わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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729.00 ホロゴンデイ204「2018年1月15日ホロゴン15㎜F8が久しぶりに奈良町闊歩」信仰


ベーダの「英国民教会史」という古典があります。
昔、筑摩書房だったと思います、単行本で出ていたのですが、
ちょっと退屈そうなので、買わずじまいになりました。
今では後悔しています。
今では見つかりません。
代わりに講談社学術文庫が見つかったので、ネットで注文しました。

私はカール・ヤスパースの引用で逸話を一つ知りました。
サクソン王の宮廷か教会だったと記憶しています。
両側の壁高く窓が設けられていたので、教会だったのでしょう。
ガラスもないせいでしょうか?
さっと、鳩だったか、白い鳥が窓から窓に飛び抜けて行きました。
キリスト教の伝教僧が王をさとします、
「人間の一生というものはあのようなものです。
始まったと思うと、あっと言う間に終わってしまいます。
すみやかに神に帰依なさるのがよろしいのです」

そんな話だったと思います。
荘子にも同様の趣旨の名言がありますね、
「人生天地の間、白駒の隙を過ぐるがごとし」
面白いのは、この2つのお話、鳩と馬と、主役は違いますが、
どちらも白い点、隙間をさっと過る点は共通しています。
なぜ、白いのか?
あまりに素早いので、目が追いつかず、
実体のあるものだったのか、幻だったのか、定かではない、
でも、暗い背景を前にして、極めて印象的に目を奪う、
そんなところではないでしょうか?

でも、人生って、そんなにも短く、
そんなにも朧なのでしょうか?
今にして思いますと、私も実感しています。
そう、そんなにも短く、そんなにも朧で、儚いものです。

まだ仕事について2、3年目のころのことを突然思い出しました。
私同様の若手の同僚たちと研究会をしたときに、
一人が言い出しました、
「僕たちの仕事って、ありとあらゆる事象とぶつかって、
四苦八苦するばかり。
一体、僕たちの仕事のプロフェッショナリティって、
なんなのだろう?」
そのとき、一同、前途の遼遠さに途方に暮れる想いでした、
「僕たちがそれが分かるまで何年かかるだろう?
ああ、あんまり先が長いので、それがどんな状態なのか、
全然想像できないなあ.....」

でも、気がついたら、あっという間に歳をとっていました。
自分の仕事のプロフェッナリティが何なのかも、分かった気がします。
仕事を進める内に、課題の要点、本質をすっと悟ることができる、
そして、これからの仕事の先行きが正しく予測できる、
そんなことのようです。
そして、それが分かった頃には、もう退職が目前でした。
今、なんだか本当に私の人生も白い鳩だった、
そんな感じがします。

しかも、自分の人生はかなり分かったつもりでも、
自分がどこから来て、一体、どこへ行くんだろうか?
これは全然分からない。
まるで、自分が白い鳩、白い馬であるかのよう。
さりとて、どれかの信仰に帰依したという気持ちは起こりません。
神も仏も、もしこの宇宙に存在するとしたら、
私たちにはまるで構っている暇などない。
私たちは、どこから来たでもなく、この世に生まれたとき、
初めて実在となり、
どこに去るのでもなく、生涯を終えたら消滅し、
ほんのわずかな身近な人たちの心にだけ残る、
それが人生なんだ、そんな感じがしてならないのです。

永遠の命を与えてくれる信仰に帰依すれば、
このような思いをしなくてもよいのでしょう。
でも、心から信じる気持ちが起こらない
さりとて、誰かがやったように、
神を信じる心が真実ないのに、
神が実在しなくてももともと、実在していたら、もうけものだ、
なんて賭けに出て、ある信仰に帰依するって、危険ですね。
仮に宗門の人たちをだませても、神様はだませません。
あの世に行って、「ああ、よかった! 神様、居たんだ!」
そんな気持ちに心軽々天国の門を叩いてみたら、
ペテロさんのような番人が怖い顔して出てきて、
「信じてもいないのに、ただの賭けで入信したことは分かっている!
そんな輩は地獄じゃ!」

悩みは尽きない、それが人生でしょうか?




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          [後書き]
          今朝、見直したら、写真が何枚もだぶっている。
          ちょっと酔って帰ってから、写真だけ遅ればせに投稿したせいらしい。
          そのままにしておきましょう。
          「バベルの塔」に段々似ていくのかも知れません。
          ますます、人が来なくなる。
          ますます、したい放題、できます。

          [後書き2/7月1日]
          ああ、昨夜の酔いはかなり深かったようです。
          我が最愛のホロゴンで撮った写真を28㎜と間違えていた!
          陳謝!!!






by hologon158 | 2018-06-29 23:35 | ホロゴンデイ | Comments(2)

728.02 ホロゴン外傅230「2017年11月1日アンジェニュー28㎜f3.5暮れ方の郡山で」2 エキブロ、永遠なれ!


pretty-bacchusさんが、
エキサイトブログの仕様変更で、
かなりのユーザーがエキサイトを離れたが、
自分はやめるつもりはないとお書きになっていました。
心強いお言葉です。
でも、皆さん、どんなところが我慢できずに、やめたんだろう?

私は、と言えば、確かに戸惑いましたが、
なにしろ超低額料金で無制限のデータをストックできるのです。
そのうえ、今ご覧のように、いかなる邪魔な外部データが現れない、
シンプルな画面を選択できるのです。
他のいかなる不便も耐えられます。

私たちは、一生涯、あらゆる場面で、不意に事情変更が起こり、
そうした変更になんとか対応せざるをえない、
という体験を重ねているのが常ですね。
たとえば、退職がそうですね。
確かに、なんらかの事情変更が我慢ならないものであれば、
それだけに大がかりな軌道修正を敢行する、決して逃げない、
それが人生ですね。

退職に伴い、社会の中で果たしていた役割を失うのは痛いことですが、
その後になお仕事の道があれば、事情は変わりませんが、
そうでなければ、新事態に対応すべく変身する必要があります。
いわば、他人のための仕事、他人との共同の仕事から、
自分のための仕事、一人だけの仕事に、
大きく軌道修正しなければなりません。
プロジェクトの企画、実施、目的の達成というスタンスから、
日々のすべての瞬間の充実と享受、というスタンスへでしょうか?

私はそんな切り替えが即座にできました。
もともと生涯の仕事は自分一人で達成する性格のもので、
そのためには職場も家庭も一緒くた、すべてが私がプログラムする、
という性質だったので、
写真、音楽、映画、旅行、読書等、自分の楽しみは、
そうした仕事の中にリズムよくプログラムすることができ、
おかげで、全生活をフルにエンジョイすることができました。
退職をしても、職業上のプロジェクト部分が抜けただけで、
ということは、全時間を自分の人生のために使えるという、
夢のような時代が到来したわけです。

だから、精一杯、自分の人生を楽しんでいるのですが、
そんな私の現在の生活の基本になったのが、ほかならぬブログ。
ブログに対する基本的スタンスが多くのブロガーと異なります。
多くのブロガーにとって、ブログは自己表現のステージであり、
様々なメッセージの発信の場、
つまり、作品なのでしょう。

でも、ここだけの話ですが(どうせ誰も読んでいないので、ありていに)、
私も含めて、大概の人は、
他の人が受け取るに値すると認めるメッセージも創造力も持っていません。
まして、アーチストなんかではありません。

私も最初は、二つのブログを写真発表の場にしたいと考えたものでした。
今から考えると、笑ってしまいますが、
当初、時折アクセス数をチェックして、絶句。
誰も私のメッセージなど受け取りたいと思っていない。
私の写真など、見たいと思っていない。
それが分かると、私のこれがよいところですが、
決断が早く徹底的です。
ブログを発表の場と考えるのは永久的に終わり。
自分自身の楽しみのための遊び場とすることにしました。

その頃、ブログは、もう1つ目的に役立つことに気づきました。
私は手紙が大好きなのです。
エッセイとか論文を書くようなモチベーションは持ち合わせません。
手紙のよいところは、受け取ってくれる相手が居ることです。
だから、書く意欲が湧いてくるし、書きたいことが書ける。
そこで、ブログにはコメント欄も残して、オープンにしたまま、
だけど、実態は、自分宛の書簡日記として使うことに決めたのです。
つまり、未来の自分に体するメッセージ。

話を元に戻しましょう。
先頃のエキブロの変更の具体的内容を私は知りません。
気がついたら、がらっとインターフェースが変わっていた。
記事の投稿のやり方も変わっていた。
当惑しました。
私に一言も断らずに、勝手に突然、がらりと変った。
情報もないないので(つまり、その見つけ方も知らない)、
試行錯誤で新しいやり方を覚えました。
今では、何の支障もなく、すいすいと投稿できます。
とくに、以前は、写真は1記事30枚限度を原則にしていたのに、
制限を撤廃しました。
どんどん写真が増えるので、30枚ではとてもはけないからです。
60枚、70枚を投稿するようになって分かったのですが、
現在の写真投稿方式は実に簡単にできます。

ブログを初めて約1年で写真日記と化してからは、
一度もアクセス数をチェックしたことがありません。
私は決めたことは実行するからです。
無用な好奇心を抑えることができます。

稀に、つまり、2、3ヶ月に1回ほどコメントをいただくので、
アクセス数がゼロになったわけではないようです。
でも、ちょっと暇なので、とか、
ほんの偶然に、私のブログを訪れたという方は、
雑感の羅列に等しい駄文がだらだらといつまでも続き、
ようやく写真にたどりついたら、これがまた大変!
いつ終わるとも知れず、意味不明の写真がどこまでも並んでいる!
もうこりごりだ、この忙しい中、つきあってられるか!
二度とのぞく気にはならないでしょう。
私はますます好き放題にブログ人生を楽しめます。
両ブログでどうやら記事は1万を越え、
貯蔵された写真も概算ですが、2、30万枚を越えました。

私はますます元気いっぱいです。
100歳を超える男性はかなり少ないようです。
私にはまだ何十年もあります。
私が100歳に達する頃には、100歳を超える男性もザラになるでしょう。
記事10万、貯蔵写真100万枚超えに向けて、
前進、飛躍、突破!
そのためにも、
エキサイトブログ、永遠なれ!




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by hologon158 | 2018-06-28 12:13 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

728.01 ホロゴン外傅230「2017年11月1日アンジェニュー28㎜f3.5暮れ方の郡山で」1 当惑


昔、名レンズ関係書では、アンジェニュー28㎜f3.5は異色でした。
説明に窮する、という気配がどの文章にもありました。
性格を明快に規定することができない、ヌエのようなレンズ。

でも、評者に共通する雰囲気がありました。
幽玄な描写で、幻想的である、という感じ。

とすると、私のアンジェニューは異色なのだろうか?
ちょっと戸惑っています。
逆光でフレアーが盛大に発生するあたりに気配は感じるのですが、
そのフレアーのベールの影にほのかに浮かびあがるのは、
明晰で知的な美女なのですから。

かなり多くのファンタジックなレンズたちに出会って来た私としては、
このアンジェニューはむしろ現実派に数えたい、
そんな感じがします。

鄙びた郡山風景を2回に分けてごらん頂きましょう。



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by hologon158 | 2018-06-26 23:27 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

727.01 ホロゴン外傅229「2018年2月13日エルマジ95㎜f2.4が奈良町を過ぎて」2 田舎もの


私は本質的に田舎ものです。
小学校6年の1学期まで、ずっと奈良県大和高田市という、
典型的な田舎町で育ちました。

人生に大切なことのほとんどすべてを幼稚園で学ぶ、
という趣旨の本が米国でベストセラーとなり、
日本でも売れたようです。
私もその通りだと思います。

私の父は第二次世界大戦前の朝鮮総督府のエリート官吏でした。
敗戦後、日本に引き揚げてきました。
(ちなみに太平洋戦争は終戦したのであって、
敗戦とは決して言わないのが日本の慣例。
でも、そのせいもあるでしょうけど、
日本が国際法的に正当化できるいかなる理由もないのに、
朝鮮半島を占領し、中国大陸を蹂躙した事実はかなり隠蔽されてきたようです。
南京大虐殺があったか否かが議論されていますが、
それよりもまず、日本が中国に侵入できる国際法的理由など、
一切なく、中国大陸で行ったすべての占領戦争行為は、
すべて犯罪であったことを忘れてはならないのです。)

なにはともあれ、父は仕事を失ったのですが、
日本国の高等文官試験の合格者であり、
朝鮮総督府もまた日本の官庁だったのですから、
父はもちろん日本に官職を得ることができました。
でも、いわば割り込みのようなものですから、
10年ほども干されていたようなものでした。
それでも、市長と同格の官職なので、
その子の私は、いわゆる「坊ちゃん」的存在だったようです。

私はそんなこととは露知らず、完全にどろんこになって遊びました。
学校から帰ると日没まで帰らない。
山あり、川あり、田園だらけなのですから、
遊びには事欠かなかったわけです。
勉強などろくにしませんでした。
でも、知らぬことながら、今から考えてみますと、
どうも私は何事にも大目にかけられていたよようです。
幼稚園から小学校にかけて、
背が高い方から2、3番目でしたから、
そのこともあったのでしょう、
誰にもいじめられず、誰もいじめず。
全校生徒丸刈りなのに、私と弟だけは長髪、
それなのに、誰からも「髪の毛を切れ」と言われず。
つまり、たいそう平和にやりたい放題の生活でした。
父母からも、勉強、成績、遊びのことで質問されたり、
注文されたりしたこともありません。

生涯、誰にも頭を下げない、誰の下にもならず、誰もいじめない、
そんな人間になったのですが、
そのような立場を当然のように堅持できる下地は、
幼年時代にすでに作られていたようです。

後年、仕事上、人間がどれほど幼いときまでの記憶を想起できるか、
いろいろ調べたことがありますが、
ほとんどの人が小学校中学年以前のことは、
まるで記憶していないことに驚かされました。
私はもとより記憶力は並以下なのですが、
よほど印象的だったと思える3歳の頃の体験をはっきりと想起できます。

一つは、3歳下の弟の分娩のときのこと。
産婆さんがやってきて、自宅から姉と一緒に追い出され、
玄関先のプロムナードで遊んでいたのですが、
中央のソテツと竜舌蘭の築山の下にもぐりこんで、
錆びたおもちゃの拳銃を見つけたのです。
今でも、姉にさびだらけのボロボロ拳銃を姉に見せたシーンが、
まざまざと浮かび上がってきます。

別の機会のことも明瞭に覚えています。
まだ弟が生まれていなかったので、
私が三歳になるかならずの頃のことでしょう、
母に連れられて大阪に行きました。
天王寺駅の外の街路は舗装などありません。
水たまりもあるでこぼこ道でした。
義足の傷痍軍人が3人ほど道ばたに立ち、
アコーデオンを肩からかけた一人が音楽を奏で、
他の二人が歌っていました。
足下にはお皿。
その前を通り過ぎて、しばらくして、
私はどうやら傷痍軍人さんに見とれて、
母の手を離してしまっていたようです。
見回したら、すぐに母が見つかり、後ろから駈けていって、
手を握って歩き出しました。
そのとたん、背後から私の名前を呼ぶ声。
私は他人の女性の手を握っていたのです。
私の放心癖はこの当時すでに始まっていたようです。

大阪の町は実にゴミゴミとして、見応えがありました。
家も路上もすべてがゴミ箱をひっくり返したような乱状。
これをすでにおもしろいと思い、汚いとは思わなかった!
どうも3歳にして、私のロボグラフィ癖は始まっていた!

どうやら幼年時代の体験が成人後の生活態度、種々の好み、
行動形態に大きな影響を与えているようです。
こうしたことを考えますと、
私は成るべくしてロボグラフィストになったわけです。
(辞書を調べないように。
路傍の草々をバックグラウンドではなく、
主題として撮る写真を「ロボグラフィ」と、
そんな写真を撮る人間を「ロボグラフィスト」と命名したのも私、
この用語を使っているのも、今では私一人でしょう。)

結局幼、少年時代に感性の基盤がすでに培われてしまうようです。
写真家となり、ことさらにスペシャルな作風を、
自分で苦労して作り上げる人をのぞいて、
自分の感性をフルに使って写真を撮る人間は、
どうしても自分の人間性そのものを写真化しているのでしょう。

私は幼年時代のおかげで、
集団行動がまるでできない人間になり、
独断専行的に生きる人間になってしまったようですが、
でも、傲岸な人間ではありません。
ただ、自分のしたいことを人に邪魔されたくはないだけ。
だからでしょう、誰はばかることなく写真を楽しむためには、
外部に作品を発表する写真家的な行動は一切できず、
自分の体験の記録として、いわば「完全素人写真」を
撮り続ける日々を重ねてきたわけです。

そんな私には、ブログは私の体験、印象の記録の最上の倉庫。
そして、エキサイトブログはその最上のプロバイダーです。
なぜ?
わずかな料金で、無制限の写真、文章倉庫を提供してくれるからです。
私のブログはこんな性格上、膨大な写真の上に、
長ったらしい文章も手伝って、読者がいません。
だから、広告など一切なしのフォーマットを選んでいます。
(携帯だけは勝手に広告が混じり込んで、防ぎようがない。
自動的に陳入するのでしょうけど、私はちらっとも見ず、
私のブログを読む読者もいないのですから、
完全無駄骨ですね。ご愁傷様)

以上のようなわけで、
私の幼年、少年時代が今の私を形作ったとわかると、
私の行動、存在がさまざまの形で幼時の私をそっくり反映しているらしい、
と考えざるを得ません。
ああ、無情!
親の因果が子に報い、
幼年時代の自分が今の自分を作り、
というんじゃあ、なかなか自分を作り変えようと思ってがんばっても、
うまく行かないわけです。
道理で、生涯、あか抜けた服装などしたことがなく、
生涯、颯爽と肩で風切ったこともない、
とぼとぼと路肩に寄りながら、路傍の草々と目を合わせて、
にっこり挨拶する人生を続けるよりほかにはないわけです。




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by hologon158 | 2018-06-25 22:51 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

727.01 ホロゴン外傅229「2018年2月13日エルマジ95㎜f2.4が奈良町を過ぎて」1 21世紀のトロイ


前にも書きましたが、
いくら考えてもよく分からないことがあります。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡のことです。
1万年以上前の神域らしい遺跡群が発見されました。
YouTubeで検索されると、沢山の紹介ビデオが見つかります。
シュメール、アッカドが人類の文明の始まりだと、
歴史学は断定して、その事実を基礎に、人類の歴史を考えてきました。
私たちもそう習いました。
じゃ、ギョベクリ・テペはなんなのだ?

歴史学者たちは、その傍らで、シュメール、アッカド、エジプトの
突然の文明の開花を準備する先行プロセスが見つからないことに、
居心地の悪さを感じてきました。
楔形文字やヒエログリフには、
そのような文字体系への進化プロセスの痕跡がまったく見つからないのです。
近ごろ、シュメール、エジプトでも、文字の前段階のような記号が見つかり、
楔形文字やヒエログリフはその地その地で創造されたのだと、
学者たちは唱え始めているようです。
でも、そうした記号と楔形文字やヒエログリフとの間の進化プロセスとなると、
一切そんな形跡がみつかっていないのに、どうしてそう言えますか?
坊やにお正月のお年玉を500円上げます。
半年ほどして、坊やの机の引き出しに5千円札が見つかります。
坊や、「引き出しに大事に仕舞っておいたら、増えたの」
誰が信じますか?

シュメール、アッカド、エジプトの巨大建造物についても、
それに先行する準備段階となるような同種の遺跡が見つからない。
エジプトの大ピラミッドに先行するとされるピラミッドは、
似ても似つかぬ稚拙な作りです。

だから、文明は突如いきなり成立したかのようにして、
進化プロセスの解明は一切省いたまま、
歴史学は築かれてきました。
そうした文明に先行する文明の存在を示唆するような遺跡は無視され、
あるいは、単なる単発的なローカルのデータとされてきたようです。

でも、ギョベクリ・テペ遺跡は歴史学の常識を完全に覆してしまいました。
まだ全貌は判明しておらず、1万年前の前後にわたって作られたこと以外には、
誰が、なんのために、どのように制作したか、判明していません。
でも、どう見ても、宗教的に、あるいは政治的に重要な意味があったこと、
制作するためには、かなり高度な思考力、知識、企画力、実行力のある組織が
必要だったことは間違いがありません。

不思議です。
シュメールの都市文明は紀元前3500年頃に始まったとされます。
ギョベクリ・テペはそれよりも約7000年もさかのぼるのです。
まだ文字は発見されていないようです。
でも、文字がないのに、神域を建設できたのです。
南米アンデスのインカやその先行文明はどうやら文字を持たなかったようです。
でも、人類の驚異のと言うべき偉大な都市、建造物を生み出すことができました。
つまり、文字がなくても、もしくは、ないからこそ、
思考力も記憶力も、文字文明の人間には考えられないほどに、
深遠かつ広大なものとなっていたと考えられます。
つまり、文字がないことは欠如ではなく、単に不要だった。
人間は記憶と思考によってすべてを把握し、管理し、計画し、実現した。

でも、そのように考えても、ハイ、それで納得しました、
ということはとてもできませんね。
ギョベクリ・テペにしても、重さ何トンという巨大な板状の柱を建て、
周囲に石壁を巡らしています。
そんな石は、近くに発見された石切場で切り出され、
現場に運ばれたのです。
知的なデザイン設計に基づいて、石は加工され、配列されたのです。
たったひとりの人間にできるわけがありませんから、
ある集団がたがいに分担しあって実行したのです。
文字が無くても、言葉で意志を統一しない限り、工事は不可能。
言葉によるコミュニケーションがあり、
一定のデザインに基づく一致協力した工事施工がなされたのです。
安定した食料、工具等の資材を供給するルートもあったのです。
すでに、社会があり、このような巨大なプロジェクトを実現するための、
組織と言葉と道具があった、としか言いようがありません。
なんのためにこのようなモニュメンタルな建造物を造ったのでしょう。
日々の生きるためのものではありません。
宗教もあり、思弁もあった!
これら全体がすでに一種の文明、文化の成熟を証明しています。

ということは、私たちが教えられてきた文明の発祥学説は、
まるででたらめ、無根拠の憶説に過ぎなかったのです。
人類の歴史は、私たちが知っているよりもはるかに淵源を遡り、
未知の豊かな歴史を秘めているのです。
遺跡がないじゃないか?
地上にある限り、実のところ、時間の経過とともに、
文明の所産はすべて消滅してしまいます。
金属も含めて、いかなるものも時間に対抗することはできません。
発見された遺跡、遺物は、いわば奇跡的なほどの幸運な条件のおかげ。
でも、そんな幸運のおかげで、
至るところに未知の遺跡が見つかりつつあります。
歴史学者たちは必死に抵抗し、無視しようとしています。
史学における既成のエスタブリッシュメントの足もとが崩れつつあり、
史学の基礎となる思考体系そのものが無意味になりつつあります。

かつて「イリアッド」は完全な架空の伝説、そう信じられていました。
ハインリヒ・シュリーマンは、実在の記録と確信して、
トロイの遺跡を発見、発掘しました。
ギョベクリ・テペは21世紀のトロイなのです。



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by hologon158 | 2018-06-24 12:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.06 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」6 時代遅れ


6月21日木曜日、
写真家吉田正さんの写真教室でした。
時代はどんどんと変わりつつある!
こう感じさせられることが余りにも多い、この頃ですが、
今回の教室で、
写真世界も、そうした時代の潮流が怒濤のように押し寄せ、
写真という独特の表現手段が大きく変わろうとしている、
そんな実感を強く抱かされました。

昔から、議論がありました。
写真は記録なのか、それとも表現芸術なのか?
私も、気がついてみたら、写真を趣味としてから、
40年を軽く超えてしまいました。
私は終始、写真は記録であり、ドキュメンタリーである、
そう考えてきました。

誰かに写真芸術として表現したい、という気持ちは、
最初からありませんでした。
私の体験のビジュアルな倉庫、そう考えてきました。
だから、たとえば、モノクローム専科が12、3年続き、
終始自分で現像引き伸ばしを楽しんできたのですが、
フィルムはあっさりと現像し、
伸ばしも、覆い焼きや焼き込みなどのテクニックは使わず、
あっさりと焼き付けるだけに止める主義を通しました。
自分が体験したイメージを写真化するとき、
なにも除かず、なにも付け加えない主義でした。

現在、デジタルカメラで撮影していますが、
昔ながらの露出補正だけ使って、開放オンリーで撮影。
そのファイルをプリントするときも、
画像処理ソフトはただ一つレベル補正を使い、
濃度を私好みに揃えることしかしません。
もちろんトリミングなど、一切いたしません。
私のように、ブログ倉庫にお好みの写真を貯めるだけ、
という人間には、自分の記録写真をことさら美化したり、
アートにしたりするのは、自分の記憶を歪めるに等しいからです。

もっとも、私の写真もかなり幻想的です。
これは、私が撮影現場で露出補正を自動的に変え、
オールドレンズたちの独特かつ個性的な開放描写と相まって、
私好みのロボグラフィ描写にしているからです。
40数年間たゆまず写真を撮ってきたのですから、
それ位のことはお茶の子さいさい、というところです。
だから、私の写真たちのイメージは私の意図通りなのです。

吉田先生の写真教室でも、一種の二分化が進みつつあります。
撮ったまま、もしくはそれに近い状態で撮っている人、
次々と手の込んだ処理技術を習得して、
オリジナルの写真とはまったく異なる写真世界を展開する人。

吉田先生は元来モノクローム写真の芸術家ですから、
写真教室での講義もアドバイスも、
本来の写真表現の範囲から超えることはありませんでした。
でも、近ごろは、Photoshop等のソフトの使用により、
写真を自由自在に画像処理して作品を創造する方向に、
気がついてみると、かなり重点が移動きたようです。
写真はRAWで撮り、画像処理ソフトで思いのままに現像し、
さらにさまざまに加工することで、独自の世界を創り出しなさい、
そんなスタンス。

変化の典型的な一例はトリミング。
以前は、トリミングをしてみても、
それは、撮影者の意図をそのままでは表現できていない、
ということの実証のためで、
もっともっと頭と心を使って、画面全体で一つとなるよう、
心がけましょう、という指導の方法でした。
今は、自分の意図を明確化する方法として、
余分なものは切り捨てましょうというニュワンス。
デジタルカメラの解像度が超絶的に高まっているため、
画像をどれだけトリミングして、切り詰めても、
画像劣化がないせいでしょうか?

オリジナルの写真画像に手を加えて、別物にする、
それはモノクロームの時代から行われてきたことで、
けっして邪道でも逸脱でもありません。
ですから、上記のようなトリミングはまだ許容できます。
でも、いやしくも「写真表現」である限り、
限度があります。
でも、画像処理によってまったく別物に変えてしまうのは、
写真を素材とする、別種のアートではないか、
私はそう疑っています。
というより、そう確信しています。
そのせいでしょうか?
私は、画像処理ソフトを駆使して作られた写真作品には、
まったく心が動かされないのです。

かなり困惑しています。
どうやら、私は時代遅れ、時代に取り残されつつあるようです。



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by hologon158 | 2018-06-22 23:35 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

726.05 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」5 借金財政


現在、私のマックのハードディスクに入っている写真ファイル2171個の中、
まだブログに掲載していないものは60でした。

つまり、毎日1ファイルを全部ブログに掲載しても、
現在、私の2つのブログ「わが友ホロゴン」「レンズ千夜一夜」には、
隔日ごとに各1掲載、つまり2つのブログで1ファイルずつ掲載中ですから、
少なくとも2ヶ月はかかる計算。

でも、内15個以上は300枚程度以上の写真が入っています。
これらは少なくとも3回分の記事に搭載することになりそう。
つまり、15×2=30回分が加算されますから、
60のファイルを消化するためには3ヶ月程度はかかりそうです。

その3ヶ月の間に、毎週少なくとも2つ、つまり60個のファイルが加わる。
ということは、3ヶ月経って、本日未消化分を全部消化しても、
結局同数のファイルがハードディスクに残されていることになります。
つまり、どこまでも60ファイル、3ヶ月分ほどの滞貨を抱えて、
営々と借金財政を続けるのが私の運命、ということになりそうです。

こうしてはおられませんね。
この記事、今日中にアップしましょう。




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by hologon158 | 2018-06-20 23:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.04 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」4 ギコチナイ


6月16日土曜日、
月1回の劉継紅先生の二胡レッスン日でした。
二胡をお聞きになった方は多いでしょう。
でも、ヴァイオリンのような西洋の弦楽器の弦が4、5本から、
さらに多いものまであるのに、
二胡はたった2本、これなら簡単だろう、と、お思いでしょう。
弦が多くなればなるほど、指の移動距離は短くなります。
二胡はたった2本しかないので、
指がそれだけ長い距離飛ばなければならない。
フレットもないので、正しい位置に指を着地させるのも至難。

世界で一番難しい楽器、そう言う音楽家も居ます。
それなのに、なんでそんな難しい楽器を習い始めた?
すべての事の原因と一緒です。
縁、です。

20年ほども前からでしょうか?
中国音楽に魅せられるようになりました。
旅行と映画が縁でした。
十数年前に、閔恵芬さんという偉大な二胡奏者を知りました。
聴けば聴くほどに、二胡に魅せられました。
私はどんどん何かに魅せられる人間などで、
その頃、一足先に別の中国楽器揚琴を習いはじめていました。
揚琴は独奏もしますが、二胡の伴奏楽器として最適です。
だから、最初から、付虹先生に揚琴を習いつつ、
二胡演奏家の陳少林先生に二胡曲の揚琴伴奏を習い始めていました。

私より先に二胡を始めた妻がまさに奇跡的な縁で、
旅先の青森で劉継紅先生を知り、弟子入りしました。
劉継紅先生は上記の閔さんに優るとも劣らない大演奏家です。
でも、これも縁だと思いますが、
四半世紀前に、北京電影交響楽団のコンサートマスターの地位を捨てて、
日本に移住され、東京音大で作曲を学んだ後、
日本人に二胡を教えるパイオニアになられたのです。

7、8年前に北京中央音楽院ホールで開催されたリサイタルを拝見。
会場は満員。
テレビ局も来て、テレビで放映されました。
堂々たる演奏でした。
劉継紅先生の特質は、音楽理解の深さ、曲の理解の深さと、
その理解を演奏の隅々まで活かす表現力、音色の多彩さ、
二胡演奏技術の高さにあります。

日本で巷に名を知られた演奏家たちは、たった一本、
もしくは限られた数の自慢の音色、演奏法だけです。
どんな曲も同じ演奏法一本で通します。
美しい、だけど、退屈です。
左手の動きに注目してみてください。
指を別々に大きく開いて、弦を一本の指で押さえる、
そんな奏法の演奏家がほとんどですが、これは拙い奏法。
日本で一番有名な女性二胡奏者など、素人同然です。
正しい教育を受けていないのです。

日本在住の二胡演奏家たちのCDはたくさん出ていますが、
すべて自家製か無名の小メーカーの製品です。
CBSソニーが作った二胡CDは劉継紅先生の2枚だけ。
でも、先生が選ばれた生涯の使命は、日本に二胡を普及させること。
ですから、二胡教授に徹しておられます。

4年ほど前でしたが、劉継紅先生、
妻がわざわざ大阪から習いに来ているのを気の毒に思い、
大阪にも足を伸ばして、二胡教室を開かれました。
その縁で、私も二胡を習いはじめたというわけです。

ただし、これは少なくとも2つの点で選択ミスでした。

① 二胡という楽器、余りにも難しすぎ!
たいていの二胡の先生は、
美しい音を出すのに必要最小限の技術を教えて、
あとはどんどん曲を弾いて楽しむ、という教授法です。

二胡の技法を現代的に作り上げた大家張鋭ですが、
劉継虹先生は、この張鋭先生のたった一人の弟子で、
中国音楽界の至高の演奏家劉明源先生の愛弟子でもあります。
いわば、二胡の最良の伝統の継承者として、
お二人から最高の技法を吸収し、ご自分でも開発して、
本来の二胡技法をしっかりと日本に定着させたい、
これが先生の志です。

一歩一歩、基本から積み上げることが唯一の二胡習得技術、
そうお考えですから、
初歩から一歩一歩着実に習得させるのが教授法の基本。
基本をおろそかにすると、どこかで確実に挫折する、
そう知っておられるからです。
私も3年目に入っていますが、まだ曲に入っていない!

② 二胡は小手先の技術で弾くものでない。
全身を、適切なやり方でコントロールし、駆使しないと、
本当の音は鳴りません!
私は、一生、いかなるスポーツもせず、旅行と写真と音楽を趣味として、
家に居るときは、書斎の机の前に姿勢を正して座り、読書し、仕事し、
という生活をのべつまくなしに続けてきた人間です。
そのための動きしたことがないので、でくの坊のようなものです。
でも、その事情はスポーツマンや他の楽器演奏家でも同様です。
二胡にふさわしい体の使い方は全然別のものなので、
どんな人も最初から学び直さなければならないのです。
とくにフラダンスのような腰つきまで求められるのですから、
まあ、オールドファッションの本の虫にはとんでもない課題。

ただし、数年前ですが、一つだけ、
二胡学習にかなりアドバンテージとなる動きを学びました。
アレクサンダーテクニック。
音楽家、舞踊家、俳優たちの動作の基本的テクニックです。
本も何冊も出ています。
Youtubeでも学ぶことができます。
あなたが何をしている人でも、これは絶対に役に立ちます。
そのもっとも基本的なテクニックは、モンキー。
どんな体勢からでも、流れるような動きで、次の体勢に移るためのテクニックです。
たとえば、財布が小銭がこぼれ落ち、くるくる回りながら溝に向かって行く。
モンキーテクニックを使うと、すっと体を沈めて、
さっとコインをすくいとり、すっと体勢を元に戻せます。
水銀のような動きです。
これができるようになると、体を動かすことで疲労するということがなくなります。

でも、アレクサンダーテクニックのことは劉継紅先生には一言も言っていません。
「それにしては、ギコチナイ動きはなんなの?」と言われそうで。




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by hologon158 | 2018-06-18 21:34 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

726.03 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」3 第二の人生を


少し前のことになりますが、6月4日月曜日、
陳少林先生の揚琴伴奏レッスン日でした。
いつもの曲を果てしなく繰り返しているのですが、
次第になんとか様になってきた感じがします。
二胡の主奏を揚琴が伴奏するのですが、
伴奏者にとってうれしいことに、
中国音楽の場合、2つの楽器が一緒になることで、音楽になる、
そんな作りになっています。
日本の歌謡曲のように、
伴奏が「ブンチャッチャ」とリズムを合わせるだけ、
というのとは大違い。
そんな曲もないわけではありませんが、
私が自分で課題曲を選ばせてもらえるので、
まともにがっぷり四つに組む曲を選んでいます。
段々と音楽らしくなっていくのがうれしいですね。

ところが、陳少林先生のレッスンの楽しみは、
実は別のところにもあります。
一曲が終わるごとに、二人で夢中に話し込んでしまうのです。
さまざまな話題を話しますが、
今日一番面白かった話題は、二胡の学習の問題。
陳少林先生にもかなりの数のピアニストが習いに来ています。
ところが、ピアニストが二胡を習得できる方の比率は、
これまで楽器を習ったことのない人より低いのだそうです。

二胡は他のあらゆる楽器と違います。
もっとも、実のところ、どんな楽器もそうなのでしょうけど、
二胡は、二胡自体の修得が特別に難しいのです。
たった2本の弦が縦に重なっていて、
間に挿入した弓を押し引きして音を出すのですが、
押し弓と引き弓とでぜんぜん奏法が違う。
2本の弦、内弦と外弦でも違う。
さらに、フレットまでない。
ピアノとはまったく異なるコンセプトの楽器。
ヴァイオリンとは似ているように見えますが、
似ているのはほんの一部で、
ヴァイオリンの奏法は二胡には役立ちません。

プロの音楽家たちは徹底的に心身を一つの楽器に特化しているので、
すでに身につけた技術が二胡演奏の邪魔になります。
プロには、二胡習得のために、自分の修得した技術を捨てて、
初心者となって、一から二胡を学び直さなければならない。
でも、これが大変に難しいのだそうです。
だから、たいていの方は途中で挫折するのだそうです。

この話から発展した方向は、当然のことかも知れませんが、
過去を振り捨て、新しい方法を修得するという点で、
退職老人の生き方と重なるという話しに移行しました。
退職男性は、長年、階級社会での勤めを続けたせいで、
どんな人も自分より社会的地位が上か下かを、
とっさに見積もる癖がついてしまっています。
でも、退職者同士にそんな階級差など消えてしまっています。
でも、そこをなんとか、資力、年齢、過去の地位等、
いわば名残の振る舞い等を見積もって、
自分より上か下かを見極めて行動しようとします。
現実には、退職者間にはそんな階級差など無意味、
ということをなんとか無視したい。
無意味なのに、まるで階級差があるかのように振る舞わないと、
気持ちが落ち着かないのです。

そのギャップがあるために、
正常で健全な人間関係を築き直すことが困難な方もいます。
以前に書きましたが、
そのせいで、不機嫌となり、自分の殻に閉じこもろうとし、
見知らぬ人間と温かい挨拶など交わすことができません。
退職後の第二の人生に備えて、
もう一度、新しいことを学び直すエネルギーもないので、
テレビ漬け、新聞漬け、家事一切あなた任せ、
食っちゃ寝、食っちゃ寝の人生に堕してしまい、
どんどん老いさらばえていく老後、
という羽目に陥りかねません。

有職時代の名残にしがみつきたい人か、
第二の人生をポジティブに生きようとする人か、
目を見たら、分かります。
あなたも、鏡を見る度に、まず、眼差しをチェックしましょう。
好奇心にきらきらと輝く眼差しをしていますか?




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by hologon158 | 2018-06-14 21:38 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

726.02 ホロゴン外傅228「2018年2月2日スピードパンクロ35㎜F2が平野に出没」2 果てしない道


若い女性ピアニストの演奏をYoutubeで観ました。
ロシア生まれ、ドイツで活躍する美しい女性です。
実に愛らしく、はつらつとして、演奏も超絶テクニックで、
絢爛たる輝きに満ちています。
でも、聴いているうちに、なんだか物足りなくなってきました。
なにが足りないんだろうなあ?よく分かりません。

そこで、マルタ・アルゲリチを思い出し、
かなり年輩になってからの演奏に切り替えてみました。
ショパン・コンクールで優勝した当時の初々しい乙女の姿は今いずこ?
でも、演奏ははるかな高みに昇っていました。
もうしわけない。なにもかもがけた外れに違いました。
どんな超絶技巧のピアニストでも、
たとえば、辻井邦明君にしても、彼女には遠く及びません。

超絶技巧派の若者たちはその技巧をギラギラと輝かせて演奏します。
マルタ・アルゲリチは超絶技巧のすべてが表現の土台に溶け込んで、
若者たちも真っ青になる自然なタッチで、
一音一音と誰も知らぬ物語を今生み出してくれる感じがします。
若い超絶技巧のピアニストたちもなにかを物語ってくれます。
でも、その端々から、自慢の鎧がちらちらかいま見えてきます、
「私って巧いでしょ?どう?私みたいに巧い人、いないでしょ?」
マルタ・アルゲリチは最初から違いました。
テクニックよりも、音楽がまず聞こえてきました。
指の先から、今この瞬間、
これまでに聴いたことがない音楽が生まれてきました。
作曲家の作曲譜は音符記号が並んでいるだけ。
その譜面から、誰も聴いたことがない美しい音楽、
奇跡のような響きを聴かせてくれる、それが名演奏家の真骨頂です。

ディレンマがあるようです。
美しい音楽を創造するためには、
超絶テクニックを磨き上げる必要があります。
でも、テクニックを磨けば磨くほど、巧さだけが目立って、
音楽がその陰に隠れていく、そんな演奏家がたくさんいます。
一世代に何人か、そんな割合でしか、
本物の芸術家は生まれないのですから、
「神頼み」でもするほかはないかもしれませんが。

ついでに書きますが、
辻井邦明君については、猛烈に心配しています。
あまりにもコマーシャリズムの波頭に押し上げられすぎています。
彼はもっと本物の演奏、真の芸術に向かって、
心と体を集中しなければならない時期にいるのです。
コンサートのようなパフォーマンスの機会を激減し、
テレビなんかには出ず(私はテレビがないので、想像ですが、
きっと引っ張りだこでしょう)、
自作の創作なんかもっと後にすべきなのです。

彼の創作をコンサートでも聴きましたが、
ただのムードミュージックに少し芸術味が加わった程度です。
本物の芸術ではありません。
その証拠に誰か、彼の創作曲をコンサートに使ったり、
録音したりしていますか?
単なる印象音楽なのです。
骨格がなく、本当の意味で聴く人の心を揺さぶる訴え、
主張、内容がありません。

たとえば、彼の自作の演奏を聴いた後で、
サティでも聴いてご覧なさい。
一音一音から浮かび上がってくる響きの深さ、
音楽全体が私の心を揺さぶる重さが段違いに違います。

もちろん、辻井君は心の衝動に突き上げられるようにして、
霊感に導かれて作曲しているのでしょう。
でも、それが正真正銘の芸術作品か、と問い直してみると、
ハイブローなフュージョン以上のものではない、と感じます。
心に直接突き刺さって来る天才の霊感が感じられません。

本当に超一流の芸術家に大成したければ、
演奏家として生きるのか、作曲家に転身するのか、
選択すべきです。
魂の導きに従って、一つを選んで、
狭く孤独な道を高みに向かってよじ登っていくべきです。
そうでないと、若き日の鮮烈な輝きの彼方、円熟の境地に到達して、
本物の芸術を創造する偉大な芸術家たちの仲間入りすることは、
とてもできないでしょう。
芸術界にはな若き天才たちが溢れているのですから。
半世紀もすると、誰も覚えていない、ということになりかねません。

なにかしら、現状では、彼がなにをやっても、
無条件で大喝采、そんな雰囲気があり、
すでに成功を収めてしまったという感じさえします。
でも、偉大な芸術家たちを知っている人間には、
ひいきの引き倒し、という感じさえします。
興行界の鉄則は「まだ新鮮な内に絞り出せるだけ利益を搾り取れ」。
なぜ?
大衆は飽きやすいので、しばらくしたら、
次のスターを求めるからです。

真のアーティストに大成したいのであれば、
音楽史を彩る偉大な演奏家たちの蛾々たる峰々を見上げると、
まだまだ、というところです。
辻井君はこれからまだまだ辛苦の努力を重ねていかねばなりません。
周囲がそれを許すだろうか?
なんだか心もとないですね。
彼については、本気で心配しています。




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by hologon158 | 2018-06-13 11:52 | ホロゴン外傳 | Comments(0)