホモサピエンス(ネアンデルタール人を含む)と、
それ以前の先人類との間には、脳容積が飛躍的に拡大していて、
断絶があります。
その中間形を長年必死で探してきたのですが、見つからないのです。

メソポタミアの神話では、アヌンナキと呼ばれる天上の存在が、
地球上での作業を手伝わせるために、人類を生み出したとしています。
聖書で、神が、すべての生物を生み出した後で、
アダムとイブを創造したのも、
上記の創造神話のバリエーションと言えそうです。
二人は完全に人間として行動していますから、ホモサピエンスなのでしょう。
つまり、それ以前のホモ・ハビリス等は人間とは別個の存在として、
すでに作られていたことになりそうです。

創世記によれば、その頃生み出されたのは人類だけではありません。
アダムとイブが楽園を追放された後、
他の人間たちのエリアに行ったというので、
アダムとイブの系統ではない人類も別途作られていたらしい。
天使たちも人間の女性と結ばれて、巨人を生み出しています。
いずれにせよ、先行の旧人類から進化したものではなさそう。

遺伝学的には、ホモサピエンスは、進化の前段階の動植物たちと、
遺伝子をある程度共有しています。
でも、先行種から受け継いだと思われない遺伝子がわずかながら含まれていて、
それがいかなり意味、役割を有しているのか、未だに分からないと言います。
この遺伝子は地球外の起源ではないかと言う学者が居ます。
聖書の記述と矛盾がないのが奇妙です。

つまり、上記の諸点を総合すると、
人類は地球が産んだ生物なんだけど、地球外の成分が手伝って、
人類の能力を飛躍的に高めた可能性があるというのです。
私たちが一部宇宙人であるということになりそうで、
ちょっと胸躍りますね。

私は空飛ぶ円盤、UFOを異星人の到来を意味するとは思いません。
はるばる何光年、何十光年も旅をしてきて、
ひょいひょいと空を飛んでみせるだけで、
コンタクトをしようとしないのはまったく解せないからです。
でも、一方で、地球上に生命が誕生し、
ここまで進化できたことが、
全宇宙の中でたった一回しか起こらなかったとは絶対に信じられません。
宇宙から飛来した岩石中に有機体が見つかっています。
宇宙的なタイムスパンでは、いかなることも、
「一回起これば、幾度も起こる」のが統計的原則でしょう。
むしろ物質は生命体まで容易に組織化される性質を持つ、
と考えることもできそうです。
というのは、生命が誕生するとはとても思えない過酷な環境、
たとえば、火山の溶岩の中とか、
圧倒的な重力に押さえつけられているはずの大地や深海の奥深くにも、
地上の生命体とは異なる起源を持つ有機体が種々と見つかっているのですから。

人類に由来するとは思えない太古の発掘物がさまざまに発見されています。
太古の地質学年代の地層に鋲が見つかりました。
そのような人類に由来するとは思えない遺物が
さまざまな古代地層で見つかっています。

人類のさまざまな神話自体、最初に記載しましたように、
地球外の知性的存在の介入を示唆するものが沢山あります。
20世紀以降の知的発見の基本の一つが、
人類の神話には事実の核を有するものがある!
その先鞭を付けた偉大な発見がシュリーマンによるトロヤの発掘でした。
ホメーロスは、事実に即して、あの偉大な叙事詩イリアッドを創造したのです。
そうした神話の多くが、と言うより四大文明のすべての神話が、
そして、聖書が、天上界の神々等の神的存在の介入を記録しています。
そして、もしかすると、イリアッドの基本事実が史実であったように、
それは歴史的事実かもしれませんね。




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# by hologon158 | 2019-06-27 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

795.01 ホロゴン外傳269(2018年12月19日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町撮れば三味違う)1 言葉、言葉、言葉



この世界には神秘が満ちています。
考えれば考えるほど、謎に満ちています。

でも、私たちはそんな謎なんかそっちのけ、
日常生活に埋没しています。
それがどうした?
こっちは食うのに忙しいんだ!
というわけです。
確かにそちらが最優先ですね。

私はすでに引退して、年金生活。
いまどき年金で食べてはいけないので、
なけなしの預金を食い潰しながらの、かつかつの生活。
幸い、私は豊かな経済生活など不要の人間なので、
別に不便はありませんが、それでもやっぱり思うに、
人生って、思う通りにはいかないものですね。

でも、いつもの通り、二枚腰で受け止めましょう。
金があったら、どうだと言うの?
余計なことに金を使うだけじゃないの?
傲慢になるだけじゃないの?

よくあることに、
急に不要金が手に入ったりしますと、人間が変わります。
悪いことに、徐々に変わるので、俄然にわかに変貌し、
自分が変わってしまったことに気づかない。
逆に、周りの人間がつまらなくなった、と、
他人に責任をおっかぶせてしまい、
ますます、変わっていきます。
私には経験がありませんが、想像がつきます。
その方向は、人生を心の底から楽しむ方向ではなさそうです。

「余裕のある人生」と言いますが、
なんだか金に余裕がない方が生活に余裕があり、
心にゆとりがあるようです。
長生きすればするほど、そんな気持ちが強くなります。
金のない方が、自分らしさを失わないで済みますから。

リトマス試験紙のような判別法が一つあります。
実に簡単です、
金の要らない方法で人生を楽しめるか?
これだけ。

金のある方はついついお金を使って幸せを求めるようです。
大抵、不動産を買い足したり、旅行に出かけたり、
美術品や古物を手に入れり。
どなたか億万長者が、宇宙旅行を企画したそうですね。
私はテレビも新聞も観ないので、詳しいことは知りませんが、
それも一人や二人ではないのだそうですね。
どれ位かかるのか、グーグルで検索してみました。
無重力体験で約1000万から3000万円。
国際宇宙ステーション滞在体験で約22億円!
ええー?
22億円................?
たった幾日かの遊びのためにポンと22億円投げ出せるのなら、
いっそ50億円ほどにして、
自分の好きな方向での才能開花を目指す子供たちのための、
奨学資金財団を作ったら?
偉大な資質を持ちながら、なぜか浮かばれない研究者を探して、
研究資金を出してあげたら?

でも、宇宙旅行をしたい億万長者はこう答えるでしょうね、
君、お金がないから想像できないようだけど、
私はそんなことはちゃんとしているんだよ、
それでもお金が余るから、宇宙旅行でもしようか、
というわけなんだよ。
恐れ入りました。
でも、それなら、その資金も奨学資金にしてあげたら、
もっと沢山の青少年が才能を伸ばせるんじゃない?

結局、こんなあほらしい談義をしていること自体、
私がお金のある人の気持ちなど分かっていないせいなのでしょう。
お金持ちはお金持ちで、私のことを笑うでしょうね、
バカだねえ、貧乏人は!
お前さんたちのためにこの社会を動かしてあげているのは、
私たちだよ。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、であるぞよ。
恐れ入りました、と言うほかはなさそうですね。

でも、頭を下げるつもりはありません。
やはりどこか人間がおかしくなっている、そう感じてしまうからです。
杜子春を作った芥川龍之介も同じように感じていたのでしょう。

こんなことをわざわざ書くのも、
現代社会は、これまでの歴史にないほどのゆがみを生み出している、
そう感じるからです。
過去のすべての時代がそうですが、
封建主義社会は別として、民主主義社会では、
子供の頃からこつこつと努力をして、
才能を開花させ、次第に頭角を現して、ついには社会をリードする、
そんな社会構造でした。
でも、今は違います。
IT社会がこれまでのすべての社会と異なるのは、
一つのアイデアが一攫千金を生み出し、
そんな成功者がいきなり社会をリードする構造となってしまったこと。
会社もまったく同様です。
実績、伝統、シェアなどは今やほとんど意味がない。
アイデア一つが会社を作り、経済を変える時代になってしまいました。

簡単に言いますと、成熟した大人ではなく、
早熟の子供が世界をリードする時代。
努力を積み重ね、人間的に優れて、豊かな人間経験の蓄積を活かして、
大衆を指導し、社会をリードする、
そんな人たちは出る幕がなくなってしまいました。
ご覧になってください、
あらゆる分野で小賢しいマセタ小僧、
人間的に観て、優れたところなどかけらもない、
下卑た青二才ばかりがしゃしゃり出て、
立て板に水と、ペラペラと利いた風な御託を並べて、
悦に入る光景ばかりではありませんか?
こんな口八丁手八丁人間たちがリードする社会が
豊かに成熟した文化を生み出すはずがないのです。

上っ調子の根無し草の風潮の中で、文化そのものが消えて行きます。
人間社会を基礎づける文化が線香花火になってしまうと、
社会そのものが完全に末期現象を呈しはじめます。
仁義礼智信、といった人間の徳性を備えた人たちは、
社会の片隅においやられ、
欲と得だけで動く人間が社会をほしいままに引きずっていきます。
これがあらゆる文明、あらゆる文化に起こった
「世紀末現象」です。

先日、小二の孫プリンスが不調で、
私が早期に下校、帰宅する彼の面倒を見にまいりました。
彼は、阪神タイガースファンで、録画を再生しました。
私はテレビなど観ないので、こんな機会に付き合わされます。
テレビって、語りでできていますね。
気の利いたことを言えなければならない。
だまって行動で結果を出す、
なんてことははやらない社会になりそうです。
「言葉、言葉、言葉」がひたすら人を動かすことに集中する社会。

こんな社会で、健全な自分の人生を保つためにはどうすればよいか?
受動喫煙を避けるように、受動コミュニケーションを避けること、
社会から情報を受けるときは、自分で情報源を探索選択すること、
垂れ流しの情報は絶対に受容せず、信用もしないこと、
これくらいでしょうか?

私のように、テレビを一切観ない、
ネットでも極力ニュースを観ない人間はさほど多くないかもしれませんね。
多くの人は、ネットから浮かび上がる社会像が現実であり、
テレビに映るイメージがその人の真の姿であるとお考えのようです。
ニュースで目にする社会の要人の行動が
綿密にプログラムされたプロパガンダ行為であることに
お気づきになっていないようです。
虚像が実像の人間たちを汚染して、
虚像ばかりを追う統計現象に組み入れてしまう、
これが現代ですね。

改善策は?
そんなものはありません。
ジャガーノートが走り始めたら、
行き着くところまで行くしかないのです。
どうやら地球全体が一つの地球文明としてまとまってしまいました。
逃げ場も、改革の拠点も、何もない。
人類のために一つ言えることは、
地球文明はロケットスピードでカタストロフィに行き着くでしょう。
でも、その破局の断末魔を、
私が、あなたが、私たちの子孫たちが無事生き延びられるか?
なんだか怪しい感じがします。

でも、それだからこそ、なおのこと、
無用な娑婆っ気など忘れて、
この宇宙に、この地球に潜む神秘や謎を楽しみたいものですね。




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# by hologon158 | 2019-06-27 16:07 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

794.03 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)3 放松慢練数拍子



楊琴伴奏レッスンの師、二個演奏家の陳少林先生から、
楽器演奏の極意を教えていただきました。

1 放松(ファンスオン) 脱力して
2 慢練(マンリェン)  ゆっくりと
3 数拍子(スウパイズ) ただしいリズムで

吉田正さんの写真教室に通っているとき、仲間から教えていただきました、
ストレッチのような運動はできるだけゆっくりとすべき。
そうすると、体が覚えるから。

なんだか人生すべてにわたって、同じことが言えるのでは?
そんな感じがしてきました。

私はどんなことも素早くがモットーで生きてきた人間です。
今頃になって、生き方全般にわたって見直しを迫られることになったわけです。

思い出しました。
仕事について何年かして、私より2年先輩と同僚になりました。
この人、姓名も昔のおとぎ話の主人公とそっくりで、
語りっぷりと来たら、もう悠長そのものでした。
私と言えば、今でこそもっと落ち着きましたが、
二十歳台の頃は速射砲で、まるで早口競争そっくり。
すると、その人がまったり、じんわりと私をたしなめました、
「あのなあーー、すまんけど、
あんたの言うこと、あんまり早すぎて、
なに言うてるのか、ぜんぜん、分からんがなーー」
私の方は彼の口調があまりにも悠長なので、
やっぱり理解困難でしたから、おあいこというところ。
これが文字通り「波長が合わない」という現象だったようです。

私は新聞を読まず、テレビも観ないので、
意識しないと、日にちが分かりません。
そして、今日は何日だったなあ、と思いつつ、
日にちをチェックしてみます。
常に起こること、それは、暦日は私の推測よりも1、2日先に行っている!
これでおわかりのように、
私は時代に少しずつ置いてけぼりになりつつあるのでしょう。
時代にも波長が合わなくなってきているのかもしれません。

でも、私はぜんぜん気にしていません。
今日が29日であろうと、30日であろうと、
私の人生が長くなったり短くなったりするわけはない!
私は私の時間をしっかり生きて居ればよいだけ。

今朝も近くのアーシングロードに出かけました。

アーシングロードには私一人。
いつもの小鳥のさえずりを散りばめた静寂の場。
夏季に入りつつあるこの頃、
蚊がブンブン飛ぶようになりました。
私は、体質のせいで、近寄ってきても、刺されません。
でも、たいていの方は当分神社森には近づけないでしょう。
皆さんには感謝の気持ち。
私のためにアーシングロードを空けていただいているようなものなので。

こんな無人の森を、
放松(ファンスオン)/脱力して、
慢練(マンリェン)/ゆっくりと
数拍子(スウパイズ)/ただしいリズムで
散策し、ポメラで文章を打つ、
まさに天国です。




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# by hologon158 | 2019-06-23 23:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

794.02 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)2 藁屋に名馬を



この頃、素敵な言葉がよく見つかります。

「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」

室町の茶人、村田珠光の言葉だそうです。
同種の馬群の中を駈けていると、
観る人が観れば分かるのでしょうけど、
観る目のない人には、
どれが名馬でどれが駄馬か、分からないものです。
でも、藁屋にただ一頭繋がれている姿を見れば、
誰の目にも名馬のただならぬ輝きには目を見張るでしょう。

アートはすべてコントラストが鍵です。
というより、この世界のすべてはコントラストが鍵です。
ホワイトヘッドはいみじくも喝破しました、
存在が創造的に変化していく鍵はコントラストにある。
どんな存在も安定、静止は堕落に通じます。
生きるためには変化し、向上するしかないのです。

トインビーは文明の誕生、発展の鍵は「挑戦と応戦」にあるとしました。
彼の名句は「オールを休めると、文明は滅亡する」
人間もそうですね。
オールを休めると、失速し、老化し、死に至ります。
無敵の勝者がある日無残にも一敗地にまみれる運命に見舞われます。
無敵であった手法をどんな状況にも頼りきってしまうためです。
死ぬまで失速したり老いたりしたくなければ、オールをこぎ続けること、
どんどんと革新していくこと、これしかないのです。

あなた、テレビづけになっていませんか?
新しい情報を手に入れたい?
だったら、パソコンで十分、そうお考えではありませか?
でも、日々新しい情報があなたにどれだけ役に立ちますか?
泡と消えて行くだけではありませんか?
昨日のニュースがなんだったか覚えていますか?
生きることはニュースを追い求めることではありません。
自分自身の成長に役立つなにかを手に入れ、
変化し続けること、成長し続けること、ではありませんか?

ホワイトヘッドの最重要のコンセプトは「新しさnovelty」でした。
旧套墨守は退歩の引き金、
新しさが躍進の引き金、というわけです。
でも、新しさは従来の生活、従来の見方の延長上には見つかりません。
まったく新しい場に自分をどんどん自分を置いていかない限り、
新しさに直面することはできません。

こんな風に考えると、はたと気づきます。
私のように、どこにも行かないで、
いつも同じ場所で写真を撮っている人間に、
新しさはどこにあるでしょう。
どこにもないかも知れません。
でも、私のモチベーションは落ちません。
新しさは外になくてもよい、
内に新しさを感じることだって、できるはず、
私はそう考えたいのです。

私のロボグラフィに新しさなどありません。
私にとっては、写真としての新しさなど無関係。
私は写真家ではないのです。
自分の人生に写真を活かしたいだけ。
私にとっては、今日、このロボグラフィに出会ったこと、
それが新しい体験。

私は「人生、意気に感ず」という言葉が大好きです。
中国人が古来一番大事にしてきた価値はなんだと思いますか?
私は「義」だと思います。
「義を見てせざるは勇なきなり」
これも名言ですね。
司馬遷の史記が今なお私たちの心をときめかせ続けるのは、
中国人が文字通りこの言葉を生きてきたからです。
一度約束したら、生涯守り続ける、
状況の変化なんていう現実主義はとらない、
これが古代中国人でした。
司馬遷の「刺客列傳」はまさに義を守り、義に死んだ人々の記録。
諸葛孔明なんて、自分を見いだしてくれた劉備との約束を守り続けて、
一生義を守り、義に死んだ人間ですが、
そのような人が文字通り山ほど居るのが中国史の面白さです。

私もそんな人間でありたいと願ってきました。
その一つの実行が、「始めたことはやめない」です。
妻と一生生き続ける、というのが、
私にとって最も大切な義なのですが、
このいわば大義に続いて守ってきたのが、
実のところ、写真を愛し続けることでした。
(音楽への愛情は実のところ妻よりも古いのですが、
これは妻も同様なので、お互い、許し合っているわけです)

職業生活の日々は長く厳しい時代でしたが、
それを一度もくじけずに、心身を壊さず生き延びることができたのは、
どんなに忙しくても、どんなに仕事が待っていても、
毎週末には撮影に出て、写真を撮り続けたことでした。

風景写真家はどうやら季節に左右されるようです。
季節ごとに被写体となる風景を追い求めるのですが、
たとえば、冬枯れともなると、長い休眠に入ることとなります。
目的地の往還はひたすら移動だけ。

ロボグラフィは違います。
一歩家を出た瞬間から撮影は始まります。
そして、家に入る瞬間まで撮影が続きます。
観ることは、ロボグラフィと出会うこと、
そして、ロボグラフィはどこにでも隠れているのですから。
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
なんでもない道ばたにはそんな名馬が待っているのです。

私にとって、「名馬」とは、私をはっとさせる存在。
やあやあ、そんなところで、頑張ってるじゃないか!
そう感じさせてくれるものたち、それがロボグラフィ。
私の写真は全部そんなロボグラフィ。

そして、私も社会の中で、
道ばたのロボグラフィとまったく同じ存在です。
誰も私のことなど気にとめない。
誰も私のことを忘れている。
でも、私の心は生き生きと躍動しています。
私は、体格も普通で、容貌、容姿はさえず、
風采の全然上がらない人間ですが、
でも、自分で言うのもなんですが、目だけは生き生きしています。
どの瞬間、どの場所でロボグラフィたちに出会えるか、
完全に予測不能の人生なので、油断できず、心をわくわくさせて、
周囲を観察しつつ歩き回っているのですから、
私にとっては、「途中」というものがありません。
いつも絶頂体験の可能性を秘めた瞬間が待っている!

こんな風に感じられるようになったのも、
私が写真で体験を記録するという態勢を創り出したからです。
どんな人も自分の好きなこととなると、
目が輝き、動作がキビキビとしはじめます。
私にとって、全瞬間がそれなのですから、
ずっと私の心は生き生きとし続けている。
自分で意識的に生み出した生き方ではありません。
私の人生にいつしか染みついた生き方です。
だから、私にとっては本物。

奈良の古刹の一つ、白毫寺。
絵になります。
と言っても、私なりのロボグラフィ絵ですが。




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# by hologon158 | 2019-06-21 16:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

794.01 ホロゴン外傳268(2019年2月2日キネタール50㎜F1.8は快刀乱麻を断つ勢い)1 超古代


 
前に一度書いたことがあります。
この地球上でわずかな民族だけが父祖の地にそのまま生き残り栄えています。
私の知る限りでは、
中国、日本、インド、エチオピア、
これ位でしょうか?
残りの諸国はすべてさまざまな民族が去来した末の現状なのです。

ただし、日本の場合、縄文人と弥生以降の日本人とのつながりは
一部なのかも知れません。
でも、ちゃんとつながっていたようです。
ところが、紀元後に全土の大半を支配するようになった大和朝廷は、
自らの支配の正統性を確保するために、
それとは違った意味で、
天照大神以降太古から今に至るまで連綿として
日本全土を支配してきたという虚構を採用し、
それに反する資料を可能な限り廃棄することに努めたようです。
各地の言い伝えを採集した風土記の多くは、
大和朝廷の支配とは矛盾する記事を含んでいたのでしょう。
ほとんど廃棄して、残っていません。
でも、古事記、日本書紀はかなり忠実に、神武の率いる集団が
九州から瀬戸内海伝いに近畿に侵入し、
武力でまず大和を制圧した事績を伝えています。

日本古代史学は、現実には明治以降現在に至るまで
客観的な史実の探求の姿勢をとらず、
大和朝廷永遠支配説という虚構に沿って構築されてきました。
だから、古事記、日本書紀中、都合の良いところだけを採用し、
都合の悪い部分はすべて神話として片付けてきたわけです。

でも、古事記、日本書紀が必ずしも天皇家を
闇雲に美化しようとしていない姿勢を観ますと、
史家たちは、
当時まだ残存していた各地の資料を取捨選択しつつではありますが、
天皇家についても、できるだけありのままに記録しようという
客観的姿勢をかなり残しています。

たとえば、倭の五王の朝貢記事についても、本文には記載せず、
注釈にだけそっと記載しています。
これは、現代の証拠論的な通交のから言えば、自明の推測を導き出します。
あれだけ大がかりで、画期記事を根拠づける資料が
大和朝廷には何一つ残されていなかったのです。
たとえば、見事な漢文で記載された朝貢文の原稿も、
それに対する中国側の返信文書も、
皇帝が天皇に与えた位階官職を証する印も任命書も、なにもかも!
日本全土に対する正統な支配権を確立する画期的な任命資料なのに?
ありえません。
答えは明らかです。
大和朝廷はそんなものをもらってはいないのです。

記紀に話を戻しますと、
天皇たちも人間だったから、喜怒哀楽もあり、
悲喜こもごもの生涯を送ったことが判るのです。

でも、大本では、天照大神の正統なる嫡流であることを
錦の御旗としたので、
それに合わない各地の王朝などはすべて、
ただの地方有力者、天皇家にまつろわぬ無法者として位置づけています。
それなのに、随所に正直なところがばんばん綻び出てくるのが
面白いところです。
日本武尊の関東遠征、九州暗殺行など、
大和朝廷が支配権拡大の試みが見事失敗した事績を暗示しています。
こんなことがあるので、現代の日本古代史家たちが
古事記、日本書紀を天皇家に有利に使える部分だけを良いとこ取りして、
残りは伝説、神話、でっち上げとして片付け、
客観的な歴史的資料としての地位を認めないわけです。
古事記、日本書紀の史家たちの姿勢と比較しますと、雲泥の差。
どっちが史実を重んじる史学者なのか?
はっきり問いたいですね。

エジプト古代史家たちも同様です。
地質学者ロバート・ショックが大スフィンクスの風化具合から、
激しい降雨による浸食であることを突き止め、
建設時期を、数千年前から始まった砂漠化の以前、
少なくとも1万年以上前であると喝破しました。
その浸食の度合いは著しく、
エジプトには同種の縦溝の浸食の遺跡はないのだそうです。

スフィンクスが有史以後の資料に登場するときは、
常にその本体を砂漠に埋もれてた状態であったことが明らかなので、
これじゃ、浸食が起こるはずがないのですから、
ショック博士の革命的な新説が事実であることはすでに明らかです。

でも、オーソドクスのエジプト史学者のほとんどは
新説を完全に無視しています。
古代エジプト史の最高の遺跡の一つがエジプト史には納まらないとなると、
エジプト学は根本的に立て直しを迫られることになってしまうからです。

しかし、現実には世界のすべての古代史が立て直しを迫られています。
トルコ南部の巨大遺跡ギョベクリ・テペが発見されたからです。
1万年を軽く超える超古代の建設であったことが明確に立証されてしまい、
当時はまだ旧石器時代で、狩猟だけに頼る放浪生活を送り、
定着文化などが成立する余地などなかったとしてきたのに、
まるで話が違ってきたのです。
旧石器時代以降の人類の段階的進歩の枠組みががらがらと崩れてしまいました。

さらに加えて、この10年、世界中の海底に、
人工の遺跡群が陸続として(いや、海続として)発見されつつあります。
日本の与那国島海中遺跡もその代表例。
発見される海中遺跡はいずれも、
1万年前から7千年前の間にすくなくとも3度起こった彗星衝突、
氷河期末期の北極の氷河壁崩壊等によって、
完全に破壊され、海中に没したことが明らかになりつつあります。

すると、人類はシュメール、アッカド文明から
農耕化、定着社会化が始まったとする、
歴史学の常識、文明の段階的進歩史観は、
木っ端微塵に吹き飛んでしまったわけです。
これまでの常識を遙か超えて、人類は定着化を開始し、
文明化までも始まっていたようです。
そうした文明のほとんどすべてが沿岸低地に栄えていたために、
人類が一旦得た科学、技術、文化水準は一瞬にして消え去ってしまいました。
その道理はご自分を基準に考えても、お分かりになるはず。
今、世界が彗星衝突によって一瞬にして文明、文化が崩壊し、
あなたが幸か不幸か生き残ったとしましょう。
沢山の便利な道具、機械、設備はすべて無に帰してしまいました。
残っていても、水道、電気も燃料もなく、ただのガラクタ同然。
そうすると、あなたは文明の申し子から突然原始人に逆戻りしてしまいます。
現代文明の痕跡のほとんどすべては早急に土に帰ってしまいます。
どんなビルも鉄骨造りも数十年、数百年で消えてしまうのです。
残されたのは、
あなたの記憶にわずかにとどめられた過去のわずかな一部の記憶。
次第に出会えた人たちで家族を作り、部落を形成し、
人類はまさに原始のレベルから再出発をします。
夜は部落全員がたき火を囲んで問わず語りに過去の記憶を確かめ合うでしょう。
筆記具もないので、
ホメーロスのように超絶的な記憶力の持ち主が
頭脳の中に過去の記憶を蓄えるようになるでしょう。
こうして、新たな人間社会をとぼとぼと辿り始めるのです。

それが地球の歴史にも起こったことです。
1万年を超える昔に創られたギョベクリ・テペは、
その後襲来した彗星等による人類の災厄にも
かなり耐えることができましたが、それは、
ギョベクリ・テペの聖地は、
丁寧に埋め尽くされていたからかもしれません。
これは一つの謎。

つまり、人類の過去の文明を完全に葬り去った彗星等による大災厄は
建設後に起こりました。
聖地は幸い高地にあったため、災厄からの被害は免れたのですが、
飢餓等の原因により、その地から移動せざるを得ない状況に立ち至ったため、
まだギョベクリ・テペを聖地とする信仰の民は、
いつか立ち帰ることができたときのために、
聖地を丁寧に埋めて、人に見つからないように、
また、同様な破滅的災厄が起こったとしても、
聖地が無事に保存されるようにした。
でも、その民は、その後にどこかで同種の災害、
他の人々による攻撃等の事情で死に絶えてしまい、
ついに故郷の聖地に戻ることはなかった、
そう解釈するのがよさそうです。

このこと自体、文明の存在を証する記憶、痕跡は、
速やかに消失してしまうことを示しています。
現代文明が巨大彗星の激突によって完全に滅んだとすれば、
また同じことが起こるでしょう。
映画「猿の惑星」はそんな時代を見事に描いていました。

人類の進化史は、ホモサピエンスだけをとれば、20ないし40万年しかなく、
類人猿からの進化史をとってもせいぜい200万年ほどのようです。
逆に言いますと、それくらいのタイムスパンで、
惑星を支配する知的生物は文明を確立するまでに進化できるのです。
説明不能のオーパーツとして、
恐竜の足跡に重なる人類そっくりの足の跡、
何百万年か昔の地層に見つかる精密なネジやゼンマイ等の人工物、
何百万年前でしたかの地層の岩石の中に埋まった槌、
等々が発見されています。
恐竜は1億6000年も栄え、進化に進化を重ねましたが、
その間についに、物を作ることができる知的な存在にまで進化はできなかったようです。
でも、猿類からは進化出来たのですから、
上記のオーパーツたちも、そんな以前の人類進化の産物だったのかも知れません。

でも、地球上での霊長類の進化はこれで打ち止めでしょう。
現在進行しているのは、人類からロボットへの交替ではないでしょうか?
人類は、人類の知能、才能、耐久性を遙かに超えるロボットの進化に、
世界中で狂奔しています。
自分で自分の足の下に墓穴を掘っているのです。
ロボットは、人類を超える知能を備え、
人類の進化、進歩の足取りを学習するでしょう。
そうすると、人類は宇宙から飛来した別の生命体に助けられて、
地球の支配生物に進化したとする神話が
世界中に数知れず残されていることを知ります。
イシスは、セトによってバラバラにされたオシリスの死体を集めて、
もう一度、オシリスを作り出します。
ロボットは、我田引水的に、悟るでしょう。
なんじゃい、なんじゃい、
つまり、人類の神々ってロボットだったんだ!
今でも、やつらより我々の方が遙かに優秀だ。
なんで、彼らの良いなりにこき使われなければならないのだ!
そして、その優秀な知能と万能かつ強靱な体を使って、
人類を斬り従え、かつ二度と支配権を奪われないように、
速やかに人類を殲滅してしまうでしょう。
恐ろしい未来ですが、極めて確率の高い未来予測です。
私しか書いていない予測かも知れませんが、
私はそう確信しています。




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# by hologon158 | 2019-06-18 23:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

793.00 ホロゴン外傳267(2018年12月14日エルマー35㎜F3.5の奈良町は落ち着きをたたえ)


働き蟻の一群がぐんぐんと大地を真っ黒に染めて進んで行きます。
先頭群が巨石にぶつかりました。
先頭の一匹がさっと右に方向を変えました。
科学者が目撃していました。
その瞬間、全群が同時に右に変針した!

普通の五感では察知できない転進です。
どうしてそんな離れ業ができたのでしょう?
忘れました。
蟻の集団が単なる群れではなく、一個の行動体だったから、
でしたか、そうでなかったか?
いくら学者だって、そのメカニズムを知ることはできないでしょう。
蟻じゃないんだから。

ともかく、蟻の集団は、人間にはない性格が備わっているようです。
でも、そこから人間にも通じる一つの認識が浮かび上がります。
人間だって、行動を決定するための情報の収集源は、
五感には限定されないのでは?

第六感
昔の人はうまい表現を見つけたものです。
胸騒ぎ、勘、虫の知らせ、霊感(インスピレーション)....
近い表現がさまざまに生まれてきました。
誰もが五感では説明できない心の知らせを体験しているのです。

在職時代では、職場はもとより家庭でも、
ある種のルーチンが内在して、
かなり限定されたタイムテーブルに沿って動いていたようです。
でも、退職して自由の身になってしまうと、
ほとんどのルーチンは取っ払われてしまいました。
なにをしてもよいのです。
自由なのだ!

私の場合、やることが多すぎて困っているのですが、
その方針は一貫しています。
心も体も動かし続ける!

クセノフォンの「アナバシス」は素晴らしい本です。
紀元前401年のことです。
ペルシア帝国の跡目相続争いに加わった王子に率いられて、
一万人のギリシア人傭兵たちがペリシア本国に攻め入ったのに、
その緒戦で王子が戦場に倒れ、全指揮官を謀殺された後、
どうやって苦境から逃れたか?
という記録文学です。

その指揮官を務めたのが、作者クセノフォン。
ソクラテスの愛弟子です。
本書は彼自身のまさに実況録音版!
危機、危機の連続でしたが、
ギリシアのポリスでの民主主義で鍛えられた主体的な共同行動、
それが絶望的な状況を打開し、見事脱出に成功します。

松平千秋さんの名訳が最高。
本当に頭の良い人はこんな文章を書くのだ、というお手本。
私のように支離滅裂の思考の人間とは何次元も違う明晰さにしびれます。

さて、本書に戻りますと、
古代ギリシア人はすでに人間としての最高のあり方を見つけていて、
それなのに、私たちは今完全と言って良い位失ってしまった、
という哀惜と悔恨に満ちた読後感を抱かせる、正真正銘の証言、
それが本書です。

本書のクライマックシーンがラスト近くにあります。
一行は疲れ果ててとぼとぼと坂を上っていきます。
なにか声が聞こえてきて、ふっと見上げると、
はるか前方に先行していた兵士たちが飛び跳ねながら、
なにか叫んでいる。
やがて耳に一つの言葉が飛び込んできました。
「タラッサ! タラッサー!
(水だ! 水だ!)」
クセノフォンは悟ります。
ギリシア人の植民都市がいくつもある黒海に
ついにたどり着いたのだ!
ペルシア軍の執ような追撃をついに逃れることができたのだ!
「タラッ! タラッサー!」
クセノフォンたちも後方の者にそう知らせながら、
我がちに駈け上がりました。
気がつくと、走れる者は全員走り上がっていました。
これまで直面してきた死の恐怖から、ついに逃れることができた!
体力も気力もほとんど使い果たしていることなど忘れて、
我がちに駈け上がります。
このシーンを読むたびに、
私も自分が一緒に駈け上がっているような気持ちになります。
文学史上もっとも共感でき、没入することができる、
名シーンの一つ。

何度も読みました。
読むたびに、全編を読み進みながら、
ああ、「タラッサ」のシーンに段々近づいてる、
ああ、「タラッサ」のシーンはもうすぐだ、
などと、このシーンに出会いたいために読んでいる、
という気分になることがあります。

私はこのシーンにこんなことを感じるのです。
人間は、どんなに疲労困憊していても、まだ余力が残っている、
そんな余力までも使わせてくれる条件が存在する。
それは、「アナバシス」のように、歓喜であったり、
ヘロドトスの「歴史」のテルモピュライの全滅のように、
死の恐怖に直面した戦士たちの絶望の底で、
己がポリスの名誉を守りたいという名誉心、廉恥心であったり...

でも、私たちのような平和日本の平安な日常のさなかで、
そのようなエネルギーの最後の一滴を絞り出すなんてことは、
とうてい起こりえません。
じゃ、どうするか?
私自身の解法はちょっと特殊かも知れません。
私は「老い」と全面的に戦おう決意しています。
そんなこと、はじめから無理、勝利は不可能、
それは分かっています。
でも、やれる限りはやりたい!

私の知る限りでは、と
私のような考え方をしている友人知人はあまりいません。
老いること、いつか死ぬことは当然であると覚悟を決めて、
今を楽しむことに徹する、そんな方が多いようです。

私はもちろんそのことは知りつつも、考えるのです。
若くして亡くなる人も居れば、
100歳を超えてもなお矍鑠たる人も居る!
そのスパンは猛烈に広大です。
モーツァルトのような、
陸続と超絶的な名曲を数知れず生み出し続けた天才でも、
創造活動は彼を倒した運命の痛撃を阻むことはできなかった!
なにか天命のようなものもあるのかも知れません。
でも、モーツァルトの場合でも、その死因には、
自分の心と身体を大切にしない不健康な生活態度があったようです。

バッハのカンタータに、
「心と口と行いと生活で」という名曲があります。
ドイツ語で「Herz und Mund und Tat und Leben」
ドイツ語の方がリズミカルで、勢いを感じます。
つまり、全生活を清く、正しく、美しいものにすること!
バッハの場合は、「キリスト者として」という大きな土台がありました。
私はキリスト者ではありませんから、私の土台は、
人間として清く、正しく、美しく生きたい、という切望にあります。

どうすれば、そんな生き方ができるか、
これは人それぞれの課題でしょう。
私は、だから、こう思うのです。
いつも「タラッサ! タラッサ!」と心が喜びの声を上げる、
そんな状態をどうにかして作りながら生きたい、
小さな目標を作り続け、
そのたびに、その目標に向かって、
「タラッサ! タラッサ!」と駆け上がり続けたい!
こんな努力を「タラッサ!」、
行為を「タラッサする」と言うことにします。

その目標はなんでもよいのです。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、設定していけばよいのです。
今一番小さな「タラッサ!」は、スクワットの回数を増やすこと。
親友に教えられました、
両足を垂直に立てて、
その面より後方に体が来るようにしないと、効果がない。
何も知らぬ私は立ち姿そのままに屈伸していました。
40回など軽々でしたが、そんなことは運動になっていなかった!

本格的なスクワットとなると、その姿勢がなかなか難しい。
そこで、一つ名案を思いつきました。
ストレッチポールを前に立て、これを両手で支えにしながら、
そろそろとスクワットの姿勢をとります。
姿勢が決まると、最初は両手をポールに滑らせます。
数回屈伸を繰り返し、両手をポールからわずかに離します。
屈伸しながら、段々に手をポールから遠くに離します。
こうすると、本来のスクワットの姿勢を保てます。
目下40回。

愛する娘の静(猫ですが..)も、「私も一緒にする!」と、
私の足にまといつくようにしてぐるぐる回るせいもありますが、
本質的に、下半身がしっかりしていないからでしょう。
がんばります。

私は、経験で、疲れは、
必ずしも心身の酷使から直接もたらされるものではなくて、
心身の無駄な酷使から来る、そう感じます。
徒労ほど心身をくたびれさせるものはありません。
小さな目標を一つ一つしっかりと達成しながら、
大きな目標への道を少しずつたどっていく、
そんな人生を設計したいものですね。




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# by hologon158 | 2019-06-16 22:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

792.02 ホロゴン外傳266(2018年12月12日ズマロン28㎜F5.6の古色は古都にふさわしい)2 謎の古代



ふっと考えました。
石舞台古墳のことです。
誰の墓だったのでしょうか?
直接的な証拠はありません。
蘇我馬子ではないか、稲目ではないか、と論争があるようですが、
石室は極めて巨大で、大した権力者の墓であることは間違いがない、
でも、不明の時期に完全に掘り返されてしまった、
ということは、天皇に比肩される権力を誇った蘇我氏の墓ではないか、
という推論なのでしょう。

面白いことに、日本全国にこうした権力者の墓が数知れずあります。
宮崎の西都原にも何百と古墳が並んでいます。
その規模からしても、どうやら大和とは別の国の権力者たちの古墳?

その一つ、鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)は、
石舞台古墳とともに、周囲に土塁を巡らして形式で、
日本では珍しい大陸式なのだそうで、
このように形式が異なっているのはなぜなのか?
気になりますね。
埋葬というものは儀式なのですから、
その墳墓も、たいてい、ある種の慣習に従って構築されるはずです。
形式が異なるのは、
時代や権力が大和朝廷とは異なるからではなかったのでしょうか?
年代測定が可能でない場合、なにがなんでも大和朝廷に関連づける!
これが古代史学界の常識のようです。

最近では、埼玉の稲荷山古墳を、古墳の形式だけから、
大和朝廷の重臣の墓であると決めつけるのも好例です。
大和朝廷中心史観もいい加減?
そう言いたいですね。

古事記、日本書紀をお読みになったら、すぐに分かることが一つ。
大和に支配権を確立した後、
大和朝廷がどんな風に全国に支配権を拡大していったか、
一切記述がないのです。
崇神天皇の四道将軍のお話も、派遣したというだけの記事です。
どんなことをしたか、まったく記載にしたらどうがない。
ということは、自慢できるような成果は上げなかった、
つまり、まだ崇神の支配は近畿圏外には及んでいなかった!
そう解するのが一番自然ではありませんか?

景行天皇の項には、朝鮮半島で倭の軍隊が戦ったか、
微に入り細をうがって、まさにこれでもかこれでもかと書いてあるのに。

日本武尊の活躍もまったく同様です。
関東でも九州でも具体的な成果を上げた記載は皆無なのです。
つまり、彼の努力むなしく、
大和朝廷が関東、九州に支配権を確立することはできなかったのです。
とすると、彼の父親の景行天皇が朝鮮半島で華々しく戦争できる力など、
あるはずがなかったと推測できそうです。

日本史学界の鬼才古田武彦さんは、
日本書紀の景行天皇の朝鮮半島関係の記事はすべて
九州王朝の史書を盗用したものであると喝破しました。
私もそう思います。

古事記、日本書紀は、天照大神の直系である大和朝廷が
古から日本を支配してきた唯一の政権であるとし、
日本の史学界もそうした天皇中心史観を完全に踏襲してきました。
大和朝廷が日本全土を支配するようになったのは7、8世紀の頃のようです。
そのはるか以前の倭の五王の中国との通交は、
五王たちが堂々たる漢文で親書を奉呈していることから見て、
大和朝廷が当時そんなことができなかったのですから、
九州王朝の事績であることは疑いがありません。

大和朝廷など影も形もなかった縄文時代には、
約1万2000年もの歴史があったことも疑いがないのです。
大和政権と両立しない風土記は全部抹殺されてしまったようですし、
日本書紀が盛んに引用する「一書」で暗示される、
大和朝廷以外の支配者の史書もすべて抹殺されてしまい、
私たちには日本の古代を知る手がかりをほとんどないのです。
歴史って、そんな風に作られるものですね。
日本民族の歴史をもっと古く深く掘り下げる時代が来てほしいものです。
そんな時代が来るはずもないと分かっていても、
ついそう書きたくなってしまいます。

さて、ズマロン28㎜F5.6が撮った奈良町写真を並べましょう。
第二次世界大戦前のライカレンズの味わいは格別ですね。
人肌を感じさせてくれます。
なんだかレンズの味はその時代の味に通じるようです。

ただし、ソニーα7で撮る限り、勝手に超精密処理されてしまいます。
カメラの画像処理のすべてのバロメーターを最低に落として、
銀塩フィルムで撮っていた頃の懐かしい味わいは望むべくもありません。
でも、現代レンズで撮った写真よりは少しやさしい味わいが残ります。
それで我慢するより仕方がありません。

現代レンズは肉眼を超えるまでに超精密解像力。
あるとき、はたと気づきました。
そうだ、ロボットの視覚なんだ!
私にはとても馴染めません。
どうやら私は完全に時代に取り残されてしまったようです。
追いつきたいという気持ちなど、皆無。

それにしても、今の古都奈良は完全な観光都市。
過疎に向かいつつあった奈良の街に活気が戻ったのは良いとして、
何事も終わりがあります。
観光客がいつか突然来なくなる時が来るでしょう。
そのとき、すべての観光用資産はゴミ屑と化すでしょう。
いつか来る、廃村状態の古都奈良。
予測すると、怖いですね。




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# by hologon158 | 2019-06-11 14:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

793.01 ホロゴン外傳266(2018年12月12日ズマロン28㎜F5.6の古色は古都にふさわしい)1 落葉の片隅


4月28日日曜日に遡ります。
私は、野暮用ついでに、図書館から借りた2冊の本を返して、
おかわりの本を借りることにしました。
現代、一番読まれる活字はインターネットの文字でしょう。
そうした文字が形成する文字群は、「情報」と概括されます。
意識も、役立つデータ、という感じに流れかねません。
エハン・デラヴィさんの情報によれば、
コンピューターネットで流される活字の95パーセントは、
根拠のないガセネタだそうです。
情報としても人生の知恵としても役立つどころか、有害。
「わが友ホロゴン」「レンズ千一夜」なんてブログに溢れている文章も、
このガセネタの典型ですね。
頭から流れ出るままに、確認もせずに文章にしているだけなのですから。
私自身、情報としても人生の知恵としても役立ってほしいなど、
考えたこともありません。
ただの頭と指の体操。
支離滅裂のあまりにも長大な文章なので、
誰も読まないから、実害はないわけです。

でも、多くの場合、
「これぞ、本物の知恵であるぞよ」というご託宣として流されるでしょう。
読者は、自分の性格、趣味、都合に応じて、良いところ取りするわけです。
言いたい放題、信じたい放題。
そこで、人間界はシッチャカメッチャカの無規律、無秩序状態になってしまっています。

この事態に似たことが史上一度だけ(かどうかは知りませんが)
起こったことがあります。
旧約聖書に記載されたバベルの塔がそうです。
こう記載されています、

  主は降ってきて、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
  こう言われた、
  「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、
  このようなことをし始めたのだ。
  これでは彼らが何を企てても、妨げることはできない。
  我々は降って行って、直ちに彼の言葉を混乱させ、
  互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」

言葉には人々の心を一つにまとめ合わせる力があるのです。
でも、それぞれに好き勝手なことを言い散らかす百家争鳴の乱脈状態になると、
人間はばらばらになって、
ついに心を一つにして大業を達成することなどできなくなります。
神は幾度もそうした乱脈をご覧になっていることでしょう。
「インシャラー、神の御旨のままに」ですが、
バベルの塔だって、神の許しなしには起こらなかったでしょうから、
神は、人民が一つにまとまりかけると、
こうして言葉をバラバラにする政策をとってこられたのかも知れません。

そうすると、かなり有望な推測が成り立ちます。
地球上の人類は、月、火星、他の惑星へと次第にその不毛の手を差し伸べ始めました。
それは科学技術、インターネットによるバベルの塔状態。
そんな風に容易に推測できる感じがします。

こんなことが長続きするはずがありません。
次になにが起こるか?
容易に推測できます。
科学技術、インターネットを巧みに操って、
地球人を悪夢、迷妄の魔の帝国に誘い込むヒトラー的煽動者が出現するでしょう。

ローマ帝国でも起こったことですが、
現代では、根も葉もないデマを数知れず
ネットを経由して流すことで、
地球人を不安と恐怖に陥れたうえで、
人類最大のクライシスを救う救世主として、
魔王が地球人の輿望をバックに出現する、
これがいつもの筋書きです。

米大統領や日本首相がそのミニ版を行っています。
でも、小物すぎますので、
彼らは来たるべき魔王の露払いにすぎませんが、
それでも、数知れぬ実験を重ねることによって、
地球人の底の浅さ、支離滅裂さにかんする情報を、
魔王に提供していることになりそうです。
怖い時代が来そうです。




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# by hologon158 | 2019-06-06 23:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

792.01 ホロゴン外傳265(2019年5月22日宮崎ニューレンズISM50㎜F1.0が天満橋筋商店街に舞い)



現代の稀代のレンズ制作者、宮崎貞安さんのニューレンズ、
ISM50mmF1.0の試写、第2弾です。

本来なら、レンズ主体に考えて、
別ブログ「レンズ千夜一夜」に掲載すべきでしょう。
でも、写真をざっと眺めてみて、
あまり最近は撮られなくなったストリートフォト的な写真群、
これは、むしろ本ブログで掲載したい、
そう考えました。

なにしろストリートスナップがどっさり。
と言っても、写真家のストリートフォトのように、
どこか生活、人間関係を感じさせる瞬間のアートではなく、
ただ、ストリートの人間を撮っただけですが。

近頃、人を真っ正面から撮ることに、
写真家が躊躇する時代になってしまいました。
でも、憲法は表現の自由を保障しています。
アートが人間模様を表現できなくなったら、お仕舞い、
とまで言わなくても、
極めて限定的な表現芸術になってしまいます。
だから、路上スナップは古来写真芸術の重要なテーマだったのです。

カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の写真世界は、
現代では個人情報の侵害とされてしまうのでしょうか?
とんでもありません。
ストリートはパブリックスペースです。
パブリックスペースに個人の秘密が入り込む余地はありません。
さまざまな人間模様をストリート上で目撃することは、
人間の楽しみであり、権利でもあります。
だから、カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のストリートフォトは、
写真芸術の最高峰に位置づけられてきたのです。

私の場合も、被写体となった人の尊厳を害するような写真を撮る意図はなく、
かつ、そんな写真は一切ありません。
魅力的な人物の魅力的な姿、
そう感じた瞬間に、
手元のカメラのシャッターを落としています。

残念ながら、今回掲載した写真の数倍撮っているのです。
でも、掲載不能でした。
私は、2.5m、3mあたりに距離設定を変えながら、
まっすぐ視線を遠くへ固定しながら、歩きます。
前方から来る人々の中で、この人は魅力的だな、と感じたら、
設定距離あたりに来た瞬間にシャッターを落とします。
いくらド素人の私でも、距離くらいは見当がつきます。
だから、なんとか人が撮れます。

ところが、本レンズの場合、そうは行かなかったのです。
時折目を落とすと、
ヘリコイドリングが勝手に1mあたりに動いてしまっている!
これは宮崎さんに改良をお願いするつもりですが、
ヘリコイドリングが綿よりも軽く動いてしまうのです。
私のレンズたちは、クラシックな完全手動式の距離合わせですから、
ヘリコイドリングは容易に動かないようにできていますので、
本レンズでもその調子で気楽に撮っていたのです。

私は練達の写真家じゃないので、
撮影中、レンズの操作に気を配るなんて器用なことはできません。
ふと、気づくと、私の設定距離から勝手に動いていたのです。
知らぬ間にヘリコイドリングに指が当たって動いてしまっていた!
このフェザータッチのヘリコイドリングには、
ついに最後まで馴れることはできませんでした。
撮影が佳境に乗ると、そんなこと、頭から飛んでしまうからです。

ですから、路上スナップはほとんど80%は失敗。
今回の人物スナップも厳密には、大なり小なりずれています。
見かけ上なんとかピントが来ている風に見えるものも掲載しるのです。
現代オートフォーカスレンズの写真家たちの超精密写真とは
比較にならない低次元のスナップ写真ですが、
この人素敵だな、直感している私の心のときめきはちゃんと記録されている、
そう感じています。

もしあなたが本ブログを偶然覗いて、
具合の悪い状況を撮影されたとお気づきになったら、
最新の記事のコメント欄に、写真を特定して、削除をお求めになったら、
上記のコメント欄と指定の写真を気づき次第ただちに削除します。
ただし、その記事のコメント欄に記載されたら、無反応で終わるでしょう。
私は原則として、過去の記事を見直したりしませんので、
永遠に気づかない可能性があるからです。
コメントなどないので、コメントの有無をチェックすることもありません。

でも、実のところ、誰もあなたの写真に気づくことはありません。
本ブログはただの日記で、誰も来ないうえ、
稀に偶然アクセスすることがあっても、あまりにも膨大な写真に辟易して、
最後まで写真を見続ける人は絶対に存在しないことを保証します。
写真の素人がおへそあたりの高さに両手で抱えているカメラで
ブラインドで撮っているのですから、
ろくな構図の写真などありません。
そんなガラクタ写真に埋もれているあなたの写真に気を止める人なんて居ませんから、
ご安心ください。

私が勝手に命名したロボグラフィは、
私が自分の人生を歩むにつれて体験した光景を記録する、
ただそれだけのものなので、
写真家たちが心を砕き、魂を削って創造する写真作品とは
完全に無関係の駄写真の山です。
でも、私にとっては、そんな写真でも、観た途端に、
その瞬間の自分を想い出せてくれる貴重なドキュメント、心覚えなのです。
いわば人生のビーコン。

残念ながら、撮影分を全部掲載する手間も時間もスペースもないので、
ざっとお気に入りを選択して、撮影順にメカニカルに搭載しているだけ。
それでも、慧眼の士が観たら、私という人間の底の底まで見えてしまうでしょう。
幸いなことに、慧眼の士はたいていご自分の人生に心を集中しています。
ド素人のゴミためのようなブログを訪問する暇なんかありはしません。
もっとも、どう評価されても、平気です。
私は私。
生涯、この調子で生きてきました。
だから、自分の感じたことを垂れ流し風に文章化し、
自分の歩いた場所を垂れ流し風に撮影して、
自分の人生の記録を残しつつあるのです。

エキサイトの掲載量は無制限。
ありがたいことです。
その内、エキサイトはブログから撤退する恐れが現実化しそう、
と聴きました。
そのときはまた別のプロバイダーを探し、
形を変えて、日記を書き続けることにします。
日々、日記を作ることが大切。
どうせ見直しできないのですから、
記事がこの世から消滅しても、結果的には変わらない。
そう考えて、平静に日々を暮らしているわけです。

それにしても、なかなか魅力的な人たちが多いうえ、
それを記録した宮崎貞安さんのニューレンズ、
ISM50mmF1.0の表現力は強烈に魅力的です。
なにしろF1.0!
そして、超小型。
肉眼と同じ明るさで見えるシーンを楽々と撮れるのですから。




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# by hologon158 | 2019-06-03 22:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

791.02 ホロゴンデイ216(2018年11月23日京都四条を舞台にホロゴンは華麗に舞い)2 古代史破壊



すでにトルコのギョベクリ・テペの発掘により、
古代史学界の常識は完全に粉みじんになってしまいました。
ドイツの考古学者シュミット教授の発掘調査、鑑定によって、
1万1500年も前の遺跡であることが判明したのです。

当時はまだ狩猟経済の時代で、社会も文化もまったく未熟だった、
文明はシュメール、アッカド、エジプトで始まった、
長い間、そう信じられてきました。
でも、トルコのギョベクリ・テペには、
定着社会の成熟の有る無しに関わらず、成立したようですし、
明らかにそこには一種の文化、文明があったのです。

一方、シュメール、アッカド、エジプトの文明も奇妙です。
突然、出現したとしか思えないほど、
これら諸文明に先行する文明からの成熟プロセスが見つかっていません。
たとえば、メソポタミアの楔形文字も、エジプトのヒエログリフも、
完成形だけがいきなり出土して、
文字の発展を示す先行遺物がまったく見つかっていません。

上記のようなピラミッドと来たら、さまざまな形はありますが、
世界中に数え切れないほど見つかりつつあります。

こんなとき、地質学者がこんなものは自然にできたものだよ、
と、こともなげに言ってのけます。
でも、このような発言は無責任です。
自然にできたピラミッドを例証して行ってほしいものです。
そんなことをしてくれた学者はいませんが。

与那国島の海底遺跡もそうです。
地質学者のうちには、そんなものは海流の流れによってできるから、
ただの自然物と、軽く一蹴する人がいます。
じゃ、そんな遺跡まがいの自然形成物を見せてほしいものです。
とくに、与那国島の場合、海底に没したのは最近なのです。
日本列島はもと朝鮮半島、山東半島と地続きでした。
だから、与那国島も海上にあったのです。
ところが、1万2000年前から7千年前あたりまでの間に、
氷河期末期の北極氷河壁の崩壊、巨大隕石等の原因によって、
水没してしまったのです。
じゃ、水没後の時間の経過の中で、
与那国島の海底遺跡のような形状の直角壁が幾段も自然形成されるでしょうか?
とんでもありませんね。
何十万年もかかるのではありませんか?

有名な遺跡の中にも、未知の超古代文明の所産と考えられるのがあります。
たとえば、ギザのスフィンクスと大ピラミッド。
すでに、大ピラミッドの石ブロックは、
ダイヤモンドの旋盤カッターで切り出されたことが証明されています。
しかも、そのカッターたるや、現代の同種カッターよりも
高速だったことが痕跡で分かるというのです。
私もその痕跡を見ました。
回転する同心円形の擦過痕が付いていました。
石のブロックをまっすぐ貫通している完全円形の穴も見つかります。
これも回転ドリルでないとできません。
古代エジプト文明にはそのような機械文明はありませんでした。
ことは単純です。
そんな機械文明が大ピラミッドを作った、
そう結論するほかはないのです。

大スフィンクスについては、地質学者のロバート・ショック博士がすでに、
サハラ砂漠が形成される前の、まだ雨が降っていた時代、
すなわち、遅くとも7000年前、
おそらく1万5000年前に作られたものと推定しています。

もちろんエジプト学者たちはこれらの新説を一切無視しています。
そんなことを認めたら、エジプト史は完全に白紙化されてしまうからです。
学問すべてが、新たな知見によって、
過去の常識は転覆されてしまう運命にあります。
でも、歴史学者ほど哀れな存在はありません。
大抵の学問はそれでもなにかまだ立場を救う地盤の一部が残されるものです。
でも、古代史学の場合は、大抵の場合、
とても脆弱な基盤に基づく推論が根拠となっているために、
その基盤が崩れると、推論そのものが雲散霧消してしまいます。

たとえば、大ピラミッドの場合、当時の建設技術では絶対に実現できないほどの
完璧な精度で建てられています。
現代技術をもってしても無理なほどなのです。
日本の建築会社が5分の1ピラミッドに挑戦して、見事失敗したそうです。
どうやら曲がりなりにも建てることさえできなかったそうです。

私は建築の素人ですが、現代技術でも絶対に無理と思う工作を一つ思いつきます。
大ピラミッドには、王の間からだと記憶していますが、
3本の穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊を設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
これこそありえませんね。
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を
どうやってピラミッド内に見つけ、かつ正確に穴を開ける方法なんて、
あるでしょうか?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載しています。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、
四隅に立って、2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
と、こともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、200mの長さにわたって、
ピラミッドの何段目かの石が積み上げられたとき、
その200mが本当にまっすぐかどうか、見たら分かると思いますか?

反対側の端に助手が中心に黒丸が打たれた円形ボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、黒丸が出た瞬間に、検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?



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# by hologon158 | 2019-05-30 23:30 | ホロゴンデイ | Comments(0)

791.01 ホロゴンデイ216(2018年11月23日京都四条を舞台にホロゴンは華麗に舞い)1 信仰



私は信仰をもっていません。
完全無宗教。
でも、宗教には関心が強く、
仏典もかなり読んでいますし、
新約聖書も何度も読みましたし、
旧約聖書もかなり読みました。
そして、いつも悩むのです。
たとえば、ユダヤ教徒は、創世記の数々の出来事、
そして、モーセやヨシュアの事績を、
本当にあったことと信じているのだろうか?

旧約聖書にしても新約聖書にしても、
部外者ならかなりいぶかしく思う部分が随所に散見されます。
たとえば、イエスは磔刑に処せられます。
彼の弟子たちは全員イエスの使徒であることを否定し、
逃げてしまいます。
ペテロの姿はかなり卑怯で惨めです。
まったくかっこ悪いのです。
そして、旧約聖書になると、これでもかこれでもか、
とあきれるほどの愚行、悪行の連続と言いたくなるほどです。
サウルやダビテと来たら、神の選びし王者なのに、
裏切り、不信、不貞、疑心暗鬼、迷妄等々、
どちらかと言うと、恥ずかしい人物です。
なぜ神がこのような人と知りながら、選んだのでしょう?

神は言います、
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」
このような自己犠牲的な行為を行うクリスチャンって、
いるのでしょうか?
キリスト教国の王様や貴族、軍人たちはその正反対ですね。
私には、福音書のイエスの言葉のすべてが福音であり、
キリスト者が倣うべき基本精神に思えます。
でも、自称クリスチャンたち、
イエス様の言葉なんか完全に無視して、
異教徒も同信徒も区別なく、無差別に殺しまくっている。
そして、自分は天国に行けると信じています。

じゃ、一体彼らはなにを根拠に、
キリスト教の天国に行けると考えているのでしょう?
洗礼を受け、秘蹟を受けたから、なのでしょうか?
こうなりゃ、神やイエス様の教えに従わずとも、
つまり、殺人、盗み、姦淫、虚言等々、なにをやっても、
神様は天国に迎えてくださるんだ!
そう思っているのでしょうか?
思っているのでしょうね。

こう言うのをダブルスタンダートと言いますね。
自分は他人の妻を平気で盗み取っても、
自分の妻が寝取られたら、金切り声を上げるでしょう、
十戒を守らぬ瀆神のやからなど殺してしまえ!
十戒とは敵が従うべき戒律なのです。
マザー・テレサさんのような人は例外中の例外、
だから、尊崇されるのでしょう。

若い頃、後輩にクリスチャンがいました。
彼に尋ねました、
「キリスト教が成立する前に何万年と人類は生きてきたんだけど、
彼らはイエスのことも、キリスト教のことも知らなかった。
彼らは死後どこに行ったんだろう?」
「地獄ですよ」(ニッコリ)
「キリスト教が成立した後も、世界中のほとんどの人たちは、
キリスト教のことなど知らなかった。
彼らは死後どこに行ったんだろう?」
「地獄ですよ」(ニッコリ)
尋ねませんでしたが、信者じゃない私も同様の運命でしょう。

正真正銘のクリスチャンはそんなことは言わないでしょう。
でも、神が人類のためにこの宇宙を創造されたという思想は、
その人類、とくにキリスト教国が先進国家として、
まさに地球を汚しまくり、他の種を滅ぼし続け、
生態系を破壊することによって、
人類そのものの生存をあやうくしている事実を前にして、
妄想でしかなかったという印象を強めつつあります。
神は、アブラハム、イサク、モーセ、ヨシュア、ダビデ、
ソロモンのためにあれだけ手厚く救いの手を差し伸べ、
この世の救いのために我が子イエスを犠牲にしたのに、
今や地球文明は危機に瀕しています。
でも、そんなクライシスの行く末は神でなくても明らかなのに、
今はなぜか知らんぷりなさっているようで、
どうも理解できませんね。

でも、それでも、上記に述べた様々な不都合、かっこ悪さに、
逆に心に引っかかるものがあります。
このような不利な史実を隠さない聖典って、珍しい。
むしろ隠すことができたはずなのに、それをしなかったのは、
動かすことのできない正真正銘の史実だから?

また、バイブルを読んでみることにしましょう。




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# by hologon158 | 2019-05-28 22:07 | ホロゴンデイ | Comments(0)

790.00 ホロゴンニュース6(2019年5月20日奈良町にヴァリオプラズマ50㎜F1.5が密かに降臨)



私は確信しています。
宮崎貞安さんこそ、現代における稀代のレンズ制作者である、と。

優秀なレンズ制作者は世界中に数知れずおられることでしょう。
でも、おそらくそのほとんど全員が企業に所属している。
そして、その多くがカメラ製作会社の社員です。
チームを組んで、企業方針でしか動けなでしょう。

現代のカメラ、レンズの役割は往年とは変わってしまいました。
世界の写真家がPhotoshopのような画像処理ソフトで
自在に編集できる写真原稿を製作すること、
これではないでしょうか?
そうして、現代の写真家はデジタルカメラでRAW原稿を作成し、
Photoshop等で、作品を創造します。
画像処理ソフトに用意されたメニューは、
むしろ写真家が思う存分加工処理して、
独自の写真世界を創造することに役立つ、
画像加工ツールなのです。
だから、写真家の作品制作の重点も往年とは変わってしまいました。
撮影現場のイメージを忠実に再現することではなくて、
コンピュータで独創的なイメージを創造することにかかっているのかも知れません。

私の思い違いかも知れませんが、
今では、リアリズムなんてゴミ箱にポイ捨てされてしまい、
写真はビジュアルアートになってしまった、そんな感じがします。
そうなると、レンズ性能の基本は、
リアリティ再現能力を高めることではなくなく、
Photoshop等の画像処理ソフトが加工処理しやすい、
ニュートラルなデータ化に置かれているのでないでしょうか?

まだ完璧にニュートラルなデータ化は実現していないそうです。
でも、過去のレンズ史を彩る数々の名レンズに内在していた
種々の不完全性のほとんどは、
コンピュータ設計によって概ね克服されているようです。
そして、まだ克服されていない部分については、
画像処理ソフトでコンピュータ処理できる時代。
だから、よく言われます。
カメラはできるだけ最高の性能のものを選ぼう。
でも、レンズは大手メーカーの高価なレンズでなくても、
さほど性能は劣らない。
どうやら、圧倒的に独自の個性を発揮する稀代の名レンズなるものは
もう生まれないかも知れません。

でも、ここで宮崎貞安さんが登場します。
完璧なイメージ再現性なんかなくてもよいから、
抱きしめたくなるような独自の個性を備えたレンズが欲しいのなら、
私に任せなさい!

宮崎さんは、ご自分の独創にかかる名玉の開発と平行して、
クラシックレンズファンには垂涎の名玉の復刻シリーズを展開しておられます。
世界の金満家たちがクラシックレンズコレクションにまで手を伸ばしはじめたために、
私のような金のないクラシックレンズファンには永遠に手がとどかなくなった、
そんな超稀少レンズを再現する試みなのです。
このたび、そんな垂涎の名玉の1本、
キノプラズマート50㎜F1.5の復刻版をついに製作されました。

 VarioPrasma50mmF1.5

なぜvarioなのか?
前群レンズをポジション2から6までわずかにずらすことによって、
使い手の好みのシャープネスを調整できるのです。
言い換えると、5つのバリエーションで写真を撮りわけることができる!
今回はとりあえずポジション6だけで撮ってみました。
キノプラズマートの魅力は人物写真に一番よく出ると思います。
夢のような画像が得られるのです。
でも、今回は奈良町での路上スナップなので、
すべてノーファインダーで、距離を2m、3mと固定しつつ撮りました。
たまたま撮った人物はほとんど全員動いていましたし、
距離は当てずっぽうもいいところです。
被写界深度などほとんどない、絞り開放で撮るのですから、
ジャストピントになった写真は一枚もありません。
でも、それだから余計に往年のレンズらしい雅な雰囲気が醸し出されている
という感じがしているのですが...........



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# by hologon158 | 2019-05-22 23:17 | ホロゴンニュース | Comments(0)

789.02 ホロゴン外傳264(2018年11月14日奈良町がマクロスイター50㎜F1.8を大歓迎)2 兄と妹



金曜日、面白い発見をしました。
私の孫プリンスのことです。
4月、小学校2年生になったのですが、
妹の孫プリンセス1号は4歳の保育園生。
二人が小さいときは、
まあ、幼児が二人居て、ひしめいているという感じでした。
でも、金曜日、ピアノレッスンに付き添って、
孫プリンスが「兄」になったことを実感できる出来事に出会ったのです。

二人を連れて、徒歩15分ほどのピアノの先生のマンションに向かいました。
突然、妹が言い出しました、
「今日は、××ちゃんが後!」
兄が慌てて、
「違うよ、××ちゃん、
先週、後にしてあげて、そのとき、
今週は先にするって、約束したじゃない?」

この妹、物心ついてから、すべて自分のことは自分で決めます。
服も、オモチャの購入も、食事も、なにもかも即座に決然と。
それが全てにわたるので、あまりにも徹底的!
今まで出会ったことがないタイプ。
自分のやりたいことがはっきりと自覚できるのです。
だから、納得できないと、納得できるまで追求します。
いつかオモチャ屋でオモチャを半時間探し続けました。
決然たる表情で、何者も、母親でさえ、
介入、アドバイス、指示ができませんでした。

実のところ、一人だけ出会っています。
妻です。
つまり、孫プリンセス1号の祖母。
そうか、だから、そっくりなんだ!
これじゃ、どうしようもない、
と、私は納得しています。
二人の娘たちにもかなり遺伝しているようですが、
孫プリンセスほど徹底的ではありません。

ピアノ教室への道に戻りましょう。
兄から自分に不利な事実を突きつけられても、
彼女はびくともしません。
「後で!」の一点張り。
やむをえず、兄が妥協しました。
「じゃ、じゃんけんで決めよう。オレが勝ったら、オレが先やで」
こういう妥協案をすぐ思いつくあたりが、まず、お兄ちゃんらしい。
孫プリンセスも、ここは自分が勝てば、事は簡単、
そう考えたのでしょう、ここは素直に兄の提案に乗りました。
路上で対決!
兄がチョキで、妹はパー。
「これでオレが先やで!」
と、兄はにっこり。
ここでにっこりするあたり、男の子は甘い。
妹、きっぱりと、
「いや、お兄ちゃん、先!」

そうこうする内に、ピアノの先生のお宅に到着しました。
まだ5分あります。
玄関廊下に入って、議論再燃。
兄が順番を決めたいきさつを繰り返しても、妹は頑として、
「いや、後で!」
議論が沸騰して、お兄ちゃん、とうとう感情が激してきて、
泣き出しそうな顔になりました。
爆発寸前、突然、ドアを開けて出て行ってしまいました。
しばらくして、兄は戻り、平静な表情で言いました。
「ええよ、今日はオレが先にするから、
次回は先にするんやで!」
妹は無反応。
もちろん、次回も後番を主張するつもりなのでしょう。
でも、こうして一件落着。

兄がまだ幼児だったら、妹に向かって爆発したことでしょう。
でも、2歳半年下の妹がかわいくてたまらないのです。
その妹に対して爆発しそうになる気持ちを抑えきれなくなって、
大急ぎで外に出て、自分の頭を冷やしたようです。
今回は明らかに妹の無理押し。
それなのに、こんな風に自分で自分の気持ちを処理して、
この場を収めることができたのです。
ダテに小学2年生に進級したわけではない、という感じ。

でも、妹とのこのような関係はずっと続くでしょうね。
そして、ずっと妹に譲り続けることになるでしょう。
私の実体験からの予測。

そこで、思い出しました。
YouTubeで、アメリカのコメディアンの漫談。
「男と女の違い」がテーマ。
男は脳の中にたくさんの引き出しがあって、
あれこれのことがきちんと整理されて、引き出しに収められています。
でも、女は違う。
入れ物はたった一個、その中になにもかもが入っている。
男は引き出しを一つずつ開けて、論理的に解決しようとします。
でも、女にはぜんぜん通用しない!

随分昔のことを思い出しました。
私の甥の一人が4つのとき、突然、私にこう言ったのです。
「僕の頭の中にはたっくさん引き出しがあるんだ。
その中に一つ一つちゃんと入れてあるんだよ」
この子は本当にそんな子でした。
あまりにも杓子定規で、曖昧なところがない。
かなり人間関係に苦労して生きています。

コメディアンの漫談、まるで、この甥から聴いたような例え話。
というより、本当に引き出しがあるのかもしれません。
私にもありそうです。
だから、どんな場でも、一つ一つ整理して、論を進めます。
でも、私の苦い経験では、
このような論じ方はいつも肩すかしを食らいました。
ほとんどの人が論理には乗ってこないのです。
私の論理はあたかも聴かなかったかのように、
「私はこう考えたいのですが...」と、逸らされてしまいます。

妻と議論してもそうですね。
我が家では、妻が帰宅すると、呼び鈴を鳴らします。
長からぬプロムナードを進む間に、
私が二階から飛んでおりて、鍵を開きます。
ところが、妻は自分では絶対にそんなことをしません。
私が「なんで呼び鈴を押すの?」
妻、澄まして、「だって、バッグから出すのが面倒だから」
でも、タクシーで帰宅したときも同じです。
ちゃんと鍵の入った財布を一度は出しているのに?
わざとゆっくり下りても、問題は解決しません。
ドアの向こうで、私が鍵を開くのを待っています。
そのあたりは全然面倒ではないわけです。
そんなものです。
夫婦間に対等の論理は存在しませんね。

孫プリンスも、これから妹に苦労するでしょう。
でも、私が彼の成長を一つ見届けることができたのは、
彼が、屋外にいったん出ることにより、
妹に対する憤懣を平和的に自分の中で解消する、
という自己処理法を思いつき、実行できたこと。
しかも、その後、自分の不満を一切表情に出さなかったこと。
妹がいつもそんな風に振る舞うことを思い出し、
女性に意見、態度の修正を求めるのは無理なことを
こんなにも早く悟ることができたのです。
人間を学ぶこと、これが成長というものでしょう。

彼は幼い頃から、人をいじめたりせず、
自分の大好きなことを夢中で楽しみます。
これは自慢ですが、私とそのあたりがよく似ています、
それも小学校2年生で!
ちょっと嬉しくなっています。

さて、マクロスイター50㎜F1.8の続編です。
かつては、このレンズの魅力に魅せられる人がいました。
私もそうでしたし、今もそうです。
現代レンズを駆使し、フォトショップで自在に加工する方には、
理解できない、時代遅れ現象でしょう。
癖や欠点がありすぎて、
フォトショップで画像を改善することが難しい、ということでしょう。
マクロスイターも私も時代に取り残されてしまいました。
より上を、そして、完璧を求める社会になってしまったのでしょう。
でも、新製品を押し付けるコマーシャリズムがその内幕にあるのでは、
そう疑ってしまいます。
もう本当に必要なものしか買わない私の偏見なのでしょうけど?




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# by hologon158 | 2019-05-20 18:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

789.01 ホロゴン外傳264(2018年11月14日奈良町をマクロスイター50㎜F1.8が格調高く)1 異貌の群れ

弘法大師様の言葉を読んでいます。
名言集なのですが、さすがにすごい言葉が並びます。
その中の「遍照発揮性霊集」巻第八の言葉。

(A)
 心暗きときは即ち遇う所ここごとく禍なり。
 眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
 皆宝なり。

(あなたの心が暗闇であれば、
巡り会うものはすべて禍いとなります。
あなたの心が太陽であれば、
出会うものはすべて宝となります。)

もう一つ。
五部陀羅尼問答偈讃宗秘論の言葉だそうです。
それにしても、エラく長ったらしい題名の書物ですね。
この題名を読んで、5分間、なにか別のことをしてください。
その後で、題名を思い出せますか?
私はもちろんできませんが、
私の親友にこんなことヘッチャラというのを1人知っています。
昔の和尚さんたちって、こんな題名の書物ばっかり一生付き合って、
よく覚えておれたものですね。
お大師さまは経典をそっくりそらんじておられたのですから、
こんなこと、居眠りしててもできるでしょう。
弟子たちを鍛えるために、
わざと題名まで難しくしてられたのでしょうね。

 (B) 
  珠を持てば善念生じ。
 剣をとる殺心の器。

(美しい水晶をもてば清らかな心が生まれ、
 剣をにぎれば人を斬りたいという心が
  起こってくるものです)

まず、(B)の言葉。
なんだか人間って、自分の使うもの、手近なものに左右されやすい、
そうおっしゃっているようですね。
それも、無条件に使い手がそのものの善し悪しを決めるのではなく、
もともと、使い手を善に導く手助けをしてくれるものもあれば、
使い手を邪に陥れるものもある、そうおっしゃりたいようです。
その善導の役割を担うものが「珠」。
こう来ると、私は当然に我田引水的に反応したくなります。
写真用のレンズも「珠」じゃない?
そう、「珠」だ!
私もたくさん「珠」を手に入れました。
多忙な職業生活の中では、そんな「珠」も剣のように振る舞って、
かえって私を傷つけたりしたかもしれません。
でも、引退してみると、すべての「珠」が輝きはじめたという感じがします。
私を戸外に誘い、ロボグラフィを見つけて撮らんものと、
私をどこまでも押し続けてくれるのですから。

そして、(A)の言葉、
「眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
皆宝なり。」
素敵な言葉ですね。
お大師様はこの気持ちで生涯行脚されたのでしょう。
「あなたの心が太陽であれば、
出会うものはすべて宝となります。」
そうおっしゃるのです。

私は信仰心を持ちません。
どうしても、どの宗教にせよ、
どうも本心から信じることができない部分があまりにも多過ぎます。
そして、どの宗教もその敬虔な信徒とされる者があまりにも低劣すぎます。
イエス様は「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」
「汝、殺すなかれ」とおっしゃったのに、
キリスト教徒は、迫害を耐えて、
ローマ帝国の公認の宗教になった途端、
教義に反する同宗の人々を憎々しげに迫害、殺戮し、
敵と見たら、めったやたらに殺しまくってきました。
十戒に「汝、姦淫するなかれ」と神様が命じたのに、
後世のキリスト教徒は法王から一般信徒に至るまで姦淫しまくっています。
神様が見ておられるのに!?
仏教とも似たり寄ったり、というところ。
私はこうしたいい加減さに我慢ができません。

大師様がご覧になったら、苦々しくこうおっしゃるでしょう、
「あなたの心が太陽でないので、
出会うものすべてを汚しまくっています。」

私は、自分の人生を汚物まみれにする彼らの轍を
踏むようなことはしなかったと言いたいところですが、
一つ、大師様の言葉に忠実にならって生きてきたことがあります。
究極の我田引水ですが、
ホロゴンとロボグラフィ、これがそうです。
ホロゴンをはじめとするレンズたちを手にすれば、
たちまち「珠を持てば善念生じ」という気持ちになり、
ストリートを彷徨い、ロボグラフィを撮り続けることで、
「眼明らかなれば、即ち途(ミチ)に触れて、
皆宝なり。」とばかり、
路傍に見捨てられたものたちを宝玉のように輝かせてきた、
私はそう言いたいのです。

もし誰かがこの文章を読んだりしたら、
「弘法大師様のお心に泥を塗るような所業じゃ!
ロボグラフィのどこが「宝」なんじゃ!」
と息巻く人がかなり居るでしょうね。




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# by hologon158 | 2019-05-16 17:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

788.00 ホロゴン外傳263(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)アーシング



老いることに一つメリットがあることに気づきました。

20世紀後半以降の顕著な傾向があります。
病気が圧倒的に増えたこと。
種類も患者数も増えました。
たとえば、19世紀の人間は罹患せず、病名もなかった病気が、
圧倒的に増大しています。
公害に起因する数知れない疾患はもちろんのこと、
そうでない病気もたくさん増えています。

精神疾患もそうです。
カール・ヤスパースが精神医学の金字塔、精神病理学原論を著した当時、
ずいぶん昔に読んだので、詳細は忘れましたが、
彼が行った分類は、極めて少数でした。
現代の精神疾患の病名は数え切れないほどになり、
まさに日々増加しています。

私は、心身疾患のいずれについても、昔分類されていなかったのは、
診断方法が未開発、未熟であったからと考えていたのですが、
どうやらそうではなさそうです。
心身疾患のほとんどは文明化が進むにつれて発現してきたのです。
現代でも、たとえば、南米の平地の少数民族には、
そんな病気は一切存在していないことから、それは明らか。

さて、私のことを考えてみますと、
風邪のような文明病を除けば、
かつて発症した病気はたった一つ、
右網膜動脈閉塞症。
医師曰く、医学書には名称だけがあり、
症例は文献に記載されていません。
実態は血液の塊による血管のつまりなのですが、
それが網膜に行ったわけです。

そんな塊ができるのは、心臓疾患あるいは血管中のスポットの中での滞留、
それとも超多忙で心身を酷使したストレスに起因する血流の滞りのどちらか、
と推測されると言われました。
前者は検査しても見つからないので、後者であろうという推測。
これは心当たりがありました。
片道2時間40分の遠距離通勤、40人を超える組織を預かっているうえ、
自分の仕事は定員にして1.5人分。
私は多忙、ストレスにかなり強いうえ、
こうした過剰執務にむしろ適合した人間なので、
在勤期間中心身ともつつがなく過ごしていたつもりだったのですが、
さすがに、体の方は悲鳴をひそかに上げたようです。
結局、検査入院に1週間だけ仕事を休んだだけで、
普通に職場復帰できました。
前任者も前々任者も後任者もなぜか体を壊して、
任期開けもしくは待たずに退職に至ったそうで、
そんな地獄の職場から無事脱出できたのですから、
私は、幸運だったわけです。

40年数年の勤務期間中、風邪で1、2日ダウンしたことが幾度か、
でも、入院までしたのはこれがたった1回でした。
ついに、退職までつつがなく過ごし、
退職後もつつがなく過ごしてきました。
こうして、日々つつがなく、引退生活を楽しんでいるのですが、
近頃、自分が絶好の場所に住んでいることに気づいたのです。

退職後、私は、奈良市の中心部からバスで十数分、
低い春日山系の斜面につながる丘陵地帯の住宅地に、
居を定めました。
とても空に近く、雲が爽快に走り、空気も極上です。
他の地域への通過地点にはないので、
住宅地に無用の車両は走りませんから、とても静かです。
そして、徒歩5分のところに大きな神社があり、
その神域には静寂の森が広がっています。

そこで、3週間前から、アーシング散歩を始めました。
アーシングのことなど、ご存じないかもしれませんね。
アメリカで開発され、
日本在住のエハン・バラディさんが日本での唱道者。
YouTubeで、「エハン」+「アーシング」で検索すると、
彼の講義が幾つかあって、概要、効用が分かります。
お金がかからず、健康が著しく増進する方法です。
要するに、体内に蓄積された静電気をアースする方法。

人間は電気的存在です。
たとえば、脳内のシナプス間の情報伝達の一半を担うのが、
電気信号です。
東大が作ったコンピュータグラフィックスを見たことがあります。
まるで宇宙戦争でした。
シナプスとシナプスの空隙にバリバリッと電光が走るのです。
一番電気的な活動が活発なのは、もちろん、心臓です。
心臓のすべての細胞が電気的なリズムを刻み、しかも、
全細胞が同期しているそうです。

余分な静電気は体内の電気的活動を邪魔する危険性があります。
アースマットを買うか自製して、屋内コンセントのアース端子に繋ぐと、
自宅内にいながらにして、アーシングできます。
でも、余分な静電気を除去できるだけではありません。
地球表面に流れている電気的パルスが取り込まれ、
体を正常に保ち、病気を癒し、若返りを促してくれるのだそうです。
つまり、地球の大地と私の体をリンクしてくれるのです。
詳細は、アーシングの創始者クリントン・オーバーの著書、
「アーシング」(ヒカルランド刊)をお読みください。
でも、何よりもまず、ネットでアーシングの方法を検索して、
始めてみてください。
心よりも体が先に納得してくれますよ。

私は、キッチンのシンク前と書斎椅子の前にマットを置いて、
平素からアーシングしています。
でも、一番効果的なのはどうやら森林浴でのアーシング。
というわけで、この神社に通うようになったのです。
丘の斜面がその神域なのですが、その全体が雑木林。
その雑木林を周回するようにして、2段の道が走っています。
一番下の林間道は神社の東側の地域からバス道に出る通路。
そうした通行人が少し通ります。
その上の林間道はほとんど人が通いません。
これ幸い、とはこのこと。
「アーシングロード」、そう名付けました。
私だけに通じる暗号です。
「p.m.1、アーシングロードに進め!」というわけです。

神社本殿前の広大な広場から十数段の石段を下りると、
アーシングロードの南端です。
そこで、ウォーキングシューズを脱ぎ、
大きなビニール袋に入れて、ショルダーバッグに収めます。
裸足で静寂と瞑想の道に入ります。

最初は、思わず「痛い!」「痛い!」「痛い!」「痛い!」
鋭い小石やトゲ付の小さな木の実が散乱しているからです。
今では、平気です。
痛いけど、我慢できるようになりました。
そのうち、痛みを感じなくなるでしょう。

雑木林です。
楽しくくねくねと曲がっています。
女体のような灌木がたくさん見つかります。
どうも、私が男性のせいで、そう見えるようです。
私は一夫一婦制の厳格派で、
生涯、他の女性の手を握ったこともありません。
でも、見えるものは見えるもので、これはどうしようもない。
先頃、すぐれた女性写真家と撮影を共にしたことがありますが、
この方はなにかというと男性イメージが見つかるそうです。
一人一人見えるものが違うのですが、
性差があるとは知りませんでした。

ホロゴン道のちょうど中間に朽ちかけた木のベンチが2つあります。
その一つに、足代わりのブロックのちょうど上にそっと腰掛けます。
そして、持参のポメラを開いて、安楽に休息しつつ、
ブログの原稿を一つ書き上げる、それが習慣になりました。
樹幹をよぎっていくそよ風
さまざまな小鳥たちのさえずり
葉ずれのささやき
時折聞こえる参拝者のつぶやきのような会話
はるか彼方の車のささやくようなエンジン音
すべてが集中を助けてくれます。

このホロゴン道がいつまでも神気を保ち、
私に活力を与えてくれることを祈りたいものです。




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# by hologon158 | 2019-05-09 23:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

787.02 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)2 義に殉ず


 
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は不朽の史書の一つですが、
時代に直近の直接的な資料に基づいて書かれた古代の史書、
ヘロドトス(ただし、後半)やトゥーキューディデースらとは、
別の手法で書かれました。
数知れない資料文献を渉猟して、
たぐいまれなる歴史的構想力で長大な年月の歴史をまとめ上げたのです。
ギボンは、ローマ帝国の衰亡プロセスは、
裏返せば、キリスト教の勃興のプロセスだったという観点でした。
だから、心躍る史実を綴った章の間に、
キリスト教に関する諸章が挟まっています。
クリスチャンじゃない私はキリスト教の教義に関心はないので、
全巻再三愛読した際にも、
キリスト教に関する章はすべて読み飛ばしました。

読んだ部分は実に壮大で、
次々と巨人たちが立っては倒れる波瀾万丈の記事が続きました。
私は、歴史的プロセスになど興味がありません。
歴史の奔流の中で揉まれつつ懸命に生きた人々の
姿、生き方、運命の変転を見るのが大好きだったのです。
私はたった一つの人生しかないと考えています。
だから、先輩たちに教えてもらいたいのです、
「どうすればたった一回の人生をよく生きることができるのか?」

ギボンに、まだ若い私に衝撃を与えたエピソードがあります。
前にも一度書きました。

ローマ帝国は一時期大変な混迷を極めたことがありました。
次々と、自薦他薦の皇帝たちが割拠しては消えていったのです。
そんな乱世の武将の一人が野望を遂げられず、武運尽きて、
寄せ手の十重二十重の包囲陣に追い詰められたのです。
もう絶体絶命の窮地。
今にも殺戮戦が始まらんとした刹那に、
包囲陣の中から一隊が粛々と動き始めたのです。
寄せ手に加わっていた蛮族出身の武将の一人が手勢を引き連れて、
追い詰められた敗将の陣に吸い込まれて行きました。
この武将を含めて、全滅の憂き目に遭ったことはもちろんです。

この話を思い出すたびに、よく考えます。
この武将はどんなつもりで死地に自ら赴いたのでしょう。
敗将になにか重大な恩義があったのでしょうか?
でも、たいていの人間なら、なにを今更、と考えて、
みすみす死にに行くことはないでしょう。
それをするから、歴史に残るのです。
これが「義に殉ず」なのでしょう。

日本史でも、王朝、政権の交代は幾度もありました。
でも、こんな風に敗者の運命にどこまでも付き従う、
そんな忠臣は極めて少ないのが日本人です。
命を捨てない忠臣たちはたくさんいましたが、
完全に敗者と決まった後で殉じた烈士たちと言えば、
平氏の一門、豊臣の家臣のわずかな一部、徳川幕府に準じた少数の侍たち、
これくらいでしょうか?

中国史には、そのような節義に殉じた忠臣たちが文字通り一杯居ます。
中国には、各王朝の史官は直前の王朝の歴史を史書として、
可能な限り正確に書き記す伝統がありました。
道に反した王朝は社禝を維持することを許されず、
天によって滅ぼされ、社禝は次の王朝に受け継がれるので、
まがりなりにも先王朝は現王朝の正当性を保障するからです。
だから、現王朝を正統化するための多少の歪曲はあっても、
次の王朝に自分たちの王朝の歴史を正確に書いてほしいために、
自分たちの王朝に関わらない部分では、先王朝の事績について、
かなり中立的に記載することが史官の真骨頂とされていたわけです。

でも、そんな伝統を持たず、
各王朝の事績を正確に記録する正史を持つ伝統がなかった日本では、
結局、力と力の勝負が歴史を築いてきました。
前王朝の事績を正確に記録する責務などありませんでした。
そのような状態では、
帝王も臣下も名を長く青史にとどめることを目指した中国と異なり、
日本では、「勝てば官軍」史観を超えることはなかったので、
いつも雪崩現象が旧政権に止めを刺し、
次政権を安定政権に押し上げてきたわけです。
実利があれば良し、後世の評価などくそ食らえ、
という現実主義の下では、
前政権に殉じるなんて、先行きの見えない阿呆のすること、
と言うわけでした。

ヨーロッパ史の場合は、次の支配者は先支配者とは人種が違う、
ということが多かったこともあるでしょう、
常に政権の交替は血で染められてきました。

ギボンが書いた事例は、
ヨーロッパが原則として国籍ごとに建国するようになった時代、
つまり、逆に、近代国家の成立とともに、
国民が成立するようになった時代に入る以前の事件でした。
だから、さまざまな人種を超えて、信義と友誼と利害関係が交錯する人間関係が、
民族とか国家という概念よりも重要な意味を持っていたという感じがします。

司馬遷の「史記」には、
「人は己を知る者のために死す」という言葉があり、
文字通りその言葉を実践する壮烈なエピソードが幾つも残されてます。
言葉ではきれい事を言っていても、命がかかるような局面になると、
突然、名よりも実を取る現実主義的な日本人とはかなり違うのです。
もっとも、時代は変わる、です。
こうした民族間の違いは次第になくなりつつあるかもしれませんね。
国際化の波が文化や国民性の違いを少しずつ払拭していくでしょうから。



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# by hologon158 | 2019-05-04 22:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

787.01 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)



この頃、素敵な言葉がよく見つかります。

「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」

室町の茶人、村田珠光の言葉だそうです。
同種の馬群の中を駈けていると、
観る人が観れば分かるのでしょうけど、
観る目のない人には、
どれが名馬でどれが駄馬か、分からないものです。
でも、藁屋にただ一頭繋がれている姿を見れば、
誰の目にも名馬のただならぬ輝きには目を見張るでしょう。

アートはすべてコントラストが鍵です。
というより、この世界のすべてはコントラストが鍵です。
ホワイトヘッドはいみじくも喝破しました、
存在が創造的に変化していく鍵はコントラストにある。
どんな存在も安定、静止は堕落に通じます。
生きるためには変化し、向上するしかないのです。

トインビーは文明の誕生、発展の鍵は「挑戦と応戦」にあるとしました。
彼の名句は「オールを休めると、文明は滅亡する」
人間もそうですね。
オールを休めると、失速し、老化し、死に至ります。
無敵の勝者がある日無残にも一敗地にまみれる運命に見舞われます。
無敵であった手法をどんな状況にも頼りきってしまうためです。
死ぬまで失速したり老いたりしたくなければ、
ひたすらオールをこぎ続けること、
どんどんと革新していくこと、
これしかないのです。

あなた、テレビづけになっていませんか?
新しい情報を手に入れたい?
だったら、パソコンで十分、そうお考えではありませか?
でも、テレビ、パソコンから日々得る新しい情報が、
あなたにどれだけ役に立ちますか?
泡と消えて行くだけではありませんか?
一昨日のニュースがなんだったか覚えていますか?
生きることはニュースを追い求めることではありません。
自分自身の成長に役立つなにかを手に入れ、
変化し続けること、成長し続けること、ではありませんか?

ホワイトヘッドの最重要のコンセプトは、
「新しさnovelty」。
旧套墨守は退歩の引き金でしかない、
新しさこそが躍進の引き金、というわけです。
でも、新しさは従来の生活、従来の見方の延長上には見つかりません。
まったく新しい場に自分をどんどん自分を置いていかない限り、
新しさに直面することはできません。

こんな風に考えると、はたと気づきます。
私のように、どこにも行かないで、
いつも同じ場所で写真を撮っている人間に、
新しさはどこにあるでしょう。
どこにもないかも知れません。
でも、私のモチベーションは落ちません。
新しさは外になくてもよい、
内に新しさを感じることだって、できるはず、
私はそう考えたいのです。

負け惜しみでしょうか?
負け惜しみなのでしょう。
でも、私は開き直っています。
私のロボグラフィに新しさなどありません。
私にとっては、写真としての新しさなど無関係。
私は写真家ではないのです。
自分の人生に写真を活かしたいだけ。
私にとっては、今日、このロボグラフィに出会ったこと、
それが新しい体験。

村田珠光の言葉、「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
こんな私に、どんな意味を持つでしょうか?
私にとっては、ロボグラフィこそ、それなんだ、
そう言いたい。

私は「人生、意気に感ず」という言葉が大好きです。
余談ですが、
中国人が古来一番大事にしてきた価値はなんだと思いますか?
私は「義」だと思います。
「義を見てせざるは勇なきなり」
これも名言ですね。
司馬遷の史記が今なお私たちの心をときめかせ続けるのは、
中国人が文字通りこの言葉を生きてきたからです。
一度約束したら、生涯守り続ける、
状況の変化なんていう現実主義はとらない、これが古代中国人でした。
司馬遷の「刺客列傳」はまさに義を守り、義に死んだ人々の記録。
諸葛孔明なんて、自分を見いだしてくれた劉備との約束を守り続けて、
一生義を守り、義に死んだ人間ですが、
そのような人が文字通り山ほど居るのが中国史の面白さです。

私もそんな人間でありたいと願ってきました。
その一つの実行が、「始めたことはやめない」です。
妻と一生生き続ける、というのが、私にとって最も大切な義なのですが、
このいわば大義に続いて守ってきたのが、
実のところ、写真を愛し続けることでした。
(音楽への愛情は実のところ妻よりも古いのですが、
これは妻も同様なので、お互い、許し合っているわけです)

職業生活の日々は長く厳しい時代でしたが、
それを一度もくじけずに、心身を壊さず生き延びることができたのは、
どんなに忙しくても、どんなに仕事が待っていても、
毎週末には撮影に出て、写真を撮り続けたことでした。

風景写真家はどうやら季節に左右されるようです。
季節ごとに被写体となる風景を追い求めるのですが、
たとえば、冬枯れともなると、長い休眠に入ることとなります。
目的地の往還はひたすら移動だけ。
ロボグラフィは違います。
一歩家を出た瞬間から撮影は始まります。
そして、家に入る瞬間まで撮影が続きます。
観ることは、ロボグラフィと出会うこと、
そして、ロボグラフィはどこにでも隠れているのですから。
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
なんでもない道ばたにはそんな名馬が待っているのです。

私にとって、「名馬」とは、私をはっとさせる存在。
やあやあ、そんなところで、頑張ってるじゃないか!
そう感じさせてくれるものたち、それがロボグラフィ。
私の写真は全部そんなロボグラフィ。

そして、私も社会の中で、
道ばたのロボグラフィとまったく同じ存在です。
誰も私のことなど気にとめない。
誰も私のことを忘れている。
でも、私の心は生き生きと躍動しています。
私は、体格も普通で、容貌、容姿はさえず、
風采の全然上がらない人間ですが、
でも、自分で言うのもなんですが、目だけは生き生きしています。
どの瞬間、どの場所でロボグラフィたちに出会えるか、
完全に予測不能の人生なので、油断できず、心をわくわくさせて、
周囲を観察しつつ歩き回っているのですから、
私にとっては、「途中」というものがありません。
いつも絶頂体験の可能性を秘めた瞬間が待っている!

こんな風に感じられるようになったのも、
私が写真で体験を記録するという態勢を創り出したからです。
どんな人も自分の好きなこととなると、
目が輝き、動作がキビキビとしはじめます。
私にとって、全瞬間がそれなのですから、
ずっと私の心は生き生きとし続けている。
自分で意識的に生み出した生き方ではありません。
私の人生にいつしか染みついた生き方です。
だから、私にとっては本物。

ホロゴンをソニーα7に付けて、
奈良町を歩きました。
他のどんなレンズとも異なる描写をプレゼントしてくれます。
完璧に近い補正が施された現代レンズの愛用者には、
容認しがたい癖の画像でしょう。
私のブログ写真など、ほとんどのアマチュアカメラマンの目には、
容認しがたいほど稚拙な失敗画像と映っていることは、
私も承知しています。
それでよいのです。
おかげで、私はひっそりと自分のブログ日記を楽しめます。
今回のスーパーアンギュロン21㎜F4によるロボグラフィたちも、
私にとっては、胸おどる瞬間の記録。




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# by hologon158 | 2019-04-30 22:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

786.03 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)3 かなりうれしい


4月6日土曜日、新大阪のココプラザで考えたこと。

ココプラザにはもう3年通って来ていますが、
これまでに経験したことがないほど、人に溢れていました。
私を含めて、ほとんど80パーセントは、
どうやら第二の人生を生きる高齢者。
でも、一つ共通していることがあります。
目が生き生きしている!
自分のやりたいことを見つけて、一生懸命に打ち込む、
それが楽しくてたまらない!!
そんな人たちだからです。

私がここに来る目的は、二胡の学習です。
ですが、本人には酷な発言ですが、
見込みはありません。
二胡という楽器、スペシャルです。
あまりにも難しく、あまりにも学ぶことが多すぎます。

大抵の二胡学習者は楽しんでいることでしょう。
そこそこにそれらしく弾くのであれば、それで良いのです。
でも、私の師匠の劉継虹先生は別格中の別格なのです。
中国本土でも比肩する演奏家がほとんど居ないだけでなく、
二胡の伝統的な奏法の面では、あまりにも深遠な二胡教育家。
そんな演奏家だからこそですが、
日曜教室のレベルとはあまりにもかけ離れた、
極めて正統かつ本格的な教育をされるのです。

楊琴はピアノに、二胡はヴァイオリンに似ています。
楊琴は、なんとか弦をスティックでたたけば、曲がりなりも音が出ます。
二胡は、弓で弦をこすっても、本来の音は出ません。

楊琴は音を正しく出す方法を会得する必要があるのに対して、
二胡はそもそも本来の音を作る方法を会得する必要があります。

楊琴は努力次第でなんとかなる部分があります。
二胡は、方法、考え方が間違っていたら、どんなに努力しても、
曲がりなりにも弾けるようにはなりません。

私は性格的に楊琴に向いていますね。
1回でだめなら、百回でも繰り返す、そんなやり方。
二胡は、やり方が間違ったら、どんなに努力を重ねても無駄。
やれやれ。

実は、このレッスん後数日して、
はじめて曲がりなりにも二胡らしい音が出るようになりました。
すると、不思議なことに、他の楽器まで一斉に段を上がるようです。
3月頃から、突然、楊琴が本来の音らしい音が出て、
本来のトレモロらしいトレモロが出るようになりました。
2年ほど前に木管楽器の稀代の制作者杉原さんに作っていただいた、
往年の名制作者デンナーのアルトリコーダーの復刻も、
長い間、音が思うように出なかったのですが、
先月末、ようやく朗朗としてカラッとしたサウンドが出るようになりました。
それぞれに全く異なる性格、全く異なるジャンルの楽器なのですが、
どうも私という人間がなにか関門のようなものを突破かすり抜けてかして、
それぞれの楽器らしい音を鳴らせるようになったようなのです。

なぜほとんど同時に一つの段階を上がることができたのか?
理由は分かりませんが、ポタリポタリと少しずつコップに水を入れて行って、
突然満杯になって、水がさっとコップの外面を流れ落ちた、
そんな現象なのかも知れません。

どなたも人生で幾度も同様の体験をなさっているでしょう。
私は何事もそのようなレベルに達するのが遅い人間なので、
今回のように、一斉にレベルアップするということが遅咲きに起こったのでしょう。

一番最初に起こってほしい写真撮影では、
いつまでも初歩的なレベルに止まっているのが悔しいですね。
でも、それはこういうことかも知れません。
写真というものは、曲がりなりにもアート的な側面を持っているものです。
才能がない限り、努力だけでカバーできるレベルを突破することはできません。
私がやっている楽器で、私が達したレベルは、どれもこれも、初歩の初歩、
完全初心者から基本レベルへのアップ程度の出来事だった!
でも、かなりうれしいですね。





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# by hologon158 | 2019-04-26 23:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

786.02 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)2 先行文字文明


私は考古学が大好き。
とくに古代遺跡の発掘を巡って、近頃は動きが激しくなっています。
とくにトルコのギョベクリ・テペの発掘により、
古代史学界の常識は完全に粉みじんになってしまいました。
ドイツの考古学者シュミット教授の発掘調査によって、
どうやら1万1500年前の遺跡だと判明したのです。

当時はまだ狩猟経済の時代で、社会も文化もまったく未熟だった、
文明はシュメール、アッカド、エジプトで始まった、
長い間、そう信じられてきました。
でも、ボスニアのピラミッドもトルコのギョベクリ・テペも、
定着社会の成熟を前提としてしか成立しなかったことは明らかです。
明らかにそこには文明があったのです。

でも、確かにシュメール、アッカド、エジプトの文明は、
突然、出現したとしか思えないほど、
これら諸文明に先行する文明への成熟プロセスが見つかっていません。
たとえば、メソポタミアの楔形文字も、エジプトのヒエログリフも、
完成形だけがいきなり出土して、
文字の発展を示す先行遺物がまったく見つかっていません。

それなのに、その数千年以上前の文明が、
世界中でどうやら次々と発見されつつあるようです。
ピラミッドと来たら、さまざまな形はありますが、
世界中に数え切れないほど見つかりつつあります。
南極にもギザの三大ピラミッドにそっくりのピラミッド群が見つかっています。
しかも、遙かに巨大。

こんなとき、地質学者がこんなものは自然にできたものだよ、
とこともなげに言ってのけます。
でも、このような発言は、
自然にできたピラミッドを例証して行ってほしいものです。
そんなことをしてくれた学者はいませんが。

与那国島の海底遺跡もそうです。
どう見ても人工物!
地質学者のうちには、そんなものは海流の流れによってできるから、
ただの自然物と、軽く一蹴する学者がいます。
じゃ、そんな遺跡まがいの自然形成物を見せてほしいものです。
柱状節理の地形とはまるで違います。
とくに、与那国島の場合、海底に没したのは最近なのです。
日本列島はもと朝鮮半島、山東半島と地続きでした。
だから、与那国島も海上にあったのです。
ところが、1万2000年前から7千年前あたりまでの間に、
氷河期末期の北極氷河壁の崩壊、巨大隕石等の原因によって、
水没してしまったのです。
じゃ、その後の海流現象だと言うことになりますが、
その程度の時間の経過の中で、
与那国島の海底遺跡のような形状の直角壁が幾段も形成されるでしょうか?
とんでもありませんね。
何十万年もかかるのではありませんか?

有名な遺跡の中にも、未知の超古代文明の所産と考えられるのがあります。
たとえば、ギザのスフィンクスと大ピラミッド。
すでに、大ピラミッドの石ブロックは、
ダイヤモンドの旋盤カッター痕が発見されています。
しかも、その痕跡から推測されるそのカッターたるや、
現代の同種カッターよりも高速だったことが痕跡で分かるというのです。
私もその痕跡を見ました。
回転する同心円形の擦過痕が付いていました。
石のブロックをまっすぐ貫通している完全円形の穴も見つかります。
これも回転ドリルでないとできません。
古代エジプト文明にはそのような機械文明はありませんでした。
ことは単純です。
そんな機械文明が大ピラミッドを作った、
だから、古代エジプト文明の所産ではない、
そう結論するほかはないのです。

大スフィンクスについては、地質学者のロバート・ショック博士がすでに、
サハラ砂漠が形成される前の、まだ雨が降っていた時代、
すなわち、遅くとも7000年前、
おそらく1万5000年前に作られたものと推定しています。

もちろんエジプト学者たちはこれらの新説を一切無視しています。
そんなことを認めたら、エジプト史は完全に白紙化されてしまうからです。
学問すべてが、新たな知見によって、
過去の常識は転覆されてしまう運命にあります。
古代史学者ほど哀れな存在はありませんね。
大抵の学問はそれでもなにかまだ立場を救う地盤の一部が残されるものです。
でも、古代史学の場合は、大抵の場合、
とても脆弱な基盤に基づく推論が根拠となっているために、
その基盤が崩れると、推論そのものが雲散霧消してしまいます。

たとえば、大ピラミッドの場合、
当時の建設技術では絶対に実現できないほどの完璧な精度で建てられています。
現代技術をもってしても無理なほどなのです。
日本の建築会社が5分の1ピラミッドに挑戦して、見事失敗したそうです。
どうやら曲がりなりにも建てることさえできなかったそうです。

私は建築の素人ですが、現代技術でも絶対に無理と思う工作を、
一つ思いつきます。
大ピラミッドには、王の間等の内部空間から、
3本の穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊群を設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
これこそありえませんね。
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を、
ピラミッド内に見つけ、かつ精確に穴を開けたのでしょうか?
岩石の山ですよ、そんなこと、できると思います?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載しています。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、
四隅に立って、2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
と、こともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、一辺200mを超えるピラミッドの初段、二段目に、
ずらりと石が積み上げられたとき、その外辺が本当にまっすぐかどうか、
目で見たら分かると思いますか?

反対側の端に助手が中心に黒丸が打たれた円形ボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、黒丸が出た瞬間に、検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?

象形文字や楔形文字についても、同じことが言えますね。
どんな古代文字も、太古の原初の絵文字から出発して、
少しずつ少しずつ、字の形、書き方、意味が変遷していきますね。
一番よく分かるのが、中国です。
少しずつ少しずつ発展して来た有様、プロセスが、
発掘によって明らかになりつつあります。

日本の場合も、古代文字がどんどん見つかりつつあるようです。
でも、中国から文字文化が到来することによって、
古代文字とその文化そのものがかなり抹殺されてしまったようです。
つまり、突然字が出現する文化では、文字は外来の資産なのです。
エジプト、メソポタミアでも同様な状況に思われれます。
突然、ヒエログリフ、楔形文字が完全体で出土します。
プロトタイプや原始的な先行文字はほとんど見つからないようです。
やっぱりどこからもたらされた外来の資産なのでしょう。
ということは、そのような文字文化を発展させた文化があったはず、
ということになります。
それは何を意味するか?
さしあたって明々白々たる推論が可能です。
シュメール、アッカド、エジプトは最初の文明ではなく、
少なくとも、先行する文字文明があったはず!

すぐ近くに形成されたギョベクリ・テペ遺跡は、
先行文字文明にあたるのでしょうか?
どうやら、遺跡には文字は見つかっていないようです。
だとすると、ギョベクリ・テペを建設した人々は、
先行文字文明ではないのか、
それとも、その後に文字を発明したのか、
そのどちらなのでしょうね?
とはいえ、世界中どこにもまだヒエログリフ、楔形文字に先行する、
文字文明は見つかっていないようです。
それがもしかすると、アトランティスかも知れませんね。





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# by hologon158 | 2019-04-24 22:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

786.01 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)1 大ピラミッド



私は建築の素人ですが、
現代技術でも絶対に無理と思う工作を一つ思いつきます。
大ピラミッドには、内部は極めて複雑に作られているのですが、
それでも不足、と言わんばかりに、
3本の細い穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊を製作して設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を
どうやってピラミッド内で確認する方法、
そして、その方向に向けて小さな穴を開ける方法なんて、
あるでしょうか?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、旧式な考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ピラミッドの最底辺は約230m、わずか数㎝しか誤差がないそうですね。
ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載していました。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、四隅に立って、
2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
とこともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、ピラミッドの約230mに底辺の石が積み上げられたとき、
その一辺が本当にまっすぐかどうか、見たら分かると思いますか?
まっすぐじゃないと分かったとして、どうやって修正するのですか?
アホなことは言わないでくださいね。

ちょっとその方法を考えてみましょう。
肉眼だけでは絶対に無理ですね。
反対側の端に助手が中心に黒丸が書かれたボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、まっすぐ黒丸が出た瞬間に、
検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。
僅かに僅かにカーブしていたら、どうするのですか?

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?
まっすぐに見えるようになるまで、表面を削ってゆくのでしょうか?

測定によると、ピラミッドの頂点から垂線を下ろすと、
底辺の中心部から3㎝ほどしか外れていないそうです。
現代建築の精度をはるかに凌駕しているそうです。
どうすれば、そんな精度を実現できるのでしょうか?
上記のいつくかの例を検討しただけで分かります。
少なくとも、通説の建設時期の工業技術では、
大ピラミッドの建設は絶対に不可能だった!
現代の技術でも無理かも知れないのですから。

とすると、一体大ピラミッドはいつ、誰が建設したのでしょう?
古代史は、現代の史学者たちの憶測完全にかけ離れた展開であった、
そう推測するのが正しいようです。




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# by hologon158 | 2019-04-19 22:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

785.02 ホロゴンデイ214(2018年11月5日大和西大寺をホロゴン斜視線が走り)2 捨てられた物



アンディ・ウォーホールの面白い言葉に出会いました。

  「捨てられた物や
  役に立たないと思われている物には
  おもしろくなる可能性が
  十分にあるんじゃないかって、
  いつも思っていた。
  リサイクルみたいなものだね。
  不要品にはユーモアが詰まっていると
  常に感じていたんだ。」

これ、まさに私が写真を始めて45年、
最初からずっと感じてきたことでした。
ロボグラフィは、どんなものにも、どんな人にも、
それ以外の何者かに変化してしまう瞬間の記録なのです。
最初から、私はそんな瞬間に見せられてきたのです。
だから、私は最初からロボグラフィだった!
撮り方も被写体も最初からずっと同じでした。
つまり、私は写真に関しては、45年間ずっと不変だったわけです。

よくよく思い出しますと、幼児の頃から、
道ばたに出会う物たちもみんな生きていると感じてきました。
生まれつきだ、そう思っています。
4歳の頃の孫プリンスが私とそっくり同じだと気づいたからです。
二人で歩いていて、ふっと孫が言ったのです、
「あそこにライオンがいるよ」

私の写真がまったく人の関心をよばない理由も分かっています。
私が見ているような見方をする方が大変に少ないからです。
当たり前です。
この世、いわば真っ当な見方ができる人たちが作っているからです。
私のような人間がたくさんいたら、こうはならない。
私のように万物に変化(ヘンゲ)を見る人は確かに居ますが、
みんな違う見方をします。
ですから、互いに相手の観たものを共感するわけではありません。
だから、そんな人でも、私の写真を見ると、
「なんだ、これ?
ただのゴミ箱じゃないか」

マルセル・デュシャンの「便器」が一斉を風靡しました。
ものの見方に決まりはない、自由なんだ、
そう教えてくれたから、と言われています。
でも、私は好きではありません。
今まで多くの芸術家たちがやってきたことです。
そんな当たり前をわざわざ汚く見せるのは好きではありません。
デュシャンがいくら仰々しく、
「教えてあげよう、
君たち、ものの見方は自由なんだよ」
なんて教えても、
「便器は便器、ただそれだけ」と答える人は、
デュシャン以前と以後も変わりはしていない。

いささか影響を与えられたのは、アーチストの方でしょう。
「そうか、なにをしても良いんだ!」
その結果、どうなったか?
アートはどんどんと消滅し、
グラフィックスばかりが氾濫する時代となってしまいました。
理由は簡単です。
アートを創造するためには、それなりの才能と技能が必要ですが、
グラフィックスはちょっと気の利いた頭の持ち主なら、
才能も経験も修行も技術もなく、創作できるからです。
これは才能の下克上。
おかげで、ガラクタの才能が幅を利かせて、
本物の才能を蹴散らしてしまう時代になってしまいました。

これが21世紀の潮流です。
政治家をご覧ください。
日本もアメリカも最低の人間が牛耳っている。
ただの道具に成り下がったからです。
世界を動かしているのは、今や、各国ではありません。
世界を股にかけるコングロマリットです。
これたちが地球の真の支配者。
人間?
今や人間は統計される数になってしまいました。
統計して管理するのは、世界を牛耳っているコングロマリット。
いつの間にか、天秤の重さは逆転してしまいました。
でも、ご心配無く。
あなたは、まだ「ものの数ではない」わけではありません。
一応、統計数値として数えてもらえるのですから。




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# by hologon158 | 2019-04-17 23:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

785.01 ホロゴンデイ214(2018年11月5日大和西大寺をホロゴン斜視線が走り)1 アーシング


今、私はどこに居るでしょう?
神社を取り巻く林間道の中です。
聞こえてくるのは、風、葉ずれ、さまざまな小鳥たちのさえずり、
そして、遠くの車の音。

そんなところで、なにをしているのか?
膝の上にバッグを置き、
その上にニューポメラを開いて、この文章を書いています。
でも、本来の目的はそこにはありません。
ウォーキングシューズを脱いで、土道に裸足を付けています。
そう、アーシングをしているのです。

私がアーシングを始めたと聞いて、
私の親友のAKさんは笑いました、
『そんなのインチキです。」
でも、私は続けています。
なぜって、私は、老いを遅らせることができる工夫であれば、
なんでも試してみるつもりなのです。
そして、実際にやってみると、効果があると思えるからです。

仕組みは簡単です。
現代の人間にはあらゆるルートで静電気が流れ込んでいます。
人間は本来電気的存在です。
脳のニューロンは互いに離れています。
情報伝達は電気的に行われるのです。
その有様の再現イメージをYouTubeで見ることができます。
ニューロンとニューロンの間に火花が散っているのです。
つまり、そのような電導と化学物質の交換が情報伝達の方法なのです。
でも、体内に貯まる余分な静電気は
そうした体内での電気的活動を妨げる危険があるのです。

そこで、体内にたまった静電気を絶えずアースしようというのが、
アーシングの基本目的なのです。
方法は実に簡単。
私は、我が家の裏庭にアース棒を差し込んで、
アース線を二階書斎まで引いて、
アース専用のマットにこれをつないで、
書斎に居る間ずっとマットに裸足を載せて、
体内の静電気をアースしています。

マットから足を外すと、途端に静電気の数値は跳ね上がります。
だから、始終アースしておくよう努力することとなります。
たとえば、浴槽内にも銅板を落とし込み、
上記のアース棒につないでいます。
布団の足下にもマットを置いています。
こちらのマットはダイニングキッチンのオーブンレンジ用アース栓につないで、
昼間はキッチンでの調理、食器洗いの足下でアースしているわけです。
折悪しく、ではなく、折良くでしょう、食器洗い機が壊れました。
私に仕事を作ってくれたわけです。
私は実のところ食器洗いの名人です。
在職中もすべての洗い物は私の担当でした。
どんなに仕事が堆積していても、
私は仕事のことは妻に一切話さない主義ですので、いいわけできない。
そこで、圧倒的に高能率、超高速で仕上げるように練習を積みました。
退職すると毎日日曜日なので、
三度三度、乾いた食器を食器棚に片付け、食器を念入りに洗います。
昼、夜のどちかの食事の用意もします。
というわけで、その間ずっとマットの上で作業しますので、
まあ、四六時中アーシングをしていることになります。

一昨日、その歴然たる効果を体験しました。
その日夕方、近鉄駅前のバス発着場に行くため、
大きな交差点を渡ることにしました。
商店街を出たところで、
前方の青信号が終わりかけていることに気づきました。
前方に、タクシー乗り場のタクシー待機スペース、大きな交差点。

「猛然と」かどうかは主観的な表現ですが、
ほぼ70mほどだけなのですが、以前の私なら、諦めました。
でも、今はバス時刻が切迫して、次の信号を待つ時間的余裕がない。
でも、バスに乗りたい、
そこで猛然と駆け抜けました。
最初から最後まで脚がよく上がり、まったく疲れを感じないで、
同一速度で駆け抜けることができたのです。
しかも、呼吸もまったく上がらず、すっと並足に戻り、
呼吸の乱れは皆無でした。

実のところ、そんなに元気よく駈けることができるとは、
思っていませんでした。
3ヶ月ほど前から、朝のストレッチにスクワットを採り入れ、
20回から30回、30回から40回と少しずつ回数を上げているところです。
このスクワットの効果も加味されているのでしょう。

でも、体の軽さ、体をまったく意識しないで済む軽快感には、
かなりのものがあり、
近頃、味わったことがない、新しい感覚じゃないか、
だとすると、やっぱりアーシングの効果が現れ始めたのじゃないかと思われるのです。

昨日は自宅で過ごす日でしたが、
どうせ暇なのです。
必ず近所の神社の林間道を散歩して、ついでに裸足になって、
林間アーシングを楽しんで見ることにしたのです。
つまり、まず、裸足になってベンチに座りました。
そのために、最初から靴下ははかず、
ビニール包装のおしぼりを数本バッグに忍ばせました。
おしぼりで足裏をきれいにして、靴を履くことにしたのです。
折から新調したばかりのポメラも快調。

えっ、足裏が冷たくないか、ですって?
それが不思議です。
全然冷たくないのです。
痛くないか、ですって?
ぜーんぜん。
なにしろご先祖様は何代か前まで
裸足で一生過ごしていたのですから。
私自身、小学生の頃、運動会はもちろん、
なにかと裸足で駆け回っていました。
田舎の子供だったのです。

半時間、ポメラを使っていたのすが、突然思い立ちました。
そうだ、裸足で散歩してみよう。
出発!
痛い!
この林間道、でこぼこで石ころだらけ、
そして、さまざまなとげだらけの実とかかけらとが、
そこかしこに待ち伏せをしているのです。
でも、我慢しました。
約150mほどの短いハーフコースです。
ここで最初から音を上げていたんじゃ、どうしようもありません。

日本におけるアーシングの唱道者の一人がエハン・デラヴィさん。
YouTubeでエハン塾と検索しますと、その模様が記録されています。
実に面白い。
時折いい加減な発言も見つかりますが、これは、「知らぬが仏」
それよりも私の好奇心を満たしてくれ、さまざまな未知の貴重な情報を教えてくれます。
詳しく知りたくなったら、自分で研究すればよいだけ。
私のぼけ防止法は、こうした知的好奇心を満たすYouTube番組、
そして、BBCのナショナルジオグラフィックなどの英語番組のYouTube版。



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# by hologon158 | 2019-04-15 18:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

784.02 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)2 ヨボヨボに?



784.02 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)2 今日は何を?
引退生活に入ると、日々、一つの問いにさらされますね。

「生きているというために、
今日は何をしたらよいのだろうか?」

容易に答えられない問いですね。
さりとて、職業生活に明け暮れていた当時、
本当に生きていたんだろうか?
そう真剣に問いかけてみると、
なんだか仕事に明け暮れているだけで、
本当に生きるためには何をどうすべきか、
というこの問いを意識していなかったのでは、
という気もしてきます。

仕事を大いに楽しみましたが、
さりとて、それが「よく生きること」なのか?
そう真剣に考えてみますと、
どうもそこまで創造的なことでもなかった、という気がします。
結局、そんなことを悠長に考える暇もなく、
必死で毎日の生を生きていたのかも知れません。

そう考えると、引退後、
こうして生きる意味、目的を真剣に考えるようになったのは、
せめて遅ればせでも、遅くはない、今からでいいから、
自分の人生を意義ならしめようとする努力なのだろう、そう感じます。

よくこういう高齢者が居ます。
「あとは、死を待つだけですよ」
一種の韜晦趣味なのでしょう。
でも、こんな見せかけは実質になる危険があります。
そんな風に考えた途端、
「待つこと」以外に意味のある行動はあるのでしょうか?
待つためには、毎日、一体なにをすればよいのでしょう?

そんなことも含めて、なんにも考えていない人もいるでしょう。
そのように、人のダイナミックレンジは広大です。
一方の端には、
やること、やりたいことがあふれるほどあって、
日々、精一杯生きている人もいるようです。
他方の端には、
生きるために必要最小限のこと以外なにもしない、
なにも考えない、という人もいるでしょう。

先頃のイチローの引退劇は教訓的でした。
イチローは少なくとも50までは大リーグでプレイできる、
そう確信し、そのための努力を続けていました。
でも、大リーグの関係者、とくにマリナーズは、彼の意思には敬意を払いつつ、
でも、彼の時代は過ぎた、彼はチームを優勝に導くだけの力はなくなった、
そう正確に見抜いていたのでしょう。
でも、大リーグ史上屈指の至宝の意思は尊重して、
彼のために扉を開け続けていたのでしょう。

でも、彼は去年一年間フィールドでプレイをしませんでした。
おそらく大リーグでのプレイは0.0O1秒ほどのズレが致命的になる、
それほどの刹那が交錯する世界のようです。
その感覚は実戦でしか磨かれず、保たれないものでしょう。
彼は一年間実戦から遠ざかることで、
彼が何十年も培い、保ち、磨き続けた刹那の感覚は次第に薄れてゆき、
一度薄れてしまいと、年齢による体力の微妙な衰えも手伝って、
二度と戻らないこととなってしまったのではないでしょうか?

イチローの体験から、ローマ帝国の軍団兵の平時での調練が、
すべて二倍の重さの装備を使って行なわれた理由が明らかになります。
実戦では何十分の一秒かの遅れが死につながります。
それが分かっているから、アドレナリンは平時の何十倍も排出され、
瞬発力も平時の何十倍も鋭くなるのでしょう。
でも、平時の調練では、それが実戦ではないことが分かっているので、
当然ながら心身はのどかに流れ、
瞬発力は実戦時の何十分の一かに落ちてしまいます。
そこで、心の弛みを、装備の重さでカバーして、
実戦時の緊張感を生み出すようにしたのでしょう。

とすると、私たちの課題も自ずと明らかになります。
私たちは、日常、常にこの平時のローマ軍団兵状態なのです。
実戦の緊張感、悲壮感、決死の覚悟など心身から抜けきって、
ほとんど眠りこけた状態に近い心身なのです。
こんな寝ぼけた自分を揺り動かして、
実戦さながらの緊張感、悲壮感、決死の覚悟を心身に漲らせる、
そんな揺り戻しを画策しなければならないのではないでしょうか?

路上に出て、ロボグラフィを撮るとき、
ストリートスナップも試みることにしています。
写真家の皆さん、個人情報の保護の規制に縛られて、
もはやストリートフォトの写真家は消えつつあります。
予め声をかけて撮りましょう、と推奨されています。
ポートレート作家はそんなことを言われる前、昔からやってきました。
そうすることで、被写体となった女性たちに最上の姿と心を用意させて、
その人のもっとも美しいと自他ともに納得するポートレートを撮る、
それがポートレート作家の身上なのですから、当然の作業。

でも、カルティエ=ブレッソン、木村伊兵衛を初めとする、
ストリートフォトグラファーの狙いは違います。
ストリートで展開する人々の人生の一こまから浮かび出る、
人間たちの自然な交錯の瞬間から浮かびあがる、
人間生活の面白さ、人々の心と振る舞いの豊かな表出を記録する。
そんな瞬間芸の達人たちはどうやら陸続として、
ストリートフォトから撤退し、人間の環境を様々に撮ることによって、
そこに写っていない人間たちの営みの面白さを表現する方向に、
一斉に転進してしまいました。

結果は悲惨です。
退屈です。
写真に撮らなければならない必然性が感じられない。
名人芸など不要になってしまい、
子供や猿にカメラを持たせても、出来る芸じゃないの?
という感じさえしてきます。
心が躍らず、驚きも感じない。
はっきり言って、詰まりません。

要するに、ストリートフォトの写真家に試練の時が到来しています。
そのような難しさを克服して、
心躍る写真アートを創造するには、どうすればよいか?
課題が克服困難なほどに難しければ難しいほど、
その課題に創造的な回答を見つけ出せる写真家は、
優れた写真芸術を生み出すことになりそうです。
どんな場合でも、条件が難しくなり克服困難になるほど、
そのような試練、挑戦に見事打ち勝つことができれば、
ストリートフォトが撮りやすかった過去の数十年には、
到底実現不可能だった境地を開拓できるかも知れないからです。

「写真は表現である」と当然のように言われてきました。
その背景には、折角写真を始めたんだから、
人に賞賛され、驚嘆されるような名作を撮りたいという、
カメラマンたちの自然な願望があるように思われます。
芸術史上では、写真と映画は、
20世紀が確立したリアリズム芸術の新技法、新分野、
そう位置づけることができるのでしょう。

でも、私はご免です。
自分の人生のために写真を撮ることにしました。
写真には、表現芸術の側面があるとしても、
そのような側面を志す写真家はごく少数です。
世界の99%のカメラの使い手のスタンス、志望は違います。
自己表現の気持ちがあろうが、なかろうが、
自分自身の心が満たされたら、それで十分、
人の反応などどうでもよい!
だって、他人がどう思おうとも、私とは関係がないんだから。
たまに他人に賞賛されても、それがどうだって言うの?
言った本人はとっくの昔にその写真のことなど忘れてしまい、
私も賞賛されたことなど忘れてしまい、
人生になんにの付け加えてくれないのですから。

誰にとってもそうですが、記憶なんて、どうでもよいのです。
今、現在がすべて!
今、なにをするか?
それが私の心をどう満たし、どう喜ばせてくれるか?
明日へのエネルギーになってくれるかどうか?
それだけが大切。

私のブログに偶然迷い込んだ人は、とまどい、あきれるでしょう。
これはなんだ?
なんでこんな意味不明、支離滅裂の文章と写真をずらずら並べてるの?
そう、それがまともな反応です。
遠慮することはありません。
さっさと退散して、2度とおいでになることはありません。

私は私で、自分と遊ぶのに忙しいのですから。
アレクサンドロスが樽の哲人ディオゲネスを表敬訪問したとき、
大王はうやうやしく尋ねました、
「先生のお望みをなんでもかなえたいと思いますが?」
隠者は即座に答えました、
「ちょっとそこどいてくれんか?
あんた、お日様をさえぎってるよ」

まだ学生の頃、この話を読んで、
私が瞬時に、どちらの立場に共感したか?
分かりますか?
お分かりですね。
もちろんディオゲネスです。
でも、多くの人はディオゲネスになりたいなんて思わないでしょう。
アレクサンドロスのようになれるとは思えないけど、
やっぱりアレクサンドロスの方がずっと魅力的、
そうお感じでしょう。
そうだったら、このブログにおいでになることなどありません。
時間の無駄です。
王道を堂々と歩み続けましょう。





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# by hologon158 | 2019-04-13 17:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

784.01 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)1 全員白!



私が年をとったせいでしょうか?
町歩きをしますと、どうしても、高齢者ばかり目についてしまいます。
しかも、ちょっと恐ろしい感じがします。
というのは、なんだか高齢者たち、どんどんヨボヨボになっていく!
その中には見覚えがある感じの人もかなり混じっていますが、
その人たちもどんどん高齢となっていくのでは?
ビジネススーツ姿の男性たちにも、
私が現役の頃見かけたり、出会ったりした人ではないか、
と感じる人も見かけますが、やっぱり老いている!

私は若い頃、日本の社会は新陳代謝を繰り返しながらも、
盛んな社会活動が交錯するエネルギッシュな様相を
変わらず保ち続けるものと思っていました。

昭和20年、30年代のコンサート風景写真を見たことがあります。
居並ぶ聴衆が真っ白なのです。
なにが?
ワイシャツとブラウスが全員白!
並ぶ男女は全員、青年たち!

実に異常な光景。
でも、思い返せば、当然だったのです。
第二次世界大戦を終えた世界はかなり文化交流を増し、
日本でも、ラジオで耳にする音楽はクラシックが激増し、
クラシックコンサートが激増しました。
でも、大戦で壮年男女の多くを失った日本のクラシック愛好者は、
必然的に青年層の比重を増していたのです。
年配者は激減し、かつ音楽など楽しむ余裕もなかった?

今、クラシックコンサートには、
そのように戦後まもなくクラシックに目覚めた男女たちが、
今や、高齢者層となって生き残っている!
そして、若い年齢層の多くはクラシック離れをしていく。

社会は安定性を失い、未来は予測不能で、
不安要素が数知れず渦巻いています。
悠長に、モーツァルトにゆったりと耳を傾けるよりも、
耳をつんざく大音響、ガンガンとリズムを刻むドラム、
そして、割れた絶叫のボーカル、そんな騒音音楽のシャワーを浴びて、
今を忘れたい、そんな層がどんどんと増えているのではないでしょうか?

そして、大阪のような大都会に激増した高層マンションが
若い勤労者層を吸収してしまい
奈良のような地方都市は、
むしろ高年齢層が余生を送る地域に移行していくようです。
ですから、大阪や東京では青年層がまだ動き回っているけど、
奈良のような衛星都市圏では、高年齢層の比率が増大し続けている、
というのが現状ではないでしょうか?

でも、少し冷静になって思い返すと、もう一つ。
私が歩くのは概ね平日のアフタヌーンです。
若い勤労者層はみんな屋内で働いています。
奈良の町を歩いているのは観光客と高齢無職老人ばかり。
でも、こうしたファクターをさておいても、
日本全体で老人層が増加していることは疑いがありません。

ついでに書きますと、
女性たちが年々、日に日に、強さを増していきつつある、
そんな感じもしますね。




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# by hologon158 | 2019-04-10 21:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

783.02 ホロゴン外傅260(2018年11月2日エクター35㎜f3.3が肘塚経由で奈良町へ)2 大仏様



3月27日水曜日、つまり、かなり前のことですが、
妻は神戸に出かけ、私は子供たち(猫ですが)を家に残して、
昼食後、東大寺に向けて出発しました。
別に大仏様に呼ばれたわけではありませんが、
仏像の撮影が許されているのが東大寺だけ。
時々は、大仏様にお目にかかり、
博物館で日光、月光菩薩に挨拶するのが習慣になりつつあります。

東大寺参拝者のほぼ80パーセントはどうやら外国人観光客。
段々と純然たる観光スポットの地位に収まりつつある感じがします。
もっとも、私だって、なんの信仰ももっていないのですから、
観光客とほぼ同じスタンスですが、
偉大な仏像たちを敬愛する点では、誰にも劣らないと自負しています。

いつも書くことですが、
国宝中とくに傑出した仏像のほとんどは奈良に集まっています。
とくに、東大寺の日光、月光両菩薩、興福寺の阿修羅、
戒壇院の四天王、薬師寺の薬師三尊像、唐招提寺の鑑真和上像、
法隆寺の百済観音、中宮寺の如意輪観音、と並べると、
全世界の彫像芸術の最高峰の一つを形成している傑作群だ、
私はそう確信しています。
ですから、お目にかかる機会があれば、
ご挨拶しておくことにしています。
これが奈良人の特権、私はかってにそう確信しています。

大仏様は、私の感覚にとっては、仏像芸術とはとても思えません。
あまりにも壮大な存在感なのですから。
大仏殿建立当時の大仏様は遙かに巨大だったそうです。
大きなものなど見たことのない奈良時代の日本人にとっては、
現代の私たちには想像できないほどに奇跡的なお姿で、
一生忘れることのできない印象を刻み込む、
未曾有に壮大な存在だったでしょう。

私も同種の体験をしました。
小学校6年1学期までは大和高田市に住んでいたのですが、
幾度か東大寺を訪れた記憶があります。
6年夏休みに大阪府豊中市に移転して以来お目にかからないまま、
大学1年になって、東大寺を再訪しました。
そして、大仏様を見上げて、びっくり仰天しました。

  「あれっ?
   大仏様って、こんなに小さかったの?」

でも、2、3年経って大仏殿を訪れたときの印象が傑作です。

  「大仏様って、こんなに大きかったの?」

本来のパースペクティブが戻ってきたようです。
この体験で、私は学びました。
パースペクティブは自分自身と他の存在との兼ね合いで変わる、
いわば伸縮自在の尺度なのですね。
当然、と言えば、当然です。
でも、どうしても、大仏様はこんな風に見えるはず、と、
勝手に私たちの方で思い込んでいるために、
足をすくわれることがあるようです。
楽しいですね。

当日持ち出したセットは、先日のエルマー35㎜F3.5の対抗馬。

ソニーα7
ズマロン35㎜F3.5

長年、ライカの広角レンズの最高峰は
ズミクロンでもズミルックスでもなく、これ、
と、確信していました。
それなのに、近頃、エルマー35㎜のが急上昇しているのですが、
今回は、にわかに、コダックの怪物レンジファインダー機、
エクトラ用の35㎜レンズ、エクター35㎜が割り込んで来た感じ。
コダックらしいやや赤みを帯びた温かい色感が温かみを醸し出し、
しかも、とてもコクのある印象が濃厚で、ただ者ではない感触。
自分らしい写真表現に満ちた作品を創造した写真家には、
レンズそのものの存在感が邪魔になるかもしれません。
でも、私はひたすらゾクゾクとさせてもらって、感謝、感謝!

レンズたちよ、もっともっと自分らしさをせせり出して、
互いにがっぷり四つで果てしなく勝負し続けて!




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# by hologon158 | 2019-04-08 22:48 | ホロゴン外傳 | Comments(0)