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712.04 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」4 手提げ


歴史の謎の一つのお話。
まだ就職したての頃でした。
出版史上出色の美術全集「人類の美術」(新潮社)の数冊を手に入れました。
その一つが、「アッシリア」

古代の神々、最古の英雄ギルガメシュなどの壁面浮き彫りが見つかっています。
この浮き彫りの見事なモノクロームプリントに魅せられたのですが、
彼らがほぼ一様に手にハンドバックのようなものを下げているのが不思議でした。
現在に至るまでこの疑問に対する回答を知ることはできません。
最近、Youtubeで、グラハム・ハンコックの番組だったと記憶しますが、
ギョベクリ・テペ、マヤ等の古代遺跡の多くで、
このハンドバックの浮き彫りが見つかっていることを知りました。
互いに場所も時代も遠く離れているのにもかかわらず。

手にぶら下げるのですから、片手を塞いでしまう。
まさにやっかいなお荷物です。
もっと便利な運び方はいくらでも考えられるのに、
なぜ手でぶら下げているのでしょうか?
どこにも、その説明が見つからないので、
例の通り、私一人勝手の推理をしてみました。

まず、単純な推論が成立するように思われます。
手にぶら下げてこそ大切な働きをしてくれる道具なのです。

でも、何のための働きなのでしょうか?
中には何が入っているのでしょうか?
この2つの問いは、もしかすると、1つなのかもしれません。

でも、この謎を解く鍵はほとんどない状態。
手がかりとして、どんなものがあるでしょうか?

まず、たいていの場合、手に提げていること。
でも、これを使っているシーンは見つからないこと。
原則として、なにも模様はないこと(実は装飾付きもありますが)。
持ち手がかなり太いこと。

アッシリアの壁面彫刻を見ますと、
提げているのは、ギルガメッシュや、鷹の頭を持つ神のように、
いわば神話的な存在に限られるようです。
一番典型的な例として、同じ図柄が複数見つかっているのは、
鷹の頭の神です。
まだ生きている獅子を左手に抱き上げています。
当時アッシリアにはライオンがたくさん生息していたようです。
ライオン狩のシーンは神殿の壁面彫刻の中でも屈指の傑作のようです。
矢を射当てられて、大地に体を沈めるライオンたちの姿は
異常なほどにリアルで、しかも尊厳に満ちています。

これらの彫刻で推論できることが一つ。
史上屈指の軍事国家であったアッシリアには多数の芸術家が居たが、
彼らは戦士だった!
つまり、戦士たちは平和時には神殿等のモニュメントの建設に携わったのです。
なぜ、そう推理するのか?
実に簡単です。
狩猟の現場に居て、ライオンたちを実際に狩った者しか、
これほどにリアルに瀕死のライオンを再現することはできなかったでしょう。

ところで、謎のハンドバックを手にする鳥の顔の人物は、
生きたライオンを左手で軽々と抱えているではありませんか?
ライオン狩のシーンでは、戦士たちとライオンはリアルな比率で描かれていました。
ところが、鳥顔の人物は大型の犬程度に見えるライオンをひょいと抱えています。
ライオンは噛みつかず、爪を立てず、抱かれるままになっています。
まさに人間を超える存在なのです。
その右手には例の手提げをぶらさげています。
どの文明の人物も常に手提げをぶら下げているだけ。

そうすると、最初に書いた通り、結論は一つのように思われます。
こうしてぶら下げているだけで、
この手提げはちゃんと機能していた!

ホモサピエンスを大幅にしのぐ体躯、
ライオンも軽々と抱きかかえて、しかも悪さをさせない力、
人間の理解を超える道具を常用するヒューマノイド。

これらを総合すると、こうした鳥人やギルガメッシュは、
外宇宙から飛来した異星人だったのではないでしょうか?

歴史的な補強として、
このような巨大な人間の骨格は発見されておらず、
このような巨人族も有史の伝承として、残されていないことがあげられます。

Youtubeにはたまに巨人の骨格発見記事がありますが、
コンピュータグラフィックスのガセネタである危険性が大きいので、
ひとまず置きましょう。

一方、アッシリアその他の遺跡に見つかる手提げバッグの存在、
巨人を思わせる多くの彫刻の存在、
聖書、ヴェーダ、マハーバーラタ、ギリシア神話等には、
巨人が出没していること、
さらには、人間と完全に相似形の小人族も登場すること、
これらの諸点を考えますと、
有史以前や古代には、さまざまな大きさの異星人が渡来して、
人間の文明にかなり大きな影響を与えたのかも知れない、
という可能性を無視することはできない、
そんな感じがします。

昨今、古代の考古学は空前の盛況を呈しているようです。
史学の常識を完全に逸脱する遺跡がどんどん発見されています。
沖縄与那国島の海底遺跡もそうです。
東西方向に約250m、南北方向に約150m、高さは26mの、
人工物としか言いようのない巨大な石造建築物が発見されたのです。

地質学者は当初自然に形成されたものと説明していたようです。
でも、こうした場合に、地質学者は、具体的な形成プロセスを解明したり、
自然形成を証明する類似の地形を例示すべきではないでしょうか?
「節理」でグーグル画像検索してみますと、山ほど節理の地形が見つかります。
でも、沖縄与那国島の海底のような形状の人工物まがいのものはありません。

でも、ほぼ垂直水平の段差であったり、
幅90センチの直線の溝が延々と続いていること、
近くの海底にストーンサークルと思われる列石が見つかったり、
と、もはや自然形成説は成り立たないよいうです。
しかも、世界中の大陸近くの海底に遺跡がどんどん見つかりつつあります。
地質学的にも、氷河期末期に2度、温暖化へのプロセスの中で、
極冠にたまった溶水が水深にして数十mを超える膨大な津波となって放出され、
世界の海の高さを一挙に押し上げ、
沿岸平野部が海底に没した可能性を主張する学説が提起されています。
このような奔流が与那国島の遺跡を襲ったとすると、
人類の痕跡がなにも残っていないことも、むしろ当然となります。

さらには、世界中の遺跡に、解明不能の建造物が見つかりつつあります。
大ピラミッドがまずその一例です。
古代エジプト史にも先例のない完璧な巨大ピラミッドが突然出現し、
それが超精密な精度で未来あげられ、
しかも、数千年経過した今もその精度は小揺るぎもしないのですから、
驚きです。

レバノンのバールベック神殿の千トンに及ぶ巨大礎石もそうです。
近隣の石切場から運ばれたことは分かっていますが、
その石切場から神域まではでこぼこ道。
でこぼこ道を千トンの物を運搬するクレーン車など、
現代でも存在しませんね。

第一、小さく切って組み上げても、さほど強度に変わりがないのに、
大ピラミッドにせよ、バールベックにせよ、
どうして、こんな恐ろしく巨大な素材を選んだのでしょう?
その答えは簡単です。
簡単に処理できたから。
およそ古今の人類にして、そのようなことを苦もなく言えた文明は、
ないのではないでしょうか?

話はぽんぽん飛びますが、戻りましょう。
今問題となっている手提げはなんだったのでしょうか?
まず、それが道具であったことは疑いがありません。
異星人にとって欠かすことのできない何かをしてくれる道具。
例外なく手に提げていたことがヒントになるのではないでしょうか?
体に装着していたのでは使えない機能を持つツール。
でも、この手提げを持ち上げたりして使っている例はなさそうです。
常に手に提げている。
とすると、武器ではないのかも知れないと言えそうです。

じゃ、なんだったのか?
地球人の私に分かるわけがありませんね。
宇宙人の言葉と地球の言葉の双方向性自動翻訳機とか、
走査式の思考読みとり機とか...
などと考えても始まりませんね。
異星人の道具、そう考えた途端、
地球人には完全に理解不能のツールとなってしまいますね。
たとえば、蟻さんたちが現代人類を眺めて、考えるかも知れません。
やつらがいつも手に持っている小さな道具、
あれは一体なんなんだ?
分かりっこありませんね。




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by hologon158 | 2017-12-29 17:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.03 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」3 Phantagraphy


従来から、写真の証拠価値はきわめて疑問視されてきました。
本質的に異質な認識作用であるだけでなく、
意識するにせよ、しないにせよ、
カメラ、レンズが状景を驚くほど歪めてしまうからです。
それだけでなく、銀塩時代においてもすでに、
現像、引き伸ばしで自由自在に加工することが可能だったからです。

有名な話があります。
戦後共産ロシアのスターリン時代、
党大会においてでしたか、
党首脳がクレムリンのベランダだったでしょうか、
ずらりと序列どおりに居並んで、
群衆に挨拶をする習慣がありました。
ある年、首脳の1人が失脚してしまいました。
すると、その挨拶のシーンの写真から、
その人物が姿を消してしまったのです。
見事に修正されたわけです。

デジタルカメラの時代になると、
その変改、加工、修正、創作の可能性はさらに拡大し、
文字通り限りなく可能となってしまいました。
現代の映画をごらんになったら、おわかりでしょう。
あらゆるジャンルのフィクションのアクションシーンで、
登場人物をコンピューターグラフィックスにはめこみ、
自由自在に作られます。
映画スターは特殊なスタジオでただアクションをするだけ。
映画が出来上がってみると、ティラノザウルスとか、宇宙人とかと、
壮絶決死の死闘を繰り広げるシーンとなって、
観客の心を奪う仕掛けになっている訳です。

こうして今や、客観的真実なるものは、
極めてあやしげなファンタジーとなり、
リアリティを正確に報告する写真なるものの存在も、
ネス湖の怪獣並みとなってしまいました。
もうPhotographyという命名は完全に荒唐無稽。
Phantagraphyあたりがよろしいのではないでしょうか?

そこで、どこからか質問。
お前の写真はどうなんだ?
Photographyなのか?
それとも、Phantagraphyなのか?

もちろん、私の写真は一枚残らず、Phantagraphyですよ。
写真をはじめてからこの方、たったの一瞬でも、
リアリティを追い求めたことはありません。
あるがままの現実ではなく、私が観たいイメージを求めて、
40年間、そして、今もなお、
ひらすら夢見心地でシャッターを押してきました。

また、どこからか質問。
なんじゃ、なんじゃ、この薄汚いやつらが「夢」なのかい?
その通り!
これらの薄汚い写真から立ち上るなにか、
それが私の夢見るファンタジーなのです。
誰にも理解してもらえるとは思っていないし、
理解してほしいとも思わない。
私1人のための写真、それが私の理想なのですから。


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by hologon158 | 2017-12-26 22:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.01 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」2 異質な情報



前にも書きましたが、心理学で有名な実験が一つあります。
アメリカの大学の大きな階段教室。
心理学科の学生たちが、たしか300人も出席しての講義の最中に、
プロの舞台俳優が、タイムスケジュールに合わせて、
台本通りに台詞を含む出来事のすべてを正確に演じたのです。

講師は、学生たちに再現レポートを提出させました。
結果は驚くべきものでした。
人間観察の訓練を受けていたはずの学生たちのレポートは、
ほとんど全部、驚くほど不正確で、
出演者の人数まで食い違っていたのだそうです。
受講者たちだけを取ってみると、
たった一つの客観的出来事なるものは存在しなかった、
そう結論づけるより仕方のない結果が明らかになったわけです。

私たちは、出来事は一個。
自分は関わった出来事をいつも正確に記憶している、
そう確信して生きています。
でも、本当にそうなのでしょうか?

私が昔学んだことが正確であれば、
心理学的には、人間は認識した出来事を正確に記銘し、
その記憶はかなり長時間持続します。
でも、出来事の直後でさえ、
その記銘を正確に想起することはできないものです。

要するに、人間は生きるために必要な限りにおいて、
自分の置かれた諸条件の制約の下に、
記憶データを取捨選択して、
ランダムに認識し、記銘し、想起するだけ、なのかも知れない。
つまり、人間はロボットじゃない、ということになりそうです。

なんでこんなことを長々と書いてきたか、
と言いますと、
人間の記憶は写真とは違う、ということです。
人間は、あのときはこうこう、こんな風に起こったんだ、
と自信たっぷりに過去を報告するのですが、
実は現実とは驚くほど違っている、
そんなことが日常茶飯事。

人間の視覚は、一瞬ですべてを見渡すことなどできません。
「注意」という一点注視の体験を積み重ねて、
脳内で、出来事の体験を総合するというタイムプロセスなのです。
一瞬にして一望を記録してしまう写真とはまったく性質が違う。
つまり、実のところ、かなりあやふやな体験記憶なのですが、
一方、写真も嘘をつきます。

一番簡単な例は、レンズの焦点距離が違うと、
画像も違ってくること。
同じ場所に立って、15mmレンズと180mmレンズで撮ると、
同一の場所とは思えないほどに、視野が異なります。
同じ範囲を撮るために、撮影位置を変えて撮りますと、
前後の関係がまったく異なる2枚の写真が手に入ります。

以上の検討に立って、写真行為を考えてみますと、
私たちは写真を撮ることで、
視覚的な認識とはまったく異質な情報を得ている、
ということが言えそうです。




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by hologon158 | 2017-12-25 18:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

712.01 ホロゴン外傅217「2017年9月21日ズマール50㎜F2中崎町巡り」1 質感


土曜から日曜にかけて一泊で二女のご主人が来ていました。
完全に孫プリンセス2号にメロメロ。
ついでに、土曜日は、長女一家4人もやってきました。
孫3人が久しぶりに勢揃いして、もう賑やかなこと。

夕食の準備の大半、調理、リビングルームへの配膳、
片付け、洗い物の大半を私が担当。
楽しいのなんのって!!!
(これは公式発言)
くたびれたのなんのって..........!!!
(これは本音)

6歳の長男孫プリンスも従姉妹の孫プリンセス2号にメロメロ。
自分の妹の孫プリンセス1号3歳が完全な女王様で、
兄である自分に対しても支配的に振る舞うので、
そんな気配を見せない孫プリンセス2号が可愛くてたまらない。
孫プリンセス2人が粘土遊びに夢中になり、
プリンセス1号が2号にカット用の回転板を渡して、
2号が折角使っていたハサミをさっと奪いとって、
粘土をしばらくカットした後、
1号の手の届かない場所にハサミを置いたのを見て取ると、
そっとハサミを取って、2号に渡してあげたりして、
やさしい心遣いを見せます。

保育園の自分のクラスはもとより、年下の3クラスまで、
100人を超す園児たち全員の名前はもとより生年月日まで記憶して、
性格、振る舞いも把握しているのですが、
なんでそんなことまで覚えておくの?と尋ねると、
彼、即座に決然と、

  「覚えておかなくちゃいけないことは覚えるの」

どうも生まれつきの性格のようですが、ご苦労なことで。
そんな性格だけに、妹同然の従姉妹にずっと気遣いを見せ、
幼児だけで別テーブルを囲んでの夕食も滞りなく進行。
楽しい一夜となりました。

でも、お陰様でブログは、この2週間、ほとんど数日置き。
人生に起こる出来事、仕事にはすべて優先順位があります。
家族、とくに孫たちのことは最優先なので、別に不服はありません。
今日は久しぶりに余暇ができました。
早速、本ブログの記事を作成。

ソニーα7にズマール50㎜F2を付けて、大阪中崎町を巡りました。
写真家吉田正さんの写真教室が終わった後の午後でした。
ズマールのやさしい息づかいがたまらなく魅力。
この教室も、12月も二女の出産騒動で出席不能なので、行けそうになく、
どうやら3ヶ月続けてお休みを余儀なくされそうで、寂しいですね。

ブログに掲載する作業として、
ズマールの下町ロボグラフィ写真を選択している間に、
ふっと気づきました。
私が自分の写真を選択する際の選択基準の一つに気づいたのです。
当然のことですが、その第1は、

   「メタモルフォーゼがあるか?」

現実を現実そのままに撮影したければ、
古いボケレンズなんか使う必要はありません。
現代の完璧性能のレンズたちを使えばよいのです。
ついでに、オートフォーカスなので、もう当たるを幸い、
右に左にばりばりとなぎ倒しちゃえばよいのです。
スナップだってなんだって、自由自在。

でも、肉眼を超えた写りすぎの結果起こる、
極めて科学的な意味での精密描写への方向の変容はあっても、
面妖、不思議な変身なんか起こりっこありません。

オールドレンズはさまざまな欠陥、性能不足のおかげで、
リアリズムをさまざまなバリエーションでそぎ落としてくれます。
それが予測不能の変容を起こしてくれる、それが嬉しいのです。

でも、それだけが私の選択基準じゃないことに気づきました。
肉眼での認識を超えた、曰く言いがたい、繊細微妙な質感描写が、
私の期待して、予期できない独特の変容を起こしてくれる!
ロボグラフィの本質はこの独自の質感描写にある!
そう気づいたのです。
そこで、第2の基準が明らかになりました、

   「曰く言いがたい微妙な質感を出してくれるか?」

現代の理想レンズの愛好者、現代の超リアルな細密描写を愛する人には
むしろ本来の写真表現を邪魔すると感じられるような、異質な肌触り、
それが私のお好みなのだ、
ズマールはそんなメタモルフォーゼ質感を醸し出すのが得意なのだ、
そう気づいたのです。
一言で言えば、

   「そっと愛撫するような感触」

そう言わせて頂きましょう。



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by hologon158 | 2017-12-18 15:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.06 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」6-完-ものを見ない


どこの家庭でもそうではないかと思うのですが、
私に対する最大の批判者は妻。

   「ろくにものを見ないで撮っている!」

私も賛成です。
私の写真の撮り方を見事に見抜いています。

遙か昔、数度参加した初心者写真教室ツアーの講師、
杉本(お名前は失念)先生は三脚必携主義。

   「ファインダーの中でぐるりと視線を回し、
   四隅が主題を邪魔していないか、支えているか、
   しっかりとチェックしなさい」

私は当時から、四隅どころか、中心もろくに見ないで、
撮っていました。
大成しないわけです。

ホロゴンウルトラワイドを伴侶とするようになってから、
ファインダーそのものを見ないで、腰あたりにホールドして、
乱写してきたのですから、まさに「ろくにものを見ない」
ビオゴン21㎜F4.5をソニーα7に付けた飛鳥でも、
超接写以外は全部ノーファインダーですから、
構図的に見えても、私の意図したものではない。
四隅どころか、どこまで撮れるかもまったく見当がつかない。
中央の主人公がどう写るのかさえ、予測不能。

さらに、ひどいことに、
ブログに掲載する写真を選ぶまで、見直しもしていない。
ですから、ブログに掲載された写真が初見。
作者自身、とても新鮮な気持ちで眺めているわけです。
そんな状態ですから、撮影時にはまったくイメージなどない。
撮影意図もない。
私はただ「いいな!」と感じるときだけシャッターを落とす。
実に気楽です。

ホロゴン以来、私の写真人生は一変しました。
よく書いてきました、

    「私の、私による、私のためのロボグラフィ」

でも、正確には、こうですね。

   「私の、私のレンズによる、私のためのロボグラフィ」

今回のビオゴン写真を観直して、その思いをますます強めました。





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by hologon158 | 2017-12-15 12:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.05 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」5 絶不調


前回書きましたが、
近頃疾風怒濤の中で翻弄される日々。
あれこれ起こって、我が家に釘付け状態。
今日は付虹先生の揚琴教室の発表会。
私は3曲の合奏に参加するほか、
独奏曲「櫻花」(「さくらさくら」変奏曲)を演奏予定でした。
これまで発表会での発表を休んだことはありません。
今回初めて、緊急休会。
期するところがかなりあったので、挫折感もかなりあります。

明日はレッスン日なので、発表会での課題曲を
せめて先生に聞いていただこうと思っていたのですが、
長女の長男の6歳の孫プリンセスがノロウィルス。
明日は早朝から応援することになり、
今年最後のレッスン日も受講できず。
まあ、踏んだり蹴ったりですが、
孫のためなので、喜びもあります。

でも、いつも感じることですが、
人生って、山あり谷ありで、
しかも、いつ山が来るか、谷に落ち込むか、
完全に予見不能ですね。
私たちにできることは、
ただただ運命を甘受すること、
そして、その中から最大限、人生の楽しみを拾い上げること、
これだけですね。

このあたり、私のようなノーファインダーで、
でたらめに写真を撮る人間の対処法とぴたり一致していますね。
なにが、どう撮れようとも、甘受すること。
私ができるだけ私のお気に入りの名レンズを使いたがること、
これは、運命を甘受するための支えになってくれるからです。
今は、私に与えられた恩恵をひたすら甘受し、楽しむこと、
これしかありませんね。



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by hologon158 | 2017-12-10 23:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.04 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」4 有為転変


12月4日月曜日
陳少林先生の揚琴レッスンでした。
来年1月に先生の和歌山教室の発表会があります。
これまで幾度か参加しました。
先生の二胡の伴奏として。

今回の曲目は「陽関三畳」
王維の名作を二胡、揚琴の音楽にしたものです。
二胡曲としても出色の傑作ですが、
これに付けられた揚琴伴奏が並外れてすばらしいのです。
二胡の調べに寄り添うにして絡み合うことで、
さらに豊かな印象を描き出してくれます。
名コンビのようなものです。
一人では絶対にできないような境地を生み出す、
それがコンビですね。

私が揚琴を始めたのも、この曲を弾きたかったから。
陳少林先生の指導でいくつも伴奏曲を学びましたが、
この曲から離れたことは一度もありません。
でも、ちゃんと弾けない。
当たり前です。
かなりテクニックを必要としますし、
第一、不動心のような、安定した精神がみなぎらないと、
お話にならない曲なのですから、
私のように安定しない精神の持ち主にはとても難しい曲。

でも、この日は巧くいきました。
私の次の生徒さんが10分前にお見えになったのです。
ちょっとおしゃべりした後、
「楊関三畳」を聞いていただくことになりました。
最初に、ピアニッシモのハーモニクスを7音の重ねるのですが、
その最初の関門からかなり微妙繊細なサウンドで響いてくれて、
最後まで間違わずになんとか弾けました。
13年か14年の期間中、今回が最高の出来でした。

ど素人であることは度外視して考えてみますと、
私は完全に伴奏者タイプです。
独奏をすると、上がりに上がってしまうのに、
伴奏だと、これまで300人ほどが最大で、
100人を超える聴衆の前で数回伴奏しましたが、
最初の最初から上がったことは一度もありません。
自分でも不思議ですが、そんなものなのでしょう。

陳少林先生の発表会の前に関門が一つありました。
12月10日の付虹先生の教室の発表会では、
独奏が1曲、伴奏が3曲です。
この独奏が鬼門中の鬼門。
日本の「さくらさくら」を揚琴独奏の変奏曲に仕立てたものです。
春爛漫の桜並木から花がハラハラと散る風情が出せるか出せないか、
これが本来の勝負どころ、見どころ。
でも、私の場合は、もっと低次元、
最後まで間違わずに弾けるか、
ただそれだけが私の目標です。
そんな桜の風情を表現するなど、夢のまた夢。

さて、どうなりますことやら........?
そう、2、3日前に書いたのですが、
その後の我が家は疾風怒濤。
ブログなんかそっちのけの日が続いています。
ちょっと異常事態が出来して、
残念ながら12月10日の発表会はお休みに。

人生って、異常事態が起こるときは、
かたまりで起こりますね。
おかげで、ブログ更新はほとんどできない有様。




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by hologon158 | 2017-12-08 17:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

711.03 ホロゴン外傅216「2017年9月23日ビオゴン21㎜F4.5の飛鳥へ」3 朗読芸術


図書館では近頃朗読CDを主に借りています。
ネットのAudible com.で英語朗読ファイルを入手し、
図書館では日本語の朗読CDを借りるわけです。
日本語の方は、すでに100枚近く聴きました。
楽しい。
第1、目が疲れません。
第2、語りに心を集中できます。
だから、ストーリーに自然に没入できます。
お勧めします。

かなり以前から新潮社が朗読CDシリーズを出していました。
今でも販売していると思います。
でも、達者な朗読者もいましたが、
昔風のいかにも「朗読しています」風棒読みもありました。
それから一世代が経過して、
今はかなり若い世代の朗読者たちに変りました。
嬉しいことに、この若い人たち、
ほとんど例外なく、実に達者な朗読家なのです。
なんでこんなに変わったのだろう?

はっきり言えることが一つあります。
日本語の発声、イントネーションがかなり変わった!
日本語は、世界的にはかなり少数派の属する高低語です。
昔の朗読者たちの朗読は、基本通りに、正統派ですから、
どこかにアクセントを強めたりしたりせず、
坦々としているけど、どこか味のある、
語り口の妙味だけで聞かせるタイプでした。

その最高峰は、徳川夢声さんでした。
ラジオでの吉川英治作「宮本武蔵」の放送は一世を風靡しました。
新潮社から、その全編CDが刊行されています。
77枚、234,514円
ため息が出ますね。
そのうち、名場面集だけでも手に入れようかと思っています。
徳川夢声さんの朗読の醍醐味は、一にも二にも、間合い。
間をほんの5分の1秒も取りすぎると、退屈で下品になりかねません。
徳川夢声さんの間は終始どんぴしゃりで、絶妙の一言に尽きます。

現代の朗読者たちは、徳川夢声さんとは異なるテクニックを使います。
主な武器は、声色、感情表出、ダイナミクスでしょうか?
昔の朗読者たちが使わなかったテクニックがかなり華麗に駆使されます。
私は、かろうじて英語なら付いていける程度なのですが、
そんな私でも、英語朗読者たちの妙技にはいつも舌を巻かされてきました。
英米には朗読の伝統があります。
おそらくギリシア悲劇、シェークスピア劇等の演劇と、
独特の朗読文化の長い長い伝統に立つからでしょう。
そんな英米の朗読文化が長い間日本にも浸透してきました。
なんだか日本語そのものが変わろうとしているのでしょうか?
とにかく朗読が面白くなってきました。

と、ここまで書いて、閃きました!
間抜けだった!
なんでもござれのYouTubeに、朗読もあるはず!
YouTubeで、試しに「剣客商売 朗読」で検索してみました。
なんだ、なんだ、なんだ............!
これからは、図書館に一生懸命通う必要なんかなかった!
いくつも並んでいるじゃないか!
近頃、落語、それも古今亭志ん生師匠のそれにぞっこん。
図書館で見つけたのは5枚だけ。
ところが、YouTubeにはいくつも見つかりました。
古今亭志ん生 十八番 コレクションBOX ①
2時間以上もあります。
これが④まであるのですから!

図書館の朗読CDもあらかた聞いてしまいました。
でも、これからはYouTubeを渉猟すれば、
おそらく一生聞いても聞ききれないほど見つかりそうです。
私がそこで思いついたアイデアは、
iPhoneの予備バッテリーを手に入れること。
これさえあれば、どこに出かけても、聞き続けることができる!
早速、保護ケースとしても使えるものをアマゾンで購入しました。

最後に、これまで聞いた朗読CDの中でもベスト10に入る、
すぐれた朗読をひとつ紹介しておきましょう。

朗読・山本周五郎「雨あがる」 
(https://www.youtube.com/watch?v=ZkVwrmIc1x8&list=
PL-Qgse30YFyVqpYiXF7V6uLCMQL-DHsC9&index=37)

名優日下武史の名朗読です。
これをお聞きになったら、あなたも朗読芸術に目覚めるはず。
人生、退屈を感じることなど、なくなりますよ。




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by hologon158 | 2017-12-01 22:00 | ホロゴン外傳 | Comments(0)