わが友ホロゴン・わが夢タンバール

723.04 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」4 瞑想の道具


この日、京都東山の斜面でホロゴンが楽しくさえずりました。
他のすべてのレンズとの違いが一つ。
私はホロゴンを持った途端に、写真の初歩、構図を忘れます。
ただ、そちらに向かって、一枚シャッターを切る、ただそれだけ。
楽しいのです。
その場を楽しみ、シャッター音を楽しむ、それに尽きます。
1032枚撮りました。

写真家の皆さん、眉をひそめるでしょう。
写真は数じゃない。
そんな撮り方で入魂の一枚が撮れるわけがない!
その通り!
私も異論はありません。

多くの写真家は狩人です。
私は哲学者カントでありたい。
カメラ、レンズは狩猟銃じゃない。
瞑想の道具であってほしい。

カントは、心を瞑想の森に遊ばせたのでしょう。
家に戻ると、早速机に向かい、
心に浮かんだモチーフを紙に書き記したでしょう。
私は、ホロゴン写真一枚ごとに、
そのとき、その場での私を思い出すことができます。
人には意味不明でも、私には鮮明です。

私はこれを「ロボグラフィ」と呼んでいるのですが、
この言葉は絶対に写真ジャンルにはなりません。
絶対的にプライベート。
私向けの情報だけしか含まれていないのですから。

先日も友人に、話の流れの都合上、ちょっと見せました。
友人は途方にくれた表情で、一言、大阪弁で、
「なんや、それ?」
この人、鑑識眼がありますね。




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# by hologon158 | 2018-05-16 23:03 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.03 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」3 リコーダー三重奏


アブニールコンサートでのリコーダー三重奏のことを幾度も反芻しています。
以前から分かっていたことですが、
私という人間、どうやら独奏タイプではありません。
揚琴でかなりの数の公開演奏に参加しました。
その中には正式なコンサートが2公演。
多数の観衆の前での各種ライブが数回。
二胡、揚琴の発表会が十数回。
小人数の聴衆を前にしての小演奏会も数回。
フェリーのロビーでの演奏も一回参加しました。
経験はかなりありますが、私のパフォーマンスは厳然と2分されます。
独奏だと、必ず上がる。
伴奏だと、二重奏でも、上がりません。

アブニールコンサートには最初から4回連続でリコーダー演奏で参加しました。
最初の三回は2本の重奏。
私が主奏、音楽家の浜崎さんが伴奏でサポート。
上がりに上がりました。

今回は三重奏でした。
お二人の音楽家が伴奏に回って支えてくれて、
私がリードパートを吹くという形式。
自信をつけるために、猛烈に練習しました。
練習を重ねた上に三人に増えたのだから、今回は上がらないだろう、
そう多寡をくくっていました。

過信でした。
演奏する内にじわじわと震えが下から湧き上がってくるのです。
音が震えそうになります。
そこで、それを押さえようと、必死で音を吹きます。
リコーダーは息の強さでピッチが変わる楽器です。
安定したピッチで演奏しないと、音楽になりません。
上づったら、ピッチが上がり、音楽が必死の様相を呈します。
これを防ぐために、音を押さえ、震えを抑えようと必死になります。
もうこうなると、泳げないのに、浮き輪の空気が漏れてしまって、
岸にもう少しというあたりで、無我夢中でもがくカナヅチ状態。

妻がわざわざ奈良から神戸まで足を運んで、
私に内緒で、私の演奏を観ていました。
これを知っていたら、私はもう完全にひもの切れた風船、
上がりに上がってしまったでしょう。
その妻は、私の震えには気づかなかったようですが、
「音がうわずって、強すぎたわよ。
真ん中か、右の人が第一パートを吹いたら良かったのに」

今回のアブニールコンサート、一般参加者としては私が一番多数回出演。
リコーダー以外に、揚琴、二胡の合奏に合計2回参加したのですから。
後者はすべて揚琴伴奏です。
10年以上付虹先生に鍛えていただいたせいもあるでしょう、
たった3年のリコーダーとは比較にならない位基礎を固めてもらっています。
幾度も間違いました。
でも、まるで上がりませんでした。
そんなときは音を出さないようにして、すぐに「正道に戻り」、
かなりしっかりとラストを締めました。

でも、妻の感想は厳しいものでした。
「先生の音だけがしっかりと聞こえて、
他の人はばらばらだった。
それに、あの顔、なに?
付虹先生以外の人はみんな仏頂面だった。
もっとにこやかにしなきゃ!」

私は、自然に笑顔がこぼれるほど音楽を自分のものにしていないし、
まして作り笑いなど生涯やったことがありません。
付虹先生はプロですから別として、
誰でも、笑顔を自然に作るのは難しいようです。
別グループの二胡奏者の女性は、ライブによく出ておられるそうです。
さすがに、演奏が終わると、実に美しい笑顔になりました。
私のように、必死でなんとか間違わずに弾ければ幸い、
というレベルの人間にはとても無理ですね。

リコーダー合奏の私以外のメンバーお二人は、
次回以降も続けるお気持ちです。
折りよく、と言うか、折り悪しく、と言うか、
コンサートの観客にバスリコーダーをお持ちの方がいて、
参加したいというご希望だそうです。

リコーダーアンサンブルは基本的に四重奏です。
ソプラノ、アルト、テナー、バスの4声部がそろったとき、
ハーモニーが揃います。
4声部のリコーダーアンサンブルを楽しんでみたい、
そう希望してきましたが、
まさか練習だけ参加して、コンサートには出ない、
というわけには行きませんね。

私が抜けても、浜崎さんはもちろんソプラノリコーダーも吹けますから、
浜崎さんを第一パートにして、
もっと聞き応えのあるリコーダーアンサンブルができます。
そのうち、もう一人、リコーダー奏者が見つかるでしょう。

ちょっと寂しくなりそうな私のリコーダー人生ですが、
リコーダー固有の名曲たちに戻ることにしたいという気持ちが強い。
折りよく、ヘンデルのリコーダーソナタ2曲のチェンバロ伴奏が、
なんと幸運なことに、Youtubeで見つかりました。
本当にチェンバロ奏者が我が家に来たような気分で、
アルトリコーダーを楽しめることができます。

RJPというサイトで、伴奏CDと楽譜セットがたくさん見つかります。
これまでこの伴奏を愛用してきました。
コンピュータソフトによる製作です。
サンプリングされたチェンバロサウンドを伴奏に仕上げたものです。
これでも、楽しめますが、
本物の演奏となると、別格です。
自分の下手なリコーダーが本物らしく聞こえるのですからうれしいですね。
こんな風に、相棒にも聴衆にも迷惑をかけない楽しみ方こそ、
下手の横好きにはふさわしい。

こんな風に方向を決めると、心がすずやかになりました。
浜崎さんたちはがっかりされるでしょうけど、
いざ私抜きでやってみたら、もっとのびのびと音楽が歌うでしょう。
アブニールコンサートのデッドスポットにライトがさっと当たることになるでしょう。
アンサンブルは下手な奏者のお守りじゃないのですから。



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# by hologon158 | 2018-05-13 22:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.02 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」2 鈴木春信展


5月8日水曜日、
大阪天王寺のアベノハルカスの鈴木春信浮世絵展に参りました。
江戸時代の木版多色刷りの錦絵の描法を確立した、
いわば始祖のような画家なのだそうです。

ほとんどすべてA4ほどの小さな摺絵です。
色彩も極度に限定され、総体に淡い色調。
女性の顔がとても繊細で薄い描線ですっと一線、
あえかにはかなげ、あでやかに艶麗に描かれて、
筆舌に尽くしがたいほどにデリケート。

女性の全身像は、中国の仇英の影響だそうで、
まさにモジリアニの顔の曲線で全身を描き出したようで、
それでいて、仇英同様に、バランスが絶妙で、あえかで艶やか。

水曜の午前中は穴場なのかも知れません。
最初から最後まで1人で1枚ずつしっかりと鑑賞できる客数。
絵のカルチャー組らしい男女数人の一人が、
ちょっと声高に、
「...さん、これ位やったら、俺でも描けるって思ってるやろ!」
写真と同じで、絵でも、圧倒的に慢心できる人が居ますから、
これはおそらく図星なのでしょう。
係員の女性がすっとんで行って、ひそやかに、
「あの、ほかの方のご迷惑にならない程度に小さくお願いします」

鑑賞に時間がかかる理由の一つが、
掲示文を全部律儀に読む人がいるからです。
そのうえ、春信は衣の模様のなかに隠し文字を忍ばせたそうで、
その図解まで掲示されています。
すると、二人連れのおばちゃんたち、
「あ、これが「十」の字やあ、
そう言われないと、分からんわなあ....」
絵は知識じゃないのです。
説明で分かるような種類のデータの判読ではありません。
未知の美との対面、超越的な感動の衝撃、
ショック、インスピレーション、啓示なのです。
文字、説明、題名など放り出してしまいましょう。
ただ、絵と素で向かい合う、これしかつきあい方はありません。
愛する人、愛するものとの出会い、交わりと同じではありませんか?

春信の美人たちの頬の繊細な描線は、単なる巧みさ故ではありません。
剛直なほど力強い描線をどのような形であれ一線で描き出せる筆力、
これは精神力の賜物です。
小さな絵に小さなスペースで、たとえば、
水の流れ、雨足、川、簾、格子等、
狭い間隔の線を超絶的に反復する箇所が随所に出現します。
その描線の繊細な重なりの正確性、そこから生まれる表現の強靱さ、
そのすごみ、その極致から生まれる音楽性は圧倒的です。
春信はものすごい修練、鍛錬の果てに作品を生みだしたのです。

春信という人は、江戸美術の巨人の一人なのかも知れない、
そんな強烈な印象でした。
まったくいかなる知識もないので、
私の勝手な途方もないでたらめな印象かもしれませんが、
私は学識の高さ、深さを誇るつもりなどありませんので、
思ったまま書きなぐるだけ。

でも、展示の最終スペースで、
春信が凡百に遙かに勝ることが証明されていました。
同時代、あるいはその後の浮世絵画家たちの作品が並んでいました。
春信の絵がはるかな高みにあることは一目瞭然でした。
描線がほんのわずかですが、頼りないのです。
天才と凡才の違い。

でも、たった2枚だけ、
「ああ、この人だけは違う!」
春信とはまったく作風が違います。
ふくよかで、あでやかで、のびのびとしています。
名板を見て、納得!
「喜多川歌麿」!

歌麿の線の方が強い。
でも、春信のように、消え入らんばかりにあえかに、
それなのに確かな線をすっと伸ばして、
その線がいつも生きている、これは天才の技。

それにしても、春信の線をこれほどまでに活かし切る、
彫り師の技の凄さ!
小さな作品に天才たちの入魂の仕事がぎっしりと詰まっています。
ただの庶民の手仕事が偉大な芸術として人類の遺産になる、なんて、
彼らの心にちらりとも浮かんだでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-05-10 22:19 | ホロゴンデイ | Comments(0)

723.01 ホロゴンデイ203「2018年11月25日ホロゴン15㎜F8U京都東山で」1 生き甲斐


近頃、老夫婦にあちこちで出会います。
たいてい、男性が先に歩き、女性が1メートルほど後方。
その男性の95%に共通点があります。
苦虫をかみつぶしたように不機嫌で、とても暗い表情。
とくに目がどんよりと曇っています。
実のところ、そんな表情は老人に限ったことではありませんが。

私の経験では、心の中が歓びに沸き立っている人は、
どんなに暗い表情を装っても、隠しきれない部分があります。
目。
目は心の光、輝きをじかに映し出します。
だから、目が暗然と淀んでいるのに、心の中は歓喜に沸き立っている、
そんな人に出会ったことはありません。
詐欺師とは、さまざまな特殊な職業の人間は別ですが。
大抵の人の目は心を隠せないのです。

家の外、ストリートで、公衆の面前でこんなに暗然とした風情だと、
家の内ではどうなのでしょう?
どちらも同じ表情なのだとすると、その方、
パブリックな対人関係を大切にする気持ちを失っているのでは?
そんな気持ちはまだ持っていて、
これでも精一杯明るく振る舞っているのだとすると、
その心の内の暗さはただならぬ程度になっているのでは?

どんなものでもよい、達成したい目標を持っていたら、
こんな暗い表情など浮かべるはずがないのでは?
この方、人生でもうなにか達成したい目標などないのでは?
そんな感じがします。

子供の目をしっかり見て下さい。
輝いているではありませんか?
内から光が発しているではありませんか?
心の内にも外にも心底関心があり、
目標、希望、歓喜がほとばしり出ているようです。

思うのですが、
老齢になったからと言って、
当然に人生の目標、希望、歓喜を失うわけではないはず。
自分から目をつぶり、扉を閉ざし、窓を閉め、
道を歩き出そうとしていないのです。
人生の生き甲斐だった仕事にすべて燃焼し切ってしまった、
そう考えているのであれば、人生を自分で狭めているのです。
人生の最初から最後まで、心は生き甲斐で満たされ、
ああ、生きていてよかった、
こんなことができたのだから、
こんなものに出会えたのだから、
そう心の底から歓びがほとばしり出るように生きる、
これこそ人生の目標ではありませんか?
名声も地位も富も、人生の目標ではありません。
生き甲斐のある人生がたまたま名声、地位、富をもたらすかもしれません。
でも、それはいわば余光のようなものです。
自分の心の内に光と歓喜で満たす、これが本当の目標。
そう考えて生きたいものです。

私は、名声も地位も富もすべて無縁の人生ですが、
いつも心に自問します、「ぼくは生きているか?」
鏡を見る度に確認します、「ぼくの目は輝いているか?」

一つ、人生を生き甲斐のあるものにする秘訣をお教えしましょう。
実に簡単です。
どんな瞬間にも、四の五の言わず、こう信じるのです、
今やっていること、それがなんであっても、
そう、これこそ今やるべきことなんだ!
これこそ今したいことなんだ!

やってみて下さい。
なかなか難しいですよ。
でも、やってみれば、案外、簡単にできるものですよ。
どんな年齢の人間でも実は一緒、
私は、あなたは、次の瞬間には死ぬかも知れないのです。
だとすると、明日のこと、来年のことはひとまず置いて、
今、この瞬間に心を集中しましょう。
すべてを人生の目標にすれば、
達成感、生き甲斐、喜びがすべての瞬間を満たすでしょう。
騙されたと思って、お試しください。




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# by hologon158 | 2018-05-07 22:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

722.03 ホロゴン外傅225「2017年11月24日奈良町はパンタッカー50㎜F2.3の里で」3-完-アブニールコンサート


4月28日土曜日、第四回アブニールコンサート。
大成功だったようです。
私は3つの演目に出演して、くたくたに疲れきりました。
コンサート皮切りに、揚琴合奏。
第2部冒頭に、リコーダーアンサンブル。
最後から2番目に、揚琴、二個合奏団。
全コンサートにまたがって出演するのですから、
演奏のための待機、後始末で、公演の3分の1は舞台裏。
なんとか大きなミスはなく、3演奏とも終わりましたが、
実力不相応に欲張った報いで、どれも不消化に終わりました。

帰路、JR神戸線の大阪行き快速で疲れを休めていますと、
妻からメール、「今、どこ?」
私、「大阪行き快速の中」
妻、「私も」
私、「えっ、どこに行ってたの?」
妻、「コンサート」
見てほしくなかった!
それを知っている妻、私に内緒で来ていて、
さんざんの酷評でした。
リコーダーは、強く吹きすぎ、リコーダーらしくない。
真ん中の人か右の人が主旋律を吹いたら、もっと違ったはず。
揚琴も、付虹先生の音だけが聞こえて、伴奏が邪魔をしていた。

私がリコーダーを強く吹き過ぎたのには理由があります。
私は、揚琴は上がらず、リコーダーは上がりました。
リコーダー合奏は一応はそのままに演奏できたのですが、
ともすると、音が震えそうになることに気づきました。
それじゃ、そうならないように強く吹く、
なんとか凌ぐ、
でも、また震えそうになる、強く吹く、
という悪循環でした。

リコーダー合奏は続けたいけど、
大きなホールでの演奏はもうこりごりです。
間の悪いことに、コンサートに来ていた男性から、
グループ参加の希望があったことを知りました。
バスリコーダーをお持ちの男性が、
「私もバスリコーダーで四重奏に加わりたい」
私も、ダウランドなどのルネサンスの四重奏曲をしたい。
でも、コンサートはもうこりごり。

ところが、おかしなことに気づきました。
私の揚琴とリコーダーのサウンドが、
コンサート後ガラリと変ったのです。
朗々と歌い出しただけでありません。
揚琴は絶えずチューニングしていますが、
付虹先生の揚琴たちや、先生が調律した生徒の揚琴、
これまでは私の揚琴とは違う音でした。
カラッとして、よく弾みます。
もちろん音程も文句なし。
一方、私の揚琴はどうしてもきちんと調律できず、
音の方がなんだか湿っぽい。

150本以上の各種のピアノ弦が4オクターブを超える音階を作ります。
低音は螺旋1本、最高音は細い弦が5本並んで、1つの音になります。
低音の調律は簡単ですが、4本弦、5本弦の高音部は難しい。
一番下の弦をピタリと合わせて、5本まで順次調律して、
一番下の弦に戻ると、僅かに高音にずれています。
理由は知りません。
一番上から始めても、同様にずれます。
わずかでも不揃いだと、当然ながら、音がずれます。
私のように、音痴に近い人間でも、音の濁りが分かります。
ところが、コンサート後はとても弾んで澄んだ音に一変。

揚琴のスティック(琴竹)は、本体が竹で、
先端部の象牙、プラスチックの打弦部分を
しなやかなゴムチューブで覆います。
細いチューブに切れ込みを入れ、両端だけを輪にします。
このチューブの両端の輪にスティック先端から押しこみます。
一番先頭の輪が打弦部分の根に収まり、反対の輪は、
スティック先端にひっかかった状態になります。
こうして、背中を全部むき出しにした水着を着た美女、
そんな感じになります。
でも、無理矢理押しこむと、ゴムの先頭の輪が破れます。
コツが必要です。
でも、慣れると、なんとか出来るようになります。

ツィンバロン一族の中で、こんな風にゴムと竹と象牙という、
精巧で繊細なスティックを使う楽器は他にありません。
クラシック楽器と同じ音階になっている唯一の楽器なので、
このスティックを使って出した音は繊細で躍動的です。
要するに、素晴らしい楽器なのです。
それだけに習得は難しい。

たとえば、ピアノは指先が直接打鍵します。
ところが、揚琴はグリップから22、3㎝先に打鍵部があり、
空中でしなやかに振り下ろして音を作ります。
スティックを操る支点は遠いのに、
スティックの打鍵ポイントも、揚琴の弦の正しい打鍵位置も、
とても狭い。
だから、どちらかが簡単にずれます。
ずれますと、音が濁ります。
手首のしなやかな運動が鍵なのですが、
その際、指全部がそれぞれ独特に動いて、
手首の運動を支えたり、助けたりします。
この動かし方を習得するのが大変に難しいのです。
付虹先生の生徒中、今のところ、正しく習得しているのは、
付虹先生のお子さんと一番古い弟子の女性一人だけのようです。
ところが、コンサートが刺激になったようです。
私も突然、「ああ、こうだったんだ!」と分かったようです。
コンサート前とはまるで違うサウンドにしびれています。

そして、リコーダー。
私は、今回のコンサートで知りました、
私にはコンサートで合奏する能力はない。
揚琴は12年ほどでようやく少しブレイクできたようです。
それをリコーダーでたった2年半で同じことをやろう、なんて!
もう背伸びをするのはやめました。
でも、このとき試用したリコーダー2本、
ソプラノのフォン・ヒューネ、竹山リコーダーのアルト、
この2本がとても安定して、のびのびと歌うようになりました。
折しも、YouTubeで素敵な録音を発見しました。

Handel Sonata No 1 in G minor for Alto Recorder (Modern Pitch) 
https://www.youtube.com/watch?v=f-trjaMtQS0

Handel Sonata No 2 in a minor Accompaniment for Alto Recorder  
https://www.youtube.com/watch?v=CmKq7CQUP-A&t=2s

リコーダーの楽しさの一つは、
偉大な作曲家の古典作品を素人が弾ける!
その最大の作曲家がヘンデルでしょう。
彼には素敵なリコーダー作品がいくつもあります。
その最高峰がアルトリコーダーのためのソナタ。
もっともオリジナルがリコーダー用だったかどうかは知りません。
でも、私のような素人初心者でも吹けるのです。
上記の2つの録音は伴奏CD。
私はすでにヘンデルのリコーダーソナタ7、8曲の伴奏録音を持っています。
でも、チェンバロ伴奏です。
でも、上記の2作はコンピュータでの製作らしい上記よりも素敵な音楽。
どうやらかなりの名手の実演の録音らしい。
そんなプロの伴奏でリコーダーを楽しめるのです。
これからは、こちらの楽しみに専念します。
ただ、しっかりとした技術を身につけるために、
できるだけ早く優れた先生に教えを乞うことにします。

近頃、楽器趣味は写真趣味に匹敵する重みを持ちつつありますが、
こちらの方も、写真に劣らず、背伸びをすることなく、
素人芸を楽しむ境地を固めつつあるようです。




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# by hologon158 | 2018-05-06 23:05 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

722.02 ホロゴン外傅225「2017年11月24日奈良町はパンタッカー50㎜F2.3の里で」2 診療所


4月18日水曜日、
30数年行きつけの高畑診療所に受診しました。
先月の血液検査の結果を聴きに行ったのです。
診察待ちの間に血圧を測定します。
70−125
いつも通りです。

名医として知られる先生、
「どうですか?」
「いつも通りです。
好調です。」

限界値の10倍以上に跳ね上がっていた血清アミラーゼのことなど、
先生、気にも止めないご様子です。
私の方から尋ねました、
「血清アミラーゼの方はどうでしたか?」
「ああ、あれ、ね」
と、検査表を繰って、
「1225あったのが、2ヶ月後の検査では125に下がっていますから、
まだ限界値より少し越えていますが、
問題ないでしょう」
「やっぱり。
どうなっているんでしょうね?」
「もしかすると、唾液腺に小さな結石があるのかもしれません。」
「でも、すぐに下がるので、大したことはないでしょうね」
「そうでしょう」
というような具合で、自分で診断して、終わり。

とんでもない数値が出た第一回血液検査のときは、妻の入院騒動の最中。
過労状態で心身とも疲れていた時期だったのでした。
第二回血液検査は、そんな妻も大したことなく無事退院したことで、
次女の第二子出産騒動が始まっていましたが、
とにかく難局を乗り切った気分のときでしたから、
そんな私の心の動きが如実に反映したようです。

先生には、
「唾液腺になにか小さな異常がある可能性はあると考えて、
ストレッチのときなどに、口を激しく開閉したり、
口の筋肉を鍛えるような動きをしたりして、
顔面を丈夫にすることで、
間接的に唾液腺に良い影響を与えるようにしています」
先生、
「それはいいことです。
顔はとても大切な部位で、神経もいっぱい集まっていますから」

先生、
「なにか運動していらっしゃるんですか?」
私、
「いえ、していません。
生涯、スポーツをしたことがない人間です。
でも、よく歩いています。
10年以上前から、中国楽器の揚琴を習うようになり、
手が極端に敏捷に動いたり、反応したりするようになりました。
楽器をするうえ、よく歩いていますので、
現在は快調そのものです。
なにしろ105歳まではピンピン生きたいと思っていますので、
今頃から衰えるわけには行きませんよ」
先生、なにか珍しいものを見るような顔で、
終始笑っておられました。

以上のような経過で、
問診は最初の一言だけ、あとはおしゃべり、という状態で、
診察は終了しました。
要するに、目下、絶好調。

診療が終わると、さっそくカメラを取り出しました。

ソニーα7
スーパーアンギュロン21mmF4

私の21mmレンズの伝統の名レンズの中では、かなり小型。
でも、形に似合わず、重さは半端ではありません。
おそらくレンズが分厚いのでしょう。
描写は後継のF3.4やビオゴン21mmF4.5よりも素直ですが、
さすがにスーパーアンギュロン、重厚で立体感があります。
でも、F3.4の豪快なやんちゃぶりと違い、落ち着いた雰囲気。
このあたりのファクターがあるから、
他の2本にしっかり対抗できているようです。

診療所の周辺ロボグラフィを撮影した後、
バス停高畑町から近鉄奈良駅に移動。
銀行で送金を終えると、まだ午前11時10分。
昼食前に一仕事とカメラを取り出して歩きだそうとした、
その瞬間、餃子の「王将」の正面。
足はさっさと王将に入っていってしまいました。
よく焼いた餃子とチャーハンで早めの昼食。
奈良町を周遊しつつ、ロボグラフィを撮り続けました。

いつもの被写体、いつもの撮り方です。
レンズが違うので、少しずつ印象はずれます。
でも、ちょっと見る目のある人が見たら、
いつも同じ撮り方なのにあきれることでしょう。
さらに、目のある人が見たら、
なんだ、いつも同じようなものばっかり撮ってる。
私は別に自分の創造性の枯渇、と言うより、もとからないのですから、
創造性の欠如を隠すつもりはありません。
楽器と一緒。
写真を一枚見て、音を一音聴いただけで、
ああ、なんだ、この人行き詰まっている、
そう気づいてしまうでしょう。

でも、生きるって、そんなものでしょう。
いつもなにかしらに出会う。
出会うことで、なにかが生まれる。
人間に出会うことが一番刺激的かも知れません。
でも、ときに、人間は邪魔になります。
えり好みができにくい。
もの、場所、光景となると、そんな不便はなくなります。
自分の好きなもの、場所、光景を選り好みすることができます。

人間には、それぞれ独自に、ものを見る眼が備わっています。
人によって、その眼はぜんぜん違います。
なにかを見ると、気持ちが良くなり、
なにかを見ると、不快を感じる。
趣味、センスの違いもありますが、経験の違いも大きいかも知れません。
いずれにしても、自分でも説明できません。

一つ分かることがあります。
私は本格的に写真趣味にのめり込んでから、すでに45年経ちました。
最初から、風景よりもストリートフォトでしたが、
その主体はロボグラフィでした。
最初から乱写していました。
でも、正直なところ、なにを撮ってよいのか、分かりませんでした。
撮ることで、自分の気持ちを確かめるプロセスだったようです。
実際、撮りたいものが常に分かるようになれば、一人前かも知れません。
私が一人前になったのは、ホロゴンウルトラワイドを手に入れてからだった、
私はそう考えています。

私がホロゴンウルトラワイドを使い始めた当時、
日本に15mm超広角を使う人間はほとんど皆無でした。
作例など見たことがありません。
京都の写真家がホロゴンウルトラワイドを愛用していると、
コンタックスサロンの責任者から私家版写真集を見せてもらいましたが、
歪んだパースペクティヴのただの超広角写真でした。
スーパーアンギュロン21mmの写真家たちにかなり共通する、
超広角特有のパースペクティブを活用するやり方の真似事でした。

ホロゴンを自分の目の延長にするには、
当時の36枚撮りフィルム千本ほども撮らなければなるまい、
そう心に決め、最初の10年でその目標を軽くクリアーしました。
そのホロゴンウルトラワイドからレンズだけ取り出し、Mマウントに改造してもらって、
ソニーα7に付けるようになって以来、
さらに愛用するようになり、結ばれてから20年近く経過した今、
36枚撮りフィルムに換算して、3千本は越えたでしょう。
それでも、まだ自分の手の先、自分の目、という感じにはなっていません。
この10年、クラシックレンズをあれこれと楽しむようになったせいもありますが、
レンズの描写性を味わう方向に心が変容してしまったせいでしょう、
ホロゴンの描写を最愛としながらも、
他の名レンズたちも本気で愛するようになったようです。
「ホロゴン、命!」とこだわる気持ちが薄らいだわけです。
代わりに、すべてのレンズが私の体験の記録者になる、
そんなスタンスで写真人生を楽しんでいます。
これはこれで無上の楽しみ。




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# by hologon158 | 2018-05-05 22:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

722.01 ホロゴン外傅225「2017年11月24日奈良町はパンタッカー50㎜F2.3の里で」1 池波正太郎


近頃、池波正太郎の剣客商売シリーズを読んでいます。
それも古書で。
奈良町に古書店が2軒あります。
その一つがお気に入り。
ほとんどの古書に白紙を掛けて、題名をしっかり大書してくれる、
そんなサービスが好ましいお店です。
連続して2回、剣客商売と鬼平犯科帳の2シリーズの単行本を、
8冊ばかり手に入れました。
記載してある価格より大幅にディスカウントしてくれます。
これじゃ、このお店、ますますお気に入りになりますね。

実はどちらのシリーズも、文庫本で全編持って、読了しています。
その後、朗読CDでどちらのシリーズもかなり沢山手に入れて、
iPodやウォークマンに入れて、愛聴してきました。
不思議に飽きないのです。

なぜだろう?
ときどき考えます。
山本周五郎や藤沢周平の短編群も読みごたえがあります。
文学性においても、展開するドラマが浮かび上がらせる人間たちの姿も、
ほのかに残る余韻も、池波正太郎よりもかなり上質です。
でも、ハッピーエンドに終わるとは限らない。
私は、時代小説で人生を学びたいとは思いません。
ひたすら心をのどかに休ませたい。
そこで、池波正太郎の方をかなり偏愛しています。

お話はかなり単純です。
主人公の秋山小兵衛、その子、大五郎が悪党たちを颯爽と切り捨てて、
ほとんど必ずハッピーエンドで幕。
かなり展開は単調です。
ドラマ性がかなり稀薄で、底が浅いのに、
愛読者はぜんぜん飽きない!
ある種の人間にとって大切な心の深さを感じさせてくれるうえ、
読後感がとても爽やかだからでしょう。

でも、文庫本は活字が小さい。
愛読していた当時はまったくそんな風には感じなかった。
いえいえ、私の目が老化したのではなく、
物語にふさわしい開放感が字面にも欲しいのでしょう。
解決作として、最近、老眼鏡を手に入れました。
黄色いケースに入ったNEO CLASSICS。
眼鏡店の店主が勧めてくれて、
私の目によく合っているらしいのを選んだのですが、
裸眼の像よりも1.5倍ほども拡大してくれて、
視界がとてもクリアーに開ける感じで、気に入りました。
文庫本でも自在に読めますが、
古書店で手に入れた単行本はもっと読みやすい。

後期の1冊「二十番斬り」
昭和60年代初期の刊行。
本シリーズは1973年(昭和48年)が出発点ですから、
古書店のはかなり新しい出版ものです。
でも、ちょっと古びています。
小振りの読みやすい薄表紙の軽い本で、
さすがに文庫本よりも気持ちよく読めます。

この短編の中で、
66歳の小兵衛が目眩のために動けなくなり、
友人の医師小川宗哲に宣告を受けるのです。
「小兵衛さんの躰に、今日のような徴候があらわれたのは
少しもふしぎではない。
あらわれるのが遅すぎたと申してもよろしい」
「小兵衛さんの躰の仕組みが変わってきたのであろうよ。
つまり、ようやくに老人の躰になった、とでも申したらよいかのう」
「六十六歳で、ようやくに
老人の躰に向かいつつあるしるしを見たと申すは、
いや、お若い、お若い」

私は少し体力が落ちたかな、という程度。
でも、筋肉は以前より一番しっかりして、運動性は今が絶好調。
老いを感じさせるような低下はまだ経験していません。
睡眠と毎朝15分のストレッチを健康のバロメーターにしています。
若いときから睡眠は終始快調です。
電気を消して目をつぶったら、ストンと深い睡眠に落ち、
2度か3度、小用に立ちますが、かならず一緒に目を覚ました娘、
静の夜食(乾燥)を少量上げて寝室に戻り、即時入眠し、
朝すっと目が覚めると即座に、意識は清明になります。
睡眠時間は通常5時間半で、多くて6時間弱。
でも、起きている限りは、たいてい、眠気を催さず、
夜も朝もあくびをしません。
このあたりのメリハリの良さは誰にも負けません。
ずっとこの調子が何年も続いています。
若さの証明ではなく、ただ私の心身状態が良好なだけかも?
でも、毎日の活動を支えてくれていることは確か。

ストレッチはかなり激しいメニューです。
すべて全力を挙げて、数を数えながら、休みなくこなします。
たとえば、腹筋体操などをやると、体調が分かります。
よく考えてみると、丸20年休みなく続けてきましたが、
どんどん力感が増してきました。
今が絶頂という感じ。
友人たちにも勧め、このブログでもかなり頻繁に勧めています。
さて、どれだけの人が私の勧誘に乗ってくれているか?

もう一つの健康バロメータは歩行。
歩きながら、体にどこか重さを感じたり、と、
歩行そのものを意識すると、体の疲れが分かります。
快調のときは、歩いていることを忘れるものです。
絶好調のときは、帰宅するまで、足のことを忘れています。
翌日に一切残りません。
このあたりのピークもまた近頃になってのことです。
105歳まで元気で生きるためには、まだ何十年もあるのですから、
秋山小兵衛のように、目眩を感じたり、
なんて横道逸れるわけには参りませんねえ。




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# by hologon158 | 2018-05-04 11:15 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

721.03 ホロゴン外傅224「2017年11月7日奈良町古色はペッツヴァール200㎜が得意」3 合奏リハーサル


4月11日水曜日、
28日のアブニールコンサートでの合奏の練習日でした。
散々でした。

このコンサート、初心者でも気楽に参加できる、
そんな希有の企画として出発しました。
今回が4回目。
私はリコーダーを始めたばかりの初心者でしたが、
主催者の音楽家の浜崎さんがリコーダーもおやりになると聞いて、
機会があって、指導をお願いしますと、
教えるなんてできませんが、折角ですから、二重奏を練習して、
私の企画するコンサートでやりましょう、
という見事な口車にうっかり乗ってしまい、
3回、二重奏で参加しました。
小規模な企画で、小さなホールで、
お客さんと和気藹々とした交歓の場という雰囲気を楽しんできました。

今回が4回目。
今度は、もう一人低音を受け持つ方が参加して、三重奏でやりましょう、
という魅力的な提案にうまうまと乗ってしまい、
4回目の参加することにしました。
でも、予想外のことが2つ起こりました。
① 三重奏になると、当然ながら(とは知りませんでしたが)、
音の調和が必須ということになり、
自由に吹き飛ばすことなど許されない。
② 次第に参加者も増え、コンサート会場が200人規模の小ホールから、
いきなり500人も中ホールに拡張。

① 合奏
まず、合奏ですが、生涯、本格的に合奏などやったことがなかったし、
和音の勉強もしたことがない。
音の高さに対する感覚もない。
そんな人間が、これまでめったやたら、
自由自在、自分勝手に吹き飛ばしてきたリコーダーを、
他の声部と合体して、一つの和声となるように吹くなんて、
簡単にできっこありませんね。

② 会場
リコーダーは、大きな音を出そうとして、音を強めると、
ピッチが上がります。
元来とても秘めやかなおっとりとした音の楽器なので、
小ホールで小編成で音楽を楽しんでいたバロック時代までは生き延びましたが、
次第に編成も演奏空間も拡大するにつれて、使いものにならなくなり、
ヘンデル、モーツァルトの時代以降は使われなくなりました。
20世紀中葉に復活しましたが、
フランス・ブリュッヘン、ミカラ・ペトリのようなリコーダー演奏家でも、
演奏空間は基本的に小さなホールで演奏するのが通例でした。
今回は中ホールで、リコーダーには大きすぎるうえ、
悪いことに、音響特性がかなり偏っていて、音が全然遠くに伝わらないので、
結局、マイクを導入するとのこと。
名手の演奏ならマイクも結構でしょうけど、
下手な演奏は、マイクでさらに下手さ加減が増幅されます。
今回の3曲はすべて歌から編曲なので、
ボーカル部分を担当する私が一番下手なのですから、
その下手さ加減をマイクでさらけ出す羽目になりそう。

どうやら、合奏の極意は「節度」「ハーモニー」のようです。
揚琴でそれを学び、リコーダーでさらに思い知らされました。
私という人間は生涯ずっと、一人ですべてを決めてきましたので、
強調し、協力し、力を合わせて目的達成、
なんてことをほとんどしたことがありません。
自分を殺したことなどほとんどない、という、
かなり偏った人生を送ってきましたので、
共同歩調をとる合奏は、実のところ、私には一番不向き。
そのことを、今頃になって思い知らされました。
やれやれ。

まあ、それでも、音楽家お二人の指導を受けて、
まあまあの程度にこぎ着けたという風に言っていただきましたが、
困ったことに、私自身はまるでどう良くなったかが分からない。
分からないから、改善が保存される自信がない。
という感じで、ちょっと心許ない思いをしています。




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# by hologon158 | 2018-05-03 21:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

721.02 ホロゴン外傅224「2017年11月7日奈良町古色はペッツヴァール200㎜が得意」2 野郎ども


前回の続きです。
今は、若者はライブには集まっても、コンサートホールには来ない。
男の子たちは受験勉強に追われて、鉄道オタクしている暇はない。
それだけ余裕のない時代に移行しつつある、
そんな感じがします。
時代は変わるものです。

鉄道博物館ははじめて。
私は鉄道ファンではありません。
子供の頃SLによく乗りましたが、
だから、懐かしいという気持ちもありません。
おかしな思い出しかないからでしょう。
高校の卒業旅行は信州、佐渡夏の旅でした。
長野からSLで大阪に戻りました。
真夏の暑い午後でした。
幾度もトンネルを抜けました。
機関車の黒煙がトンネル内では車内に逆流します。
トンネルを出る度に窓を開け、
トンネルに入る度に窓を閉めるのですが、
いつも遅れます。
閉め遅れた窓、閉め忘れた窓もあります。
その度にもうもうと黒煙が吹き込みました。
つまり、トンネルを入る度に、車内は濃霧さながらの黒煙の渦。
3日ぶりに帰宅して、玄関に入った私を迎えた母、
仰天の目を大きく開いて、
「まあ、一体どうしたの?」
白いワイシャツも私の顔も完全に真っ黒だった!
なぜか帰宅するまで、私は気がつかなかったのです。
同行の友人たちを見て、なぜ気づかなかったのか?
今でも不可解。
徐々に変化すると、目も心も慣れるようですね。

そんな事情もあったせいでしょうか?
SLを懐かしむ気持ちは全然ありません。
まして、写真を撮りたいなんて、思ったことは一度もない。
そんな私が鉄道博物館をぐるぐる歩き回ったのです。
広大な扇形車庫に巨大な機関車が並んでいます。
その魁偉な姿、すさまじいばかりの量感には圧倒されました。
SLオタクでもないのに、かなり魅了されました。
とくに蒸気機関車の運転席のすさまじい雰囲気に納得させられました。
これこそ仕事野郎の戦場だった!

新幹線はコンピュータが運転しているのだそうです。
もちろん非常事態には手動をする運転手の出番なのでしょうけど、
平常運転の間、運転手はなにをしているのでしょうね?
実際の司令はすべて中央管理室のような施設で行われるでしょうから、
新幹線内にもうけられた計器のチェックと、非常事態における要員、
この程度が仕事なのでしょうか?
走行中の新幹線の運転席で、運転手が窓に脚をかけていた、
と、問題になったことがあるそうですね。

こんなことを考えると、現代でも鉄道オタクがいるとして、
その関心の方向は人間的なファクターから機械工学的なそれに
変わっているのではないでしょうか?

その内、カメラを持って鉄道博物館を再訪してみようか、
という気になっています。
私には珍しい被写体ですが、これもロボグラフィの一種。
あの黒い山のような機関車の壮大なものの迫力、
車体、運転席から溢れて出てくる人間たちのすさまじい営み、
生きざまの痕跡を写真に撮ってみたい、
そんな気がします。

先日、JR奈良駅の精算機の前で十人ばかりの男たちを見ました。
2、3人の男を囲むようにして、防弾チョッキでしょうか、
ちょっとものものしいグレーの装備の警察官たちが7、8人。
精算しながら眺めると、なにやら事情を聴取しているのですが、
驚きました。
一般人だけではありません、警察官たちまでも全員、
普通の体格、若者顔、静かな声音、おっとりとした物腰。
どう見ても、高校生風の子供。
かつては、警察官たちは、一般人よりも少し背が高く、
がっしりとして、いかにも柔道か何かで鍛えている物腰、
底力のある声色、マッチョの語り口、鋭い眼差しでした。

ああ、あの噴出するようなエネルギーに満ちた機関車野郎たち、
「この男危険につき」迫力満点の刑事たち、
あんな野郎どもはどこに行ったんだろう?




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# by hologon158 | 2018-05-02 22:21 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

721.01 ホロゴン外傅224「2017年11月7日奈良町古色はペッツヴァール200㎜が得意」1 鉄道博物館


4月28日土曜日は第四回アブニールコンサートでした。
その報告はもっと後でします。
今回のシリーズはペッツヴァールSVE200㎜の奈良町散歩。
このペッツヴァール、無銘で、ただの寸胴の鏡胴だけ。
宮崎さんにライカMマントに改造して頂く手間を省き、
Kマウントのヘリコイドリングにセットしました。

ぼけレンズと言ってしまったら、おしまいだあ.........
現実には、ぼけレンズなのでしょう。
でも、その柔和な表情は格別です。
およそ現代の名レンズたちとは対蹠的。

私は現代の名レンズが嫌い。
だから、ペッツヴァールが大好き。
こんな対称的な構図では、態勢からの隔離は必至ですね。
ここに並ぶボケボケ写真をご覧になったら、
私の意見に同感する方はごくごく少ないでしょう。
それが分かるから、余計に嬉しくなる。

私はそんな人間です。
大事な場面で多数決に譲っていたら、私の人生はゼロでしょう。
誰がなんと言おうとも、こうなんだ、と心が決まったら、
グラリとも動かない、そんな風に生きてきました。
でも、どうでも良い場面では、意見が違っても、
がんばらず、そっと自分だけ別のことをしてきました。

ペッツヴァールレンズって、使い手を選びます。
私はまだペッツヴァールの美点を生かし切ってはいないでしょう。
でも、それでも、ペッツヴァールにぞっこん惚れ込んでいる、
そのことだけは、ペッツヴァールも分かってくれているようです。




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4月7日土曜日、京都鉄道博物館に行きました。
「近鉄団体貸切列車あおぞらⅡで行く!
乗ったままでの洗車体験と
京都鉄道博物館夜間貸切の旅」
というツアーに参加したのです。
絶えず活発に動き回りたい妻が見つけたワンデイトリップ。
長女と孫プリンス6歳、孫プリンセス1号3歳に合わせたつもりでしたが、
終わってみたら、なんのことはない、
半日も特急電車に閉じこめられたまま、
近鉄布施、八木、橿原神宮、大和西大寺、京都と、
半日かけて、ゆっくり移動するだけでした。

イベントとしては、西大寺車庫に入って、洗車体験。
こう書くと、どんな光景を想像しますか?
私たちの想像は、自家用車の洗車光景の大型版でした。
あの大きな車両が噴射するシャワーの中をゆっくり通り、
しっかりと隅々まで洗われるスペクタクルを体験できる、
そう想像していたのでした。

でも、まるで違いました。
6両がゆっくり動き、その窓に洗剤が散布され、
確か2本のブラシが回転するゲートを通過するだけ。
特急の前面と後面は係員がブラシでゴシゴシ。
あっと言う間に完了。

特別列車なので、随所で時間待ちをしながら、
3時間少し、のそのそと徘徊したという感じでした。
後は持ち込みのお弁当をいただく程度なので、
孫たちが退屈。
楽しんでいたのは鉄道オタクのおっさんたちだけ。
書き遅れましたが、6両はほぼ満員でした。
数百人の乗客の7割ほどは男たち。
みんな長年鉄道を愛してきた鉄道ファンたちのようです。
私たちのような家族連れはわずかでした。
中でも熱心な鉄道写真オタクの男たちが
先頭車両の前面の昇降ルームに出たり入ったり、
中で右往左往したり。
私たちの席は最前列の4人席でしたから、
男たちが動く度に扉がガタゴト開閉する音に辟易。
子供たちも退屈、ということで、
あまりワクワクするトリップではありませんでした。

おもしろいのは、鉄道写真オタクたちの年齢。
昔、蒸気機関車などの鉄道写真がはやり始めた頃、
通勤列車駅にもカメラを持った青年、子供が
ホームの端にチョロチョロしていたものです。
そんな青年、子供たちが興味を失わないまま年をとったのが
かなりツアーに参加していたようです。
つまり、かなりの歳の連中。

コンサートホールの観客が一斉に老化してきたように、
鉄道オタクのみなさんも老化傾向のようです。
コンサートも鉄道写真も、もしかすると、
日本経済の興隆のうねりの中で起きた現象なのかも知れませんね。





# by hologon158 | 2018-04-29 22:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.04 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」4 興福寺


4月5日木曜日
昼食後、パワーウォーキングに出発しました。
もう1週間、続けています。
おかげで体調は万全なのですが、
毎日、少なくとも200枚から300枚撮るので、
ただでさえ、ブログに収容しきれないストックを抱えているのに、
この調子で増えると、
ますますブログ掲載の時期は遅れに遅れることになりそうです。

でも、私が飽きずに歩けるのは、カメラを持っているからです。
多くの人は内省と記憶力に長けているようです。
お出かけのとき、本もカメラも持たない方がかなり居られます。
ウォークマンを見たり、携帯で音楽を聴くわけでもない。
電車や喫茶店で座っても、ただじっと沈思黙考の体。
感心します。

私はそれができません。
元々思考型の人間ではないし、記憶力がまるでないので、
沈思黙考が不得意。
思考やアイデアを記憶の倉庫に貯え、これを適宜取り出す、
なんて芸当はできません。
ポメラもカメラも私の思考と記憶の道具なのです。
写真を見ると、撮った理由、撮ったときに感じたことなど、
いろいろな情報が浮かんできます。
ポメラやマックでキーボードを叩くと、
なにか書きたかったことが浮かびあがり、
忘れていたことが忘却の闇から浮かび上がってきます。

ポメラは私にとっては杖である、剣である存在。
とくに、ポメラDM20に換えてから、作文も好調です。
ますますブログの文章が長大化しつつあるようです。

ポメラで書く文章は、エッセイでも論文でもありません。
理路整然ならぬ、理路混濁のただの偶感の同時記録。
一端を論文、逆の一端を夢語りとすれば、
私のブログ文は、かなり夢語りに近いでしょう。
多くの人が、hologon158って、なんとでたらめの文章を
平気で発表しているものだ、とあきれていることでしょう。
誰も意味不明の駄文など読まないでしょうし、
たとえ、暇人が読んだとして、
その駄文の列の向こうになにが待っているか予測不能でしょう。
いずれにせよ、一回読んだら、もうこりごりでしょう。
というより、もし偶然アクセスされる方があったとしても、
記事一つを最後までたどるという通常の事態が起こらない。
ありがたいことです。

今回は、県庁前バス停で下車して、
興福寺の博物館と本堂を訪ねました。
久しぶりです。
阿修羅像を中核とする乾漆八部衆立像は圧巻ですね。
阿修羅を始めとする青年の容貌が清新の気に満ちています。
一時他に移転していて、博物館に帰ってきたのですが、
安全のためでしょうか、立ち位置を後退させてしまったので、
以前のような迫力を感じることはできなくなりました。
残念。

でも、東大寺博物館と違い、
保護ガラスの中に閉じこめないあたりもオープンマインドだし、
置き方、照明等のプレゼンテーションも秀逸です。
この見せ方が最大の効果を発揮しているのが、
乾漆十大弟子立像。
信仰一筋に生きる弟子たちの瞑想が生き生きと蘇る、
そんな雰囲気がみなぎっていて、
この精神性の高さはただものじゃない、と、
粛然とした思いを抱かせてもらえます。

法隆寺、東大寺、唐招提寺、興福寺、室生寺、新薬師寺など、
奈良の名刹に所蔵される仏教が興隆しつつあった時代の仏像群は、
信仰とは無縁に、芸術性の面でしか考えない私にとっては、
ギリシア、エジプト、インドの石窟群、敦煌石窟と並ぶ、
最上の造形芸術のメッカ、そう断言したい気持ちです。



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# by hologon158 | 2018-04-24 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.03 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」3 古市町ウォーキング


4月4日水曜日
パワーウォーキングを続けています。
今日は妻が外出。
午後3時半頃には、豆腐屋の出張販売が来ます。
奈良で一番おいしい近藤豆腐店です。
奈良町に豆腐料理の店を営んでいます。
才能豊かなシェフが創作豆腐料理のコースを食べさせてくれます。
どれもこれも独創性に溢れ、豆腐が大好きになります。
その豆腐を自宅でいただけるのです。
毎週来てくれます。
私の住んでいる住宅地で、たった3、4軒だそうです。
健康に良い上に、猛烈においしいのにねえ。

おっと話がずれました。
この豆腐の販売車が来る前に帰宅しなければなりません。
妻のためにおいしい豆腐料理を作らなければならないので。
昼食は一人です。
その豆腐店の高菜漬けと豚三枚肉と卵と野菜で、
高菜焼きめしを作りました。
中華鍋を振り回してふっくりと仕上げました。

妻が居ると、あれこれおしゃべりしながら昼食を楽しむのですが、
一人のときは、ポメラで作文するか、読書しながら、頂きます。
消化に悪いかもしれませんが、作文にせよ、読書にせよ、
一層捗るので、おかまいなしです。
私は国家試験もゴウゴウとオペラをかけながら勉強しました。
父と同じ仕事を目指していたのですが、
お隣のご主人もたまたま同業でした。
後日、父に言ったそうです。
「あんなに音楽大きな音で聞きながら、よく通ったものだ」
そう言いつつ、自分は自宅で仕事をするときは、
古い倉を改造した書斎の密閉空間にこもって、
やっぱり音楽をかけていたのですから、
よくも私のことを言えたものだ、と言いたいところ。
私はどうやら、彼同様、
音楽をかけることで精神集中できるタイプのようです。
生涯音楽をかけ続けてきました。

この文章は、今回のショートトリップの回帰点にある、
コンビニのベンチで書きました。
いつものとおり、草餅と「おーいお茶」をコンビニで買って、
お三時(実はまだ2時15分ですが)を楽しみ、
ソニーのウォークマンが韓国のヘグム音楽を鳴らす中、
一心不乱にポメラDM20に文章を打ち込みました。
1文書の制限がなくなったので、文書作成に集中できます。
気持ちのよい風がほおをなぜ、ヘグムが心をなぜ、
草餅が舌をなぜてくれます。
至福のとき!



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# by hologon158 | 2018-04-21 23:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.02 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」2 ヘビーウォーキング


4月30日金曜日(もうあれから20日も経っていますね)、
昼食後ウォーキングに出かけました。
そんな言葉があるかどうか知りませんが、
「ヘビーウォーキング」と呼ぶことにしました。
できるだけ脚力を鍛え、かつ撮影もしちゃおう、という、
欲張りプログラムです。

ご近所は田園過疎地帯です。
鹿野園町、白毫寺町まで、撮影しつつ、早足で40分歩きました。
ちょっとした休憩場所があるので、しばらく滞在し、
チョコレート少々とミネラルウォーターでエネルギーを補給。
ソニーα7に付けたのは、宮崎貞安さんの近作、
アポクアリア28mmF2。
右手で握り、ホロゴン以外のレンズの習慣で、
縦位置専科ですから、
そのまま手を突きだして、ノーファインダー撮影できます。
休憩を挟んで、結局前後各40分程度の撮影を楽しみながら、
わざとグイグイ早足で歩きました。
快調そのものの撮影散歩で、
前半で209枚、後半で115枚、合計324枚撮っていました。
概ね分あたり5枚、というテンポ。
まず、快調だったようです。

フォトジェニックな被写体が沢山見つかった、
ということではありません。
私とフォトジェニックとは無縁。
私が「いいな」と思ったものがそれだけ見つかった、ということ。
「いいな」と思うのは、写真としていい、ということとは無縁。

ただただ、こいつ、がんばってるな、
そう感じたら、撮る、それだけ。
私の写真は、私の心の弾みの記録、というだけのこと。

おかしなものです。
私は祭りが好きではありません。
でも、偶然、地元の小さな祭りの行列によく出会います。
私は桜が好きではありません。
別に桜に恨みはありませんが、
人が集まる場所が大嫌いなだけ。
今回もかなり沢山桜に出会いました。
一気に満開、という感じです。
わずかな時間しか花を咲かせられない、
それが桜の運命のようです。
自分でもそれが分かっているので、
必死で両手を天に向かって突き上げている、
そんな感じがあって、儚くけなげですね。
日本人はそんな桜の気持ちに反応するのかも知れません。

私は、桜に特別な思い入れはありません。
桜と言うと、桜見物の群衆、三脚を持ったカメラマンを思い出します。
この連想が深いなので、桜も少しとばっちりを食っているかも知れません。
袈裟が憎けりゃ、坊主も憎い、という逆パターンのようです。
でも、今回の道でも桜に会いましたが、
上記の付随物には会わず、おかげでかなり撮りました。
でも、基本的には、これもロボグラフィだから。

健康を増進するために始めたウォーキングです。
快調でした。



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# by hologon158 | 2018-04-20 21:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.01 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」1 杉岡華邨


奈良町に書道家杉岡華邨の書道美術館があります。
かな書の一人者として、1995年文化勲章を受章した人です。
2000年に美術館ができたのですから、すでに18年。
私はずっと横目に見ながら通り過ぎてきました。
書に無縁だったわけではありません。
私の姉はかなりの書道家です。
私も書に関心がないわけではありません。
でも、折に触れて書に出会って、
「ああ、いいな」と感嘆できれば、それで幸せ、というスタンス。
でも、仮名文字はなかなか理解しがたいものが私にはありました。
だから、18年で初めて入館したわけです。

かなの書を一気にこれだけ見たのは生まれて初めて。
さまざまな歌、詩を書の作品にしたもので、
原文が下に貼られています。
でも、おかしいですね、書の文字とぜんぜん似ていない。
草書体なので、完全に崩してあるようですが、
どうしてここまで崩せるのか、
でも、ぜんぜん形が似ていない、
堪能な人は他人が書いた草書もすらすらと読めるんだろうかと、
戸惑ってしまいます。

でも、対座するようにして、じっと見つめていて、
ふっと感じました。
音楽と一緒だと考えることにしよう。
理解するのではなく、感じるしかない。
読み解こうとしないで、形を賞味しよう。

そうすると、なんだか印象が違ってきました。
わくわくと楽しさが湧いてくる作品がいくつか見つかりました。
すると、おぼろげながら、華邨先生の心の動きも、
違った風に感じられるようになりました。
もしかすると、書家も、言葉を頭で受け取らず、
言葉の向こうに響く音楽を感じながら、
筆を走らせたんじゃないだろうか?
頭で考えて、構成しようとするのではなく、
その時、その場の気持ちのままに一気呵成に筆を走らせ、
書き終わった瞬間に、はっと目が覚める、そんな感じ?

こんな風に感じるようになったからと言って、
仮名の書が味わえるようになったとは思いません。
こちらの方がまだ、頭で考えようとする姿勢から、
完全に抜けきってはいないからです。
だから、今回の成果は、
仮名の書が面白いと感じられるようになったことではなく、
時々訪れて、もっともっと沢山の書に接してみよう、
そうしたら、突然、なにかが感じられる、
そんな日が来るかも知れない、という程度でした。
それだけでも、一歩前進、そう考えたいですね。

今回から、久しぶりのレンズ特集。
ソニーα7に付けたのは、クセノン50㎜F2.8。
レチナⅡcに付けられていたシュナイダーの名レンズです。
私がレンズの凄みに生まれて初めてショックを受けた、
そのレンズこそ、これでした。
どうして、そんな風に思ったか?
まあ、奈良市南端の帯解で撮った写真たちをご覧下さい。
「ほんとにそうだなあ、凄いレンズなんだなあ」
そうお感じになるとしたら、あなたは我が党の士なのです。





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# by hologon158 | 2018-04-18 21:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.04 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」4-完-老化を防ぐ


絶えず、考えていることがあります。

老化を防ぐにはどうしたらよいか?
もちろん体を動かし、鍛えることは大切です。
でも、もっと大切なことがあるのでは?
そのことをおろそかにすると、老化が進む、
それは何か?
ちょっと考えると、答えは明らかですね。
どんな場合でも、司令塔が一番大切です。
人間の場合で言えば、頭、これですね。

まず、頭が先だ!
どんなに体が丈夫、頑健でも、頭がぼけたら、急速に老化が進みます。
頭がしっかりしていたら、老化を防ぐための作戦を常に検討し改善し、
プログラムを組んで実施することができます。

どうやら、頭もまた、鍛えなければならないようです。
ぼんやりしていたら、頭はどんどん擦り切れて行きます。
では、どうやって鍛えるか?
私は、なんでも自分の頭で考えるのが好きです。
子供の頃から、いつも自分で考えてきました。

頭を使うというのはどういうことでしょうか?
自分の人生で解決しておくべき問題を、
自分で見つけること、
これが出発点ですね。

なにも問題がない人って、いるでしょうか?
私は信じます、そんな人は居ません。
生きるって、絶え間なく問題にぶつかり、
これを解決しようと苦闘する連続なのですから。

問いを正しく見つけ出すこと、これが最初の難問です。
多くの失敗はこの最初の難問を解くのに失敗して、
的外れの問いを設定してしまうことに起因します。

そして、問題も、その解決の方法も人様ざまですね。
だから、人間は独自の文化、独自の文明を創り出してきたのです。

引退してみると、仕事上の問題はなくなってしまいました。
毎日毎日、自分の歩くべき道、目的、方法を、
自分の力で創り出し、見つけだしていかなければならないのです。

昔、漫画サザエさんで見たのですが、
夫のマスオさん、暴漢の大男に襲われます。
突然、マスオさんは、これが夢の中だと気づきます。
すると、マスオさんは、にっこりして、
「じゃ、やってやるぞ!」
そして、暴漢を一発でぶっとばしてしまうのです。

引退後の人間って、このマスオさんですね。
なにかをしなければならない、という制約も義務もありません。
失敗しても、いいのです。
「失敗は許されない」なんて、力む必要がまるでない。
結果だって、どうでもよいのです。
あることを企画して、実行する、この作業が大事。
ある種の訓練であり、ある種の啓発にもつながります。
そうした企画と実行の積み重ねが、
いつかとんでもないほど達成感のある何かに繋がるかもしれない。
秘訣は、「笑顔で楽しく」
ただこれだけですね。




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# by hologon158 | 2018-04-17 23:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.03 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」3 張本氏、退場!


私はスポーツというスポーツが全部できないという、
おそらくこの世に類例はあるまいと思えるほどの、運動音痴です。
だんだん分かってきたのですが、
それほど運動神経が悪いわけではなさそうです。
年をとっても、敏捷性はむしろ増してきて、
今が絶頂、という状態。
これは揚琴を練習してきたからのようです。
超高速で1㎝ほどから数十㎝まで無時間移動をしなければ、
音楽にならないから、これも一種の運動のようです。

では、なぜ運動をしなかったのか?
嫌いだったのです。
そんなことをするよりは、本を読んでる方が好きだった。
そして、家族の誰も、私に運動しようと勧めなかったからです。
ちなみに、両親とも、小学校から大学まで、
私の学校での学習、成績について一切尋ねませんでした。
なんらかの干渉もなし。
無関心だったり、冷たかったりしたわけではありません。
私にすべて任せてくれた、そんな感じがします。
でも、そのお陰で、運動も一切しないままだったわけです。

でも、運動そのものは好きでなくても、
ずばぬけた才能の持ち主で、かつ、
人間的にも魅力のあるスポーツマンには、
時折強い関心を抱いてきました。
古くは、F1のアイルトン・セナがそうでした。
近くは、もちろん、イチロー。
そして、今、大谷君。

高額の報酬を棄てて、最低年報に甘んじて、
大リーグという修羅の戦場に身を投じ、
おそらくニューフェースとしては、
大リーグ史上もしかするとベストテントップと思える位の。
大車輪の活躍を投打に見せています。

でも、私が書きたかったことは彼のことではなく、
プロ野球界の大御所の一人、張本勲氏の大谷評のこと。
大谷選手が3試合連続ホームランを打った快挙に対して、
「まぐれか、大リーグの投手の程度が下がったか、
おそらくその両方でしょう」
と評して、諸方面から酷評を受けていることはご存じのとおりです。

酷評は当然ですね。
志を貫いて、大リーグに身を投じた後輩の若い選手に対する
あたたかな気持ちなど微塵も感じられませんね。
まあ、そんなご意見番的な姿勢が彼の存在価値なのかも知れません。

でも、不思議です。
彼位の大御所的な立場に立てば、
いい加減な発言は許されないことを知悉しているはずなのに、
これはなんという不用意な、いい加減な発言でしょう。

理由は明白単純です。

① 第一にホームランを打つという行為がまぐれにできる、
という可能性などありません。
パチンコではないのですから。
定評のあるホームランバッターでも、3試合連続でホームランを打つのは、
生涯に幾度もないのではないでしょうか?
日本のプロ野球でも、実力もない誰かが、
3試合連続ホームランなど打てた例はあるはずがありません。
まして、日本のプロ野球から、まったく異質な要素が沢山ある
大リーグに移った途端に3連発できる、そんなまぐれが起こりうる、
そう考えると人がいるとしたら、
その人の頭を疑う方が確実ですね。

② 次に、投手の劣化の可能性ですが、
大谷選手は日本で何回「3試合連続弾」を記録しているのでしょうか?
私はまったく知りませんが、投手としての登板の合間に、
散発的なDHを挟んでいたでしょうから、
一度もないのではないでしょうか?
そうすると、そのような大谷選手が大リーグに行って、
大リーグの投手の劣化が原因で、いきなり「3試合連続弾」を達成できた?
そう考えるとしたら、張本氏は、大リーグの投手の質は今や日本以下では、
と疑っていることにならないでしょうか?
でも、そう疑う根拠は、日本でも「3試合連続弾」をできたことがないのに、
大リーグでできたから、ということ以外にはないのではないでしょうか?
でも、大リーグの質が低下しているということが事実なら、
そんな大リーグに大谷選手がなぜ行きたがったのでしょうか?
要するに、大リーグの投手の質の劣化なんてことをほのめかしているのは、
張本氏お一人なのではないでしょうか?

張本氏は、さらに、8番という位置は日本では一番下手なバッターの席順なので、
そんな位置で打っても大したことはないと言いますが、
いかにも大リーグのピッチャーが、打席順だけに着目して、
大谷選手をバカにして手を抜いたのが「3試合連続弾」だと言わんばかりですが、
これもあまりにも杓子定規風の膠着した意見ですね。
最初のホームランのピッチャーには、大谷選手のことなど知らないのですから、
油断があったかも知れません。
でも、23歳のルーキーが鳴りもの入りで大リーグ入りを果たして、
しかもいきなりホームランを打ったとなると、2試合目、3試合目のピッチャーは、
こんな若者にしてやられてなるものか、と、
大谷選手を徹底的にマークして、最大限の注意を払って望んだはずです。
それなのに、2番目に打たれたのは、昨年サイ・ヤング賞を授賞した人なのです。
「8番バッターだから、大したことはない」なんて油断していた筈がない。
そんなこと、張本氏にもではっきり分かっているはず、と言いたいところですが、
もし分からなかったとしたら、耄碌、としか言いようがありませんね。

このように考えてきますと、どうやら張本さんは、
大谷選手のことを頭から否定したい気持ちで一杯なのではないでしょうか?
多くのベテラン選手も同様ではないか、と、私は疑います。

なぜ?
大谷選手の生き方は、
これまでのほとんどすべての野球人の生き方と別次元だからです。
ほとんどすべての野球人は、歴史に残るためには、
人よりも優れた記録を達成し続ける必要がある、そう考えているはずです。
大谷選手のように二股をかけていたら、
首位打者であれ、最優秀投手であれ、他のいかなる記録であれ、
他のすべてのライバルに打ち勝ってトップの座を占めるなんて、至難。
だから、バッターにせよ、ピッチャーにせよ、どちらかを選ぶべきだ!

ところが、大谷選手は、他の選手に優る記録を樹立したいなんて、
おそらく考えてもいないのではないでしょうか?
とにかく野球が好きだ、
だから、打ちたい、投げたい、走りたい!
全身で野球の醍醐味を味わいたい!
そして、野球はチームでするものなのだから、
チーム全員が、その能力をあらんかぎり尽くして、
一致団結して勝利をかちとる醍醐味を味わいたい!

張本氏のように、日本の野球史上に残る大記録を達成して、
その成果、名声に寄りかかって生きて来た人にとっては、
こんな大谷選手の生き方は理解と想像を絶しているのでしょう。
むしろ、自分の生き方を真っ向から否定されている、
そんな感じがするのではないでしょうか?

しかも、自分のことを振返ってみると、
大谷選手のようなことをしたいと願っても、出来るはずがなかった、
そうお分かりなのでしょう。
そうすると、そんな不可能なことをやすやすとやってのける大谷選手って、
とてもとても理解できないし、理解したくもない、
そうお考えになっているのではないでしょうか?

いずれにせよ、大谷選手は、「3試合連続弾」達成後も、
さらに目を見張るような活躍、貢献を続けています。
日々の活躍が重なるにつけても、
アメリカでは、「稀有の才能しか実現できない驚異」と、
今は大リーグ史上トップクラスの天才児とさえ、
見なされているようです。
張本氏の「まぐれ説」が妥当しないことは完全に証明済み、
そう言えそうですね。
彼が大リーズ史上どれほどの存在であるかは、
イチロー選手同様に、これからの長い年月の間に確立してゆくことで、
それはまた別のこと。

リーグが終わってみて、たとえ、彼がどこかで失速したとしても、
彼の鮮烈かつ空前のデビューが与えた戦慄と驚異と感動は、
大リーグファンの心から消え去らないでしょう。
なぜなら、そんな瞬間、瞬間の感動こそ、人間に対する讃歌となって、
人々の心を揺り動かし、人々に生き甲斐を与えるのであり、
蓄積された記録には、尊敬、敬愛の情はかきたてるとしても、
人々の心を揺さぶる感動になどなりえないからです。

張本氏に言いたいですね、
私のような野球のことをろくに知らない人間にも容易に分かる、
このようなスポーツ讃歌の本質を分かっていないんじゃない?
あなたはスポーツマンじゃなかったのじゃない?
たんなる点取り虫でしかなかったのじゃない?




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# by hologon158 | 2018-04-16 22:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.02 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」2 日々成長


4月3日のことでした。
昨日、次女の二人の娘が保育所に入所しました。
私にとっては、長女の年上の2人に続いて、
神様が私たち夫婦のためにプレゼントしてくださった、
プリンセス2号と3号は、まだ2歳と4ヶ月の幼さですが、
ママが自宅で独立稼業を営んでいる関係もあり、
かつ保育園教育を受けてきたプリンスとプリンセス1号の成長ぶりを見て、
保育園の利点を様々に認識して、
思い切ってこの際2子を保育園に預けることにしたのです。
祖父母である私たち夫婦も大賛成です。
仲間や年長、年下のさまざまな構成員の社会に入ることで、
驚くほど心身が成長することが期待できるからです。

2歳のプリンセス2号はとりわけ保育園特性がありそうです。
先日、幾度か保育園で顔をあわせたお友達と遊ぶ機会がありました。
プリンセス2号、そのお友達に、
「力を合わせてやろう!」
(2歳程度だと、互いにコミュニケーションをとることがなく、
一緒に遊んでも心もやることもバラバラが多いのですが)

私の妻、孫たちはネネと呼んでいますが、
ママが「ネネがあさって来て、お泊まりするよ」と言うと、
プリンセス2号、にっこり笑って、
「それは楽しみだね」
(自分だけではなく、母親の気持ちも感じている感じ)

どちらも、彼女がすでに社会性のある思考、行動をできることを
物語っている、そんな感じがします。

プリンセス2号、保育園で先生やお友達と初顔合わせしたそうです。
出席をとるため、一人ずつ名前を呼ばれました。
他のお友達は、自分で答えられない幼児はもとより、
プリンセス2号と同年のお友達も全員お母さんが代わりに
「ハイ!」
プリンセス2号だけは、名前を呼ばれると、
すっと右手を挙げながら、一人立ち上がりました。
お母さんたち、「おおっ」

この調子なら、保育所生活にすんなりとけ込んでくれそうです。

一方、長女の2子、6歳のプリンスは6日小学校に入学しました。
3歳のプリンセス1号は保育園3年目で、
部屋がこれまでの2階から1階の、年長さんと並ぶ部屋に移ります。
全員、新しい環境で、新しい人生、新しい成長を始めるわけです。

孫たちに引き替え、私は、なーんにもしなくてもよい、という状況。
でも、すでに何度も書いてきましたが、
朝8時起床から夜(翌日)2時半就寝まで、
全部私の時間です。
絶対に昼寝をしないで、家事も含めて、次々とやることを変えつつ、
一日中なにかをする毎日。
私が作った昼食を夫婦で頂いてから、
私は書斎でいろいろと作業をしていたのですが、
突然、眠気を感じました。
昼寝をしないのは、眠気を感じないからですが、
珍しく眠気を覚えたのはここ数日忙しかったせいでしょうか?
かくてはならじ、と、席を立って、
自分で命名するところのパワーウォーキングに出発しました。
もちろん撮影するのですが、歩調はプレストで、という構えの運動法。
ソニーα7に、
ヘクトール28mmF6.3を付けました。

最近変更した方針に従って、
28mmから21mmまでの広角レンズは、ホロゴンと歩調を合わせて、
近接以外は、F8で撮ることにしたからです。
高畑町バス停で下車し、破石町から奈良町に向かって撮影しつつ西行しました。

午後3時10分から午後4時50分まで、
途中の40分ほどの喫茶店休憩を挟んで、
1時間で218枚の収穫。
ちょっと少な目だったようです。
その理由は、レンズにあったようです。
なぜか、1枚シャッターを切ると、
露出がでたらめになるのです。
露出補正ダイヤルを前後に動かすことで、適正露光に戻ります。
他のレンズだと、めったやたらに連写できますが、
今日のヘクトールはブラインドすると、
とんでもない白飛びの画面になってしまいます。
ノーファインダーで伸ばした手の先で撮るのが、
私の広角撮影法なのに、それができず、
ちょっと疲れました。

まあ、このような調子ですから、
私の方は、孫たちと違って、日々成長、というのはほど遠い現況、
そう言うほかはないようですね。




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# by hologon158 | 2018-04-15 10:37 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.01 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」1 使わないと錆びる



頭は使わないと錆びますね。
退職まもなくにしてもう錆びてしまっている人に出会います。
そんな人は、かつて体にしみこんだ習慣だけで生きている感じがします。
とりあえず一番安全、ということでしょう。

でも、日々、いろいろと問題が起きます。
なぜ問題が起きるか?
身につけたルーチンでは処理できないから、問題が生じるのです。
そんな場合の標準的対処法はこうです。
解決策を探そうとしないで、とりあえず無視する。
さらに、問題がこじれるだけではないでしょうか?

我が家でも、問題が起こります。
先日も起こりました。
我が家は広大なので、洗面台の右側に全自動洗濯機がぴたり接着しています。
浴室を改築するとき、かなり大きめの洗濯機と洗面台とが
一面にぴたり収まるように設計したからです。
その後、洗濯機を買い換えましたが、
ちゃんとその幅員に収まるものが見つかりました。

当然ながら、洗濯機の背面に隙間があります。
時折なにかがその隙間に落ち込みます。
ゴミ取り挟みを手に入れて、取り出していました。
昨朝、洗顔後、顔を拭いたタオルをハンガーにかけようとして、
この隙間の底に落っことしてしまいました。
ゴミはさみで取り出しましたが、
おろしたてのタオルが汚れてしまいました。
落ち込んだものが汚れないようにするには?
そう考えて、閃きました。
段ボール箱を工夫して、洗濯機の後ろを高く底上げしました。
こうすれば、落ち込んだものはひょいと拾い上げられ、汚れません。

さて、あなたはどうですか?
頭使って、日々の問題を解決していますか?
テストを2つ、出しましょう。
どちらも喫茶店で見つけた不具合。

① 洋風便座の左手の壁にトイレットペーパーのハンガー。
その上に被さるようにして、片持ちのハンガー2個で支えた小棚があり、
未使用のトイレットペーパーが置いてあります。
その棚にメモ書きが貼られていました。
「この棚に手をかけないでください。
落っこちます」
触ってみると、たしかにグラグラしています。
でも、とくに老人には、
なにか支えがないと立ち上がれない人だっています。
注意書きなんか気がつかない人もいるでしょう。
どうしても、この棚につかまって立ち上がろうとしてしまいます。

② 同じくトイレの話で申し訳ありませんが、
別の喫茶店では、別の表示が便座の奥の面に貼られていました。
「便座を落とさないでください。
大きな音が出ます。
そっと上げ下げしてください」
見ると、通常の便器ですが、
便座は木製で、ただの蝶番で上げ下げするタイプ。
重い木なので、ぽんと下ろすと、ガタンと便器に衝突します。

さて、どちらのケースでも、メモ表示だけで十分でしょうか?
考えごとをしたり、もともと不注意であったりする人が、
壁の棚につかまって立ち上がろうとし、
便座をバタンと便器に落とす可能性を払拭できませんね。

では、どうすればよいか?

ハハハ、明敏なあなたはもうお気づきですね。
つまらない写真があんまり沢山並んでいるので、
こうした文章は、
ほとんど見る人のない写真を無理に見せようという仕掛けなのだ!
というのは、冗談です。

あなたが普段自然に自分の頭を働かせているかどうか、
これをテストするリトマス試験紙、そうお考えください。
(答えの一例は、記事の末尾にあります。)
ただし、忘れないでください。
頭を普段から使っているかどうかは、このような問題にぶつかって、
ちゃんと正解を出せるか、で分かるものではありません。
自分で自然に問題そのものに気づくかどうか、これですよ。

問題にぶつかって、正面からこれを解決しようとしない、
そんな消極的な姿勢は、もっと深刻な消極性の先触れです。
つまり、そんな風にしていると、問題にぶつかっても、
それが問題であると気づかないところまで進行してゆきます。
それが「ボケ」です。

どうしたら、そのような悪循環に陥らないで済むか?
私が思うに、
生活を全面的に楽しむこと。
生活の時間をすべて自分の人生のために使うこと。
常に人生の途上で問題を見つけることが、
老化を防ぐ最上の方法であると考えること。

そんな生き方の背景、根拠として、
自分は老人になった、もう後は老化の一途を辿って、
いつか必ず到来する死を迎えるばかりだ、
なんて考えない!
いつも書きますが、百歳を超えてもなお矍鑠として、
ライフワークを楽しんでいる方が居られます。
平成27年では61,568人も!

あなたは幾つですか?
75歳?
だとすると、あなただって、生き方次第では、
100歳を超える長寿を楽しめるかもしれないのです。
誰も、自分はそうなる、そうならないと、決めつけられない!

そんなとき、あなたはどう生きますか?
① どうせ無理だから、まあ、普通に生きよう.....
② そんな可能性があるのなら、そうなるように、
頑張ってみよう!
それがこれからの人生のライフワークだ!

あなたはどちらですか?

さて、私が、両方のトイレで即座に思いついた回答はこうでした。
①については、
棚を支える2個の片持ちハンガーをもっとがっしりとしたものに変えるか、
それとも棚の中央に1個補強して、
この棚を支えにして立ち上がろうとする人がいても、
びくともしないようにする。
でも、さらに親切な解決は、
便座の横の棚に体を支えるバーを設置したり、
便座を囲む支え手すりをセットすればよいでしょう。

②については、
便座の底部にセットされた3個の支えが便座に当たる位置に
クッションとなるゴムを貼り付け、あるいは、
オリジナルの支えよりちょっと高めのゴムを何個か、
便座底部に貼り付けましょう。
こうすれば、注意書きに気づかず、つい便座を落としても、
衝撃を和らげ、音を消すことができます。

私は、①の喫茶店主にはそうアドバイスし、②の店主にはしませんでした。
なぜ?
①の店主は若い女性で、パッと顔を輝かせて、礼を言い、
1ヶ月ほどして再訪すると、そのとおり工夫して、
私を見ると、ニコニコ顔で「おかげさまで」と喜んでくれました。

②の店主は口ひげを貯え、
「わたしゃ、ひとかどの者なのじゃ」という構え。
こんな方には、私が別案を出しても、
よけいな差し出口を、と反発されるだけでしょう。
だから、やめました。

これは私の偏見かも知れません。
自分が至って平凡な外観なので、
いかにも優れた人物でござい、と言わんばかりの風貌の人間に、
いわれなき偏見を抱いているだけかも知れませんね。
でも、外観の良い人に中身が伴っていない、
そんな人に沢山出会ってきました。
なぜでしょうねえ?



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# by hologon158 | 2018-04-12 14:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.06 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」6 ポメラDM20


ポメラが壊れたので、
上位機種のPOMERA DM20を手に入れました。

完全にこれまでと同じだけど、
完全に違うポメラ。
使い勝手がぜんぜん違います。
入力画面、入力文字選択の自由度、1ファイルの文字制限、
すべてがけた外れに大きくなりました。
キータッチもかなり高級感があり、安定しています。
いくらでも書きたくなるという信頼感、
うれしくなってしまいます。

人間って、どんなことでも、ケアしないと、錆び付きます。
頭はその典型ですね。
在職中は仕事の必要に迫られて、否応なく頭を使わざるをえません。
でも、退職すると、その生活状態次第では、
別に頭を使わないでも、惰性だけで生活できます。
でも、どんどんと頭は錆び付いていきます。

私が在職中にブログを始めたのは、その防止策としてでした。
この作戦は見事成功した、私がそう考えています。
手紙にしてもそうですが、たいていの方は、必要がない限り、
そして、相手がいない限り、文章など書きません。
もっと言えば、必要がない限り、頭を使いません。

ブログにせよ、文章にせよ、
多くの人は、コミュニケーションの道具であり、
ブログや文章のメッセージの宛先は自分以外の第三者だ、
そう当然に考える方が多いようです。

でも、別の考え方もできます。
人は、人とのコミュニケーション、交わりがないと、
本来の人生とは言えない、そう考えます。
その通りです。
でも、このとき、交わりの対象となる人には自分自身も含まれる、
と考えたいものです。

次第に、他人とのコミュニケーション、交わりの機会は減少していきます。
多くの人は、退職とともに一種の喪失体験に見舞われます。
自分が属してきた組織を通じて築いてきたヒューマンネットワークが消えてしまう。
そのネットワークの誰もが、退職者をネットワークから除去してしまいます。
退職者との関係を継続する必要も時間的余裕も欲求ももたないからです。
多くの退職者は、在職中、職務に専念する余り、
職場外のネットワークなど開拓する余裕がなかったので、
同じ退職仲間をのぞけば、
いわば1人ぼっちになっている自分を発見して、愕然とすることになります。

私は、在職中から幾種類ものネットワークに関わるようになっていました。
そのかなり多くはすでに過去のものとなりましたが、
まだいくつか心を共にできる仲間のネットワークが健在です。

でも、私が一番大切にしているのは、
もちろん妻を中核とする家族ですが、
それと同じくらいに大切なネットワークがあります、
それが、自分自身との交わり。

昔々のことです。
インドの古王国の王様が愛する妃マッリカーに尋ねました、
「そなたがこの世で自分よりも愛する人はいるか?」
もちろん、期待した答えは、
「陛下ですわ」
でも、王妃様は答えました、
「王様、私自身よりも愛している人はおりません。
王様はいかがですか?」
なんだか、古代の女性も、現代の女性たちに劣らず、
正しく開かれた心を持っていたのですね。

私の妻も、マッリカー妃と同じなのですが、
私もやっぱり自分を一番愛します。
そんな自分とつきあう場、
それが私の2つのブログ、というわけです。
私のブログに訪れた方はただちにそれが分かるようです。

その証拠の一つ。
友人がこう尋ねたのです、
「ブログの写真を見ていると、ときどき同じ写真が重複していますね。
そんなとき、あれっ、どこが違うんだろうか、と、
一生懸命違いを探してしまうんですよ。
こんなブログは他にはありませんねえ」
私は平気です。
「それは、ぼくがブログを見返さないからですよ。
ブログの写真が重複していても、
ぼくには何の痛痒もないんだから、平気ですよ」

正直なところ、文章にせよ、写真にせよ、校訂の手間は一切とりません。
文章だって、誤字脱字、どころか、誤りだってあるでしょう。
でも、忙しく生きている人間が日記を書くとき、
最初から読み返して、誤りがないか、検閲するでしょうか?
そう、あなただったら、するでしょう。
完璧を期して生きておいででしょうから。
私は、生きることとは、過ちを犯すことだ、
というスタンスで生きてきましたから、
残り時間がどれだけあるのか、分からない今、
完璧を期しながら、完全な人間として生きよう、なんてことはしない。

ポメラはそんな「ぶっとばし人生」の私には最高の道具。
画面が大きくなり、入力文字もさらに大きくなってポメラDM20なら、
もっと長い日記文が書ける!





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# by hologon158 | 2018-04-10 22:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.05 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」5


東晋の名宰相謝安の逸話だったと思います。
「世説新語」に記載されていました。
うろ覚えですが、こうです、
長年のライバルで、心から尊敬している別の名臣が
罪に問われる事態となりました。
その人は、謝安の一族と並ぶような名族の当主でした。
有罪だったようです。
赦免を請願するために、宮殿の廊下に、
一族もろともずらりと座り込みました。

謝安は、赦免を嘆願するために皇帝に拝謁しようと、
その廊下を通りかかりました。
そして、長年の老友を横目に見下ろしながら、
これ見よがしにつぶやいたそうです、
「これから虫けらを一ひねりしてやろうわい」
(完全に忘れましたので、これは私の想定セリフです、念のため)
そして、皇帝に拝謁すると、声涙振り絞って、赦免を嘆願しました。

皇帝は宰相の嘆願を聞き入れ、
罪に問われた老臣を赦免しました。
老友はそうとも知らず、謝安を恨みました。
謝安は、老友の誤解を解くためには、
ほんの一言、老友に自分の行為を打ち明けたらよかったのです。
でも、それをしなかった。
なぜ?
そうすれば、必ず宰相が友人のために働いたことは、
遅かれ早かれ洩れてしまったでしょう。
宰相ともあろうものが、職責を忘れて、友人のためにお政道を曲げた、
というそしりを免れなかったでしょう。

現在、行政府は炎上しています。
何者かが、あるいはなんらかの状況が、
何十人にも及ぶ官僚をして、
きわめて悪質な刑法犯罪に平気で踏み切らせたのです。
これまでもやってきたからこそ、
彼らは組織ぐるみで平気で公文書の改ざんを行なったのです。

皆さん、一体この事件をどう考えているのでしょうね。
これは、日本の憲政史上、まれに見る重大な事件なのです。
多くのことを意味しています。
官僚たちは平気で国家と国民に対する忠実義務を踏みにじり、
刑事犯罪を共謀して敢行する組織であること。
そして、このような隠蔽、隠滅工作はこれまでも常時行われてきたからこそ、
躊躇なく敢行したこと。

官僚たちは、主権者である国民から付託を受けて、
国民の代わりに行政を担当し、国民のために行政すべき義務を負っているのです。
でも、彼らは、そんなことは忘れ果てて、
国民のことなどちらりとも頭に置いていません。
今回は誰のために?
首相夫妻の意を直接もしくは間接に受けて、行なった不正行政行為を隠匿し、
組織を、ひいては首相夫妻を守るために?

田中角栄を追いつめた時代の東京地検特捜部だったら、
巨悪を撃つべく、まず、官僚たちを一網打尽していたでしょう。
自らも権力の一員たらんとする官僚に成り下がった現在の検察庁は、
ひたすら「捜査中」の看板を掲げた霧のなかに事件をそっと押し包み、
時日を稼ぎつつ、国民が忘れるのを待つ作戦のようです。

いつも書いて来たことですが、
現代日本は民主主義でも立憲主義でもありません。
民主主義の衣を被った自民党と大資本の寡頭政治の国なのですから。
軍国主義の時代の日本よりも巧みかつ完全なる報道管制の下、
真の主権者があてがってくれた情報だけを頼りに、
それでもがんばってくれてるじゃないの、
ほかに国を任せる党もないのだから、
目をつぶってあげましょう、とのんびり構えて、
国民は日々の平安を貪り、
日本国憲法なんて完全に忘れ去り、
ついでに、自分たちが日本の主権者であることなど気づきもしない、
これが現代です。




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# by hologon158 | 2018-04-08 23:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.04 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」4 カオス効果


ケルト文様もそうですが、
タペストリーの図柄、曼陀羅、みんな好きです。

なぜ好きなのか?
一見しても、よく分からないからです。
それなのに、独特の気分を味あわせてくれます。
要するに、カオス効果。
意味不明の図柄が私の心になにかをかき立ててくれるのです。
ゴブラン織りも同じような効果を出してくれます。
でも、不安やいらだちをかき立てるようなものはごめんです。
あくまでも、茫洋と浮かび上がってくるイメージが超越的で、
私の心をぐっと押し広げ、
永遠への憧憬を醸し出してくれる、
そんな美しい文様、模様でないと。

なぜ、そんなイメージ体験を求めるのか?
それはこの世があまりにも薄汚れ、希望がないからです。
宗教は、勧善懲悪、盛者必滅を基調として、
恵まれない人たちにいくばくかの希望を与え、
盛者、権力者に度を超した横暴、悪行を控えさせる威力を持っていました。
今、宗教は支配の道具にこそなれ、
権力者たちを正義、善、仁、義に向かわせる力はすでに失ってしまいました。
宗教は信者たちの間でだけ通用し、
信じない者には残酷、悪虐を尽くしても、
それが神の業の遂行であると合理化する、
手前味噌のスローガンと化してしまいました。
どこにも救いがないのですから、
本当の意味での末世、それが21世紀です。

私はタペストリーや曼陀羅、ケルト文様を眺めていると、
なんだか、上記のような現世の悪逆非道の向こうに、
一つの安らぎを見いだすように感じるのです。
権力をむさぼり、他人を踏みにじる、
そんな権力亡者たちの首相や官僚たちが、
そのような人間におとしめられ、それに気づかず、断じて悔いないことこそ、
彼らに課せられた劫罰なのだ、と分からせてくれるようです。
人を心から愛し、慈しみ、
美しいものを心から賞味して、心を清めることができる、
誰に向かっても恥じることのない人生を送ることができないからです。

私はよく書きます、
「これからは美しいものしか見ないでおこう」
なかなかそれはできないことですが、
とりあえず、テレビや新聞を見ないことで、
耳や目に安らぎを与えること、
それが私の毎日です。

でも、いくら考えても、どうも納得できませんね。
なぜタペストリーや曼陀羅を眺めていたら、心を清められるのか?
すべての人が一様に、心を清められるわけでもないでしょう。
とりあえず、私はそんな気分になれます。
どうやら、複雑極まりない紋様を読み解こう、味わおう、
という困難で答えのない作業が世の汚濁を忘れさせるのかも?



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# by hologon158 | 2018-04-04 22:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.03 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」3 一段ガタンと落ち


私がかなり長い間一緒に撮影に歩き、
一緒にイギリスも旅行した友人がいます。
内科医でした。
山辺の道で出会って、一緒に歩き始めて、
私がしばらくしてこう言いました、
「お医者さんですね」
私の一族には医者が多いので、
態度、姿勢、雰囲気、振る舞い、語り口から、
医者を見抜くのは得意なのです。

これがきっかけで親しくなったのですが、
65になった頃の彼の言葉が忘れられません。
「人間、60を越すと、ガタンガタンと階段を下りるように、
体が弱っていきますよ」

そのとき、私は決意しました、
「よし、僕はそうならない!」
そのために、歳を加えるにつれて、
運動量、行動量を増やしてきました。
ローマ帝国の軍団兵の調練法に習ったのです。

彼らは、史上珍しい位の知的な調練をしました。
たとえば、有史以来、艦隊をもたず、海戦など経験したことがないのに、
歴史上でも有数の海戦の名人であるカルタゴ艦隊との決戦を強いられて、
どうしたか?
浜辺に戦闘艦の実物大模型を作り、
櫂漕ぎの席を作り、市民たちが並んで、実物の櫂を握り、
太鼓に合わせて漕ぐ練習をしたのです。
そうして、見事カルタゴ艦隊と互角に戦える艦隊を造り上げました。
なんだか、かなりアマチュア的ではありませんか?

ローマの軍団も独創的でした。
隙間を置いて一人一人が自由に動きやすい空間を残して、
どんな態勢にも即応できるフレキシブルで強力な軍団を組んで、
ヨーロッパから地中海沿岸の諸国を征服しました。
その訓練法もまさに知的でした。
2倍の重さの甲冑と兵器を使って訓練したのです。
だから、戦場では軽々と戦えたのです。

私は、あまり思考力に長けた人間ではありません。
人生すべて直感、勘、インスピレーションに頼って生きてきました。
そんな私には、ローマ人の訓練法に共感するところが非常に大きかったようです。
彼らにならって、
歳をとるにつれて、運動、エクササイズを増やしてきたのです。

私は、よく書くことですが、
一度始めたら、たいてい、やめません。
だから、エクササイズは増えるばかり。
数ヶ月前に取り入れたのは、朝、靴下を片足立ちではくこと。
服を全部着込んでから、最後に靴下をはくのです。
下着のままで、立って靴下をはくのは簡単です。
全部着込んでいるから、ズボンの裾を押し上げつつ、
靴下を上まで引き上げるとなると、
にわかにバランスを取るのが難しくなります。

そして、数日前から始めたエクササイズは、
外出しないで、家にこもるときの足の訓練。
階段を昇降するたびに、必ず、3往復するのです。
体を手で引き上げずに、膝を大きく力一杯引き上げつつ昇降します。
2段飛びも加えます。

昨年加えて大成功だったのが、腹筋体操。
逆V字に肘を床にセットして、
その肘とつま先だけで全身を水平にホールドして、
目下は200数える間静止。
(最初は10数えることから始めましょう)
これはあらゆるエクササイズの中でも最もめざましい効果を上げました。
少し出始め、かつ筋肉から脂肪に変わりつつあった腹部が、
3ヶ月ほど経つと、ほぼ完全に平らになったのですから。

こうして歳を加えるにつれて、運動を増やしてきたおかげで、
退職後、まだ階段を一段ガタンと落ちたという感じになったことはありません。
ありがたいことです。

もっとも体力を保てている一番大きな理由は、
私の心の持ち方、生活法にあると、私は考えています。
一日中、無為に過ごすことがない。
昼寝もしない。
自分から体と頭を使うなにかをやり続ける。
さまざまなことに好奇心を燃やし、
好きなことに熱中する。
そんな「人生を楽しむ」姿勢が一番大切かも知れませんね。




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# by hologon158 | 2018-04-03 11:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.02 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」2 写真倉庫


もちろん写真作家たちは、写真表現作品を営々として創造しています。
でも、写真作家でもなんでもに素人が、
「私はこれらの作品で現代のアンニュイを表現してみたいと考えたのです」
なんて、言っても、考えたんじゃなくて、
こじつけただけじゃないの?
撮影時にそんな作品創造を構想して、
その構想にふさわしいシーンを追い求めて撮ったなんてできないじゃないの?
私はそう感じてしまいます。

どこで、その違いが分かるか?
簡単です。
言葉によるキャプションを全部取り除きましょう。
そうやって見せられたとき、
多くの人が作家の意図を的確に感じ取れるでしょうか?
感じ取れるなら、その写真は「写真作品」と言えそうです。
でも、たいていのいわゆる「写真作品」は落第。
言葉による説明の補足なしには、まるっきり理解不能ではありませんか?
まして撮影者の感じたことを想像するなんて不可能。
撮るときに撮影者の心になかったことをあとで付け加えるなんて、
ほかの芸術で起こるでしょうか?

コラージュがそうじゃないか?
そうおっしゃる方もおいででしょう?
でも、コラージュでは、
集められた素材は、アーチストが基本的構想の下に組み上げられ、
その全体の構図の中で完全に一体化し、
すべての素材の役割、関係性は一望すれば明らかになります。
写真ももちろんコラージュの素材になります。
題名が付けられても、内容を説明したり、補足したりするようなものではなく、
その題名もコラージュの一部となるように工夫されます。

写真だけ複数枚並べて、題名なしに、
作者の意図通りのコンセプトを的確につかみとれる人は稀でしょう。
それはそれで面白い発見、啓発となるでしょうけど、
作者の意図をしっかり把握してもらえなかったという、
隔靴掻痒感は残るはずです。
結局、それは美術界のコラージュと同等の芸術形態とは
言いにくい感じがします。

もっとも美術の世界でも、
たとえば、抽象画となると、コラージュ以上に理解は難しくなります。
結局は鑑賞者が自由にアイデアを遊ばせることになります。

ただし、写真の場合は、どんな風に組み合わせたところで、
写真は具象なので、自在に組み合わせる記号にはなりにくい。
アートのように自由な発想、アイデアを遊ばせるのは難しい。
作者がわざわざコンセプト文を付けると、
今度は、観衆はこの文章に心を縛られることになります。
組写真がドキュメンタリーにがなりえても、アートにはなりにくい、
そう結論せざるを得ない感じがします。

私の二つのブログでは、原則として30枚の写真を撮影順に並べています。
完全に私のストック、私の目の記憶なので、機械的に配列するだけ。
いかなる意味でも、私以外の人にアピールしたい何物も持ち合わせていない。
組写真ではありませんし、まして、コラージュでもありません。

このことはもう何十回となく明記してきました。
ネットに公開している限り、
なんらかの検索でヒットして、
ただのプライベートストックに過ぎないとは知らないまま、
一種の写真作品と誤解される方が居られるかも知れないからです。

こんな風にブログをプライベートな日記兼写真倉庫にしている人は、
私だけではないでしょう。
でも、私はブログサーフィンをしませんので、出会ったことはない。
私同様に、皆さん、人知れず、ひっそりと楽しんでいるのでしょう。

ただし、私のブログの場合、
検索にかかるデータがかなり含まれているために、
検索に偶然ひっかかることがあるようです。
でも、大抵の方は一目で辟易でしょう。
私のブログを時折訪れる人は、私の知る限り、数人。
おかげさまで、ますますブログ生活を楽しむことができます。

でも、近頃、記事数は減少の一途。
あれこれと忙しいので、投稿の時間がなかなかとれない。
いくらなんでも、撮影の収穫をすべてアップできない。
だから、半数程度に減らすのですが、その選別が一番やっかい。
少し前から、選別作業をオミットすることにしました。
60〜80枚を撮影順に選択して、ブログ用に縮小する作業中に、
不要写真をどんどんとパスするのです。
かなり楽になりました。



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# by hologon158 | 2018-03-30 22:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.01 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」1 忘れない!



スピードパンクロ50㎜F2の目も醒めるような画像を眺めていると、
これほどまでに際だって個性的かつ華麗な画像こそ、
このレンズが設計されたコンセプトだったのだろう、
そう推測せざるを得ません。
もちろんデジタル処理がスピードパンクロの個性を
かなり増幅している可能性は無視できません。

でも、私は今ではほとんどソニーα7をベースとして、
諸レンズを対比しているのですから、
レンズ間に際だった個性差があることは疑うことができません。
銀塩時代もその個性をさまざまに追い求めたのですから。
だとすると、映画制作者たちも、作品、情景を、
レンズの際だつ個性の助けを得て、
独特の映像美を生み出したい、
そう考えていたに違いありません。

名作は印象的なシーンの巧みな編集によって生み出されました。
そのもっとも印象的な表現の好例として、
私は、エイゼンシュタインの「イワン雷帝」1944年と、
キャロル・リードの「第三の男」1949年を上げたいと思います。
どちらも使用レンズは知りません。
オーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムの姿が出現するシーンは、
映画史上屈指の登場シーンですが、
この映画のモノクローム画像の切れ味の鋭さに、
スピードパンクロだったんじゃないかな、
そう考えたいですね。

スピードパンクロは19世紀末から1965年頃まで連綿と作られました。
これはスピードパンクロの名器であることの証明でしょう。
私が中将姫光学さんからお借りしているスピードパンクロ50㎜F2は、
レンズ番号に照らして、1920年代のようですが、
「第三の男」制作当時はまだ現役の花形レンズだったようです。

こうした名シーンを観るにつけ、
レンズの表現力が登場人物の演技を際だたせる武器になっています。
とすると、私たちの写真にも大きな効果をもたらしてくれる、
私はそう信じます。
写真家たちの強力な味方になっている。
だとすると、私のような素人写真となると、
個性的な写真をほしければ、
もう名レンズに頼るのが一番早道、ということになりそうです。

だから、私は正直に書いています、
レンズに撮ってもらっている。
だから、私は、私の写真に関する限り、
「自分が撮った」とは決して申しません。
「レンズに撮ってもらった」これが正直な気持ち。

そんなこと当たり前なんだから、
わざわざいつもどのレンズで撮ったかなんか、
言わなくてもいいじゃないの?
たとえば、この絵はどんなブラシ、どんな絵の具で描きました、とか、
この小説はモンブランで、鉛筆で、ボールペンで、ワープロで書きました、
なんて、誰も言わないように、
写真だって、道具をわざわざ明記する必要はないよ、
そう皆さんおっしゃるでしょう。

でも、私は事情が違います。
写真でなにかを表現した、
写真作品を創りたい、
そんな気持ちがまったくないからです。

こんな私にとって、レンズが与えてくれる個性的な外観はありがたい。
とりわけ、スピードパンクロ50㎜F2には惑溺してしまいます。
1920年代の製品なのですから、まさに百年前の光学製品。
この百年間、世界のレンズ会社が時代の要求に応じて、
改良に改良を重ねてきたのが光学機器の華レンズです。
それなのに、百年前のレンズに魅せられる?
なぜ?
理由は簡単です。
光学性能の進歩は、撮られた写真の進歩とは無関係だからです。
写真に進歩もなにもない、
私はそう信じます。
写真は必ずしもアートではありませんが、
その写真がどんな意味を持つとしても、イメージには違いありません。
イメージが鑑賞者にどんなインパクトを与えるかは、
すべての芸術同様に、一律に決められるものじゃありません。
極めてプライベートな体験。
紀元前の兵馬俑の兵士たちの生々しい命の印象は、
現代の彫刻芸術をときに遥かにしのぐほどです。
時代、時間、機器等の媒体、それらすべてが、
芸術性に関わることもあれば、関わらないこともあります。

でも、写真に関する限り、私の場合は一つ言えることがあります。
現代の完璧な光学性能のレンズで撮った写真は、
私には無縁です。
光彩陸離としているので、見た瞬間は心がもちろん動きます。
でも、次の瞬間忘れてしまう!
スピードパンクロ50㎜F2で撮った写真は?
忘れない!
なぜでしょうなねえ..................?



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# by hologon158 | 2018-03-28 15:15 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

717.08 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」8-完-


私は映画をTSUTAYAから借りて、自宅で楽しんでいます。
何年か前、まだ在職中、思い立って、
アメリカ映画を映画館で観ました。
実写とコンピュータグラフィックスが組み合わされて、
大画面、大音響、大迫力の映画でした。
凱旋門のような石の門の真っ正面のシーン。
その門が突然破裂して、阿鼻叫喚の大音響とともに、
ティラノザウルスがこちらに向かって飛び出しました。
いくらなんでも、ティラノザウルスでも生身の体です。
そんなことできませんね。
あまりにも刺激的過ぎます。
映画館で映画を観るのはやめました。

昨夜、ニュージーランド映画「ホビット」を観ました。
J.R.R.トールキンの名作ファンタジー「ホビットの冒険」の映画化。
と、思うでしょう?
でも、前作「ロード・オブ・ザ・リング」も、
トールキンの畢生の大作「The Lord of the Rings」を、
一生懸命映画化しようとしても、
結局、原作の雰囲気、精神は、まったく再現されることなく、
ただの大がかりがファンタジー映画にすぎなかったのですが、
本作と来たら、もうまるで完全に別物になっていました。

ファンタジーのインフレーションが高じて、完全に破産状態。
トールキンファンが観るものじゃありません。
こうした現象は日本でもどんどんと進んでいる感じがします。

どうも現代はなにもかもが過剰化の上昇曲線を
果てしなく昇っていく、そんな感じがします。
料理の味が濃くなる傾向は「味覚の堕落」を証明しています。
映画のあらゆるファクターが極端に濃厚になっていく傾向は、
「感受性の堕落」「感覚器官の鈍磨」を証明しています。
どちらの場合も、繊細、微妙、デリケートな味わいを
見分ける能力をすり減らしていきます。
世界中でそうした堕落が、つまり無神経化が進みつつある、
そんな感じがします。

日本人はかつて繊細な心情、情感を備えた民族であると、
自負してきました。
でも、今はどうなのでしょうねえ?



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# by hologon158 | 2018-03-24 23:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.07 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」7 晴れ舞台


私は、祭り騒ぎがはっきり苦手です。
晴れ舞台でなにかをする、ということ位、
ぞっとすることはありません。
だから、参加することも見ることも好きではない。
でも、人生、そんな機会がどうしても巡ってきます。
それが人生ですね。

そんな機会に突然何段もギアアップできる人がいますね。
めざましく、晴れがましく、立派に見えますね。
思わず喝采しますが、私はゴメンです。
生まれつきのようです。
私の6歳の孫プリンス、3歳の孫プリンセス1号は違います。
4歳から参加するようになったピアノ教室発表会でも、
お兄ちゃん、なんだかウキウキとした表情です。
妹まで、2歳から特別参加していますが、
まったく平然と、平常心で舞台に立っています。

七五三の子供ファッションショーにまで参加。
最後に、インタビューを受けて、ポーズで終わりますが、
参加者の皆さん、普通に、Vサイン程度。
最後に、兄妹が登場しましたが、
2人とも、全身を突然華麗に動かして、独特のポーズを決め、
満場、大爆笑となりました。
妹など、インタビューでしゃべり続けて、止まらない。
誰に似たのでしょうね?

なにはともあれ、そんな性格が私の写真に出ていますね。
私は、祭りという祭り、孫たちのおひな祭りは別として、
まるで興味も関心もなく、
写真に撮るためわざわざ出かけることもありません。
でも、そんな人間の前によくひょっこり顔を出すのが、
このお祭り。
旅先でも、撮影日にも、偶然ですが、よく会います。
これもロボグラフィですから、撮ります。
でも、ご覧頂いたら、お分かりでしょう。
祭りを最大限表現しようなんて心がまえがないので、
出会い頭、ただのロボグラフィとしてヒョイと撮るだけ。

今回出会ったお祭り、まことに地元限りのフェスティバル。
沿道に観客もなく、私と友人以外には写真を撮る者もなし。
全員地元の参加者だけ、という寂しさ。
奈良の郊外ですが、すでに過疎化しているのです。
住宅地もありますが、こちらはただのベットタウン。
昔ながらの住民のお祭りには関心がない。
ほんの一握りの地元民だけが随行しているという感じ。

そんな中にちょっと目を惹く美人も居たりして、
祭りに華を添えています。
子供ファッションショーの私の孫たちのポーズのようなもの。
こんな美人がいるだけで、お祭りらしさが際だつようです。
そんな祭りの華を通りすがりにホロゴンで写し止める、
そんなことはしないのが、私。
ロボグラフィというものは、
日頃誰も気に留めないような種々との出会いなのですから。



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# by hologon158 | 2018-03-22 11:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.06 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」6 何かを捨てる?


夕食には恒例の反省会を楽しみます。
餃子の王将を利用することが多いようです。
なぜ?
① 餃子に目がないから。
② 安いから。
社会的地位、格式、体面、体裁なんていう、
見かけは生涯無視して生きてきた私です。
そんな人間にぴったり来るのが、この餃子、
そうではありませんか?

退職後、精神的ギャップ、適応不全に苦しんだり、
華やかなりし過去を引きずったりしている
「昔エリート、今ただのおっさん」が沢山おられます。
私は、元来、そんな意識も地位もなく、
妻と二人で一庶民としてひっそり生きてきた人間ですから、
こうしたギャップはまるでありません。
ありがたいことです。

ついでに書きますと、
庶民のみなさんにも淡い階層意識がある方がかなりいます。
こういう方は、自分より目下か、目上かを本能的に見極めて、
言葉づかいや態度を変えます。

ところが、私は、万人は平等であると信じて生きてきたので、
誰にも同じ丁寧な態度、丁寧な言葉で接します。
すると、時折、タクシーに乗ったりしたときによく起こりますが、
こちらは丁寧な言葉でしゃべり、
運ちゃんはぞんざい、横柄に答える。
それでも、平気です。
なにも私をバカにしているわけではありません。
これは実は見かけだけのことが多いようです。
そんなしゃべり方しか知らないのです。
ところが、こちらも丁寧なしゃべり方しかしたことがない。
でも、外観は、主客転倒という感じがないわけではありませんから、
ちょっと吹き出しそうになります。

まあ、そんな私には、
完全庶民御用達の「餃子の王将」は似合いです。
食べ方も立ち居振る舞いもまるで地のままで通せるからです。
この日も、店内は庶民だらけでした。
右隣は、若いカップル。
無音のまま、華麗なる身振り限度で雄弁に語り合っていました。
左隣はかなり質素な身なりの老夫婦、
その向こうは、幼い子二人を同伴の若い夫婦。
向こうの4人席は中国人旅行者、
その向こうは、それぞれ一癖ありげな風貌の、
がっしりとした若衆4人。
まあ、全員、庶民です。
全員、例外なく声高に談笑。
気楽、気軽な雰囲気がなによりもご馳走ですね。

ただし、一つだけ、ちょっと様変わりがありました。
私がビールを止めたのです。
お湯割りの焼酎、それもコップ一杯だけ。
いつも一緒にジョッキを傾けていたDAさんも、
「それはいいことです」ときっぱり言って、
水割り焼酎、ライムソーダに変更。
私に悪いと、ビールを差し控えてくれたのです。
WKさんは、一番若く、まだ現役ですが、
酒はほとんどたしなまないので、水割り梅酒。
おかげで、ちょっぴり静かな談笑風景でした。

だんだんと何かを捨てる、
それがこれからの人生の趨勢かも?
でも、絶対に捨ててはならないのは、友人、ですね。



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# by hologon158 | 2018-03-19 22:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.05 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」5 近江八幡詣で


毎年正月早々、写真の友人たちと近江八幡の水郷を歩く、
これがここ何年かの習慣でした。
今年は、私も、次女が正月早々に出産したことなど、あれこれ重なって、
多忙を極めていたこともあり、
友人たちも遠慮してくれて、
ついに企画もしないまま日が流れました。
私もこのところようやく平穏な日常に戻ったことで、
友人たちに呼びかけました。
でも、友人たちもそれぞれに生活があります。

結局遅れに遅れて、3月10日に決行。
参加は4人、DAさん、EMさん、WKさん、そして、私。
DAさんはライカM3の使い手でしたが、
今はソニーα7派に転身しつつあります。
EMさんは、かつてはストリートスナップ、今は都市の景観の写真家で、
奈良、大阪、神戸で4つばかり写真教室を教えている写真家、
WKさんは、気配を写真に撮る名手で、今は朝まだき闇の墓地に潜んで、
夜明けの景色を撮るという、
不気味にして奇怪な写真世界に深く沈潜しています。
どこの墓地か、言わないでおきましょう。
あなたがまだ日の出前の墓地に入り込んで、
闇に大きな目がギラリと光ったら、
WKさんだと思っていただければ、ほぼ間違いがありません。
もっとも、正真正銘のお化けの可能性も50パーセントほどありそう。
よく考えてみますと、私が一番まともであると言えそうです。
いや、よく考えなくても、そうですが。

午前10時JR京都駅発新快速で出発。
午前10時33分近江八幡駅発。
路線バスに乗り換えて、バス停「丸山」で下車。
東側の広がる水郷地帯に向けて進行。
私の装備はソニーでそろえました。

ホロゴン15mmF8U付きソニーα7
スピードパンクロ35mmF2付きソニーNex

いつもどおり、撮影がはかどり、足は遅れました。
前方の南北道を左に折れることにより、
水郷の北側の丘を取り巻く村落をまず目指していたのですが、
前方では、遙か先行した3人は逆に右に折れて、
水郷の島の公園に向かっています。

折から通りかかった漁師の老人に尋ねました、
「あの島から北に橋が見えますが、
あの橋づたいに、あちらの丘の村に行けますか?」
「ああ、行けるよ」
この言葉で安心して、水郷の島の公園で友人たちに追いついたのですが、
橋をわたって次の島に行ってみると、
その向こうは水路で、向こうの丘にたどり着くルートなどありません。
見事、だまされてしまいました。
おそらく目的地の住民だったのでしょう、
「こちらは生活しているんだ、
物見遊山に写真撮りに来られてたまるか!」
というところでしょうか?

さて、どうしようか?
鳩首協議のうえ、もう昼食時間まで半時間、
一旦、水郷の入り口に新しくできた観光客目当ての施設で、
昼食をとってから、
午後のルートを相談することに一決。

かつては、ウェルサンピアでしたか、簡易保健施設があって、
その食堂の近江牛すき焼きランチが絶品でした。
新レストハウスには幾つかレストラン、カフェが開業していましたが、
かつてこのあたりで経験したことがないほどの盛況で、
ものすごい群衆がレストランに列を作っています。
テレビかなにかで紹介されたり、宣伝されたりでしょう、
昨年までには近江八幡の水郷にはほとんど人影もなかったのに、
えらい様変わり。
でも、予言できます。
2、3年で閑古鳥でしょう。
現代人は新しいものに群がるのですから。

徒歩7、8分のところに海産物販売を兼ねた食堂があります。
ウェルサンピア廃業後の行きつけです。
行ってみると、案の定、客はゼロ。
駐車場もあり、メインロードに巨大な看板をあげているのに、
この始末。
行列を作って長時間待つ位なら、こちらを選ぶ、
そんな人はいない!
なぜ?
テレビで観なかったから!
はっきり言って、そんな人たちとおつきあいするつもりはない。
互いに共通する話題がなにもないのでしょうから。

近江牛焼き肉ランチ1400円を注文。
おいしい料理でした。
でも、長い時間待たされました。
しかも、ほとんど冷えていました。
どうやら焼き肉を丁寧に冷ましてくれていたようで。
これじゃ、口コミで人を集めるのは無理かな?
味は良いのに、惜しいですね。
でも、おかげさまで、広い店内に私たち4人、
くつろぎのひとときを楽しむことができました。
料理店を出発したときはすでに2時過ぎだったと記憶します。

八幡宮に向けて古い家並みをそぞろ撮影しつつ移動しました。
定番のルートです。
私は、ソニーα7からホロゴンを外し、
スピードパンクロ35mmF2に代えました。
ホロゴンでは、撮影後の液晶画面が真っ暗なので、
なにを撮ったか、まるで分からないからです。

今考えると、8倍のグラデーションフィルターを付けていたせい。
ホロゴン15mmF8は、周辺光量がセンターの8分の1しかありません。
そこで、うろ覚えですが、
8倍と16倍のグラデーションフィルターが付属されています。
もともとグレーがかって暗いフィルター、
中央が周辺よりもぐっと分厚いために、
光量がかなり平均化される仕掛けです。
ストリートでは、逆光ではほとんど撮らず、
明るいものを順光で撮りますから、
撮影結果は液晶でかなり明るく見えます。
自然の中では、たえず逆行気味に陽光が差し込み、
液晶画面では、中心がぐっと暗く見えるので、
いつもどおり、液晶で像をチェックしたりせず、
ノーファインダーで撮りますので、いったい何を撮ったか、
どう撮れたか、まるで分からないわけです。

ホロゴン使いの写真家たちに出会ったことがありませんが、
たった一人分かっているのは、田中長徳さん。
猛烈に高く評価しておられます。
でも、ネットに搭載された紹介ビデオでの振る舞いが不思議。
彼のホロゴンに対するコメントはまさに絶賛なのに、
卓上に両肘をつけた両手の先でホロゴンウルトラワイドの両脇を
しっかりと掴んで、「カシャッ」「カシャッ」と空撮りしています。
これじゃ、撮れた画像は両脇に太い指が2、3本写り込んで、
まるで両側にソーセージを写し込んだようになるでしょう。

つまり、田中長徳先生、素手でホロゴンウルトラワイドを掴んで
ストリートで撮ったことが一度もないのです!
狭くて後ろに退けない狭い室内で、
ホロゴンウルトラワイドを三脚に付けて撮っただけなのです。

でも、ホロゴンウルトラワイドを使った方は誰も忘れないでしょう。
どんなにホールドしにくいか?
大きな手の人なら、親指と人差し指で大きく開いて、
ボディの両側の天板と底にかけて、がっしとホールドできるでしょう。
でも、ボディがかなり大きいので、きっとすぐに疲れてしまいます。
私は、左手を直角に開いて、親指でボディの左側壁を押さえ、
左の他の指をボディ底部に添えて、支えとし、
右手人差し指を右側上部のシャッターボタンにかけ、
親指を右側背面から、他の3本を右側壁から、ボディを押さえ、
こうして両手でボディを5方から押さえて、落ちないように支えて、
ほとんどいつもウェストレベルあたりに構えて撮りました。
これでもかなりアクロバチックで、誰かの体が当たったら、
ポトンと落ちてしまったでしょう。
だから、ストラップを右手にぐるぐる巻いて、落下を防ぎました。
一度も落ちそうになったことも、落としたこともありません。
これも、フィルムロールで2千本ほども撮り続けたから。
常用しないで、仕事の必要でテンポラリーにホロゴンを使う、
プロの写真家の多くは三脚を常用していたのでしょう。

ところが、ホロゴンウルトラワイドからレンズだけ取り出して、
ライカMマウントに改造してソニーα7に付けて、
驚喜しました。
ソニーα7のボディを普通にホールドしても、
写真に指が写らない!
フランジバックの関係で、
改造ホロゴンのレンズの高さが、ウルトラワイドよりも、
ソニーα7の方がわずかにボディ前面より高くなっているのでしょう。
おかげさまで、ホロゴンを普段使いできるようになりました。

でも、今回は、日差しが強すぎました。
半逆光になっただけで、かなり刺激的なフレアーが発生し、
かつなぜか画面に暗闇がかかります。
森山大道先生の後期モノクロームプリント時代に、
引き伸ばしプリントの段階で、絶妙に焼き込んで、
随所に謎の暗部が謎を生む仕掛けがされていましたが、
作家ならぬ私には、そんな仕掛けは無用です。

そこで、スピードパンクロ35mmF2に付け代えたのですが、
これが大成功。
1930年代のノンコーティングのレンズですから、
とにかく穏やかで、しかも、品があります。
私は、本来、ネーチャーなど撮らない人間。
水郷を歩いても、水郷の美しい景観を撮るのではなく、
そこかしこに隠れているロボグラフィたちを撮るのですが、
やっぱり古いストリート、路地のロボグラフィを撮り出すと、
まさに故郷に帰ったような気分。
大いに楽しみました。
収穫はホロゴンが67枚、スピードパンクロが349枚、
合計416枚。
短かった撮影時間の割には収穫はかなり大でした。

ところで、私の近江八幡詣では毎年恒例なので、
記事もおそらく8から10回に及んでいるでしょうけど、
近江八幡の中核とも言うべき日牟禮八幡宮に関する記事も、
写真もおそらくゼロに近いでしょう。
なぜか?
十数回に及ぶ近江八幡詣でで、
たったの一度も神社を訪れていない。
神道にいささかも共感も尊崇も関心もないから。

そんな私でも、二女の第二子が産まれて、
正月、一家で春日大社でご祈祷をして頂きました。
これは、娘、孫のためなら、
矢の中、火の中、神社の中もいとわない! 
という、健気な気持ちから。
我ながら、偉い!
でも、神道の神様、わかっているでしょうね。
最前列一番右の男、うやうやしく装っているけど、
ちらっとも信じておらぬ!
不届きなやつめ!
ま、これまでのところは、あまり天罰を受けた体験はなさそう。
これからかな?
来世で受けるのかな?
そのときは叫びましょう、
「親鸞上人、助けて下さい!」
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」なので、
私も助けて頂けるかも?




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# by hologon158 | 2018-03-17 21:53 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.04 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」4 井上亮のこと


誰にでも、人生の中で、
これだけは起こって欲しくなかった、
そんな出来事があるでしょう。
そんな中で、もっとも痛恨な出来事と言えば、
大切な人を失うこと、
これではないでしょうか?
両親といった近親を失うことも、
もちろんその中に含まれますが、
誰にせよ、寿命、定命とは言えないような年齢で、
あまりにも唐突に失なった人のことはとりわけ痛恨ですね。
私の場合は、親友の死がそれでした。

井上亮

2002年、享年55歳でした。
食道ガンでした。
彼が異色の心理学者、練達の心理療法士として、
かなり有名であったことを知ったのは、彼の没後なのです。

彼と知り合ったのは、1985年のスリランカ旅行でのことでした。
なぜか意気投合して、普段は月1回位は一緒に呑み、
それ以来、彼が世を去るまで、記憶では5回、
1989年8月から翌90年7月までのカメルーン留学を挟んで、
海外旅行を二人で楽しみました。

とにかく良く呑む男でした。
南西アフリカのナミビアをキャンプ旅行したときなど、
二人テントで過ごしましたが、
就寝前は差し向かいでウィスキーを呑み、
その日の反省会でした。
もっとも、反省させられるのはいつも私で、
彼が勝手に私に代わって反省してくれるという次第。
私は元来欠点だらけで、
家庭でも家族ら常時反省を求められる毎日ですから、
きわめて打たれ強い人間なので、
素直に耳を傾け、真摯に反省し、
酒とともにさらりとすべてを忘れ去る毎日でした。

夏期休暇を利用して、
イングランド、スコットランド、アイルランドと旅しました。
死ぬまで一緒に旅をしようと言い合っていたのですが、
2001年のある日、突然、電話がありました。
「食堂ガンにかかった。
ネットで調べてみると、致命率は60%強。
かなりあぶない感じがする。
両親のいる名古屋でいい病院はないだろうか?」
さっそく名古屋在住の整形外科医の義兄に尋ねて、
ガン治療の名声高い某病院を紹介してもらいました。
でも、受診したときには、すでに末期で、
幾箇所も転移していました。
あっと言う間に世を去ってしまいました。

ただし、手遅れであったことを知ったのは、後日で、
まだ十分間に合うはず、そう考えいていたので、
当時私は大きな仕事を抱えて、電話で数回話しただけで、
ついに見舞いに行くことができませんでした。
入院中お見舞いできなかったことがいつまでも心に残り、
彼の夭折にかなりの打撃を受けましたが、
その中には恨みのファクターもありました。
まだまだ仕事に旅に、人生を謳歌できたはずなのに、
突然、彼が自分の人生の時間を断ち切られたこと、
そして、私も、二人で行くはずだった旅の伴侶を失い、
心にポッカリ大きな空洞を開けられた感じだったからです。
今でも、心のキズは心の隅に残されています。

1989年、彼は文部省の奨学金で留学することになったのですが、
彼が選んだ留学先は西アフリカのカメルーンでした。
呪術師に弟子入りして、呪術を学んだのです。
彼から、彼の専門の話を聴かされたことはありません。
話しても分かるまい、と思っていたのでしょうが、
ほんのわずかに聴いた話では、
呪術師へのイニシエーションとなるテストは、
夢の中で、指折り数えながら1から10まで数えることだったが、
彼はそれをパスし、
そのあと、様々に教えを受けたこと(いくつか聞きましたが、
理解不能の境地のことなので、覚えていません)、
修行中、裸同然で暮らしたこと、
帰国の途について、ジュネーブでトランジットしたとき、
余った資金でローレックスを買ったこと程度しか覚えていない。

留学期間を終えて、帰国することとなったとき、
呪術師は、最後のテストを行い、
これをパスした彼に、師匠はこう言ったのです、
「もうこの国には呪術を学ぶものはいなくなった。
お前には私の知る限りのことをすべて教えた。
秘法を行う道具と、隠された神をお前に託そう。
お前がわしの跡継ぎであることは記録しておくから、
いつか呪術を学びたい者が現れたら、
お前が、わしがしたように、弟子にすべてを教え、
わしが託した一切の秘法を伝えてくれ」

彼の家でその話は聞きました。
「どこに秘宝はあるの?」
「誰にも見せるわけにいかないので、
廊下の押入深くに隠してある。
あんた以外には誰にも話していない。」
この秘宝も、得体のしれないガラクタとして処分され、
マリの呪術師の秘宝と呪術の奥義は失われてしまったのでしょう。

彼の書斎は、特製の大きな書斎机をどんと真ん中に置き、
背面に書棚、前面は隣の居間に面していて、間の襖を開き、
対面の壁に沿って配置されたステレオセットで音楽をかけ、
ウィスキーグラスをグビグビと傾けながら、
夜間朝方まで研究を続けました。

ナミビアでも、他の旅先でも、
夜必ず二人でウィスキーを呑みましたが、
酒豪ではない私はせいぜいグラス2杯程度で、
いつもなにか摘んでいたのに対して、
彼は生のウィスキーをぐいぐいと煽り、
アテはなしでした。
なぜ、そんな飲み方をするんだろう?
いつも不思議に思っていました。

彼にカウンセリングのことを聞いたことがあります。
その語り口から、
彼の呑み方の謎がすこしほぐれた感じがしました。

カウンセリングの成否を決めるのは、
相談者の邪魔をしてはならない、ということでした。
決して反応してはならない。
終始完全に受容器となって、
すべてを自分の中に納めていかなければならない。
聞き棄てしちゃえと、忘れるわけにはいかない。
相談者が陥った状況を打開して、相談者を救うのは、
あくまでも相談者自身なのだから。
カウンセラーは相談者を出来る限り理解し、
脇からそっとその手助けをするだけ。

でも、相談者たちの苦しみ、悩みをすべて引き受けていけば、
カウンセラーはどうなるのでしょう?
彼の心はやり場のない苦悩、惑乱の泥沼になってしまうのでは?
アレクサンドロスはゴルギアスの結び目を一太刀で切り離し、
長年の難題を一挙に解決してしまいました。

でも、井上さんの話を聴けば聴くほどに、
彼の心の中に伸び続けた縄は、容易に結び目は見つからず、
見つかって、これをほどいても、
その奥にまた別の結び目があるために、縄はほどけない、
そんな感じがありました。

私の大学時代の親友が同じ大学の同僚でした。
彼の話は示唆的です。
井上さんは気配を消す名人でした。
会議で、群衆の中で、ふっと気配を消してしまうのです。
すると、周囲の人間は彼がそこに居ることを忘れる。
大学の教授会は、多くの会議がそうであるように、
どうでもよいことを果てしなく蒸し返し、論じ直しの場。
そんな状態になると、彼の心はその場から消えてしまった。

彼と待ち合わせをしたことが幾度かありましたが、
人ごみの中に紛れ込んだ彼の姿は、沈黙に包まれ、
どこかその場から遊離していました。
彼は完全に気配を消していたのです。
そこに居る。
でも、誰も気づかない。
これこそ、受容器と化したカウンセラーの存在様式だったかも?

彼は、こうして自分自身の心に毎夜深く沈潜して行って、
心の奥底に沈殿している相談者たちと対話していたのかも知れません。
夜の静寂の時間こそ、何物にも邪魔されない沈潜のときだったのでしょう。
でも、解決の道を示す曙光は見えて来なかったのでしょう。
途方に暮れ、焦燥にいらだつ心をなだめるため、
あるいは、多くの宗教家にとっても、
恍惚の境こそ、悟りに導く最良の環境であることから、
もしかすると、彼は、酩酊状態こそ最良の精神環境だと考えて、
ひたすらウィスキーを身体に流し込む日々だったのでは?
身体を傷つけていることは十分承知しながら、
いわば、死と競争しながら、
人間心理の深淵への旅を重ねていたのではないでしょうか?

彼は、自分の業績を本にまとめないで、世を去りました。
没後、彼のエッセイ、諸論文が一冊の本にまとめられました。
「心理療法とシャーマニズム 井上亮」(創元社)
私が知ったのは、つい数日前です。
717.02 ホロゴンデイ202
「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」2 写真集
この記事で彼のことをちらっと書いたことがきっかけで、
グーグルで検索して、初めて知ったのです。

私は心理療法のことなどほとんど勉強したことがありません。
ヴィクトール・フランクルの本を幾冊か読んだ程度。
井上亮の論文を読んでも、理解できるとは思えませんが、
とにかくかつて互いに心を割って付き合った親友の本です。
手に入れないわけにはまいりません。
早速アマゾンで取り寄せました。
これから、じっくり読んでみます。

その序文の中に彼の一つの言葉を見つけました。

「結局、治療者は被治療者のもっている病をすいとる。
もし、病のもとであるギンナウォルが被治療者に
はいっているなら、それを治療者が自分にひきうける。
それをまともにやったら、死んでしまうから、
ギンナウォルからどうして身をまもるかを
よくしらないといけない」

序文の記載者はこうお書きです、
「ひょっとしたら、被治療者のギンナウォルが
井上さんの体をむしばんでしまったのかもしれない」

彼もこれに近いことを私に言ったことを思い出しました。
そこまで深みに入り込まなくてもよかったのに.........
彼は自分が長く生きられないことを知りながら、
心理療法の神髄をつかむため、研究に没入し、
ついに自分の命を生け贄のように投げ出した、
そんな感じがします。



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# by hologon158 | 2018-03-15 22:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.03 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」3 写真を愛して


私は最初の最初から、今と同じ撮り方をしていたようです。
つまり、写真作品を創るためではなく、
自分が出会ったものたち、光景を記録したい。
そんな人間に巧い写真は不要でしょう。
それに、私はそんな写真の才能などなかったのですから、
自分の背丈にあった写真趣味というわけです。

写真を始めた頃から今に至るまで、
巧い写真家にもどっさり出会ってきました
センスのある写真家にもどっさり出会ってきました。
写真の巧さにはある程度修練、努力が効果を上げるようです。
でも、写真のセンスとなると、
持って生まれた感覚であり、
いくら努力しても、身に付きませんね。
私はきわめて早期にそのことを悟り、
写真で人と競争するのはやめたわけです。

写真を始めた2年目と3年目、
当時住んでいた宮崎県の公募展に応募して、
最初に入選した後、残り3回は銀賞を受賞しました。
写真史に残るような高名な写真家の審査員から、
「久しぶりに彗星のごとく現れた大型新人」と言っていただきました。
この講評はよほど嬉しかったか、未だに忘れませんね。

でも、それできっぱり公募展への出品