わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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715.01 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」1 私のブログの独裁者


今、春日大社国宝殿の展示は、
「伝説の名刀たち」
観覧してはいません。
ただ、パンフレットもどこかでもらっただけ。
神殿秘蔵、あるいは、
春日大社の御神刀を製作してきた刀工、月山家秘蔵の
平安、鎌倉期の名刀たち。
国宝が6つ、重文が7つ、というのですから、壮観でしょう。

おもしろいことを思い出しました。
韓流ドラマの時代劇をいくつか見ました。
そんなに多くではありません。
韓流ドラマの時代劇はたいていの場合宮廷内に渦巻く陰謀の顛末。
忠臣たちは裏切りによって倒され、
悪臣は横暴、専横の限りを尽くしますが、
本来王位を継ぐべき王子は、悲運を耐えに耐え続けますが、
最後には、悪臣を倒し、王位と愛する女性を手に入れる、
というような筋立て。
つまり、物語の大半はこれでもかこれでもかの横暴、悲劇の連続。
かなり疲れます。

その間に、私の子供の頃よく口にしていた、
「チャンチャンバラバラ砂ぼこり」の剣劇が展開します。
日本の時代劇のような一撃必殺の瞬間技ではなく、
華麗な舞のような立ち回りです。
そんなとき、剣士たちは左手に携えた剣の鞘を払うと、
鞘を地面にポーンと放り出します。

これが私にはよく分からないのです。
たいてい装飾のない黒鞘のようです。
戦いが終わると、勝利した剣士は自分の鞘を探さなければなりません。
でも、何人も入り乱れての乱闘の場には、
いくつもの鞘が散乱しているはずです。
韓流ドラマの剣も日本刀に似て反りがあります。
まさか完全に同一規格ではないでしょうから、
自分の剣がぴたりと収まる、自分の鞘を探さなければなりません。
戦闘が終わって、平安のときがあっても、これは面倒な作業。
でも、たいていは自分の鞘を探している暇なんかないはずです。

また、武運拙く敗走を余儀なくされたりすると、もっと厄介。
その都度、無事逃げ延びても、当分鞘なしで過ごさなければならない。
大和武士たちのように、
剣帯で吊したり、腰帯に差し込んだりしておけば、
そんな不便はなかったのでは?
そんな疑問が浮かんでしまいます。

もちろん、華麗な立ち回りのためには、
腰に鞘があると、どうしても邪魔になる、
という不便を考えてのことでしょうけど、
ならば、せめて、鞘に様々に装飾、色彩を施して、
戦闘後見つけやすいようにしたら、どうなかな?
などと、余計な心配をさせられます。

日本刀の場合、立ち回りに邪魔のなる鞘を腰に残した理由は、
瞬時に滑らかに抜けるかどうかが一瞬の勝負を分ける、
ということがあるのかもしれませんね。
居合い抜きがその典型ですが、
鞘から抜く動作がきわめて重要な修練の対象とされたのでしょう。
「抜く手を見せず」という言葉は日本にしかないのかもしれません。
日本刀も昔は直刀だったようです。
それが段々と「反り」の工夫を凝らすようになったのも、
鞘から瞬時に抜くための秘訣だったのかもしれませんね。
日本刀のことも剣道のこともまったく無知な私ですから、すべて頭の体操。
おそらく、すべて私の根拠のないあて推量にすぎないのでしょう。

でも、春日大社の日本刀展のパンフレットの数本の名刀が
それぞれに微妙そのものの美しいカーブを描くのを見ながら、
この記事を書いていると、
なんだか自ずから上記のような考えが湧いて出ました。

幾度も書いてきましたが、
私はブログ記事の冒頭にたいてい長い文章を掲載しています。
これすべて私の指先から流れ出た妄想!
そうお考えくださいね。
すべて頭の体操。

50歳のころ決意したことがあります。
「老境に入っても、
絶対に心身とも衰えないぞ!」
もちろんそんなことは不可能です。
でも、女性ではありますが、
100歳を超えても現役で活躍している方もおいでになります。
嘉納愛子さん、篠田桃紅さんのお書きになった本を読みますと、
お二人ともそれなりに大病にかからなかったわけではない。
そうした苦境を克服して、それぞれに努力してこられたのです。
それならば、私だって、努力してみよう。

私は神様のこともよく書きますが、
究極のところ、完全な無神論者です。
だから、神頼みをするわけには参りません。
そして、私の人生はたった一回限り、
死ねば、私は宇宙の組成物質に戻る、
そう確信していますから、
この一生をなにがなんでも大切に生き通したい。

そのためには、惚ける訳にいかず、体力を衰えさせるわけにはいきません。
私はとても不器用な人間です。
だから、信じたいこと、それは、
「千里の道は一歩から」
「継続は力なり」
そこで考え出し、実行してきたことが少なくとも10はあります。
いったん始めたら、やめません。
たとえば、妻を愛するようになって、××年!
やめない。

もう少し単純なことでは、
写真を始めて、原則として、毎週撮影に出るようになって、
40年を超えました。
どんなに仕事が激務であっても、
仕事よりもまず遊ぶことを優先させました。
夏休みには必ず旅行をしました。
心を込めて遊べるから、心を込めて仕事もできる。
体力あればこそ、精神力がある。
そんな風に信じて生きてきました。
だから、精神が疲れることが今までほとんどありませんでした。

そんな私が2008年8月に始めたブログは大成功でした。
人気を博したからではありません。
1年経っても、ほとんど人は来ませんでした。
だから、それ以来、アクセス数チェックはきっぱり絶ち、
完全に日記として続けてきました。
そうすると、どんなことでも思う存分書けます。
オリバー・ウェンデル・ホームズ博士が、
たしか「朝の食卓の独裁者」という随筆を書いています。
私は「私のブログの独裁者」というわけです。

このブログこそ、私の心の体操道具。
そして、私の随想、思いつきの倉庫。
そして、怖いことですが、
もしかしたら、私の精神の健康度のバロメーター。
なにも書くことがなくなったら、
私はアウト、ということでしょうね。



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by hologon158 | 2018-01-30 22:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.05 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」5-完-分からなくても



1月23日火曜日午後、
久しぶりに外出できました。
バッグに三種の神器を忍ばせました。
  ホロゴン15mmF8U付きソニーα7
  ポメラ
  ソニー・ウォークマン

どれも内蔵、外装の電池駆動なので、携帯には便利。
電池がなくなれば、使いものにならないのは不便。
でも、この世の中、便利な品のほとんどが
なにかしら電気に頼っているのですから、
良きにつけ悪しきにつけ、現代はまさに電子時代ですね。

バスを乗り継いで、市内循環バス停八軒町で下車。
所用をすませて、喫茶店で休憩。
35分ほどで86枚の収穫ですから、まずまず。

小雨が終わり、陽光が射して、
寒いけど、まずまずの陽気。
喫茶店のテレビでは、関東地方が大雪とのこと。
娘婿が都心への通勤に苦労しただろうな、
と、実にプライベートな感想しか浮かびません。
あほな首相や大統領がなにをしようがしまいが、
私にはどうしようもないので、心を痛めるのは、ヤメ!
世界がどうなろうと、知ったことか、という心境。

予期せぬ震災を予告する不穏な自然現象が、
日本列島のあちこちに頻発しているようです。
でも、こうした情報に接しておいても、
災害を未然に防ぐことには繋がらず、
予期した災害が発生したとしても、
生存のために役立つ物資など予測不能。
第1、マスコミが現実に起こった災害を予告、予知したケースが
これまで何件あったでしょうか?
こんな風に考えますと、さまざまな災害関連ニュースで、
絶えず心を痛めても、あまり人生にプラスにはなりそうにない。

でも、よくよく考えてみますと、
私のような一般大衆、人民が平安と平和を楽しめた日は、
歴史上、きわめて少ないのです。
人民のために真実に心を砕き、
その平和施策が成功した時代を築いた為政者もまたほとんど居ません。

さらに踏み込んで考えると、
私たちの人生って、酸いも甘いも全部引き受けて、前向きに生きたければ、
これと同じスタンスで鷹揚に構えるほかはないのではありませんか?
全部自分でコントロールしたいという人にとって、
ままならぬことが多く、人生は苦渋に満ちたものになるでしょう。
私がいつも考えることは、
どんなに苦しいこと、いやなこと、100パーセント、マイナスな出来事も、
その向こうに待っているプラスの出来事、
楽しいこと、うれしいこと、心を満たすことへのステップかも知れません。

自分ですべてをコントロールしようったって、できっこないし、
コントロールしたときだけ、プラスの結果を導き出せた、
そんなことを自信を持って言える人は
ほとんど居ないのではないでしょうか?
偶然に助けられ、人に助けられ、悪運に運ばれて、
幸せな結果に恵まれる、
それが人間社会の醍醐味であり、
人と共に生きる大切さの基盤、理由、意味なのではないでしょうか?

私など、ほとんど全部、周囲の人に「オンブに抱っこしてもらって」生きてきた、
そんな感じさえします。
これからも、オンブに抱っこしてもらって、
気楽に生きることにしましょう。

このあたりの楽しみ方、ホロゴン撮影とそっくり。
歩く速度で路傍光景がちらっと目に留まった瞬間に、
そちらに向かって両手の先にホールドしたホロゴンをぐっと伸ばして、
ノーファインダーでさっといただいてしまうだけ。
15mm超広角なのですから、
どう撮れるか、まったく予測不能なのに、
撮れた写真を見ると、「ああ、僕が撮りたかったロボグラフィがこれなんだ!」
と分かるような感じがして、胸を熱くできます。

段々と寒くなってきました。
でも、モンベルの軽いダウンジャケットに、
ネックウォーマー(と呼ぶのでしょうか?)、
毛糸のキャップで、完璧に防寒でき、
ホロゴンのロボグラフィ撮影は絶好調でした。

喫茶店の女主人から尋ねられました、
「写真家ですか?」
「とんでもない。
写真が好きで、たくさん撮っているだけですよ」

もちろん本職だなんて間違えっこないのですから、
「アマチュア写真家ですか」という意味ですが、
私にしてみれば、「とんでもない」というところです。
どんな写真家でも、目標は「傑作を!」でしょう。
そのために一喜一憂しておられるでしょう。
私は、そのような境地とが完全に異質な、
ひたすら楽しむ「一喜一喜、どこまでも一喜」の心境。
写真作品を作る、シャッターチャンスを逃さない、
なんていう境地は、私とは無縁。
ただただ、出会いを喜ぶだけ。
どこかに「喜び組」なんて集団がいましたね?
私は別な意味で、この組ですね。

ときどき、「ホロゴン マリリン・モンロー」とか、
「ホロゴン チェ・ジウ」でグーグル画像検索してみます。
ほとんど全部私のロボグラフィが何十枚、どきには何百枚か並びます。
ホロゴン以外のレンズで撮った写真もいっぱい混じっています。
文章内の語句で検索するからでしょう。
でも、その文章の記事の平均30枚の写真全部がピックアップされるのではなく、
なぜか1枚だけピックアップされるようです。
脈絡なく出現するので、
これは何だ? 
どこで撮った分だ?
と、自分でも戸惑うことがよくあります。
それがまた面白い。

そうは言っても、ただの地べた写真ですから、
どなたにも面白くもなんともない、意味不明のイメージばかりでしょう。
それが自分でもよく分かります。
私自身だって、意味不明のことが多いのですから。
そうすると、私はうれしくなってしまうのです。
自分で分かろうが分かるまいが、
全部、私だけのもの!



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by hologon158 | 2018-01-25 22:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.04 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」4 記憶


先週金曜日、私の孫の最年長6歳の孫プリンスのピアノレッスン。
月に1、2回付き添いします。
その行き帰りのおしゃべりが楽しい。
以前、保育園のクラス29人全員の誕生日を列挙してくれて、さらに
年少の3年3クラスの全員の誕生日も覚えていると報告しました。
そのとき強く印象に残った言葉。
「なぜそんなことを覚えているの?」という質問に対する答え。
「覚えておかなきゃならないことは覚えるの!」

今回はその連続のような記憶のお話。
保育園卒園にあたり、親子同伴の食事会を計画中だそうです。
孫プリンス曰く、
「まだ4人は参加するかどうか決まっていないの。
その内、...ちゃんは兄弟が4人居て、上の小学2年生のお姉ちゃんが、
...(失念)に出る予定ができそうなので、どちらにするか、
まだ決まっていないんだって。」
「参加が決まっているのは何人なの?」
「えーーと、...ちゃん、...ちゃん、...ちゃん、それから、
(と、後は口に出さないで、指折り数えて、)18人だよ」
「じゃ、残りの人は?」
「...ちゃん、...ちゃん、...ちゃん、(と、また指折り数え)
7人だよ。」
人数だけではなく、全員の出欠を記憶しています。

先生だって、ノートを見ないと、分からないのじゃないかな?
私なんか、そんなことを気にしたことがないので、ただただ驚き。
私は、自慢じゃないけど、子供の頃からずっと並みの頭でした。
覚えなくてもよいことはなぜか覚え、
覚えなければならないことは、不思議に、記憶できませんでした。
義務となると、途端に頭が働かなくなる人間でした。
このような人間には、孫の記憶力は不思議。

孫プリンスがどういう気持ちから、
クラスメートのデータを一々記憶するのか、
私には見当もつきませんが、将来何かに役に立てばよいのですが。

5歳の頃ですが、
恐竜が好きになると、百科事典を8冊手に入れて、
100以上の恐竜たちの名前、生存の時代、植物食か肉食かの区別、
体長その他の特徴を全部自分で百科事典を読んで記憶しました。
とにかく名前等の名称を網羅的に覚えるのが大好き。
近頃は阪神タイガースの選手たちのデータを覚え、
バットの振り方を覚えました。
恐竜のときは、平仮名を使って、カタカナを覚え、
阪神選手については、漢字も覚えつつあります。
どちらも書物を読んで記憶を蓄える方式。

そこで、思うのですが、子供たちの教育も、
「面白いから、興味があるから、覚える」というような学習方式を
どんどん採用してほしいものです。

ナポレオンのことを思い出します。
エルバ島から帰国して、ワーテルローの戦いに臨む前に、
何年ぶりかで参集した近衛兵たちを閲兵して、
古参兵たちを名指しで呼びかけて、感激させました。

我が孫もナポレオンも意識的に努めて記憶するのではないようで、
すっと頭に収まるのでしょう。
父親にその話をすると、彼、苦笑して、
「好きなことしか覚えないんですよ。
興味ないことは全然覚えません。
それで、困ってます」
まあ、そんなものでしょう。
人生で大切なことが、丁度彼の記憶したいことである、
そんな風に幸運に合致してくれることを祈るばかりですね。          




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by hologon158 | 2018-01-24 17:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.03 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」3 後門の狐 


1月20日土曜日、
新大阪ココプラザで、劉継紅先生の二胡レッスンでした。

先生、私を見て開口一番、
「やせましたね、
ちょっとほっそりしてる!」
ここ3ヶ月の苦労が身にしみています。
レッスンでさらにやせました。

二胡という楽器、誰かが、世界で一番難しい、と言いました。
小手先でちょいちょい、とは行きません。
全身が協同動作となるように、
各部位をさまざまに動かさなければならない。
ヴァイオリン奏者だと、なまじヴァイオリンに似ているために、
ヴァイオリン奏法が邪魔して、二胡の音にならない。

右手は弓を左右に水平に動かしますが、
これもさまざまに螺旋を描いたり、回転したり。
その間、左手は弦を押さえつつ、その肩は背後にふんわりと旋回し、
肩胛骨は肩胛骨で、さまざまに回転させなければなりません。
そして、腰もお尻も旋回させなければなりません。
しかも、これら全身が適切に連動しなければ、
美しい音など出ません。

でも、日本人は体を柔軟に動かすことなど経験したことがない民族。
日本人は、江戸時代など、背筋を伸ばして正座し、
小揺るぎもしない、なんて、姿勢の正しさを身上としてきました。
二胡演奏家に一番向かない生活だったかも知れません。
私なども、江戸時代さながらに硬直した姿勢で生きて来ました。
とてもおいそれと二胡にふさわしい動きなどできません。

二胡演奏家の陳少林先生がしみじみと曰く、
「二胡を教えはじめて何年かは、
生徒さんはほんとに二胡がうまくなりたいと考えて受講している、
そう思ってました。
でも、何年か経つと、そうではないことに気づきました。
曲がりなりにも、そこそこに弾けるようになって、
自分の弾きたい曲を楽しく弾ければよい、というだけ」

私も、揚琴は本気できちんと弾けるようになりたい、
そう志して、本格的な修行というつもりで勉強してきました。
でも、二胡は、いわば妻のお相伴で始めたものですし、
常々、猛烈に難しいことは知っていたので、
まさしくどんなに下手でもなんとか好きな曲を弾ければ、という程度。

でも、劉継紅先生は違います。
そもそも日本に二胡を教えたいとお考えになって来日された方で、
類まれなる心身エネルギーの持ち主。
丸々2年間、まるで見込みのない私に向かって、
精力的に正式の二胡演奏のための訓練を行ってこられました。
徒労なんですけどねえ。

私が今受けているのは、もう一人の生徒さんと共同レッスン。
その女性がおっしゃってました。
「太極拳を習っています。
劉継紅先生のおっしゃることはほとんど太極拳と一緒なんですよ」
道理で、私より遙かに柔軟にこなして行かれるわけだ!

妻からは、以前に宣告されています。
「あなたはもうじき個人授業に戻ることになるよ。
二人の生徒のレベルが違いすぎ。
もうすぐあなたがついていけなくなる。
でも、あなたと組み合わせて共同レッスンを受ける初心者なんて、
当分現れないだろうから」
やれやれ。
風前の灯火、というところですね。

ちなみに、多くの人気の高い指導者の教育法はかなり違います。
いわば、欠陥には目をつぶり、良いところを伸ばそうと努める。
自己責任の原則で、やりたい曲をどんどん教えてあげる。
そして、褒め殺し!
みすみす「井の中の蛙」を製産する方法です。
ああ、そんな先生に付くのもバカらしい。
「前門の狼、後門の狐」状態。

やれやれ。



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by hologon158 | 2018-01-21 23:56 | ホロゴン画帖 | Comments(0)

714.02 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」2 単なるメモ


今回の写真の多くは、奈良町十輪院近く、
私のお気に入りの喫茶店、
「チャポロ」(おうち雑貨カフェ)の店内風景。

この店内ロボグラフィをご主人のお許しを得て、よく撮ります。
今回の写真の中に、「ピエタ」像の写真(画集の一頁)があります。
私はこの「ピエタ」像がどこにあるものか、知りません。
楚々とした風情があって、表情、傾きがとてもやさしく、
かなりの名作なんだろうと思います。
その写真を観ているうちに、はっと気づきました。
私のロボグラフィと美術写真とは全然違う!

私はキリスト教の造形美術はまったく不案内ですが、
もし知っていたら、さっと気づくでしょう、
「ああ、あの教会のピエタだ!」
写真家はそのような導き、認識、想起を起こすように、
あるがままの姿を写真に写し取ろうとします。

ロボグラフィは違います。
そのような導き、認識、想起を起こさないで、
そのものが私の感じる別の異形を自分の記憶に止める、
これがロボグラフィの目標です。
ロボグラフィたちは、その場にあって、その瞬間だけ、
私に向かって、独特の表情、眼差しで挨拶をするのです。

試しに、もしお時間が余っていれば、
「ホロゴン ロボグラフィ」でグーグル画像検索して下さい。
数百枚の暗い写真が並びますが、ほとんどが私のロボグラフィ。
どこで撮ったか、なんてことはほとんど意味を成しません。
私とその場との出会いを現す写真、
私がその場、そのロボグラフィたちにどう感じたかを、
私だけが想起できる記録写真、それが私のロボグラフィ。
私以外の人にはほとんどなんの意味もないメモ。
道理で誰も関心を持たないわけです。




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by hologon158 | 2018-01-18 22:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

714.01 ホロゴン外傅219「2017年9月25日バルター50mmf2.3の奈良町は?」1 落ち穂拾い



2018年1月になって、まだ昨年9月の撮影分を掲載しています。
供給過剰の冷蔵庫のような状態。
でも、私としては、可愛いレンズたちの手前、
置いてけぼりするわけにもいきません。
律儀にとぼとぼ可愛いレンズたちの足取りをたどる、
これしかありませんね。

ボシュロムのバルター50mmf2.3、
使う度に感じるのはいつも一緒、
このレンズ、律儀だなあ!
なにか突出した特徴を備えることがレンズの身上であり、
使い手の願いであるとすれば、このレンズ、
たとえば、同時代のスピードパンクロに一歩も二歩も譲ります。
でも、しみじみとした味わいをじんわり感じたい人には、
バルター50mmf2.3は最右翼かも知れません。

そんなバルター50mmf2.3の使いどころに、
路傍の落ち穂拾い一点張りのロボグラフィを持ってくる、
これは正しい選択じゃないかな、そう私は考えます。

ロボグラフィなんて、写真のジャンルではありません。
私のただの造語。
誰にも目に留めてもらわないまま、
路上、路端で塵芥と化す運命にあるがらくたたちに、
なにかしら共感を感じるのはなぜでしょうね?
とにかく写真を始めてから、私はそうでした。

「神は細部に宿る」
という言葉があります。
私はこの言葉が好きです。
ネットで意味を探索してみますと、
ピクシブ百科事典では、
「本当に素晴らしい技術やこだわりとは、一見して分かりにくい」
私が思うに、
「ものにせよ、人にせよ、組織にせよ、オーガニズムにせよ、
細部がしっかりと仕上げられてこそ、全体が活きてくる」
こんな感じでしょうか?

街、ストリート、路地がこの実例を提供してくれます。
目に見えない片隅を大切にケアしているストリートは、
歩いていても、気持ちがよいものです。
生活感が隅々に行き届いているからこそ、街路が活きてくるのです。
そんな隅々に焦点を当てるのがロボグラフィ、というわけです。




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by hologon158 | 2018-01-17 21:39 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.05 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」5-完-私の美


よく想像してみることがあります。
この宇宙の今、この瞬間に、全宇宙に、
地球のような文明社会が幾つ栄えているんだろうか?

全宇宙に共通する「今」があるかどうかもしりませんが、
仮にあるとして、
おそらく何億、何十億、あるいは何百億の単位で数えられる!
私はそう信じています。

以前は、地球は奇跡的、例外的な惑星であるという説が有力でした。
人類は奇跡中の奇跡、というわけです。
でも、奇跡を信じるよりも、「ゴキブリの論理」を信じる方が簡単かつ確実です。
「ゴキブリが一匹見つかれば、あなたの家には三十匹はいるはず」

近頃、人類のものならず人工物があちこちの惑星に見つかり、
月面や火星にも人工物が続々発見されています。
近場でもそうなら、無限数に近い宇宙全体の中に限りなく生命が、文明が存在する、
そう考えるのが極めて自然です。

昔、人類の諸文明の諸宗教は、この地球の自分たちこそ、
宇宙を統べる神、あるいは神々のみそなわすただ一つの存在である、
そう信じていました。
でも、それはとんだ勘違いだと分かってしまいました。
人類なる存在は、宇宙創造後何十億年も経過した後に、
宇宙に存在する数限りない星の一つに進化して、たった数万年!
幸か不幸か、地球上のほとんどの生物種を押しのけて、
地球上の種の世界に君臨する種となりました。
でも、恐るべき環境破壊を繰り返したにもかかわらず、
地球を自分たちの生存にふさわしい環境にすることもできず、
地球上に発生するさまざまな天災地変に翻弄されるばかりで、
地球そのものを支配できる可能性などまったくない有様。

でも、私が書きたいことは、ちょっと別。
全宇宙にそれぞれに繁栄を極めている諸文明ごとに、
全然別の美、別の美の基準、別の美的感覚が育っているでしょう。
まさに、所変われば品変わる、です。
人間でさえ、時代、文明、文化、環境が変わるだけで、
まったく異種独特の美的感覚、美的基準が育つのですから。

そうした異世界の美を、芸術を味わってみたい、
そうは思いませんね。
どうやら、私はそこまで好奇心の強い人間ではないようです。
私が味わいたいのは、
私が心から喜べ、心から心を奪われる美だけ。

ところが、私が味わいたい美も、
時により、気分により、異種さまざまなものが浮かび上がります。
私が美しいと感じるものには、
人が美しいと感じないものだってあります。
人が美しいと感じるものを、私がそう感じないこともあります。
まるで「美」とは変幻自在の形相のようです。

手近で言えば、私がブログに掲載する写真のほとんどが、
私にとっては「私の美のカタログ」。
でも、たいていの方は、どこが美しい?
ちっとも美しいとは思えない、そうおっしゃるでしょう。
これは不思議でもなんでもありません。
1万人が居れば、1万の異なる美があるとさえ言ってよいでしょう。

今回も、エクター50㎜F1.9が私にさまざまの美を見つけてくれました。
どうやら私は混沌とした形の乱舞に美を感じることが多いようです。
今回の写真たちは、エクターが見つけてくれた美。
地味で、平凡な形の連続と、人の目には映るでしょう。
そんなものでも私には美しい、
そう感じることが私の生き甲斐、生きる糧、そう言えそうです。


こんな風に書くことで、
私は、自分が独創的だと言いたいわけではありません。
むしろ逆。
誰だって、そうなのだ、そう言いたいのです。
だからこそ、写真について言えば、
写真家として、人に感銘を与える写真作品を作ることは、
大変に難しいことなのでしょう。

だから、ブログって、私にとって大きな存在価値があるのです。
人が美と思えないようなものを堂々と陳列できて、
誰も文句を言わないスペースって、他にあまりないのでは?




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by hologon158 | 2018-01-16 17:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.04 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」4 生きる意味


前回、古今亭志ん朝が63歳で世を去ったことを惜しむ文章を書きました。
年齢と人生の重みとの関係を思わず考えてみました。
ネットで有名人の訃報に接することがかなりあります。
一番気になるのは、たいてい私より年下。
有名人には多忙、過労に起因する疾病もあるでしょう。
さまざまな精神的労苦からの疲弊もあるでしょう。
有名人に限らず、20代、30代の夭折もたまにあるようです。

そこで、一つの疑問が浮かびあがります。
寿命を全うしない短命は、早すぎる死なのか?
ちょっと考えてみましょう。

「早すぎる」というのは、どういう意味なのでしょう?
自然的な寿命に照らして、という意味ではありませんね。
物故者の才能の十分な開花を待たずに、
あるいは、その人の生活圏の中でその人に課せられた使命を
十分全うしないで、という意味ですね。

そんな風に考えると、実のところ、
どんな人間も、早すぎる死を迎える運命にあるとも言えそうです。
私なども、才能は別になにもありませんが、
家庭の中で果たすべき責務はどんな年齢になってもなくならないでしょうから。

もっとも長生きをしたからと言って、
人生の価値を高めているというわけでもないでしょう。
そもそも人間にとって、生きたと言えるに値する人生を送らなければならない、
という使命があるわけでもありませんね。
遺伝子にそんな使命がそれぞれ組み込まれているわけではありません。
人間の社会が進むにつれて生まれてきた価値の一つ。
でも、人間に、生きるに値すると自他いずれかが、もしくは、
自他共に認める人生を送るべき使命が備わっているわけでもありませんね。

たとえば、古今亭志ん朝がさらに長生きをして、
父志ん生ほどの寿命を保ったら、どんな落語家になったか?
私たちが考えるのは自由ですが、
志ん朝さんに言わせれば、そんなの余計なお世話だ、
ってことになるでしょう。
彼が自分の人生をどう考えながら世を去ったか、
こんなことは誰にも分からないのですから。
むしろ、やるべきこと、やりたいことは十二分にやり尽くしたと、
満たされた気持ちで世を去ったかも知れませんし、
そちらの可能性の方が高い感じがします。

人間国宝になれなかったって?
あの世に持っていけない名誉を受けて、
なんの足しになるんだい?
へっ、笑わせやがる!

よくよく考えてみますと、
人間の人生を比較できるなんてことはありませんね。
人はそれぞれに他の人間と比べることのできない、
そして、比べる必要のない人生を送っている、
そう考えるべきです。

生涯の収支決算なんてありえません。
そんなことは誰にもできません。
なぜなら、神ならぬ身である私たちは、
自分以外の人間の人生を、評価できるほどの資料、眼力、鑑定眼など、
誰一人持っていないからです。

一例を挙げましょう。
古代アテーナイのソクラテスの行動、思考、人生を
プラトンとクセノフォンが書き残さなかったら、
誰もソクラテスのことなど知るよしもなかったのです。
ひいては、私たち人間が一人一人、その存在、人生により、
人類の思考の深化、文化に貢献しているかもしれません。
だとすると、知られているデータだけで人間を比較し、
その人の人生の価値、意味を値踏みするなんて、
無意味、有害ではないでしょうか?

そもそも死というのは初手から不条理なものです。
どなたもそうでしょうけど、
さまざまなジャンルでさまざまなすばらしい人たちの業績や人生に接して、
日々励ましてもらうのが私たちの人生ですね。
私など、グレン・グールドやマルタ・アルゲリチやジャクリーヌ・デュプレ
といった偉大な音楽家の演奏を数知れず聴いて、
励まされ、刺激を与えられてきたことか?
絵画、映画、映書物等を通じて、
数知れぬ偉大な人々の存在が私の人生に生きる意味を
計り知れず与えてくれてことか?
そうして得られたエネルギーを自分の身近な人たちとともに生きる指針、
エネルギー源、意味を生み出す一助になっています。

でも、そのような恩人たちの大半がこの世にはいない!
つまり、これまでの歴史、現代、そして未来への希望が一体となった
時空の広大なエリアこそ、私たちが生きる世界なのです。
そのように考えると、わくわくするではありませんか?
もしかすると、いかなる存在も忘れられることはない、
意識のレベルで気づくことだけが記憶ではない、
生きる基盤を提供してくれるのは、過去の世界全体なのだ、
私たちもすでに自分の前半生で貢献しつつあるのだ、
そう考えたいものですね。

このように考えますと、はかなく夭折した天才たちの貢献を、
しぶとく長生きした天才たちの貢献と比較することなどできない、
大切なことは貢献の質にある、そう考えることができそうですね。




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by hologon158 | 2018-01-13 23:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.03 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」3 古今亭志ん朝


近頃、Youtubeで落語を楽しんできました。
まず、立川志の輔が気に入って、かなり聞きました。
威勢の良い胴間声で、ポンポンとキップのよい語りを聞かせてくれます。
この人の語りの後では、
他の落語家の語りがなんだかカッタルい感じがしてしまいます。

でも、古今亭志ん生の語りを聞くと、
たっぷりとった間合いがなんとも粋で、味わいが深く、しびれます。
このような巨人の前では、志の輔が小僧っ子に見えるのですから、
芸の奥深さは果てしがないようです。

思い出しました。
そう言えば、志ん生の2番目の息子の志ん朝って、
キップの良い声だった!
そこで、Youtubeで探してみました。
聞いてみて、仰天!
ああ、この人は天才だった!
今、そこで語りが生まれてくるように自然で、エネルギー一杯。

ネットで調べてみました。
2001年に63歳で世を去っていました。
なぜか受賞歴も乏しく、人間国宝にならず仕舞だった!
悲しいですね。
私は落語のことなどまったく無知なのですが、
また、落語界のことなどまったく無知なのですが、
円生、志ん生の世代に続く後代の落語の中では、
人間国宝の落語家たちも含めて、
この人の至芸に及ぶ人はあまり居ないのじゃないかな?
そんな気さえします。

夭折とは言いがたいでしょうけど、
志ん朝がいかに天才であったと言っても、
完全に熟するときを待たずに世を去ったことが悔しい、
そんな感じがします。
ちょっと49歳で世を去ったグールドを思い出させます。



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by hologon158 | 2018-01-11 23:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

713.02 ホロゴン外傅218「2017年9月5日エクター50㎜F1.9で高畑町一巡」2 ピッピ御難


時代は変わるものですね。
実は久しぶりに中山獣医科に受診しました。
20数年ご厄介になっている、奈良ではトップクラスの医院です。 
長男のピッピ(猫ですが)が突然動きが鈍くなったのです。
食欲はあり、便秘でもなく、尿も出ていて、
体調はさほど問題はなさそう。
どうやら2歳半の孫娘が大好きでいつも寄り添う位置に寝そべるのですが、
孫娘それを良いことに遠慮なくまたがって遊びます。
12キロを超えているのですから、かなり重いので、
どこか痛めたのじゃないかな、と心配になったのです。
まだ4歳なのですから、身体を痛めてもらっては困ります。
これまでは病気一つしたことがないのですから、心配。

駐車場は満杯。
待合室には患者の保護者たちが数組。
年の暮れはいつも盛況なのですが、それほどでもない。
人間の病院の患者は老人だらけですが、
こちらの方は以前より患者さんが減少しているようです。
医療費がバカにならないからでしょう。
ペットの場合、医療保険をかけている人は少ないので、
医療費はバカにならないのですが、
家族の誰もそんなことは気にかけません。
子供たちはかけがえのない一家の宝なのですから。

私は車を運転しないので、タクシーを使いました。
数年ぶりです。
ひさしぶりに使ったボックスにピッピを押し込むのが大変。
これまでの兄姉たちとは段違いに大きい。
待合室には数組の先客はおおかた診察が済んだと見えて、
数分で「5号診察室」に呼ばれました。

まず体重測定。
「7.2kg!
ちょっと重すぎですよ」
次に、血液検査。
10分あたりして結果が出ました。
「どこも悪くありません。
強いて言えば、太りすぎです。
ダイエットさせてください」
ホッとしました。
これまでの兄姉たちとは比較にならないほどの重量級。
今日から、ダイエットです!

これまで我が家に居た猫たちのほとんど全員が負傷疾病の連続でした。
獣医さんに200万円ほどは間違いなく支払っています。
私の出費には厳しい監査を怠らない妻も、
子供たちの治療費は惜しげもなく財布をはたきます。
それほどに大切な子宝なのです。

受診前はなぜか体が重く、どこか疲れたように座り込んでいたピッピ、
異常なしの診断結果が分かったのでしょうか?
帰宅すると、ボックスからピョンと飛び出て、
身ごなしの軽やかなこと!




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by hologon158 | 2018-01-08 23:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)