わが友ホロゴン・わが夢タンバール

737.02 「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」2 訣別


ちょっと古くなりますが、平成18年8月2日木曜日、
図書館通いの日でした。
2週間の変換期限です。
昼食後出発しました。
炎熱、でした。
気象台発表では、奈良は36度ですが、
遮るもののないコンクリート道で燃え上がる太陽にさらされては、
38度か39度でしょう。
まったく記憶にないほどの炎暑の夏ですね。
これが後2、3週間続くと、もう大地が干上がってしまうでしょう。

妻の厳命で庭に水をまきますが、
これが本当の「焼け板に水」ですね。
だれかが検証した結果では、水まきは地面から数ミリ程度で、
それ以下には及ばないので、実は植物にはなんの効果もないのだそうです。
雨のように全土を静かに満遍なく濡らし続けないとだめだそうです。

この日は、ブログの「美との対話」のために、
フラ・アンジェリコ画集を借りました。
清澄感と霊感に満ちた聖画が大好きだからです。
信仰がないので、私の鑑賞は皮相なレベルにとどまるのでしょうけど、
平気です。
どんな人も、どんなことについても、
自分の能力の範囲内で理解し味わえるだけです。
それに、「私はキリスト者です」とのたまわる御仁が、
どれだけ深い信仰を抱いているか、怪しいものです。

私は深く確信しているのですが、
もしキリスト教の地獄があの世に存在するとしたら、
そこには、キリスト者であると称して、人と虐げ殺戮し、
富をむさぼったりしたような自称キリスト教徒が
そこにはひしめいているはずです。
「汝の敵を愛せ」という戒めに反した王様、女王様、
将軍たち、政治家たちもほぼ全員地獄落ちして、
「騙された!」「神を殺せ!」「イエスをやってしまえ!」、
などと口走っていることでしょう。

一方、天国に昇天できた、聖なる確信を抱き、
十戒を全うに遵守し、愛に満ちて生きた、
真実のキリスト者たちのほとんどは子供たちだけで、
大人の姿は寥々たるものだろう、と確信しています。

この日借りたフラ・アンジェリコ画集からピックアップして、
すでに本ブログの新シリーズ「美との対話」に収録しました。
彼の描く人々は、キリスト教の旗印を掲げて、
異教徒の領土に侵入し、略奪殺戮をほしいままにした、
似而非キリスト教戦士たちとはまったく異質な境地にあります。
このような人たちはルネサンス当時も絶滅に瀕していたし、
現代キリスト教世界の指導層からは完全に消えてしまったのでは?

現代世界は完全な生きるか死ぬかの弱肉強食の世界。
あらゆる理想は画餅になってしまいました。
自由、民主、平和
これらの言葉を実践している国家も政府もなくなりました。
日本の事情はさらに悪い。
政治家も官僚も検察官もマスコミも日本国憲法の存在など、
きれいさっぱりと、忘れ去っています。
国民も日本国憲法のことなど忘れ去ってしまいました。
私はかなり絶望しています。
ますます美の世界に沈潜していくことになりそう。




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# by hologon158 | 2018-08-20 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.01 「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」1 不安


ちょっと嫌なことを書きます。
人生、安穏に生きたい方は読まないでおきましょう。

8月7日火曜日、
突然孫プリンスが喘息で点滴を受けることになり、
共稼ぎの父母に変わって、私が面倒をみること。
早速小児科医院にかけつけました。
幸い、2日連続の点滴で、順調に回復しはじめたようです。
タクシーで孫プリンスの家に帰宅したのが午前11時半すぎ。
午後6時半、ママと妹の孫プリンセス1号が帰宅するまで、
孫プリンスと過ごしました。

午後4時すぎ、お昼寝を始めたのですが、
ふとテレビを見ますと、
画面は、なぜか孫プリンスがみていたYoutubeから、
一般テレビに移動してしまい、ニュース番組。
日本ボクシング協会の理事長が暴力団と交際していたことがばれたり、
どこかの医科大学が受験の際、かなり長期間、
密かに現役から2浪までの男子受験生に
一定の点数加算をしていた事実が内部調査でばれたり、と、
中国の王朝末期や江戸時代の官僚たちの生態と相通じるような、
とんでもない腐敗横暴。
今時、まだ男女差別をする連中の頭の構造を疑います。

でも、まったく意外に思いませんね。
自民党が次々と日本国憲法に違反する立法、施策を重ね、
(それ、どんなこと?
あなたがそうおっしゃるなら、
あなたも日本国憲法のこと、基本的人権のこと、
なんにも覚えておられない......)
総理大臣が友人たちのために官庁を動かして、
不法な行政行為を敢行したり、
これらすべてが現代の権力者たちの実態です。
もう日本国憲法の保障する自由平等平和などは
ただの紙切れの書き付け同然に脇に寄せられ、
かなり多くの国民も憲法のことなど思い出しもしない。
さらには、孔子の仁義礼智信の理想も忘れ去られてしまい、
ひたすら金と権力だけがものを言う世界になってしまいました。
総理や大蔵大臣、今回のボクシング協会の理事長、
どれもこれも、飽食横暴に歪んだ卑しげな風貌の人間たちが
誰はばかることなく日本を支配している時代です。
はっきりと末世末法、そうとしか言いようのない惨たる有様。

古来、政治が、支配者が腐敗すると、様々な異変が起きる、
そう言われてきました。
まさにそんな異変が世界中に爆発的に発生しつつあります。
この数年、毎年、予測不能の天災地変に見舞われてきましたが、
前代未聞の暴走大雨、台風逆走に見舞われた日本だけではありません、
今年になって、世界中でとんでもない現象が、
爆発的に乱舞する状態になっています。
地軸が動いただけでなく、
地球全体で地殻が激しく揺れうごきつつあるようです。
どちらが原因なのか、それさえも分からない状態。
そのおかげで、南極大陸を覆う深い氷層に深い亀裂が走り、
グリーンランドほどの巨大な氷塊が離脱する危険が高まり、
南極大陸や周辺の海域に不測の危険が発生するおそれがあるそうです。

太陽も、活動の核である黒点の活動が異常に減退しつつある傾向の中、
ついに一ヶ月間ゼロという異常事態が発生したり、と、
前代未聞の事態が発生しつつあります。
太陽系内を彗星が無数に様々な軌道を描いて駆け回っており、
6千万年前の恐竜絶滅の主たる原因も、
そうした彗星の衝突にあったことが明らかになっています。
近頃、南極にも、その彗星よりもかなり大きな彗星が作った、
クレーターが見つかっています。
地球は不断に数知れぬ変動、災厄に見舞われて、
幾度も種がほとんど絶滅する危機に見舞われてきたのですが、
地球上の生命史はそんなカタストロフィを乗り越えた猛者たちが
連綿とつないで来た苦闘の記録なのでしょう。
現代はどうやらそうして彗星群との交錯がはげしくなる周期に
当たっているのだそうです。

これまでは、種はなんとか生き延びて、新たな展開を遂げてきました。
でも、現代は違います。
とくに人類は、他の種のほとんどを絶滅させることにより、
生存圏ニッチを無理矢理拡大して、繁栄を遂げてきました。
10年ほど前に読んだ学説によると、
毎年4000種が人間活動によって滅びつつあるということでした。
とすると、当時すでに減っていた種は、
現在までの10年間にさらに4万種も滅んでいる計算になります。

日本で言えば、人間のうち、農業と漁業に従事する人間が
これからの10年でほとんどいなくなるでしょう。
食料の自力生産力が激減しつつあります。
そして、恐ろしいことは現代人の生活はメカニズムだよりなのです。
縦横に張り巡らされてきた電気、水道、ガス等のエネルギー源と鉄道、
そして、道路網によって支えられています。
これらがすべて日本人の生命線となっています。
たとえば、阿蘇山は地球上でもっとも巨大なマグマを蓄えつつある火山で、
世界地震学会が爆発の危険がある火山の1番に上げるほどに危険な状態。
これが爆発したら、日本のほぼ全土がマグマで覆われてしまいます。
その瞬間、上記の生命線は消滅してしまい、
日本人はマグマで覆われた国土の上で座して死を待つ羽目に陥りそうです。
富士山が東側に噴火したら、関東はマグマに覆われ、
交通機関は壊滅し、マグマを除去することなど何ヶ月も不可能になり、
日本の国家機能の中核が活動不能になってしまう危険があると言われています。
日本の各地で火山が活発に活動し始めているようで、不安ですね。

縄文期にも幾度か北極の氷河壁の決壊によって、
蓄積されていた大量の水が大津波となって南下し、
海面がその都度何十mか上昇することにより、
各大陸の沿岸部をその都度かなり海面下に沈めてきました。
縄文人は、内陸部を原始林に覆われて、道などないので、
おそらく海岸部に居住し、
海に沿った平地や水路を利用して交通していたはずです。
つまり、その都度、居住地の多くを一瞬にして奪われた筈。
でも、縄文時代は続きました。
生存者たちが新たな海岸線に居住地を開いて生き続けたのでしょう。
現代人はもとよりそんな自活力を完全に失っています。
そして、自然を完全に破壊してしまったために、
自給自足など完全に不可能になっています。
文字通り食うか食われるかの地獄絵となりかねません。

世界中がそんな危機に曝されている訳ではありません。
地震王国の日本列島が地球規模の激動にさらされて、
明日をも知れぬ状態になっているかもしれない、
でも、それが分かってもどうしようもないので、
政府も研究機関も沈黙している、ということでしょう。
昭和期の経済勃興の上昇機運と、
冷戦を経て高まった世界平和への潮流を体験して、
かなり幸せな人生を享受できたのが私たちです。
でも、そんな幸運が段々とすり切れて行きそう、
そんな嫌な気配を感じます。

私たちにできることって、何でしょう?
なんだか日々人生を精一杯生き、
今手に入る歓びを心行くまで享受する、
これだけですね。



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# by hologon158 | 2018-08-17 11:41 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

736.00 フラ・アンジェリコ「2018年8月13日フレクトゴン35㎜F2.4が聖画と会う」




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私は夏季休暇をかなり取れる職業を選びました。
どうやら夏はしっかりお休みをとる、という習慣が、
子供の頃についてしまって、その癖は治らなかったようです。

そして、私の孫プリンス6歳が生まれて初めての夏休みに、
宿題を最初に3日で全部仕上げてしまったと聞いて、
「夏は遊ぶ」という性癖は遺伝性なのかも知れない、
と、本気で疑うようになっています。

その夏休みを利用して、海外旅行を楽しみました。
最初はツアーでしたが、後半になると、一人旅でした。
残念ながら、イタリアは2回、マイナーな場所だけ。
ルネサンスの本場フィレンツェ、ヴェニスは行かず仕舞い。
ちょっと心残りです。

おかげで、偉大な画家たちの絵に接したのは、
他国の美術館の展示で、という結果に終わりました。
イタリアルネサンスの画家の傑作の多くはフレスコ画なので、
ついに無縁のままになってしまいました。
おかげで、偉大な宗教画家のジョットー、フラ・アンジェリコは、
画集だけのお付き合いになってしまいました。

先ほど、このブログ記事を書く参考にしようと、
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」(白水社)を書棚から取り出し、
目分量でさっと頁を開きました。
すると、開いた頁は81頁、
どんぴしゃり、「フラ・アンジェリコ」でした。
なにかご縁がありそうです。

その頁に、
「落ち着いた善良な性格であったため、心の安らぎ、
特に魂の救済を願い求めて、伝道修道会に身を投じるに至った」
本当に、そんな人が描いた絵ですね。

ヴァザーリは、彼の絵を眺めるときの気持ちを描いています、
「信じがたいほどの優しい感情が心の中に湧いてくる。
これらの祝福されたる魂は天国以外には存在しないような気がしてくる。
いや、これらの魂に肉体を与えるならば、このような表現以外なかった、
と言った方がよかろう」

そして、
「この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見当たらない。
作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描き直したりはしなかった。
最初一気に仕上げたままで置いておくのが常だった。
それが神の思し召しだというのが本人の言葉であった」
これらの言葉が絵の印象とぴったり一致しているのが素敵ですね。

立体感はかなり不足しています。
それを補うように、清澄な空気感に満たされています。
そんな表現が題材にいかにもふさわしいですね。

ちなみに、私は、幾度も書きましたように、無宗教です。
形だけでも、信仰者のふりをする、そんなことはできません。
だから、でしょう、
様々な宗教のあらゆる種類の造形をアートとして鑑賞できます。
純粋にアートとして味わうので、本来の受取方ではないのでしょう。
でも、そんなことはどうだって良い。
人が私のことをどう考えるかは、その人の問題。
私の知ったことではありませんから。

フラ・アンジェリコの絵も良寛さんの書もひとしく、
静謐の気に満ちています。
響きは神韻、そんな感じがします。
フラ・アンジェリコも良寛もなにかを描き上げた瞬間、
にっこりとしたことでしょう。
そんな肯定的な気配を味あわさせてくれるのが素敵ですね。







# by hologon158 | 2018-08-14 16:47 | 美との対話 | Comments(0)

735.02 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」2 お休みです


8月6日月曜日、晴れ。
気象庁は「奈良 36度」ですが、
実感は「奈良 38度」、まさに炎天でした。
日本晴れ、と言いたいところですが、
実感は、「熱帯晴れ」
でも、私は暑さ寒さに強いし、春秋ももちろん強いので、
一年中ずっと平気です。

でも、ちょっとがっくり。
毎月第一、第三月曜日は陳少林先生の揚琴伴奏レッスン。
みっちり仕上げて、「どうだあ!」と言いたい、
そう期待して行ったのですが、教室はもぬけの殻。
事務所で尋ねますと、「中国に帰られて、お休みです」
聞いていなかった!
大和西大寺駅に戻る途中、私の次の生徒さんとばったり。
彼女も知らなかった!
どうも、陳少林先生、伝えたつもりで、伝えてくれなかったようで。

でも、だから、どうってことはありません。
日本一立ち直りの速い男と言われた私です。
「じゃ、大和文華館で日本画たちとじっくり面会しよう。
きっと喜んでくれるだろう」
でも、「月曜日 閉館」
ネットで調べると、奈良の美術館は、興福寺の国宝館も含めて、
全部、閉館!

それでも立ち直れますね。
西大寺から近鉄奈良駅に移動し、
近くの行きつけのパン屋さん二階の喫茶室でゆったりと休憩。
メールを一つ書き上げました。
1時間して、炎天下ロボグラフィ散歩に出発。

本日の装備もまた私にとっては超一級です。
ソニーα7
ビオゴン21mmF4.5
ツァイスのレンジファインダーカメラ、コンタックスの超広角レンズです。
伝説の名レンズです。
超広角レンズの場合、近頃は使い方を統一しています。
超接近以外は、F8固定焦点で、ノーファインダー撮影。
つまり、ホロゴンと同じ使い方にすることにしています。
開放にするメリットがあまりないからです。

固定焦点の仕方はこうです。
F8にしたときのヘリコイドリング枠の無限指標の位置に、
ヘリコイドリングの無限のマークを合わせます。
そうすると、概ね最短距離80cmから無限までのパンフォーカスとなります。
こうすると、私は無敵となりますね。
右に左にバッタバッタと切り倒しつつ前進する眠り狂四郎状態。

この状態で、奈良町の商店街の一筋西側の道を南下し、
古い市場を撮影した後、
奈良町に回り、近鉄奈良駅付近まで逆戻りして北上しました。

たくさんの美しい女性たちとすれ違いました。
みんなはつらつとして元気いっぱいですね。
炎天などまったく気にしていない。
帽子も日傘も不要、という人がかなり居ますが、
これは心配ですね。
肌が荒れますよ。
それにしても、昔と違い、肢体がすらりと延び、足取りも伸びやかで、
美しく、エネルギー一杯ですね。
日本人、中国人、韓国人、区別がつかないときがかなりあります。
どの国でも、女性が伸びやかになっていくようですね。
それに対して、男性は普通ですね。
どうしてかな?

最後に、近鉄奈良駅前のパン屋さんの喫茶コーナーに落ち着いて、
この文章を書き上げました。
この日は妻が一泊旅行に出かけた初日でした。
私はこの数年旅に出たことがありません。
在職中は年1回夏期休暇に長期海外旅行を楽しみましたが、
これは過重な仕事を抱えてのリフレッシュ。
有り体に言えば、いっさい忘れて、解放されたかったから。
仕事がなくなると、旅の意欲がさらりと消えてしまいました。
在職中の旅は、一にも二にも撮影旅行でした。
一つの町に滞在します。
下町のホテル、というより旅館を自分で見つけて、
下町を毎日歩き回るのが日程。
名所旧跡は私にとって無縁、無益。
たとえば、イスタンブールだったら、トプカピ宮殿?
それ、どこ?
記憶力の悪い私には、名所旧跡を訪問しても、さらりと忘れてしまいます。
でも、下町、市場、裏通り、スラムだと忘れません。
足ざわり、臭い、空気間、人間たち、
全部忘れません。
写真という記憶のよすががあるからです。

もっともイスタンブールだけはちょっと事情が違います。
記憶のよすがが残っていない。
150本リバーサルで撮りました。
書斎の床に一日だけ置いておいたのです。
明日、ホルダーに収めようと思ったのです。
棚の上になぜ置かなかったのか?
悔やみきれません。

2週間置いて行かれた我が子の一人デビル(猫ですが)が、
その夜、まんまと復讐に成功したのです。
150本のリバーサルシートの山(高さが30cmほどだったでしょうか?)、
翌朝見ると、全体にびっしりと、臭気溢れる液体。
化学反応しているらしく、洗ってとれるものではありません。
ご丁寧にいたずらしてくれたものです。
合計5400枚のうち、無傷で残ったのは、なんと、
たったの16枚!
イスタンブールの路地の隅々、というほどではありませんが、
かなり歩き回って撮ったロボグラフィは夢の果てに消えて行ってしまいました。
傑作なのは、たった16枚なのに、その中に猫の写真が3枚も!
この比率で猫写真を撮ったとすれば、1012枚?
それはありませんね。
どうやら、同族のよしみで、猫の神様が災難を避けるように配慮されたようで。

もちろんメインレンズはホロゴン。
写真人生で一番悔しい災難でした。
でも、デビルをけ飛ばしたり、なんて、仕返しはいたしません。
なぜ?
かわいい我が子に手を上げられましょうか?

ついでに言いますと、猫たちはかなり人間を理解しています。
認識能力もあります。
デビルは毎日夕方6時きっかりに、書斎にやってきて、
私がリコーダーを吹いていたりすると、
リコーダーをぐいと押し退け、ときには譜面台を押し倒してしまいます。

デビルの三代後、我が家の今の末っ子ピッピ、
自分がばりばりと爪研ぎをして破った襖の隅に、
ママ(私の妻です)が猫写真のポスターを貼りました。
すると、やってきて、しげしげと猫の顔をチェック。
「ふむ、大した奴じゃない!」

話を元に戻しましょう。
退職後、私が出かけた旅行らしい旅行というのは、
西遊旅行の雲南省の旅でした。
これでコリゴリになりました。
移動に継ぐ移動、まるで旅ガラスでした。
私のように一都市長期滞在型の人間にはまるで合いません。
そして、気づきました。
地元で十分じゃないか!
こうして、すっぱり旅をやめてしまい、
地場産業ならぬ地場徘徊に徹して、満ち足りた生活を送っているわけです。
私のブログが、人の来ない完全日記化したのも当然です。
プライベートな雑文と、フォトジェニックな楽しさをまったく欠いて、
ただただ薄汚れた駄写真ばかりが果てしなく並んでいるのですから。

お陰様で、ひっそりと自分の書きたいことを書き、
記憶したい片隅を写真に記録して、
さまざまな形で、読み返し見返すことができる日記を
ウェブ上に保管してもらえるという、
隠者にとっては願ってもない手だてを、
超廉価で提供していただいているのですから、
思うことはいつも一緒です。

エキサイトよ、永遠なれ、!




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# by hologon158 | 2018-08-07 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

735.01 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」1


8月3日金曜日、大阪加美の孫たちのピアノレッスン付添日。
お兄ちゃんは6歳の小一、両親が共稼ぎなので、
夏休みも保育室に通っています。

午後2時半までに私が迎えに行く約束。
前回は、私の妻が遅れたために、玄関前で待った孫プリンス、
しばらくして心配になり、泣きながら小学校に戻ってしまいました。
今回はそんなことにならぬよう、
私が午後2時半までに小学校に迎えに行くことにしました。
その後、いったん近くのマンションの自宅に戻り、
午後5時からのレッスンに間に合うよう、
二人で孫プリンセス1号(二女に二人のプリンセスがいます)を
迎えに行くことになっています。

小学校の保育室は2室、
1、3、6年と、2、4、5年の2室に分れています。
1時間ごとに10分間体育館で走り回ることができますが、
それ以外は、3学年の男女数十人が一室に入って、過ごします。
2人の保育担当教師(どうやら退職組)が監護する仕組み。
その1人、中学校教師を引退した男性の先生に話を伺いました。
クーラーは2台付いていて、天井の扇風機で空気を循環させているけど、
中は猛烈な暑さだそうです。
その先生にうかがいました、
私の孫プリンスは球を投げるのが得意で、足も速いのだそうです。
うれしいですね。

私もそうでしたが、孫プリンス、絶えず軽い病気にかかっています。
今回は胃腸炎。
自分で体温計で測り、飲み物も自分で選んで飲みます。
実のところ、体温も正常で、元気です。
少年野球に所属していますが、盛夏の間はお休み。
子供たちもそうですが、第一、コーチたちが保ちませんね。

体を持て余す孫プリンス、バットを素振りし、
ボールを投げ、走り、とめまぐるしい。
その合間に、
「こんなん、してんで(こんなことしたよ)」
と、2冊、算数と国語の学習帳を見せてくれました。
分厚い!
びっしり最後まで書き込まれています。
「ふーん、こんなに沢山やってるんだねえ」
私の1年生の頃、こんな沢山の練習問題、やりましたかねえ?
中身を眺めて、「すごいねえ....!」
孫もまんざらでもなさそうな顔つき。

ところが、帰宅してその話を妻にしますと、
「それ、夏休みの宿題よ。
夏休み始まったら、すぐに全部してしまったんだって」
びっくり。
というのも、私も夏休みの宿題を先にしてしまう口で、
日記以外の全部を最初の2日で仕上げるのが常でした。
あなたもそうでしょうけど、私も勉強嫌いでしたから。

でも、そんなことをする子供には出会ったことがありません。
もっとも片端から尋ねたわけではありませんので、
実はありふれた夏休みのすごし方なのかもしれませんが、
我が家では、私以外、初めてのケース。
たいていはまず遊ぶだけ遊んで、
夏休みの終わりにあわてて済ませるというタイプ。
私の印象では、
①夏休み終わりごろにする、
②毎日する、
③最初にやってしまう、
この順番で逆ピラミッド構造なんじゃないでしょうか?

歩きながら、なにかを見たら、別のなにかに見えてしまう、
そんな私のメタモルフォーゼ癖も孫プリンスと共通しています。
なんだか孫プリンセス2号もその傾向がありそうです。
どうやらこの性癖は劣性遺伝子によって伝えられるようです。
でも、人類の生存にはある種の効能を発揮するようです。
前方の草むら、竹藪の中に敵の伏兵を発見する斥候の適性も
この種のメタモル癖がからんでいるかも知れません。
もっともいざ戦争となったら、私は後方の安全地帯に収まって、
全戦線をしっかり見渡して、果断かつ独創的に全軍を指揮して、
偉大なる勝利に国を導く、そんな役割がふさわしいと思っていますが。

小学校の保育室は小中学校の先生方の
退職後の職場の一つになっているようです。
中学校を退職した先生としばらく話しました。
孫プリンスは、体は小さいけど、エネルギーがあって、
走ったり、ボールを投げたりするのが得意だとおっしゃっていました。
これはとりわけ私にうれしい情報です。

孫プリンスはスポーツはなんでも得意のようです。
保育園最後の運動会で縄跳びレースをしましたが、
手首で縄を高速で回しながら、縄に足を取られずに韋駄天のように駈けて、
場内観衆からどよめきが起こっていました。

私とはそのあたりが大違い。
ボールを投げたり、野球をしたり、サッカーをしたり、
水泳をしたり、という体育の主要な運動は全部からきしだめでした。
駈けるのは速かったし、
生まれて初めての職場に着任して、休み時間に卓球を始めたら、
すぐに人並みに試合ができるようになったり、と、やればできるようで、
未だに体は敏捷にうごき、一日歩いても、ほとんど疲れず、翌日に残らない、
といった状態を総合すると、
どうやら、私は、運動適性がなかったわけではなく、
運動をせず、各種スポーツのやり方も教えてくれる者がいなかったため、
運動が苦手なままに成長したようです。

そんな苦い体験をふまえて、娘たちには再三アドバイスしてきました、
孫たちには、あらゆるスポーツを学ぶ機会を与えるように。
孫プリンス1号も孫プリンセス1号も、ありがたいことに、
しっかり運動能力を開発する機会を与えてもらっているようです。

ピアノの先生のレッスンはちょっとしたお笑い劇のようでした。
最初の受講者である孫プリンセス1号、
「じゃ、わたちがなにをするか決めます。
わたちが先に2回決めて、先生がその後1回」
これじゃ、ピアノレッスンになりません。
レッスンは半時間ですが、適当なところで、
「これでおしまい」
さっさと私のところにやってきます。
ほとんどコントロール不能。
ところが、先生、こんなハプニングにもちらともうろたえず、
ちゃんと対応して、なんとか続けさせて下さいます。
さすがに良い先生です。

孫プリンスは、先月のピアノ発表会の準備練習の頃から、
突然ピアノに目覚めました。
マンションなので、電子ピアノですが、
木製キーで、打鍵の感触がかなり良いピアノを使うようになって、
先生の教室で教えられた感触を家でも味わえるようになり、
両手で異なる動きをすることが楽しくなったようです。
鍵盤にもたれるようにしていた両手首も上がり、
かなりピアノ演奏者らしい弾き方にもなりました。

もともと、祖母、両親とも実に正確な音程で歌えるので、
かなり素養には恵まれているようです。
この日も、童謡の一つをドレミで口ずさんで、音程も正確。
そんな芸当できるの? と、驚きました。
ピアノの先生の指導にも的確に反応し、
集中力をきらしません。
野球の能力もそうでしょうけど、
ピアノをある程度自在に弾けるようになれば、
一生さまざまな形で音楽を楽しめるでしょう。
たゆまず続けてほしいものです。

最後に、この日、一番嬉しかったこと。
孫プリンセスを保育所から引き取り、
ピアノの先生のお宅まで15分の道のりを歩いている道中の後半、
突然、孫プリンス立ち止まり、「お腹がいたい」
まだ胃腸炎が完全になおり切っていない状態です。
やむなく、後半はオンブをして行きました。
小学校に入った孫をオンブできる、なんて、嬉しいですね。
もっとも燃えるような太陽を正面に見て、西にまっすぐ歩きます。
日陰がほとんどないので、わずかな日陰、電信柱の棒の影伝い。
まるでサーバイバルごっこのようでした。

でも、レッスンが終わって帰途につくと、さらに大変なことに。
やっぱり、孫プリンス道に止まって、「オンブして」
すると、孫プリンセスも、「疲れた、抱っこして」
というわけで、自分のバッグとピアノ練習帳の入った手提げを抱えつつ、
孫プリンスを背にオンブし、孫プリンセスを抱っこして帰ることに。
でも、これはさすがに無理でした。
100mほどでダウン。
すると、二人ともこれで満足したのか、すたすた。
なんだ歩けるんじゃないの?
月一回の付き添いですが、毎回、難行苦行にちょっと近いですね。

そこで、なにが嬉しかったか、です。
実のところ、こんな行き帰り半時間の後でも、
まるで疲れを感じなかったし、翌日にも全然残りませんでした。
私もまだ若い!




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# by hologon158 | 2018-08-05 17:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

734.01 ホロゴン外傅233「2018年2月26日ヘクトール28㎜F6.3大阪野田本町をお忍びで」1 明日の我が身


司馬遷の「史記」や、
ローマ史の古典、たとえば、タキトゥスなんかに、
通常絶対に起きないような自然現象、人間事象に関する記事が
挿入されています。
王朝の滅亡を暗示する出来事とされたのです。

今年になって前代未聞の気象事象が各地に発生しています。
日本にもただならぬ自然現象が続発しています。
ただの雨と思われていたのに、未曾有の豪雨に化けてしまいました。
日本列島に襲来する台風は原則として南西から北東に進みます。
それなのに、今回の台風は逆行しました。
司馬遷やタキトゥスなら、日本の支配者の権威失墜、政権交替の予兆、
そう断言したでしょう。

冗談を、と、お考えでしょう。
でも、もちろん現在頻発している異常な気象現象が、
現政権の非政が原因であるとは考えませんが、
人類全体の共同責任で起こっている地球的規模の生態系破壊、
自然破壊が私たちの想像を絶する形で、
地球上の生命全体の危機を引き起しているのではないか?
私はそう真剣に疑っています。

健全な生態系は最強捕食者を頂点とするピラミッド型であるべきです。
そうしないと、全階層に食料が行き渡りません。
もしどれかの階層の生物が滅んでしまいますと、
生態系に致命的な危機を引き起こしかねません。
最強捕食者は適度に捕食を調整する術を知っています。
けっして無用な乱獲は行いません。

ところが、現代の最強捕食者は、ライバルを抱えた会社たちです。
シェアを拡大し、市場を支配するためには、
主力製品を無制限に増産して、ライバルを圧倒しなければならない。
適度に捕食を調整するなんてことはしません。

あらゆる産業が水を必要としています。
最良の猟場は地下水です。
でも、山という山が収益性のある杉、檜の一木林にされ、
保水性の高い、いわゆる雑木林や竹林が激減し、
さらに、川という川が河床も斜面もコンクリートで固められて、
地下水となるべき山の水はストレートに海に運ばれてしまい、
地下水は激減しつつあります。
(近ごろの大雨で予想外の水害が発生している理由もここにあります。
かつては、山の雨水は雑木林、竹林、河床、斜面が引き受け、
地下に沈降するので、大雨の全部が河川に流れ込まないうえ、
河川の堤防ごとに、決壊の危険のある部分がある程度明確だったので、
水害への対応がかなりできていたのに、今や、
河川が処理できないほどの激流を抱え込む時代になったのです)
一方、中国は急速に全土が砂漠化しつつあります。

つまり、今や地球に独裁者として君臨する人類が、
下手をすると、ねずみ算式にあっという間に倍増するでしょう。
すべての資源の消耗も同様にねずみ算式に増大しまいます。
「明日をも知れぬ身」
ときどきそう言いますね。
現代の私たち、私たちもそうではないでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-08-03 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

733.02 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が源氏」2 女性たち

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「源氏物語」は、基本的には男性中心の物語かも知れません。
でも、「源氏物語絵巻」となると、絵巻だけに、
描写の中心は基本的に男性と女性が対等という感じ。
ずらっと順不同に並べてみました。
平安朝の美女たちって、かなり現代の理想からは離れていますね。
これを見て、お感じになるかも知れません。
なんだ、平安朝の女たちって、みんなお多福さんじゃないか?
現代に来たら、あまり評価されなかった部類の女性たちが、
この時代には幅を利かせていたんだなあ、

でも、このような考え方は大間違いですよ。
時間という要素を都合良く取り外してしまい、
自分の時代中心、つまり、自分の好み中心にしているから、
そんな風に感じるのです。

よく考えてみて下さい。
あなただって、平安時代の高位のお公家様に生まれていたら、
まるで違った感じ方をするに違いないのです。
どの時代も、大生はその時代の風流に応じて、美女の理想を育み、
どの時代も、女性たちは当代の美女の理想に向かって変身してきたのです。
若紫や玉鬘も現代に来たら、私たちが身震いするほどの美女に変貌するでしょう。
でも、現代の目が大きく、鼻がつんと高い美女たちも、
平安朝に飛んだら、これらの絵のような慎ましやかな淑女、乙女に変身するはず。

ただし、一つだけ、留保があります。
絵巻の美女たち、一人として、目を上げていません。
慎ましく淑やかに伏せています。
でも、もし顔を上げ、目をぱっと見開いたら、
輝く瞳の大きな眼だったかもしれないのです。

平安朝の絵師たちは、いわゆる「美女」を描くとき、
リアルな容貌を避けて、
当時の美女のイコンに沿った相貌を採用したようです。
浮世絵も同様です。
そのために、私たちは、平安朝の女たちは下ぶくれのお多福顔だったし、
江戸時代の女性はちょっと面長で小さな目鼻ののっぺり顔だった!
でも、そうでしょうか?
何時の時代も、さまざまな容貌の女性が居て、
美女と言われる女性たちの容貌も様々だったはずです。
Youtubeで時折江戸末期から明治にかけての美女たちの写真がアップされます。
仰天ですね。
現代でも稀なほどに、現代的な理想の美女を思わせる、
切れ味豊かな眼差しで、頭脳明晰を思わせる女性たちが登場します。
平安時代でもそんなに違いはないのでないか?
そのように考えても、あまり不思議ではない感じ。

その理由の一つ。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人の頭蓋骨、
さらには古代シルクロードの発見遺体の頭蓋骨を復元すると、
おどろくほど現代人と変わりません。
ときおり、かなり類人猿風に先祖返りしているのが見つかりますが、
これはなんらかの病的な変形ではないかと推測する学者もいます。
つまり、人類学者は、
人類は数万年前にすでに現代人同様の状態にまで進化しており、
その後は進化を気配を見せていないので、
数万年前の人間は現代人と身も心もなんら変わりはなかったと考えているようです。

こんな風に考えてきますと、
ということは、紫の上は実在していたら、
化粧をとった昭和の美女たちとあまり変わりのない美貌だっただろう、
いや、それどころか、私たちが出会っても、
本当に身震いするほど美しかった!
そう推測しても間違いのではないでしょうか?
そんな風に考えてきますと、
源氏物語の美女たちがますます生き生きと、
ますます温かく、蘇ってくるようではありませんか?

それにしても、絵巻の画家の描写力、色づかいのセンスは天才的ではありませんか?
控えめで、上品で、繊細。
このような表現は、平安朝の貴族階級の人々の正確な表現だった感じがします。

今回の女性たちは高貴な身分の姫君、奥方、そしてその女房たち。
かなり振幅のある階層の女性たちなのですが、
ご覧になって、一つ、全女性に共通する点があると思いませんか?
よーくご覧になってください。
現代女性にはほとんど期待できない表情ではありませんか?
そう、そうですね。
全員、伏し目、ですね。

これはなにを意味するのでしょうか?
教育においても、結婚においても、その後の人生においても、
終始、受け身の姿勢で生きること、それが当然、
そう考えていたのでしょうか?
源氏物語をお読みになった方ならお分かりでしょうが、
そうでない女性も登場します。
でも、現存の絵巻部分に残されている女性たちは、
どうやら伝統的な受け身の姿勢を進んで選んでいるようです。

でも、これらの女性たちをじっと見ていたら、
いや、当時の女性たちも肝心要の土壇場では、
きっと目を見開いて、
男性どもにガツンと反撃を食らわせたのでは?
そんな感じがします。
歴史の転回点と言える重要な正念場に登場する女性たちが、
腰砕けになりそうな夫や子供を叱咤激励して、
試練を立派に乗り越えさせた、そんな例はいくらでもあります。
源氏物語絵巻の女性たちを眺めていると、
平安時代でも同様だったのでは?
そんな感じがしてきました。






# by hologon158 | 2018-08-02 18:09 | 美との対話 | Comments(0)

733.01 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が貴族たちと競り合って」


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今回は美との対話の第一回です。
源氏物語絵巻からのピックアップ。

あなたは「源氏物語」を読みましたか?
私も学生の頃、世界の古典を全部読みたいと意気込んで、
岩波の「日本古典文學体系」(古い!)を30冊ほども買い揃え、
読めるモノからせっせと読みまましたが、
この全集本、読書用と言うより、監修者の研究業績の発表、なのでしょう。
読んでいて、あまり楽しくない。
そのうえ、素人の私にはよく分からない。

結局、与謝野晶子さんの現代文への翻訳を楽しみました。
でも、帯に短し襷に長し、ですね。
時代の香りが少し不足しているのです。
言葉って、心と一体ですね。
平安朝のたおやかで健やかで爽やかな姫君、若紫が、
どうしても明治大正のお嬢様に感じられてしまいます。

いつ頃でしたか?
新潮社が「日本古典文学集成」という、
新しい古典文学全集を編纂しました。
私が待っていたのはこれでした。
本文の横に必要最小限の訳文が赤の小文字でさりげなく付けられています。
原文と訳文を同時に読んでいきますと、
いつしか訳文が目に入らなくなります。
原文の意味をかなり我がものにできるのです。
極めて巧妙にできた教育システムをさりげなく組み込んでいる。
全集を読み進むにつれて、本文だけが見えるようになって、
かなり理解できている、
そんな状態になることができました。
おかげで「源氏物語」を心から楽しむことができました。

若紫から紫の上に成長した平安の美女は、私にとっては、
「オデュッセイア」のペネロペイアや
「イーリアス」のアンドロマケーから始まる、
麗しくたおやかな美女の系譜の一人となりました。

余談ですが、私は紫式部による紫の上の描き方が
かなり中途半端で尻切れトンボに終わったという感じを拭えません。
若紫は、心優しい庇護者のおじさまに暖かく守られていると感じて、
安らかに共に暮らしていたおじさまにある日突然押し倒され、
妻とされてしまいます。
若紫は光源氏を愛していたけれど、
男性の伴侶としてではなかったようです。
まして、光源氏には葵の上という正妻が厳然と存在する。
裏切られたという気持ちをついにぬぐい去ることができなかったようです。
しかも、光源氏はその後もさまざまな女性にたえず心を奪われ、
しかも、どの人も手厚く遇するのですから、
いかに平安の時代であれ、正妻なのに、
最愛の妻として遇されているとはとても思えなかったでしょう。

光源氏は、そんな紫の上の気持ちを知りつつも、理解することができず、
まして、紫の上の傷心を真心から温かく包んであげようという努力などしません。
欲しい女性はみさかいなく我がものにし、
そんな女性たちから慕われていくのですから、
紫の上の心にかかったまま晴れない暗雲をはらす術を知らない。

紫の上はたとえようもなく美しい女性に成熟します。
ある日、紫の上が殿中の御簾の陰で外を眺めていました。
ところが、突然御簾がそよ風に吹かれて
フワリと風に翻りました。
光源氏の息子夕霧は、その翻った御簾の隙間に、
紫の上の麗しい姿をかいま見て、
恋心を激しく燃え上がらせます。

光源氏が、御簾の向こうに座らせた玉鬘の周りにたくさんの蛍を放って、
このうら若き乙女の姿をたとえようもなく美しく浮かび上がらせて、
弟の兵部卿宮を恋に誘おうと試み、まんまと成功するシーンも、
世界の文学史上最高のシーンですが、
御簾ごしの紫の上のシーンもこれに劣りません。
私にとっては、「源氏物語」最高のシーンです。

「源氏物語絵巻」は平安朝末期の「隆能源氏」と通称され、
源氏物語を題材にする絵巻物の最古の作品で、
国宝に指定されているほどの傑作だそうですが、
ほんの一部しか残っていません。
元は天地20cmしかない絵巻物でした。
どれほどの長さがあったのでしょうか?
いつのときか、バラバラに切り離されて額装になって、
離ればなれとなり、各地に保管されたものが見つかっています。
どのような経緯がそこに隠されているか、
私は知りません。
ウィキペディアを信用するとすれば、
54帖全部について、ピックアップされた名場面と詞書が並べられ、
全部で10巻程度あっただろうと推察されています。
源氏物語のもっとも華麗な前半部分はほとんどなくなっています。

おそらく絵巻物のオリジナルの持ち主はかなりの地位の人、
皇族もしくは貴族だったはず。
でも、平安末期以降江戸幕府成立までの未曾有の大戦乱時代に、
所有者たちは、困窮落魄の運命をさまざまにたどったことでしょう。
そしてその有為転変の果てに絵巻もばらばらになり、
それぞれの放浪を経て、流れ着いた幾代目かの持ち主もさらに金に困って、
買い主の希望に応じて、切り売りしていったのでしょう。

どうやら絵巻制作当時以降の貴族たちの日記、記録には、
制作の経緯、絵巻の有為転変の情報となる記述は見つからないようです。
制作者も保有者も明らかになっていないのですから、不思議です。
でも、戦乱の世には所有たちも生きるに忙しく、
じっくりと芸術作品を鑑賞するだけの精神的余裕はなく、
その存在価値はかなり低く、
生活費捻出のための経済的価値しかなかったのかもしれません。

今回のシリーズを開始するための準備として、
ヨドバシカメラから複写用の無反射ガラスを取り寄せました。
28×35.6cmの大四つ切りサイズです。
この無反射ガラスを本の上に載せると、
天井の蛍光灯の影響を回避でき、しかも平面性を確保できます。
これを使って、
私の大好きな部分をクローズアップすることで、
私の視線がどんな部分を中心に絵を賞味したかが分かる仕掛けです。

まず、男たちをごらん頂きましょう。
残念ながら、光源氏の姿は残されていないようです。
誰が誰であるかはあまり意味がないので、省略。
皆さん、いかにもお公家さんですね。
下ぶくれでおっとりとした風情で、そっくり。
そして、実にシックな装いに身を包んでいるあたり、
女性とはかなり違った方向ですが、おしゃれだったのでしょう。
さまざまなシーンですが、物思いに深く沈む姿は魅力的です。
下卑たところも、浅薄なところもかけらもありません。
平安朝末期の貴族たちが数チームに分かれて分担したとされています。
でも、ほんの一部で数チームだとすると、
全体ではさらにチームも増えて、かなりの多人数の合作だったのでしょう。
それにしても、その画風の統一感、筆の力、線の確かさ、色遣いの上品さ、
すべてにおいてかなり高度の水準に止まっている感じがします。
このようにクローズアップしますと、
そんな画家たちの妙技がますます冴えわたっていることが分かりませんか?
平安朝貴族が、詩歌管弦書画等、多方面の教養を磨くことで、
出世し、地位を安泰なものにしたと言われていますが、
「源氏物語絵巻」は、平安朝貴族の実力の高さを遺憾なく証明している、
そんな風に受けとってもよさそうですね。


# by hologon158 | 2018-07-29 21:39 | 美との対話 | Comments(0)

732.03 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」3 美との対話


この暑熱の夏には、ひたすら美と向かい合って暮らす、
そう決意したことは前回書きました。
具体的には、できるだけ美術館巡りをしてみたい、と考えたのですが、
書斎にはかなりの数の画集、写真集が並んでいることに気づきました。
それを見直すのもよいのですが、
見直しながら、私の心をぐっとつかんだ名作たちの、
いわば「神的な細部」について、あれこれ文章を書いてみることで、
私の心になおいっそう私の名作たちを定着、沈殿させたい、
そんな気持ちになったのです。

言うまでもないことですが、
偉大なアートに言葉は蛇足です。
自分の感動を言葉に直す必要もありません。
そんなことができるはずもないのですから。
ただひたすらガツンとぶっとばされて、
言葉もなく立ち尽くす、
それが偉大なアートとの出会いですね。

絵の前に立った途端にぺらぺらと講釈を垂れる人がいますが、
こんな人、ぜんぜん感心できませんね。
この人、実は心でアートにぶつかっていない。
ただ頭で、思考で、アートを理解しようとしているだけですね。

でも、本物のアートの本質は言葉、理解を絶している、
そうではありませんか?
そうでなきゃ、描く意味がない。

画家は自分の心の激動をかろうじて視覚的に表現しようと、
あるときは悪戦苦闘し、あるときは激流にどっと押し流されて、
この作品がなぜかこの夜に生まれ出た。
鑑賞者もまた、観た瞬間、心をぐいと鷲掴みにされて、
ただぼうぜんと立ち尽くす。
心は驚きと喜びで一杯となり、時間の経つのも忘れる、
そんな希有の体験にガガーッと押し流される。
それが本物の出会いなのでしょう。

でも、私の心をぐいと鷲掴みにしたアートとの出会いは、
生涯にそんなに沢山はありません。
せいぜい十指で数える程度です。

あなたはいかがですか?
もう数えきれないほどに幾度も幾度も出会ってきましたか?
それなら、よほど感じる心が大きく深いのでしょう。
と、とりあえず申し上げておきますが、
内心では、私は信じていませんけど、ね。

世の中には、アートとの出会いを、
武蔵坊弁慶の刀の千本どりと同列に置いていると疑わしい人がいます。
「ルーブルでモナリザを観ました!
深く感動しましたねえ。
忘れることもできません。
フェルメールをもう23枚も観てきました!
これはもう心の極楽、パラダイスですわあ!
画集で見たつもりになっている人、かわいそう!
わたしほど、本物を沢山見ている人は少ないでしょう。
ワッハッハー!
幸せー!」

この人、きっと手帳に目録を付けているのでしょう。
「2008.8.23 ルーブル モナリザ 10点」
「2009.1.3 マウリッツハイス美術館 
 真珠の首飾りの少女 8点」.....

一枚一枚、来歴、故事、創作後の有為転変等、
生き字引さながらに、
淀みなく、ぺらぺらとおしゃべりもできる人がいます。
「一流の教養人なのである」と言った風貌、物腰もなかなか立派です。
こんな方はご自分の学歴もこちらから尋ねる前に打ち明けられます。
もっとも私はどなたにも学歴を尋ねたことなど生涯に一度もありませんが。
でも、この人にとっては生涯の勲章であり、人物証明であるというわけです。
なんだか、その後の半生がその果実、付け足しにすぎない感じ。

こんな人に出会うと、ふっと感じてしまいます。
この人、一生、受験戦争で生きているんだなあ。
知識、体験は自分の中に蓄えて、生きる糧にするのではなく、
人にひけらかして、社会の中の高いクラスに自分を位置づけよう、
そんな気持ちで生きている人なんだなあ。

これまで生涯に出会った外見の良い人、
服装をびしっと決めている人には、
そんな外観、評判重視人間が多かったようです。
学歴をひけらかす人はたいていの場合、成熟不足ですね。
大学を出てからこれまでの生き方、これが大切なのに、
学歴だけでひとかどの人物になった気の人にはそれが分からない。

私が本物だなあ、そう思った人間は、
とりたてて容姿容貌は卓越しているわけではないけど、
つきあえばつきあうほど、じわじわと真価が現れてくる、
そんな人ですね。
学歴がじゃまをしていない人ほど、
そんな本物になる方が多い感じさえします。

おっと、話が逸れてしまったようです。
私がブログでやりたいと思っているアート散歩は、
正真正銘の本物のアートと出会いのリポートではありません。
もっと軽い気持ちで、
さまざまなジャンルの美しいものたちとつきあってみたい。
その出会いの体験を軽い気持ちで分析してみたい、
そうすることで、美とじっくりと出会い、
自分の心をブラッシュアップしたい、
と言いつつ、真相は、ぼけるのを防ぎたい、というわけです。




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# by hologon158 | 2018-07-28 11:57 | ホロゴンデイ | Comments(0)

732.02 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」2 美術の夏!


今日はそれほどでもないのですが、酷暑が続きますね。
私の居住地の正午の気温はおとといまでは37度。
子供の頃、大阪で34度を記録したと、
マスコミが騒いでいたことを記憶しています。
それなのに、今では日常茶飯事に37度。

合衆国では50度を超えたところがあるようですね。
あなたは50度を体験したことがありますか?
私はあります。
中国新橿省のトルファン。
西遊旅行の西域2週間の旅の途中、立ち寄りました。
高昌故城という古い都市を観光したのです。
1時間ほど滞在することになりました。
一行の皆さんは、近くにあるたった1本の大樹の陰にかたまって、
ぼうぜんと廃墟を見渡していました。

52度だったと記憶しています。
これ位になると、思考力も鈍るのだそうです。
私もそのせいでしょうか?
熱射病になる危険も忘れて、かっと照りつける太陽の下、
廃墟の間を少し歩速を遅めて歩き回り、
コンタックスRTSⅡでかなり沢山の写真を撮りました。
当時はポジフィルムを使っていたのです。
幸い熱射病にもなりませんでした。
バスが戻ってきて、一同ほっとした表情で乗車する際に、
ガイドがざく切りにしたスイカを手渡してくれました。
そのおいしかったこと!

昼食はテントの陰の屋台店のようなところで、
焼きそばのようは現地料理を頂きました。
麺がかなり太く平たいので、キシメンのような印象。
まっくろのスープがたっぷりかかって、ぶつ切りの野菜も一杯。
熱々で、かなり刺激の強い味でしたが、
「そうか? 
こんな暑さをぶっとばすためには、
こんなホットでホット(熱くて辛い)な料理が一番なんだな!

ああ、あの頃は若かった!
どこに行っても、なにをしても、疲れることがありませんでした。
まして、翌日に疲れを残すこともありませんでした。
こう書きつつ、ふっと気づきました。
実のところ、こうして隠退の身となった今も、
一日中ロボグラフィを楽しんでも、足取りは変わらず、
ちっとも疲れませんし、まして翌日に疲れが残ることもありません。
顔なんて、真っ黒です。
屋外労働者諸君ほどではありませんが、まあかなり近い。

でも、この37度の夏、さすがに二の足を踏みます。
気象庁発表は芝生上通気の良い百葉箱内の温度計の表示でしょう。
都会のコンクリート路面、周辺のビルの壁面の照り返し、
空調の排気、そして、遮るもののない直射日光等が、
寄ってたかって気温をさらに高めて、
45度程度の高温は日常茶飯事。
それに、住宅地では、全戸が夜中も空調を切れず、
周辺の気温を日中に近い温度に保っていることでしょう。

もっとも、我が家は別です。
というより、別でした、昨年までは。
猛暑のさなかでも完全に閉めきって、
寝室は2面のふすまも閉じてしまい、
空調どころか、扇風機もなしに熟睡していたのですから。

さすがに、今年は無理、
寝室のふすまを2面とも15センチほど開けて寝ています。
奈良市街地より2、30mは高台で、風通しがよいせいでしょう。
昨年以前との違いはそれだけ、と言いたいところですが、
妻はどうやらそうでもないらしいけど、
私の方は毎朝ぐっしょり汗に濡れています。
昨年までにはほとんど体験したことがない不快現象。

どうやら今年の酷暑はさしもの私にもかなり危険だな、
そう感じてきました。
そこで、例年したことがない方針変更に踏み切りました。

① 当分撮影はアーケードの下、屋内に限定する。
関西には各都市にアーケード街がかなりあります。
そんなアーケードの陰を動き回ることにしましょう。

② 芸術の夏に切り替える。
美術館を私の心身の避暑地とすることにしましょう。
時々孫たちとイオンに参ります。
メインのプロムナード中央に親切にソファが置かれています。
お店に惹き付けるためですから、中央外向きに置かれています。
先日、橿原のイオンに平日参りました。
さすがに人は少ない。
一番目立つのが退職老人たち。
ちょうど両面各4席ずつ、
ちゃんと肘掛けもついたソファを占領していたのは、
8人の退職老人だった!
手にはなにも持たず、バッグもなく、ただぼんやりと座っているだけ。
聞くところによりますと、一日中滞在する方もいるそうです。
この夏、そんな避暑老人がイオンをことさらに愛用しているようです。

私は、生涯、このようになにもしないで時間を過ごす、
ということをしたことがありません。
目が覚めてから目をつぶるまで、
絶えずなにかをしていなければ気が済まない。
どうやらイオンは私には向いていないようです。
なにもしないことはもちろんですが、
私は買い物をしない人間なので。

最近杉岡華邨美術館、松柏美術館で、書道、日本画に魅せられました。
関西は東京ほど美術館には恵まれませんが、
小粒の美術館でもなにかを感じさせてくれたら、十分。
あまり「これでもかこれでもか」では疲れますし、
観客がぞろぞろの中で観るのはご免です。
できるだけ観客の少ない美術館を狙い撃ちしていきましょう。
思いがけず、心が洗われる体験に遭遇するかも知れません。

実は、もう1つ、美術の夏を充実させるアイデアがあるのですが、
これは次回に。



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# by hologon158 | 2018-07-27 16:37 | ホロゴンデイ | Comments(0)

732.01 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」1 自分の人生を生きる


7月23日月曜日、陳少林先生の揚琴レッスン日でした。
陳少林先生の教室は奈良YMCAに所属しています。
秋の発表会で、それぞれ独奏の他、合奏することになりました。
陳少林先生の二胡生徒6名、揚琴伴奏の私、陳少林先生、
この8名で「赤とんぼ」「糸」「北国の春」を合奏します。
その練習日でした。
選曲もよく、楽しい時間を過ごしました。

孫たちが東京に帰り、我が家はひっそり閑としてしまいましたが、
反面、すべての時間を自分のために使う自由が戻りました。
その楽しみの一つが陳少林先生の教室というわけです。

こんな風に外出した機会にはいつも路地遍歴も楽しみます。
ところが、今や関西は経験したことがないほどの酷暑の連続です。
自宅に居てさえも、熱射病になりかねないのですから、
炎天下歩き回るのは考え物ですね。

私も今よりもっと若いときは元気いっぱい、
少々の暑さなどものともしませんでした。
在職中は年一回夏季に海外の諸都市の路地を遍歴するのが楽しみ。
熱帯に近いバンコクやハノイ、シンガポール、香港、インド、
はてはネパール、イスタンブールにも参りましたが、
いつも現地で現地人の泊まる旅館を見つけ、
原則その都市のスラム、裏町ばかり歩き続けました。
足で歩くので、3日ほど経つと、突然、土地勘ができます。
磁石、地図を見なくても、
足が自然に行きたいところへ私を運んでくれました。

どの都市でも、英語が通じる稀な機会をのぞけば、
言葉はほとんど通じません。
でも、どんな寂れた路地裏を歩いても、まったく平気、
なんの不便も危険も感じませんでした。
私が無敵の格闘家だったから?
とんでもない。
私は生涯子供の頃から今の今まで、
幼児の兄弟喧嘩をのぞけば、喧嘩などしたことがない人間です。
いじめに遭ったこともありません。
友人たちに聴いても、
皆さん、例外なく、幾度かいじめや暴力に遭っています。
私は運動が不得意で、ずっとやせっぽちの読書好き少年だったのに、
いわゆる不良たちも含めて、
誰も私にいじわるをしかけてきたことがありません。
誰も私に気づかなかった?
そうかも知れませんが、交友関係で苦労したことはないし、
戸外の遊びはずっと大好きで、友人たちと遊びまわったものです。
小学校の同窓会で、当時の友人から、
当時からすでにかなり態度がデカかったと聴きました。
そのせいでしょうか?
生涯誰にも頭を下げない人生を送れたのですから、
私は一種の幸運人間なのでしょうか?

海外でもこの幸運は続いていたようです。
よくまったく人気のない路地を撮影していると、
青年たちが数人、昼日中から、
道を塞ぐようにして屯していることがありました。
そんな中を突っ切るのですが、
こんなときはこちらから現地語で挨拶をして、
にこっと目を合わせて、通り過ぎることにしていました。
向こうも挨拶を返してくれます。
カメラを手にする外国人なのですから、
観光客なんだろうとは思っても、
こんなところに来るはずもなし、と戸惑っている様子。
そのせいでしょうか、いつも何事も起こりませんでした。
ここに居て当然という、平然とした無表情、
これが役立ったのかもしれません。
こんな状況も今ははるかな過去になってしまいました。

それにしても、懐かしいですね。
人生を夢中に突っ走ってきて、
気がついたら、あの懐かしい頃から、
遠い遠い境地にいつしかたどり着いて、
後戻りはできない、というか、後がない、
という境遇になってしまったのですから。
老境なんて山のアナタの空遠く、と思っていたのに、
気がついたら、あっと言う間に、
お世辞にも若いとは言えない年輩に!

それなのに、不思議ですね。
私の心の中には、過去の自分がかなり残っているようです。
記憶力が人一倍悪い私にして、その実感を否定することができません。
だから、老いた、という気分がまったくありません。

生理学的には記憶の襞のどこかにすべてが記銘されるけど、
その一部しか想起できないというものだそうです。
つまり、人間の体験は地層のように層状に積み重なっていくようです。
たいてい古い記憶は新しい記憶の層の下に埋もれたまま。
でも、ときに断層が起こり、褶曲が起こり、穴が空き、
そんな過去の層がふっと姿を現すことさえあります。
そのきっかけは予想できません。

プルーストが彼の大作の中で、
たしかマドレーヌ菓子だったでしょうか、
一口食べた瞬間に、幼い頃のことがまざまざと思い出される、
というシーンがありますが、
こんな体験は誰にでもありますね。

私も、夏、スイカをいただきますと、
子供の頃、いとこたちが訪ねてきたとき、
縁側に全員がくつろいで、
お盆に盛ったスイカの切れ端をほおばったことを思いだします。

アイスキャンディー(今はほとんどありませんが)をいただきますと、
母から言われて、米屋(級友の当麻君の家でした)にひとっ走りして、
来客を含めて全員の数だけ、
白い紙袋2つにギューギューに詰め込んだキャンディーを両手で抱えて、
家まで走り帰ったことを思いだします。

おもちゃの鉄砲をみると、
3歳半の私が弟の分娩が始まって家から出されて、
玄関先の竜舌蘭の築山であそんでいて、
錆びたおもちゃのピストルを見つけたことを思いだします。

真夏に原則としてたった一回だけ、
暑さにたまりかねてかき氷をいただきますが、
ときおり、小学校6年生のときのことを思い出します。
大阪府豊中市の自宅から吹田市まで、
父につれられての初めての墓参に出かけたのです。
その途上、真夏なのになぜか歩いて、
天井川の橋のたもとにあった峠の茶屋に、汗だくになってたどり着き、
生まれて初めてかき氷を頂いたときのことを思いだします。
父はラムネを注文しました。
半分ほどに減った私のかき氷にこのラムネをたっぷり振りかけて、
「こうやったら、おいしいぞ」
これも生まれて初めての味でした。
のどをピリリと刺激して、本当においしかったことを思い出します。

こんな風に幼少年時代のことをあれこれ思い出しますと、
意外にもさまざまな記憶がよみがえることに驚かされます。
有名人が一定の年齢に達したとき、
自伝を書きたくなるのも理解できますね。
でも、彼らはスペシャルな人生を送り、
自分の人生は後世の人たちに学ぶべきものが沢山隠れている、
そう考えるから、公刊を予定して自伝を書きます。

私のように、知る人のない無名の市井人の体験には、
こんなことをしてはならない、という反面教師的役割こそあれ、
人に資するようなものはなにもありません。
自伝など書きたいとも思いませんね。

こうやってブログに書き散らしている駄文の山は、
百科事典ほどの量になりそうです。
もちろん誰も読む人なんか居ませんが、
書きためて、いつか読み返すことに意義があるのではなく、
ひたすら書きまくることで、自分の頭脳を活性化したいためだけ。
(当初は、いつか読み返すつもりでしたが、
すでに記事が1万を越してしまいました。
読み返すなど、もう不可能になってしまいました)

私の父はぼけずに歩き回り、84歳で突然世を去りました。
母は十数年アルツハイマーにかかったまま、
体だけは頑健を保ち、やはり84歳で世を去りました。
つまり、私にはかなりの確率で体力だけはかなり保ちそう、
でも、頭の方は2分の1の確率で天国と地獄に分かれる!
これはゆゆしい事態です。

私はこんな未来がかなり早くからわかっていたので、
体力、頭脳力どちらについても、鍛えに鍛えてきたつもりです。
鍛えたからと言って、ボケが防げるとは思いません。
でも、おかげさまで、総体としては、まだかなり強壮です。
衰えを感じる細部はないわけではありませんが。

ここでは、主題が記憶なので、
頭脳力のことについて書いておきましょう。
私がやってきたことは、消極的には、
テレビ、ラジオ、新聞等、受動的な情報入手法は絶対に頼らない。
テレビは30年以上、孫の家以外では、観たことがありません。
ラジオは持っていない。
新聞も20年以上完全に謝絶。
こうして自分の頭ですべてを考える、そんな習慣を付けたのです。

「なんだ、それで一人前の社会人と言えるか?」
そう言われそうですが、
どっこい、私はもちろん一人前の社会人です。
現代のように、マスコミが、一部を除き、あれこれ形は変えてであれ、
完全に体制側に組みして、巧みに情報封鎖、世論操作をやっている時代に、
新聞、テレビでたらし込まれた知識で、
日本のこと、世界のことが全部分かっている気持ちの人よりは、
私の方がずっと目が開いています。

私がやってきたことは、情報は、少ない方がよい、
ガセネタの情報は邪魔になるだけ、
自分がよく生きる上に必要なことだけを選択的に採集しよう、
自分の頭で何事も考えてみよう、
そのために、ものごとをいつも自分流に組み立て直しながら、
文章を書くことで、頭を整理し、鍛えよう、
たえず自宅ではマック、外出先ではポメラを駆使して、
自分の思考の速度で文章を入力して、
頭と指先の敏捷性を高めよう、
そんなやり方です。

英文、和文タイプライターの頃からこのやり方を鍛えてきました。
考える速度でタイピングできます。
指を、頭を敏捷に働かせるのは爽快です。
指を使えば使うほど、頭が働きます。
すりにバカは居ない。

おかげで、入力速度は伸びるばかり。
この文章も、揚琴レッスンの前に昼食を頂きながら、
さらっと打ち上げました。
なにも前もって構想しません。
とにかくタイピングし始める。
始めると、段々と書くことが一本の筋にまとまっていきます。
もっとも、他人から見れば、支離滅裂、ただの書き散らしなのでしょう。
それならそれの方が都合がよい。
私という人間の内奥をさらけ出さなくて済みます。
そして、自分の人生を1人生きることができます。



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# by hologon158 | 2018-07-24 11:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

732.01 ホロゴン外傅232「2017年11月9日エクター50㎜f1.9」2 絶えず撮り続ける


藪野健「絵画の着想」(中央公論新社)には、
素敵な言葉が見つかります。
すでに一つ紹介しましたが、もう一つご覧頂きましょう。

簡単な方法ではあるが、
いつも身近なところに、紙と鉛筆を置き、
しかも絶えず描き続けることだ。
気負って「さあ描くぞ」というときには、
美の神は、
既にその場から離れてしまうものだ。

写真にもあてはまる、私はそう感じます。
書き換えてみましょう。

簡単な方法ではあるが、
いつもどこに居ても、カメラを手に歩き、
絶えず撮り続けることだ。
気負って「さあ傑作を撮るぞ」というときには、
写真の神は、
既にその場から離れてしまうものだ。

写真家は、プロは知りませんが、アマの場合は、
一般にフォトジェニックとされている景観にたどりつくと、
やおらカメラバッグからカメラを取り出すものです。
でも、フォトジェニックとされている場所は、
大抵の場合、さまざまな条件、状況で撮り尽くされています。
よほどの光、時間、景観がそろった状態で、
よほどの才能、センス、美的直感力が備わった人でないと、
独創的な写真作品は撮れないものです。
下手をすると、高名な写真家の作品の二番煎じになりかねません。

私のように、写真趣味の素人に徹して、
自分の心覚えのために、自分の足跡を写真に収めたい、
道すがら出会った路傍の掘り出し物を記録したい、
そんな心構えで歩く人間にとっては、
自分が歩く道すべてが撮影対象となります。

どこかの駅に下り立つと、もうカメラは手にあります。
大抵の場合、下車直前にバッグからカメラを出すのが習慣。
駅のちょっとした汚れ、ポスター、等々、
なにが見つかるか予測できないから。
どんなに薄汚れたものだって、レンズを通せば、
光の条件、撮る角度などの具合が幸せに作用してくれれば、
私にとっては、絶妙の絵になってくれます。
基本的に場面とレンズの相乗効果。
私には予測不能の現象なので、
そんな変化が予期せぬ形で起こり、私を喜ばせてくれます。
けっしてレンズを駆使してはいません。
私のコントロールとは無関係に起こります。

写真の神はレンズを通して微笑みかけてくれます。

以前よく一緒に歩いた風景写真好きの友人に、
どう答えるか分かっているのに、
撮影が終わったときに尋ねたものです。
「どういい写真撮れた?」
「うん、1枚撮れた」とにっこり。
でも、彼にしても、他の友人にしても、
私に向かってこの種の質問など絶対にしません。
私の回答も決まり切っていたからです。
フィルム時代なら、「うん、8本撮れたよ」
今なら、「うん、472枚撮れました!
調子は中くらい、でしたね。





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# by hologon158 | 2018-07-21 21:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

732.01 ホロゴン外傅232「2017年11月9日エクター50㎜f1.9」1 地味なイメージ


風景写真家の中には、撮影に出かけるとき、
すでに、どこに行き、どう撮るか、構想ができあがっている方がいます。
初めての場所について、そんな構想が浮かぶはずがありません。
たいていの場合、
特定の情景を見事に写真に収めた作品が念頭にあります。
アマチュアの方なら、独創性なんてハナから念頭にありません、
あの写真を自分でも撮ってみたい!
それがモチベーションとなって、艱難辛苦をものともせず、
同種の光景が期待できる季節、天候、時間帯を目指して出発します。

写真家なら、そんな傑作写真が刺激となって、
自分ならもっと独創的な光景を写し止めることができると、
満を持して、出かけることでしょう。

ストリート写真家はちょっと違った動き方をします。
どんな情景に出会うか、予測は不可能です。
どんな情景が眼前に現出しようとも、とっさにこれに反応して、
シャッターを落とす覚悟でストリートを歩いていきます。
どんな情景も、一瞬後には方向、時間、光線、背景等がすべて一変してしまい、
魔法のような瞬間の記録から、ただのがらくたスナップに一変してしまいます。

カルティエ・ブレッソンや木村伊兵衛は
そんな魔術的な一瞬を写し止める名人でした。
当時は、完全なマニュアルカメラでしたから、
絞り、シャッター速度等の組み合わせもピントも
すべて瞬時に正しく設定しなおしながら、
まさに超絶技巧で、名作を続々と生み出しました。
さまざまな歴史的瞬間を写し止めた報道写真家たちも同様でした。

でも、今やそんな名人芸は過去のものとなったようです。
現代のデジタルカメラなら、オートフォーカスで、
秒何コマもバラバラッと連続撮影してしまい、
RAW設定なので、コンピュータソフトを駆使して、
あらゆるパラメータを自由自在に調整しなおし、
空気感も背景も光線状態も望みのままに調節できてしまいます。

こうしてできあがったものを写真作品と呼んでよいのか?
私はきわめて疑問です。

現代の写真家たちに昔のマニュアルカメラを持たせてご覧なさい。
まず、写真を撮ること自体ができない。
写真そのものを撮ることから修行、修練しなければなりません。
つまり、写真作品を自分の手と感覚だけで創造する修練も素養も
まるでできあがっていない。
ということは、撮れた写真はカメラに撮ってもらい、
画像ソフトに作ってもらったようなものではありませんか?

私が21世紀に入ってからの写真作品にいかなる感興も抱けないのはそのせい。
高齢化社会となり、退職者がカメラを持った途端に
写真作品を自在に制作するようになり、
90になっても個展を開催される方がおられるのは、
このような高下駄のせいなのです。

銀塩フィルムだけで作品づくりをして、
個展を重ねてこられた女性写真家が、
銀塩プリントペーパーの生産が終わると同時に、
個展開催をおやめになりました。

その理由を私はこう推量しています。
ご自身が撮影時、プリント制作時になめてきた辛酸を
まったく理解しない自称写真家たちが個展にやってきて、
あれこれ批評し批判するのを甘受したくない、
という気持ちからだろう。

もとより、私がデジタルカメラを使い始めた瞬間に、
私が自分の写真に対しても同様の疑問を抱くようになったのは当然です。
でも、もう銀塩カメラには戻れない。
ですから、いつも書いているとおり、
私は、自分のことを写真家などと考えることは20年近く前にやめました。

自分の写真を「ロボグラフィ」と呼ぶようになりました。
これは写真の一形式ではありません。
「私が道ばたで出会ったものたち」の記録。
だから、できるだけ忠実な記憶再現に止めたいけど、
100本を超える新旧各種のレンズたちを使うので、
撮ったままだと、明暗ばらばらになってしまいます。
常に、マニュアルフォーカス、絞り優先露出、
マイナス1補正、Jpegで撮ります。

でも、レンズが違うと、明暗さまざまです。
だから、ファイルをブログ掲載用に小型化するとき、
濃度だけあわせるように、レベル補正処理をします。
それ以外は一切手を加えません。
なるべく銀塩写真に対するスタンスを変えたくないからですが、
写真をことさら美化したいという気持ちもありません。
もう人に見せる写真作品など撮っていないからです。

こうして写真作品を撮るのをやめ、
どのような意味でも写真家であることをやめた今では、
写真的構図で決める気持ちもありません。
私の人生のささやかな一コマなど、
どなたも関心を抱かず、記憶に止めないでしょう。

でも、私は自分が歩いた道の記録なのです。
ささいな一こまが私の心になにかを刻みつける、
そんな一瞬もあるかも知れません。
とすると、カメラを常時携帯して、至る所で撮っている私は、
ロボグラフィの一枚を見たときに、
そんな大切な一瞬の心の揺らぎを思い出すかも知れません。
こうして、私のロボグラフィは、
私一人の内奥の秘密を蔵した記憶倉庫となるかも知れません。

私はこの気持ちを片時も忘れません。
だから、誰も喜ばないような不可思議な路傍写真を並べています。
今回からは、2回に分けて、
コダックのレンジファインダーカメラ、エクトラの標準レンズ、
エクター50㎜F1.9が撮った奈良町ロボグラフィです。
コダックらしいあたかかで切れ味のよいレンズです。
ビシッと容赦なく切り取り、立体感豊かな画像に仕上げてくれます。
化けものカメラ、エクトラにこれを付けて、銀塩フィルムで撮ったら、
どんな作品が出来上がったのだろう?
きっと温かな暖色系の小揺るぎもしない画像になっただろう、
そんな風に憶測していますが、これも過去の夢と化しました。
ソニーα7で撮ると、割合地味なイメージ。
気に入りました。





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# by hologon158 | 2018-07-18 11:50 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

731.02 ホロゴン外傅231「2018年1月27日ペッツ50㎜f2京都四条で試し切り」2 着想だけみたい



図書館で面白い本を借りました。
藪野健「絵画の着想」(中央公論新社)

副題が「描くとはなにか」

目次は4項目。
”描く”ということ
着想から完成まで
絵とは何だろう
画家のアトリエを訪ねてみると

慧眼の士なら、これだけで、どんな本かお分かりでしょう。
私のように、絵が好きだけど、絵のことが良くわからない、
つまり、素人さんに絵を描く行為を紹介しようという本。
でも、本質は、画家志望の皆さんの指針を与えることらしい。

とにかく絵を描くことが大好きな人らしい。
この本に収められた絵だけで、何枚あるでしょう?
68枚!
実に精緻な景観です。

私はこの画家に出会ったのは初めて。
画壇でどのような位置を占め、どんな風に評価されているか、
一切知りません。
ずいぶん旅をしておられるようです。
現実にその場で作品づくりを始められたのでしょう。
でも、私には、その場で作品を完成したとは思えません。
私には写生画とは見えないうえ、
画家は長時間と大変な手間をかけて、リアルな情景を
彼本来の幻想空間に変容させていったことが明らかだからです。
どうやら西洋ではブリューゲル、デューラー、ボスのような、
日本では葛飾北斎、若沖のような、
偉大な画家たちの幻想絵画の伝統に連なる作家のようです。

ただし、残念ながら、私にはぜんぜんピンと来ないのです。
たいていの作品が大スケールの景観図です。
おもしろい構図、デザインですが、いかんせん、
私の感覚が古すぎるのかも知れませんが、
どこが核心、芯なのかが分からない。
人物が描かれていますが、その人自身はなにかを主張しません。
添景にすぎない、希薄な存在感。
ややこしいだけ。
総体はただの面白空間にとどまっています。

JR京都駅ビルを思い出しました。
有名な建築家の作品として、当時、評判になりました。
私は初めて訪れて、絶句しました。
と殺された牛の肋骨のど真ん中に立った、
そのように感じたのです。
おそらく室内空間の天井の高さは当時の世界ナンバーワンクラス。
でも、その空間を作る壁面がジクソーパズル風に雑多なデザインで、
誰に目にも明らかなような建物の核心、デザインの柱が見あたらない。
異空間と感じさせてくれるような、
私の心にガッと突き刺さってくるような叫び、歌が感じられません。

私の感覚が古いのでしょう。
でも、別に新しくなりたいとは思いません。
現代のあらゆるものがあまりにも人工的で、
コンピュータグラフィックスめいてしまい、
心をときめかせ、なごませ、奮い立たせてくれる魂の歌など、
聞こえてきません。
ますます手作りの芸術を求めたいですね。

フェルメールが制作にとんでもない時間がかかったのは、
私の勝手な推測ですが、
彼が完全に眼前の実景を前にしつつ描いたからです。
彼の30数枚は、ほぼ彼の全作品であると推測されているようです。
そのかなり多くは同じ室内に設定した状景を描いています。
室内配置をすると、完成まで動かさなかったに違いありません。
登場人物にはときどき来てもらったでしょう。
そのタイミングは、完全に同じ光線状態のときに限定されます。
でも、同じ光線状態になることなど、なかなかありません。
その日に登場人物が来れるとも限らない。
だから、仕事が捗らなかったのです。

私の妻の兄はフェルメールのような大家ではありませんが、
かなり優れた風景画家です。
日本でもヨーロッパでも放浪はしないで、
限られた都市、限られた場所に通い詰めました。
彼もその場でしか描かない画家です。
絵を描きながら一番心にかけたのは、
同じ光線状態でいつも向かい合うということでした。
同じ場所、同じ天候、同じ時間帯に通うので、
一日に何カ所か梯子をすることもありました。
でも、そのようにその場の雰囲気を直につかもうとするので、
作品が心にぐいと食い込んできます。

藪野さんは実景を幻想空間に変えてしまいます。
ある種の物語となった絵、そんな感じがします。
でも、その物語が私の心に届かないのです。
というのは、曲線を誇張したダイナミックが空間表現が、
かえって、その曲線に観る人の視線を誘ってしまい、
絵そのものの言葉に耳をかす余裕がなくなってしまう、
絵の仕掛けが絵の物語よりも優先してしまう、 
そんな感じがするのです。
惜しいですね。




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# by hologon158 | 2018-07-13 23:12 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

731.01 ホロゴン外傅231「2018年1月27日ペッツ50㎜f2京都四条で試し切り」1 岡目八目



「岡目八目」という言葉があります。
ど素人でも、問題の渦中に頭をつっこんでしまった玄人より、
ものがよく見えるというような意味ですね。
すでに紹介しましたが、
地質学者のロバート・ショック教授もエジプト学に対し「岡目八目」。
スフィンクスの地肌が典型的な雨水による浸食であることを見抜いて、
エジプトにまだ雨が降っていた時代にスフィンクスが作られた、
という新説を提起しました。

従来、スフィンクスはカフラー王の建設とされてきました。
顔がカフラー王のものであるというのが根拠の一つでした。

ショック教授はニューヨーク警察鑑識課の専門家に調査を依頼しました。
専門家は、現地に赴いて、専門調査を行って、
カフラー王とはまったく似ていない別人であるとの結論を得ました。
この結論は当たり前です。
私のような素人でも、比べて見れば、分かります。
アゴの出具合が全然違います。
これをよくも「似ている」とシャアシャアと言ってのけた学者たち、
目は小さく、度胸は特大ですね。

しかも、この顔がオリジナルでないことは一目で分かります。
顔だけ黒々つるつる!
本体も、その本体が収まる窪地の周壁も古びてよれよれ、
雨水による浸食でしかできない切れ込みだらけなのに、
スフィンクスの顔だけは水の浸食も風による風化の痕跡も皆無。
スフィンクス本体はまぎれもなくライオンです。
それなのに、顔部分は度はずれで小さすぎます。
この2点からして、スフィンクスの顔は、雨がなくなった後代に、
元のライオンの顔を削って人間の顔に作り替えた可能性があります。

ちなみに、スフィンクスは、三大ピラミッドのある大地から
下降してくる斜面に繰り込まれた四辺形の窪地に鎮座しています。
この窪地のピラミッド側の法面の浸食跡が一番激しいのです。
これまさに、西のピラミッド台地からの斜面が、
雨水を集めて窪地に流れ込ませ、激しく浸食したから、
と説明できます。
砂混じりの風なら全面に均等に吹き付けるのですから、
このような法面だけを削るとはとても考えられません。

長い間スフィンクスは顔だけを残して砂に埋もれていたのです。
とすると、顔だけが砂で激しく削られ、
溝が沢山できたというのであれば、理解できます。
でも、砂上に曝されていた顔だけが黒々、つるつる。
砂に埋もれていた部分にばかり、それも不均等に溝がつく、
なんて、とても理解できません。

でも、エジプト学の権威たちは小揺るぎもしないようです。
浸水による浸食の可能性は絶対に認めない。
なぜなら、エジプト文明発祥の期間中、雨などなかったから。
ネットのある記事では、
大ピラミッドよりも後世の遺跡にも同種の縦の切れ込みが見つかるので、
スフィンクスの縦の傷もなんらかの原因で後世につけられたものであると、
軽く浸食説を片づけています。
でも、そんな縦の傷ができた原因そっちのけで、こんな説明だけで、
スフィンクスとその周壁の浸食を説明できるとはとても考えられません。
それでも、「ハイ、一件落着」に持ち込もうとする、
地球上の文明は紀元前4000年代頃にはじめて出現した。
それ以前には文明も、国家も、大規模建設もなかった!
どこまでもそう言いたい!
なんだかエジプト学者たちって、猛烈に貧弱な学問意識に頼っているようで、
なんだか日本の政治家、官僚たちそっくりですね。

でも、今では、事情がかなり不利になってきたようです。
海底にさまざまな大規模の遺跡が世界各地で発見されつつあります。
地質学者は、氷河期の終わりに、2度、
北極の膨大な雪解け水を支えていた氷河壁が崩壊して、
高さ何十mという大津波が地球北半球を襲い、
沿岸部がかなり水没してしまったと、考えています。
ハンコックたちは、現在発見されつつある海底遺跡は、
氷河期当時既に栄えていた諸文明の痕跡のだ、と主張します。
まだ史学界に認知されていません。
完全に古代史学のパラダイムを崩壊させてしまい、
史学者たちの知識の基底が雲散霧消、瓦解してしまいかねないから。

でも、私には、現在発見されつつある海底遺跡が、
紀元前4000年紀以降に海底に没した記録などないのですから、
現代の文明史観ではこれらの遺跡の存在は説明不可能で、
先行文明が上記の経緯で海底に没したと考えることでしか説明できない、
そう思われます。

まさに日本列島でも同じ事情があります。
縄文時代は約1万5000年前から1万2000年、
と、気の遠くなるほどの長年月続いたのです。
この不思議なほどの持続性を根拠づける遺跡があまりに少なすぎます。
縄文土器のこれほどの連続性を保つためには、
ある一定の人口を必要としたことは疑いがありません。
縄文人たちは1万2000年も日本列島に生き続けたのです。
当時の他の世界とは完全に没交渉だったのでしょうか?
社会構造はぜんぜん変化しなかったのでしょうか?
そんなはずはないでしょう。
でも、縄文文明は外部の影響を吸収しつつ、基盤はしっかり保ったのです。
日本列島全体で縄文土器が作り続けられたのですから。
だとすると、さまざまな変化に抗して持続するだけの強固な地盤が
日本列島全体に存在したと考えないわけにはいきません。
もし異質かつ強力な民族が侵入したりしたら、縄文文化は分断され、
日本列島に虫食い状態で他の文化が取って代わったことでしょう。
でも、信じがたい長年月一定の文化を保ち続けた。
それなのに、現状、あまりにも貧弱な情報しかないのは解せません。
社会の十分な発展も人口もない状態で、
1万2000年もの間、縄文土器だけがなぜか連綿と作り続けられてきた、
というのはあまりにも不可思議な事態ではありませんか?

でも、日本列島海岸部にあった縄文人の遺跡のほとんどが、
与那国島海底遺跡を含めて、2度の巨大津波により水没してしまった、
そう考えますと、今後の海底遺跡の発掘により、
縄文時代にも一つの文明が存在したことが証明される可能性があります。
(ただし、2度の大津波は想像を絶する激しい規模だったので、
水没した遺跡のすべてから地上のすべてを削り去られてしまった、
という可能性が高いと言うべきでしょう)

話は飛びますが、ピラミッドにせよ、南米の遺跡にせよ、
文明の発達段階としては説明不可能な事実がたくさん見つかっています。

たとえば、一辺約230m、高さ150mの大ピラミッドが、
あのような完璧な精度、方向の四角錘として建設できた方法は、
まったく解明されていません。
ピラミッドの石の面には高速回転鋸の痕跡が見つかります。
どんな動力で動かしていたのでしょう?

さらに、ピラミッドにもティノティトラン等の南米遺跡にも、
高速に回転する鋸で繰り出した痕跡のある完璧な円形の穴が見つかります。
まるで電動ドリルがあったかのようです。
Youtubeで見ると、その深さは30、40cmは優にあります。

またマチュピチュは標高2430mの尾根の上に建設されています。
人口は最大でも約750名と推定されているようです。
誰がいつ建設したのかまったく不明のようですが、
重さ10トンにも及ぶ巨石を組み込んだ構造物が
尾根を埋めているのですから、
どうしてこんな石の都市が建設できたか、完全に不明。

バールベック神殿の「トリリトン」と呼ばれる巨大な礎石も謎です。
ウィキペディアによると、長さ約18m、高さと幅が約4m、
重さはなんと650〜970トンなのだそうです。
この巨石がもっと小さな土台石の上に置かれています。
なんでそんな面倒なことをしたの?
訳がわかりません。
石切場からの切り出し、運搬、設置のすべても謎です。
サクサイワマンはどうやら砦、城なので、巨大城壁が必要だった。
でも、神殿ならそんな巨石でなくても完全に用が足りた、
それなのに、楽々易々と切り出し、設置工事できたのです。
要するに、古代人には簡単な工事だったのです。

私にはその回答は簡単です。
つまり、
① このような工事を楽々とやってのけた古代人たちは、
簡単にできる方法を知っていたのです。
ということは、すべての面でではなくても、
ある面ではこれらの工事をやった人たちは、
現代人には分かっていない別の方法を開発していた!

② 現代人が知らない知恵、知識、学問、科学がある!
巨大遺跡群を見れば、一目瞭然です。

③ つまり、人間は単純にだんだん賢くなってきたわけではない!

実はこんなことは自明です。
たとえば、ホメーロス。
ホメーロスが盲目であったかどうか、
彼が「イリアッド」「オデュッセイア」をともに創造したのか、
それとも暗誦していただけなのか、まったく不明ですが、
どちらにせよ、事情は変わりません。
誰かがこれらの偉大な長大かつ完璧な文学を生み出し、
しかも、誰かが繰り返し暗誦できたのです!
そんなことができる人が現世に何人存在するでしょう?

人類ははっきり退化しつつある、
それが私の強固な印象です。




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# by hologon158 | 2018-07-11 22:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

730.03 ホロゴンデイ206「2018年1月23日ホロゴン15㎜F8Uは奈良町に出現していた」3 ピアノ発表会


昨日は、大阪で孫たちのピアノ発表会でした。
かなりよい先生のようです。
その証拠に、生徒たちのレベルが年々上がっています。
今回はこれまででベストでした。
全員リズムに狂いがないことがその証拠。

6歳の小学校一年生の孫プリンスは2年目。
まだ大した曲は弾けませんが、段々とやる気が出て来ました。
発表会寸前では毎日課題曲2曲を10回ずつ練習するほどに。
そして、無事終わったら、曰く、「もう二度と弾きたくない!」

4歳になったばかりの孫プリンセス1号は最初の発表会です。
生徒の中で一番新しく、一番小さな彼女、出番は2度の予定でした。
最初は、初心者4人で鈴などで音階を協力して作る2曲。
ところが、これが始まる直前から楽屋から号泣が聞こえてきました。
私はお兄ちゃんに「泣いてるじゃない?」
すると、孫プリンス、きっぱりと、「違う。あんな声で泣かない」
でも、彼女だったのです。
楽屋にちょっと遅れて入ると、すでに他の3人がドレス姿なのに、
自分はまだ着替えていなかった!
このことで、どうやら平常心を失ってしまったようです。
結局、舞台上でもママに抱かれたまま泣き続けました。

ピアノ演奏はママの低音部に合わせる二重奏2曲。
出番は3番目だったのですが、まだ泣き止まないために、
先生がアナウンスしました、「後で弾いてもらいます」

プログラムがかなり進んでから、遅れて登場。
そのときは落ち着きを取り戻し、間違いもせず、
ちゃんと演奏しました。
やれやれです。

これで出番は終わり、と思ったら、
第1部の終わりに、「ビデオがちゃんと撮れなかった人がいます、
もう一度演奏していただきます。」
それが孫プリンセス1号だったのです。
このあたりになると、もう慣れきったもので、平然と舞台に上がり、
ままと一緒に2曲をもう一度演奏しました。
神様が予定の2度の出番にちゃんと帳尻を合わせてくださったのです。

お兄ちゃんは独奏2曲。
まだ初心者用の簡単な曲ですが、落ち着いて弾ききりました。
近ごろピアノが好きになって、毎日かなり練習した成果でした。
最後に記念撮影をしましたが、孫プリンス、ただ一人の日焼け顔。
少年野球と水泳とピアノ、やること一杯。
運動選手タイプなので、ピアノはいつまで続くか、心配していましたが、
どうやらまだまだ続けてくれそうです。
もし高校生あたりまででもレッスンを受け続けたら、
一生の資産になるのですが、そこまで意欲がもってくれるか?

実のところ、祖父(私)、パパ、本人、共通点があります。
自分がほんとにやりたいことにだけ能力を傾けることができ、
そうでないことはほどほどしかやらない。
社会的に成功するのは覚束ない感じの性格ですが、
自分の人生を楽しむにはぴったりの性格。
競争するより、自分で楽しむ方を選ぶタイプです。

私としては、社会的に成功するためにはがんばるけど、
自分の心からの楽しみなどなに一つない、
そんな外観だけの唐変木になどなってほしくないので、
彼の性格を矯正するつもりはありませんね。



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# by hologon158 | 2018-07-09 22:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

730.02 ホロゴンデイ206「2018年1月23日ホロゴン15㎜F8Uは奈良町に出現していた」2 愛するものたちへ



今期の催しものは、上村松園さんの子、松篁さんの作品、
「愛するものたちへ」展が展示された第2、第3室に移ります。
母子、作風はまるで違います。
松園さんは、美人画、人物画、風俗画を得意としましたが、
松篁さんは、偉大な母親との競争を避けたのでしょうか、
それとも、とても、敵わないと考えたのでしょうか、
動物、昆虫、子供をよく描いているようです。

江戸から明治の風情をかなり残している松園さんの画風と異なり、
かなり現代的日本画です。
日本画らしく、遠近感は捨象して、鳥たち、樹々たち、花たちが、
画面一杯にデザインされて、華麗です。

ただし、鴛鴦(オシドリ)の雄にはちょっとたじたじとなります。
目のまわりに目も覚めるような純白が華麗にデザインされた姿で、
美しい、というより、滑稽に感じられるのです。
そんなオシドリの雄たちが闊歩する絵は、
なんだか、私には違和感一杯でした。

むしろ日本画の伝統にかなり近い単色系の「早秋」「樹陰」「芦」、
こんな地味な作品がぐっと来ます。
画帖に金魚の秀作が沢山並んでいます。
正真正銘の名人の手、名人の目を感じさせてくれて、
見飽きません。

松園さん、松篁さん、お二人そろって文化勲章を受けておられます。
他にそのような例があるかどうか知りませんが、
凄いことですね。

才能もさることながら、作品作りの努力の凄まじさに頭が下がります。
花が一杯ついた枝を継ぎ足した大きな紙一杯に鉛筆で描いた下図。
お母さんの作品ですが、凄まじい気合いに満ちています。
二枚の美人画の習作も同様に、気合いがこもって、
それ自体がアートですね。
長時間集中力を保ったまま、一気に描き上げて行った、
そんな感じがします。
ベートーヴェンが交響曲を書き上げて行ったのと同じ勢い、
同じ没入なのでしょう。

ああ、芸術家でなくてよかった、
これが正直な感想です。
凡人、能無し、これが一番気楽!



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# by hologon158 | 2018-07-07 23:20 | ホロゴンデイ | Comments(4)

731.01 ホロゴンデイ206「2018年1月23日ホロゴン15㎜F8Uは奈良町に出現していた」1 松柏美術館


7月4日火曜日、
奈良市学園前にある松柏美術館を訪ねました。
まことに恥ずかしいことですが、初めて!
退職したら是非行きたい、そう思いつつ、
なぜか行きそびれていたのです。

一人です。
学園前駅に着いたら、午前11時半すぎでした。
まず、昼食をすませなきゃ、そう考えて、
駅ビル2階のレストラン街で、中華料理店を選択。

これは失敗でした。
うまくない、と言うより、まずい。
料理を持参した初老の女性は完全な猫なで声の作り声。
この方の声で、この料理、まずいぞ、と直観しました。
料理に、こんな風に声を作らなければならない理由があるはず!
一口して、分かりました、
どちらも形だけで、心がぜんぜん籠もっていない。
そこで、ポメラDM20を取り出して、
ブログ文を書きながら頂くことにしました。
料理はエネルギー補給とわきまえて、文章作成に没頭したのです。
学園前駅を訪ねる機会がおありでしたら、
このお店をぜひお勧めします。
(私一人が被害者になって、たまるか!)

持参したセットは、

  リコーGXR
  アストロベルリンのパンタッカー40mmF2.3

宮崎貞安さんにライカMマウントに改造していただきましたが、
ソニーα7では四隅がけられます。
リコーで60mm準標準レンズとして使っています。

せっかくですから、美術館まで歩きました。
でも、奈良市街とは異なり、完全なニュータウンです。
きれいに整備されていて、かなりロボグラフィの乏しい街路でした。
駅から美術館まで、そして、駅から逆方向の大和文華館コースの往還、
合計1時間ほど撮影しましたが、193枚撮りましたので、
結果的にはいつもの1時間175枚平均とほぼ変わらないペースでした。
習慣というものは恐ろしいものです。
無意識のうちに、帳尻をあわせようとしているらしい。

松柏美術館は、大渕池の北側に立ち上がる低い丘の上、
日本庭園の真ん中に建っていて、
ガラスが多く使われて、なかなか瀟洒です。

今期の催しものは、上村松園さんの子、松篁さんの作品、
「愛するものたちへ」
松園さんの作品は作品が4枚、素描が4枚ほどだけ。

まず、松園さんの絵を拝見。
いつ見ても、神韻が響いていますね。
逸品は「人形つかい」
民家の座敷で、襖の隙間あたりから見える、
人形芝居を見ている女たちと子供の姿を描いた作品です。
グーグルで画像検索すれば、見つかります。

4枚の襖の左から3枚目が半分開いて、
室内に女が3人、その一人の幼い子供が2人、
廊下からのぞくもう一人の女の後ろ姿、それだけ。
どうやら人形浄瑠璃らしく、3つばかりの女の子には理解不能で退屈、
母に抱かれた妹か弟の方に向いています。
でも、その母も他の女も人形に心を奪われている様子。
もちろん彼女たちの前には幾人もの観客がいるのでしょう。
義太夫の野太い声が聞こえてくるようです。

きっと「艶容女舞衣」のお園のくどきの場でしょう。
夫が女芸人に心を奪われて、父に実家に連れ戻された女房お園、
一人、夫を思って、「今頃は半七つぁん...」と、思いを吐露します。
人形遣いも義太夫語りも屈指の見せ場なので、力が入ります。

  今頃は半七様どこにどうしてござらうぞ。
  今更返らぬことながら、
  私といふ者ないならば、
  舅御様もお通に免じ、 
  子までなしたる三勝殿を、
  とくにも呼び入れさしやんしたら、
  半七様の身持も直り御勘当もあるまいに、
  思へば思えばこの園が、
  去年の秋の煩ひに、
  いつそ死んでしまうたら、
  かうした難儀は出来まいもの。
  お気に入らぬと知りながら、
  未練な私が輪廻ゆゑ。
  添ひ臥しは叶はずともお傍にゐたいと辛抱して、
  これまでゐたのがお身の仇。
  今の思ひにくらぶれば、
  一年前にこの園が
  死ぬる心がエエマつかなんだ。
  堪へてたべ半七様、
  私やこのやうに思うてゐる

現代の女性とはまるで違う感じ方ですね。
つい2、30年前まで日本は完全な男上位の国でした。
とくに金のある男たち、妻には貞操を求めるのに、
自分は外に女性を囲ったり、不倫をしたりして、
それが男の甲斐性だと公然とうそぶいていたのですから、
馬鹿な男たちがいっぱい居たものです。
当時の女性は、それを知っても、じっと耐えたものでした。
だから、お園のくどきは、見ている女たちにとっても、
他人事ではないのです。
中には我が身にも起こっている出来事だったり、
そうでない人にとっても、もしかすると、すでに夫には女が?
そんな疑いをつい抱いてしまう、
そんな真剣さが横顔、背中から窺えます。

ただし、松園さんがこの場面を想定して描いたかは不明。
私が、その絵と題名を見て、閃いたのがこの芝居だった、
というだけのことです。
調べたら、正解が分かるのかもしれません。
でも、そんな手間をかけるつもりはありません。
私の心が納得すれば、それが正解。
松園さんが違う芝居を念頭に置いていたとしても、
「人形つかい」とだけ題して発表してしまえば、
もう観る人、鑑賞者の自由な想像に委ねられてしまいます。

というか、観る人に想念の翼を思わず羽ばたかさせてくれる、
それが傑作の印、そんな風に思います。
絵を見て、情念をかきたてることなく、
まず頭を働かせて、「これは何を言いたいんだろう?」
こう考えさせたら、その絵は失敗作、駄作ですね。

折角ですから、今回の掲載写真は、
この日持参したパンタッカー40㎜F2.3にしたいものです。
でも、いつか、ブログ未搭載の写真データが、
昨年11月以降でまだ30はあると書いたのですが、
これは完全に数える場所を間違えていました。
今正確に数えてみて、びっくり。
64日間の撮影ファイルが溜まっています。
この堆積の上に、週3ファイルほどがさらに堆積していく。
2つのブログに掲載できるのは、せいぜい、週6ファイルでしょうから、
これじゃ、撮影を続ける限り、滞貨はなくなりませんね。
覚悟を決めて、ゆったりと日記は日記、写真倉庫は写真倉庫、
両者の連動は稀なる幸運、そう考えて、楽しみましょう。



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# by hologon158 | 2018-07-06 21:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

730.02 ホロゴンデイ205「2018年1月19日ホロゴン15㎜F8Uは久宝寺にも出現!」2 書と私と


書道、お好きですか?
私は、書道の授業を楽しみました。
でも、ただの授業です。
たしなみとしての書の心得など身に付かずじまい。
もって生まれた乱筆も直らず。

長ずるに従って、なにをするにせよ、
どこか、火事場の映画館風になってしまったようです。
理路整然とことを運ぶことが苦手。
議論をしても、狭い扉にどっと群衆が殺到するような感じになってしまう傾向がありました。
やおら指を立てながら、
「この問題には3つのポイントがあり、
このポイントを一つ一つクリアしないと、
問題は解決しません。
まず、一つめは。。。」
なんて、用意周到に論を進める奴に出会うと、
「あんな奴はごめんだな」と敬遠してしまいます。
もったいぶった、落ち着きはらった輩は大嫌い。

書道って、そんな落ち着きはらった心構えがまず必須のようです。
その理由は、書道家の姉に聞いて分かりました。
大きな紙(なんて言うのか、知りません)に、空んじた中国の文人の文章や詩を、
中腰で後ずさりしながら、さらさらと一気に書き下ろしていきます。
心は天馬空を翔けつつ、
字体を次々と変えて、バランスをもっとも美しく保ちつつ、
どこで墨をつけるか、どこで行を変えるか、等々にも心を配らなければならない。
悠々たる外観とは違って、疾風怒濤の心配り。
大変な創造の営みなのです。
姉は日展の筆頭作家にもなったことがあり、
どうやら才能に恵まれていたようです。

でも、私は、いかなる分野でも才能には恵まれず、
芸術は鑑賞させていただく側に居心地よく安住してきました。
でも、書に何かを感じることはあまりありませんでした。
正直、どこが良いのか分からないことが多かったからです。

これまで心底賛嘆の思いに心がたぎり立った書の体験はたった3回。

まず、毛沢東の洞庭湖畔の巨大な碑文。
いかなる規範にも制約にも縛られない帝王、
それが毛主席なんだ、と心の奥底から納得させられるほどに、
自由奔放、雄渾壮大な筆でした。
つぎに、坂本龍馬が薩長同盟の血盟書の裏に認めた、
要するに「保証」文。
日本でも五指に入る英雄、私はそう考えていますが、
そんな英雄の乾坤一擲、畢生の跳躍、
そんな歴史的決断にふさわしい気力横溢の墨痕でした。

最後に、細川ガラシャ夫人の書簡文。
上記の二大英雄とは打って変わって、
女性らしく、たおやかでしなやかな細筆なのですが、
その優しさのベールの中から立ち上る気配は、
上記の二人に優るとも劣らぬ、強靱で奥深い精神力!
あのような絶体絶命の窮地に陥ることなく、
天から思う存分活躍できる場を与えられていたら、
日本の歴史を大きく変える仕事ができたのじゃないだろうか、
とさえ空想してしまうほとに、
沸き立つようなエネルギーを感じてしまいます。

でも、上記の三筆は、
巨大な人間性、精神力が字に籠められた例外的な書です。
書本来の作品を先入観なく鑑賞して、
純粋に字そのものに美しさ、力を感じられるか?
と、言いますと、まるで自信がありません。

奈良町には杉岡華邨さんの記念美術館があります。
文化勲章受章者の大書道家です。
入館料はたった300円なのですが、
私はずっと前を素通りしてきました。
書本来の鑑賞力などまったくないと分かっているので、
いわば、お金をどぶに捨てるようなものと思っていたからです。

でも、5月だったでしょうか、
ひょんなことから、その気になって、のぞいてみたのです。
入館者は私一人でした。
消灯された展示室に入ると、点灯されます。
ほとんど判読不能の草書、行書です。
案内パンフレットに原文が印刷されていますので、
対比できます。
でも、これがなんで「う」なんだ?
と、チンプンカンプン。
でも、一種の絵だと思えば、
筆の運びがとても美しいと感じられて、なんだか楽しい。
まずは、その程度の印象でした。

そこで、先月ものぞいてみたのです。
すると、「切手から見た奥の細道の世界」が開催中でした。
華邨さんを含む書道家が芭蕉の句を書き下ろした書と、
おそらく選りすぐりの日本画家たちの小品とが並べられていました。
様々な書体で、私でも読めるような書もあり、
楽しい絵との組み合わせも楽しめて、
書もかなり面白い、そう感じて、幸せになりました。

でも、2階の華邨さんの作品展示室で、
もっと大きな驚きが待っていました。
さまざまな書家の作品を鑑賞した後で、
華邨さんの代表作らしき傑作群に相対したとき、
この人はなんだかとんでもなく凄いぞ!
相変わらず、なにが書いてあるか、ほとんど読めないのに、
大きな感動が沸き上がってきたのです。

とりわけ大きな作品が爽快でした。
平成10年の作「最上川」
斎藤茂吉の次の歌です。

   月読の 
    のぼるひかりの 
     きはまりて
      おほきくもあるか 
       ふゆもがみ川

中路融人氏の川の流れの絵に寄り添うようにして、
華邨さんの筆も悽愴に流れ落ちていきます。
私の心が大きく開いて行くようです。

なんだか少しずつ書が私に心を開いてくれているようです。
この美術館の前を優に100回以上通り過ぎたと記憶しています。
惜しいことをしました。
もっと前から幾度も訪れていたら、
書も私も互いに心を開くことができたでしょうに。
これからゆっくりとお付き合いすることにしましょう。




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# by hologon158 | 2018-07-03 23:00 | ホロゴンデイ | Comments(2)

730.01 ホロゴンデイ205「2018年1月19日ホロゴン15㎜F8Uは久宝寺にも出現!」ホンマかいな?



今、面白い本を読んでいます。
クリス・スカー編「考古学70の不思議」(Newton Press)
世界中の古代遺跡から、いわば信じがたい巨大遺跡ばかり選んで、
それぞれの分野での専門家たちが解説しつつ、紹介してくれます。

聞いたことも見たこともない珍しい巨石文明が続々と紹介されています。
まず、それが価値。
もっとも、巨石建造物が見つかっただけで、
まだ十分解明されていないものも沢山あります。
でも、写真付きで紹介してくれているのは嬉しいですね。

でも、それを加味してもなお、
専門家が書いたにしては、内容がかなり薄味で、
ときにあまりにもずさんです。

たとえば、ピラミッド。
底辺が一辺約230mの正方形が約150mの高さまで立ち上がり、
四角錐の形状に見事に仕上がっています。
どうしてこんな正確な工事ができたのか?
誰でもそう不思議に思いますね。
専門家にかかれば、なんでもないことなのです、
「四辺の角に立って、ずっと見渡せば、
まっすぐかどうかが分かる」!!!

この人、ピラミッドで実地に試したことがあるのでしょうか?
そこまで行かなくても、自分の都市のどこかで、
巨大なビルの角で試してみたことがあるのでしょうか?
230mの距離があるビルなんてないでしょうけど、
2、30mでも結構です。
本当に一直線か、どこかずれているのか、視認できるでしょうか?

ピラミッドで、底部から10段目まで建設できたとしましょう。
まだ一辺の長さは200mを超えているでしょう。
工事監督がその端に立って、
一段下の段から正確に内側に寄っていること、
その一辺が正しく一直線であること、
本当に見通せたでしょうか?
一辺に何百個の石が並んでいるか知りませんが、
80mの距離にある石が数mmずれていることなど、
肉眼で視認できるのでしょうか?
できるわけがない!!!
まして、どんな風に修正を指示し、どんな風に修正したのでしょう?
全部その場で目で見て、感覚的に修正し続けるだけで、
あの完璧な四角錐のピラミッドを完成させたのでしょうか?
とても無理じゃないでしょうか?

マウソロスの零廟は高さが65mもある巨大な石造建築物です。
天辺に4頭立ての戦車がそびえていたと言われています。
復元図を見ても、実物より遙かに大きかったようです。
実物では数十mの建物の天辺では、ちっぽけ過ぎて、
荘厳なページェントにはなりえなかったでしょうから。

この戦車は地上でまず鋳造したのだそうです。
どうやって天辺に設置したのでしょう?
執筆者は、この零廟の設計建造者と同じ位に大胆剛毅で、
小さなことにこだわらない人物のようです。
さらりと、「クレーンを使ったのでしょう」
ええっ?
目を疑いました。
そんなこと、ほんとに可能なのでしょうか?

現代の超高層ビルの建設の場合、複数のクレーンを使って、
その高さで使う資材と次の高さで使うクレーンを持ち上げ、
同様のプロセスを何度も繰り返すと聞きました。
現代のタワークレーンはかなりの高さにできるでしょう。
それというのも、金属製のマストをしっかり継ぎ足せるからです。
古代にはそのような金属製のタワークレーンなどなかったでしょう。
せいぜい木製に金属板を補強する程度だったでしょう。
そんな木製のタワークレーンを作り、
その頭部に回転可能なつり上げ部を付けて、
60mほどの高さまで巨大戦車をつり上げ、
霊廟の天辺に据え付けるなんて作業ができたでしょうか?

もしそんな巨大クレーンを作ることができたら、
古代都市の包囲戦に真っ先に利用されたことでしょう。
古代都市の城壁をはるか下に見下ろすような移動式櫓があり、
その天辺に設置された可動式クレーンで攻城に成功した、
などという記事を古代の史書で読んだことはありません。

ですから、この時代にクレーンがあったとしても、
随分小型でしょう。
でも、この霊廟の天辺では、
上記のような現代建築工事の奥の手は使えません。
天辺に戦車を持ち上げる段階で、
どこにクレーンを据え付けたとしても、天辺ではない。
戦車が天辺全部を占める大きさだからです。

正確な用語は分かりませんが、考えられるとしたら、
霊廟を高々とまたぐゲート式クレーンでしょうか?
ゲートの端にクレーンを移動して、戦車をつり上げ、
零廟の天辺と同じ高さになると、ゲートの下で水平に移動させ、
天辺に来ると、そろそろと戦車を降ろして、据え付けた、
ということでしょうか?
そうすると、そのゲート、高さも幅も7、80mもの、
巨大な構造を必要とするのではありませんか?
そんなクレーンがあったら、零廟の建造はかなり簡単だったでしょうね。
でも、そんな超巨大なクレーンをどうやって建設できたでしょうか?

大ピラミッドにしても同じ問題があります。
この本では、巨大な斜路を一本付けて、これを段々高くする方式は、
ピラミッドと同じ位の石材を必要とするので現実的ではないから、
ピラミッドへの斜路を周辺から何本も順次付け足して行って、
作ったのではないか、と推論しています。
この方、分けて作ったら、石材が少なくて済むとお考えのようですが、
本当にそうなのでしょうか?
高くなればなるほど、細い斜路など、あぶなっかしてくて!
私には、巨大斜路と同じ位の大量の石材が必要に思えるのですけどねえ。
つまり、細い斜路なんて、ナンセンス。

しかも、この方式は、ピラミッドの天辺をどうやって積み上げたか、
まったく説明できていません。
ほとんどの案が同様の欠陥を持っています。
これまで読んだアイデアの中でかなりの合理性があるのは、
ジャン・ピエール・ウーダンの説一つ。

ピラミッドはこうして造られた 1/5  
https://www.youtube.com/watch?v=8tO4Q8cyyDI

単行本も出ていますが、読み応えがあります。
ウーダンさんは天辺の石の設置方法まできちんと説明しています。
見るからに誠実で緻密な思考ができる人物ですよ。

でも、話の筋を元に戻しましょう。
古代の巨大建造物の工法に関する本書の説明は、
あまりにも安直、ナンセンスに過ぎて、詰まりません。
もちろん考古学の研究者は土木建築工学の専門家ではありません。
でも、古代の石造巨大建造物の解明には工学の専門知識が不可欠なのです。
ならば、もっとしっかり工学を学ぶべきではありませんか?
私のようなど素人が読んでも、
ナンセンスにしか思えない通り一遍の思いつきを不用意に並べて、
さあ、皆さん、古代史をしっかり分かってもらえたかなあ、
なんて、したり顔している場合ですか?

図書館で借りて読んでいます。
なんでも、図書館でまず読んでみる。
蔵書に加える価値があれば、買う!
こうして、節約をしています。
この「考古学70の不思議」も自腹を切る必要はありません。
でも、人類が古代から世界中でどんなに賢く生きていたかが実感できます。
しかも、巨大構造物を建築する方法はそれぞれに極めて個性的。
記述があいまいで具体性を欠き、情報性は乏しい本ですが、
写真、図面付きで、未知の巨石文化に触れることができるだけでも、
ワクワクさせてくれます。
一読の価値は少なくとも、一見の価値はありますよ。




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# by hologon158 | 2018-07-02 21:55 | ホロゴンデイ | Comments(0)

729.00 ホロゴンデイ204「2018年1月15日ホロゴン15㎜F8が久しぶりに奈良町闊歩」信仰


ベーダの「英国民教会史」という古典があります。
昔、筑摩書房だったと思います、単行本で出ていたのですが、
ちょっと退屈そうなので、買わずじまいになりました。
今では後悔しています。
今では見つかりません。
代わりに講談社学術文庫が見つかったので、ネットで注文しました。

私はカール・ヤスパースの引用で逸話を一つ知りました。
サクソン王の宮廷か教会だったと記憶しています。
両側の壁高く窓が設けられていたので、教会だったのでしょう。
ガラスもないせいでしょうか?
さっと、鳩だったか、白い鳥が窓から窓に飛び抜けて行きました。
キリスト教の伝教僧が王をさとします、
「人間の一生というものはあのようなものです。
始まったと思うと、あっと言う間に終わってしまいます。
すみやかに神に帰依なさるのがよろしいのです」

そんな話だったと思います。
荘子にも同様の趣旨の名言がありますね、
「人生天地の間、白駒の隙を過ぐるがごとし」
面白いのは、この2つのお話、鳩と馬と、主役は違いますが、
どちらも白い点、隙間をさっと過る点は共通しています。
なぜ、白いのか?
あまりに素早いので、目が追いつかず、
実体のあるものだったのか、幻だったのか、定かではない、
でも、暗い背景を前にして、極めて印象的に目を奪う、
そんなところではないでしょうか?

でも、人生って、そんなにも短く、
そんなにも朧なのでしょうか?
今にして思いますと、私も実感しています。
そう、そんなにも短く、そんなにも朧で、儚いものです。

まだ仕事について2、3年目のころのことを突然思い出しました。
私同様の若手の同僚たちと研究会をしたときに、
一人が言い出しました、
「僕たちの仕事って、ありとあらゆる事象とぶつかって、
四苦八苦するばかり。
一体、僕たちの仕事のプロフェッショナリティって、
なんなのだろう?」
そのとき、一同、前途の遼遠さに途方に暮れる想いでした、
「僕たちがそれが分かるまで何年かかるだろう?
ああ、あんまり先が長いので、それがどんな状態なのか、
全然想像できないなあ.....」

でも、気がついたら、あっという間に歳をとっていました。
自分の仕事のプロフェッナリティが何なのかも、分かった気がします。
仕事を進める内に、課題の要点、本質をすっと悟ることができる、
そして、これからの仕事の先行きが正しく予測できる、
そんなことのようです。
そして、それが分かった頃には、もう退職が目前でした。
今、なんだか本当に私の人生も白い鳩だった、
そんな感じがします。

しかも、自分の人生はかなり分かったつもりでも、
自分がどこから来て、一体、どこへ行くんだろうか?
これは全然分からない。
まるで、自分が白い鳩、白い馬であるかのよう。
さりとて、どれかの信仰に帰依したという気持ちは起こりません。
神も仏も、もしこの宇宙に存在するとしたら、
私たちにはまるで構っている暇などない。
私たちは、どこから来たでもなく、この世に生まれたとき、
初めて実在となり、
どこに去るのでもなく、生涯を終えたら消滅し、
ほんのわずかな身近な人たちの心にだけ残る、
それが人生なんだ、そんな感じがしてならないのです。

永遠の命を与えてくれる信仰に帰依すれば、
このような思いをしなくてもよいのでしょう。
でも、心から信じる気持ちが起こらない
さりとて、誰かがやったように、
神を信じる心が真実ないのに、
神が実在しなくてももともと、実在していたら、もうけものだ、
なんて賭けに出て、ある信仰に帰依するって、危険ですね。
仮に宗門の人たちをだませても、神様はだませません。
あの世に行って、「ああ、よかった! 神様、居たんだ!」
そんな気持ちに心軽々天国の門を叩いてみたら、
ペテロさんのような番人が怖い顔して出てきて、
「信じてもいないのに、ただの賭けで入信したことは分かっている!
そんな輩は地獄じゃ!」

悩みは尽きない、それが人生でしょうか?




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          [後書き]
          今朝、見直したら、写真が何枚もだぶっている。
          ちょっと酔って帰ってから、写真だけ遅ればせに投稿したせいらしい。
          そのままにしておきましょう。
          「バベルの塔」に段々似ていくのかも知れません。
          ますます、人が来なくなる。
          ますます、したい放題、できます。

          [後書き2/7月1日]
          ああ、昨夜の酔いはかなり深かったようです。
          我が最愛のホロゴンで撮った写真を28㎜と間違えていた!
          陳謝!!!






# by hologon158 | 2018-06-29 23:35 | ホロゴンデイ | Comments(2)

728.02 ホロゴン外傅230「2017年11月1日アンジェニュー28㎜f3.5暮れ方の郡山で」2 エキブロ、永遠なれ!


pretty-bacchusさんが、
エキサイトブログの仕様変更で、
かなりのユーザーがエキサイトを離れたが、
自分はやめるつもりはないとお書きになっていました。
心強いお言葉です。
でも、皆さん、どんなところが我慢できずに、やめたんだろう?

私は、と言えば、確かに戸惑いましたが、
なにしろ超低額料金で無制限のデータをストックできるのです。
そのうえ、今ご覧のように、いかなる邪魔な外部データが現れない、
シンプルな画面を選択できるのです。
他のいかなる不便も耐えられます。

私たちは、一生涯、あらゆる場面で、不意に事情変更が起こり、
そうした変更になんとか対応せざるをえない、
という体験を重ねているのが常ですね。
たとえば、退職がそうですね。
確かに、なんらかの事情変更が我慢ならないものであれば、
それだけに大がかりな軌道修正を敢行する、決して逃げない、
それが人生ですね。

退職に伴い、社会の中で果たしていた役割を失うのは痛いことですが、
その後になお仕事の道があれば、事情は変わりませんが、
そうでなければ、新事態に対応すべく変身する必要があります。
いわば、他人のための仕事、他人との共同の仕事から、
自分のための仕事、一人だけの仕事に、
大きく軌道修正しなければなりません。
プロジェクトの企画、実施、目的の達成というスタンスから、
日々のすべての瞬間の充実と享受、というスタンスへでしょうか?

私はそんな切り替えが即座にできました。
もともと生涯の仕事は自分一人で達成する性格のもので、
そのためには職場も家庭も一緒くた、すべてが私がプログラムする、
という性質だったので、
写真、音楽、映画、旅行、読書等、自分の楽しみは、
そうした仕事の中にリズムよくプログラムすることができ、
おかげで、全生活をフルにエンジョイすることができました。
退職をしても、職業上のプロジェクト部分が抜けただけで、
ということは、全時間を自分の人生のために使えるという、
夢のような時代が到来したわけです。

だから、精一杯、自分の人生を楽しんでいるのですが、
そんな私の現在の生活の基本になったのが、ほかならぬブログ。
ブログに対する基本的スタンスが多くのブロガーと異なります。
多くのブロガーにとって、ブログは自己表現のステージであり、
様々なメッセージの発信の場、
つまり、作品なのでしょう。

でも、ここだけの話ですが(どうせ誰も読んでいないので、ありていに)、
私も含めて、大概の人は、
他の人が受け取るに値すると認めるメッセージも創造力も持っていません。
まして、アーチストなんかではありません。

私も最初は、二つのブログを写真発表の場にしたいと考えたものでした。
今から考えると、笑ってしまいますが、
当初、時折アクセス数をチェックして、絶句。
誰も私のメッセージなど受け取りたいと思っていない。
私の写真など、見たいと思っていない。
それが分かると、私のこれがよいところですが、
決断が早く徹底的です。
ブログを発表の場と考えるのは永久的に終わり。
自分自身の楽しみのための遊び場とすることにしました。

その頃、ブログは、もう1つ目的に役立つことに気づきました。
私は手紙が大好きなのです。
エッセイとか論文を書くようなモチベーションは持ち合わせません。
手紙のよいところは、受け取ってくれる相手が居ることです。
だから、書く意欲が湧いてくるし、書きたいことが書ける。
そこで、ブログにはコメント欄も残して、オープンにしたまま、
だけど、実態は、自分宛の書簡日記として使うことに決めたのです。
つまり、未来の自分に体するメッセージ。

話を元に戻しましょう。
先頃のエキブロの変更の具体的内容を私は知りません。
気がついたら、がらっとインターフェースが変わっていた。
記事の投稿のやり方も変わっていた。
当惑しました。
私に一言も断らずに、勝手に突然、がらりと変った。
情報もないないので(つまり、その見つけ方も知らない)、
試行錯誤で新しいやり方を覚えました。
今では、何の支障もなく、すいすいと投稿できます。
とくに、以前は、写真は1記事30枚限度を原則にしていたのに、
制限を撤廃しました。
どんどん写真が増えるので、30枚ではとてもはけないからです。
60枚、70枚を投稿するようになって分かったのですが、
現在の写真投稿方式は実に簡単にできます。

ブログを初めて約1年で写真日記と化してからは、
一度もアクセス数をチェックしたことがありません。
私は決めたことは実行するからです。
無用な好奇心を抑えることができます。

稀に、つまり、2、3ヶ月に1回ほどコメントをいただくので、
アクセス数がゼロになったわけではないようです。
でも、ちょっと暇なので、とか、
ほんの偶然に、私のブログを訪れたという方は、
雑感の羅列に等しい駄文がだらだらといつまでも続き、
ようやく写真にたどりついたら、これがまた大変!
いつ終わるとも知れず、意味不明の写真がどこまでも並んでいる!
もうこりごりだ、この忙しい中、つきあってられるか!
二度とのぞく気にはならないでしょう。
私はますます好き放題にブログ人生を楽しめます。
両ブログでどうやら記事は1万を越え、
貯蔵された写真も概算ですが、2、30万枚を越えました。

私はますます元気いっぱいです。
100歳を超える男性はかなり少ないようです。
私にはまだ何十年もあります。
私が100歳に達する頃には、100歳を超える男性もザラになるでしょう。
記事10万、貯蔵写真100万枚超えに向けて、
前進、飛躍、突破!
そのためにも、
エキサイトブログ、永遠なれ!




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# by hologon158 | 2018-06-28 12:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

728.01 ホロゴン外傅230「2017年11月1日アンジェニュー28㎜f3.5暮れ方の郡山で」1 当惑


昔、名レンズ関係書では、アンジェニュー28㎜f3.5は異色でした。
説明に窮する、という気配がどの文章にもありました。
性格を明快に規定することができない、ヌエのようなレンズ。

でも、評者に共通する雰囲気がありました。
幽玄な描写で、幻想的である、という感じ。

とすると、私のアンジェニューは異色なのだろうか?
ちょっと戸惑っています。
逆光でフレアーが盛大に発生するあたりに気配は感じるのですが、
そのフレアーのベールの影にほのかに浮かびあがるのは、
明晰で知的な美女なのですから。

かなり多くのファンタジックなレンズたちに出会って来た私としては、
このアンジェニューはむしろ現実派に数えたい、
そんな感じがします。

鄙びた郡山風景を2回に分けてごらん頂きましょう。



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# by hologon158 | 2018-06-26 23:27 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

727.01 ホロゴン外傅229「2018年2月13日エルマジ95㎜f2.4が奈良町を過ぎて」2 田舎もの


私は本質的に田舎ものです。
小学校6年の1学期まで、ずっと奈良県大和高田市という、
典型的な田舎町で育ちました。

人生に大切なことのほとんどすべてを幼稚園で学ぶ、
という趣旨の本が米国でベストセラーとなり、
日本でも売れたようです。
私もその通りだと思います。

私の父は第二次世界大戦前の朝鮮総督府のエリート官吏でした。
敗戦後、日本に引き揚げてきました。
(ちなみに太平洋戦争は終戦したのであって、
敗戦とは決して言わないのが日本の慣例。
でも、そのせいもあるでしょうけど、
日本が国際法的に正当化できるいかなる理由もないのに、
朝鮮半島を占領し、中国大陸を蹂躙した事実はかなり隠蔽されてきたようです。
南京大虐殺があったか否かが議論されていますが、
それよりもまず、日本が中国に侵入できる国際法的理由など、
一切なく、中国大陸で行ったすべての占領戦争行為は、
すべて犯罪であったことを忘れてはならないのです。)

なにはともあれ、父は仕事を失ったのですが、
日本国の高等文官試験の合格者であり、
朝鮮総督府もまた日本の官庁だったのですから、
父はもちろん日本に官職を得ることができました。
でも、いわば割り込みのようなものですから、
10年ほども干されていたようなものでした。
それでも、市長と同格の官職なので、
その子の私は、いわゆる「坊ちゃん」的存在だったようです。

私はそんなこととは露知らず、完全にどろんこになって遊びました。
学校から帰ると日没まで帰らない。
山あり、川あり、田園だらけなのですから、
遊びには事欠かなかったわけです。
勉強などろくにしませんでした。
でも、知らぬことながら、今から考えてみますと、
どうも私は何事にも大目にかけられていたよようです。
幼稚園から小学校にかけて、
背が高い方から2、3番目でしたから、
そのこともあったのでしょう、
誰にもいじめられず、誰もいじめず。
全校生徒丸刈りなのに、私と弟だけは長髪、
それなのに、誰からも「髪の毛を切れ」と言われず。
つまり、たいそう平和にやりたい放題の生活でした。
父母からも、勉強、成績、遊びのことで質問されたり、
注文されたりしたこともありません。

生涯、誰にも頭を下げない、誰の下にもならず、誰もいじめない、
そんな人間になったのですが、
そのような立場を当然のように堅持できる下地は、
幼年時代にすでに作られていたようです。

後年、仕事上、人間がどれほど幼いときまでの記憶を想起できるか、
いろいろ調べたことがありますが、
ほとんどの人が小学校中学年以前のことは、
まるで記憶していないことに驚かされました。
私はもとより記憶力は並以下なのですが、
よほど印象的だったと思える3歳の頃の体験をはっきりと想起できます。

一つは、3歳下の弟の分娩のときのこと。
産婆さんがやってきて、自宅から姉と一緒に追い出され、
玄関先のプロムナードで遊んでいたのですが、
中央のソテツと竜舌蘭の築山の下にもぐりこんで、
錆びたおもちゃの拳銃を見つけたのです。
今でも、姉にさびだらけのボロボロ拳銃を姉に見せたシーンが、
まざまざと浮かび上がってきます。

別の機会のことも明瞭に覚えています。
まだ弟が生まれていなかったので、
私が三歳になるかならずの頃のことでしょう、
母に連れられて大阪に行きました。
天王寺駅の外の街路は舗装などありません。
水たまりもあるでこぼこ道でした。
義足の傷痍軍人が3人ほど道ばたに立ち、
アコーデオンを肩からかけた一人が音楽を奏で、
他の二人が歌っていました。
足下にはお皿。
その前を通り過ぎて、しばらくして、
私はどうやら傷痍軍人さんに見とれて、
母の手を離してしまっていたようです。
見回したら、すぐに母が見つかり、後ろから駈けていって、
手を握って歩き出しました。
そのとたん、背後から私の名前を呼ぶ声。
私は他人の女性の手を握っていたのです。
私の放心癖はこの当時すでに始まっていたようです。

大阪の町は実にゴミゴミとして、見応えがありました。
家も路上もすべてがゴミ箱をひっくり返したような乱状。
これをすでにおもしろいと思い、汚いとは思わなかった!
どうも3歳にして、私のロボグラフィ癖は始まっていた!

どうやら幼年時代の体験が成人後の生活態度、種々の好み、
行動形態に大きな影響を与えているようです。
こうしたことを考えますと、
私は成るべくしてロボグラフィストになったわけです。
(辞書を調べないように。
路傍の草々をバックグラウンドではなく、
主題として撮る写真を「ロボグラフィ」と、
そんな写真を撮る人間を「ロボグラフィスト」と命名したのも私、
この用語を使っているのも、今では私一人でしょう。)

結局幼、少年時代に感性の基盤がすでに培われてしまうようです。
写真家となり、ことさらにスペシャルな作風を、
自分で苦労して作り上げる人をのぞいて、
自分の感性をフルに使って写真を撮る人間は、
どうしても自分の人間性そのものを写真化しているのでしょう。

私は幼年時代のおかげで、
集団行動がまるでできない人間になり、
独断専行的に生きる人間になってしまったようですが、
でも、傲岸な人間ではありません。
ただ、自分のしたいことを人に邪魔されたくはないだけ。
だからでしょう、誰はばかることなく写真を楽しむためには、
外部に作品を発表する写真家的な行動は一切できず、
自分の体験の記録として、いわば「完全素人写真」を
撮り続ける日々を重ねてきたわけです。

そんな私には、ブログは私の体験、印象の記録の最上の倉庫。
そして、エキサイトブログはその最上のプロバイダーです。
なぜ?
わずかな料金で、無制限の写真、文章倉庫を提供してくれるからです。
私のブログはこんな性格上、膨大な写真の上に、
長ったらしい文章も手伝って、読者がいません。
だから、広告など一切なしのフォーマットを選んでいます。
(携帯だけは勝手に広告が混じり込んで、防ぎようがない。
自動的に陳入するのでしょうけど、私はちらっとも見ず、
私のブログを読む読者もいないのですから、
完全無駄骨ですね。ご愁傷様)

以上のようなわけで、
私の幼年、少年時代が今の私を形作ったとわかると、
私の行動、存在がさまざまの形で幼時の私をそっくり反映しているらしい、
と考えざるを得ません。
ああ、無情!
親の因果が子に報い、
幼年時代の自分が今の自分を作り、
というんじゃあ、なかなか自分を作り変えようと思ってがんばっても、
うまく行かないわけです。
道理で、生涯、あか抜けた服装などしたことがなく、
生涯、颯爽と肩で風切ったこともない、
とぼとぼと路肩に寄りながら、路傍の草々と目を合わせて、
にっこり挨拶する人生を続けるよりほかにはないわけです。




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# by hologon158 | 2018-06-25 22:51 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

727.01 ホロゴン外傅229「2018年2月13日エルマジ95㎜f2.4が奈良町を過ぎて」1 21世紀のトロイ


前にも書きましたが、
いくら考えてもよく分からないことがあります。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡のことです。
1万年以上前の神域らしい遺跡群が発見されました。
YouTubeで検索されると、沢山の紹介ビデオが見つかります。
シュメール、アッカドが人類の文明の始まりだと、
歴史学は断定して、その事実を基礎に、人類の歴史を考えてきました。
私たちもそう習いました。
じゃ、ギョベクリ・テペはなんなのだ?

歴史学者たちは、その傍らで、シュメール、アッカド、エジプトの
突然の文明の開花を準備する先行プロセスが見つからないことに、
居心地の悪さを感じてきました。
楔形文字やヒエログリフには、
そのような文字体系への進化プロセスの痕跡がまったく見つからないのです。
近ごろ、シュメール、エジプトでも、文字の前段階のような記号が見つかり、
楔形文字やヒエログリフはその地その地で創造されたのだと、
学者たちは唱え始めているようです。
でも、そうした記号と楔形文字やヒエログリフとの間の進化プロセスとなると、
一切そんな形跡がみつかっていないのに、どうしてそう言えますか?
坊やにお正月のお年玉を500円上げます。
半年ほどして、坊やの机の引き出しに5千円札が見つかります。
坊や、「引き出しに大事に仕舞っておいたら、増えたの」
誰が信じますか?

シュメール、アッカド、エジプトの巨大建造物についても、
それに先行する準備段階となるような同種の遺跡が見つからない。
エジプトの大ピラミッドに先行するとされるピラミッドは、
似ても似つかぬ稚拙な作りです。

だから、文明は突如いきなり成立したかのようにして、
進化プロセスの解明は一切省いたまま、
歴史学は築かれてきました。
そうした文明に先行する文明の存在を示唆するような遺跡は無視され、
あるいは、単なる単発的なローカルのデータとされてきたようです。

でも、ギョベクリ・テペ遺跡は歴史学の常識を完全に覆してしまいました。
まだ全貌は判明しておらず、1万年前の前後にわたって作られたこと以外には、
誰が、なんのために、どのように制作したか、判明していません。
でも、どう見ても、宗教的に、あるいは政治的に重要な意味があったこと、
制作するためには、かなり高度な思考力、知識、企画力、実行力のある組織が
必要だったことは間違いがありません。

不思議です。
シュメールの都市文明は紀元前3500年頃に始まったとされます。
ギョベクリ・テペはそれよりも約7000年もさかのぼるのです。
まだ文字は発見されていないようです。
でも、文字がないのに、神域を建設できたのです。
南米アンデスのインカやその先行文明はどうやら文字を持たなかったようです。
でも、人類の驚異のと言うべき偉大な都市、建造物を生み出すことができました。
つまり、文字がなくても、もしくは、ないからこそ、
思考力も記憶力も、文字文明の人間には考えられないほどに、
深遠かつ広大なものとなっていたと考えられます。
つまり、文字がないことは欠如ではなく、単に不要だった。
人間は記憶と思考によってすべてを把握し、管理し、計画し、実現した。

でも、そのように考えても、ハイ、それで納得しました、
ということはとてもできませんね。
ギョベクリ・テペにしても、重さ何トンという巨大な板状の柱を建て、
周囲に石壁を巡らしています。
そんな石は、近くに発見された石切場で切り出され、
現場に運ばれたのです。
知的なデザイン設計に基づいて、石は加工され、配列されたのです。
たったひとりの人間にできるわけがありませんから、
ある集団がたがいに分担しあって実行したのです。
文字が無くても、言葉で意志を統一しない限り、工事は不可能。
言葉によるコミュニケーションがあり、
一定のデザインに基づく一致協力した工事施工がなされたのです。
安定した食料、工具等の資材を供給するルートもあったのです。
すでに、社会があり、このような巨大なプロジェクトを実現するための、
組織と言葉と道具があった、としか言いようがありません。
なんのためにこのようなモニュメンタルな建造物を造ったのでしょう。
日々の生きるためのものではありません。
宗教もあり、思弁もあった!
これら全体がすでに一種の文明、文化の成熟を証明しています。

ということは、私たちが教えられてきた文明の発祥学説は、
まるででたらめ、無根拠の憶説に過ぎなかったのです。
人類の歴史は、私たちが知っているよりもはるかに淵源を遡り、
未知の豊かな歴史を秘めているのです。
遺跡がないじゃないか?
地上にある限り、実のところ、時間の経過とともに、
文明の所産はすべて消滅してしまいます。
金属も含めて、いかなるものも時間に対抗することはできません。
発見された遺跡、遺物は、いわば奇跡的なほどの幸運な条件のおかげ。
でも、そんな幸運のおかげで、
至るところに未知の遺跡が見つかりつつあります。
歴史学者たちは必死に抵抗し、無視しようとしています。
史学における既成のエスタブリッシュメントの足もとが崩れつつあり、
史学の基礎となる思考体系そのものが無意味になりつつあります。

かつて「イリアッド」は完全な架空の伝説、そう信じられていました。
ハインリヒ・シュリーマンは、実在の記録と確信して、
トロイの遺跡を発見、発掘しました。
ギョベクリ・テペは21世紀のトロイなのです。



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# by hologon158 | 2018-06-24 12:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.06 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」6 時代遅れ


6月21日木曜日、
写真家吉田正さんの写真教室でした。
時代はどんどんと変わりつつある!
こう感じさせられることが余りにも多い、この頃ですが、
今回の教室で、
写真世界も、そうした時代の潮流が怒濤のように押し寄せ、
写真という独特の表現手段が大きく変わろうとしている、
そんな実感を強く抱かされました。

昔から、議論がありました。
写真は記録なのか、それとも表現芸術なのか?
私も、気がついてみたら、写真を趣味としてから、
40年を軽く超えてしまいました。
私は終始、写真は記録であり、ドキュメンタリーである、
そう考えてきました。

誰かに写真芸術として表現したい、という気持ちは、
最初からありませんでした。
私の体験のビジュアルな倉庫、そう考えてきました。
だから、たとえば、モノクローム専科が12、3年続き、
終始自分で現像引き伸ばしを楽しんできたのですが、
フィルムはあっさりと現像し、
伸ばしも、覆い焼きや焼き込みなどのテクニックは使わず、
あっさりと焼き付けるだけに止める主義を通しました。
自分が体験したイメージを写真化するとき、
なにも除かず、なにも付け加えない主義でした。

現在、デジタルカメラで撮影していますが、
昔ながらの露出補正だけ使って、開放オンリーで撮影。
そのファイルをプリントするときも、
画像処理ソフトはただ一つレベル補正を使い、
濃度を私好みに揃えることしかしません。
もちろんトリミングなど、一切いたしません。
私のように、ブログ倉庫にお好みの写真を貯めるだけ、
という人間には、自分の記録写真をことさら美化したり、
アートにしたりするのは、自分の記憶を歪めるに等しいからです。

もっとも、私の写真もかなり幻想的です。
これは、私が撮影現場で露出補正を自動的に変え、
オールドレンズたちの独特かつ個性的な開放描写と相まって、
私好みのロボグラフィ描写にしているからです。
40数年間たゆまず写真を撮ってきたのですから、
それ位のことはお茶の子さいさい、というところです。
だから、私の写真たちのイメージは私の意図通りなのです。

吉田先生の写真教室でも、一種の二分化が進みつつあります。
撮ったまま、もしくはそれに近い状態で撮っている人、
次々と手の込んだ処理技術を習得して、
オリジナルの写真とはまったく異なる写真世界を展開する人。

吉田先生は元来モノクローム写真の芸術家ですから、
写真教室での講義もアドバイスも、
本来の写真表現の範囲から超えることはありませんでした。
でも、近ごろは、Photoshop等のソフトの使用により、
写真を自由自在に画像処理して作品を創造する方向に、
気がついてみると、かなり重点が移動きたようです。
写真はRAWで撮り、画像処理ソフトで思いのままに現像し、
さらにさまざまに加工することで、独自の世界を創り出しなさい、
そんなスタンス。

変化の典型的な一例はトリミング。
以前は、トリミングをしてみても、
それは、撮影者の意図をそのままでは表現できていない、
ということの実証のためで、
もっともっと頭と心を使って、画面全体で一つとなるよう、
心がけましょう、という指導の方法でした。
今は、自分の意図を明確化する方法として、
余分なものは切り捨てましょうというニュワンス。
デジタルカメラの解像度が超絶的に高まっているため、
画像をどれだけトリミングして、切り詰めても、
画像劣化がないせいでしょうか?

オリジナルの写真画像に手を加えて、別物にする、
それはモノクロームの時代から行われてきたことで、
けっして邪道でも逸脱でもありません。
ですから、上記のようなトリミングはまだ許容できます。
でも、いやしくも「写真表現」である限り、
限度があります。
でも、画像処理によってまったく別物に変えてしまうのは、
写真を素材とする、別種のアートではないか、
私はそう疑っています。
というより、そう確信しています。
そのせいでしょうか?
私は、画像処理ソフトを駆使して作られた写真作品には、
まったく心が動かされないのです。

かなり困惑しています。
どうやら、私は時代遅れ、時代に取り残されつつあるようです。



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# by hologon158 | 2018-06-22 23:35 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

726.05 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」5 借金財政


現在、私のマックのハードディスクに入っている写真ファイル2171個の中、
まだブログに掲載していないものは60でした。

つまり、毎日1ファイルを全部ブログに掲載しても、
現在、私の2つのブログ「わが友ホロゴン」「レンズ千夜一夜」には、
隔日ごとに各1掲載、つまり2つのブログで1ファイルずつ掲載中ですから、
少なくとも2ヶ月はかかる計算。

でも、内15個以上は300枚程度以上の写真が入っています。
これらは少なくとも3回分の記事に搭載することになりそう。
つまり、15×2=30回分が加算されますから、
60のファイルを消化するためには3ヶ月程度はかかりそうです。

その3ヶ月の間に、毎週少なくとも2つ、つまり60個のファイルが加わる。
ということは、3ヶ月経って、本日未消化分を全部消化しても、
結局同数のファイルがハードディスクに残されていることになります。
つまり、どこまでも60ファイル、3ヶ月分ほどの滞貨を抱えて、
営々と借金財政を続けるのが私の運命、ということになりそうです。

こうしてはおられませんね。
この記事、今日中にアップしましょう。




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