わが友ホロゴン・わが夢タンバール

カテゴリ:美との対話( 11 )

759.00 美との対話10「2018年12月9日モジリアニも螺旋が好きだったみたい」



前回のケルト紋様の話題をつないでみましょう。
今回はモジリアニと対話してみました。

ずらりとマックの画面に並べてみて、感じました。
モジリアニはわざと歪めているんじゃないんだ!
ケルトの螺旋紋様と同じく、螺旋を描く命の線なんだ!
奇をてらって、わざわざ歪めたのではないのです。
モデルと対峙して筆を進めてゆくと、
気がついたら、命のエネルギーが立ち上る気を感じて、
その上昇線に合わせて生き生きと筆を走らせてゆくと、
こんな絵になった、ということではないでしょうか?

私はモデルとなる人物を前にして絵を描いた、
という体験を持っていません。
でも、かってに想像するのですが、
もしモデルさんがなにかの事情で完全に気落ちしていたら、
絵なんか描けないでしょう。
もしモデルさんが絶望のあまり滂沱と涙を流していたら、
やっぱり、絵なんか描けないでしょう。

昔、まだカメラ雑誌を見ていたころのことです。
月例の特選作品にとんでもないものがありました。
と言っても、私がそう思うだけで、選者は大きく買っていたようです。
ネオンの巷の壁にもたれているらしい青年の顔の大写し。
バックにはネオンがボケて、青年の顔は種々の色で浮かび上がっています。
青年の目からまさに滂沱と涙が流れ落ち、頬をすっかり濡らしています。
涙にもネオンが映って、色とりどり。
失恋の絶望でしょうか?
哀れを通り越して、悲惨に近い感情の表現!

でも、見た瞬間、感じました。
これはフェイクだ!
真実、道ばたでこんな青年を見つけたら、
あなた、撮りますか?
当時はまだ誰もズームなど使わず、
望遠も300ミリなど使わない時代でしたから、
せいぜい200か180の望遠でしょう。
まじかに接近してしゃがみこみ、望遠レンズを向けて
顔だけ大きくクローズアップしたりしますか?
できませんね。

親しい友人でない限り、気づいた振りなど見せず、
まして、接近して写真など撮りませんね。

そして、もう1つの疑問。
そんな人物に出会ったことがありますか?
私はありません。
涙を流している青年など、遠くからでも見たことがありません。

瞬間的に感じたことは、これは完全なやらせだ!
そんなものに特選を与えますか?
これは私の特殊な考えかたかも知れません。
でも、写真雑誌にはあきらかな「やらせ」写真が横行しています。
私には「やらせ」はただちに分かりますし、
そんな写真を高く評価することもありません。
写真を初めてから今まで、その気持ちは変りません。

実のところ、そんな感じ方はプロの写真家、
写真芸術家の作品にも同様に感じてしまいます。
ドアノーのパリの街頭風景はとても温かい雰囲気ですが、
カルティエ=ブレッソンより高く評価する気持ちになったことはありません。
結局「やらせ」臭を嗅ぎ取ると、どんなに気持ちの良い写真でも、
かすかに後ずさりさせられてしまうのはどうしようもありません。

モジリアニは、現実の人間を前に座らせて描いたのですから、
写真で言う「やらせ」には違いありません。
でも、絵画ではそんなことは問題になりません。
画家は現実を一種の永遠のイメージに変容させる魔術師なのですから。
私たちは特定のモデルの名前はもとより、
素性、性格、人生など知る必要などありません。
モデルの女性たちは、モジリアニの魔術によって、
永遠界の化身と化してしまうのです。

彼女たちは生命感に満ちています。
空疎な画像だ、と、誰も感じません。
ケルト紋様はそんな魔術的な変容を起こす原動力になっている、
私はそう感じます。
ただ直立不動の人物には感じられない上昇エネルギーを、
ケルト紋様の螺旋デザインが沸き立たせてくれるのです。
そのお陰で、若い頃の直立像にはなかった独特の動感が生まれている。
すくなくとも私にはそんな風に働いてくれるのです。




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by hologon158 | 2018-12-09 14:13 | 美との対話 | Comments(0)

757.00 美との対話9「2018年12月5日コレッジョはナチュラル美女が好きだったみたい」



コレッジョ(本名はアントニオ・アッレグリ)は、
15世紀末頃、北イタリアのコレッジョで生まれ、
パルマ公国を中心に活躍した画家です。
生れた町の名で呼ばれたのですから、
コレッジョの町が生んだ数少ない有名人なのかも知れませんね。

宗教画を主に描いた画家のようですが、その名は、
ヴァザーリ「ルネサンス画人伝」(1550年刊)にはありません。
とてもやさしい味わいで美しい女性たちを描きました。
ダ・ヴィンチにもちょっと似ています。
でも、作風にわずかに風俗画的なファクターもある感じで、
ヴァザーリから見れば、二流だったのかも知れませんね。
もしかすると、コレッジョクラスの画家は一杯いるのかも知れません。
しかし、日本人にはかなり人気が高いようで、
イタリアルネサンスの巨匠に数えられているようです。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ルーブルで何作か観ましたが、
もっと偉大な画家たちの名作が私に植え込んだ強烈な印象と比較しますと、
どんな状態だったか思い出さないあたり、二流に見えたことは否めません。
美しい女性たちが一糸もまとわない姿をさらしていて、
私の目には少し風俗画過ぎる感じだったように記憶しています。

でも、こうして改めて観てみますと、たしかにそうなんだけど、
まあ、どの女性もなんと愛らしい唇でしょう!
赤ん坊の唇に近いですね。
どの女性も、けっしていやらしくはなくて、とても魅力的。
もっとしっかり観ておくんだった!




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by hologon158 | 2018-12-05 18:14 | 美との対話 | Comments(0)

755.00 美との対話8「2018年10月22日この世の奇跡、敦煌石窟寺院に圧倒され」



今回は中国の美との対話。
世界の遺跡の調査が進むにつれて、
過去の文明が果たしてきた測りしれないほどの奇跡的な事業が、
各地に発見されつつあります。
その一つが敦煌ですね。

面倒なので、ウィキペディアから引用させていただきます。
「敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に
南北に1,600mに渡って掘られた莫高窟・西千仏洞・
安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、
その中に2400余りの仏塑像が安置されている。
壁には一面に壁画が描かれ、
総面積は45,000平方メートルになる。」
日本の仏像の国宝は、ネットによれば、合計136件。
そのうち、75件が奈良県にあり、関西だけで128件。
まあ、ほとんどが関西にあることになります。
敦煌には日本の国宝クラスが数知れずあります。

ウィキペディアによれば、
作られ始めたのは五胡十六国時代、
敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年で、
その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。
つまり、日本の仏像よりもはるかに古いものが沢山あります。
これに数知れないほどの壁画が加わって、
莫高窟は世界の至宝の一つに数えられています。
仏像だけとってみたら、約4年に1体ずつ制作されたのですから、
不可能な制作ではありません。
でも、どこの国に、1000年間も一つの地域で、
これだけの信仰の対象、信仰の証し、よすがを、
連綿と制作し続けることができたでしょう?

上記の本から、私の気に入ったものを選び出してみました。
完成度、美しさの高さは、信仰の高さを証明する、
と言うと、かなり事態をねじまげてしまいそうですが、
この地の人たち、莫高窟の建設維持に携わった人たちの、
真摯な祈りの気持ち、制作意志の強固さは、
もうそれはそれは凄まじく、まさに尋常ではありません。
現代人にこれだけの手仕事ができるんだろうか?

このように考えると、ここには、
人類の創造性の最高の証明の一つがある、
そう言ってよいでしょう。




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by hologon158 | 2018-11-27 15:32 | 美との対話 | Comments(0)

752.00 美との対話7「2018年11月17日神のごときレオナルドの美にひれ伏して」



人間の中にはスペシャルな人たちが居ます。
その才能が神によって与えられた、としか言いようのない人たち。
偉大な人間さえも遙かに超越している存在。
そんなに沢山与えられたわけではありません。
ほんの一握りでしょう。
思索で言えば、ソクラテス。
彼のあとには、沢山の天才的な思索家が続いています。
でも、彼らはすべて彼以前の巨人の肩に乗っかって仕事をしました。
ソクラテスは違います。
「汝自身を知れ」なんて、彼以前には誰も考えませんでした。
彼こそが「人間とは何か?」という根源的な思惟の創始者なのです。

ソクラテス級のスペシャルな立脚点を見いだした巨人は僅かです。
音楽で言えば、モーツァルト。
美術で言えば、もちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

ルネサンスの巨人たちの評伝「ルネサンス画人伝」の作者、
ヴァザーリは、中国史における司馬遷、
古代ギリシア史におけるヘロドトス、トゥーキューディデース、
といった偉大な史家ほどではありませんが、かなり近い存在です。
なぜって、司馬遷たちは、長い歴史のある一部に光を当てました。
彼ら偉大な史家が出現して、大変な筆力で事績を記録し、
人類の宝としたからこそ、その時代の英雄たちは歴史上燦然と輝き、
後世に永く記憶されることとなりました。
彼らがいたからこそ、その時代の英雄たちは特別な存在となりました。
たとえば、項羽と劉邦の人間性、器、才能の違いは、
人類共通の記憶となりました。
でも、たとえば、唐の大宗李世民、明の太祖朱元璋、清の始祖ヌルハチ、
このような項羽と劉邦に匹敵するような歴史的存在の人柄、人生、業績を、
あなたは知っていますか?
彼らには司馬遷に匹敵するような偉大な史家はいなかったからです。

ヴァザーリはそこまで大きな仕事をしたわけではありません。
もし彼が「画人伝」を書かなかったしても、
上記3人は美術史にほとんど比類のない名声の記憶を人類に残しています。
でも、とにかくヴァザーリは16世紀に出現して、
ルネサンス期の偉大な画人たちの生き生きとした記憶を書き記してくれました。
ヴァザーリはミケランジェロの弟子でしたから、
師匠の伝記が白水社の訳書上では136頁と突出しています。
これに続くのがラファエロの50頁、
ジョットー、ティツィアーノの30頁、
ダ・ヴィンチの18頁。

でも、各伝の冒頭に破格の讃辞を特記しているのは三人だけです。
レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ。
レオナルドに対する讃辞はその中でもさらに破格です。
「この上なく偉大な才能が、多くの場合、自然に、ときに超自然的に、
天の采配によって人々の上にもたらされるものである。
優美さと麗々質、そして能力とが、
ある方法であふれるばかりに一人の人物に集まる。
その結果、その人物がどんなことに心を向けようとも、
その行為はすべて神のごとく、他のすべての人々を超えて、
人間の技術によってではなく神によって与えられたものだということが、
明瞭にわかるほどである。
人々はそれをレオナルド・ダ・ヴィンチにおいて見たのである」云々。
ヴァザーリはレオナルドのことを、さらにこう言います。
「真に驚嘆すべきであった神的な人であった」

さらに、ラファエロの項にもレオナルドのことが記載されています。
「たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、男の顔を描かせても、
女の顔を描かせても他者の追随を許さぬものがあり、
とくに人物の優雅さや動きにかけては、
他の画家たちを遠く引き離している人だが、
彼の作品を見たときに、ラファエロは驚嘆し、茫然自失してしまった。
(中略)
全能力と全知識を傾けてレオナルドの様式を模倣するよう努めたのである。
しかし勤勉や努力にもかかわらず、いくつかの難しい点では、
ラファエロはレオナルドを凌駕することがついにできなかった。」

私は、ヴァザーリを読む遙か前に、レオナルドに出会った頃、
レオナルドのマントヴァ公夫人イザベラ・デステの素描に出会い、
それ以来、素描の神業にかけて、
レオナルドを凌ぐ人は居ないのでは、と考えてきましたが、
さらに、レオナルドの多くの素描、とくに自画像を見るにつけ、
さらに、ヴァザーリの「画人伝」を読んで、その思いをさらに強め、
現在まで意見を変えたいと思ったことは一度もありません。

上記の素描に描かれたマントヴァ公夫人イザベラ・デステは、
ルネサンスを代表する知性的な女性として大変に有名です。
その上、大変な美貌でした。
ところが、レオナルドは、上記の素描を一枚描いただけで、
それも他にやってしまい、ついにイザベラの絵は描かなかったのです。
しかも、たった一枚描いた素描のイザベラは横顔。
当時最も魅力的な女性であったのに、なぜ、こんなに消極的?

私は、こんな話が大好きで、勝手な謎解きを楽しむ癖があります。
ただちに、答えが頭に浮かびました。
私の回答はこうです。
レオナルドは、イザベラが嫌いだったのです。
賢いうえに、美しい。
その2つの武器を使って、男たちの上に君臨し、
イタリアの政界に大きな勢威を振るっていた。
イザベラは当代最高の女性として敬愛される生涯を過ごしました。
でも、誰よりも鋭敏で深い眼差しをもつレオナルドには、
イザベラの優雅な微笑みの陰にかすかな驕慢の奢りを感じたでは?
その上、女性よりも男性の方を愛する質であったことも手伝って、
レオナルドは、庇護者として君臨する女性に唯々諾々と従いたい、
なんて思わなかったのではないでしょうか?
まして、そんな女性のために、後世に残るような傑作など、
絶対に描きたくなかったのでは?

しぶしぶ描いた素描は横顔だったのもそのせいかもしれませんね。
正面像をまともに描いたりしますと、
レオナルドのイザベラに対するそんなマイナス感情がばれてしまう。
さりとて、本心を押し隠して、ただただ優美な公妃に見えるよう、
いわばフィクションとなるような描き方をするなんて、
彼には絶対にできない。
だから、なんとしても、描かないで済まそう、
そう考えたのではないでしょうか?

今回も、すべて顔を中心に、大幅にクローズアップして、
部分撮りに徹しました。
レオナルドの描線の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
いくつかはヨーロッパで直に観賞することができました。
作品世界の豊かさにおいては、ラファエロやミケランジェロに
はるかに及ばないレオナルドですが、素描のたった一本の線で、
それでも彼らに優るとも劣らない美の創造者であることを、
誰に対しても証明することができたのではないでしょうか?




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by hologon158 | 2018-11-17 22:19 | 美との対話 | Comments(0)

749.01 美との対話6「45年間も倫敦で水彩画を描いた牧野義雄に脱帽!」



図書館で「マイ・フェア・ロンドン」という本を借りました。
牧野義雄(明治2年12月25日生、昭和31年10月18日没)
著者はピーター・ミルワード、恒松 郁生、東京書籍
掲載された霧の都倫敦の風景画がとても楽しい。
どこもかも、いつも、もう霧だらけ。

牧野義雄という画家、
ロンドンの古き良き時代を45年間も描き続けたそうです。
これだけ一つの都市を描き続けた画家はそんなに居ないのでは?
しかも、外国で!

ウィキペディアの記載によれば、その画法は、
「牧野は霧を描くに当たり、
1910年(明治43年)に発表した自叙伝「日本人画工 倫敦日記」で
「水中に1時間入れて吸い取り紙の様になし、その濡れている内に描く。
乾くに従って近景を描く」と語る。
紙が十分濡れている内に遠くの最もぼやけた部分を描き、
乾くに従って近くのはっきりした部分を描くことで、
霧独特の奥行きある情景を表現した。」

本書に収められた絵を見る限り、
心象風景風の作品群は夢のエピソードという感じで、
音楽で言えば、フュージョンと言った印象。
ぐいぐいと心に食い込んで来るものは感じませんが、
ダルメーヤーのフレア一杯のレンズが大好きな私には、
とても好感の持てる光景です。

もっとも、当時のロンドンは産業革命まっただ中、
どうやら、気象現象の霧に当時の暖房燃料石炭のスモッグが混じり、
濃く、暗く、臭く、大変に健康に悪い現象だったようです。
そのために、何千という大量の死者を度々出したということです。

そう言えば、大阪府豊中市在の私も、子供の頃、冬になると、
数m先はまったく何も見えない濃霧の中を登校したものでした。
これが大好きでした。
でも、日本でも、ロンドンと同様、
濃霧には人為的な原因が絡んでいたのでしょうか?
当時は、山の上から大阪平野を見ますと、
大阪の上にくっきりと線があり、その下はどす黒いガス空間でした。
「ガス平線」と呼んだのは、確か徳川夢声だったと記憶しています。
台風一過の朝だけが、そうしたガス平線を吹き消していました。
今では「ガス平線」は無くなり、冬季の濃霧も稀になり、
大空は、大地から天空まですっきり見通せることが多くなってきました。
単なる気象変化とは思えません。
長年の空気浄化の努力のおかげでしょうか?

そんなことを考えると、
牧野義雄の絵もそんな汚れた空気の時代の記録とも思えて、
心から楽しむのは躊躇されますが、
一方では、私が愛するボケレンズたちの表現にも通じる所があり、
タンバールの幽玄にも通じる所もあり、
やはりここはスモッグのことは忘れて、
牧野の幽玄な表現の妙味を味わいたいものですね。

脱帽!




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by hologon158 | 2018-10-27 14:50 | 美との対話 | Comments(0)

746.00 美との対話5「2018年10月11日アンコールワットの美神たちと出会う」美神の誘い



アンコールワット
美しい響きですね。
いつか訪ねたいと思っていました。
敦煌、大ピラミッド、バールベック、パルミラ、
バビロン、ラサ、アンデスの遺跡、
そして、アンコールワット、
どこも、かなわぬ夢となってしまいました。

神様が「あと一回旅行させてあげよう」とおっしゃったら、
どこに行くでしょうねえ?
ちょっと思案してみましたが、
おそらく敦煌かアンデスの遺跡になるでしょうねえ。

でも、ふっと考えて、神様、いくら寛容でも、
許してもらえるのは、せいぜい2週間の旅だろう。
敦煌もアンデスも行ける場所はほんの一部になりそう。
神様けちだから、飛行機はエコノミークラスだろうなあ。
よしましょう!
自宅で、美と対面する旅を楽しむことにしよう。

図書館で借りたのは、
「アンコール・ワット:密林に消えた文明を求めて」
(「知の再発見」双書)
ブリュノ ダジャンス (訳 中島 節子)

石から刻み出された聖なる像たち。
石壁からポンと飛び出してくるような迫真性があり、見事です。

専門教育を受けたり、特別に修業したりした彫刻家が集まった、
などということはなかったでしょう。
いきなり、造ってみよう、と、石壁を刻み始めたのでしょうか?
それとも、私たちがもはや知り得ない神殿建築の伝統を、
継承したのでしょうか?
おそらく後者でしょうけど、
このような神域、寺院の建築を幾度も試みたわけではないでしょう。
石工たち、彫刻家たちが寺院建築の専門家だったわけでもないでしょう。

おもしろいことは、現代のカンボジアの人たちの風貌にかなり似ていること。
「カンボジアの美女」とか、「ビルマの美女」で、
グーグル画像検索をしてみてください。

どこの国でも聖像はその民族の風貌に似る傾向があります。
彫り師が見慣れた風貌をいわば理想化して刻みつけるのは当然でしょう。
アンコールワットは仏教遺跡だと思いますが、
刻まれた彫刻群の中で、女性の像がかなり多いのでしょうか?
彼らは天女、聖なる存在なのでしょうか?
それとも、諸佛を崇敬する信徒なのでしょうか?
いずれなのか、私には分かりませんが、
分かることが一つ。
みなさん、とても美しく、そして、とても肉感的!
製作者たちの好みが反映しているのでしょうね。

日本人の女性像とはまったく違いますが、
でも、とても魅力的です。
石の中からポンと飛び出たら、
次の瞬間、にっこり笑いそうに思えるほどに、
はちきれそうな生命感にあふれています。

12世紀前半、ヒンドゥー教の寺院として建立され、
15世紀前半、仏教寺院に作り替えられたのだそうです。
美女たちはヒンドゥー教の美神、美女たちなのかも知れません
ウィキペディアによりますと、
境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、
幅190メートルの濠で囲まれているというのですから、広大無辺、
どんなに目覚ましい絢爛豪華な大伽藍だったことでしょう。

参拝者たちにとって、参拝は、想像を絶する超越体験となったことでしょう。
参拝者たちは伽藍を彩る美女たちを憧憬のまなざしで見上げたことでしょう。
もしかすると、ガイドの僧侶が言ったかもしれません。
「仏法に帰依しましょう。
そうすれば、苦しみに満ちた俗世から浄土に昇天することができ、
浄土では、あのような美女たちがあなたを迎えてくれるでしょう。
そして、あなたは極楽の歓楽を永遠に尽くすことができるのです」
男性信徒にとっては、ありがたいお説教よりも効果的だったかも?




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by hologon158 | 2018-10-11 18:03 | 美との対話 | Comments(0)

744.00 美との対話4「2018年9月26日日本の秘仏たちのふっくらの美しさに打たれ」



図書館で「日本の秘仏」(平凡社)を借りました。
各地のお寺の秘仏を特集したもので、
見事な精密描写の仏様の写真が並んでいます。
掲載写真をお借りしてブログに記録するときには、
デジタル写真の記録性のメリットを感じます。
複写しても、あまり画像が劣化しません。

でも、仏様としてのありがたみはかなり薄れてしまう感じがします。
美女の肌をシミ、そばかすまで写し取ってしまうのに似ています。
写りすぎです。
デジタルカメラやデジタル写真ソフトは、
そうしたシミ、そばかすをデジタル処理してしまいます。
現代の映画やポートレートに浮かび上がる美女たちは、
精緻きわまりない化粧に画像処理が加わって、
天女のようで、現実の女性とは完全に異質な存在です。
孫の家でテレビを見ましたが、
あらゆる番組の登場人物が毛穴一つない妖精じみた真っ白お化け。
強烈な違和感を覚えました。
みなさん、慣れてしまったのでしょうか?
結局、テレビに出現する存在はすべて人間ではない、
ただの映像、イメージなのです。

ちょっと話が逸れましたが、
デジタル処理でいやが上にも精緻な画像に処理された仏像たちは、
私が複写してブログに掲載するレベルになると、
かなり現実の存在に近い位に画像が劣化します。
まだ我慢ができる程度。

昔、新薬師寺の十二神将を撮影したいと思ったことがありました。
でも、特別撮影許可をもらうためには10万円ほども要ると聞いて、
諦めました。
そのときも、断念することに躊躇はありませんでした。
写真家ではないのです。
それだけのお金を出して三脚に35mmカメラを据えても、
どうせ補助光はストロボ1灯かせいぜい2灯。
陰の多い不自然な明暗のさえない仏像写真が撮れただけでしょう。
仏像写真家たちが撮った傑作仏像写真をお借りして、
ブログ記事を作るなら、安上がりだけではなく、
私なりに仏の心を感じることができるかも知れません。

仏教国はいくつ位あるのでしょうか?
そして、仏像を安置した仏教寺院のある国はいくつあるでしょうか?
私は知りません。
私が知る限りでは、元祖インドのほか、
中国、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジア、韓国、台湾、
そして、日本でしょうか?

おもしろいことに、顔が少しずつ違うのです。
お国柄、民族色がしっかり反映されています。
同じブッダがそれぞれの国の人に似ていますね。
インドでは、ブッダははっきりインド人です。
中国も、インドほどではありませんが、中国民族的です。
日本の場合は、仏教が外来宗教であるせいでしょうか?
やや異国的、つまり、中国的という感じがします。
はっきりと日本人に似た仏像と言えば、石仏でしょうか?

今回収録の仏様たちは一定時期の限定公開秘仏ばかり。
かつては、秘仏にもひっそりお目にかかることができました。
今はおそらくワンサワンサの群衆に揉まれかねないでしょう。
参りません。


1 5349 滋賀県大津市 盛安寺 十一面観音立像

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2,3 滋賀県守山市 福林寺 十一面観音立像

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4 京都府加茂町 浄瑠璃寺 吉祥天立像

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5,6 滋賀県大津市 園城寺 訶梨帝母倚像

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7 奈良県斑鳩町 法隆寺 救世観音立像

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8 奈良市 五劫院 五劫思惟阿弥陀像

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9 広島県尾道市 摩訶閆衍寺 十一面観音立像 

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実はこの記事を書く前に、
「日本の秘仏」は図書館に返してしまいました。
すでにパソコンに取り込んでおいた画像の順に、
私愛用のテキストエディタMiにデータを記載しました。
ところが、いざ画像をブログに取り込む段になって、
なぜかどれがどれやら分からなくなってしまいました。

そこで、ネットで検索してみたのです。
驚きました。
私が本書から取り込んだ画像としっかり対照できる、
そんな精密画像はネットにアップされていない!
秘仏は、ネットにさえも公開されていない?
そうすると、そんな秘仏たちを精密画像で掲載する、
この「日本の秘仏」は、本気に秘仏たちのお姿を拝見できる、
数少ないチャンスを提供してくれているのかも知れません。
実際にお寺で拝観できたとしても、
厨子の奥深くに収められて、間近に近寄れないでしょうから。

もう1つ、面白い発見。
秘仏には、観音様を初めとする女性像が圧倒的に多い!
これも当然でしょうか?
上代からお寺さんたち、その美しさに酔いしれるあまり、
ちょっと恋心も手伝って、
「俗人たちになど見せるのはもったいない!」

そんなかなり俗っぽい想像をしてしまうのは、
観音様たちがとても美しいからなのでしょう。
制作年代はさまざまなのでしょう。
でも、どなたもふくよかですね。
そのあたりからも、感じるのですが、
日本人はかなり長い間中国文化、中国思想の影響を受けてきました。
仏教も、直接インドからではなく、中国仏教のフィルターを通りました。
理想の女性像についても、もしかすると同様のフィルターがあり、
美女の理想と言えば、中国の美女を思い浮かべる伝統が、
日本には静かに定着していたのかも知れませんね。
そのおかげで、僧侶も仏師も信者たちも、
ふくよかな頬の容貌にとりわけ惹かれてきたのかも?




by hologon158 | 2018-09-26 18:46 | 美との対話 | Comments(0)

742.00 美との対話3「2018年9月19日中国古代の青銅器文化にただただ唖然」


図書館で次の本を見つけました。

  「中国古代の造形」(杉原たく哉) 小学館

あんまり凄いので、自分でも購入しました
次々と登場する中国古代の青銅器等の発掘品たち。
もう唖然とする異貌の世界。
まず、ざっと並べてみましょう。。
説明しませんから、ただただ、味わってください。




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とりわけ驚いたのは、三星堆の発掘品です。
2枚目の黄金仮面と3がそれです。
顔の峨々たる輪郭、
超自然的な風貌、
厳格な表情、
飛び出た目、
なにもかもが人間を超越しています。
まさに仮面ですが、これに限らず、
古代中国人たちの想像した造形美術は、
いずれも現実界を超越した異貌、異形です。

古代中国人がリアリズムを知らなかった、
写実のアートを創造する能力などなかった、
ということが絶対的にありません。
ちょっと後世になりますが、秦の始皇帝陵の兵馬俑が、
中国人陶工たちの写実力を十二分に証明しています。
4枚目、5枚目がそれです。
さらに、古代の中国人たちの生み出した動物像、
とくに9枚目の馬を見れば、
中国人たちがリアルな動物たちの姿をありのまま認識し、
かつリアル無比に造形する能力を持ちながら、
なぜかデフォルメしているのです。

縄文土器を思い出します。
縄文人は上記の古代中国人よりも数千年も先んじて、
人物像、動物像、土器を生み出しました。
これこそ、古代史最大の謎です。
大陸文化の影響を受けたのだとする説があります。
ところが、いつまで経っても、縄文文化に先行する文化は、
中国大陸に見つかりません。
数千年遅れてやってきた文化が縄文文化に影響を与え?
これじゃ、まるでSFの世界です。

この縄文文化の産物たちも、
不思議なことに、すべてが例外なく、
写実を遙かに超越した異貌、異形の創造物なのです。
いわゆる遮光器土器と呼ばれる異形の人形たちを思い出してください。
遮光器を付けているのだとする説が有力ですが、
じゃ、顔の下半分はどこに行ったのですか?
口がちょぼっと付いているだけ。
猛烈なデフォルメ、アブストラクトの表現?

顔全体を覆うような遮光器って、見たことがありますか?
遮光土器はほぼ全部異様なほどに膨らんだ服を着用しています。
縄文人たちはこんな異様な紋様、異様なデザインの服を
着けていたのでしょうか?
三星堆の仮面と同じくらいに、異様な存在、
そうではありませんか?
遮光器を付けていただろう、なんて軽く済ませて、
分かったつもりになるのは、いささか軽薄すぎるのでは?

人類は飛躍的に脳量が増大したホモサピエンスに進化して以来、
いかなる進化も示していないそうです。
つまり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も、
現代人と風貌、体型ともに変わらないのだそうです。
かつてはネアンデルタール人がゴリラ風の顔に復元されていましたが、
発掘されるサンプルが増加した現在、
上記の風貌はある種の疾患のせいで、通常の人たちのは、
現代人のヴァリエーションの幅に入るのだと分かっているようです。
つまり、超古代人たちは、外観、中身とも、
現代人とぜんぜん変わらないのだそうです。
今でも、裸になってジャングルを飛び回れば、
古代ネアンデルタール人より野生的な人がたくさんいますね。

大阪の御堂筋線の地下鉄に乗る度に、驚愕に近い印象を受けます。
もちろん、私もそんな一人なのでしょうけど、
なにしろ一生見慣れてきたので、自分のことはさておくことにして、
こんなに人間って、バラエティに富んだ体格、容貌、スタイルなのか!
海外の人も多くなっているせいもありますが、
それ以前から同様の印象をずっと受け続けて、笑ってしまいます。
これが日本人だ、これが中国人だ、なんていう基本体型など、
存在しません!

ということで、1万年以上前に日本を闊歩していた縄文人たちも、
はるか後世の古代中国人たちも、現代人と同様の写実力を有していた。
でも、彼らは、通常、現代人にはまねができないほどに、
奇想天外な異形の造形を連綿と生み出し続けたのです。
とりわけ強烈な異形の文化の展開が見られるのは、
四川省の三星堆遺跡。
今回の掲載分では3枚目だけなのですが、
三星堆の発掘品はみなこれに似て、異様そのものです。

ウィキペディアによれば、遺跡は広大です。
東西5〜6000m、南北2〜3000m、総面積12平方キロメートル、
紀元前2800年頃から約2000年続いた文化だということです。
一大文化、政治勢力がここで栄えていたのでしょう。

中国の中心地帯を支配した王朝を並べてみますと、
夏は紀元前2070年頃から1600年頃まで、
殷は紀元前1600年頃から紀元前11、12世紀まで、
周は紀元前1046年から256年までだそうです。
とすると、三星堆文化は夏よりはるか前から始まり、
周の支配になってから200年ほども続いた、
超古代文化だと言えそうです。
ところが、どうやら中国の正史には記載されていない!

私が読んだ当時の史書と言えば、春秋左氏傳と史記だけですが、
三星堆に関する記事を読んだ記憶はありません。
私の推測する真相はこうです。
どの国の歴史もそうですが、
中国でも、その版図の諸国はさまざまに交流し、
さまざまに影響を与えあって進展してきたことでしょう。
でも、そのすべてを目撃し、記録することなど誰にも不可能です。
ある特定の時代にある特定の史家が、彼の手の届く限りの情報を前にして、
史書に記録するに値すると彼が判断した事績を記載して、
史伝を編纂します。
そうすると、人間たちの苦闘の歴史は連綿と続いていたのですから、
正史の記載に漏れたものが、後世の私たちにとって、
本当に知るに値するものではなかったはずと、とても言えませんね。
三星堆はこうして左傳、司馬遷の筆から抜け落ちてしまったのですが、
だからと言って、中国の政治文化史に取るに足りない小枝だ、
と即断することはできそうにありません。

そこで、三星堆の歴史を推測してみましょう。
三星堆文化は殷時代から西周時代にまたがっています。
人類の常として、政争紛争はなかったわけではないでしょう。
でも、我が国でも、およそ1万5000年前から紀元前の終わり頃まで、
縄文土器を作り続けた文化が続いたのです。
さまざまな政争紛争があったとしても、
同一文化圏の部族紛争の域を超えなかったから、
縄文文化が続いたのだと言えそうです。
そうすると、三星堆文化も周辺諸国と無用に争わず、
むしろ平和共存を続けたからこそ、長く続いた。
まさに中国の縄文文化に比肩できるような、
平和の文化だったのかもしれませんね。

その傍証がある、そう考えたいのです。
中国の諸都市がそうであるように、三星堆も城壁で囲まれていました。
でも、残された遺物たちは、博物館に展示されている限り、
青銅の目を見張るような遺物たちに傷、損傷、破壊のあとはありません。
敵国に滅ぼされた遺跡と平和裡に衰退滅亡した遺跡は違います。
モヘンジョダロを思い出して下さい。

当時、青銅は剣、槍、甲冑にも使用されていたはずです。
征服した部族、種族が三星堆の人々と信仰をともにしていたとすれば、
そもそも戦争などなかったでしょうし、
もし異種であったとすれば、
これらの巨大な青銅製品は武器に作り替えられてしまったでしょう。
それなのに、完璧な形で埋没して見つかったということは、
三星堆文化は人知れずひっそりと歴史の襞に覆われて地中に消え去った、
そう考えるほかはないのではないでしょうか?

いずれも想像を絶するような形姿のお面たち。
おそらく三星堆の人たちの風貌の一部は継承しているのでしょう。
でも、あくまでも厳格そのもののまなざし、表情は人間を超えていて、
まさに神寂びた佇まい、気配は神々しささえあります。
三星堆人はまさに神と対座し、神に語りかけていたのでしょう。
もしかすると、三星堆人は人間境と神境とは、
重なりあう別次元の同一世界と感じていたのかもしれませんね。






by hologon158 | 2018-09-19 21:33 | 美との対話 | Comments(0)

736.00 フラ・アンジェリコ「2018年8月13日フレクトゴン35㎜F2.4が聖画と会う」




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私は夏季休暇をかなり取れる職業を選びました。
どうやら夏はしっかりお休みをとる、という習慣が、
子供の頃についてしまって、その癖は治らなかったようです。

そして、私の孫プリンス6歳が生まれて初めての夏休みに、
宿題を最初に3日で全部仕上げてしまったと聞いて、
「夏は遊ぶ」という性癖は遺伝性なのかも知れない、
と、本気で疑うようになっています。

その夏休みを利用して、海外旅行を楽しみました。
最初はツアーでしたが、後半になると、一人旅でした。
残念ながら、イタリアは2回、マイナーな場所だけ。
ルネサンスの本場フィレンツェ、ヴェニスは行かず仕舞い。
ちょっと心残りです。

おかげで、偉大な画家たちの絵に接したのは、
他国の美術館の展示で、という結果に終わりました。
イタリアルネサンスの画家の傑作の多くはフレスコ画なので、
ついに無縁のままになってしまいました。
おかげで、偉大な宗教画家のジョットー、フラ・アンジェリコは、
画集だけのお付き合いになってしまいました。

先ほど、このブログ記事を書く参考にしようと、
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」(白水社)を書棚から取り出し、
目分量でさっと頁を開きました。
すると、開いた頁は81頁、
どんぴしゃり、「フラ・アンジェリコ」でした。
なにかご縁がありそうです。

その頁に、
「落ち着いた善良な性格であったため、心の安らぎ、
特に魂の救済を願い求めて、伝道修道会に身を投じるに至った」
本当に、そんな人が描いた絵ですね。

ヴァザーリは、彼の絵を眺めるときの気持ちを描いています、
「信じがたいほどの優しい感情が心の中に湧いてくる。
これらの祝福されたる魂は天国以外には存在しないような気がしてくる。
いや、これらの魂に肉体を与えるならば、このような表現以外なかった、
と言った方がよかろう」

そして、
「この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見当たらない。
作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描き直したりはしなかった。
最初一気に仕上げたままで置いておくのが常だった。
それが神の思し召しだというのが本人の言葉であった」
これらの言葉が絵の印象とぴったり一致しているのが素敵ですね。

立体感はかなり不足しています。
それを補うように、清澄な空気感に満たされています。
そんな表現が題材にいかにもふさわしいですね。

ちなみに、私は、幾度も書きましたように、無宗教です。
形だけでも、信仰者のふりをする、そんなことはできません。
だから、でしょう、
様々な宗教のあらゆる種類の造形をアートとして鑑賞できます。
純粋にアートとして味わうので、本来の受取方ではないのでしょう。
でも、そんなことはどうだって良い。
人が私のことをどう考えるかは、その人の問題。
私の知ったことではありませんから。

フラ・アンジェリコの絵も良寛さんの書もひとしく、
静謐の気に満ちています。
響きは神韻、そんな感じがします。
フラ・アンジェリコも良寛もなにかを描き上げた瞬間、
にっこりとしたことでしょう。
そんな肯定的な気配を味あわさせてくれるのが素敵ですね。







by hologon158 | 2018-08-14 16:47 | 美との対話 | Comments(2)

733.02 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が源氏」2 女性たち

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「源氏物語」は、基本的には男性中心の物語かも知れません。
でも、「源氏物語絵巻」となると、絵巻だけに、
描写の中心は基本的に男性と女性が対等という感じ。
ずらっと順不同に並べてみました。
平安朝の美女たちって、かなり現代の理想からは離れていますね。
これを見て、お感じになるかも知れません。
なんだ、平安朝の女たちって、みんなお多福さんじゃないか?
現代に来たら、あまり評価されなかった部類の女性たちが、
この時代には幅を利かせていたんだなあ、

でも、このような考え方は大間違いですよ。
時間という要素を都合良く取り外してしまい、
自分の時代中心、つまり、自分の好み中心にしているから、
そんな風に感じるのです。

よく考えてみて下さい。
あなただって、平安時代の高位のお公家様に生まれていたら、
まるで違った感じ方をするに違いないのです。
どの時代も、大生はその時代の風流に応じて、美女の理想を育み、
どの時代も、女性たちは当代の美女の理想に向かって変身してきたのです。
若紫や玉鬘も現代に来たら、私たちが身震いするほどの美女に変貌するでしょう。
でも、現代の目が大きく、鼻がつんと高い美女たちも、
平安朝に飛んだら、これらの絵のような慎ましやかな淑女、乙女に変身するはず。

ただし、一つだけ、留保があります。
絵巻の美女たち、一人として、目を上げていません。
慎ましく淑やかに伏せています。
でも、もし顔を上げ、目をぱっと見開いたら、
輝く瞳の大きな眼だったかもしれないのです。

平安朝の絵師たちは、いわゆる「美女」を描くとき、
リアルな容貌を避けて、
当時の美女のイコンに沿った相貌を採用したようです。
浮世絵も同様です。
そのために、私たちは、平安朝の女たちは下ぶくれのお多福顔だったし、
江戸時代の女性はちょっと面長で小さな目鼻ののっぺり顔だった!
でも、そうでしょうか?
何時の時代も、さまざまな容貌の女性が居て、
美女と言われる女性たちの容貌も様々だったはずです。
Youtubeで時折江戸末期から明治にかけての美女たちの写真がアップされます。
仰天ですね。
現代でも稀なほどに、現代的な理想の美女を思わせる、
切れ味豊かな眼差しで、頭脳明晰を思わせる女性たちが登場します。
平安時代でもそんなに違いはないのでないか?
そのように考えても、あまり不思議ではない感じ。

その理由の一つ。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人の頭蓋骨、
さらには古代シルクロードの発見遺体の頭蓋骨を復元すると、
おどろくほど現代人と変わりません。
ときおり、かなり類人猿風に先祖返りしているのが見つかりますが、
これはなんらかの病的な変形ではないかと推測する学者もいます。
つまり、人類学者は、
人類は数万年前にすでに現代人同様の状態にまで進化しており、
その後は進化を気配を見せていないので、
数万年前の人間は現代人と身も心もなんら変わりはなかったと考えているようです。

こんな風に考えてきますと、
ということは、紫の上は実在していたら、
化粧をとった昭和の美女たちとあまり変わりのない美貌だっただろう、
いや、それどころか、私たちが出会っても、
本当に身震いするほど美しかった!
そう推測しても間違いのではないでしょうか?
そんな風に考えてきますと、
源氏物語の美女たちがますます生き生きと、
ますます温かく、蘇ってくるようではありませんか?

それにしても、絵巻の画家の描写力、色づかいのセンスは天才的ではありませんか?
控えめで、上品で、繊細。
このような表現は、平安朝の貴族階級の人々の正確な表現だった感じがします。

今回の女性たちは高貴な身分の姫君、奥方、そしてその女房たち。
かなり振幅のある階層の女性たちなのですが、
ご覧になって、一つ、全女性に共通する点があると思いませんか?
よーくご覧になってください。
現代女性にはほとんど期待できない表情ではありませんか?
そう、そうですね。
全員、伏し目、ですね。

これはなにを意味するのでしょうか?
教育においても、結婚においても、その後の人生においても、
終始、受け身の姿勢で生きること、それが当然、
そう考えていたのでしょうか?
源氏物語をお読みになった方ならお分かりでしょうが、
そうでない女性も登場します。
でも、現存の絵巻部分に残されている女性たちは、
どうやら伝統的な受け身の姿勢を進んで選んでいるようです。

でも、これらの女性たちをじっと見ていたら、
いや、当時の女性たちも肝心要の土壇場では、
きっと目を見開いて、
男性どもにガツンと反撃を食らわせたのでは?
そんな感じがします。
歴史の転回点と言える重要な正念場に登場する女性たちが、
腰砕けになりそうな夫や子供を叱咤激励して、
試練を立派に乗り越えさせた、そんな例はいくらでもあります。
源氏物語絵巻の女性たちを眺めていると、
平安時代でも同様だったのでは?
そんな感じがしてきました。






by hologon158 | 2018-08-02 18:09 | 美との対話 | Comments(0)