昨日の続き。
天神橋商店街にまた来ています。
地下鉄堺筋線南森町で下車して、商店街に入ると、南に折れ、
入り口のコロッケ屋で70円のコロッケ一つをほおばってご満悦となり、
さて、それからはスーパーアンギュロン大量写撮事件が勃発。
天神橋界隈のロボグラ君たちに電撃のように撮ロボ犯出現のニュースが流れます。
これが大量殺人犯だったら、みなさん、さっと身を伏せたり隠れたり、
とにかくすたこらさっさと逃げ出すでしょう。
でも、撮ロボ犯出現の場合は違いますね。
みんなさっと胸を張り、
蝶ネクタイを直し、ちょびひげを撫でたり、
口紅をなおしたり、メガネをぐっと押し上げ、眼光けいけいたる風貌を作ったり。
でも、唐の後宮の美女たちのように品を作ったり、しごけなく寄りかかったり、
ちょっと胸元を開いたりなんてことはしません。
そんな虚飾の姿など撮ってもらえないことが分かっているからです。
さて、スーパーアンギュロンですが、
商店街内外の光量差はEV値15から7、8まで猛烈に乱高下します。
絞りF8、シャッター速度250分の1、ASA感度400の場合のEV12を標準に決めます。
明るさに合わせて、脳内露出計のご託宣に従い、
まずシャッター速度を変え、それでもだめなときは絞りを変える方式。
私はだまされていた!
実に簡単に適正露出(私の場合、マイナス1.5から2)に合うではありませんか?
画像も実にエキセントリックかつ多彩に躍動します。
そして、なによりもまず大切なこと、
ライカM9でしっかり撮れるのです。
嬉しい!







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by Hologon158
| 2013-03-31 22:57
| ホロゴン外傳
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昨日の続き。
どんな写真を撮りたいか?
そんな風に問いかけると、
ほとんどのカメラマンはこう答えるでしょう。
A 現場を忠実に再現していること。
B 自分の撮影意図をただしく実現していること。
Aは、美しいものを美しく(ときにはより美しく)、
自分の感動そのままの情景を写し取りたいということでしょうか?
そして、Bは、自分の撮ろうと意図したとおりに撮りたいという、
写真家であれば、当然の気持。
そんな風に考えますと、たいていのカメラマンは+A+B派でしょう。
でも、誰もがAを理想とするわけではありません。
たとえば、森山大道はそうではなさそうです。
彼にとって、ネガやオリジナルデータは単なる素材。
そこから引き伸ばしや画像処理の精妙なるプロセスを経て、
彼が見せたい画像が生まれます。
彼はーA+B派と言えそうです。
私はと言えば、完全なるーAーB派。
現実の忠実な再現なんてごめんだ、
現実よ、さらば、夢よ、来たれ!
撮影意図もありません。
誰が寝るときに、その夜の夢を構想しますか?
ロボグラフィに撮影意図など無縁。
たとえば、誰に出会って恋に落ちるか?
あなたは意図できますか?
恋はすべてfalling in love。
ロボグラフィもfalling in love。
あなたがまともな性格、まともな生活、まともな容貌の人だとしたら、
私はあなたと恋におちいるでしょうか?
わかりませんね。
どんな人と恋に落ちるかなんて、わからない。
ロボグラフィがそうです。
あの角を曲がったら、なにが待っているか、予測できません。
それが何であれ、撮りたくなるかどうかも予測できません。
撮ったとして、それがどんな写真になるか、となると、
なおさら、予見できません。
それが、ロボグラフィ。








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by Hologon158
| 2013-03-31 21:52
| ホロゴン外傳
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(今朝、大阪に向かう電車の中で)
今日は記念すべき日となりそうです。
昨夜、ふと思いついたのです。
そうだ、もう一度、スーパーアンギュロン21mmF3.4をライカM9で試してみよう。
あなたにもこんなことがありませんか?
できないと思っていたから、できなかった。
できると思ったら、できた。
これがそうでした。
以前に試してみたときは、周辺は色が激しく濁り、画像はぼけぼけ、ガタガタ。
前後対称型の超広角レンズ、スーパーアンギュロン21mmの2本とビオゴン21mmは、
ライカM9によるカラー撮影に使えないという評判は本当でした。
だから、これらのレンズをマニュアルで使用するのはあきらめ、
オートに設定して、スコッチテープでマスクして動けなくしていました。
ライカM9のメインダイヤルはかなり簡単に動いてしまうからです。
このテープを外し、脳内露出計で室内撮影を試みてみました。
仰天映像が出現しました。
周辺はたしかに減光します。
でも、いつも色が暴れるわけではないようです。
Cマウントレンズで、周辺が大暴れするのは慣れきっています。
問題は中央です。
この中央になんとも表現しがたいほど清純なイメージが出現したのです。
モデルが我がいとしの娘(猫ですが)静だったせいもありますが、
白がとても美しいのです。
なんだ、ちゃんと撮れるじゃないか!
という次第で、今日はスーパーアンギュロン21mmF3.4を、
ライカM9に付けて持ち出しました。
いつもワクワクなのですが、今日はさらにワクワク。
使える写真がどれだけ撮れるか予断は許しません。
でも、この危なっかしさは、私の場合、むしろ大歓迎。
安定、完全の文字は私の辞書にはありません。
私が本気で使ったデジタルカメラはシグマDP-1だけですが、
数回撮りまくって、カメラボックスの奥の奥に放り込んでしまい、
以来手に取ったこともありません。
よく撮れます。
失敗がない。
全部仰天映像です。
でも、その8×10そこのけの精密画像には、
私が夢をはぐくむ余地も余韻もまるで残されていない。
あぶなっかしくて、満足に撮れることなど神頼みという感じの古代レンズが
生み出してくれる夢のイメージを求めて、路地裏をさまよう、
これぞ、我がロボグラフィ。
今日は思いっきり楽しみます。








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by Hologon158
| 2013-03-30 22:47
| ホロゴン外傳
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さまざまな本を読みながら、作家についてよく思うことがあります。
この人たち幸せだなあ。
紙とペン、あるいはワープロがあれば、それだけでいい。
頭に浮かぶよしなしごとをサラサラと書きつらねていくと、
見事な随筆となり、ドキュメンタリーとなり、
小説となり、詩となるのですから。
彼らは言うでしょう、
とんでもない、自分の心身を削って書いているのだ!
たしかに構想を練ったり、書き出したりする段では、
心身を削る思いなのでしょう。
でも、これは文章を書く前に鉛筆を削るようなものです。
いったん芯を出して書き始め、調子があがってくると、
天馬空をいくがごとく、爽快に魂が飛翔することでしょう。
宮沢賢治はかなり推敲に推敲を重ねたようですが、
太宰治はどうだったのでしょう。
渓谷をさらさらと流れ下っていく渓流のように、勢いがあって、
リズムを刻みながら弾むようです。
偉大な文筆家たちは、言葉を音符にして、音楽を奏でました。
20世紀後半になって不思議なことが起こりました。
ワープロ、パソコンが発達して、
作家たちは鉛筆、ペンを捨て、キーボードを叩くようになりました。
そして、まるでピアノを弾くように、
豊かな詩想に満ちた音楽を奏ではじめたか?
いえいえ、言葉ばかりが奔流となり、
読者はその言葉の沼でアップアップさせられることになりました。
言葉が軽くなってしまったのです。
過去の偉大な文筆家たちは筆を惜しむようにして、
言葉を削り削って、自らのピュアな思念を浮き出させました。
現代の多作の文筆家たちは筆を惜しんだりしません。
逆に、自らの文学世界を言葉で埋め尽くそうとしているかのようです。
おかげで、言葉はその重みと意味から遊離して、
ただのシンボルとなって、読者を揺さぶります。
過去の文筆家の文章は、それ自体に意味があって、
読者を深い思索へと誘いましたが、
現代の文筆家の文章は、それ自体には意味がなくて、
その奔流が読者を深い情念の海に誘おうとするかのようです。








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by Hologon158
| 2013-03-30 19:01
| ホロゴンデイ
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昨日、しくじってしまいました。
仕事が終わって職場を出ながら、
友人を訪ねている末娘にこう電話したのです、
歯医者さんに行くので、近鉄奈良駅から帰途に付くのは午後5時半頃、
一緒にタクシーで帰ろう、と。
歯医者さんのビルに行ってみますと、シャッター。
「木曜日休診」
私が歯石取りのために予約したのは金曜日だった!
本来休業日である木曜にピンチヒッターで出勤したことで起こった錯覚。
やむなく半時間ばかり時間つぶしにパン屋さんの経営する喫茶店に。
驚きました。
テーブルの多くに、男女の高齢者たちが談笑。
なんだか老人クラブみたい。
私がしたくないことの一つがこれ。
さっそくできるだけ遠くの窓ぎわの席に外を向いて座り、
iPodでグレン・グールドのバッハ「平均律クラヴィア曲集」を鳴らし、
ポメラに文章を打ち込みました。
ああ、ぼくも退職したら、なにかクラブに入り、
あんな風に老人仲間と談笑するようになるんだろうか?
なにか習い事を新たにするとしても、
老人クラブのような感じの教室はさけたい。
私もまた、年相応に老いていくことを拒みたい人間なのです。
と言って、若い人たちが楽しむなにかに参加することもできず、
結局は、友人たちと会う以外は、
孤独に生きるほかはなさそうですね。
なにか考えなくちゃ、ね。








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by Hologon158
| 2013-03-29 19:39
| ホロゴン外傳
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檀一雄の「わが百味真髄」(中公文庫)を読んでいます。
なんでもそうですが、本当に好きなことを書かせると、
文章が生彩に富んで、溌溂として、刺激的ですね。
社会性のあるシリアスな本はもう読みません。
本は、私にとって、異界への扉。
我を忘れさせ、それから、自分を思い出させ、
生きてゆくエネルギーをプレゼントしてくれるものであったら、
なんでもよろしい。
グルメではない私がなぜグルメ本を読むか?
答えは簡単。
グルメじゃないからです。
ご馳走珍味をいただく代わりに、ご馳走珍味のお話をいただくだけで、
十分幸福になれるのですから、幸せな人間です。
でも、私の体はグルメ料理を受け付けないでしょう。
私にとって、
一番おいしい料理は、お腹が空いたときにいただくもの。
一番すてきなコックは、妻、
これに付きます。
面白いことは、妻は、料理など大嫌い。
家事仕事もたいてい嫌い。
でも、やるとなると、手早く徹底的にやります。
だから、料理もどんどん手慣れて、
手慣れると、どんどんとおいしくなっていきます。
でも、グルメ料理ではありません。
ありあわせのものを組み合わせる独創素朴料理。
だから、けっして太りません。
いわゆるグルメ料理は人を太らせる傾向にあるようです。
帝政ローマ時代に貴族たちは、ガチョウの羽をのどに突っ込んで、
胃の中を空にしてから、また山海の珍味を流し込んだそうです。
京都の坊さんたち同様、みんなふっくらさんだったに違いありません。
長征のときあんなにスリムな好男子だった毛沢東も、
北京の帝王に収まると、ふくふく太って、もうたくさんになってしまいました。
三国時代の幕開けの後漢末期の支配者董卓など、
腹心の猛将呂布の離反によって倒された後、
路上に放り出された遺体に誰かが灯心を付けて点火したところ、
脂肪を油に数日間火は灯り続けたという話が残っています。
権勢と美食の果てに蝋燭となる、なんてねえ.....
究極のグルメとはなにか?
グルメのみなさんはそれぞれにご意見をお持ちでしょう。
私は非グルメの立場からこう考えます。
究極のグルメとは、
日々全身全霊で生きて、いただくものがなんであれ、
それが心と体を二つながら満たしてくれる最高の食べ物であると信じて、
心からの感謝とともにいただき、
生きていて本当によかった、そう心から感じることのできる人。








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by Hologon158
| 2013-03-28 22:15
| ホロゴン外傳
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友人が近くの公園に散歩したときの話。
男女10人位のおそらく大学生たちがやってきて、
バーベキューを始めたそうです。
しばらくすると、お巡りさんがやってきて、
「公共の場でのバーベキューは控えてください」
学生たち、素直に、
「わかりました」
そして、手早くバーベキューセットを片づけて立ち去ったそうです。
その後友人がその場を通りかかって仰天しました。
バーベキューに使ったトングや皿や材料がその場に散乱していたそうです。
友人、呆然としてしまったそうです。
これが片づけなのか?
単に放り出して立ち去っただけじゃないか?
公共の空間のあり方、
他の利用者たちの迷惑、
掃除、片づけの仕方、
なにも知らないのでしょうか?
それとも、お楽しみをくじかれて、
腹いせに散らかして行ったのでしょうか?
だとすると、なお悪い。
よく理解できませんね。
今日、昼食のためにレストランにゆく途中、
鳶職姿の3人の青年に出会いました。
3人の手にはそれぞれ、
お湯を入れて3分間待つインスタントラーメン。
ええっ、あれだけで午後の仕事をこなせるの?
途中でまた手に入れてエネルギー補給をするのでしょうか?
これもまた、よく理解できませんね。
昔は、青年は壮年を仰ぎ見て、仕事を学び、老人を敬ったものです。
今は、どうやら、青年は壮年を中古品のような気持ちで遠ざけ、
まして、仕事を学ぶつもりなどなく、
老人ときたら、完全に廃棄待ちの大ゴミとしか見ない人が、
かなり増えてきた感じがします。
世代の間に連携、継承がなくなりつつあります。
人間がこの地球の支配となりえた理由は学習能力にありました。
最初の世代の知恵を次世代が継承し蓄積し上乗せし、
その知恵を次々世代が継承し蓄積し上乗せし、
その知恵をさらにその次の世代が、
という風に厚い層を積み上げてきたから、
あらゆる不測の事態に対処できてきたのです。
石巻市の小中学生たちが、取るものも取りあえず必死で避難場所に走り、
その避難場所も危ないと見るとすかさずさらに高台に逃げて、
ほぼ全員が助かったというお話には感動させられます。
彼らの行動の土台にはこの知恵の継承があります。
生まれてこの方津波など出会ったことがない子供たちが
上の世代の知恵を受け継ぎ、見事にこれを活かしたのです。
でも、この知恵の継承がおぼつかなくなっています。
一つには現代が老人の知恵ではおっつかなくなって、
若者がさまざまな場面で主導権を握る時代になるにつれて、
若者は人生の先輩をむしろ時代遅れとみなすようになりました。
逆に、高齢者が若者を真似する時代。
でも、これはおかしい。
人間の知恵というものは、歳をとるにつれ、
さまざまな経験を積むことで生まれて来るものであるはず。
人間が知恵を求めず、若さと刺激だけを求めるようになったら、
人間社会の成熟への道は閉ざされてしまうのではないでしょうか?
心配です。








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by hologon158
| 2013-03-27 20:55
| ホロゴン外傳
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本シリーズ、このあたりに来て、欲求不満が募っています。
ソニーNEX-5Aの作る絵がどうにもやすっぽくて、デジタルくさくて、
つまりません。
カメラ本体でパラメータの設定変更ができないのです。
できるのは、シーンセレクションとかピクチャーエフェクトとか、
要するに、ナチュラルな写真が撮れなくなるようなものばかり。
結局、ツルツルピカピカの写真ばかり。
人間と一緒。
キレすぎるのも、どうかと思われますね。
そこで今回からは、普通しない方法をとることにしました。
レベル補正で少し色調を軽減し、2%のノイズを加える。
これで、ほんの少しローコントラストで、ツルピカ調が軽減しました。
でも、一々面倒です。
なんとかならないものでしょうか?
どうやらRAWで撮って現像するのがよいようなのですが、
数百枚の写真をどうやって現像するのですか?
時間が惜しい。
残された手段はどうやら次の一つだけ。
とても軟調で、とてもぼけたレンズだけを使う。
一つ心当たりがあります。
明日、使ってみましょう。








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by hologon158
| 2013-03-27 18:13
| ホロゴン外傳
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「ダニー・ケイとニューヨークフィルの夕べ」
このビデオをご存知でしょうか?
長年ビデオテープで楽しんできました。
でも、ビデオプレーヤーが終わりとなり、
このビデオ、再生する手だてもなく、本棚の一番上に積まれています。
さきほど、ふと思いついてYou Tubeで検索してみたのです。
あった!
(http://www.youtube.com/watch?v=Qn0WnLelejI)
1から10までに分けて、誰かアップしてくれていたのです。
お暇なとき、続けてご覧になって下さい。
笑い死にすることのないように、お気を付けくださいね。
彼は楽譜が読めないことを自ら認めます。
でも、優れた音楽家に楽譜の読めない人が沢山います。
彼にとって、そんなことはまったく関係がない。
ただの棒振りの真似事ではありません。
そのタクト裁きの見事なことと言ったらありません。
たいていの指揮者よりも楽しいのです。
おそらくニューヨークフィルが自分で音楽を作り、
ダニー・ケイがその音楽に合わせて、
しかし、きちんとコンダクトするかのように振ったのでしょう。
でも、その指揮する姿は完璧。
「フィドル・ファドル」という曲が演奏されます。
複雑なリズムをものともせず指揮する姿は感動的です。
音楽が終わって、聴衆全員がスタンディングオベーションをするシーンを見て、
感じることはただ一つ、
音楽って、素晴らしいものだなあ。
そう感じさせるダニー・ケイは凄い人ですね。








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by hologon158
| 2013-03-26 21:45
| ホロゴン外傳
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末娘が関東から帰宅しています。
彼女がキヤノンの一眼レフを手に入れた機会に、
我が家の乾燥ボックスで眠ったままだった2本のレンズ、
キヤノンの35mmF2と85mmF1.8をプレゼントしたお返しに、
素敵なカメラを持ち帰ってくれました。
ティアラiX
24mmのレンズの改造を宮崎さんにお願いするつもりだったのですが、
見ると、チタンボディがにぶく光る、玉手箱のような逸品です。
なんだか壊すのがもったいない位。
このカメラのストラップがまた細い鎖状で、高級感があります。
オリンパスE-PL1に付けて今日持ち出してみました。
手にしっとりとなじみ、実に使い勝手がよい!
冬は凍えるほど冷たいそうです。
レザーの手袋でしのぎましょう。
喫茶店に入ってカメラを赤いシーツの上に無造作に置きました。
するとどうでしょう。
このストラップが作り出すケルト文様がそこに出現。
もちあげて、カメラを別の位置にずらすと、
また別のケルト文様。
蛇の肌のような作りなので、どんなに曲げても、必ず弧を描く仕掛けのせい。
ごちゃごちゃと集め固めますと、立体的に立ち上がります。
これは遊べます。
イメージ造出機なのです。








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by Hologon158
| 2013-03-26 16:54
| ホロゴン外傳
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