わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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707.05 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」5 美と人生と



10月11日水曜日、
午後12時45分、近鉄奈良駅近くの歯科で治療、
午後5時から新大阪駅近くのココプラザでリコーダーの練習。

まず、歯科治療ですが、バスが20分早く着いたので、
東向き通りをしばらく撮影。
ソニーα7には、
ライカの古い28mmFレンズ、
ズマロン28mmF5.6を付けました。

もちろん、すべてのレンズの原則、
開放オンリーです。
と、言っても、F5.6なのですから、十分絞り込んだも同然。
ズマロン35mmF3.5に似た、とても美しい仕上げの金属鏡胴と、
立体感と深みのあるイメージ。
方形のフードがとても良く似合います。
と言うか、ほとんどフードだけでその存在を誇示できる、
珍しいケースかも知れません。

洋品店の窓の窪みにおかれた観葉植物を撮っていると、
年輩の女性が背後から声をかけました、
「きれいな葉ですね」
ちょっと立ち話。
「私はこれが好きで、通りかかる度に撮っているのですが、
いつもどこかキリッとした品が際だっていて、
好きですね。」
「花を撮るのがお好きなのですか?」

このあたりで、会話の車輪が脱線します。
「いえ、道ばたのものなら、なんでも撮ります」
この回答は理解を超えていたようです。
写真は美しいものを撮る、
その美しいものとは、誰もが美しいと思うものに限られる、
これが一般のコンセンサスのようです。
美の基準の問題です。
上記の考え方は、いわば美の民主主義。
多数決で決めよう!

でも、私の感じるところでは、
美ほど民主主義が似合わないものはありません。
全世界の人がこれは美しいと断言しても、
私が美しいと思わなければ、
それは美しくはない。
逆に、私が美しいと感じたら、
全世界の人がこれは美しくないと断言しても、
美しい。
さらに、言えば、あなたがこれは美しいと思うものを、
全世界の人が異口同音に「その通りだ!」と叫んでも、
あなたは自分の感覚は平凡だなんて思う必要もないのです。
常に自分の感覚によって決まる、
これが美の本質ですね。
極度にプライベート。

でも、ぐらっとよろめく体験をしたことがあります。
10年ほど前、友人たちと写真展を開催したことがあります。
その一つを見に来てくれた知人が、
見終わったあとで、こうぼそりと言ったのです、
「実はあんたの写真、好きじゃないんだ」
私は愕然としたことを覚えています。
好悪は人それぞれなのですから、
私は、自分の写真を「美しいでしょ!?」なんて、
人に押しつけるつもりはありません。
でも、なにも私に向かってはっきり言わなくても、ねえ?
至上の美のみを美と認める人です。
自分には醜いものを平気で撮る人間には辟易したのでしょうか?

今、この出来事を思い出して、
はたと気づきました。
そうなんだ!
この世の中には、人が美と感じられないものを喜んで撮って、
ブログに掲載している人もたくさん居るでしょうけど、
こんな写真好きじゃない、いや、きらいだ、
そう感じる人がたくさん居るんだろうなあ。
そこで、フェイスブックにせよ、ブログにせよ、
大なり小なり、多くの読者が共感できるように、
自己主張をかなりセーブしている方が多いでしょう。

会議で自分の主張を通そうと決意している提案者は、
出席者たちに巧みに話を持ちかけて行って、
この際、賛成に回る方が流れに沿った動きだ、
そう感じさせるように持っていきます。
誰も、いきなり、
「私の提案に賛成するか反対するかは、あなたの自由ですよ」
なんて持ちかける人はいませんね。

私のロボグラフィブログ2つはどうやら、
この誰もやらないような提案をし続けてきたようです。
そうか、あのときの知人のように、
「このブログ、好きじゃない」
そう、たいていの方に思わせるように、
ひたすら自分本位にブログを続けてきたのですから、
あのときの知人のように、
「このブログの記事も写真も好きじゃない」
そう感じて、2度とアクセスしない人が居るかも知れない、
というより、大半がそうかも知れませんね。

でも、怪我の功名のようなもので、お陰様で、
一人静かにブログ人生を楽しんでこれました。
私にとっては、
これからますますブログが存在価値を増すことになりそうです。
というのは、高齢になればなるほど、
心も体も、劣化を防止するためには、心身どちらにせよ、
エクササイズ、トレーニングとなるような方法を沢山見つけ、
それらを絶え間なく実行しなければならない、
ブログは心の劣化の防ぐ、とてもよいメソッドだ、
そう悟っているからです。

その最高の実例がイチローですね。
誰も真似のできないような苛酷なエクササイズを、
一日も欠かさず続けてきたようです。
歴史に名をとどめるため?
私はそうではないと確信しています。
もしそうだとしたら、もうこのあたりのまさに絶頂期で、
名声に包まれて引退するのが最上の策ではありませんか?
年々、彼の出番は減り続けているのですから。
偉大なスタープレーヤーとしての記録を数え切れないほど
樹立してきたイチローにとっては、
代打の安打記録なんて、蛇足としか言いようのないデータ。

そうではなく、野球選手としての日々を重ね続けること、
これこそ、彼の最高の喜びなのではないでしょうか?
イチローの最大の願いはなにか分かりますか?
私には分かります。
「現役の大リーグプレーヤーとして死を迎えること」

私もそうです。
日々無為に過ごし、静かに朽ちていく?
とんでもない!




by hologon158 | 2017-10-15 11:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.04 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」4 過剰エネルギーで 


月曜日、親友のDAさんと佐保路を歩きました。
彼から尋ねられました。
「平素はどんなところを回っているですか?」

彼も奈良郊外に住んでいて、
今では定年退職後も仕事を継続しつつ、
週半分はフリーの身です。
佐保路と奈良市内を主な猟場として、撮影を楽しんでいます。
私とちょうど正反対で、「一発必中型」
好みの光景にぶつかると、
奥行きと高さのある見事な情景をしとめます。
いつも書いていることですが、
気配の写真家入江泰吉先生の衣鉢を継ぐような、
大和路の情感の写真家。
だから、一日に撮るのはせいぜい十数枚程度。

私は数で稼ぎますが、情感のこもった写真作品など、
間違っても撮りません。
だから、撮れるのは一山のロボグラフィ。
私だけが心を通わせる、プライベートメモ。

しかも、その撮り方はぐっと迫って、いきなり撮る。
主題と背景という構造はなくて、そのものずばりだけ。
同じルートを何十回とパトロールし、
同じものに出会って、
「おっ、元気にやっているね!」と、一枚撮ります。

撮るもの、撮り方が一緒なので、
マンネリに陥る危機を常にはらんでいます。
すでにマンネリなのでしょう。
でも、本人の心の中では、まるっきりそんな気分はありません。
この世の中、人がやることで、
マンネリ的なんだけど、マンネリにならないものがあります。
いくらでも見つかります。

野球のバッター。
ピッチャーが同じ位置から同じボールを投げ、
同じ位置に構えるキャッチャーのミットに収まる。
バッターはそのボールを途中でバットで邪魔をする。
ただ、それだけ。
でも、野球選手たちはおそなく何十万回とバットを振り続けて、
この邪魔の技を磨きあげます。

弓道もそうですね。
同じ距離にある同じ大きさの的。
同じ大きさの弓に同じ大きさの矢をつがえて、
弓を引き絞り、矢を的めがけて放つ。
この行為を何年も、何十年も反復します。

夫婦の交わりもそうですね。
何年も何十年も一緒に暮らし、
あきることもなく、この世の魅力的な女性たちにも心を動かさず、
夫婦もそうですね。
何年も何十年も一緒に暮らし、
あきることもなく、この世の魅力的な女性たちにも心を動かさず、
多くの場合、死ぬまで一緒に暮らします。
私なんか、まだ日々、妻に驚かされています。

つまり、同じことをしても、決して飽きないことがあるのです。
私にとっては、ロボグラフィがその一つ。
50年間、まだ飽きたことがありません。
というより、ますます面白くなっていく。
十年近く前にモノクロームフィルムを廃棄しました。
最初の12年間に撮り溜めた3600本。
廃棄する前に、フィルムをランダムに10ほど選んで、
光にかざして、チェックしてみました。
モノクロームを楽しんだ人ならおわかりでしょう。
白黒フィルムを光にかざすと、
ある角度でリアルが映像が浮かび上がります。
驚きました。
今と同じ、ロボグラフィが大半を占めている。

私の選んだ職業は最初からいきなり過重で責任の重い仕事でしたから、
写真ははじめからライバルとの競争ではなくて、
週末の撮影はまさに仮想空間に現実の責任の忘却、
生きる行為からの逃避、カタルシスだったのでしょう。

でも、いつも同じアイテム、空間を同じように撮るという行為は、
漫然と続ける限り、エキサイティングなときめきを誘うことがなくなり、
いつかは心をすり減らしてしまいます。

じゃ、どうやって、ロボグラフィを飽きずに続けてきたのか?
もちろん、私の特技によって。
私は記憶力に極めて乏しい。
このような人間は、撮影の際、
いわば記憶をゼロにリセットするのが比較的簡単なのです。
幾度も繰り返し撮ったロボグラフィを前にしても、
改めて、ぎょっとすることができます。
「わっ、こんなもの、見たことがない!」

そうできる一つの梃子が、
メタモルフォーゼに対する私のスペシャルな傾斜です。
ある現実のものを見て、自然に、
そこにはない空想的なイメージに置き代わってしまうのです。

たとえば、ゴミ箱は、たいていの方にとってはゴミ箱。
でも、私は、ときに、別のものを見つけます。
今日も大阪加美の下町の街角で、
なにかにギョッとしたらしく、
目を大きく開いて立ちすくむオバQを見つけました。
ジュース缶の収納ボックスでした。
そして、面白いことに、写真に写っているのは、
私の第一感どおりのオバQです。
でも、そう感じるのは私だけかもしれません。
こんなものを人に見せても、誤解を招くばかり。
だから、私は人に「見て見て」と言ったりはしません。

でも、ときどき、自分が写真の最上の楽しみ方を見つけた、
そう自画自賛したくなります。
だから、今もそうしているのですが、
まさにこれぞ「永久機関」の一種かも知れません。
他人の認知、賞賛を必要としない。
自分自身が努力をしなくても、
写真撮影のエネルギーが湧いてくる。
そのエネルギーがブログにもなだれ込んでくる。
きっとどなたにも付き合いきれない過剰の世界なのでしょう。
それでよいのです。
私はこの過剰エネルギーで人生を楽しんでいるのですから。





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10月5日木曜日、
奈良町に参りました。
今日は図書館通いの日です。
突然、近頃、ホロゴンとご無沙汰に気づきました。
ならば、いっそのこと、ホロゴン15mmF8Mを使ってやろう!
午後12時45分のバスに飛び乗って、高畑町で下車。
気の向くまま足の向くままホロゴン行脚。
さすがに使い勝手が良い!
いつもパンフォーカス、フォーカシングが不要なので、
他のレンズの1.5倍のスピードで撮れます。
私には、やっぱりホロゴン!
というわけで、今日はホロゴン15mmF8Mと深いおつきあい。

奈良町を歩いていて、一つ感じること。
中国、韓国からの旅行者が俄然目立ちますが、
若い日本人女性も増えている。
男性はかなり少ない。
若い男女の比率は5対1ほどでしょうか?
若い男たち、暇なときはなにをしているんでしょうね?

近頃は、超広角レンズを軽く使いこなす人が増えました。
ありふれた標準レンズの範疇に収まってしまったようです。
どなたもが気軽に使っているようです。
でも、一ついつも感じることがあります。
どなたも超広角レンズの活用法が限定されています。
広く大きな光景を撮る!

もちろん私もそんな使い方をします。
でも、超広角レンズの一番面白いポイントは、
超接近して、深く撮る、ここにあるのでは?

私がこう考えるのも、私の性格故なのでしょう。
友達づきあいと一緒。
広く満遍なく、ただのおつきあい、なんてつきあい方は、
まっぴらゴメン。
心を割って話せる、そんな交わりでないとねえ。

というわけで、今日はホロゴン15mmF8Mと深いおつきあい、
というわけです。

奈良町を歩いていて、一つ感じること。
若い日本人女性も増えている。
若い男性との比率は5対1ほどでしょうか?
若い男たち、暇なときはなにをしているんでしょうね?
私のように、ブログをせっせと作っているのかな?



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by hologon158 | 2017-10-14 22:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.02 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」2 いつも同じ



10月4日水曜日、
昼食の後、午後12時45分、歯医者さん。
午後5時、新大阪駅近くのココプラザでリコーダー練習。
2つの用件の間が抜けています。
みなさんはどう使うのでしょうか?
私の場合、空き時間は3つの用途にあてます。
① 歩く!
② 歩きながら、撮る!
③ 途中休憩時間がとれたら、ポメラで文章を書きまくる。
Yoshiさんには負けますが、
呼吸するように撮り、呼吸するように考えを巡らし、
呼吸するように書きたい、これが私の理想。

私のブログは、同じものが同じ撮り方で頻出することで有名です。
(この最後の句はただの装飾ですから、キッとならないでね)
人が来ないし、来ても、あまりにいつまでも写真がつながっているので、
いつも途中で挫折する人がほとんどでしょうし、
私の過去の写真を覚えている人なんか居ないでしょうから。

でも、問題は私自身です。
撮影者本人はいったいこの問題をどう考えているんだ!
と、厳しく追及されると、
ここは、やっぱり、正直に白状させていただきましょう。

私はその瞬間、まるっきり思い出さないのです、
その被写体を何度も撮ったことなど。
今向き合って、今撮りたい、ただそれだけ。
前に何度撮ったことも関係がない。

あなたを愛している誰かを見つめるとき、
「ああ、前にも見たから、まあ、いいや」
なんて、考えませんね。
飽きずに眺め尽くそうとしますね。
それと同じ。

しかも、私は写真家じゃないので、視覚効果を考えて、
慎重に光を読み、構図を決めて、なんてことはいたしません。
いきなり特定の場所にカメラを持っていって、
ノーファインダーの場合は、そのままシャッターを落とす、
ピントを合わせる必要がある場合は、
常時拡大表示してある液晶画面でピントを合わせ、
その瞬間にシャッターを落とす、
この2つのやり方で撮ります。
撮りたいものだけを画面いっぱいに撮り、
構図、布置など考えないのが私の流儀だからです。

ほんのときたま、記事を検索する必要があって、
以前の記事を見返すことがあります。
その機会に写真を見返します。
「下手だなあ」とか「もう少し構図を考えなきゃ」なんて、
けっして考えません。
「ああ、こいつにここで会ったなあ」と感慨に耽るだけ。
これも、恋人にあったときと一緒ですね。
ただ、見つめるだけ。





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by hologon158 | 2017-10-12 11:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

707.01 ホロゴン外傅213「2017年9月9日タンバール90㎜F2.2生駒幻泳の1日」1 タンバール 


9月9日、友人3人と、友人の車に同乗して、
生駒市の南部を撮影しました。

車の使用は、普段しない撮影スタイルです。
「湯水とともに赤子を流す」という言葉がありますが、
「乗り物のスピードと撮影チャンスは反比例する」
これはある無名の写真好きの至言です。
私のことですが。

ある風景写真家は、助手席に座って、
バックミラーを曲げて、過ぎ去る光景をチェックしたそうです。
かなり危険な行為ですが、こうすることで、
高速で走る車中からでも、撮影ポイントを見逃さない、
そんな工夫をしていたのでしょう。

でも、こんなエピソードから、かなりの風景写真家は、
自分と風景とを分けて考えるのでは、と感じます。
入江泰吉さんは違ったようです。
その場の空気、情感、気配の中に自分を感じるまで、
じっとその場を感じ、その場に溶け込もうとされたようです。

ロボグラファーは、歩きながらですが、
その場、そのものになにかを感じた瞬間にシャッターを落とします。
感じない限り、シャッターを落としません。
心がどこかで結ばれていない限り、友人とは言いませんね。
それと同じ、私がその場のなにかに心が通じる感触があって、
はじめてロボグラフィが成立するからです。
つまり、とても内密のプライベートな交情の記録。
だから、外部に発表しても、理解して頂けないでしょう。

タンバールは、私にとっては大切なレンズ。
ロボグラフィにとても相性がよいレンズだからです。
誰かがあなたの愛する人を見ても、なにも感じないかもしれない。
それと同じ。
タンバールは私が感じたままの気持ちをその場に染み渡らせる、
そして、その気持ちは、他の人には無縁、理解困難、
そんな感じがあるのですから。




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by hologon158 | 2017-10-10 23:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.05 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」5-完-ワクワク



9月30日は私の孫二人は運動会でした。
「ワクワクカーニバル」と銘打って、
保育園の子供たちがさまざまに演技します。

下から2番目のクラスの3歳の孫プリンセス、
初めての運動会でしたが、リラックスして楽しんでいました。
5人ずつ走る駈けっこでは、断トツの1位でした。
駈けっこするのなら、まっすぐ走るだけ!
3歳の子供たちの多くはなかなかまっすぐ走れません。
絶対にお兄ちゃんに負けないと決意している妹です。
今、なにをするのか、しっかり理解します。
だから、頭をしっかり立てて、
文字通りまっしぐらにゴールに向かって走りました。

5歳の孫プリンスは最年長のクラス。
5つも出し物があります。
その一つが縄跳びをしながら走るリレー。
運動能力が一目で分かってしまう競技です。
1回ごとにロープが足にからまって、
その場で止まってしまう子から、
韋駄天走りをしながら、その走りに合わせて、
ロープが完璧に回転している子まで。
ただし、そんな子は毎年、3、4人ですね。

孫プリンスはこの縄跳び走りが大好き。
1週間前にマンションの小広場でやってくれました。
ロープが孫プリンスの4、5cm前で地面にぶつかり、
孫はそのロープを後ろに引きながら回ります。
これじゃ、走れませんね。
ロープが長すぎるのです。
ロープが本人の足下直前に最下点に来るように、
ロープを調整しました。
あっと言う間に、孫は縄跳び名人に変身しました。
縄跳びしながら走れます。
その動きが足がしっかり延びて美しい。
これなら、縄跳び走も完走できそう。

本番は予想を遙かに超えていました。
全員が順番に縄跳びしながら、グラウンドを一周するのです。
大抵の子はうまく走れません。
きちんと縄跳びしながら走れる子もスピードはゆっくり。
孫プリンスの番になりました。
それまでの子供たちはどんどん順番に数メートル置きに出発。
でも、孫プリンス、先行の友達がかなり進むまで、
その場を動きません。
いきなり出発しました。
コマ落としをしたかのように、猛スピードで、
流れるように駆け抜けました。
その秘訣は直ちに分かりました。
たいていの子は肘全体を動かして縄を回します。
孫プリンスは、腕を下に伸ばし、手首をくるくる回していました。
私の周囲の人も一斉に驚きの声を上げました、
「あれ、なに?」
「早い! 早すぎる!」
「凄い!」
孫プリンス、自分が高速で走れるのを知っていたので、
スピードに乗って走れるまで、先行者が邪魔にならないように、
間隔を置いたのです。
もちろん、あっと言う間にスピードに乗り、
第2コーナーを回った後、直線で先行者は抜きました。
そのあたりの計算までして走れるのですから、
運動の勘はかなりのものです。

そこで思ったのですが、
子供の頃、教えてくれる大人が居たら、
私も運動嫌いにならなかったかもしれない。
父は家でも仕事尽くめでした。
母は4人の子供抱えて、
家事にやすみなく忙殺されていました。
学校では、どんな運動も基本動作を教えたりせずに、
いきなり本番でした。
体育の先生たち、基礎を教える気持ちなどなかったようです。
だから、運動嫌いの生徒は完全に置いてきぼりでした。

成人してからだんだんと分かってきたことですが、
私は別に運動音痴ではなかった。
ただ単に方法を習得する機会がなかっただけ。
でも、それが分かっても、運動嫌いが直るわけではありません。
まず、運動に必要な筋肉が鍛えられていない。
そして、長年、運動なしで生きてきたので、
別に運動したいとも思わない。

それでも、高年齢になるにつれて、
体を動かすことが大変におもしろいことがわかってきました。
そして、長生きしたければ、体を鍛えないといけないことも。
と言っても、別になにかスポーツするわけではありません。
よく書いていますが、
20年ほど前、膝がカクカク言い始めました。
私が毎朝必ずストレッチをするようになったのは、それから。

13年ほど前から揚琴を習い始めました。
楽器はすべて実は運動ですね。
全身を使うのですから。
楽器は順次、二胡、リコーダー、ハーモニカと増えていきました。
そして、すでに50年続けてきた写真。
これも私のようにストリート中心の人間は、
心も体も敏捷でなければ始まりません。
とくにこの10年ほどは路傍の草草を見つけて、
さっとしゃがんで撮るロボグラフィはとくに体力勝負です。
なんのことはない、気がついたら、
運動能力、とくに敏捷性を日々鍛えてきたようです。

10年前書斎の虫らしく、肩にほとんど筋肉がなかった私が、
今では、シュワルツネッガーのように、とまでは行きませんが、
とにかく首の周辺にも筋肉がついてきました。
一日中歩いても、ほとんど疲れませんし、
翌日には、疲れがぜんぜん残りません。

自分の身体がかなりどえらい変貌を遂げていることに、
私が気がついたのはつい最近です。
今では、身の回りでなにかが転げ落ちそうになっても、
次の瞬間には自動的に受け止めています。
要するに、ごく自然に動けるようになったようです。
心身ともにまさに現在の境遇、自由人にふさわしい人間に
生まれ変わりつつある、そんな気がしています。

これからが、私にとっては、本当の人生!
昔の人生を懐かしんでも、仕方がありませんね。
昔を今になすよしもがな、です。
残された可能性にすべてを賭ける、これしかない。
昔の職業、地位を鼻の先にぶら下げている人がいます。
「余を誰と心得るか?
先の副将軍水戸光圀なるぞ!
下郎下がれ!」
ご心配なく、我々みんな心得ていますよ。
私もあなたもただのおっさんであって、
それ以上でそれ以下でもない!

でも、こんな方と私はちょっと違いがありますね。
私はこれからの未来で自分の新しい人生を築く。
彼は過去の自分に恋々としがみついている。
新しい自分が欲しければ、過去の自分はあっさり捨てなきゃ!
彼は過去の全部が重石になってのしかかっていることに、
気づいでないのでしょうか?
自分の過去にばかり視線が行くので、
そんな方の目は沈みがちのようです。
きらきら輝いていないじゃありませんか?
今をワクワク楽しまなきゃ!!




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by hologon158 | 2017-10-09 23:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.04 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」4 毎日訓練!


今回は、どなたにとっても人生で一番大切な基礎訓練のことを書きます。
何度も書いていますが、また、一纏めに書いてみましょう。

3週前から、突然思い立って、実行しています。
毎日必ず一回は、絶対に、歩く!
もちろん健康のため。

私の場合、決意したら、続けることができます。
かなりの方は、続けられないので、始めません。
でも、そんな方も本当は続けられるのです。
できないと思いこんでいるだけ。
そんな方もよくかんがえて見ると、
生涯にわたって続けてきたことが沢山あるはず。
たとえば、毎朝起きると、着替える。
歯を磨いて、顔を洗う。
朝食をいただく。
親のしつけかもしれませんが、
やっぱり、そうするのが必要、そうしたいから。
だから、結局、なにか新しいことを始めるときには、
それが自分には絶対に必要だ、有益だ、と思うことが肝心ですね。

私は、歩くことが絶対に必要、そう確信しています。
映画「七人の侍」に忘れられないセリフがあります。
略奪を繰り返す夜盗に業を煮やした百姓たちが、
自ら武器を取って戦おうと決意し、連戦錬磨の武士を雇います。
志村喬演じる老戦士は、百姓たちに走る訓練を施し、
こう叫ぶのです、
  「いくさとは走ることぞ!
   走れなくなるときは、死ぬときぞ!」

これは彼が体験して学び、実践して来た生存の極意ですね。
こんな貧困の村に雇われている身になったのは、
これまで幾度も敗北側にばかりついてきたせいなのです。
敗戦のなか必死で走り続けて落ち延びてきたのです。
勝利者側の兵士たちは打ち取った首の数で恩賞をもらうのですから、
必死に追いかけて来たはずです。
走れなくなった戦友、部下たちの多くは命を落としたのでしょう。

私たち人間すべてそうですね。
20年近く前、突然、膝がカクカクと音を立てたのです。
ちゃんと毎日歩いているのに、
ガタが来始めたのだろうか?
愕然としました。
そこで、何度も書いていますが、直ちにヨガマットを買い求め、
自分で思いついた腕立て伏せや腹筋体操や自転車漕ぎなど、
十種ほどのストレッチを10分程度、起床後欠かさず続けてきました。
肺炎のときだって、熱がない限り、続けました。

どんなことも、理想は呼吸です。
まったく意識していないけど、
やめると、それが命に不可欠と分かります。
そこまで必要性の高いことって、あまり多くないでしょう。
でも、つつがなく頑健であり続けることは、
しっかり呼吸し続けること!
これが長い一生の最大の希望条件。
妻を愛し、子供(猫を含む)、孫たちを愛すること、
写真を愛すること、
これらもそんな条件に私は数えます。

ストレッチの効用は、
単に体の柔軟性を高めることに限定されません。
体を鍛えることもできます。
両手を左右に振って、脇腹を思いっきり叩くこと、
この60回がストレッチの山場です。
最初は脇腹が痛かったのですが、今は「もっと強く!」

シャドウボクシングも取り入れました。
最初は頼りないものでした。
それがどんどんと中心にびしりと決まるようになり、
腕のスピード、確実性も高まりました。
最後に左右連打で締めますが、
その交替のスピードも格段に高速化しました。

効果の一つとして、
階段はすべて2段跳びあがりしますし、
路上走ることも楽々できるようになりました。

でも、考えました。
これだけじゃ、足りない。
水素吸引をずっと毎日欠かさず続けています。
これも健康を異常に高めてくれるようです。
第一の効能は、体内の悪性活性酸素2個と結合して水となり、
体外に排出してくれること。
第二の効能は、血行をよくしてくれること。
顔の血色が格段によくなりました。

でも、だからと言って、運動をしないで、
ぐーたらと食っちゃ寝るだけではだめでしょう。
ここでこそ、活発な運動、歩行が生きてくるはず。
そこで、夜30分から40分の半身浴も毎日絶対に欠かさずやってきました。
その間、マッサージ、エクササイズもやり続けます。
でも、まだまだ運動が足りない!
やっぱりもっと歩かなきゃ!
週2、3回の外出、撮影だけでは足りない。
とにかく毎日歩こう!
そう言う訳で、「毎日散歩」を始めたわけです。
毎回、1時間半から2、3時間、歩きまわります。
(もちろん合間に喫茶店で休憩を取ります)
お陰で、毎日、ぴんぴんと元気で、瞬時に就眠し、ぐっすり眠れます。

さあ、あなたもやってみましょう!
あなたが80歳でも、やってみましょう。
人間、90歳台でも筋肉を鍛えることができます。
心はもっと高齢でも鍛えられるはず!





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by hologon158 | 2017-10-06 13:42 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.03 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」3 島々清しゃ


映画「島々清しゃ」を観ました。
内容紹介はネットでご覧ください。
名作「百円の恋」で、希代の名演を繰り広げた安藤サクラさんが、
都会からたまたま島にやってきたヴァイオリニスト。
音感が良すぎるために、周囲の音に耐えられず、
遮音ヘッドフォンを常時つけている少女と出会い、
なにが起こったか?

調べていませんが、
この二人を含むほんの数人だけがいわば本職のプロで、
他はかなり現地の沖縄の人々なのではないでしょうか?
そう思うほど、せりふ回しが稚拙。

ヴァイオリニストがいわば修行途中の子供たちを放り出して、
挨拶もなしに唐突に島を去るあたり、
どうも説明不足で、クライマックスの盛り上がりが今一つですが、
もともと深いせっぱ詰った理由から島に来た訳でもなさそうですから、
深い理由もなしに島を去るのも当然かも?
でも、そう感じさせるほど、主人公の人物設定が浅過ぎる感じ。

むしろ沖縄の小さな島の人々と風土が文句なしに清々しい。
その清浄の気に触れるだけで、
この映画の価値は十分ある、そんな感じがしました。
島の人たち、子供から老人に至るまで、
どこかが、なにかが違います。

私が少年時代を過ごした大和高田市の記憶がよみがえります。
そんな少年時代に私の周りに居た人たちよりも、
さらに心が澄んだ人たち、そんな感じがします。
風土と歴史が可能にしている、心の豊かさ、温かさ、なのかも。

そして、もう一つ印象的だったことは、
島の人たちが音楽に生きていること、
音楽が人生の隅々まで浸透していること。
生き甲斐なんてレベルではなく、
生きることそのものであること。

ヒロインのヴァイオリニストは島での体験を経てもなお、
とてもその域に達したとは思えません。
彼女が、知り合った人々に別れを告げずに、
ひっそりと島を立ち去ろうとしたのは、
彼女の敗北宣言だったのかもしれません。

翻って考えてみますと、
私にとって、写真も音楽もその域に達しているとは思えません。
沖縄の人たちは、生まれたときから、
土着の音楽に囲まれ、土着の音楽を呼吸できる、
このことが生きているのでしょうか?
沖縄の歴史を十分理解しているとは思いませんが、
私の知る限りでも、沖縄の人たちの歩んで来た苦難の歴史は、
沖縄の人たちは、音楽に生きることができたからこそ、
その苦難を耐え抜くことができたのかも知れませんね。

そのように考えると、大和の民ほどに、
音楽との距離が大きい民族は地球上少ないのかも知れません。
どの民族ももっと生き生きと音楽を生きています。
音楽は生きることに欠かせないファクターのようです。
誰でも歌い、誰でも踊り、誰でもなにかの楽器を演奏できます。
男も女もできます。
そうしなければ生きて行けないほどの切実さがどの民族にもあった、
ということかも知れません。

もっとも、日本でも平安朝まではそうだったのかも知れません。
詩歌管弦は平安貴族の基本的素養だったからです。
光源氏も踊りました。
平安朝の武士も詩歌をよくしました。
陸奥の勇将、阿部貞任に歌を良くした事績が、
2つも残されていることは有名ですね。
そして、民衆も歌と踊りに生きていたようです。

でも、鎌倉期以降、あまり風流な武人はいなかったようです。
辞世の句は残されていますが、
これはあらかじめ用意していたものです。
どんな状況で死を迎えるか予見不能です。
辞世の句を残せないような恥ずかしい事態は避けたいので、
余裕があればその場で作るけど、
無理なら、用意した句を詠いあげて死を飾る、
それが武士のわきまえだったわけです。

俳諧が武士階級に流行したことは事実ですが、
本物の域に達した人はわずか。
句会は、戦いに明け暮れ、明日をも知れぬ戦国の世に、
せめてひとときでも平安静穏のときを過ごしたい、
そう願った武将たちの安息の場だったようですが、
俳諧を生涯愛した武人はかなり少ないようです。
商人階級の音楽との距離もかなり武士たちに近かかったようです。
日本人の道徳観が音楽との距離を遠くして来たのかも知れません。

私と写真との距離も、
この戦国武将たちに似ている感じがします。
命を賭けるところまでは到底届いていません。
会社を出て、運転手に、
「うん、なんだな、今日は疲れたな、
よし、青坂に行こうか?
サナエにそう伝えてくれたまえ。
家には、会議が長引いているので、
今晩は帰れないかも知れない、
そう連絡しておいてくれたまえ」
そんな社長さんと似たスタンスかも知れませんね。

でも、そんな関係が50年間も続いてきたのですから、
私としては、写真を愛する点にかけては、
この社長さんより遙かにまさっている、
そう言わせてほしいですね。

こんな風にあれこれと考えて行きますと、
映画「島々清しゃ」の主人公は、
沖縄の風土、沖縄の音楽、沖縄に生きる人々なのだ、
そう考えた方が自然かな、そんな感じがしてきました。
日本にも、音楽を空気のように呼吸して生きる人たちがいる、
そう知ることができるのは嬉しいことですね。





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by hologon158 | 2017-10-05 23:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.02 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」2 いわば反骨



すでによくお気づきのように、
私は、ちょっとまともでないようなものに、
強烈な志向を働かせる人間です。
これは子供の頃に付いてしまった性格、
もしくは、持って生まれた性格かも知れません。

小学生の頃は、相馬大作、赤穂浪士、山中鹿之助、
と言った、いわば反骨の士に強く牽かれました。
なにも意識して探したのではありません。
本が好きで、いろいろ読みあさりましたが、
知らない間に好みの人物が偏っていったようです。

学校でも、ボスにはならず、でも、ボスになびかず、
そんな立場にいつも立っていましたが、
誰からも圧力を受けず、いじめにも合わず、
もちろん、いじめもせず、
一生、暴力沙汰とも無縁で、目撃もせず、
平穏無事に自分のやりたいように生活してきました。

絶対に誰にも頭を下げないで済む、
そんな職業であった父の影響があったのでしょう。
結局、私も同じ道を歩み、世間で言う出世も求めず、
生涯、自分のやりたいように生きることができました。
こんなことを言えるのも、もしかすると、
日本中でも稀かも知れません。
私の職業の人間でも一生世渡りに苦労している人が
一杯いましたから。

おかげで、と言えそうですが、
私の生来の性格はたわむこともなく成長したようで、
今になっても、独立独歩の人間を好み、
人の上に立ちたがる人は無視して生きてきました。
私のロボグラフィの多くは、人に気がつかれずに、
片隅で、自分の存在を確固として保つ離れ者ばかり。
かなり欠点がありますが、その欠点がいとしい、
そんな風に感じさせる存在ばかり。
自画像のつもりでもないのですが。

優等生、社会の規範、押しも押されもしない指導者、
そんな輩は見飽きました。
そんな人間が一皮剥けば、常軌を逸したわがままで、
独りよがりな人間、家庭では横暴ということが多いようで、
どこかの首相や大臣、政治家たちに好例がぞろぞろ。

でも、自分の写真で一つ気にかかっていることがあります。
あまりにも写真たちがしっかり垂直水平すぎる。
これは、不正、悪を極度に憎む私の性格に、
しっかり根ざしていると言いたいところですが、
答えは簡単。
実は完全な自己訓練の結果に自縄自縛になっているだけ。

ホロゴンウルトラワイドという法外な超広角レンズと、
法外にホールディングしにくいカメラを使い続けて、
20年。
ノーファインダー、ブラインドで撮影するためには、
垂直水平を確保しないと、15㎜の画角がずっこけてしまう。
そのため、腰ダメでホールドして、水平垂直を出す訓練を、
ずっと続けてきたわけです。
そのために、デジタルカメラを使うようになっても、
自動的に水平垂直にホールドしてしまうからです。
とっさの縦位置スナップは例外として、
四角四面直立正座の写真ばかりなのですから、
やれやれ。




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by hologon158 | 2017-10-05 11:30 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

706.01 ホロゴン外傅212「2017年9月6日ゾンネタール50㎜F1.1S奈良町幻想」1 素人芸


10月2日月曜日、
陳少林先生の揚琴伴奏レッスン。
前回の付虹先生のレッスンで、
12、3年ほども習ってきた末にようやく、
揚琴らしいスティック奏法を一部会得できたようです。

先生にこう尋ねたのです。
「トレモロをすると、手が疲れるのですが...?」
先生、
「それは手で叩いているからです。
手首を回すだけで、手首以外の体全部を脱力したら、
どんなに長い間演奏しても、ぜんぜん疲れません」

ああ、これまでなぜそれに気づかなかったんだろう?
実は、揚琴に向かわずに、中空でスティック奏法風に手を動かすと、
これまでも、ちゃんと手首を回していたのです。
揚琴の弦を叩くと、抵抗があるので、
手首を回す奏法を忘れて、弦を叩こうとしてしまっていた!

本日は、そんな会得をして最初の陳少林先生のレッスン。
最初に、二胡の名曲「良宵」
次に、中島みゆきさんの「糸」と、
北島三郎の「北国の春」
最後に、私の数少ない持ち曲の「陽関三畳」
弾き終わって、陳少林先生、
「完璧! これまでで一番良かった!」
歓喜の一瞬です。

その次の瞬間に、感激に浸る弟子が普通は言わない言葉、
「先生の二胡もすばらしい音でした」
頭の高い生徒ですね。
これまでの練習用二胡に換えて、
演奏用二胡を昨日初めて持って来られたのだそうです。
さすがに艶やかで心に沁みるサウンドでした。

私が付虹先生に揚琴を習っている目的は、
陳少林先生の二胡の揚琴伴奏をするため。
ちょっとずつ目標に近づいている感じがあって、
うれしいですね。

たいていのことが実はそうなのですが、
理想は、子供の頃から習い始めること。
楽器はその典型です。
ある音楽家ははっきりと言い切っています、
「楽器は子供の頃から始めないと、ものにはなりません。
大人になって初めても、プロには絶対なれません」
まさにその通りだと思います。

数年前、ある有名な二胡奏者のコンサート会場で、
休憩時間に聞こえて来た言葉を思い出します、
30代の男性でした、
数人の仲間の女性たちに向かって、
回りにも聞こえよがしに、こう豪語していました、
「ぼくは、いつか無伴奏で、二胡を即興で弾いて表現する、
そんな音楽を作りたいと思っているんですよ」

正直、笑ってしまいました、
「それって、無茶じゃない?
聞いた人が美しい、うん、分かる、と言えるような音楽に
なるわけがないんじゃない?」

私が陳少林先生の伴奏をしたいと思っていると言っても、
それは素人芸としての域でのこと。
しゃしゃり出ることなく、
聞こえるか聞こえないか、位が伴奏のベスト、
二胡の演奏をひっそりと脇で支えたい、それだけ。
そう考えているからです。

大オーケストラには、とんでもない名演奏家がいるのだそうです。
なぜソロ活動をしないのか?
ソロのコンサートでは上がってしまうからです。

私はその点だけははっきり似ています。
1人で揚琴を演奏すると、必ず上がりまくり、ミスだらけ。
ところが、陳少林先生の伴奏に回ると、ほとんどミスがなく、
第一、不思議なことに、全然上がりません。
陳少林先生の助手で日本人女性の二胡奏者の伴奏をしても、
本格的な二胡演奏家だから、上がりません。

素人の二胡奏者の伴奏に回ると、上がる。
妻の二胡の伴奏をすると、もう無茶苦茶。
これは素人だから、ではありません。
では、なぜ?
理由は明らか。
妻には内緒ですよ。
怖いから。






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by hologon158 | 2017-10-03 16:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

705.02 ホロゴン外傅211「2017年9月1日プラナー50㎜F2で新大阪激写」2-完-クライシス


最近一番あやういケースが北朝鮮からの危機への対応。
たとえば、米軍は一撃の下に、安全かつ迅速に金政権を倒すことができる。
北朝鮮のミサイルはすべて安全に処理できるから、日本には危険がない、
そう軍事専門家は保証している。
どちらも完全な嘘です。
米軍が世界各地の敵対勢力を反撃の余地なく瞬時に倒したケースはありません。
まして、北朝鮮は、その国土はきわめて守りやすい、
迷路のような同種同形の丘陵に覆われた世界なのです。
その至るところにミサイル発射装置を含む臨戦態勢を隠す、
完全武装の軍事国家なのです。

それなのに、首相は北朝鮮への断固たる反撃を宣言し続けて、
挑発に次ぐ挑発を続けています。
でも、平和憲法の下、日本が北朝鮮と戦争することなど、
絶対に許されません。
集団自衛法は明確に憲法違反の違法な法律なのですが、
日本政府が勝手にこの法律に依拠して戦争をやろうとしても、
北朝鮮が日本もしくは日本の同盟国を攻撃しない限り、
日本は軍事行動に出ることなどできません。

もっとも、北朝鮮が日本に戦争を仕掛けるとしたら、
日本の軍隊が反撃する余地を残してもらえるとは思えません。
北朝鮮が日本を無力化するのは簡単だからです。
東京と各地の原発を一つずつ、丸の内、新幹線東京駅等の、
日本の政治経済の中枢を選んで、大陸間弾道弾を数発ずつ発射すれば、
日本は瞬時に終わりです。

政府御用達の専門家は、北朝鮮のミサイルは全部防げると、
ありがたく保証してくださっているのですが、
垂直に近い放物線を受けて落下するミサイルを途中で爆破できる装置などありません。

専門家はどうやってミサイルを完全に防止できると知ったのでしょうか?
実験した?
いえいえ、一度も実験したことはありません。
はっきり口から出任せなのです。
そんな専門家の保証の下に始めた太平洋戦争は完敗に終わりました。
つまり、日本の政府と軍事専門家は、
太平洋戦争に突入した日本人たちとまったく変わらない、
無能かつ危険な人たちなのです。
要するに、どのような側面でも、
人間は進歩しておらず、
むしろ混迷と無能を極めている、と言う他はありません。

よくよく考えてみますと、
世界の中で日本は、政治的にも自然的にも、数知れない危険に取り巻かれて、
一番安全性の薄い国家なのです。
政治的には、
ダイナマイトとマッチを手に遊ぶ幼児のように見えますが、
実のところ、北朝鮮は幼児どころではありません。
極めて知能の高い策謀家の支配する、強力な軍事国家。
そんな北朝鮮を脅したりすかしたり、
あやしたりして、安全にあしらい続けなければならない。
自然的には、
大地震(日本列島の至るところ)、大噴火(阿蘇山と富士山)、
そして、予期せぬ気候変化、台風の危険性は高まるばかり。

20年ほど前には、日本は地球の中でも一番の楽土、
21世紀は順風満帆の日本の世紀になるだろう、
などと信じていたのに......





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by hologon158 | 2017-10-02 11:09 | ホロゴン外傳 | Comments(0)