わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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455.17 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」17-完-涙とロボグラフィ



あなたは泣きますか?
それとも、いつもぐっと我慢しますか?

私はほとんど泣きませんでした。

    子供の頃から教えられてきたせいかも知れません、
        「男の子は泣かないの!
        どんなときでも我慢しなきゃ!」

6年前、韓流ドラマ「冬のソナタ」に出会った、びっくり仰天しました。
韓国の男性もやっぱり泣くのを我慢しますが、
我慢できないときは、素直に泣きます。

    どんなマッチョでも、泣きます。
    その涙がとても美しいのです。
    その泣く状況というのが、とても日本人と似ています。
    心の動き、人間関係のどこに重点を置くか、
    そんな情動の流れがとても似ているのです。
    だから、とてもよく納得できます。
    そして、涙が心の澱を洗い流します。

    喜劇的な韓流ドラマだってあります。
    でも、クライマックスでは涙、涙、また涙となります。

私ももちろん涙を流します。

    一生の間に流したよりももっと沢山涙を流しました。
    その度に、とても素直で、とても清々しい気持になり、
    涙が流れるだけ、心にエネルギーが流れ込んで来る感じがします。

とても面白いことに気づきました。

    ドラマの主人公たちは、「ワッ」と泣き出したりはあまりしません。
    ツツーと流れ出てきます。
    気が付くと、私も同じ状態。
    とても美しい振る舞いに感動すると、
    いきなり涙が溢れ出てきます。

    チェ・ジウは必ず左目から流れ出します。
    私は右目から。

しかも、いつどんな状況で涙が溢れるか、これが予測不能。

    お涙頂戴のシーンでは、やっぱり反応できない。
    まったくお涙頂戴場面じゃないのに、
    登場人物の美しい振る舞い、言葉に突然反応するのです。

なぜでしょうか?

    私の生涯の蓄積がある人の行動を見て、
    その人の気持ちになり切ることができる、
    そういうことではないでしょうか?

    反対に、その人の気持ちが理解できないと、
    どんなに美しくさめざめと泣いても、
    こちらの気持は覚めたまま。

結局、なにかに反応するのは、私の全人生なのでしょう。
だから、人によって、反応はまったく異なるのも当然。
まったく違う人生を歩んできたのですから。

写真も同様ですね。

    こうして大阪平野郷の写真を153枚並べてきました。
    たいていの人はこういぶかしんでいるでしょう、
        「なんでこんなものを撮るんだろう?
        こちらは、なんにも感じないのに....」

たいていの写真家は、人に分かってもらうために撮ります。
ある意味で、自分の興味関心を超えて、ユニバーサルな表現を目指します。
それが写真言語なのでしょう。

私はそれをしません。

    自分の心を躍らせたものだけを自分のために撮ります。
    そのとき、私の全人生が作り上げたものの見方だけに集中しています。

たとえば、今回の写真、JR平野駅近くで撮ったものですが、
なぜかギザギザが沢山見つかったようです。

    私は喜んで次々と撮って行ったのですが、
    なぜ撮るのか、そんなことは分かっていません。
    撮りたいから撮る。
    撮ってみると、私にはとても面白い。

よく見ますと、ほとんどの写真に顔が見つかります。

    みんな、ちょっと情けない顔。
    7枚目のコンセントのようなもの、
    天を仰いで、「万事休す」と大きく慨嘆しているようです。

でも、そんな風に説明しても、たいていの方は、冷たく、

    「どこが顔なのですか?
     ただの箱じゃないですか?」

作者だけが笑ったり泣いたりできる芝居みたいなものですね。
ロボグラフィは完全にプライベートなものなのです。




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by Hologon158 | 2013-08-15 11:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.16 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」16 鏡面から妖面へ



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今回の3枚目から5枚目は、おそらくだんじり庫なのでしょう。
珍しくも、全面扉が鏡面仕上げになっています。

この倉庫ができたのは、平野に通い出して間なしだったと思います。
最初は、文字どおりピッカピカの鏡で、
前に立つと、自分がしっかりと写りました。
それでも最初から文字どおり凸凹の表面なので、
私が絶世の美男子に見えました。

    飛鳥時代の宮廷の美女たちも、磨いた銅鏡に見入って、
        「なんと美しいのでしょうか?
        美しすぎる!
        これは呪いだわ」
    なんてのたまっておられたことでしょう。

私がホテルを経営するならば、

    パブリックスペースも客室も、鏡という鏡を微妙に細工して、
    ちょっと細身に写るようにするでしょうね。
    理由は分からないのだけど、とくに女性方、
        「このホテルに来ると、なぜか私って一層美しくなるわ。
        自分でも怖い位.......」
    なんてのたまわって、おっしゃるでしょう、
        「このホテル以外泊まりたくないわ!」

平野のだんじり庫の扉は、私をそんな気持にさせる前に、
ずんずんと凸凹が進行して、今では、鏡面とは言いがたい状態。
でも、なにかが映って、ドラマチックに変容します。

    だんじり庫はこの鏡面によって外界を知覚するのだとすれば、
    だんじり庫に見える世界はとてつもなく面妖なのでしょう。

来る度に数枚撮ります。
私のハードディスクには30近い平野フォルダが並んでいますが、
そのだんじり庫扉の写真を集めたら、数十枚になって、
だんじり庫の歴史を物語ってくれるかも知れません。
などと、想像しますが、
そんなことをするつもりがないことも分かっています。

    だんじり庫にも見栄ってものがあるはず。
    そんなことをして、
    だんじり庫の心を傷つけたりしたくはないですね。
by Hologon158 | 2013-08-14 21:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.15 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」15 正気と狂気の間



今夢中になって読んでいるのは、

    サイモン・ウィンチェスター「博士と狂人」(ハヤカワ文庫)

    オックスフォード英語大辞典(OED)の編纂者ジェームズ・マレー博士と、
    原稿資料の最大の提供者、W.C.マイナー博士との交流のドキュメタリー。

アメリカ人マイナーは外科医でしたが、
南北戦争の残酷きわまりない現実を体験したせいか、精神的疾患を患い、
ロンドン滞在中に妄想の末に殺人事件を起こしてしまいます。
判決は心神喪失による強制収容となり、
オクスフォード近くの精神病院に収容されます。

平静時は知的な紳士であったうえ、軍人恩給があったことから、
特別室を与えられ、悠々自適の隠退生活の感じで、
数十冊の古典の稀覯本を含むかなりの蔵書を収めた書斎から、
折から進行中であったOEDの編集者に、
言語使用例等のデータを文字通り怒濤のように送り続けたのです。

    1996年と1997年の2年間に12000の用例レポートを送りつけました。
    各用例は精妙そのものの筆記体で認められ、
    その内容があまりにも正確で行き届いたものであったために、
    彼の提供例だけで記事を完成させることができるほどだったのです。

その間、マレー博士はいくどもマイヤー博士を訪問し、
親交を深めたのですが、
その間にも次第次第にマイヤー博士の病状は悪化していったのです。

    狂気と言語研究とが両立したのです。

ここで疑問。

    学識に裏付けられた言語研究は、狂気と両立するものなのでしょうか?
    狂気にもかかわらず達成されたのでしょうか?
    それとも、狂気が研究を支えたのでしょうか?

あらゆる超人的な業績達成には、
常人には計り知れないような超人的努力、集中、持続が見られます。

たとえば、伊能忠敬。
17年間、黙々と自分の足で日本列島を測量し続けたのです。
考えようによっては、狂気と紙一重かもしれません。
正気と狂気との境界線は現実感覚の有無にかかっているようです。

でも、たいていの偉大な創造者は、
常人なら現実感覚から外れていると思われる領域にあえて踏み込んで、
常人には絶対に実現できないような業績を達成するものです。

    たとえば、アレクサンドロスの征服は、
    ペルシアからギリシア半島に絶えずのしかかってくる圧力に対する、
    ギリシア世界の反作用だったという説がありますが、
    ギリシア学者でもなんでもない私が見ても、
    ペルシア戦争以来、アレクサンドロスの侵攻以前のギリシア人は、
    ペルシアとの間のあつれきを外交によってかわしつつ、
    決してペルシア本国に向かって進撃するようなことはなかったのですから、
    上記の説はあまり説得力がありません。

むしろアレクサンドロス個人の野望から行われた侵略戦争だった、
そう考える方が理にかなっているように思われます。

    アレクサンドロスはすべての戦いで前線に立って陣頭指揮しました。
    安全な場所に居て、遠隔操縦でマケドニア軍を動かすなんてことはしなかった。
    彼は、命知らずであり、ペルシア全土を征服した後、
    インドで頭打ちになって逃げ帰ると、
    自らを神と称して、絶対君主として専制をふるいはじめ、
    そんな専制に膝を屈することのできない重臣たちを、
    次から次へと粛清しました。
    まるで、燃えさかる炎の松明は、それがどこに向けられようと、
    相手を焼き尽くしてしまう、そんな感じさえあります。

ヘレニズムの申し子、ヒューマニズムの代弁者であるかのように思われた、
若き英雄は最後は毛沢東、ヒトラー、スターリンのように、
恐るべき殺戮者に変貌してしまっていました。

    外に向かってほとばしり出たエネルギーが内に向かったとき、
    狂気の沙汰を平気でする暴君と化する、これは、
    毛沢東、ヒトラー、スターリン、秀吉、アレクサンドロスに共通する、
    かなり普遍的なプロセスでした。
    偉業と暴虐とを推し進めるプロセスに、
    一種の狂気のファクターが潜んでいることを推測させます。

ゴッホもその典型例ですね。

    アムステルダムのゴッホ美術館をご覧になったら、
    ちょっと気味が悪くなる方も多いのではないでしょうか?
    同種の絵、たとえば、鴉の絵が数知れず並んでいるのです。
    同じモチーフを描いて描いて、飽きることなく、また描いて、
    その果てしない作業の果てに、百尺の竿灯なお一歩を進める、
    なにかが起こるのではないか、と期待しているかのようです。

学問でも、アートでも、どこか超絶的なファクターがからまず、
まっとう至極な営みから生まれるものは、
結局、まっとう至極で退屈以外のなにものでもないのかも知れません。
狂気と正気の狭間に潜む深く広い深淵を、闇夜に飛び越えようとする、
そんな「神懸かりのひとっ飛び」を敢行できる人だけが、
偉大な仕事を達成できるのかもしれません。




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by hologon158 | 2013-08-13 22:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.14 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」14 集中力こそ



今日はとうとう日本の温度最高記録を更新してしまいました。
四国の四万十市で41.0度。
その他12地点でも、各地点の観測史上最高の温度だそうですね。

世界記録は56.7度というのですから、けた外れですが、
温度というものは、その土地の中で相対的に考えるべきものです。

今日、炎天下40分ばかり歩きましたが、
なぜか土曜日は大阪十三ではるかに長い時間同程度の暑さで歩いたのに、
奈良の方が暑い、という感じがありました。
でも、その暑さの中で100枚ほども写真を撮れたのですから、
さほど苦にならなかったのも事実です。

    今日は、リコーGXR/A12にキネタール37.5mmF1.8を付けました。
    私のように、ただのレンズ試写人間にとっては、
    お気に入りのレンズを使ったことのない場所で使うときほど、
    興奮するものはありません。

私は1つ仮設を立てています。

    なにかに熱中する人間は、熱中症にはかからない。

シルクロードを周遊する2週間のツアーに参加したときも、
世界でも有するの高熱地帯トルファンでは、
45度を超していたはず。

    一行のみなさんは巨大な樹陰に逃げこんでいましたが、
    私ともう一人の青年は灼熱の廃墟を歩き回ったものでした。
    そのときも熱中症にかからず仕舞い。

おかげさまで、鏡をのぞき込んでも、前か後ろか分かりませんね。
先ほどの仮設は、夏だけではなく、
年中役に立つ対策に敷衍することができます。

    見ること、撮ることに熱中して、身体のことは考えない。
    そうすると、身体のことを忘れることができます。
    身体を忘れると、いくら歩いても疲れません。
    集中力こそ、あらゆることの鍵です。




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by Hologon158 | 2013-08-12 21:47 | Comments(0)

455.13 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」13 アーティスト気取り



YouTubeで、コマーシャル撮影風景を見ました。

    普通のレッスン場のようなところで、スターが踊っています。
    完成後のコマーシャル画面に変わりました。
    場所はどこか豪奢な邸宅のフロアー。
    スターは見違えるようになだらかな真っ白な肌になり、
    清らかに輝いています。

デジタル映像の処理技術が進んで、
この程度の加工処理はおそらく初歩の初歩なのでしょう。

以前にも、どこかのファッションコマーシャルだったと記憶していますが、

    まるでダ・ヴィンチの絵の背景のような夢幻世界にあでやかな美女。
    あんな風に撮れたらなあと、ため息がでる思いをしたことを思い出します。

関心がないので、聞き流してしまったことですが、

    新しいライカマウントのミラーレス一眼レフには、
    各種フィルムのように見せる設定、各種の仕上がりの設定が数知れず
    (と言うと大げさですが)用意されているのだそうです。
    アートフィルターと呼ぶそうです。
    こうなると、もうレンズの素の描写力など、
    結果と何の関係もないことになりそうです。
    つまり、カメラはアートツールとなっています。

とすると、撮影者はアーティストとしての才能を問われることになります。
人間がどれ位アートの才能を生まれつき持っているか知りようもありませんが、
この才能は日々あらゆる側面から育てる必要があることは明らかです。

    一生生活のためにあくせくして、
    アートにも美にも時たま触れる程度で、
    すべての精力を生きることに費やしてきた私たちは、
    心身の奥深く秘めていたアートへの才能をすっかり枯らしてしまった感じがします。

そのせいでしょうか?

    今ではアマチュア写真展を見ることはほとんどなくなりましたが、
    写真家がアートづくと、はっきり言って、ろくなことになりません。
    見られたものじゃない。
    デジタルプリントも、けばけばしく、リアリティを欠いた発色を
    あたかもアートであるかのように誤解して、とくとくとしている方が居ます。
    穏やかな色彩で十分にあでやかな色彩の饗宴を展開することができるのに、
    色だけがエスカレートしていく感じがします。

要するに、写真にアートを持ちこもうなどとしないのが良さそうです。

    人間、一番滑稽なのは、自分ではそれと知らずして、
    ドン・キホーテを演じることかもしれません。

私も、これだけたくさんの文章と写真をぶちまけているのですから、
目利き、達人の目から見ると、いっぱいドン・キホーテを演じていることでしょう。
でも、無知ゆえなので、防ぎようのないことです。
自分から進んで演じたいとは思いませんね。

    その中でも、絶対に演じたくないのが、アーティスト気取り。

私は美を渇望し、ロボグラフィに美を見つける人間です。
でも、これはロボグラフィがアートであることを意味しません。
ロボグラフィはあくまでもロボグラフィ。

    撮った本人は、その写真を見る度に、
    撮影の瞬間に感じた美を心に再現できる、
    ただそれだけのことです。




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by Hologon158 | 2013-08-12 16:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.12 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」12 気合い



土曜日の報告の最後。

午後3時58分大阪発大和路快速で帰途につきました。
十三は花火大会が開催されるということで、
本通りは浴衣姿の若い女性たちがあふれていました。

おかしいですね。

    若い女性がほとんど。
    あとはカップルが少々。
    若い男性はどうした?
    野球やサッカーに流れているのでしょうか?

しかし、なにをするにしても、どうも女性パワーが支配的となっているようです。

十三駅側で入った喫茶店も、女性二人の怪談がいっぱいに響きわたっていました。

    一人がどうやら別の女性友達との交友にさまざまな問題を抱えているらしいのです。
    そんな話題は、人中では声をひそめてやるものですが、
    私や女性主人がいることなど、まったく眼中にないようです。
    喫茶店全体にびんびんと響きわたる力感あふれる語り口で、
    意見交換を楽しんでいました。
    この気合いとエネルギー、
    現代の男性にもっとほしいところですが、無理でしょうね。

私としては、この話し合いにずっとおつきあいで聞き続けるわけにもいかず、
大急ぎでiPodを取り出し、
チョン・キョンファのブラームスのヴァイオリンソナタ3番をかけました。

    サウンド環境は地獄から天国に一変したかのようです。
    iPod様々ですね。

チョン・キョンファを聞いていつも思うのですが、

    どうしてこんなに水際だって颯爽とした音楽性の高い演奏をできるのでしょうか?
    音の隅々まで、音楽が生きているのです。
    どんなパッセージもこれ以上はないほどに美しい。
    ミューズの申し子のような演奏家です。

写真でもそうですね。

    なにを撮っても、生き生きとしてエネルギーがこちらに飛んでくる、
    そんなすてきな写真家がいます。
    写真家の世界でそのような写真家に出会う確率と、
    ブログで出会う確率はほぼ同じという感じがします。
    要するに、とても稀です。

しかし、出会うと、ただちにわかります。

    この人は違う!

そんな人に出会える。
インターネットにも天国が隠れているのです。




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by Hologon158 | 2013-08-12 16:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.11 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」11 ロボグラフィ知覚



土曜日の報告はまだ2回続きます。

午後2時40分出発してたった30分間撮影しただけで、すでに汗だく。
この夏撮影に出てこれだけの汗をかいたのは初めて。
午後3時10分、十三駅前のいきつけの喫茶店に入り、コーラを注文しました。

妻と子供たち(猫ですが)が待っています。
熱中症にならないためにも、これ位で切り上げましょう。

収穫は、

    ホロゴン4本、合計144枚。
    ライカM9、333枚。
    総数477枚、銀塩フィルム換算約13.25本。

この半時間路地から路地へとさまよい歩いたのですが、
おかしなことがあります。

    私は基本的に方向音痴なので、
    もうどちら向いて歩いているのか、
    どの方向に向かうのか、わからないのに、
    その路地という路地が全部、私がいつも撮っている路地だった!

体が覚えているのでしょうか?
それとも、私にロボグラフィ知覚なるものがあるのでしょうか?
(略して、ロボ知覚)

    もちろん正解は後者ですね(我田引水的問題解決法)。

こうしてスピードパンクロ35mmF2を使ってみて、
いつも感じることは、

    スピードパンクロ35mmF2も同種の描写なんだろうか?
    そうだとすれば、
    パンタッカーやゾンネタールに匹敵する魔術的レンズなんじゃないだろうか?

もちろんスピードパンクロ35mmF2があれば十分と考えるべきでしょう。

    中心部は精緻な解像力があって、ものをしっかりと描き出し、
    周辺部は幽玄な暗部を演出してくれて、
    しかも、ときに絞り込んでいても、中心部にうつくしいフレアがまとわりつきます。

戦前の偉大な女優たちのために生まれたレンズかも知れません。
コントロールはできません。
すべて、レンズと光のプレゼント。

    ドキュメンタリの作家には、耐えがたいじゃじゃ馬でしょうから、
    正確な表現力を実現してくれるライカレンズがよいでしょう。

    でも、ただ自分のために写真を撮って、
    超越的な境地をそこに見いだしたい素人には、
    スピードパンクロやパンタッカーのようなメタモルレンズがふさわしいようです。

汗が少しひいたようです。
午後3時半、ちょっと早めですが、帰途につきましょう。




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by Hologon158 | 2013-08-12 14:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.10 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」10 ピッピ



土曜日の続きがまだ。

午後13時45分、喫茶店に入りました。
45分間、炎熱のバックストリートをさまよって、
現在の総計は、

    ホロゴン3本、
    ライカM9が238枚。
    まあまあです。

残念なことに、裏通りの商店街は来る度に店が消えています。
いつも休憩する喫茶店は廃業。
向かいのお店だけが残っていました。

    お店のご主人はモーツァルトからブラームスあたりまでの音楽がお好きと見えます。
    天井近くにレコードを並べて、聞こえてくる音楽は、
    モーツァルトのクラリネット五重奏曲。
    レオポルド・ウラッハなのでしょう。
    (造詣が深いからではありません。当時のオーボエ奏者、彼しか知らない。
    後で主人に尋ねると、やっぱりそうでした)
    心の底から気持ちが休まります。

私は窓際の4人席に座り、カウンターには常連さんが4組5人座っています。

    ご主人を含めて、全員70代のようです。
    自分の未来の姿を眺めているようです。
    みなさん、なにするともなく、コーヒーを飲んでいます。
    老婦人など、私の居る半時間に3杯お代わりしました。
    バルザック並のコーヒー党なのでしょうか?

申し訳ありませんが、回想したり思案したりするとき以外には、
絶対に無為に過ごす人間にはなりません。
物心ついてから今に至るまで、
起きている限りは、なにかを一心不乱にするのが習性となっています。

    1歳8ヶ月の孫を見ていると、そのあたりは私と全く一緒。
    絶えず、自分で遊びを考え出し、なにかしては楽しんでいます。
    ぼっとテレビを見るなんてことは、大好きな歌を聴くとき以外はいたしません。
    このあたりだけは、私に似た感じがします。
    もっとも妻もそうなので、私だけに似たわけではないかもしれませんが。

今度我が家に来た赤ん坊(猫ですが)、
妻が「ピッピ」と名付けました。

    この赤ん坊まで私とまるでそっくりなのです。
    部屋中走り回っています。
    大きなお姉ちゃんの静の近くに行くと、
        「フー!」
    なんとまあ対等に脅しをかけているのです。

このちびを見ていると、
本来、無為に過ごさず、休みなくなにかやるのが、動物の本来の習性であり、
私や孫はその習性をまともに出しているだけかも知れないと思い至りました。
つまり、原始的なだけ。

    ぼんやり、ゆったりと時を過ごす、これぞ人間の進化の極致かも知れません。

午後2時40分、出発。




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by Hologon158 | 2013-08-12 12:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.09 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」9 現金に手を出すか?



午前中に阪急十三駅よりも西界隈を撮り、午後は東に移る、
それが私のパターンです。

    どこでも似たようなループパターンができあがっています。
    このパターンに沿っている限り、
    どんな風に動こうかという思案で頭を悩ませる必要がないからです。
    あとはそのときの気持ち次第でバリエーションを加えればよいのです。
    足の向くまま気の向くままというわけです。

午前中が183枚とホロゴン2本ですから、まずまずの収穫です。
ホロゴンは現像待ちですが、
液晶でチェックする限りですが、
スーパーパンクロの描写にはいつもかつ目させられます。

    幽玄の一語。

いつも嘆息し、そして思います。
モノクロームのエスピアナージュにこれほど似合うレンズはないのではないだろうか?

    「現金に手を出すな」というフランス映画がありました。
    主人公を演じたジャン・ギャバンは沈黙の演技を得意としていましたが、
    この映画はその沈黙の演技が成功した傑作なのでは?
    おそらくアンジェニューのようなフランス製レンズが使われたのでしょうけど、
    スーパーパンクロだったら、暗さがもう少し深さにつながったのでは、
    なんて考えたりしてしまいます。

それにしても、「現金に手を出すな」
とてもよい教訓ですね。

    私の場合は、教訓が身に染みついてしまったせいでしょうか、
    現金に手を出せない状態の一生でした。

    でも正直に言いますと、
    現金がもし目の前に出現したら、きっとためらわずに手を出すでしょうね。
    だって、キノプラズマート50㎜F1.5とスピードパンクロ50mmF2、欲しい!
    でも、現金がなければ、この2本、無理してでも欲しいとは思いません。
    そのあたりが、ホロゴン15mmF8との違いでしょう。

私がこの映画を見たのは、記憶する限りでは、かなり子供の頃でした。
記憶力の悪い私ですが、いくつかのシーンを今でもしっかり覚えています。

私がこの映画を見たのは、記憶する限りでは、かなり子供の頃でした。
記憶力の悪い私ですが、いくつかのシーンを今でもしっかり覚えています。

    たとえば、ギャバンがホテルの一室に一人居て、
    クラッカーにチーズを塗りながら食べるシーン。

思い返してみると、食べるシーンはいっぱい覚えているのですから不思議です。

    子供の頃から大人の映画を見せるという私の母親の教育方針は、
    ちょっとでたらめだった感じがしますが、
    私の人生には大きな影響を受けた感じがします。
    なにもグルメになったわけではありません。
    私は大の大の大の映像ファンになってしまったのです。

    これまで数知れぬ映画を見てきましたし、
    大学生の頃から写真にのめり込んでしまい、
    一生治らぬ病になってしまったわけです。

ですから、親というものは、子供になにを見せるとしても、
それが永続的な影響を与える可能性が高く、
ときには予測不能のリスクを秘めていることを忘れないようにすべきですね。

ランチには生ビール小ジョッキをつけてもらいました。
大エビのフライは頭からしっぽまでビールのお肴にぴったり。
ご機嫌で昼食を終えました。
午後1時出発。




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by hologon158 | 2013-08-11 21:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

455.08 ホロゴン外傳117「2013年7月20日大阪平野でゾンネタールを再認識した」8 一番好きなこと



昨日の続き。
午前10時40分阪急十三駅到着。
ただちにライカウルトラワイドで撮影開始。
駅西の有名な「しょんべん横町」とその西の飲み屋街を撮影しました。

    驚いたことに、もうあちこちのカウンターは人で埋まっています。
    昔と違って、男女半々位でしょうか?
    朝から呑んでいるのです。

「驚いたことに」と書きましたが、本当は別に驚くことではありませんね。
彼ら、自分の一番好きなことをしているのです。

彼らから見れば、私の方こそ驚いたことでしょう。

    すでにカンカン照りなのに、
    日差しの中平気で写真を撮り歩いているのですから。

つまり、彼らも私も一番したいことをして楽しんでいる仲間のようなものです。
しかし、ちょっと心配になります。
朝から呑み始めて、いつまで呑むのでしょう?
夜まで?
そうだとすると、もうアル中寸前なのではないでしょうか?

私も「写中」なのでしょう。
こちらは健全な中毒で、心身ともに健康にしてくれます。
新潟七人衆も、さしずめ「新潟写中」のみなさんということ。

一方、アル中は、心身を少しずつすり減らしていきます。
その上、懐もすり減らしていきます。
おっと、こちらは写中も一緒かな?

さて、しょんべん横丁界隈はロボグラフィの宝庫。

    あっと言う間にホロゴンを一本撮り、ライカM9にスイッチ。
    33枚撮ったところで、いつもの喫茶店に入りました。

午前10時50分、モーニングタイムに間に合い、
ジャムトースト、卵とアイスコーヒーのセット300円を注文。

    10分で69枚なのですから、本日も晴天なり、ではなくて、好調なり!

今回は新しいサイクルを試すことにしました。

    まずホロゴンで一本撮りきり、
    フィルム交換はしないで、ライカM9にスイッチして、
    撮るだけ撮って、休憩。
    このサイクル。

フィルム交換は休憩中にできますので、
ポロッとホロゴンを地面に落下させる危険も避けられます。
これまでは、ホロゴンで少なくとも2本はとり続けるのですが、
それでは、かなり遠くまで歩いてしまいます。
1本だと、ホロゴンで撮った場所を逆行して、スーパーパンクロで撮れます。

今日は、ホロゴン用のコダックフィルムは感度100。
EV12で、シャッター速度は60分の1秒ですから、
日中は、どんな暗がりでもEV値10程度ですから、どんな場所でも十分撮れます。

がんばりましょう。
午前11時20分出発。




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by hologon158 | 2013-08-11 21:34 | ホロゴン外傳 | Comments(0)