わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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718.02 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」2 写真倉庫


もちろん写真作家たちは、写真表現作品を営々として創造しています。
でも、写真作家でもなんでもに素人が、
「私はこれらの作品で現代のアンニュイを表現してみたいと考えたのです」
なんて、言っても、考えたんじゃなくて、
こじつけただけじゃないの?
撮影時にそんな作品創造を構想して、
その構想にふさわしいシーンを追い求めて撮ったなんてできないじゃないの?
私はそう感じてしまいます。

どこで、その違いが分かるか?
簡単です。
言葉によるキャプションを全部取り除きましょう。
そうやって見せられたとき、
多くの人が作家の意図を的確に感じ取れるでしょうか?
感じ取れるなら、その写真は「写真作品」と言えそうです。
でも、たいていのいわゆる「写真作品」は落第。
言葉による説明の補足なしには、まるっきり理解不能ではありませんか?
まして撮影者の感じたことを想像するなんて不可能。
撮るときに撮影者の心になかったことをあとで付け加えるなんて、
ほかの芸術で起こるでしょうか?

コラージュがそうじゃないか?
そうおっしゃる方もおいででしょう?
でも、コラージュでは、
集められた素材は、アーチストが基本的構想の下に組み上げられ、
その全体の構図の中で完全に一体化し、
すべての素材の役割、関係性は一望すれば明らかになります。
写真ももちろんコラージュの素材になります。
題名が付けられても、内容を説明したり、補足したりするようなものではなく、
その題名もコラージュの一部となるように工夫されます。

写真だけ複数枚並べて、題名なしに、
作者の意図通りのコンセプトを的確につかみとれる人は稀でしょう。
それはそれで面白い発見、啓発となるでしょうけど、
作者の意図をしっかり把握してもらえなかったという、
隔靴掻痒感は残るはずです。
結局、それは美術界のコラージュと同等の芸術形態とは
言いにくい感じがします。

もっとも美術の世界でも、
たとえば、抽象画となると、コラージュ以上に理解は難しくなります。
結局は鑑賞者が自由にアイデアを遊ばせることになります。

ただし、写真の場合は、どんな風に組み合わせたところで、
写真は具象なので、自在に組み合わせる記号にはなりにくい。
アートのように自由な発想、アイデアを遊ばせるのは難しい。
作者がわざわざコンセプト文を付けると、
今度は、観衆はこの文章に心を縛られることになります。
組写真がドキュメンタリーにがなりえても、アートにはなりにくい、
そう結論せざるを得ない感じがします。

私の二つのブログでは、原則として30枚の写真を撮影順に並べています。
完全に私のストック、私の目の記憶なので、機械的に配列するだけ。
いかなる意味でも、私以外の人にアピールしたい何物も持ち合わせていない。
組写真ではありませんし、まして、コラージュでもありません。

このことはもう何十回となく明記してきました。
ネットに公開している限り、
なんらかの検索でヒットして、
ただのプライベートストックに過ぎないとは知らないまま、
一種の写真作品と誤解される方が居られるかも知れないからです。

こんな風にブログをプライベートな日記兼写真倉庫にしている人は、
私だけではないでしょう。
でも、私はブログサーフィンをしませんので、出会ったことはない。
私同様に、皆さん、人知れず、ひっそりと楽しんでいるのでしょう。

ただし、私のブログの場合、
検索にかかるデータがかなり含まれているために、
検索に偶然ひっかかることがあるようです。
でも、大抵の方は一目で辟易でしょう。
私のブログを時折訪れる人は、私の知る限り、数人。
おかげさまで、ますますブログ生活を楽しむことができます。

でも、近頃、記事数は減少の一途。
あれこれと忙しいので、投稿の時間がなかなかとれない。
いくらなんでも、撮影の収穫をすべてアップできない。
だから、半数程度に減らすのですが、その選別が一番やっかい。
少し前から、選別作業をオミットすることにしました。
60〜80枚を撮影順に選択して、ブログ用に縮小する作業中に、
不要写真をどんどんとパスするのです。
かなり楽になりました。



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by hologon158 | 2018-03-30 22:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.01 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」1 忘れない!



スピードパンクロ50㎜F2の目も醒めるような画像を眺めていると、
これほどまでに際だって個性的かつ華麗な画像こそ、
このレンズが設計されたコンセプトだったのだろう、
そう推測せざるを得ません。
もちろんデジタル処理がスピードパンクロの個性を
かなり増幅している可能性は無視できません。

でも、私は今ではほとんどソニーα7をベースとして、
諸レンズを対比しているのですから、
レンズ間に際だった個性差があることは疑うことができません。
銀塩時代もその個性をさまざまに追い求めたのですから。
だとすると、映画制作者たちも、作品、情景を、
レンズの際だつ個性の助けを得て、
独特の映像美を生み出したい、
そう考えていたに違いありません。

名作は印象的なシーンの巧みな編集によって生み出されました。
そのもっとも印象的な表現の好例として、
私は、エイゼンシュタインの「イワン雷帝」1944年と、
キャロル・リードの「第三の男」1949年を上げたいと思います。
どちらも使用レンズは知りません。
オーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムの姿が出現するシーンは、
映画史上屈指の登場シーンですが、
この映画のモノクローム画像の切れ味の鋭さに、
スピードパンクロだったんじゃないかな、
そう考えたいですね。

スピードパンクロは19世紀末から1965年頃まで連綿と作られました。
これはスピードパンクロの名器であることの証明でしょう。
私が中将姫光学さんからお借りしているスピードパンクロ50㎜F2は、
レンズ番号に照らして、1920年代のようですが、
「第三の男」制作当時はまだ現役の花形レンズだったようです。

こうした名シーンを観るにつけ、
レンズの表現力が登場人物の演技を際だたせる武器になっています。
とすると、私たちの写真にも大きな効果をもたらしてくれる、
私はそう信じます。
写真家たちの強力な味方になっている。
だとすると、私のような素人写真となると、
個性的な写真をほしければ、
もう名レンズに頼るのが一番早道、ということになりそうです。

だから、私は正直に書いています、
レンズに撮ってもらっている。
だから、私は、私の写真に関する限り、
「自分が撮った」とは決して申しません。
「レンズに撮ってもらった」これが正直な気持ち。

そんなこと当たり前なんだから、
わざわざいつもどのレンズで撮ったかなんか、
言わなくてもいいじゃないの?
たとえば、この絵はどんなブラシ、どんな絵の具で描きました、とか、
この小説はモンブランで、鉛筆で、ボールペンで、ワープロで書きました、
なんて、誰も言わないように、
写真だって、道具をわざわざ明記する必要はないよ、
そう皆さんおっしゃるでしょう。

でも、私は事情が違います。
写真でなにかを表現した、
写真作品を創りたい、
そんな気持ちがまったくないからです。

こんな私にとって、レンズが与えてくれる個性的な外観はありがたい。
とりわけ、スピードパンクロ50㎜F2には惑溺してしまいます。
1920年代の製品なのですから、まさに百年前の光学製品。
この百年間、世界のレンズ会社が時代の要求に応じて、
改良に改良を重ねてきたのが光学機器の華レンズです。
それなのに、百年前のレンズに魅せられる?
なぜ?
理由は簡単です。
光学性能の進歩は、撮られた写真の進歩とは無関係だからです。
写真に進歩もなにもない、
私はそう信じます。
写真は必ずしもアートではありませんが、
その写真がどんな意味を持つとしても、イメージには違いありません。
イメージが鑑賞者にどんなインパクトを与えるかは、
すべての芸術同様に、一律に決められるものじゃありません。
極めてプライベートな体験。
紀元前の兵馬俑の兵士たちの生々しい命の印象は、
現代の彫刻芸術をときに遥かにしのぐほどです。
時代、時間、機器等の媒体、それらすべてが、
芸術性に関わることもあれば、関わらないこともあります。

でも、写真に関する限り、私の場合は一つ言えることがあります。
現代の完璧な光学性能のレンズで撮った写真は、
私には無縁です。
光彩陸離としているので、見た瞬間は心がもちろん動きます。
でも、次の瞬間忘れてしまう!
スピードパンクロ50㎜F2で撮った写真は?
忘れない!
なぜでしょうなねえ..................?



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by hologon158 | 2018-03-28 15:15 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

717.08 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」8-完-


私は映画をTSUTAYAから借りて、自宅で楽しんでいます。
何年か前、まだ在職中、思い立って、
アメリカ映画を映画館で観ました。
実写とコンピュータグラフィックスが組み合わされて、
大画面、大音響、大迫力の映画でした。
凱旋門のような石の門の真っ正面のシーン。
その門が突然破裂して、阿鼻叫喚の大音響とともに、
ティラノザウルスがこちらに向かって飛び出しました。
いくらなんでも、ティラノザウルスでも生身の体です。
そんなことできませんね。
あまりにも刺激的過ぎます。
映画館で映画を観るのはやめました。

昨夜、ニュージーランド映画「ホビット」を観ました。
J.R.R.トールキンの名作ファンタジー「ホビットの冒険」の映画化。
と、思うでしょう?
でも、前作「ロード・オブ・ザ・リング」も、
トールキンの畢生の大作「The Lord of the Rings」を、
一生懸命映画化しようとしても、
結局、原作の雰囲気、精神は、まったく再現されることなく、
ただの大がかりがファンタジー映画にすぎなかったのですが、
本作と来たら、もうまるで完全に別物になっていました。

ファンタジーのインフレーションが高じて、完全に破産状態。
トールキンファンが観るものじゃありません。
こうした現象は日本でもどんどんと進んでいる感じがします。

どうも現代はなにもかもが過剰化の上昇曲線を
果てしなく昇っていく、そんな感じがします。
料理の味が濃くなる傾向は「味覚の堕落」を証明しています。
映画のあらゆるファクターが極端に濃厚になっていく傾向は、
「感受性の堕落」「感覚器官の鈍磨」を証明しています。
どちらの場合も、繊細、微妙、デリケートな味わいを
見分ける能力をすり減らしていきます。
世界中でそうした堕落が、つまり無神経化が進みつつある、
そんな感じがします。

日本人はかつて繊細な心情、情感を備えた民族であると、
自負してきました。
でも、今はどうなのでしょうねえ?



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by hologon158 | 2018-03-24 23:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.07 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」7 晴れ舞台


私は、祭り騒ぎがはっきり苦手です。
晴れ舞台でなにかをする、ということ位、
ぞっとすることはありません。
だから、参加することも見ることも好きではない。
でも、人生、そんな機会がどうしても巡ってきます。
それが人生ですね。

そんな機会に突然何段もギアアップできる人がいますね。
めざましく、晴れがましく、立派に見えますね。
思わず喝采しますが、私はゴメンです。
生まれつきのようです。
私の6歳の孫プリンス、3歳の孫プリンセス1号は違います。
4歳から参加するようになったピアノ教室発表会でも、
お兄ちゃん、なんだかウキウキとした表情です。
妹まで、2歳から特別参加していますが、
まったく平然と、平常心で舞台に立っています。

七五三の子供ファッションショーにまで参加。
最後に、インタビューを受けて、ポーズで終わりますが、
参加者の皆さん、普通に、Vサイン程度。
最後に、兄妹が登場しましたが、
2人とも、全身を突然華麗に動かして、独特のポーズを決め、
満場、大爆笑となりました。
妹など、インタビューでしゃべり続けて、止まらない。
誰に似たのでしょうね?

なにはともあれ、そんな性格が私の写真に出ていますね。
私は、祭りという祭り、孫たちのおひな祭りは別として、
まるで興味も関心もなく、
写真に撮るためわざわざ出かけることもありません。
でも、そんな人間の前によくひょっこり顔を出すのが、
このお祭り。
旅先でも、撮影日にも、偶然ですが、よく会います。
これもロボグラフィですから、撮ります。
でも、ご覧頂いたら、お分かりでしょう。
祭りを最大限表現しようなんて心がまえがないので、
出会い頭、ただのロボグラフィとしてヒョイと撮るだけ。

今回出会ったお祭り、まことに地元限りのフェスティバル。
沿道に観客もなく、私と友人以外には写真を撮る者もなし。
全員地元の参加者だけ、という寂しさ。
奈良の郊外ですが、すでに過疎化しているのです。
住宅地もありますが、こちらはただのベットタウン。
昔ながらの住民のお祭りには関心がない。
ほんの一握りの地元民だけが随行しているという感じ。

そんな中にちょっと目を惹く美人も居たりして、
祭りに華を添えています。
子供ファッションショーの私の孫たちのポーズのようなもの。
こんな美人がいるだけで、お祭りらしさが際だつようです。
そんな祭りの華を通りすがりにホロゴンで写し止める、
そんなことはしないのが、私。
ロボグラフィというものは、
日頃誰も気に留めないような種々との出会いなのですから。



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by hologon158 | 2018-03-22 11:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.06 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」6 何かを捨てる?


夕食には恒例の反省会を楽しみます。
餃子の王将を利用することが多いようです。
なぜ?
① 餃子に目がないから。
② 安いから。
社会的地位、格式、体面、体裁なんていう、
見かけは生涯無視して生きてきた私です。
そんな人間にぴったり来るのが、この餃子、
そうではありませんか?

退職後、精神的ギャップ、適応不全に苦しんだり、
華やかなりし過去を引きずったりしている
「昔エリート、今ただのおっさん」が沢山おられます。
私は、元来、そんな意識も地位もなく、
妻と二人で一庶民としてひっそり生きてきた人間ですから、
こうしたギャップはまるでありません。
ありがたいことです。

ついでに書きますと、
庶民のみなさんにも淡い階層意識がある方がかなりいます。
こういう方は、自分より目下か、目上かを本能的に見極めて、
言葉づかいや態度を変えます。

ところが、私は、万人は平等であると信じて生きてきたので、
誰にも同じ丁寧な態度、丁寧な言葉で接します。
すると、時折、タクシーに乗ったりしたときによく起こりますが、
こちらは丁寧な言葉でしゃべり、
運ちゃんはぞんざい、横柄に答える。
それでも、平気です。
なにも私をバカにしているわけではありません。
これは実は見かけだけのことが多いようです。
そんなしゃべり方しか知らないのです。
ところが、こちらも丁寧なしゃべり方しかしたことがない。
でも、外観は、主客転倒という感じがないわけではありませんから、
ちょっと吹き出しそうになります。

まあ、そんな私には、
完全庶民御用達の「餃子の王将」は似合いです。
食べ方も立ち居振る舞いもまるで地のままで通せるからです。
この日も、店内は庶民だらけでした。
右隣は、若いカップル。
無音のまま、華麗なる身振り限度で雄弁に語り合っていました。
左隣はかなり質素な身なりの老夫婦、
その向こうは、幼い子二人を同伴の若い夫婦。
向こうの4人席は中国人旅行者、
その向こうは、それぞれ一癖ありげな風貌の、
がっしりとした若衆4人。
まあ、全員、庶民です。
全員、例外なく声高に談笑。
気楽、気軽な雰囲気がなによりもご馳走ですね。

ただし、一つだけ、ちょっと様変わりがありました。
私がビールを止めたのです。
お湯割りの焼酎、それもコップ一杯だけ。
いつも一緒にジョッキを傾けていたDAさんも、
「それはいいことです」ときっぱり言って、
水割り焼酎、ライムソーダに変更。
私に悪いと、ビールを差し控えてくれたのです。
WKさんは、一番若く、まだ現役ですが、
酒はほとんどたしなまないので、水割り梅酒。
おかげで、ちょっぴり静かな談笑風景でした。

だんだんと何かを捨てる、
それがこれからの人生の趨勢かも?
でも、絶対に捨ててはならないのは、友人、ですね。



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by hologon158 | 2018-03-19 22:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.05 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」5 近江八幡詣で


毎年正月早々、写真の友人たちと近江八幡の水郷を歩く、
これがここ何年かの習慣でした。
今年は、私も、次女が正月早々に出産したことなど、あれこれ重なって、
多忙を極めていたこともあり、
友人たちも遠慮してくれて、
ついに企画もしないまま日が流れました。
私もこのところようやく平穏な日常に戻ったことで、
友人たちに呼びかけました。
でも、友人たちもそれぞれに生活があります。

結局遅れに遅れて、3月10日に決行。
参加は4人、DAさん、EMさん、WKさん、そして、私。
DAさんはライカM3の使い手でしたが、
今はソニーα7派に転身しつつあります。
EMさんは、かつてはストリートスナップ、今は都市の景観の写真家で、
奈良、大阪、神戸で4つばかり写真教室を教えている写真家、
WKさんは、気配を写真に撮る名手で、今は朝まだき闇の墓地に潜んで、
夜明けの景色を撮るという、
不気味にして奇怪な写真世界に深く沈潜しています。
どこの墓地か、言わないでおきましょう。
あなたがまだ日の出前の墓地に入り込んで、
闇に大きな目がギラリと光ったら、
WKさんだと思っていただければ、ほぼ間違いがありません。
もっとも、正真正銘のお化けの可能性も50パーセントほどありそう。
よく考えてみますと、私が一番まともであると言えそうです。
いや、よく考えなくても、そうですが。

午前10時JR京都駅発新快速で出発。
午前10時33分近江八幡駅発。
路線バスに乗り換えて、バス停「丸山」で下車。
東側の広がる水郷地帯に向けて進行。
私の装備はソニーでそろえました。

ホロゴン15mmF8U付きソニーα7
スピードパンクロ35mmF2付きソニーNex

いつもどおり、撮影がはかどり、足は遅れました。
前方の南北道を左に折れることにより、
水郷の北側の丘を取り巻く村落をまず目指していたのですが、
前方では、遙か先行した3人は逆に右に折れて、
水郷の島の公園に向かっています。

折から通りかかった漁師の老人に尋ねました、
「あの島から北に橋が見えますが、
あの橋づたいに、あちらの丘の村に行けますか?」
「ああ、行けるよ」
この言葉で安心して、水郷の島の公園で友人たちに追いついたのですが、
橋をわたって次の島に行ってみると、
その向こうは水路で、向こうの丘にたどり着くルートなどありません。
見事、だまされてしまいました。
おそらく目的地の住民だったのでしょう、
「こちらは生活しているんだ、
物見遊山に写真撮りに来られてたまるか!」
というところでしょうか?

さて、どうしようか?
鳩首協議のうえ、もう昼食時間まで半時間、
一旦、水郷の入り口に新しくできた観光客目当ての施設で、
昼食をとってから、
午後のルートを相談することに一決。

かつては、ウェルサンピアでしたか、簡易保健施設があって、
その食堂の近江牛すき焼きランチが絶品でした。
新レストハウスには幾つかレストラン、カフェが開業していましたが、
かつてこのあたりで経験したことがないほどの盛況で、
ものすごい群衆がレストランに列を作っています。
テレビかなにかで紹介されたり、宣伝されたりでしょう、
昨年までには近江八幡の水郷にはほとんど人影もなかったのに、
えらい様変わり。
でも、予言できます。
2、3年で閑古鳥でしょう。
現代人は新しいものに群がるのですから。

徒歩7、8分のところに海産物販売を兼ねた食堂があります。
ウェルサンピア廃業後の行きつけです。
行ってみると、案の定、客はゼロ。
駐車場もあり、メインロードに巨大な看板をあげているのに、
この始末。
行列を作って長時間待つ位なら、こちらを選ぶ、
そんな人はいない!
なぜ?
テレビで観なかったから!
はっきり言って、そんな人たちとおつきあいするつもりはない。
互いに共通する話題がなにもないのでしょうから。

近江牛焼き肉ランチ1400円を注文。
おいしい料理でした。
でも、長い時間待たされました。
しかも、ほとんど冷えていました。
どうやら焼き肉を丁寧に冷ましてくれていたようで。
これじゃ、口コミで人を集めるのは無理かな?
味は良いのに、惜しいですね。
でも、おかげさまで、広い店内に私たち4人、
くつろぎのひとときを楽しむことができました。
料理店を出発したときはすでに2時過ぎだったと記憶します。

八幡宮に向けて古い家並みをそぞろ撮影しつつ移動しました。
定番のルートです。
私は、ソニーα7からホロゴンを外し、
スピードパンクロ35mmF2に代えました。
ホロゴンでは、撮影後の液晶画面が真っ暗なので、
なにを撮ったか、まるで分からないからです。

今考えると、8倍のグラデーションフィルターを付けていたせい。
ホロゴン15mmF8は、周辺光量がセンターの8分の1しかありません。
そこで、うろ覚えですが、
8倍と16倍のグラデーションフィルターが付属されています。
もともとグレーがかって暗いフィルター、
中央が周辺よりもぐっと分厚いために、
光量がかなり平均化される仕掛けです。
ストリートでは、逆光ではほとんど撮らず、
明るいものを順光で撮りますから、
撮影結果は液晶でかなり明るく見えます。
自然の中では、たえず逆行気味に陽光が差し込み、
液晶画面では、中心がぐっと暗く見えるので、
いつもどおり、液晶で像をチェックしたりせず、
ノーファインダーで撮りますので、いったい何を撮ったか、
どう撮れたか、まるで分からないわけです。

ホロゴン使いの写真家たちに出会ったことがありませんが、
たった一人分かっているのは、田中長徳さん。
猛烈に高く評価しておられます。
でも、ネットに搭載された紹介ビデオでの振る舞いが不思議。
彼のホロゴンに対するコメントはまさに絶賛なのに、
卓上に両肘をつけた両手の先でホロゴンウルトラワイドの両脇を
しっかりと掴んで、「カシャッ」「カシャッ」と空撮りしています。
これじゃ、撮れた画像は両脇に太い指が2、3本写り込んで、
まるで両側にソーセージを写し込んだようになるでしょう。

つまり、田中長徳先生、素手でホロゴンウルトラワイドを掴んで
ストリートで撮ったことが一度もないのです!
狭くて後ろに退けない狭い室内で、
ホロゴンウルトラワイドを三脚に付けて撮っただけなのです。

でも、ホロゴンウルトラワイドを使った方は誰も忘れないでしょう。
どんなにホールドしにくいか?
大きな手の人なら、親指と人差し指で大きく開いて、
ボディの両側の天板と底にかけて、がっしとホールドできるでしょう。
でも、ボディがかなり大きいので、きっとすぐに疲れてしまいます。
私は、左手を直角に開いて、親指でボディの左側壁を押さえ、
左の他の指をボディ底部に添えて、支えとし、
右手人差し指を右側上部のシャッターボタンにかけ、
親指を右側背面から、他の3本を右側壁から、ボディを押さえ、
こうして両手でボディを5方から押さえて、落ちないように支えて、
ほとんどいつもウェストレベルあたりに構えて撮りました。
これでもかなりアクロバチックで、誰かの体が当たったら、
ポトンと落ちてしまったでしょう。
だから、ストラップを右手にぐるぐる巻いて、落下を防ぎました。
一度も落ちそうになったことも、落としたこともありません。
これも、フィルムロールで2千本ほども撮り続けたから。
常用しないで、仕事の必要でテンポラリーにホロゴンを使う、
プロの写真家の多くは三脚を常用していたのでしょう。

ところが、ホロゴンウルトラワイドからレンズだけ取り出して、
ライカMマウントに改造してソニーα7に付けて、
驚喜しました。
ソニーα7のボディを普通にホールドしても、
写真に指が写らない!
フランジバックの関係で、
改造ホロゴンのレンズの高さが、ウルトラワイドよりも、
ソニーα7の方がわずかにボディ前面より高くなっているのでしょう。
おかげさまで、ホロゴンを普段使いできるようになりました。

でも、今回は、日差しが強すぎました。
半逆光になっただけで、かなり刺激的なフレアーが発生し、
かつなぜか画面に暗闇がかかります。
森山大道先生の後期モノクロームプリント時代に、
引き伸ばしプリントの段階で、絶妙に焼き込んで、
随所に謎の暗部が謎を生む仕掛けがされていましたが、
作家ならぬ私には、そんな仕掛けは無用です。

そこで、スピードパンクロ35mmF2に付け代えたのですが、
これが大成功。
1930年代のノンコーティングのレンズですから、
とにかく穏やかで、しかも、品があります。
私は、本来、ネーチャーなど撮らない人間。
水郷を歩いても、水郷の美しい景観を撮るのではなく、
そこかしこに隠れているロボグラフィたちを撮るのですが、
やっぱり古いストリート、路地のロボグラフィを撮り出すと、
まさに故郷に帰ったような気分。
大いに楽しみました。
収穫はホロゴンが67枚、スピードパンクロが349枚、
合計416枚。
短かった撮影時間の割には収穫はかなり大でした。

ところで、私の近江八幡詣では毎年恒例なので、
記事もおそらく8から10回に及んでいるでしょうけど、
近江八幡の中核とも言うべき日牟禮八幡宮に関する記事も、
写真もおそらくゼロに近いでしょう。
なぜか?
十数回に及ぶ近江八幡詣でで、
たったの一度も神社を訪れていない。
神道にいささかも共感も尊崇も関心もないから。

そんな私でも、二女の第二子が産まれて、
正月、一家で春日大社でご祈祷をして頂きました。
これは、娘、孫のためなら、
矢の中、火の中、神社の中もいとわない! 
という、健気な気持ちから。
我ながら、偉い!
でも、神道の神様、わかっているでしょうね。
最前列一番右の男、うやうやしく装っているけど、
ちらっとも信じておらぬ!
不届きなやつめ!
ま、これまでのところは、あまり天罰を受けた体験はなさそう。
これからかな?
来世で受けるのかな?
そのときは叫びましょう、
「親鸞上人、助けて下さい!」
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」なので、
私も助けて頂けるかも?




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by hologon158 | 2018-03-17 21:53 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.04 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」4 井上亮のこと


誰にでも、人生の中で、
これだけは起こって欲しくなかった、
そんな出来事があるでしょう。
そんな中で、もっとも痛恨な出来事と言えば、
大切な人を失うこと、
これではないでしょうか?
両親といった近親を失うことも、
もちろんその中に含まれますが、
誰にせよ、寿命、定命とは言えないような年齢で、
あまりにも唐突に失なった人のことはとりわけ痛恨ですね。
私の場合は、親友の死がそれでした。

井上亮

2002年、享年55歳でした。
食道ガンでした。
彼が異色の心理学者、練達の心理療法士として、
かなり有名であったことを知ったのは、彼の没後なのです。

彼と知り合ったのは、1985年のスリランカ旅行でのことでした。
なぜか意気投合して、普段は月1回位は一緒に呑み、
それ以来、彼が世を去るまで、記憶では5回、
1989年8月から翌90年7月までのカメルーン留学を挟んで、
海外旅行を二人で楽しみました。

とにかく良く呑む男でした。
南西アフリカのナミビアをキャンプ旅行したときなど、
二人テントで過ごしましたが、
就寝前は差し向かいでウィスキーを呑み、
その日の反省会でした。
もっとも、反省させられるのはいつも私で、
彼が勝手に私に代わって反省してくれるという次第。
私は元来欠点だらけで、
家庭でも家族ら常時反省を求められる毎日ですから、
きわめて打たれ強い人間なので、
素直に耳を傾け、真摯に反省し、
酒とともにさらりとすべてを忘れ去る毎日でした。

夏期休暇を利用して、
イングランド、スコットランド、アイルランドと旅しました。
死ぬまで一緒に旅をしようと言い合っていたのですが、
2001年のある日、突然、電話がありました。
「食堂ガンにかかった。
ネットで調べてみると、致命率は60%強。
かなりあぶない感じがする。
両親のいる名古屋でいい病院はないだろうか?」
さっそく名古屋在住の整形外科医の義兄に尋ねて、
ガン治療の名声高い某病院を紹介してもらいました。
でも、受診したときには、すでに末期で、
幾箇所も転移していました。
あっと言う間に世を去ってしまいました。

ただし、手遅れであったことを知ったのは、後日で、
まだ十分間に合うはず、そう考えいていたので、
当時私は大きな仕事を抱えて、電話で数回話しただけで、
ついに見舞いに行くことができませんでした。
入院中お見舞いできなかったことがいつまでも心に残り、
彼の夭折にかなりの打撃を受けましたが、
その中には恨みのファクターもありました。
まだまだ仕事に旅に、人生を謳歌できたはずなのに、
突然、彼が自分の人生の時間を断ち切られたこと、
そして、私も、二人で行くはずだった旅の伴侶を失い、
心にポッカリ大きな空洞を開けられた感じだったからです。
今でも、心のキズは心の隅に残されています。

1989年、彼は文部省の奨学金で留学することになったのですが、
彼が選んだ留学先は西アフリカのカメルーンでした。
呪術師に弟子入りして、呪術を学んだのです。
彼から、彼の専門の話を聴かされたことはありません。
話しても分かるまい、と思っていたのでしょうが、
ほんのわずかに聴いた話では、
呪術師へのイニシエーションとなるテストは、
夢の中で、指折り数えながら1から10まで数えることだったが、
彼はそれをパスし、
そのあと、様々に教えを受けたこと(いくつか聞きましたが、
理解不能の境地のことなので、覚えていません)、
修行中、裸同然で暮らしたこと、
帰国の途について、ジュネーブでトランジットしたとき、
余った資金でローレックスを買ったこと程度しか覚えていない。

留学期間を終えて、帰国することとなったとき、
呪術師は、最後のテストを行い、
これをパスした彼に、師匠はこう言ったのです、
「もうこの国には呪術を学ぶものはいなくなった。
お前には私の知る限りのことをすべて教えた。
秘法を行う道具と、隠された神をお前に託そう。
お前がわしの跡継ぎであることは記録しておくから、
いつか呪術を学びたい者が現れたら、
お前が、わしがしたように、弟子にすべてを教え、
わしが託した一切の秘法を伝えてくれ」

彼の家でその話は聞きました。
「どこに秘宝はあるの?」
「誰にも見せるわけにいかないので、
廊下の押入深くに隠してある。
あんた以外には誰にも話していない。」
この秘宝も、得体のしれないガラクタとして処分され、
マリの呪術師の秘宝と呪術の奥義は失われてしまったのでしょう。

彼の書斎は、特製の大きな書斎机をどんと真ん中に置き、
背面に書棚、前面は隣の居間に面していて、間の襖を開き、
対面の壁に沿って配置されたステレオセットで音楽をかけ、
ウィスキーグラスをグビグビと傾けながら、
夜間朝方まで研究を続けました。

ナミビアでも、他の旅先でも、
夜必ず二人でウィスキーを呑みましたが、
酒豪ではない私はせいぜいグラス2杯程度で、
いつもなにか摘んでいたのに対して、
彼は生のウィスキーをぐいぐいと煽り、
アテはなしでした。
なぜ、そんな飲み方をするんだろう?
いつも不思議に思っていました。

彼にカウンセリングのことを聞いたことがあります。
その語り口から、
彼の呑み方の謎がすこしほぐれた感じがしました。

カウンセリングの成否を決めるのは、
相談者の邪魔をしてはならない、ということでした。
決して反応してはならない。
終始完全に受容器となって、
すべてを自分の中に納めていかなければならない。
聞き棄てしちゃえと、忘れるわけにはいかない。
相談者が陥った状況を打開して、相談者を救うのは、
あくまでも相談者自身なのだから。
カウンセラーは相談者を出来る限り理解し、
脇からそっとその手助けをするだけ。

でも、相談者たちの苦しみ、悩みをすべて引き受けていけば、
カウンセラーはどうなるのでしょう?
彼の心はやり場のない苦悩、惑乱の泥沼になってしまうのでは?
アレクサンドロスはゴルギアスの結び目を一太刀で切り離し、
長年の難題を一挙に解決してしまいました。

でも、井上さんの話を聴けば聴くほどに、
彼の心の中に伸び続けた縄は、容易に結び目は見つからず、
見つかって、これをほどいても、
その奥にまた別の結び目があるために、縄はほどけない、
そんな感じがありました。

私の大学時代の親友が同じ大学の同僚でした。
彼の話は示唆的です。
井上さんは気配を消す名人でした。
会議で、群衆の中で、ふっと気配を消してしまうのです。
すると、周囲の人間は彼がそこに居ることを忘れる。
大学の教授会は、多くの会議がそうであるように、
どうでもよいことを果てしなく蒸し返し、論じ直しの場。
そんな状態になると、彼の心はその場から消えてしまった。

彼と待ち合わせをしたことが幾度かありましたが、
人ごみの中に紛れ込んだ彼の姿は、沈黙に包まれ、
どこかその場から遊離していました。
彼は完全に気配を消していたのです。
そこに居る。
でも、誰も気づかない。
これこそ、受容器と化したカウンセラーの存在様式だったかも?

彼は、こうして自分自身の心に毎夜深く沈潜して行って、
心の奥底に沈殿している相談者たちと対話していたのかも知れません。
夜の静寂の時間こそ、何物にも邪魔されない沈潜のときだったのでしょう。
でも、解決の道を示す曙光は見えて来なかったのでしょう。
途方に暮れ、焦燥にいらだつ心をなだめるため、
あるいは、多くの宗教家にとっても、
恍惚の境こそ、悟りに導く最良の環境であることから、
もしかすると、彼は、酩酊状態こそ最良の精神環境だと考えて、
ひたすらウィスキーを身体に流し込む日々だったのでは?
身体を傷つけていることは十分承知しながら、
いわば、死と競争しながら、
人間心理の深淵への旅を重ねていたのではないでしょうか?

彼は、自分の業績を本にまとめないで、世を去りました。
没後、彼のエッセイ、諸論文が一冊の本にまとめられました。
「心理療法とシャーマニズム 井上亮」(創元社)
私が知ったのは、つい数日前です。
717.02 ホロゴンデイ202
「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」2 写真集
この記事で彼のことをちらっと書いたことがきっかけで、
グーグルで検索して、初めて知ったのです。

私は心理療法のことなどほとんど勉強したことがありません。
ヴィクトール・フランクルの本を幾冊か読んだ程度。
井上亮の論文を読んでも、理解できるとは思えませんが、
とにかくかつて互いに心を割って付き合った親友の本です。
手に入れないわけにはまいりません。
早速アマゾンで取り寄せました。
これから、じっくり読んでみます。

その序文の中に彼の一つの言葉を見つけました。

「結局、治療者は被治療者のもっている病をすいとる。
もし、病のもとであるギンナウォルが被治療者に
はいっているなら、それを治療者が自分にひきうける。
それをまともにやったら、死んでしまうから、
ギンナウォルからどうして身をまもるかを
よくしらないといけない」

序文の記載者はこうお書きです、
「ひょっとしたら、被治療者のギンナウォルが
井上さんの体をむしばんでしまったのかもしれない」

彼もこれに近いことを私に言ったことを思い出しました。
そこまで深みに入り込まなくてもよかったのに.........
彼は自分が長く生きられないことを知りながら、
心理療法の神髄をつかむため、研究に没入し、
ついに自分の命を生け贄のように投げ出した、
そんな感じがします。



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by hologon158 | 2018-03-15 22:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.03 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」3 写真を愛して


私は最初の最初から、今と同じ撮り方をしていたようです。
つまり、写真作品を創るためではなく、
自分が出会ったものたち、光景を記録したい。
そんな人間に巧い写真は不要でしょう。
それに、私はそんな写真の才能などなかったのですから、
自分の背丈にあった写真趣味というわけです。

写真を始めた頃から今に至るまで、
巧い写真家にもどっさり出会ってきました
センスのある写真家にもどっさり出会ってきました。
写真の巧さにはある程度修練、努力が効果を上げるようです。
でも、写真のセンスとなると、
持って生まれた感覚であり、
いくら努力しても、身に付きませんね。
私はきわめて早期にそのことを悟り、
写真で人と競争するのはやめたわけです。

写真を始めた2年目と3年目、
当時住んでいた宮崎県の公募展に応募して、
最初に入選した後、残り3回は銀賞を受賞しました。
写真史に残るような高名な写真家の審査員から、
「久しぶりに彗星のごとく現れた大型新人」と言っていただきました。
この講評はよほど嬉しかったか、未だに忘れませんね。

でも、それできっぱり公募展への出品は絶ちました。
人との競争は自分の写真をゆがめる、そう感じたからです。
正解でした。
その後、公募展に受賞を重ねて、自分の写真を失った人、
いわゆるコンテスト屋になってしまい、
写真よりも、受賞歴、名声、ときには賞金を優先する、
写真屋になってしまった人にたくさん出会いました。
写真に対する愛情よりも、
他のなにかを愛するようになってしまうのです。

そんな人は一目で分かります。
目がやさしくない。
人を見ていない。
人の写真をちっとも本気で見ていない。
まして心から喜ぶことなどない。
人の写真を本気で見ているときは、
撮影場所や技法を知るため。

本物の写真家はそんな自称写真家タイプの人とは違いますね。
本当に写真を愛していますね。
私は、自称写真家のみなさんとはつきあわず、
本物の写真家、そして、私のように、写真は巧くないけど、
本気で写真を愛している人との交遊を大切にして生きてきました。
おかげで、本物の友情を培うことができた、
そんな感じがします。




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by hologon158 | 2018-03-13 13:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.02 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」2 写真集


久しぶりに書棚から1冊の写真集を取り出しました。
「アイルランド 1999.8」(2000年5月発行)
何を隠そう!(なんて、隠すまでもないことですが)
私が雲雀屋製本所に製本を依頼して作った写真集第1号、
それがこれです。
オリンパスP-400という昇華型熱転写プリンター、
ご存じでしょうか?
知る人ぞ、知る!
パソコンの写真プリンターの最高峰の一つです。

なぜ、最高峰?
興味があれば、調べてみて下さい。
私にとっては、そんな理論よりも結果がすべて。
18年経っても、画像はプリント直後の生彩を保ち、
画像も純白の白地も、いかなる劣化もありません。
大阪長居の製本所の布地堅表紙の製本も布地表紙も、
いささかも劣化していません。
完璧な写真集、でも、たった一冊のプライベート版。
懐かしいですね。
心理学者井上亮、すぐれた写真家のINさん、
2人の親友と巡ったアイルランド西海岸の旅の記録。

この写真集を最初からめくってみました。
当時はもちろんポジフィルムを自分でスキャンして、
マックでプリントしていた時代です。
現代のデジタル写真との大きな違いは、
写真のコクにあった、そんな感じがします。
同じ色彩でも、ぐっと深いのです。
オリンパスP400の超精密プリントと相まって、
実に見事な色彩です。
写真も悪くない!
(自分で言うから、間違いがありません)
50頁ほど、かなり見応えがある印象に満足。
(あたり前です。自分が撮影したものから厳選したのだから)
ホロゴン、フレクトゴン35mm、ヘクトール73mmF1.9等、
往年の私の常用レンズで撮っていますから、
味わいは格別です。

懐かしい時が刻み込まれています。
でも、ちょっともどかしい。
一つ一つの写真が、次の写真とは場所も時も隔てられています。
ぶつ切りの思い出。

でも、写真集って、そんなものです。
写真家って、けっして撮影順に並べたりはしません。
いわば、現実は写真世界に組み替えられています。
時系列でもなければ、場所の連鎖もありません。
それが、独特の世界を浮かび上がらせるのが、
写真集の面白味なのでしょう。
これも一種の仮構の業なのです。

私も、当時から「写真ど素人」を標榜していましたが、
写真集を作るときだけは、
いわば「写真家ごっこ」を楽しんでいたので、
写真集ごっこを楽しんだわけです。

でも、久しぶりに写真集を一冊開いて見て、
悟りました、
「やっぱり、ごっこは、所詮、ごっこだな」

実際のところ、私は当時も今と同様、
自分の人生の記録として、写真を撮り集めていたのです。
人に見せるのは、いわば、おつきあい、名刺代わりに過ぎませんでした。
そんな私が写真家風に振る舞っても、似合うわけがありません。
その一番の理由は何か?
2008年からブログを始めて、はっきりと悟りました。
自分の写真は「表現」なんかじゃない!
人に向かってなにかを訴えたいという気持ちが全然ない!
私にとっては、純粋な日記であるブログ、
これが一番ふさわしい。
私は当時も今も変わっていないようです。


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by hologon158 | 2018-03-09 23:55 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.01 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」1 死活の問題


さて、前回の撮影の3日後に、
今度は、ホロゴンウルトラワイド改造のホロゴン15㎜F8Uで、
大和西大寺から始めて、佐保路を歩いてきました。
なにしろノーファインダーで撮り放題なのですから、
収穫は660枚です。
ブログ収録はその半数に抑えることにしましょう。

さて、本文は前回の続きです。
引退後の生存原理を話をもって行こうと思っていたのですが、
気がついたら、孫のことにすっかり心が傾いていたようです。

そこで、今回は話を引退後の生存原理に戻しましょう。
仕事がなくなったら、どんなことを糧に生きていけばよいのか?
難しい課題ですね。

以前に書いたことがありました。
ある有能をもって鳴る辣腕のリーダーが、
70歳で公職を退く人たちの送別の宴で、
ごくごく晴れやかにお祝いの言葉を述べました、
「さて、皆さん、本当にご苦労様でした。
皆さんはこれで社会のためにすることはなくなりました。
これからは悠々自適の日々をお過ごし下さい」

物は言い様、ですね。
ちょっとドラスティックに過ぎたきらいがありました。
ご当人は、マイナスにとられるとは思ってもいない。
でも、送り出される側のリーダーは頭に来たようです、
答辞の冒頭にいきなり、
「ただいま、私たちはいつ死んでもよい、
というありがたい言葉を頂戴いたしましたが、...」

こうなると、まるで喧嘩ですが、
当然ながら、この送別の言葉の意味はそんなところにはなく、
「社会のためにこれまで十分尽くしていただいたのですから、
これからは自分のために思う存分人生を楽しんでください」
という意味だったのでしょう。
ものは言いよう、ものは取りようで、難しいものです。

でも、自分が引退してみて、考えるのですが、
「自分のために思う存分人生を楽しむ」って、
言うはやすし、行うは難し、ですね。
これができる人はとても少ない、そんな感じがします。
たいていの人は、とくにサラリーマンは、
会社、社会のために自分の人生を削りに削って生きてきたので、
今更、自分のために、と言われても、
そんな心の余裕も、覚悟も、精神的資源もない、
そんな人が多いようです。

引退後、「さあ、これからはやりたいことを思う存分やるぞ!」
と快哉を叫ぶことができる人は、
実のところ、普段からなんとか時間を削り取って、
やりたいことを存分にやってきた人なのかも知れません。

そこで、質問。
すでに引退しているあなた、
あなたは今自分の人生を生きていますか?
テレビ漬け、新聞漬け、朝寝、昼寝の毎日ではありませんか?

長生きしている人の多くは、
生き甲斐となるなにかにいつまでも没頭、熱中できる人のようです。
そんな人は男性に少ないようで、
元気に長生きしている人の割合は、女性8、男性2ほどではないでしょうか?
男はもう「余生じゃ」と気落ちしている。
女は「さあ、これからがホントの人生だ!」と意気軒昂の方が多い。

でも、男性も老年期をウカウカと過ごすわけには参りません。
考えてもご覧なさい。
あなたは信仰をお持ちですか?
どの宗教もあなたの来世のために特別のプログラムを用意しています。
信仰がありながら、ウカウカと過ごした人にはそれ相応の報いの来世。
もっとしっかり気を引き締めて生きたら良かったのに!
そう後悔するかも知れません。

もしあなたに信仰がなければ、私もそうですが、
自分の人生は一回限りなのです。
私たちは星屑でできている、
そう言われます。
すべての恒星がいつかは膨張し、爆発して超新星となります。
地球のような惑星もすべて運命を共にします。
すべてが宇宙屑となり、再び凝集し、恒星となり、惑星となります。
そして、生命が誕生し、人間のような霊長類に進化し、
文明を生み出すこともあるでしょう。
私たちは前代の恒星の一生のなれの果てというわけです。

というわけで、私の細胞を構成する原子、分子は、
このような進化のリングの中でさまざまな役割を担ってきたわけですが、
でも、前世の記憶を伝えるメカニズムなどないようです。
生命の記憶の媒体は遺伝子ですが、
この遺伝子自体、現世の生命体を生み出すために、
現世に構成されたものなのですから、
前世の記憶などあるはずがありませんね。

ということで、一体、生命って、どんな存在なのか?
死後の運命はどんなものか、誰にも分かりませんね。
こうなると、信仰のあるなしに関わらず、
これからの人生をどう過ごすかは、死活の問題なのです。
お互いがんばりましょうね。




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by hologon158 | 2018-03-07 23:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)