わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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716.04 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」4 二胡教室発表会


2月17日土曜日、
和歌山の県立図書館、メディアアートホールで開催された、
第五回陳少林、瓦野早紀子二胡教室発表会に参加しました。
瓦野さんは陳少林先生の弟子ですが、
頭脳明晰に加えて音楽的才能にも恵まれて、
優れた二胡奏者、二胡教師に成長した方です。

私は、陳少林先生の講師演奏の「陽関三畳」に、
揚琴で伴奏しました。
元来、古琴の古曲なのですが、
それを二胡の大家閔恵芬さんが二胡曲に編曲したものです。
これになんだか読みの分からない少数民族の作曲家が、
見事な揚琴伴奏譜を付けてくれました。
この二胡と揚琴のコラボレーションが実に見事で、
類い稀な二胡名曲ができあがりました。

名曲になった由縁の一つが、
揚琴が単なる伴奏に終わらず、
二胡としっかりと絡み合って、絶妙の二重奏になっているからです。
揚琴が活躍します。
冒頭がハーモニクスで始まり、ハーモニクスで締めくくるなど、
揚琴の技巧を凝らして、実に多彩に二胡と渡り合うのです。

私はほとんどこの一曲を陳少林先生と合奏したいがために、
ずっと陳少林先生に師事してきました。
すでに3回ほど人前でこの曲を弾きました。
でも、今から考えると、
よくもあんな未熟で、人前で臆面もなく弾けたものです。
近ごろはかなり上達したようで、自分でもかなり自信が出てきました。

でも、大きな落とし穴がありました。
揚琴は本体と脚部を併せて30キロ近い重さがあります。
車を運転しない私には、自分の揚琴を運ぶのは無理。
だから、陳少林先生がご自分の揚琴を用意してくださいます。
ただ、陳少林先生はもとより二胡奏者で、
いわば、ピアニストと同様に、自分の楽器を使わない。
今回の揚琴も、ご自分の伴奏者のYさんに預けている楽器。
そのため、とかくメインテナンスが不足ぎみのようで、
150本前後ある弦のかなりがヘタッテしまい、
弦によっては、スティックで叩いても、振動が不足。
低音部に至っては、まるっきり振動しないので、
本来の「ボーン」という深い振動音ではなく、
「コキン」という金属音だけになってしまっていました。
こんな楽器でも、プロが鳴らし方を工夫すれば、
ど素人の私がいきなりこんな楽器に対面して、
ぶっつけ本番では巧く行くはずがありませんね。

ただし、少しはあがりましたが、
演奏にはぜんぜん差し支えなし。
最後まで楽譜をしっかり確かめながら、
一応正確な演奏はできました。
最後のハーモニクスも寂しげなサウンドが出てくれました。

それでも、時折、「コキン」なんて雑音が混じるので、
次の音はちゃんと出るんだろうかなんてことに気をとられ、
十分には演奏に集中できませんでした。
まあまあ正確な演奏という程度を出ない伴奏でした。
満足感ゼロ、疲労感大。

演奏としては、もちろん陳少林先生と瓦野さん、
お二人の講師二胡演奏が見事でした。
陳少林先生のもう一人の弟子で、
長年ピアノ伴奏、助手を務めてきた女性奏者も、
実に見事に艶麗な二胡を聴かせてくれました。
このような優秀な演奏者を二人も育てられたのですから、
陳少林先生も大した教育者なのです。

二胡のかたわら、古箏を学んでこられた女性奏者も、
すでにプロ並みに成長し、実に絢爛たる古箏独奏を披露、
いつまで経っても途上国の私とは才能と努力の差は大きい!

他にも数人、二胡素人の私の目には驚くばかりに、
達者な演奏をする方がいました。
その他の皆さんも驚くほど高水準。
ほとんど音程をはずしたりせず、
それぞれに「聞かせる」演奏だったのですから、
かなり驚きの発表会でした。
そんな中でずっこけ気味の私です。
今後の方向を改めて考えてみないわけには参りません。
そろそろ「陽関三畳」一枚看板は辞めにして、
新しい曲を学び始めよう。
でも、陳少林先生の揚琴メインテナンスが済むまでは、
コンサート、発表会に出るのは止そう。
人生、一生懸命がんばっても、あちこちに罠あり、
なかなか思うようにはいかないものですねえ。



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by hologon158 | 2018-02-27 22:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.03 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」3 ソール・ライター


2月15日木曜日、
4ヶ月ぶりに吉田正写真教室を受講しました。
先生も受講者の皆さんもお元気で、
以前に変わらず活発で和気藹々とした教室でした。

例の通り、前半は講義、後半は受講者の写真講評。
前半で印象的だったのはやはり優れた二人の写真家。
まず、わざわざ持参された写真集は、
マイケル・ケンナのモノクローム写真集。
私も同じ写真集を持っていますが、
写真展には未だ遭遇したことがありませんでした。

吉田正さんのお話では、
どうやら四つ切り程度の大きさで常に展示していたそうで、
写真のスケール感豊かな作風とは裏腹のプレゼンに、
彼の意図は垣間見えるようです。
大げさな写真世界を構築する気持ちはまるでなく、
自分の作品たちが一貫してミクロコスモスの雰囲気をたたえるよう、
写真家は工夫していたのかも知れません。
一枚、一枚が自足して、静寂の気を漂わせています。

もう一人は、ソール・ライター。
ドイツの出版社シュタイデル者が発掘した写真家として、
映画まで作られて、
どうやら世界的に有名になったようです。

YouTubeでも、紹介ビデオを観ることができます。
Saul Leiter
https://www.youtube.com/watch?v=RJdIJkt3Gz8

私が一番知りたいことは、
彼がファッション誌の写真家の職を捨てて、
隠遁してしまい、人に知られることなく、
こつこつと独特のストリート作品を撮り続け、
しかも自分から進んで、ストリート作家として、
世に作品を問う気持ちなどまるでなかったこと。

一体どうして、写真作家としての人生を捨ててしまったのか?
どうやって暮らしていたのか?
興味深いですね。
吉田さんのお話では、
同居の女性が生活費を稼いでいたようです。
奥さんなのかどうかは定かではないのですが、
そうまでして、どこにも発表する気もないままに、
あまり人が関心を抱きそうにない写真を撮り続ける、
そのあたりがまるで分かりませんね。

私のように、もともと別の職業を持っていて、
写真は完全にホビーに徹していて、しかも、
そのことを人にあまり知られたくないのであれば、
写真家的な行動をセーブするのは当然です。
でも、彼は、すでに職業写真家としてキャリアを積み、
そのキャリアに乗っかって、自分の写真世界を世に問う、
そんな道筋が普通と考えられるのに、
そうした形をとらなかったのですから、不思議ですね。

もう1つ、面白いことがあります。
ソール・ライターがそんな風にして撮り貯めた写真群、
たいていの写真好きの方には、本来、完全に無縁の、
極めて地味で、かなり意味不明な写真だらけ。
私はどうか、と言いますと、
圧倒的に驚嘆する写真が少しあり、
なんだか分かる写真もあります。
でも、半分以上は私には理解不能で、
正直言って、「ゴミ箱行き」と言いたくなります。
そのあたりがカルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛、
セバスチアン・サルガドとはかなり違う感じ。
それなのに、今、熱狂的な賞賛を浴びていること、
これがよく分かりません。
どうやら私はぜんぜん写真のことなど分かっていないらしい。

そのあたりが、無名のまま世を去った後で発掘された、
女性写真家、ヴィヴィアン・マイヤーと違う、
そう私には思われます。
ヴィヴィアン・マイヤーの写真群は驚異に満ちています。
カルティエ=ブレッソンのような偉大な写真家ではありません。
あくまでもアマチュア写真家のスタンスで生きた人です。
写真撮影が生活であり、人生であり、喜びであった、
一人のアマチュア写真家が日常に接する出来事、人々に、
素直に反応している心の記録が残されています。
その写真群は、撮影者の新鮮な驚き、喜び、
作為のない自然なリアクションの瞬発性に満ちています。
私には、撮影の瞬間のヴィヴィアンの気持ちが分かります。

でも、ソール・ライターが撮影時、どんな気持ちだったか、
私には分からないことが多い、と言うほかはありません。
彼の撮りたい写真を撮ろうという作意がありありと感じられ、
しかも、その作意に共感を感じることが中々難しいのです。
彼を発見したシュタイデル社の写真集を手に入れて、
再三、ページを繰ってみるのですが、
「ああ、この人って、こんな気持ちでこれを撮ったんだな!」
そんな共感が心に閃かないものがかなりあるのです。

伊丹市立美術館で写真展が開催されます。
2017/4/29(土・祝)-6/25(日)

私にはソール・ライターが理解できるんだろうか?
それを確かめに参ります。
理解できれば嬉しいし、理解できなくても、支障はありません。
私はそんな人間だというだけ。




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by hologon158 | 2018-02-24 15:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」2 母なる大地


昨日、我が家に2ヶ月ほど滞在した二女一家が帰宅しました。
第二子出産のためでしたが、波瀾万丈の2ヶ月でした。
撮影に出られたのは、その前の1ヶ月を含めて、
たった2回。
その他、所用で外出したついでに、ヒットエンドランで撮っただけ。

ロボグラフィはその点しごく便利にできています。
犬も歩けば棒に当たる、と言いますが、
私の場合は、レンズ歩けばロボグラフィに当たる、でしょう。

今回のホロゴンは、今回の疾風怒濤時代が来る直前の撮影です。
至極、のどかに、のんびりと撮っていますね。
私にとって、ホロゴンは故郷、母なる大地なのですから。



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by hologon158 | 2018-02-19 22:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」1 私の故郷


ちょっとした機会に、
和歌山から奈良に写真を撮りに来るアマチュアカメラマンの
プリントを観ることができました。
自分のことは棚に上げて、言わせていただきますと、
まるで駄目でしたね。

① 被写体がありふれています。
誰でも、そちらに向いて撮れは、どんな初心者であれ、
同じような写真が撮れてしまうでしょう。

② のっぺりとした光で、くっきりと浮かび上がりません。
ただ、撮っただけだなあ、という感じ。

③ ディジタルプリントの質があまりにも低すぎます。
なにかしらアート処理をして、粒状化し、淡彩に仕上げています。
でも、そんなアート処理がここでなんのためになされたか、
それが分かりません。
リアルな画像よりも印象的で、美しい画像になるのであれば、まだしも、
ぼけぼけにすることで、特定の場所が不特定のどうでもよい場所、
行きたくもない場所になってしまうのはいかがでしょうか?

推測するに、この写真家、
自分がどんな画像にしたいのか、分かっておられません。
確固とした写真観も、撮影技術も、デジタル処理能力もないまま、
画像処理ソフトを漫然と試しているにすぎません。
技法の文献ばかり読んで、
写真史の方はしっかりと学んでおらず、
自分の感性もしっかり鍛えておられないのでしょう。

以前にも、
「カルティエ=ブレッソンの写真には、
手ぶれや、ピントのずれがあるのが、よくありますねえ」
こう言って、自分にはそんな失敗はないと言わんばかりに、
優越感の表情でにんまりする人に出会ったことがあります。
手ぶれ防止の現代カメラに寄っかかっているに過ぎず、
銀塩カメラを手にしたら、ろくな写真も撮れないのに、
そんなこと、ちっともご存知ないうえ、
カルティエ=ブレッソンがわざわざそんな写真を
作品として発表している真意も価値も分からないのですから、
ただの「ど素人」。
自分たちがカルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛を超克してしまった、
そう心から信じている写真家がプロにもアマにもどっさり居そうです。
つまり、みんな、ただの「ど素人」です。

私は、そんな幻想を抱かないので、
そして、写真史は、写真術や写真思想の超克の歴史ではなく、
時代とともに変化しているだけと知っているので、
自分が40年撮り続けても、素人の域から一歩も出ていない、
まして、偉大な先人たちを超克するなど想像だにできない、
そう確信できます。
私も素人ですが、少なくとも自分の場所は弁えています。

最初の頃に書きましたが、
私は、オリンパスの昇華型熱転写プリンター、
確かP400だったと思いますが、このプリンターで印刷し、
写真集仕立てに編集し、製本所に本格的に製本してもらって、
数十冊、各1冊限りの写真集を作っていたことがあります。

久しぶりにその一冊を書棚から抜き出しました。
そんな写真集の第1巻「アイルランド」です。
2000年5月15日発行。
印刷時に表面をコートしていますので、
20年近く経っているのに、いささかの劣化もありません。
製本所の造本も見事です。

当時はカルティエ=ブレッソンに倣って、
ストリートスナップ中心でした。
スナップ、瞬間芸の写真が混じっています。
一応のスナップ技術を必至で駆使していたようです。
今では完全に夢と化した技術を、
当時は曲がりなりにも使えたようです。

10年一昔と言いますが、20年も経てば、
私は当時の私とは完全に別人。
写真に対する思い入れも撮り方もまったく別もの。

ただし、こうした写真集製作は、
自分が写真作家だと信じたり、志したりしたからではありません。
写真家である「かのように」の遊びとしてでした。
今、私は、その正反対、真実の素人遊びとして、
ブログを楽しんでいます。
私の2つのブログはどちらも、
作品としての思い入れなど一切ないままに、
「味噌も××も一緒にした」かのように、
自分の撮った写真を撮影順にただ倉庫の棚に収めていく、という、
作品発表とはなり得ない、プライベートな貯蔵作業。
そこに、人の理解を拒むような、完全自動書記風の、
雑念速記作業がダブルのですから、
よほどの暇人以外には、
私のブログをのぞいてみようとは思わないでしょう。

でも、私の気持ちはすっきりしています。
自分に高下駄を履かせたりしていない。

初心に戻って、ホロゴンを使ってみました。
やっぱり私の故郷です。




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by hologon158 | 2018-02-16 12:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

715.05 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」5-完-写真は足し算


「写真は引き算だ」
よく言われる言葉です。
どんな人が見ても、なにを撮りたかったか、分かるように、
邪魔なものは全部画面から外せ!
これが写真家に課せられる至上命令。

実際、なにを撮りたかったか、さっぱり分からないのが、
初歩的なアマチュア写真の通例です。
要するに、撮影者だけが撮りたかったものを知っています。
でも、それを邪魔するファクターが一杯画面にひしめいている、
だから、見る人には、撮影者が何を撮りたかったか、分からない。
そんな写真がほとんどです。

撮影時、光景を前にして、なにが邪魔で、なにが必須か?
初心者にはなかなか分からないものです。
撮って、撮って、撮り続けて、
撮れた写真を観て、観て、見続けて、
ようやく経験的にしっかりと身に付くものです。
そこで、「写真は引き算である」
そう言われるのです。
最初からそれが分かる人がいます。
でも、あなたは、自分がそうだと思っても、
その判断はたいていの場合間違っています。
そう思った方が安全です。

私はもともと不器用でセンスなどない人間でしたから、
ただただ闇雲にシャッターを切っていただけでした。
でも、写真経験が40年を超えると、かなり分かってきました。
分かって来たのに、その挙げ句が面白いですね。
私は、人が見て、どう思うか、なんて、
すっかり超越してしまいました。
人は人、私は私、そうじゃないですか?
だから、光景を整理して写真を撮る必要がなくなってしまいました。

私の父が出張で東京に出かけました。
今から何十年も前の話です。
東京駅は当時も雑踏で、人がひしめいていました。
はるか後ろから呼び止められました。
「※※くーん!」
父は振返りました。
東京在勤の友人です。
「この人ごみの中で、僕のことがよく分かったな?」
すると、友人は答えました、
「分からないでか!
東京で、そんな格好できる人間なんて、お前くらいだよ!」
父は、手持ち品を入れた風呂敷を腰に巻いていたのです。
人が見てどう思うかななど、一向に気にせず、
成り振りかまわず、やりたいことをやる男だったのです。
私の父ですから。

そんな父を持った私です。
ホロゴンウルトラワイドを手に入れた頃からですが、
自分の写真を人が見てどう思うかなど、気にするのはやめました。
私がなにを撮りたかったは、人がどう思おうとも、
私一人が分かっておれば、それでよいのです。
写真に余分なものが一杯詰まっていても、
まったく問題がありません。
私は自分が何を撮りたかったか、分かっているし、
別に人に見てもらう必要もなくなってしまったのですから。

たしかに写真は「表現」です。
でも、私の写真は、私に向かっての表現。
どんなに沢山のガラクタ、邪魔者が写真に写っていても、
自分がなにを撮りたかったかは、ちゃんと分かっています。
つまり、目の前の光景、がらくたの山のような光景、
これこそ私が撮りたい写真なのですから。
私にとって、
「写真は足し算」なのです。



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by hologon158 | 2018-02-12 15:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

715.04 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」4 拒否反応


半月前、左下奥歯にブリッジを入れてもらいました。
後ろから2、3番目がダメになったのです。
だから2本をカバーする遠隔ブリッジ。
最初は違和感がありましたが、
一週間で、気がついたら、ブリッジを入れた左側で、
違和感なく、ものを咬んでいました。

ところが、その後数日で急変。
そのブリッジの支えの両側2本の歯、
おそらくその歯茎が痛み始めたのです。
痛みは次第にクレッシェンドしてきました。
週末は歯医者さんがお休みなので、
先週金曜朝、行きつけの歯医者さんに飛び込みました。

なかなかの腕前の先生なので、たちどころに原因を解明。
私の噛み合わせがかなり強いうえ、咬みどころが移動するので、
ブリッジ部分に力がかかってしまったのです。
噛み合わせのきつい部分を少し削っていただき、
噛み合わせを調整していただくと、
もうほとんど痛みはなくなりました。

どなたもそうですが、食事中、なにかを夢中に考えているので、
歯のことなど忘れてしまいますね。
信長も詠ったように、「人生五十年」の時代には、
人間は、身体にガタが来る前にたいてい世を去っていました。
男女とも世界有数の長寿国となった日本人は、
とりわけて、さまざまな部位がすり減るという憂き目に、
誰もが出遭うことになりそうですね。

無事歯科医の治療が済んで、外に出て決断。
この日は夕方孫プリンス6歳のピアノレッスンの付き添い日。
さっさとJR奈良線の大和路快速で平野に移動することにしました。
これに備えて、スピードパンクロ35mmF2付きソニーα7を、
バッグに忍ばせてきました。
前回京都に持ち出したのは、スピードパンクロ50mmF2。
35mmは私の所有です。
場所は違いますが、ここは一つ勝負させてみよう、というわけです。

50mmは、私に言わせると、
私の所有するアストロベルリン50mmF2.3と並ぶメタモルレンズ!
メタモルフォーゼを起こす異貌のロボグラフィを生み出すレンズ。
そして、スピードパンクロ35mmF2は、
私にとっては、アストロベルリンに次ぐ、メタモルレンズ。
ならば、同族の50mmとどれだけ勝負できるか?
さあ、お立ち会い、というわけです。

35mmはチビレンズです。
レンズの大きさは50mmの半分位。
35mmフィルムサイズを完全にカバーするには足りない、
という点では、どちらも、一緒。
不足の程度も同じ位。
だから、どちらも35mm映画フィルムのレンズとして、
同系列の姉妹レンズではないか、と思うのですが、真相は不明。

昼食を、JR平野駅近くのすてきな喫茶店でいただいたのですが、
私は、近ごろ時間間隔がマヒしてしまい、まだ午前中と誤解して、
豪華な果物、ゆで卵、トースト、コーヒーのセットを注文。
470円で豪勢なモーニング!
でも、食べながら、時計を見て、キョトン!
もう正午を回っていた!
というわけで、撮影しながら、平野から加美に南下して、
午後4時、孫の保育園近くの喫茶店に転がり込んで、
カレーライスを注文してしまいました。
お腹がペコペコだったのです。

スピードパンクロ35mmF2は、いつもながら、絶好調。
50mmに共通して言えることが一つ
開放最短撮影距離の接写をしたときの背景、
とくに空のボケの雰囲気が大変に甘いのです。
まさに幽玄。
ゾンネタールのようなクリーンで冴えた透明感とは違います。
むしろぎっしりと空気が詰まった感じ。

カレーライスは適量で、しっかりと煮込まれて、満足。
これからこのお店、愛用させていただきましょう。

午後4時25分、喫茶店を出発。
描写性はかなり似ています。
暗部の描出力が優れていて、
光の当たった部分にほんわりとフレアがつくので、
夢のような味わいが自然に出ます。
ただし、50mmはかなりデモーニッシュな傾きがあって、
豪勢なメタモルフォーゼをひき起こしてくれます。
35mmはかなり穏やかです。
デモーニッシュな味はほとんどありません。
それだけに普段使いしやすいとも言えそう。

先日の京都では、寒さによる電池の激しい消耗に苦しみました。
今回はそんな苦労は絶対にしないぞ!
JR奈良駅のコンビニで熱いお茶を購入し、
ダウンジャケットの内ポケットに入れ、
電池4本入れたバッグをそれにピタリと当てて収納。
JR平野駅下車後、その1個をソニーα7に装填。
すると、電池残量はしっかりと100%表示。
京都では、100充電しておいたはずの電池2個の、
ソニーα7に装填時の残量表示が10%と40%だったのとは大違いです。

さて、保育園に孫プリンスを迎えに行き、
今来た道をまっすぐ引っ返して、
ピアノの先生のマンションに参りました。
6歳ですが、私と対等に話します。
さて、今日はどんなおもしろいニュースを聞かせてくれるか?
楽しみにしていたのですが、彼の近ごろの関心は阪神タイガース。
阪神タイガースの公式ブックを舐めるように読み、
平かなとカタカナしか読めないのに、
選手たちの漢字名等、野球に関係のある漢字を自習。
昨年のタイガースの負傷選手たちの負傷時の顛末、
その後の復帰の具合を事細かに教えてくれます。
どうして、そんなディテールを知ったかの、謎。
「昨年、病気で消えていた選手がいたね?」
すると、即座に、
「横田?」
「今、どうしてる?」
「二軍でがんばってるよ」
知っていることは、思い出す必要がありません。
右手がどちらか、目がどこについているか?
そんな問題と同様、答えが分かっているようです。
私はそんな記憶力とは無縁だったので、いつも驚き。
ちょっと羨ましいという感じ。

ところで、ブリッジ部の痛みですが、まだ続いています。
分かりました。
2本の歯がダメになって、その両側の2本でブリッジ。
つまり、両側、とくに内側の歯に負担がかなりあって、
拒否反応を起こしているのです。
2本の欠損を放置したら、
上の歯が降りて来るというリスクを回避するため、
このブリッジは絶対に必要なのですから、
当分、右側主体でものを噛むこととして、
なだめなだめながら、段々と慣れてもらわないと。



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by hologon158 | 2018-02-07 16:22 | Comments(2)

715.03 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」3 笑いの天才


2月1日木曜日、
奈良町に出かけました。
それにしても、2018年元旦になったと思うと、
あっと言う間に、2月。
「白駒が隙を過ぐるが如し」
まことにその通りです。
ときどき、考えます。
昔の哲学者ロックが、時間とはPerpetual Perishingだと言ったのは正しい。
でも、自分の人生が砂時計のように崩れ続けて、
あっと言う間になくなってしまう、なんて、
絶対に許すものか?
人間のさまざまな営みはまさに「抵抗」ですね。
むざむざ崩れさってよいものか!
でも、そんな営みにいそしむ人間たちが心を同じくするわけでもなさそう。
むしろ人間って、てんでばらばら、それが面白い。
今日久しぶりに図書館に参りました。
なにか読むに値する本を探したい、
そう考えたのです。
でも、無惨な結果に終わりました。
どれを見ても、ぜんぜん食指が動かない!
そこで気づきました。
結局、私は世界を広く知りたいとは思っていない!
私が好む場所、人、もの、アート、そんなものだけを、
私の関心のサーチライドは照らし出しますが、
それ以外のものはちらっとも興味を抱けない。
そうなのです。
本来の落語の楽しさを味わうためには、
格調も風格も邪魔なんじゃないか?
そんな感じがしてしまうのです。

その点、二代目桂枝雀は、私が出会った限りでは、
最高の「笑いの天才」、
そう言い切ってもよさそうです。
Youtubeに数知れずアップされています。
江戸の落語と大阪浪速の落語との違いであり、
私が大阪人であるから、そんな感じ方をするだけ、
そうなのかもしれません。

志ん朝のときもそうでしたが、
枝雀についてグーグル検索して絶句しました。
すでに亡くなっていたのです。
凄いと思う人の多くがすでに世を去っている、
そんな経験が多すぎます。
凄い人間のストックが段々と減っている、
そんな感じを拭うことができません。
政治家なんて、なんだかカスだけ残った感じ。

枝雀の死がショックだった理由が
どうやら鬱病が高じての自殺だったということ。
ウィキペディアによりますと、
「古典落語を踏襲しながらも、
超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、
客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する」
でも、その陰には、心身をすり削る苦しみが、
彼をさいなみ、擦り切らせていったようです。
あらゆるものに広く深くサーチライトを当てる、
そんな人生は私には無縁だったのです。
結局、桂枝雀の落語CDを5枚借りて退散しました。
なぜ、枝雀か?
落語ファンデもなかった私が突然落語に目覚め、
立川志の輔、古今亭志ん朝と出会い、
目下落ち着いた先は桂枝雀、
というわけです。

なぜ?
志の輔はエネルギッシュで、
とくに創作落語の語りに抱腹絶倒させられます。
でも、志ん朝に出会うと。
まだまだ本物の域に達してはいないな、という感じ。
緩急自在の呼吸、という点で、志の輔はまだまだ、と感じるから。

志ん朝という人は本物の落語の天才、
そんな感じがします。
語りの呼吸、緊迫感は一分の隙もなく、
古典落語を今創作しつつ語る、そんな自在さがあります。
でも、最高に面白いか、というと、
残念ながら、いつも最高に面白いとは言いがたい。
古典芸能としての落語の継承者、中興の祖としては申し分ないけど、
落語の本質が「笑い」、リラクセーションにあるとすれば、
志ん朝はその本質をいつも極めてくれているとは言いがたい。

私が最近落語熱に感染して、出会った中では、
そんな落語の本質、奥義に一番近かったのは、
どうやら桂枝雀らしい、私はそう考えています。

YouTubeで、彼の講演を見ていますと、
なんと目が悲しげなことか?
どこか屈託があり、鬱屈があり、途方に暮れた視線に戸惑います。
人々の苦悩を和らげ、その人生にいくばくかの潤いと慰めを与えるため、
しばしの笑いを生み出すために、どれだけ苦しみ、どれだけ苦悩したか?
そうして、ついには一人の天才が鬱病の末に自殺を図って死に至る、
なんて痛ましいことでしょう。
もう言葉が続きませんね。




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by hologon158 | 2018-02-04 23:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

715.02 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」2 生きる!!


約1年前から毎晩半身浴を続けています。
最初は半時間でしたが、今はきっかり1時間。
どれほどの効果があるかは分かりませんが、
体に良いことだけは間違いがないと信じて、続けています。
もともと寝付きがよく、熟睡できる質でしたが、
ますます好転しています。
睡眠が毎夜例外なくサドンデス風で、瞬時に就眠。
毎夜、1から3回トイレに立ちますが、
それも突然目覚め、寝床に戻ると、瞬時に就眠。
水素吸入と半身浴の効果が現れている、
私はそう信じています。

さて、昨夜、半身浴を楽しんでいたときのこと、
ふっと、昔指導していただいた大先輩のことを思い出しました。
頭脳明晰、熟考果断をもってなり、稀に見る逸材とうたわれた人。
人の話を聴くときは、しっかり目を閉じて、全身耳にするのです。
こうなると、いい加減なことはできなくなりますよ。
(ちなみに、私はじっと目を見続けます。
私はこちらの方が好みですね。
表情の微妙な変化を読み取れます。
それだけ、私に聴く力がないせいでしょう。)

若い頃からスキーを楽しんできました。
その切っ掛けは、若い頃の出来事。
60歳ほどの大先輩と温泉に入ったのです。
その大先輩の太ももを見て、びっくりしたのです。
細かった。
そして、考えました、
これじゃいけない、
体が全然できていない。
大きな仕事をできる人ではない!

そこで、彼はスキーを始めたのです。
名案を思いつきました。
夏は縁側に新聞を敷いて、その上に載ってターンの練習。
その後、高松宮だったと思いますが、
皇族が視察に見えて懇談した機会に、スキーの話題になり、
その場で、フロアに新聞を敷いて、
実地にやってみせたという逸話の持ち主です。

私が指導を受けたのは、彼が40過ぎのころのことですが、
たしかに見事な太ももの精悍そのものの風貌、身体つきでした。
顔の表情の動きも歩き方もまさにキビキビした人でした。
私はその当時は、毎週撮影に出るほかは、運動など無縁で、
仕事と読書と音楽鑑賞と、完全な書斎の虫でした。
でも、かなり年配になってから、
なんだか膝がカクカクと固くなってきた感じがして、
ふっと、いきなり、自分も立派な太ももにならなきゃ、
そう決意しました。

決意を不動のものにしてくれたのもまた、上記の先輩でした。
というのは、彼は、私が会って以来、
声望にふさわしく活躍したのですが、たった50歳で、
突然、直腸がんで世を去ってしまったのです。
惜しまれつつの、まさに夭折でした。
家族、友人、後輩たちが追悼本2巻を編纂しました。
誰からも慕われ、尊敬された人物の風貌が浮かび上がる、
あたたかい追悼文集でした。

これを読んで、彼のことを偲んで、考えました。
一旦ガンが体内で育ち始めたら、身体を鍛えていても、
ガンそのものを退治することは無理だろう。
でも、ガンと戦う体力はあればあるほど良いだろうし、
頑健になればなるほど、
健康を維持するエネルギーも増大するだろう。

それ以来、さまざまな健康法、体力増強法を採りいれ、
始めたものは止めることなく、現在まで続け、
幸い、大きな病気にもかからずにきました。
おそらく現在が私の体力の頂点でしょう。
でも、この頂点をできるだけ長く続けたいものです。

揚琴は楽器ですが、運動法にもなります。
グーグルで検索していただければ、形が分かります。
幅70㎝、奥行き50㎝の盤上に張られた百数十本の弦。
その5オクターブ近い音階を瞬間移動でスティックを走らせて、
細かいトレモロを刻みながら演奏する性質上、
私の腕、指の敏捷性は猛烈に増強されました。
目の前で何かがどこかから落ちようとしたら、
気がついたらちゃんと受け止めてしまい、
ほとんど取り落とすことがない、
という芸当もできるようになっています。

でも、「107歳 生きるならきれいに生きよう」という本を書かれた、
声楽家、嘉納愛子さんも、調べてみますと、
109歳で老衰のためにお亡くなりになっていました。
このあたりが人間の寿命の限界なのでしょう。
それは当然です。
どんな生物もいつかは必ず死にます。
そうでないと、地球が生き物で一杯になってしまいます。
大切なことは、
生きている限り、自分一人でやりたいことを楽しめる人生!

嘉納愛子さんほど生きるとしたら、
私たちの人生はまだまだ気が遠くなるほど長いですね!
そして、自分がそこまで生きるか、否か?
これは神のみぞ知るです。
ならば、そこまで生きるつもりで生きなきゃ!
そこまで生きるつもりで、人生を設計しなきゃ!

肝心なことは、いつ死んでも、
ああ、良い人生だった、そう心からつぶやける、
そんな生き方を続けること!
お互いにがんばりましょう。





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by hologon158 | 2018-02-03 22:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)