わが友ホロゴン・わが夢タンバール

カテゴリ:美との対話( 6 )

746.00 美との対話5「2018年10月11日アンコールワットの美神たちと出会う」美神の誘い



アンコールワット
美しい響きですね。
いつか訪ねたいと思っていました。
敦煌、大ピラミッド、バールベック、パルミラ、
バビロン、ラサ、アンデスの遺跡、
そして、アンコールワット、
どこも、かなわぬ夢となってしまいました。

神様が「あと一回旅行させてあげよう」とおっしゃったら、
どこに行くでしょうねえ?
ちょっと思案してみましたが、
おそらく敦煌かアンデスの遺跡になるでしょうねえ。

でも、ふっと考えて、神様、いくら寛容でも、
許してもらえるのは、せいぜい2週間の旅だろう。
敦煌もアンデスも行ける場所はほんの一部になりそう。
神様けちだから、飛行機はエコノミークラスだろうなあ。
よしましょう!
自宅で、美と対面する旅を楽しむことにしよう。

図書館で借りたのは、
「アンコール・ワット:密林に消えた文明を求めて」
(「知の再発見」双書)
ブリュノ ダジャンス (訳 中島 節子)

石から刻み出された聖なる像たち。
石壁からポンと飛び出してくるような迫真性があり、見事です。

専門教育を受けたり、特別に修業したりした彫刻家が集まった、
などということはなかったでしょう。
いきなり、造ってみよう、と、石壁を刻み始めたのでしょうか?
それとも、私たちがもはや知り得ない神殿建築の伝統を、
継承したのでしょうか?
おそらく後者でしょうけど、
このような神域、寺院の建築を幾度も試みたわけではないでしょう。
石工たち、彫刻家たちが寺院建築の専門家だったわけでもないでしょう。

おもしろいことは、現代のカンボジアの人たちの風貌にかなり似ていること。
「カンボジアの美女」とか、「ビルマの美女」で、
グーグル画像検索をしてみてください。

どこの国でも聖像はその民族の風貌に似る傾向があります。
彫り師が見慣れた風貌をいわば理想化して刻みつけるのは当然でしょう。
アンコールワットは仏教遺跡だと思いますが、
刻まれた彫刻群の中で、女性の像がかなり多いのでしょうか?
彼らは天女、聖なる存在なのでしょうか?
それとも、諸佛を崇敬する信徒なのでしょうか?
いずれなのか、私には分かりませんが、
分かることが一つ。
みなさん、とても美しく、そして、とても肉感的!
製作者たちの好みが反映しているのでしょうね。

日本人の女性像とはまったく違いますが、
でも、とても魅力的です。
石の中からポンと飛び出たら、
次の瞬間、にっこり笑いそうに思えるほどに、
はちきれそうな生命感にあふれています。

12世紀前半、ヒンドゥー教の寺院として建立され、
15世紀前半、仏教寺院に作り替えられたのだそうです。
美女たちはヒンドゥー教の美神、美女たちなのかも知れません
ウィキペディアによりますと、
境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、
幅190メートルの濠で囲まれているというのですから、広大無辺、
どんなに目覚ましい絢爛豪華な大伽藍だったことでしょう。

参拝者たちにとって、参拝は、想像を絶する超越体験となったことでしょう。
参拝者たちは伽藍を彩る美女たちを憧憬のまなざしで見上げたことでしょう。
もしかすると、ガイドの僧侶が言ったかもしれません。
「仏法に帰依しましょう。
そうすれば、苦しみに満ちた俗世から浄土に昇天することができ、
浄土では、あのような美女たちがあなたを迎えてくれるでしょう。
そして、あなたは極楽の歓楽を永遠に尽くすことができるのです」
男性信徒にとっては、ありがたいお説教よりも効果的だったかも?




c0168172_17320564.jpg
c0168172_17321336.jpg
c0168172_17322248.jpg
c0168172_17322984.jpg
c0168172_17323631.jpg
c0168172_17324886.jpg
c0168172_17325421.jpg
c0168172_17330352.jpg
c0168172_17330984.jpg
c0168172_17331601.jpg
c0168172_17332282.jpg
c0168172_17334177.jpg
c0168172_17334806.jpg
c0168172_17335425.jpg
c0168172_17340084.jpg
c0168172_17340779.jpg






by hologon158 | 2018-10-11 18:03 | 美との対話 | Comments(0)

744.00 美との対話4「2018年9月26日日本の秘仏たちのふっくらの美しさに打たれ」



図書館で「日本の秘仏」(平凡社)を借りました。
各地のお寺の秘仏を特集したもので、
見事な精密描写の仏様の写真が並んでいます。
掲載写真をお借りしてブログに記録するときには、
デジタル写真の記録性のメリットを感じます。
複写しても、あまり画像が劣化しません。

でも、仏様としてのありがたみはかなり薄れてしまう感じがします。
美女の肌をシミ、そばかすまで写し取ってしまうのに似ています。
写りすぎです。
デジタルカメラやデジタル写真ソフトは、
そうしたシミ、そばかすをデジタル処理してしまいます。
現代の映画やポートレートに浮かび上がる美女たちは、
精緻きわまりない化粧に画像処理が加わって、
天女のようで、現実の女性とは完全に異質な存在です。
孫の家でテレビを見ましたが、
あらゆる番組の登場人物が毛穴一つない妖精じみた真っ白お化け。
強烈な違和感を覚えました。
みなさん、慣れてしまったのでしょうか?
結局、テレビに出現する存在はすべて人間ではない、
ただの映像、イメージなのです。

ちょっと話が逸れましたが、
デジタル処理でいやが上にも精緻な画像に処理された仏像たちは、
私が複写してブログに掲載するレベルになると、
かなり現実の存在に近い位に画像が劣化します。
まだ我慢ができる程度。

昔、新薬師寺の十二神将を撮影したいと思ったことがありました。
でも、特別撮影許可をもらうためには10万円ほども要ると聞いて、
諦めました。
そのときも、断念することに躊躇はありませんでした。
写真家ではないのです。
それだけのお金を出して三脚に35mmカメラを据えても、
どうせ補助光はストロボ1灯かせいぜい2灯。
陰の多い不自然な明暗のさえない仏像写真が撮れただけでしょう。
仏像写真家たちが撮った傑作仏像写真をお借りして、
ブログ記事を作るなら、安上がりだけではなく、
私なりに仏の心を感じることができるかも知れません。

仏教国はいくつ位あるのでしょうか?
そして、仏像を安置した仏教寺院のある国はいくつあるでしょうか?
私は知りません。
私が知る限りでは、元祖インドのほか、
中国、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジア、韓国、台湾、
そして、日本でしょうか?

おもしろいことに、顔が少しずつ違うのです。
お国柄、民族色がしっかり反映されています。
同じブッダがそれぞれの国の人に似ていますね。
インドでは、ブッダははっきりインド人です。
中国も、インドほどではありませんが、中国民族的です。
日本の場合は、仏教が外来宗教であるせいでしょうか?
やや異国的、つまり、中国的という感じがします。
はっきりと日本人に似た仏像と言えば、石仏でしょうか?

今回収録の仏様たちは一定時期の限定公開秘仏ばかり。
かつては、秘仏にもひっそりお目にかかることができました。
今はおそらくワンサワンサの群衆に揉まれかねないでしょう。
参りません。


1 5349 滋賀県大津市 盛安寺 十一面観音立像

c0168172_18380364.jpg


2,3 滋賀県守山市 福林寺 十一面観音立像

c0168172_18381973.jpg
c0168172_18382633.jpg


4 京都府加茂町 浄瑠璃寺 吉祥天立像

c0168172_18384352.jpg


5,6 滋賀県大津市 園城寺 訶梨帝母倚像

c0168172_18385125.jpg
c0168172_18385840.jpg



7 奈良県斑鳩町 法隆寺 救世観音立像

c0168172_18390346.jpg


8 奈良市 五劫院 五劫思惟阿弥陀像

c0168172_18391085.jpg


9 広島県尾道市 摩訶閆衍寺 十一面観音立像 

c0168172_18391896.jpg



実はこの記事を書く前に、
「日本の秘仏」は図書館に返してしまいました。
すでにパソコンに取り込んでおいた画像の順に、
私愛用のテキストエディタMiにデータを記載しました。
ところが、いざ画像をブログに取り込む段になって、
なぜかどれがどれやら分からなくなってしまいました。

そこで、ネットで検索してみたのです。
驚きました。
私が本書から取り込んだ画像としっかり対照できる、
そんな精密画像はネットにアップされていない!
秘仏は、ネットにさえも公開されていない?
そうすると、そんな秘仏たちを精密画像で掲載する、
この「日本の秘仏」は、本気に秘仏たちのお姿を拝見できる、
数少ないチャンスを提供してくれているのかも知れません。
実際にお寺で拝観できたとしても、
厨子の奥深くに収められて、間近に近寄れないでしょうから。

もう1つ、面白い発見。
秘仏には、観音様を初めとする女性像が圧倒的に多い!
これも当然でしょうか?
上代からお寺さんたち、その美しさに酔いしれるあまり、
ちょっと恋心も手伝って、
「俗人たちになど見せるのはもったいない!」

そんなかなり俗っぽい想像をしてしまうのは、
観音様たちがとても美しいからなのでしょう。
制作年代はさまざまなのでしょう。
でも、どなたもふくよかですね。
そのあたりからも、感じるのですが、
日本人はかなり長い間中国文化、中国思想の影響を受けてきました。
仏教も、直接インドからではなく、中国仏教のフィルターを通りました。
理想の女性像についても、もしかすると同様のフィルターがあり、
美女の理想と言えば、中国の美女を思い浮かべる伝統が、
日本には静かに定着していたのかも知れませんね。
そのおかげで、僧侶も仏師も信者たちも、
ふくよかな頬の容貌にとりわけ惹かれてきたのかも?




by hologon158 | 2018-09-26 18:46 | 美との対話 | Comments(0)

742.00 美との対話3「2018年9月19日中国古代の青銅器文化にただただ唖然」


図書館で次の本を見つけました。

  「中国古代の造形」(杉原たく哉) 小学館

あんまり凄いので、自分でも購入しました
次々と登場する中国古代の青銅器等の発掘品たち。
もう唖然とする異貌の世界。
まず、ざっと並べてみましょう。。
説明しませんから、ただただ、味わってください。




c0168172_21271917.jpg
c0168172_21272678.jpg
c0168172_21273259.jpg
c0168172_21273808.jpg
c0168172_21274598.jpg
c0168172_21275395.jpg
c0168172_21280009.jpg
c0168172_21280756.jpg
c0168172_21281609.jpg
c0168172_21282279.jpg
c0168172_21283368.jpg
c0168172_21284177.jpg
c0168172_21284911.jpg



とりわけ驚いたのは、三星堆の発掘品です。
2枚目の黄金仮面と3がそれです。
顔の峨々たる輪郭、
超自然的な風貌、
厳格な表情、
飛び出た目、
なにもかもが人間を超越しています。
まさに仮面ですが、これに限らず、
古代中国人たちの想像した造形美術は、
いずれも現実界を超越した異貌、異形です。

古代中国人がリアリズムを知らなかった、
写実のアートを創造する能力などなかった、
ということが絶対的にありません。
ちょっと後世になりますが、秦の始皇帝陵の兵馬俑が、
中国人陶工たちの写実力を十二分に証明しています。
4枚目、5枚目がそれです。
さらに、古代の中国人たちの生み出した動物像、
とくに9枚目の馬を見れば、
中国人たちがリアルな動物たちの姿をありのまま認識し、
かつリアル無比に造形する能力を持ちながら、
なぜかデフォルメしているのです。

縄文土器を思い出します。
縄文人は上記の古代中国人よりも数千年も先んじて、
人物像、動物像、土器を生み出しました。
これこそ、古代史最大の謎です。
大陸文化の影響を受けたのだとする説があります。
ところが、いつまで経っても、縄文文化に先行する文化は、
中国大陸に見つかりません。
数千年遅れてやってきた文化が縄文文化に影響を与え?
これじゃ、まるでSFの世界です。

この縄文文化の産物たちも、
不思議なことに、すべてが例外なく、
写実を遙かに超越した異貌、異形の創造物なのです。
いわゆる遮光器土器と呼ばれる異形の人形たちを思い出してください。
遮光器を付けているのだとする説が有力ですが、
じゃ、顔の下半分はどこに行ったのですか?
口がちょぼっと付いているだけ。
猛烈なデフォルメ、アブストラクトの表現?

顔全体を覆うような遮光器って、見たことがありますか?
遮光土器はほぼ全部異様なほどに膨らんだ服を着用しています。
縄文人たちはこんな異様な紋様、異様なデザインの服を
着けていたのでしょうか?
三星堆の仮面と同じくらいに、異様な存在、
そうではありませんか?
遮光器を付けていただろう、なんて軽く済ませて、
分かったつもりになるのは、いささか軽薄すぎるのでは?

人類は飛躍的に脳量が増大したホモサピエンスに進化して以来、
いかなる進化も示していないそうです。
つまり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も、
現代人と風貌、体型ともに変わらないのだそうです。
かつてはネアンデルタール人がゴリラ風の顔に復元されていましたが、
発掘されるサンプルが増加した現在、
上記の風貌はある種の疾患のせいで、通常の人たちのは、
現代人のヴァリエーションの幅に入るのだと分かっているようです。
つまり、超古代人たちは、外観、中身とも、
現代人とぜんぜん変わらないのだそうです。
今でも、裸になってジャングルを飛び回れば、
古代ネアンデルタール人より野生的な人がたくさんいますね。

大阪の御堂筋線の地下鉄に乗る度に、驚愕に近い印象を受けます。
もちろん、私もそんな一人なのでしょうけど、
なにしろ一生見慣れてきたので、自分のことはさておくことにして、
こんなに人間って、バラエティに富んだ体格、容貌、スタイルなのか!
海外の人も多くなっているせいもありますが、
それ以前から同様の印象をずっと受け続けて、笑ってしまいます。
これが日本人だ、これが中国人だ、なんていう基本体型など、
存在しません!

ということで、1万年以上前に日本を闊歩していた縄文人たちも、
はるか後世の古代中国人たちも、現代人と同様の写実力を有していた。
でも、彼らは、通常、現代人にはまねができないほどに、
奇想天外な異形の造形を連綿と生み出し続けたのです。
とりわけ強烈な異形の文化の展開が見られるのは、
四川省の三星堆遺跡。
今回の掲載分では3枚目だけなのですが、
三星堆の発掘品はみなこれに似て、異様そのものです。

ウィキペディアによれば、遺跡は広大です。
東西5〜6000m、南北2〜3000m、総面積12平方キロメートル、
紀元前2800年頃から約2000年続いた文化だということです。
一大文化、政治勢力がここで栄えていたのでしょう。

中国の中心地帯を支配した王朝を並べてみますと、
夏は紀元前2070年頃から1600年頃まで、
殷は紀元前1600年頃から紀元前11、12世紀まで、
周は紀元前1046年から256年までだそうです。
とすると、三星堆文化は夏よりはるか前から始まり、
周の支配になってから200年ほども続いた、
超古代文化だと言えそうです。
ところが、どうやら中国の正史には記載されていない!

私が読んだ当時の史書と言えば、春秋左氏傳と史記だけですが、
三星堆に関する記事を読んだ記憶はありません。
私の推測する真相はこうです。
どの国の歴史もそうですが、
中国でも、その版図の諸国はさまざまに交流し、
さまざまに影響を与えあって進展してきたことでしょう。
でも、そのすべてを目撃し、記録することなど誰にも不可能です。
ある特定の時代にある特定の史家が、彼の手の届く限りの情報を前にして、
史書に記録するに値すると彼が判断した事績を記載して、
史伝を編纂します。
そうすると、人間たちの苦闘の歴史は連綿と続いていたのですから、
正史の記載に漏れたものが、後世の私たちにとって、
本当に知るに値するものではなかったはずと、とても言えませんね。
三星堆はこうして左傳、司馬遷の筆から抜け落ちてしまったのですが、
だからと言って、中国の政治文化史に取るに足りない小枝だ、
と即断することはできそうにありません。

そこで、三星堆の歴史を推測してみましょう。
三星堆文化は殷時代から西周時代にまたがっています。
人類の常として、政争紛争はなかったわけではないでしょう。
でも、我が国でも、およそ1万5000年前から紀元前の終わり頃まで、
縄文土器を作り続けた文化が続いたのです。
さまざまな政争紛争があったとしても、
同一文化圏の部族紛争の域を超えなかったから、
縄文文化が続いたのだと言えそうです。
そうすると、三星堆文化も周辺諸国と無用に争わず、
むしろ平和共存を続けたからこそ、長く続いた。
まさに中国の縄文文化に比肩できるような、
平和の文化だったのかもしれませんね。

その傍証がある、そう考えたいのです。
中国の諸都市がそうであるように、三星堆も城壁で囲まれていました。
でも、残された遺物たちは、博物館に展示されている限り、
青銅の目を見張るような遺物たちに傷、損傷、破壊のあとはありません。
敵国に滅ぼされた遺跡と平和裡に衰退滅亡した遺跡は違います。
モヘンジョダロを思い出して下さい。

当時、青銅は剣、槍、甲冑にも使用されていたはずです。
征服した部族、種族が三星堆の人々と信仰をともにしていたとすれば、
そもそも戦争などなかったでしょうし、
もし異種であったとすれば、
これらの巨大な青銅製品は武器に作り替えられてしまったでしょう。
それなのに、完璧な形で埋没して見つかったということは、
三星堆文化は人知れずひっそりと歴史の襞に覆われて地中に消え去った、
そう考えるほかはないのではないでしょうか?

いずれも想像を絶するような形姿のお面たち。
おそらく三星堆の人たちの風貌の一部は継承しているのでしょう。
でも、あくまでも厳格そのもののまなざし、表情は人間を超えていて、
まさに神寂びた佇まい、気配は神々しささえあります。
三星堆人はまさに神と対座し、神に語りかけていたのでしょう。
もしかすると、三星堆人は人間境と神境とは、
重なりあう別次元の同一世界と感じていたのかもしれませんね。






by hologon158 | 2018-09-19 21:33 | 美との対話 | Comments(0)

736.00 フラ・アンジェリコ「2018年8月13日フレクトゴン35㎜F2.4が聖画と会う」




c0168172_16445261.jpg
c0168172_16445857.jpg
c0168172_16450487.jpg
c0168172_16451194.jpg
c0168172_16451792.jpg
c0168172_16452444.jpg
c0168172_16453068.jpg
c0168172_16453780.jpg
c0168172_16455181.jpg


c0168172_16461985.jpg



私は夏季休暇をかなり取れる職業を選びました。
どうやら夏はしっかりお休みをとる、という習慣が、
子供の頃についてしまって、その癖は治らなかったようです。

そして、私の孫プリンス6歳が生まれて初めての夏休みに、
宿題を最初に3日で全部仕上げてしまったと聞いて、
「夏は遊ぶ」という性癖は遺伝性なのかも知れない、
と、本気で疑うようになっています。

その夏休みを利用して、海外旅行を楽しみました。
最初はツアーでしたが、後半になると、一人旅でした。
残念ながら、イタリアは2回、マイナーな場所だけ。
ルネサンスの本場フィレンツェ、ヴェニスは行かず仕舞い。
ちょっと心残りです。

おかげで、偉大な画家たちの絵に接したのは、
他国の美術館の展示で、という結果に終わりました。
イタリアルネサンスの画家の傑作の多くはフレスコ画なので、
ついに無縁のままになってしまいました。
おかげで、偉大な宗教画家のジョットー、フラ・アンジェリコは、
画集だけのお付き合いになってしまいました。

先ほど、このブログ記事を書く参考にしようと、
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」(白水社)を書棚から取り出し、
目分量でさっと頁を開きました。
すると、開いた頁は81頁、
どんぴしゃり、「フラ・アンジェリコ」でした。
なにかご縁がありそうです。

その頁に、
「落ち着いた善良な性格であったため、心の安らぎ、
特に魂の救済を願い求めて、伝道修道会に身を投じるに至った」
本当に、そんな人が描いた絵ですね。

ヴァザーリは、彼の絵を眺めるときの気持ちを描いています、
「信じがたいほどの優しい感情が心の中に湧いてくる。
これらの祝福されたる魂は天国以外には存在しないような気がしてくる。
いや、これらの魂に肉体を与えるならば、このような表現以外なかった、
と言った方がよかろう」

そして、
「この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見当たらない。
作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描き直したりはしなかった。
最初一気に仕上げたままで置いておくのが常だった。
それが神の思し召しだというのが本人の言葉であった」
これらの言葉が絵の印象とぴったり一致しているのが素敵ですね。

立体感はかなり不足しています。
それを補うように、清澄な空気感に満たされています。
そんな表現が題材にいかにもふさわしいですね。

ちなみに、私は、幾度も書きましたように、無宗教です。
形だけでも、信仰者のふりをする、そんなことはできません。
だから、でしょう、
様々な宗教のあらゆる種類の造形をアートとして鑑賞できます。
純粋にアートとして味わうので、本来の受取方ではないのでしょう。
でも、そんなことはどうだって良い。
人が私のことをどう考えるかは、その人の問題。
私の知ったことではありませんから。

フラ・アンジェリコの絵も良寛さんの書もひとしく、
静謐の気に満ちています。
響きは神韻、そんな感じがします。
フラ・アンジェリコも良寛もなにかを描き上げた瞬間、
にっこりとしたことでしょう。
そんな肯定的な気配を味あわさせてくれるのが素敵ですね。







by hologon158 | 2018-08-14 16:47 | 美との対話 | Comments(0)

733.02 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が源氏」2 女性たち

c0168172_17503225.jpg
c0168172_17503828.jpg
c0168172_17504315.jpg
c0168172_17505129.jpg
c0168172_17505704.jpg
c0168172_17510579.jpg
c0168172_17511241.jpg
c0168172_17520423.jpg
c0168172_17543089.jpg
c0168172_17543928.jpg
c0168172_17544784.jpg
c0168172_17545250.jpg



「源氏物語」は、基本的には男性中心の物語かも知れません。
でも、「源氏物語絵巻」となると、絵巻だけに、
描写の中心は基本的に男性と女性が対等という感じ。
ずらっと順不同に並べてみました。
平安朝の美女たちって、かなり現代の理想からは離れていますね。
これを見て、お感じになるかも知れません。
なんだ、平安朝の女たちって、みんなお多福さんじゃないか?
現代に来たら、あまり評価されなかった部類の女性たちが、
この時代には幅を利かせていたんだなあ、

でも、このような考え方は大間違いですよ。
時間という要素を都合良く取り外してしまい、
自分の時代中心、つまり、自分の好み中心にしているから、
そんな風に感じるのです。

よく考えてみて下さい。
あなただって、平安時代の高位のお公家様に生まれていたら、
まるで違った感じ方をするに違いないのです。
どの時代も、大生はその時代の風流に応じて、美女の理想を育み、
どの時代も、女性たちは当代の美女の理想に向かって変身してきたのです。
若紫や玉鬘も現代に来たら、私たちが身震いするほどの美女に変貌するでしょう。
でも、現代の目が大きく、鼻がつんと高い美女たちも、
平安朝に飛んだら、これらの絵のような慎ましやかな淑女、乙女に変身するはず。

ただし、一つだけ、留保があります。
絵巻の美女たち、一人として、目を上げていません。
慎ましく淑やかに伏せています。
でも、もし顔を上げ、目をぱっと見開いたら、
輝く瞳の大きな眼だったかもしれないのです。

平安朝の絵師たちは、いわゆる「美女」を描くとき、
リアルな容貌を避けて、
当時の美女のイコンに沿った相貌を採用したようです。
浮世絵も同様です。
そのために、私たちは、平安朝の女たちは下ぶくれのお多福顔だったし、
江戸時代の女性はちょっと面長で小さな目鼻ののっぺり顔だった!
でも、そうでしょうか?
何時の時代も、さまざまな容貌の女性が居て、
美女と言われる女性たちの容貌も様々だったはずです。
Youtubeで時折江戸末期から明治にかけての美女たちの写真がアップされます。
仰天ですね。
現代でも稀なほどに、現代的な理想の美女を思わせる、
切れ味豊かな眼差しで、頭脳明晰を思わせる女性たちが登場します。
平安時代でもそんなに違いはないのでないか?
そのように考えても、あまり不思議ではない感じ。

その理由の一つ。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人の頭蓋骨、
さらには古代シルクロードの発見遺体の頭蓋骨を復元すると、
おどろくほど現代人と変わりません。
ときおり、かなり類人猿風に先祖返りしているのが見つかりますが、
これはなんらかの病的な変形ではないかと推測する学者もいます。
つまり、人類学者は、
人類は数万年前にすでに現代人同様の状態にまで進化しており、
その後は進化を気配を見せていないので、
数万年前の人間は現代人と身も心もなんら変わりはなかったと考えているようです。

こんな風に考えてきますと、
ということは、紫の上は実在していたら、
化粧をとった昭和の美女たちとあまり変わりのない美貌だっただろう、
いや、それどころか、私たちが出会っても、
本当に身震いするほど美しかった!
そう推測しても間違いのではないでしょうか?
そんな風に考えてきますと、
源氏物語の美女たちがますます生き生きと、
ますます温かく、蘇ってくるようではありませんか?

それにしても、絵巻の画家の描写力、色づかいのセンスは天才的ではありませんか?
控えめで、上品で、繊細。
このような表現は、平安朝の貴族階級の人々の正確な表現だった感じがします。

今回の女性たちは高貴な身分の姫君、奥方、そしてその女房たち。
かなり振幅のある階層の女性たちなのですが、
ご覧になって、一つ、全女性に共通する点があると思いませんか?
よーくご覧になってください。
現代女性にはほとんど期待できない表情ではありませんか?
そう、そうですね。
全員、伏し目、ですね。

これはなにを意味するのでしょうか?
教育においても、結婚においても、その後の人生においても、
終始、受け身の姿勢で生きること、それが当然、
そう考えていたのでしょうか?
源氏物語をお読みになった方ならお分かりでしょうが、
そうでない女性も登場します。
でも、現存の絵巻部分に残されている女性たちは、
どうやら伝統的な受け身の姿勢を進んで選んでいるようです。

でも、これらの女性たちをじっと見ていたら、
いや、当時の女性たちも肝心要の土壇場では、
きっと目を見開いて、
男性どもにガツンと反撃を食らわせたのでは?
そんな感じがします。
歴史の転回点と言える重要な正念場に登場する女性たちが、
腰砕けになりそうな夫や子供を叱咤激励して、
試練を立派に乗り越えさせた、そんな例はいくらでもあります。
源氏物語絵巻の女性たちを眺めていると、
平安時代でも同様だったのでは?
そんな感じがしてきました。






by hologon158 | 2018-08-02 18:09 | 美との対話 | Comments(0)

733.01 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が貴族たちと競り合って」


c0168172_21375413.jpg

c0168172_21380049.jpg
c0168172_21380629.jpg
c0168172_21381300.jpg
c0168172_21381998.jpg
c0168172_21382536.jpg
c0168172_21383201.jpg
c0168172_21383759.jpg
c0168172_21384630.jpg
c0168172_21385334.jpg





今回は美との対話の第一回です。
源氏物語絵巻からのピックアップ。

あなたは「源氏物語」を読みましたか?
私も学生の頃、世界の古典を全部読みたいと意気込んで、
岩波の「日本古典文學体系」(古い!)を30冊ほども買い揃え、
読めるモノからせっせと読みまましたが、
この全集本、読書用と言うより、監修者の研究業績の発表、なのでしょう。
読んでいて、あまり楽しくない。
そのうえ、素人の私にはよく分からない。

結局、与謝野晶子さんの現代文への翻訳を楽しみました。
でも、帯に短し襷に長し、ですね。
時代の香りが少し不足しているのです。
言葉って、心と一体ですね。
平安朝のたおやかで健やかで爽やかな姫君、若紫が、
どうしても明治大正のお嬢様に感じられてしまいます。

いつ頃でしたか?
新潮社が「日本古典文学集成」という、
新しい古典文学全集を編纂しました。
私が待っていたのはこれでした。
本文の横に必要最小限の訳文が赤の小文字でさりげなく付けられています。
原文と訳文を同時に読んでいきますと、
いつしか訳文が目に入らなくなります。
原文の意味をかなり我がものにできるのです。
極めて巧妙にできた教育システムをさりげなく組み込んでいる。
全集を読み進むにつれて、本文だけが見えるようになって、
かなり理解できている、
そんな状態になることができました。
おかげで「源氏物語」を心から楽しむことができました。

若紫から紫の上に成長した平安の美女は、私にとっては、
「オデュッセイア」のペネロペイアや
「イーリアス」のアンドロマケーから始まる、
麗しくたおやかな美女の系譜の一人となりました。

余談ですが、私は紫式部による紫の上の描き方が
かなり中途半端で尻切れトンボに終わったという感じを拭えません。
若紫は、心優しい庇護者のおじさまに暖かく守られていると感じて、
安らかに共に暮らしていたおじさまにある日突然押し倒され、
妻とされてしまいます。
若紫は光源氏を愛していたけれど、
男性の伴侶としてではなかったようです。
まして、光源氏には葵の上という正妻が厳然と存在する。
裏切られたという気持ちをついにぬぐい去ることができなかったようです。
しかも、光源氏はその後もさまざまな女性にたえず心を奪われ、
しかも、どの人も手厚く遇するのですから、
いかに平安の時代であれ、正妻なのに、
最愛の妻として遇されているとはとても思えなかったでしょう。

光源氏は、そんな紫の上の気持ちを知りつつも、理解することができず、
まして、紫の上の傷心を真心から温かく包んであげようという努力などしません。
欲しい女性はみさかいなく我がものにし、
そんな女性たちから慕われていくのですから、
紫の上の心にかかったまま晴れない暗雲をはらす術を知らない。

紫の上はたとえようもなく美しい女性に成熟します。
ある日、紫の上が殿中の御簾の陰で外を眺めていました。
ところが、突然御簾がそよ風に吹かれて
フワリと風に翻りました。
光源氏の息子夕霧は、その翻った御簾の隙間に、
紫の上の麗しい姿をかいま見て、
恋心を激しく燃え上がらせます。

光源氏が、御簾の向こうに座らせた玉鬘の周りにたくさんの蛍を放って、
このうら若き乙女の姿をたとえようもなく美しく浮かび上がらせて、
弟の兵部卿宮を恋に誘おうと試み、まんまと成功するシーンも、
世界の文学史上最高のシーンですが、
御簾ごしの紫の上のシーンもこれに劣りません。
私にとっては、「源氏物語」最高のシーンです。

「源氏物語絵巻」は平安朝末期の「隆能源氏」と通称され、
源氏物語を題材にする絵巻物の最古の作品で、
国宝に指定されているほどの傑作だそうですが、
ほんの一部しか残っていません。
元は天地20cmしかない絵巻物でした。
どれほどの長さがあったのでしょうか?
いつのときか、バラバラに切り離されて額装になって、
離ればなれとなり、各地に保管されたものが見つかっています。
どのような経緯がそこに隠されているか、
私は知りません。
ウィキペディアを信用するとすれば、
54帖全部について、ピックアップされた名場面と詞書が並べられ、
全部で10巻程度あっただろうと推察されています。
源氏物語のもっとも華麗な前半部分はほとんどなくなっています。

おそらく絵巻物のオリジナルの持ち主はかなりの地位の人、
皇族もしくは貴族だったはず。
でも、平安末期以降江戸幕府成立までの未曾有の大戦乱時代に、
所有者たちは、困窮落魄の運命をさまざまにたどったことでしょう。
そしてその有為転変の果てに絵巻もばらばらになり、
それぞれの放浪を経て、流れ着いた幾代目かの持ち主もさらに金に困って、
買い主の希望に応じて、切り売りしていったのでしょう。

どうやら絵巻制作当時以降の貴族たちの日記、記録には、
制作の経緯、絵巻の有為転変の情報となる記述は見つからないようです。
制作者も保有者も明らかになっていないのですから、不思議です。
でも、戦乱の世には所有たちも生きるに忙しく、
じっくりと芸術作品を鑑賞するだけの精神的余裕はなく、
その存在価値はかなり低く、
生活費捻出のための経済的価値しかなかったのかもしれません。

今回のシリーズを開始するための準備として、
ヨドバシカメラから複写用の無反射ガラスを取り寄せました。
28×35.6cmの大四つ切りサイズです。
この無反射ガラスを本の上に載せると、
天井の蛍光灯の影響を回避でき、しかも平面性を確保できます。
これを使って、
私の大好きな部分をクローズアップすることで、
私の視線がどんな部分を中心に絵を賞味したかが分かる仕掛けです。

まず、男たちをごらん頂きましょう。
残念ながら、光源氏の姿は残されていないようです。
誰が誰であるかはあまり意味がないので、省略。
皆さん、いかにもお公家さんですね。
下ぶくれでおっとりとした風情で、そっくり。
そして、実にシックな装いに身を包んでいるあたり、
女性とはかなり違った方向ですが、おしゃれだったのでしょう。
さまざまなシーンですが、物思いに深く沈む姿は魅力的です。
下卑たところも、浅薄なところもかけらもありません。
平安朝末期の貴族たちが数チームに分かれて分担したとされています。
でも、ほんの一部で数チームだとすると、
全体ではさらにチームも増えて、かなりの多人数の合作だったのでしょう。
それにしても、その画風の統一感、筆の力、線の確かさ、色遣いの上品さ、
すべてにおいてかなり高度の水準に止まっている感じがします。
このようにクローズアップしますと、
そんな画家たちの妙技がますます冴えわたっていることが分かりませんか?
平安朝貴族が、詩歌管弦書画等、多方面の教養を磨くことで、
出世し、地位を安泰なものにしたと言われていますが、
「源氏物語絵巻」は、平安朝貴族の実力の高さを遺憾なく証明している、
そんな風に受けとってもよさそうですね。


by hologon158 | 2018-07-29 21:39 | 美との対話 | Comments(0)