わが友ホロゴン・わが夢タンバール

カテゴリ:美との対話( 15 )

769.00 美との対話14「2018年12月8日フレクトゴン35㎜F2.4がマネに惚れ惚れと」深い表情





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エドゥアール・マネ、
彼のことで知っていること、と言えば、
フランス印象派の始祖の一人であること、
「草上の昼食」、「オランピア」と、
なにかと物議を醸す問題作に敢えて挑んだ画家であったこと、
「笛を吹く少年」を切手で見たこと、
この程度しか知りません。

でも、画家のことについて何も知らなくても、
絵を楽しむためには何の不足もない、私はそう考えます。
古代からもさまざまな傑作のほとんどは、
作者に関する情報など皆無。
だから、その作品を本当の意味で観賞し評価することができない、
なんて言う人が居たら、袋だたきに遭うでしょう。

ですから、マネについては、あえて改めて調べたりせず、
絵だけを見つめることにいたしましょう。
ずらっと通観してみて、一つ感じることがあります。
印象派の多くの画家が女性を好んで描いたようですが、
マネの女性たちは、晩年のルノアールの女性たちに比較すると、
むしろ謹厳に近いかなり内省的、内向的な性格に見えます。

私は、女性写真をほとんど撮りませんが、
子供たちの写真を撮るときは、
孫を含めて、子供たちは心を外界に向けて全開しているものです。

マネはこれらの女性たちを描きながら、
心の中で何を考えていたんでしょうね?
人物たちの表情には、いつも何か静かに沈潜していくような、
思いが漂っている、そんな感じがします。
たとえば、家事や仕事に没頭している女性の頭の中は、
今やっている作業の手順、次の手だてなどで一杯でしょう。
そんな感じではありません。
来し方、行く末にじっと思いをこらしている、
そして、その思いはとても深い、そんな気配。
「草上の昼食」、「オランピア」の女性でさえそうです。
どのような階層の女性であれ、賢いのです。

現代の肖像画、とくに、スーパーリアリズムの女性画からは、
そのような内面の思いを感じ取ることはできません。
ただの外観だけが丁寧に、でも、かなりテクニカルに達者に、
カンバスに描き込まれています。
でも、ただ、それだけ。

なぜでしょうか?
私は画家の責任ではないと考えます。
そうじゃなくて、女性が、いや人間全部が、物心ついてただちに、
テレビその他のさまざまなコミュニケーション手段に心を取られ、
内省的な思いを凝らす時間を奪い去られたまま、日々を過ごしている。
だから、自分の心に沈潜する時間どころか能力まで、
次第に次第に失いつつある、そんな感じがします。

ですから、たとえば、電車の中で乗客を一人一人眺めて行っても、
その半数以上は携帯に眼を凝らし、あるいは耳を傾け、
それ以外の人もうたた寝をするか、それとも茫然無為の表情。
私にはそんな感じがします。
昔、携帯などなかった時代、乗客の半数以上は読書をし、
新聞を読み、そうでない人は何かを考えてる表情だった、
そうしっかり記憶している。

世界の支配は人間の手から機械に渡りつつあるのではないか?
段々心配になっています。

マネの女性たちの思い豊かな表情を取り戻す、
これが現代文明の課題ではないでしょうか?






by hologon158 | 2019-01-22 11:58 | 美との対話 | Comments(0)

765.00 美との対話13「2018年12月28日ベラスケスの神秘の肖像画たちに讃美あれ!」



「ラス・メニーナス(女官たち)」をご覧になったことがありますか?
マドリードのプラド美術館の至宝、というより、世界の至宝ですね。

私はこの世の至宝とも言うべき美術史上の最高傑作を
いくつか観ることができました。
私にとっては、その記憶は薄れることのない生涯の宝物になっています。

 ベラスケスの「ラス・メニーナス」 マドリード・プラド美術館
 ファン・エイク兄弟の「祭壇画」  オランダ・ヘント
 フェルメールの「デルフトの眺望」 ベルギー・デルフトのマウリッツハイス美術館

内2つをとれと言われたら、「ラス・メニーナス」と「デルフトの眺望」
でも、1つに絞れと言われたら、そんな要求をする人を蹴飛ばしてしまうでしょう。

「ラス・メニーナス」を展示してある暗い部屋に入ったときのことを、
私は忘れることができません。
3.18m×2.76mという大作です。
タイムマシーンでベラスケスが描いている部屋に入り込んだ!
そう直感したのです。
それほどに人物たちが生彩溢れる姿で目に飛び込んできたのです。

彼が「ラス・メニーナス」を描かなかったとしても、
彼は十指をもって数え切れないほどの、
神々のごとき偉大な画家たちのパンテオンに列する画家の一人。
でも、「ラス・メニーナス」を描いたことによって、
ベラスケスはその頂点に立つ存在になった!
私はそう信じます。
もちろんベラスケスに勝るとも劣らない人が幾人か居ます。
人によって挙げる画家は違うかも知れません。
でも、「ラス・メニーナス」をひとたび観たなら、
ベラスケスの偉大さを認めないわけにはいかない。
私はそう確信しています。

彼が描いたもう一つの大作が、「ブレダの開城」
これはさらに大きくて、横3m70、縦3m05もあります。
実に堂々としたモニュメンタルな大作ですが、
勝利者であるスペイン軍の将軍アンブロジオ・スピノーラは、
へりくだりつつ門の鍵を差し出す敗将の肩に手をやります。
その花も実もあり武人の姿がこの絵の価値を高めています。

そして、この絵にはとてもおかしな部分があるのです。
スピノーラうしろに控える部将らの内の貴族が一人、
オランダ軍の敗将のうしろに控える銃兵らしき将校が一人、
どちらも脇見をしていて、しかも、その姿、表情から、
脇見の対象ははっきりと画家であることを暗示している、
そんな風に感じられるのです。
というのは、その仮想上の画家を見つめるもう一人の人物を
描き加えているのですが、この人物、実は画家自身なのです。
そのまことにさりげないたたずまいが笑いを誘います。
画家が画家自身を見つめている仕掛けに得意を感じている、
そんな風情。
どうやら、こういうことではないでしょうか?
現場にいなかったベラスケスが自身をこの事件の当事者に仕立て上げ、
しかも、絵の中でそのことを自白しているのです。

そうすると、ベラスケスという人間が浮き上がってくる感じがします。
じゃ、こういうことじゃないのでしょうか?
彼は、「ラス・メニーナス」でも、王室の誰よりもくっきりと、
自分の姿を描き込んでいるのです!
どちらも極めて公的な主題なのに!
なぜ?
彼は、自分が自分の絵のモデルたちよりも、
はるかに重要な人間であることをすでに知っていたのです!

上記は、私が今思いついた、いわば単なる「思いつき」です。
でも、なんだか間違っていない、という感じがします。
代表作2作に仕掛けた、極秘のウィット。
ベラスケスという人を理解するうえで、
とても重要な「描き込み」、という感じがしてなりません。

このような画家が他にいたでしょうか?
彼は自分の作品がどちらも美術史だけではなく、
ヨーロッパの歴史に残る大作であることも知っていたのです。
そこで、彼はそんな歴史の大舞台に自分自身の姿も遺したい、
そうして、自分がそのことを知っていたことを後世に知らせたい、
密かにそう目論んで、
まんまと実行し、かつ成功してのけたのではないでしょうか?

ベラスケスには、心の底から仰天するような力作、大作が、
他にも沢山ありますが、もっとも瞠目すべき傑作は、
私はこれだ、と、はっきり確信する作品があります。

「ファン・デ・パレーハ」

自分の弟子を描いたポートレート作品。
どうも黒人らしい風貌です。
昔、どこかで読んだ話ですが、
ベラスケスは暗く仕組んだ舞台に2つの額を並べました。
どちらも黒人の肖像画です。
ところが、その一つはモデル自身で、
誰もその区別をすることができなかった!
この絵だったら、それは実話だったんだなあ、
そう思わせる見事に生彩溢れる仕上がりです。
それが実話かどうかはともかくとして、
そんな逸話が生まれても不思議はない、そんな風に思わせる、
なんとも生彩溢れる活き活きとした表情ではありませんか?

しかもよく観れば、明らかですが、
この17世紀の画家は、精密に生き写しを作ろうとしていません。
随分ざっくりと大きく筆を使っています。
そして、あんまり色を重ねず、あっさりと描き切って、
しかるべき位置に立つと、
生命感溢れる現実存在が立ち上がってくるのです。

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、レンブラント、
フェルメール、セザンヌ、ピカソ等々、
美の巨人たちに比較しますと、知名度は少し落ちる感じがします。
時というふるいがさらに働くことで、
ベラスケスの存在はさらにさらに大きく高くそびえ立つだろう、
私はそう確信しています。




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by hologon158 | 2018-12-28 22:10 | 美との対話 | Comments(0)

763.00 美との対話12「2018年12月23日比類無き美の創造者ピカソに圧倒されて」



ピカソは生涯に一体どれだけの創作をしたのか?
さまざまな議論があるようです。
ウィキペディアによれば、
生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、
300点の彫刻と陶器を制作したとされています。
このように、作品の数が研究対象になるあたりがピカソとフェルメールの特徴。
ピカソはそのあまりの多さに、
フェルメールはその少なさに、関心が集まったようです。

でも、結論から言えば、ピカソの創作数は謎の謎と言って良いでしょう。
ウィキペディアが丸い数で統計していることからも明らかなように、
議論される数はどうしても丸い概数になります。
当然です。
ピカソ自身は、自分の制作をカウントしていたのでしょうか?
彼の創作態度は奔流のようなものです。
冷静にカウントするなんてしたはずがない。
だとすると、その場にいない誰かがどうやって記録できたのですか?

上記の丸めた数だけでも大変なものです。
1892年、ラ・コルーニャの美術学校に入学したとのことですから、
これを創作開始時期と仮定し、
死ぬまで描いたと仮定すると、終期は1973年4月8日。
丸い数にして、80年連続して創作したとしましょう。
すると、29200日(閏年無視)。
ウィキペディアの推定総数は14万7800点。
つまり、毎日休みなく創作しても、一日5点!
旅行とか病気とか、1点も創作できない日もあったでしょうから、
実際には、さらに沢山の創作を日々重ねないと、ノルマは達成不能。

かなり以前にドキュメンタリーを観ました。
ピカソがアクリルの透明板に絵を描く姿を撮影したものです。
透明板ごしに撮影されているのです。
描いては消し、書いては消しと、めくるめく万華鏡さながら。
そのスピードは圧倒的、見ている方で笑い転げてしまうほど。

ピカソの心と体はどんな風に出来ていたのでしょうね?
アートにおける偉大な天才たちの誰とも同じで、
お互いにも誰とも似ていなかったでしょう。
つまり、私たちにはまったく想像もつかない心と体。

とりわけピカソは怒濤のような創作衝動に突き動かされて、
まさに憑かれたように筆を走らせたのでしょう。
ピカソにはかなり確然と画風を変革していったようです。

ピカソの絵をピックアップして並べてみましょう。
そして、彼の作品をずらりと通観してみますと、
どんな時期の絵にも、歴然とピカソの手が感じられる、
そうではありませんか?
ほとばしるような勢いは不変です。
内からわき上がって来る力感も不変。
当たり前です。
作風は違っていても、
画家は一貫してピカソを生きたのですから、
ピカソはどこまでもピカソだった!
そうではありませんか?





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by hologon158 | 2018-12-24 22:21 | 美との対話 | Comments(0)

762.00 美との対話11「2018年12月18日象徴主義の巨匠モローに魅せられて」



大原美術館に行かれたことがありますか?
ここに、ギュスターブ・モローの「雅歌」がありますね。
二度参りましたが、いつもこの絵に魅せられてしまいました。
そこで、モロー見たさに、東京のブリジストン美術館にも参りました。
ここにも名品「化粧」があります。

どちらも水彩の小品ですが、たとえようもなく美しい作品です。
水彩でどうしてこのような幻想的な表現ができるのだろうか?
見る度に、目を疑います。
一歩踏み外すと、ただの風俗画に堕する素材を限りなく純粋に描いている、
そんな不思議で奇跡的な業としか良いようがありません。

今回、モローのことをネットで調べてみて、
彼がマティスとルオーの先生であったことを知りました。
二人とも師匠とは全然違う作風、画境を生み出した独創的な画家です。
美術史においては、師匠を遥かに凌駕する存在かも知れません。
でも、そんな業績の基礎、根底にモローの教えがあったかも知れない。
そうだとすれば、なんだかしっかり納得できる感じもする。
美術についてはぜんぜん素養の無い私が納得しても、
誰も納得しないでしょうけど、かまいません。

ウィキペディアから引用させていただきます。

象徴派がリーダーと見做すのはポール・ヴェルレーヌであり、
その「詩法」(1874)は象徴主義の規範を定めている。

  それというのも我々はニュアンスを望むから、
  色彩ではない、ただニュアンスだけを!
  ああ! ただニュアンスだけが
  夢と夢を、フルートと角笛を調和させる!

なんだか、なにを撮っても、私の望むなにか異貌のイメージを感じさせる、
そんな撮り方をしたいと考えているのが、私のロボグラフィ。
ちょっと象徴主義的な傾斜があるのかも知れない、
あったら、いいな、という気持ちになっています。

象徴主義の代表的な画家モローから、
私が愛するイメージを下記の書からコピーして掲載させていただきます。

ギュスターヴ・モロー―絵の具で描かれたデカダン文学
鹿島茂著 (六耀社アートビュウシリーズ) 

ウィキペディアによれば、没後、彼のアトリエには、
油彩画約800点、水彩画575点、デッサン約7000点が残っていた、とのこと。
一生を神秘な女性たちに捧げた、そんな感じがしてしまいます。




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by hologon158 | 2018-12-18 22:08 | 美との対話 | Comments(0)

759.00 美との対話10「2018年12月9日モジリアニも螺旋が好きだったみたい」



前回のケルト紋様の話題をつないでみましょう。
今回はモジリアニと対話してみました。

ずらりとマックの画面に並べてみて、感じました。
モジリアニはわざと歪めているんじゃないんだ!
ケルトの螺旋紋様と同じく、螺旋を描く命の線なんだ!
奇をてらって、わざわざ歪めたのではないのです。
モデルと対峙して筆を進めてゆくと、
気がついたら、命のエネルギーが立ち上る気を感じて、
その上昇線に合わせて生き生きと筆を走らせてゆくと、
こんな絵になった、ということではないでしょうか?

私はモデルとなる人物を前にして絵を描いた、
という体験を持っていません。
でも、かってに想像するのですが、
もしモデルさんがなにかの事情で完全に気落ちしていたら、
絵なんか描けないでしょう。
もしモデルさんが絶望のあまり滂沱と涙を流していたら、
やっぱり、絵なんか描けないでしょう。

昔、まだカメラ雑誌を見ていたころのことです。
月例の特選作品にとんでもないものがありました。
と言っても、私がそう思うだけで、選者は大きく買っていたようです。
ネオンの巷の壁にもたれているらしい青年の顔の大写し。
バックにはネオンがボケて、青年の顔は種々の色で浮かび上がっています。
青年の目からまさに滂沱と涙が流れ落ち、頬をすっかり濡らしています。
涙にもネオンが映って、色とりどり。
失恋の絶望でしょうか?
哀れを通り越して、悲惨に近い感情の表現!

でも、見た瞬間、感じました。
これはフェイクだ!
真実、道ばたでこんな青年を見つけたら、
あなた、撮りますか?
当時はまだ誰もズームなど使わず、
望遠も300ミリなど使わない時代でしたから、
せいぜい200か180の望遠でしょう。
まじかに接近してしゃがみこみ、望遠レンズを向けて
顔だけ大きくクローズアップしたりしますか?
できませんね。

親しい友人でない限り、気づいた振りなど見せず、
まして、接近して写真など撮りませんね。

そして、もう1つの疑問。
そんな人物に出会ったことがありますか?
私はありません。
涙を流している青年など、遠くからでも見たことがありません。

瞬間的に感じたことは、これは完全なやらせだ!
そんなものに特選を与えますか?
これは私の特殊な考えかたかも知れません。
でも、写真雑誌にはあきらかな「やらせ」写真が横行しています。
私には「やらせ」はただちに分かりますし、
そんな写真を高く評価することもありません。
写真を初めてから今まで、その気持ちは変りません。

実のところ、そんな感じ方はプロの写真家、
写真芸術家の作品にも同様に感じてしまいます。
ドアノーのパリの街頭風景はとても温かい雰囲気ですが、
カルティエ=ブレッソンより高く評価する気持ちになったことはありません。
結局「やらせ」臭を嗅ぎ取ると、どんなに気持ちの良い写真でも、
かすかに後ずさりさせられてしまうのはどうしようもありません。

モジリアニは、現実の人間を前に座らせて描いたのですから、
写真で言う「やらせ」には違いありません。
でも、絵画ではそんなことは問題になりません。
画家は現実を一種の永遠のイメージに変容させる魔術師なのですから。
私たちは特定のモデルの名前はもとより、
素性、性格、人生など知る必要などありません。
モデルの女性たちは、モジリアニの魔術によって、
永遠界の化身と化してしまうのです。

彼女たちは生命感に満ちています。
空疎な画像だ、と、誰も感じません。
ケルト紋様はそんな魔術的な変容を起こす原動力になっている、
私はそう感じます。
ただ直立不動の人物には感じられない上昇エネルギーを、
ケルト紋様の螺旋デザインが沸き立たせてくれるのです。
そのお陰で、若い頃の直立像にはなかった独特の動感が生まれている。
すくなくとも私にはそんな風に働いてくれるのです。




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by hologon158 | 2018-12-09 14:13 | 美との対話 | Comments(0)

757.00 美との対話9「2018年12月5日コレッジョはナチュラル美女が好きだったみたい」



コレッジョ(本名はアントニオ・アッレグリ)は、
15世紀末頃、北イタリアのコレッジョで生まれ、
パルマ公国を中心に活躍した画家です。
生れた町の名で呼ばれたのですから、
コレッジョの町が生んだ数少ない有名人なのかも知れませんね。

宗教画を主に描いた画家のようですが、その名は、
ヴァザーリ「ルネサンス画人伝」(1550年刊)にはありません。
とてもやさしい味わいで美しい女性たちを描きました。
ダ・ヴィンチにもちょっと似ています。
でも、作風にわずかに風俗画的なファクターもある感じで、
ヴァザーリから見れば、二流だったのかも知れませんね。
もしかすると、コレッジョクラスの画家は一杯いるのかも知れません。
しかし、日本人にはかなり人気が高いようで、
イタリアルネサンスの巨匠に数えられているようです。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ルーブルで何作か観ましたが、
もっと偉大な画家たちの名作が私に植え込んだ強烈な印象と比較しますと、
どんな状態だったか思い出さないあたり、二流に見えたことは否めません。
美しい女性たちが一糸もまとわない姿をさらしていて、
私の目には少し風俗画過ぎる感じだったように記憶しています。

でも、こうして改めて観てみますと、たしかにそうなんだけど、
まあ、どの女性もなんと愛らしい唇でしょう!
赤ん坊の唇に近いですね。
どの女性も、けっしていやらしくはなくて、とても魅力的。
もっとしっかり観ておくんだった!




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by hologon158 | 2018-12-05 18:14 | 美との対話 | Comments(0)

755.00 美との対話8「2018年10月22日この世の奇跡、敦煌石窟寺院に圧倒され」



今回は中国の美との対話。
世界の遺跡の調査が進むにつれて、
過去の文明が果たしてきた測りしれないほどの奇跡的な事業が、
各地に発見されつつあります。
その一つが敦煌ですね。

面倒なので、ウィキペディアから引用させていただきます。
「敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に
南北に1,600mに渡って掘られた莫高窟・西千仏洞・
安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、
その中に2400余りの仏塑像が安置されている。
壁には一面に壁画が描かれ、
総面積は45,000平方メートルになる。」
日本の仏像の国宝は、ネットによれば、合計136件。
そのうち、75件が奈良県にあり、関西だけで128件。
まあ、ほとんどが関西にあることになります。
敦煌には日本の国宝クラスが数知れずあります。

ウィキペディアによれば、
作られ始めたのは五胡十六国時代、
敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年で、
その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。
つまり、日本の仏像よりもはるかに古いものが沢山あります。
これに数知れないほどの壁画が加わって、
莫高窟は世界の至宝の一つに数えられています。
仏像だけとってみたら、約4年に1体ずつ制作されたのですから、
不可能な制作ではありません。
でも、どこの国に、1000年間も一つの地域で、
これだけの信仰の対象、信仰の証し、よすがを、
連綿と制作し続けることができたでしょう?

上記の本から、私の気に入ったものを選び出してみました。
完成度、美しさの高さは、信仰の高さを証明する、
と言うと、かなり事態をねじまげてしまいそうですが、
この地の人たち、莫高窟の建設維持に携わった人たちの、
真摯な祈りの気持ち、制作意志の強固さは、
もうそれはそれは凄まじく、まさに尋常ではありません。
現代人にこれだけの手仕事ができるんだろうか?

このように考えると、ここには、
人類の創造性の最高の証明の一つがある、
そう言ってよいでしょう。




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by hologon158 | 2018-11-27 15:32 | 美との対話 | Comments(0)

752.00 美との対話7「2018年11月17日神のごときレオナルドの美にひれ伏して」



人間の中にはスペシャルな人たちが居ます。
その才能が神によって与えられた、としか言いようのない人たち。
偉大な人間さえも遙かに超越している存在。
そんなに沢山与えられたわけではありません。
ほんの一握りでしょう。
思索で言えば、ソクラテス。
彼のあとには、沢山の天才的な思索家が続いています。
でも、彼らはすべて彼以前の巨人の肩に乗っかって仕事をしました。
ソクラテスは違います。
「汝自身を知れ」なんて、彼以前には誰も考えませんでした。
彼こそが「人間とは何か?」という根源的な思惟の創始者なのです。

ソクラテス級のスペシャルな立脚点を見いだした巨人は僅かです。
音楽で言えば、モーツァルト。
美術で言えば、もちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

ルネサンスの巨人たちの評伝「ルネサンス画人伝」の作者、
ヴァザーリは、中国史における司馬遷、
古代ギリシア史におけるヘロドトス、トゥーキューディデース、
といった偉大な史家ほどではありませんが、かなり近い存在です。
なぜって、司馬遷たちは、長い歴史のある一部に光を当てました。
彼ら偉大な史家が出現して、大変な筆力で事績を記録し、
人類の宝としたからこそ、その時代の英雄たちは歴史上燦然と輝き、
後世に永く記憶されることとなりました。
彼らがいたからこそ、その時代の英雄たちは特別な存在となりました。
たとえば、項羽と劉邦の人間性、器、才能の違いは、
人類共通の記憶となりました。
でも、たとえば、唐の大宗李世民、明の太祖朱元璋、清の始祖ヌルハチ、
このような項羽と劉邦に匹敵するような歴史的存在の人柄、人生、業績を、
あなたは知っていますか?
彼らには司馬遷に匹敵するような偉大な史家はいなかったからです。

ヴァザーリはそこまで大きな仕事をしたわけではありません。
もし彼が「画人伝」を書かなかったしても、
上記3人は美術史にほとんど比類のない名声の記憶を人類に残しています。
でも、とにかくヴァザーリは16世紀に出現して、
ルネサンス期の偉大な画人たちの生き生きとした記憶を書き記してくれました。
ヴァザーリはミケランジェロの弟子でしたから、
師匠の伝記が白水社の訳書上では136頁と突出しています。
これに続くのがラファエロの50頁、
ジョットー、ティツィアーノの30頁、
ダ・ヴィンチの18頁。

でも、各伝の冒頭に破格の讃辞を特記しているのは三人だけです。
レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ。
レオナルドに対する讃辞はその中でもさらに破格です。
「この上なく偉大な才能が、多くの場合、自然に、ときに超自然的に、
天の采配によって人々の上にもたらされるものである。
優美さと麗々質、そして能力とが、
ある方法であふれるばかりに一人の人物に集まる。
その結果、その人物がどんなことに心を向けようとも、
その行為はすべて神のごとく、他のすべての人々を超えて、
人間の技術によってではなく神によって与えられたものだということが、
明瞭にわかるほどである。
人々はそれをレオナルド・ダ・ヴィンチにおいて見たのである」云々。
ヴァザーリはレオナルドのことを、さらにこう言います。
「真に驚嘆すべきであった神的な人であった」

さらに、ラファエロの項にもレオナルドのことが記載されています。
「たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、男の顔を描かせても、
女の顔を描かせても他者の追随を許さぬものがあり、
とくに人物の優雅さや動きにかけては、
他の画家たちを遠く引き離している人だが、
彼の作品を見たときに、ラファエロは驚嘆し、茫然自失してしまった。
(中略)
全能力と全知識を傾けてレオナルドの様式を模倣するよう努めたのである。
しかし勤勉や努力にもかかわらず、いくつかの難しい点では、
ラファエロはレオナルドを凌駕することがついにできなかった。」

私は、ヴァザーリを読む遙か前に、レオナルドに出会った頃、
レオナルドのマントヴァ公夫人イザベラ・デステの素描に出会い、
それ以来、素描の神業にかけて、
レオナルドを凌ぐ人は居ないのでは、と考えてきましたが、
さらに、レオナルドの多くの素描、とくに自画像を見るにつけ、
さらに、ヴァザーリの「画人伝」を読んで、その思いをさらに強め、
現在まで意見を変えたいと思ったことは一度もありません。

上記の素描に描かれたマントヴァ公夫人イザベラ・デステは、
ルネサンスを代表する知性的な女性として大変に有名です。
その上、大変な美貌でした。
ところが、レオナルドは、上記の素描を一枚描いただけで、
それも他にやってしまい、ついにイザベラの絵は描かなかったのです。
しかも、たった一枚描いた素描のイザベラは横顔。
当時最も魅力的な女性であったのに、なぜ、こんなに消極的?

私は、こんな話が大好きで、勝手な謎解きを楽しむ癖があります。
ただちに、答えが頭に浮かびました。
私の回答はこうです。
レオナルドは、イザベラが嫌いだったのです。
賢いうえに、美しい。
その2つの武器を使って、男たちの上に君臨し、
イタリアの政界に大きな勢威を振るっていた。
イザベラは当代最高の女性として敬愛される生涯を過ごしました。
でも、誰よりも鋭敏で深い眼差しをもつレオナルドには、
イザベラの優雅な微笑みの陰にかすかな驕慢の奢りを感じたでは?
その上、女性よりも男性の方を愛する質であったことも手伝って、
レオナルドは、庇護者として君臨する女性に唯々諾々と従いたい、
なんて思わなかったのではないでしょうか?
まして、そんな女性のために、後世に残るような傑作など、
絶対に描きたくなかったのでは?

しぶしぶ描いた素描は横顔だったのもそのせいかもしれませんね。
正面像をまともに描いたりしますと、
レオナルドのイザベラに対するそんなマイナス感情がばれてしまう。
さりとて、本心を押し隠して、ただただ優美な公妃に見えるよう、
いわばフィクションとなるような描き方をするなんて、
彼には絶対にできない。
だから、なんとしても、描かないで済まそう、
そう考えたのではないでしょうか?

今回も、すべて顔を中心に、大幅にクローズアップして、
部分撮りに徹しました。
レオナルドの描線の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
いくつかはヨーロッパで直に観賞することができました。
作品世界の豊かさにおいては、ラファエロやミケランジェロに
はるかに及ばないレオナルドですが、素描のたった一本の線で、
それでも彼らに優るとも劣らない美の創造者であることを、
誰に対しても証明することができたのではないでしょうか?




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by hologon158 | 2018-11-17 22:19 | 美との対話 | Comments(0)

749.01 美との対話6「45年間も倫敦で水彩画を描いた牧野義雄に脱帽!」



図書館で「マイ・フェア・ロンドン」という本を借りました。
牧野義雄(明治2年12月25日生、昭和31年10月18日没)
著者はピーター・ミルワード、恒松 郁生、東京書籍
掲載された霧の都倫敦の風景画がとても楽しい。
どこもかも、いつも、もう霧だらけ。

牧野義雄という画家、
ロンドンの古き良き時代を45年間も描き続けたそうです。
これだけ一つの都市を描き続けた画家はそんなに居ないのでは?
しかも、外国で!

ウィキペディアの記載によれば、その画法は、
「牧野は霧を描くに当たり、
1910年(明治43年)に発表した自叙伝「日本人画工 倫敦日記」で
「水中に1時間入れて吸い取り紙の様になし、その濡れている内に描く。
乾くに従って近景を描く」と語る。
紙が十分濡れている内に遠くの最もぼやけた部分を描き、
乾くに従って近くのはっきりした部分を描くことで、
霧独特の奥行きある情景を表現した。」

本書に収められた絵を見る限り、
心象風景風の作品群は夢のエピソードという感じで、
音楽で言えば、フュージョンと言った印象。
ぐいぐいと心に食い込んで来るものは感じませんが、
ダルメーヤーのフレア一杯のレンズが大好きな私には、
とても好感の持てる光景です。

もっとも、当時のロンドンは産業革命まっただ中、
どうやら、気象現象の霧に当時の暖房燃料石炭のスモッグが混じり、
濃く、暗く、臭く、大変に健康に悪い現象だったようです。
そのために、何千という大量の死者を度々出したということです。

そう言えば、大阪府豊中市在の私も、子供の頃、冬になると、
数m先はまったく何も見えない濃霧の中を登校したものでした。
これが大好きでした。
でも、日本でも、ロンドンと同様、
濃霧には人為的な原因が絡んでいたのでしょうか?
当時は、山の上から大阪平野を見ますと、
大阪の上にくっきりと線があり、その下はどす黒いガス空間でした。
「ガス平線」と呼んだのは、確か徳川夢声だったと記憶しています。
台風一過の朝だけが、そうしたガス平線を吹き消していました。
今では「ガス平線」は無くなり、冬季の濃霧も稀になり、
大空は、大地から天空まですっきり見通せることが多くなってきました。
単なる気象変化とは思えません。
長年の空気浄化の努力のおかげでしょうか?

そんなことを考えると、
牧野義雄の絵もそんな汚れた空気の時代の記録とも思えて、
心から楽しむのは躊躇されますが、
一方では、私が愛するボケレンズたちの表現にも通じる所があり、
タンバールの幽玄にも通じる所もあり、
やはりここはスモッグのことは忘れて、
牧野の幽玄な表現の妙味を味わいたいものですね。

脱帽!




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by hologon158 | 2018-10-27 14:50 | 美との対話 | Comments(0)

746.00 美との対話5「2018年10月11日アンコールワットの美神たちと出会う」美神の誘い



アンコールワット
美しい響きですね。
いつか訪ねたいと思っていました。
敦煌、大ピラミッド、バールベック、パルミラ、
バビロン、ラサ、アンデスの遺跡、
そして、アンコールワット、
どこも、かなわぬ夢となってしまいました。

神様が「あと一回旅行させてあげよう」とおっしゃったら、
どこに行くでしょうねえ?
ちょっと思案してみましたが、
おそらく敦煌かアンデスの遺跡になるでしょうねえ。

でも、ふっと考えて、神様、いくら寛容でも、
許してもらえるのは、せいぜい2週間の旅だろう。
敦煌もアンデスも行ける場所はほんの一部になりそう。
神様けちだから、飛行機はエコノミークラスだろうなあ。
よしましょう!
自宅で、美と対面する旅を楽しむことにしよう。

図書館で借りたのは、
「アンコール・ワット:密林に消えた文明を求めて」
(「知の再発見」双書)
ブリュノ ダジャンス (訳 中島 節子)

石から刻み出された聖なる像たち。
石壁からポンと飛び出してくるような迫真性があり、見事です。

専門教育を受けたり、特別に修業したりした彫刻家が集まった、
などということはなかったでしょう。
いきなり、造ってみよう、と、石壁を刻み始めたのでしょうか?
それとも、私たちがもはや知り得ない神殿建築の伝統を、
継承したのでしょうか?
おそらく後者でしょうけど、
このような神域、寺院の建築を幾度も試みたわけではないでしょう。
石工たち、彫刻家たちが寺院建築の専門家だったわけでもないでしょう。

おもしろいことは、現代のカンボジアの人たちの風貌にかなり似ていること。
「カンボジアの美女」とか、「ビルマの美女」で、
グーグル画像検索をしてみてください。

どこの国でも聖像はその民族の風貌に似る傾向があります。
彫り師が見慣れた風貌をいわば理想化して刻みつけるのは当然でしょう。
アンコールワットは仏教遺跡だと思いますが、
刻まれた彫刻群の中で、女性の像がかなり多いのでしょうか?
彼らは天女、聖なる存在なのでしょうか?
それとも、諸佛を崇敬する信徒なのでしょうか?
いずれなのか、私には分かりませんが、
分かることが一つ。
みなさん、とても美しく、そして、とても肉感的!
製作者たちの好みが反映しているのでしょうね。

日本人の女性像とはまったく違いますが、
でも、とても魅力的です。
石の中からポンと飛び出たら、
次の瞬間、にっこり笑いそうに思えるほどに、
はちきれそうな生命感にあふれています。

12世紀前半、ヒンドゥー教の寺院として建立され、
15世紀前半、仏教寺院に作り替えられたのだそうです。
美女たちはヒンドゥー教の美神、美女たちなのかも知れません
ウィキペディアによりますと、
境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、
幅190メートルの濠で囲まれているというのですから、広大無辺、
どんなに目覚ましい絢爛豪華な大伽藍だったことでしょう。

参拝者たちにとって、参拝は、想像を絶する超越体験となったことでしょう。
参拝者たちは伽藍を彩る美女たちを憧憬のまなざしで見上げたことでしょう。
もしかすると、ガイドの僧侶が言ったかもしれません。
「仏法に帰依しましょう。
そうすれば、苦しみに満ちた俗世から浄土に昇天することができ、
浄土では、あのような美女たちがあなたを迎えてくれるでしょう。
そして、あなたは極楽の歓楽を永遠に尽くすことができるのです」
男性信徒にとっては、ありがたいお説教よりも効果的だったかも?




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by hologon158 | 2018-10-11 18:03 | 美との対話 | Comments(0)