わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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738.02 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F2奈良公園逍遥」2 私の美


(前回の続き)
さて、これからが本題です。
もしかすると、私は完全に間違っているのかもしれません。
でも、私は自分の長年の体験から知っているのです。

私にとって美は、ほかの人と違う。
私が美しいと心を打たれるものを、
他の人が全員、なんだこれは、ゴミじゃないの、ということがある。
逆に、多くの人が、死ぬほど美しい、これこそ完璧なアートだ、
と騒ぎまくっているのに、私にはなんにも感じられない、
そんな体験をどっさりしてきました。

みなさん、お笑いになります。
私は自分のロボグラフィを「これは美しい!」
そう感じて、撮っていることがあります。
もちろん、そう思っていないときもあります。
でも、美しくないけど、私の心にぐいと食い込んで来たのだから、
れっきとしたロボグラフィ、という存在もあります。
でも、私にとって文句なしに美しいものさえも、
大抵の方は、美しいとは思えないようです。

友人と一緒にストリートを撮影しながら、
以前は、「どう? これ、いいじゃない?」と、
勧めたものでした。
でも、20回に19回は、どなたも反応しませんでした。
私が撮ったロボグラフィの写真を人に見せても、
まったく同様に、無反応です。
むしろ冗談、そう受け取られるようです。

7、8年前、私ははっきりと確信しました。
私は人と違った見方をしている。
ほとんどの人は私の見方を理解することはない。
それどころか、理解したくないようだ。
そう確信したとき、はっきりと考えを変えました。
ブログをパブリックな表現手段とは考えなくなりました。
完全にプライベートな体験の記録庫。

それでも、ほんの数名の方が私の見方に共感してくださるようです。
そんな方もご自身の美的感覚と世間のそれともずれを感じておられるのでしょう。
でも、そのずれ方は人によって全然違うかもしれません。
だから、私たちの共感は常に一部の重なりの領域に入ったときだけなのでしょう。
それぞれに独特の個性が美とぶつかって生きているのですから、
むしろ重なりの領域はかなり小さいのかもしれません。
みんな「孤島」で生きているのです。
カール・ヤスパースは、
「私たちは一人ずつ島に住んでいる」と言いました。
私のブログ2つは、私の島の生活日記、ということになりそうです。

そんなプライベートな日記を公開の状態に置いておくことで、
別の島に住んでいる友人たちに、
「ぼくはここで元気に生きてるよ」というメッセージを発している。

私もかなり沢山の人となんらかの交渉を持ってきました。
随分親しくなった方も沢山います。
皆さんもそうでしょう。
私も、その大半の方と音信不通になっています。
私は筆無精なので、住所が変わったことさえ知らせていない。
多くの友人にとって、私は行方不明者なのでしょう。

もっとも私は元気一杯です。
かなり年齢を加えましたが、全身シワ一つない。
今が一番強壮です。
(ただし、頭髪だけ若干薄くなりましたが)
でも、私が生涯に知り合った方の中には、
なんらかの事情があって、世を去った方もいるかも知れません。
ヨボヨボになってしまった方もかなり居るでしょう。

美と出会いながら生きていく、
これが私の第2の人生の唯一のテーマであり、
唯一の関心。
そして、思うのですが、
美だけを見つめ続けること、
これこそ、長生きの最大の秘訣だ!



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by hologon158 | 2018-08-30 21:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

738.01 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F1.5奈良公園逍遥」1 妖変



私は耐えず美のことを考えています。
でも、いつも美に向き合っているわけには参りません。
美はレアなものですから。

しかも、美というものは極めてプライベートな体験です。
ある人とあるもの、情景との出会いに美が生まれます。
生まれながらに、いわば、アプリオーリに「美」は存在しません。
美は存在ではなく、現象なのですから。
出来事eventです。

そんなことはない、「モナ・リサ」は誰が見ても、美しい。
でも、「モナ・リサ」を美しいと思わない人だって、
かなり存在するだろうと推測されます。
それに、じゃ、誰も見なければ、どうでしょうか?
誰も見ないものを美しいか否かを論じるのはナンセンスですね。

鏡というものがない時代、山奥の一軒家に、
現代に連れてきたら、その美しさに誰もが圧倒される、
そんな女性が生まれたら、どうでしょう?
比較できる女性もなく、鏡もなく、ただナチュラルに日々を過ごして成長し、
父母もただ生きるに汲々として、
娘が美しいかどうかなど考えたこともなかったとしたら、
どうでしょう?
「美しい」「美しくない」という言葉さえなく、
比較対照する機会もないまま、自分が美しいなどと夢にも考えないでしょう。
そんな可能性は現代でさえも世界中至るところにあるでしょう。

それに、「美しい」「美しくない」は日本人の観念のこもる言葉です。
これに対応すると思われる言葉が各言語にあるようですが、
その言葉が日本語のそれと完全に重なりあうものであるかどうかは怪しい。
日本人の「美」に対応する言葉がない言語だってあるでしょう。
たとえば、関西弁には「まったり」という言葉がありますが、
このような方言には独特の意味があって、
他の地方にはこれと同一の言葉、概念が存在しないかも知れません。
同じ日本人で同じ日本語を使っていても、
完全な相互理解が常に保証されているわけではありません。

「美」はすぐれてプライベートな観念です。
とすると、地域ごとどころか、夫婦間でも、まったき理解が可能ではない、
と考えることさえできます。
さらには、自分自身でも、美的感覚はめまぐるしく変わっていきます。

美とは「驚きの体験」です。
馴れると、美はすりへっていきます。
実のところ、あらゆる体験が反復によってすり減って、
意識されなくなります。
慣れたものは無視する、
見慣れないものに注意する、
それが人間の生存の秘訣、というわけです。

だから、体験はすり減らぬように大切にしなければなりません。
たとえば、夫婦がそうですね。
あんなに愛し合ったのに、もうなにも感じない、
逆に、いとわしい、そんなご夫婦もいるでしょう。
夫婦の愛情を保つのは、木を植えるのとおなじ。
たえず水をやり、たえず滋養分をあげ、
たえずケアをしなければなりません。

美に対する感受性も同様です。
たえず自分の心に滋養分、水を与えてあげなければならないのです。
たとえば、あなたが美しい人であるとしましょう。
着るものに、化粧に、つまり外観にばかり滋養分を与えるのは危険です。
見かけ倒しになってしまいます。
本当に美しい人になりたければ、美しい人であり続けたければ、
心にこそ滋養分、水を与えてあげなければなりません。
心が美しくなければ、どんなに美しく装っても、
その振る舞い、言葉でお里が知れたり、
思わぬ馬脚を現したりすることになってしまいます。

私のブログはロボグラフィで埋まっています。
これは必ずしも「美の列伝」ではありません。
私の心を動かすものは美しいものばかりではありません。
「真善美」と言われます。
美だけがこの世の大切なものではありませんね。

私のブログは、私が出会った、
町の片隅でがんばっているものたちの列伝です。
私はどんなものにでも感情移入する性向を持っているようです。
「こいつ、やるじゃないか!」
「すごい、こんなところでがんばっている!」
「まさに掃き溜めの鶴だ!」
感じ方はそれぞれに違います。
でも、私の心を動かしてくれたら、シャッターを落とします。
私の写真は極めてプライベートな心の記録と
言えそうです。

私のブログは文章がたっぷりあるので、検索にかかりやすいはず。
でも、私の写真は、例外的な一部を除き、拒否現象を誘うようです。
まして枚数が半端じゃないので、
「二度とごめんだ」現象にまで落ち込むようです。
そうなるように、文章にも工夫を凝らしています。
と言うより、工夫を凝らさないようにしています。
写真がめったやたらに無意味であるのに呼応して、
文章と来たら、思いつきの羅列に徹しています。
起承転結など、絶対に考慮しません。
あるとしたら、こじつけの論理だけ。
私のことを「頭がおかしいんじゃないの?」、
そう思っている人もかなりいるでしょう。

私が平気でこんなことができるのも、
元来平凡な、どこと言って突出するところのない人間なのに、
かなり特殊な人生を送ってきたせいで、
隠れた変人奇人の域に迷い込んでしまったのかも知れません。
テレビも新聞も見ないので、世間の常識なるものも無縁。
人と合わせることも、人に従うことも、生涯したことがないので、
完全独りよがりの人生。

でも、一つ言えることがあります。
朝8時に起きてから夜午前2時半就寝まで、
あくび一つせず、やりたいことを様々にやり続けて、
飽きない、疲れないのですから、
私にとって、私の人生は楽しくてたまらない。
ありがたいことです。

ダルメイヤーのCマウントレンズの逸品、
スピードアナスチグマート25mmF1.5

曜変を起こした天目茶碗は天下の逸品とされます。
このレンズは、 曜変こそ起こしませんが、
妖変を起こすことができます。
私のロボグラフィは、常に、現実の光景、ものが、
他のなにかに変容していると見えることに醍醐味があります。
なんて思っているのは私だけで、
大抵の真っ当な御仁には、その他のなにかなど浮かび上がらず、
ただ訳の分からぬ写真ばかり並んでいるじゃないか、
こんな写真見せられる身にもなってみろよ、さよなら!
ということでしょう。
おかげで、私は気兼ねせずにロボグラフィを楽しみ続ける、
だから、写真に飽きない、というわけです。
今回は、奈良公園の妖変ロボグラフィ、と参りましょう。





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by hologon158 | 2018-08-25 16:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.03 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」3 美とは何?


私はいわゆる美学なるものを勉強したことがありません。
その必要があると考えたこともありません。
なぜ?
美、位分かりやすいものはないからです。

たとえば、曲がり角を曲がったとたんに、
疾走してきた自転車にガツンとぶつかるようなものです。
あなたの心はズッデンドウと転がされ、
あるいはメラメラと燃え上がります。
美しいものに出会ったら、
その瞬間に分かるからです。
分からないものは、私にとって「美」ではないのです。

美術展や博物館で、イヤホーンを付けて回っている方を見かけます。
余計なお世話ですが、
やっぱり、これはよしましょう。
目の前に誰かに手をぱらぱらと振られた状態で、
アートと対面するようなものですよ。

おもしろい実験があります。
「アー」と声を出しながら、簡単な数字の計算をする。
できません。
一度に2つのことができない、それが人間です。

しているように見えるのは、瞬時に仕事を交代しながらできる人がいるから。
実は私がそうです。
たとえば、バックグラウンドミュージックを流しながら作業をします。
作業をするときは、音楽は聞こえていないのです。
私は国家試験の準備の勉強をするとき、
大好きなオペラをガンガン鳴らしながらしました。
邪魔にはなりませんでした。
ちゃんと合格したのですから。

理由は簡単。
集中に役立つからです。
試験勉強に集中すると、音楽は聞こえなくなります。
音楽が外界の邪魔な雑音を消してくれます。
勉強に疲れると、音楽に耳を傾けると、心が安まります。
いずれにせよ、他の雑音に気を取られることがありません。
他人が出す雑音は、計算のときに、
横で「アー」と声を出して邪魔されているようなものです。
音楽は、そんな風に他人が出す雑音を聞こえなくしてくれるのです。

でも、これは私の性に合った方法だったかもしれません。
誰もがそうではないでしょう。
私の友人は一笑に付しました。
そんなことをしたら、名曲に全部気をとられてしまうよ。
集中の方法は人さまざま、というわけです。

でも、集中が人間だけの特技ではありません。
すべての動物が集中によって生きています。
集中は生存のための必須の道具、条件なのです。
人間の目は集中に適しています。
一瞬の注意の的はピンポイントなのです。
しっかり集中しますと、それ以外のものは完全に意識からなくなってしまう。

でも、全部見えているじゃないか?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
実は、それは違います。
全部見えてなんかいません。
ピンポイントの集中スポットを高速でずらして、又は、飛ばして、
まさに走査線の仕事をして、注意の対象からはずれているものまで補完して、
外界の姿を脳裏に描き出そうとします。
つまり、知覚は生存のための道具ですから、
ただちに、脳が手助けに駆けつけるのです。
つまり、外界の走査がある程度進むと、
まだ注視していない部分は脳の記憶がさっさと補ってしまいます。

私たちが眼前の光景を眺め始めたと思っても、
すでに頭脳活動が絵を描いてしまっている。
そこに、異常なものが見えたら、
頭脳が、そうであるべきだと思う像に作ってしまいます。
脳が外界のすべてを記憶しているわけではありません。
頭脳は強力な画家なのです。
すでに持っている記憶を頼りに、さっと絵を描いてしまうのです。
でも、その描く絵が正確とは限らないのです。

でも、集中の名人なら、頭脳にだまされません。
今、目の前にある一点に集中することができます。
敵の剣と対峙したとき、
名人の目は切っ先だけに集中すると聞いたことがあります。
だから、動いたら、その瞬間に動きの方向、相手の意図が見えてしまう。
本当かどうかは知りませんが、ありそうなことだと思います。

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの逸話が
これを証明しています。
偉大な哲人で偉大な数学者でした。
彼の弟子もまた偉大な哲人で数学者のバートランド・ラッセル。
彼が先生のお宅に紹介したい人物を連れていったときのことです。
庭に居ると聞いて、二人で庭に出てみました。
芝生の上にホワイトヘッドが座り、ノートに計算式をすらすらと
書き連ねている状態でした。
ラッセルは友人を伴って、ホワイトヘッドの前に行って立ち、
仕事が終わるのを待ちました。
仕事はすぐ一段落するだろうし、
ちょっと視線をはずすだけで、来客の4本の脚に気づくはず!
10分経っても、ホワイトヘッドは二人に気づかず、
仕事の手を休めませんでした。
畏敬の念に心を打たれて、二人はそっと立ち去ったということです。

ホワイトヘッドは、イギリスで数学、数理物理学の分野で頂点を極めてから、
ハーバードの招聘を受けて、70を過ぎてから、哲学教授となり、
形而上学に及ぶ一大哲学大系を築き上げました。
生涯に3人の仕事を1人でやってのけたと言われました。
そんな膨大な業績もこの集中力あってのことなのでしょう。

ということで、なにかをしたければ、
正しく集中すること、
これが第一の条件です。

美術館などでイヤホーンで説明を受けながら芸術を鑑賞する、
いかにも便利に見えます。
でも、芸術を見て、知識を増やしてどうするのですか?
目と心を働かせるべきときに、頭を働かせて、どうしようと言うのですか?

思考と感動は絶対に合体できません。
肝心なことは、芸術を見て、なにかを感じること、
これではありませんか?
知識に耳を傾けながら、芸術を鑑賞して、
芸術を正しく理解しよう、というのは、
本末転倒、勘違いもいいところです。

そうやって懇切丁寧な説明を聞きながら、
ぐるっと展示を見終わります。
あなたは言葉も出ないほどに感動していますか?
それはないでしょう。
じゃ、せめてイヤホーンが語ってくれたことを記憶してますか?
それもないでしょうね。
外から与えられた知識はあなたを素通りして抜けていくでしょう。

後日、思い出したいことは、心を揺さぶられた体験ですか、
それとも、ゴッホの「ひまわり」を確かに観た、という大切な思い出ですか?
そんな思い出を積み重ねて、なんになるのですか?
芸術は知識ではないのですよ。
対決であり、出会いであり、真剣勝負でもあります。
ガツンとぶつかり合って、
どれだけ衝撃をしっかり受け止めることができるか?
それに集中すべきでではありませんか?

アートを取り巻く事情、作家に関する知識がアートの理解を高める、
なんて、勘違いもいいところです。
知識からアートにアプローチしても、知識がおぼろになったら、
アートそのものもおぼろになってしまいます。
アートを理解しようとしてどうするのですか?
アートを理解することなんて、できないのに。

ガンとぶつかって受けた衝撃は忘れることができません。
なにもかも忘れて、そのものと裸で対峙し、裸でぶつかりあう、
これしかアートとの出会いの方法はありません。
知識が増えるのではなく、自分の心が豊かになる、
ときには自分が変わってしまう、あるいは変らないかも知れない。
でも、なにかが起こるかもしれない。
ただそれだけなのです。

つまり、こういうことになります。
アートの出会いはすぐれてプライベートです。
あなたはたった1人の伴侶に出会うでしょう。
誰とも共有できない人間関係を築き始めるでしょう。

私たちの体験、人間関係の中で一番大切なものは、
すべてこの種の極めてプライベートな交わり、
ぶつかり合い、せめぎ合いなのです。

アートも同じです。
誰もが感動すべき偉大なアートなんてものは、現実には存在しません。
それは評論家たちが作り上げた幻想です。
そんなものはありません。
「モナリザ」
うん、ルーブルで観たけど、なんにも感じなかったなあ。
そんな人もざらに居るでしょう。
芸術は国会じゃないのです。
多数決なんかなんの意味もありませんね。




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by hologon158 | 2018-08-23 15:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.02 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」2 訣別


ちょっと古くなりますが、平成18年8月2日木曜日、
図書館通いの日でした。
2週間の変換期限です。
昼食後出発しました。
炎熱、でした。
気象台発表では、奈良は36度ですが、
遮るもののないコンクリート道で燃え上がる太陽にさらされては、
38度か39度でしょう。
まったく記憶にないほどの炎暑の夏ですね。
これが後2、3週間続くと、もう大地が干上がってしまうでしょう。

妻の厳命で庭に水をまきますが、
これが本当の「焼け板に水」ですね。
だれかが検証した結果では、水まきは地面から数ミリ程度で、
それ以下には及ばないので、実は植物にはなんの効果もないのだそうです。
雨のように全土を静かに満遍なく濡らし続けないとだめだそうです。

この日は、ブログの「美との対話」のために、
フラ・アンジェリコ画集を借りました。
清澄感と霊感に満ちた聖画が大好きだからです。
信仰がないので、私の鑑賞は皮相なレベルにとどまるのでしょうけど、
平気です。
どんな人も、どんなことについても、
自分の能力の範囲内で理解し味わえるだけです。
それに、「私はキリスト者です」とのたまわる御仁が、
どれだけ深い信仰を抱いているか、怪しいものです。

私は深く確信しているのですが、
もしキリスト教の地獄があの世に存在するとしたら、
そこには、キリスト者であると称して、人と虐げ殺戮し、
富をむさぼったりしたような自称キリスト教徒が
そこにはひしめいているはずです。
「汝の敵を愛せ」という戒めに反した王様、女王様、
将軍たち、政治家たちもほぼ全員地獄落ちして、
「騙された!」「神を殺せ!」「イエスをやってしまえ!」、
などと口走っていることでしょう。

一方、天国に昇天できた、聖なる確信を抱き、
十戒を全うに遵守し、愛に満ちて生きた、
真実のキリスト者たちのほとんどは子供たちだけで、
大人の姿は寥々たるものだろう、と確信しています。

この日借りたフラ・アンジェリコ画集からピックアップして、
すでに本ブログの新シリーズ「美との対話」に収録しました。
彼の描く人々は、キリスト教の旗印を掲げて、
異教徒の領土に侵入し、略奪殺戮をほしいままにした、
似而非キリスト教戦士たちとはまったく異質な境地にあります。
このような人たちはルネサンス当時も絶滅に瀕していたし、
現代キリスト教世界の指導層からは完全に消えてしまったのでは?

現代世界は完全な生きるか死ぬかの弱肉強食の世界。
あらゆる理想は画餅になってしまいました。
自由、民主、平和
これらの言葉を実践している国家も政府もなくなりました。
日本の事情はさらに悪い。
政治家も官僚も検察官もマスコミも日本国憲法の存在など、
きれいさっぱりと、忘れ去っています。
国民も日本国憲法のことなど忘れ去ってしまいました。
私はかなり絶望しています。
ますます美の世界に沈潜していくことになりそう。




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by hologon158 | 2018-08-20 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.01 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」1 不安


ちょっと嫌なことを書きます。
人生、安穏に生きたい方は読まないでおきましょう。

8月7日火曜日、
突然孫プリンスが喘息で点滴を受けることになり、
共稼ぎの父母に変わって、私が面倒をみること。
早速小児科医院にかけつけました。
幸い、2日連続の点滴で、順調に回復しはじめたようです。
タクシーで孫プリンスの家に帰宅したのが午前11時半すぎ。
午後6時半、ママと妹の孫プリンセス1号が帰宅するまで、
孫プリンスと過ごしました。

午後4時すぎ、お昼寝を始めたのですが、
ふとテレビを見ますと、
画面は、なぜか孫プリンスがみていたYoutubeから、
一般テレビに移動してしまい、ニュース番組。
日本ボクシング協会の理事長が暴力団と交際していたことがばれたり、
どこかの医科大学が受験の際、かなり長期間、
密かに現役から2浪までの男子受験生に
一定の点数加算をしていた事実が内部調査でばれたり、と、
中国の王朝末期や江戸時代の官僚たちの生態と相通じるような、
とんでもない腐敗横暴。
今時、まだ男女差別をする連中の頭の構造を疑います。

でも、まったく意外に思いませんね。
自民党が次々と日本国憲法に違反する立法、施策を重ね、
(それ、どんなこと?
あなたがそうおっしゃるなら、
あなたも日本国憲法のこと、基本的人権のこと、
なんにも覚えておられない......)
総理大臣が友人たちのために官庁を動かして、
不法な行政行為を敢行したり、
これらすべてが現代の権力者たちの実態です。
もう日本国憲法の保障する自由平等平和などは
ただの紙切れの書き付け同然に脇に寄せられ、
かなり多くの国民も憲法のことなど思い出しもしない。
さらには、孔子の仁義礼智信の理想も忘れ去られてしまい、
ひたすら金と権力だけがものを言う世界になってしまいました。
総理や大蔵大臣、今回のボクシング協会の理事長、
どれもこれも、飽食横暴に歪んだ卑しげな風貌の人間たちが
誰はばかることなく日本を支配している時代です。
はっきりと末世末法、そうとしか言いようのない惨たる有様。

古来、政治が、支配者が腐敗すると、様々な異変が起きる、
そう言われてきました。
まさにそんな異変が世界中に爆発的に発生しつつあります。
この数年、毎年、予測不能の天災地変に見舞われてきましたが、
前代未聞の暴走大雨、台風逆走に見舞われた日本だけではありません、
今年になって、世界中でとんでもない現象が、
爆発的に乱舞する状態になっています。
地軸が動いただけでなく、
地球全体で地殻が激しく揺れうごきつつあるようです。
どちらが原因なのか、それさえも分からない状態。
そのおかげで、南極大陸を覆う深い氷層に深い亀裂が走り、
グリーンランドほどの巨大な氷塊が離脱する危険が高まり、
南極大陸や周辺の海域に不測の危険が発生するおそれがあるそうです。

太陽も、活動の核である黒点の活動が異常に減退しつつある傾向の中、
ついに一ヶ月間ゼロという異常事態が発生したり、と、
前代未聞の事態が発生しつつあります。
太陽系内を彗星が無数に様々な軌道を描いて駆け回っており、
6千万年前の恐竜絶滅の主たる原因も、
そうした彗星の衝突にあったことが明らかになっています。
近頃、南極にも、その彗星よりもかなり大きな彗星が作った、
クレーターが見つかっています。
地球は不断に数知れぬ変動、災厄に見舞われて、
幾度も種がほとんど絶滅する危機に見舞われてきたのですが、
地球上の生命史はそんなカタストロフィを乗り越えた猛者たちが
連綿とつないで来た苦闘の記録なのでしょう。
現代はどうやらそうして彗星群との交錯がはげしくなる周期に
当たっているのだそうです。

これまでは、種はなんとか生き延びて、新たな展開を遂げてきました。
でも、現代は違います。
とくに人類は、他の種のほとんどを絶滅させることにより、
生存圏ニッチを無理矢理拡大して、繁栄を遂げてきました。
10年ほど前に読んだ学説によると、
毎年4000種が人間活動によって滅びつつあるということでした。
とすると、当時すでに減っていた種は、
現在までの10年間にさらに4万種も滅んでいる計算になります。

日本で言えば、人間のうち、農業と漁業に従事する人間が
これからの10年でほとんどいなくなるでしょう。
食料の自力生産力が激減しつつあります。
そして、恐ろしいことは現代人の生活はメカニズムだよりなのです。
縦横に張り巡らされてきた電気、水道、ガス等のエネルギー源と鉄道、
そして、道路網によって支えられています。
これらがすべて日本人の生命線となっています。
たとえば、阿蘇山は地球上でもっとも巨大なマグマを蓄えつつある火山で、
世界地震学会が爆発の危険がある火山の1番に上げるほどに危険な状態。
これが爆発したら、日本のほぼ全土がマグマで覆われてしまいます。
その瞬間、上記の生命線は消滅してしまい、
日本人はマグマで覆われた国土の上で座して死を待つ羽目に陥りそうです。
富士山が東側に噴火したら、関東はマグマに覆われ、
交通機関は壊滅し、マグマを除去することなど何ヶ月も不可能になり、
日本の国家機能の中核が活動不能になってしまう危険があると言われています。
日本の各地で火山が活発に活動し始めているようで、不安ですね。

縄文期にも幾度か北極の氷河壁の決壊によって、
蓄積されていた大量の水が大津波となって南下し、
海面がその都度何十mか上昇することにより、
各大陸の沿岸部をその都度かなり海面下に沈めてきました。
縄文人は、内陸部を原始林に覆われて、道などないので、
おそらく海岸部に居住し、
海に沿った平地や水路を利用して交通していたはずです。
つまり、その都度、居住地の多くを一瞬にして奪われた筈。
でも、縄文時代は続きました。
生存者たちが新たな海岸線に居住地を開いて生き続けたのでしょう。
現代人はもとよりそんな自活力を完全に失っています。
そして、自然を完全に破壊してしまったために、
自給自足など完全に不可能になっています。
文字通り食うか食われるかの地獄絵となりかねません。

世界中がそんな危機に曝されている訳ではありません。
地震王国の日本列島が地球規模の激動にさらされて、
明日をも知れぬ状態になっているかもしれない、
でも、それが分かってもどうしようもないので、
政府も研究機関も沈黙している、ということでしょう。
昭和期の経済勃興の上昇機運と、
冷戦を経て高まった世界平和への潮流を体験して、
かなり幸せな人生を享受できたのが私たちです。
でも、そんな幸運が段々とすり切れて行きそう、
そんな嫌な気配を感じます。

私たちにできることって、何でしょう?
なんだか日々人生を精一杯生き、
今手に入る歓びを心行くまで享受する、
これだけですね。



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by hologon158 | 2018-08-17 11:41 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

736.00 フラ・アンジェリコ「2018年8月13日フレクトゴン35㎜F2.4が聖画と会う」




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私は夏季休暇をかなり取れる職業を選びました。
どうやら夏はしっかりお休みをとる、という習慣が、
子供の頃についてしまって、その癖は治らなかったようです。

そして、私の孫プリンス6歳が生まれて初めての夏休みに、
宿題を最初に3日で全部仕上げてしまったと聞いて、
「夏は遊ぶ」という性癖は遺伝性なのかも知れない、
と、本気で疑うようになっています。

その夏休みを利用して、海外旅行を楽しみました。
最初はツアーでしたが、後半になると、一人旅でした。
残念ながら、イタリアは2回、マイナーな場所だけ。
ルネサンスの本場フィレンツェ、ヴェニスは行かず仕舞い。
ちょっと心残りです。

おかげで、偉大な画家たちの絵に接したのは、
他国の美術館の展示で、という結果に終わりました。
イタリアルネサンスの画家の傑作の多くはフレスコ画なので、
ついに無縁のままになってしまいました。
おかげで、偉大な宗教画家のジョットー、フラ・アンジェリコは、
画集だけのお付き合いになってしまいました。

先ほど、このブログ記事を書く参考にしようと、
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」(白水社)を書棚から取り出し、
目分量でさっと頁を開きました。
すると、開いた頁は81頁、
どんぴしゃり、「フラ・アンジェリコ」でした。
なにかご縁がありそうです。

その頁に、
「落ち着いた善良な性格であったため、心の安らぎ、
特に魂の救済を願い求めて、伝道修道会に身を投じるに至った」
本当に、そんな人が描いた絵ですね。

ヴァザーリは、彼の絵を眺めるときの気持ちを描いています、
「信じがたいほどの優しい感情が心の中に湧いてくる。
これらの祝福されたる魂は天国以外には存在しないような気がしてくる。
いや、これらの魂に肉体を与えるならば、このような表現以外なかった、
と言った方がよかろう」

そして、
「この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見当たらない。
作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描き直したりはしなかった。
最初一気に仕上げたままで置いておくのが常だった。
それが神の思し召しだというのが本人の言葉であった」
これらの言葉が絵の印象とぴったり一致しているのが素敵ですね。

立体感はかなり不足しています。
それを補うように、清澄な空気感に満たされています。
そんな表現が題材にいかにもふさわしいですね。

ちなみに、私は、幾度も書きましたように、無宗教です。
形だけでも、信仰者のふりをする、そんなことはできません。
だから、でしょう、
様々な宗教のあらゆる種類の造形をアートとして鑑賞できます。
純粋にアートとして味わうので、本来の受取方ではないのでしょう。
でも、そんなことはどうだって良い。
人が私のことをどう考えるかは、その人の問題。
私の知ったことではありませんから。

フラ・アンジェリコの絵も良寛さんの書もひとしく、
静謐の気に満ちています。
響きは神韻、そんな感じがします。
フラ・アンジェリコも良寛もなにかを描き上げた瞬間、
にっこりとしたことでしょう。
そんな肯定的な気配を味あわさせてくれるのが素敵ですね。







by hologon158 | 2018-08-14 16:47 | 美との対話 | Comments(0)

735.02 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」2 お休みです


8月6日月曜日、晴れ。
気象庁は「奈良 36度」ですが、
実感は「奈良 38度」、まさに炎天でした。
日本晴れ、と言いたいところですが、
実感は、「熱帯晴れ」
でも、私は暑さ寒さに強いし、春秋ももちろん強いので、
一年中ずっと平気です。

でも、ちょっとがっくり。
毎月第一、第三月曜日は陳少林先生の揚琴伴奏レッスン。
みっちり仕上げて、「どうだあ!」と言いたい、
そう期待して行ったのですが、教室はもぬけの殻。
事務所で尋ねますと、「中国に帰られて、お休みです」
聞いていなかった!
大和西大寺駅に戻る途中、私の次の生徒さんとばったり。
彼女も知らなかった!
どうも、陳少林先生、伝えたつもりで、伝えてくれなかったようで。

でも、だから、どうってことはありません。
日本一立ち直りの速い男と言われた私です。
「じゃ、大和文華館で日本画たちとじっくり面会しよう。
きっと喜んでくれるだろう」
でも、「月曜日 閉館」
ネットで調べると、奈良の美術館は、興福寺の国宝館も含めて、
全部、閉館!

それでも立ち直れますね。
西大寺から近鉄奈良駅に移動し、
近くの行きつけのパン屋さん二階の喫茶室でゆったりと休憩。
メールを一つ書き上げました。
1時間して、炎天下ロボグラフィ散歩に出発。

本日の装備もまた私にとっては超一級です。
ソニーα7
ビオゴン21mmF4.5
ツァイスのレンジファインダーカメラ、コンタックスの超広角レンズです。
伝説の名レンズです。
超広角レンズの場合、近頃は使い方を統一しています。
超接近以外は、F8固定焦点で、ノーファインダー撮影。
つまり、ホロゴンと同じ使い方にすることにしています。
開放にするメリットがあまりないからです。

固定焦点の仕方はこうです。
F8にしたときのヘリコイドリング枠の無限指標の位置に、
ヘリコイドリングの無限のマークを合わせます。
そうすると、概ね最短距離80cmから無限までのパンフォーカスとなります。
こうすると、私は無敵となりますね。
右に左にバッタバッタと切り倒しつつ前進する眠り狂四郎状態。

この状態で、奈良町の商店街の一筋西側の道を南下し、
古い市場を撮影した後、
奈良町に回り、近鉄奈良駅付近まで逆戻りして北上しました。

たくさんの美しい女性たちとすれ違いました。
みんなはつらつとして元気いっぱいですね。
炎天などまったく気にしていない。
帽子も日傘も不要、という人がかなり居ますが、
これは心配ですね。
肌が荒れますよ。
それにしても、昔と違い、肢体がすらりと延び、足取りも伸びやかで、
美しく、エネルギー一杯ですね。
日本人、中国人、韓国人、区別がつかないときがかなりあります。
どの国でも、女性が伸びやかになっていくようですね。
それに対して、男性は普通ですね。
どうしてかな?

最後に、近鉄奈良駅前のパン屋さんの喫茶コーナーに落ち着いて、
この文章を書き上げました。
この日は妻が一泊旅行に出かけた初日でした。
私はこの数年旅に出たことがありません。
在職中は年1回夏期休暇に長期海外旅行を楽しみましたが、
これは過重な仕事を抱えてのリフレッシュ。
有り体に言えば、いっさい忘れて、解放されたかったから。
仕事がなくなると、旅の意欲がさらりと消えてしまいました。
在職中の旅は、一にも二にも撮影旅行でした。
一つの町に滞在します。
下町のホテル、というより旅館を自分で見つけて、
下町を毎日歩き回るのが日程。
名所旧跡は私にとって無縁、無益。
たとえば、イスタンブールだったら、トプカピ宮殿?
それ、どこ?
記憶力の悪い私には、名所旧跡を訪問しても、さらりと忘れてしまいます。
でも、下町、市場、裏通り、スラムだと忘れません。
足ざわり、臭い、空気間、人間たち、
全部忘れません。
写真という記憶のよすががあるからです。

もっともイスタンブールだけはちょっと事情が違います。
記憶のよすがが残っていない。
150本リバーサルで撮りました。
書斎の床に一日だけ置いておいたのです。
明日、ホルダーに収めようと思ったのです。
棚の上になぜ置かなかったのか?
悔やみきれません。

2週間置いて行かれた我が子の一人デビル(猫ですが)が、
その夜、まんまと復讐に成功したのです。
150本のリバーサルシートの山(高さが30cmほどだったでしょうか?)、
翌朝見ると、全体にびっしりと、臭気溢れる液体。
化学反応しているらしく、洗ってとれるものではありません。
ご丁寧にいたずらしてくれたものです。
合計5400枚のうち、無傷で残ったのは、なんと、
たったの16枚!
イスタンブールの路地の隅々、というほどではありませんが、
かなり歩き回って撮ったロボグラフィは夢の果てに消えて行ってしまいました。
傑作なのは、たった16枚なのに、その中に猫の写真が3枚も!
この比率で猫写真を撮ったとすれば、1012枚?
それはありませんね。
どうやら、同族のよしみで、猫の神様が災難を避けるように配慮されたようで。

もちろんメインレンズはホロゴン。
写真人生で一番悔しい災難でした。
でも、デビルをけ飛ばしたり、なんて、仕返しはいたしません。
なぜ?
かわいい我が子に手を上げられましょうか?

ついでに言いますと、猫たちはかなり人間を理解しています。
認識能力もあります。
デビルは毎日夕方6時きっかりに、書斎にやってきて、
私がリコーダーを吹いていたりすると、
リコーダーをぐいと押し退け、ときには譜面台を押し倒してしまいます。

デビルの三代後、我が家の今の末っ子ピッピ、
自分がばりばりと爪研ぎをして破った襖の隅に、
ママ(私の妻です)が猫写真のポスターを貼りました。
すると、やってきて、しげしげと猫の顔をチェック。
「ふむ、大した奴じゃない!」

話を元に戻しましょう。
退職後、私が出かけた旅行らしい旅行というのは、
西遊旅行の雲南省の旅でした。
これでコリゴリになりました。
移動に継ぐ移動、まるで旅ガラスでした。
私のように一都市長期滞在型の人間にはまるで合いません。
そして、気づきました。
地元で十分じゃないか!
こうして、すっぱり旅をやめてしまい、
地場産業ならぬ地場徘徊に徹して、満ち足りた生活を送っているわけです。
私のブログが、人の来ない完全日記化したのも当然です。
プライベートな雑文と、フォトジェニックな楽しさをまったく欠いて、
ただただ薄汚れた駄写真ばかりが果てしなく並んでいるのですから。

お陰様で、ひっそりと自分の書きたいことを書き、
記憶したい片隅を写真に記録して、
さまざまな形で、読み返し見返すことができる日記を
ウェブ上に保管してもらえるという、
隠者にとっては願ってもない手だてを、
超廉価で提供していただいているのですから、
思うことはいつも一緒です。

エキサイトよ、永遠なれ、!




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by hologon158 | 2018-08-07 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

735.01 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」1


8月3日金曜日、大阪加美の孫たちのピアノレッスン付添日。
お兄ちゃんは6歳の小一、両親が共稼ぎなので、
夏休みも保育室に通っています。

午後2時半までに私が迎えに行く約束。
前回は、私の妻が遅れたために、玄関前で待った孫プリンス、
しばらくして心配になり、泣きながら小学校に戻ってしまいました。
今回はそんなことにならぬよう、
私が午後2時半までに小学校に迎えに行くことにしました。
その後、いったん近くのマンションの自宅に戻り、
午後5時からのレッスンに間に合うよう、
二人で孫プリンセス1号(二女に二人のプリンセスがいます)を
迎えに行くことになっています。

小学校の保育室は2室、
1、3、6年と、2、4、5年の2室に分れています。
1時間ごとに10分間体育館で走り回ることができますが、
それ以外は、3学年の男女数十人が一室に入って、過ごします。
2人の保育担当教師(どうやら退職組)が監護する仕組み。
その1人、中学校教師を引退した男性の先生に話を伺いました。
クーラーは2台付いていて、天井の扇風機で空気を循環させているけど、
中は猛烈な暑さだそうです。
その先生にうかがいました、
私の孫プリンスは球を投げるのが得意で、足も速いのだそうです。
うれしいですね。

私もそうでしたが、孫プリンス、絶えず軽い病気にかかっています。
今回は胃腸炎。
自分で体温計で測り、飲み物も自分で選んで飲みます。
実のところ、体温も正常で、元気です。
少年野球に所属していますが、盛夏の間はお休み。
子供たちもそうですが、第一、コーチたちが保ちませんね。

体を持て余す孫プリンス、バットを素振りし、
ボールを投げ、走り、とめまぐるしい。
その合間に、
「こんなん、してんで(こんなことしたよ)」
と、2冊、算数と国語の学習帳を見せてくれました。
分厚い!
びっしり最後まで書き込まれています。
「ふーん、こんなに沢山やってるんだねえ」
私の1年生の頃、こんな沢山の練習問題、やりましたかねえ?
中身を眺めて、「すごいねえ....!」
孫もまんざらでもなさそうな顔つき。

ところが、帰宅してその話を妻にしますと、
「それ、夏休みの宿題よ。
夏休み始まったら、すぐに全部してしまったんだって」
びっくり。
というのも、私も夏休みの宿題を先にしてしまう口で、
日記以外の全部を最初の2日で仕上げるのが常でした。
あなたもそうでしょうけど、私も勉強嫌いでしたから。

でも、そんなことをする子供には出会ったことがありません。
もっとも片端から尋ねたわけではありませんので、
実はありふれた夏休みのすごし方なのかもしれませんが、
我が家では、私以外、初めてのケース。
たいていはまず遊ぶだけ遊んで、
夏休みの終わりにあわてて済ませるというタイプ。
私の印象では、
①夏休み終わりごろにする、
②毎日する、
③最初にやってしまう、
この順番で逆ピラミッド構造なんじゃないでしょうか?

歩きながら、なにかを見たら、別のなにかに見えてしまう、
そんな私のメタモルフォーゼ癖も孫プリンスと共通しています。
なんだか孫プリンセス2号もその傾向がありそうです。
どうやらこの性癖は劣性遺伝子によって伝えられるようです。
でも、人類の生存にはある種の効能を発揮するようです。
前方の草むら、竹藪の中に敵の伏兵を発見する斥候の適性も
この種のメタモル癖がからんでいるかも知れません。
もっともいざ戦争となったら、私は後方の安全地帯に収まって、
全戦線をしっかり見渡して、果断かつ独創的に全軍を指揮して、
偉大なる勝利に国を導く、そんな役割がふさわしいと思っていますが。

小学校の保育室は小中学校の先生方の
退職後の職場の一つになっているようです。
中学校を退職した先生としばらく話しました。
孫プリンスは、体は小さいけど、エネルギーがあって、
走ったり、ボールを投げたりするのが得意だとおっしゃっていました。
これはとりわけ私にうれしい情報です。

孫プリンスはスポーツはなんでも得意のようです。
保育園最後の運動会で縄跳びレースをしましたが、
手首で縄を高速で回しながら、縄に足を取られずに韋駄天のように駈けて、
場内観衆からどよめきが起こっていました。

私とはそのあたりが大違い。
ボールを投げたり、野球をしたり、サッカーをしたり、
水泳をしたり、という体育の主要な運動は全部からきしだめでした。
駈けるのは速かったし、
生まれて初めての職場に着任して、休み時間に卓球を始めたら、
すぐに人並みに試合ができるようになったり、と、やればできるようで、
未だに体は敏捷にうごき、一日歩いても、ほとんど疲れず、翌日に残らない、
といった状態を総合すると、
どうやら、私は、運動適性がなかったわけではなく、
運動をせず、各種スポーツのやり方も教えてくれる者がいなかったため、
運動が苦手なままに成長したようです。

そんな苦い体験をふまえて、娘たちには再三アドバイスしてきました、
孫たちには、あらゆるスポーツを学ぶ機会を与えるように。
孫プリンス1号も孫プリンセス1号も、ありがたいことに、
しっかり運動能力を開発する機会を与えてもらっているようです。

ピアノの先生のレッスンはちょっとしたお笑い劇のようでした。
最初の受講者である孫プリンセス1号、
「じゃ、わたちがなにをするか決めます。
わたちが先に2回決めて、先生がその後1回」
これじゃ、ピアノレッスンになりません。
レッスンは半時間ですが、適当なところで、
「これでおしまい」
さっさと私のところにやってきます。
ほとんどコントロール不能。
ところが、先生、こんなハプニングにもちらともうろたえず、
ちゃんと対応して、なんとか続けさせて下さいます。
さすがに良い先生です。

孫プリンスは、先月のピアノ発表会の準備練習の頃から、
突然ピアノに目覚めました。
マンションなので、電子ピアノですが、
木製キーで、打鍵の感触がかなり良いピアノを使うようになって、
先生の教室で教えられた感触を家でも味わえるようになり、
両手で異なる動きをすることが楽しくなったようです。
鍵盤にもたれるようにしていた両手首も上がり、
かなりピアノ演奏者らしい弾き方にもなりました。

もともと、祖母、両親とも実に正確な音程で歌えるので、
かなり素養には恵まれているようです。
この日も、童謡の一つをドレミで口ずさんで、音程も正確。
そんな芸当できるの? と、驚きました。
ピアノの先生の指導にも的確に反応し、
集中力をきらしません。
野球の能力もそうでしょうけど、
ピアノをある程度自在に弾けるようになれば、
一生さまざまな形で音楽を楽しめるでしょう。
たゆまず続けてほしいものです。

最後に、この日、一番嬉しかったこと。
孫プリンセスを保育所から引き取り、
ピアノの先生のお宅まで15分の道のりを歩いている道中の後半、
突然、孫プリンス立ち止まり、「お腹がいたい」
まだ胃腸炎が完全になおり切っていない状態です。
やむなく、後半はオンブをして行きました。
小学校に入った孫をオンブできる、なんて、嬉しいですね。
もっとも燃えるような太陽を正面に見て、西にまっすぐ歩きます。
日陰がほとんどないので、わずかな日陰、電信柱の棒の影伝い。
まるでサーバイバルごっこのようでした。

でも、レッスンが終わって帰途につくと、さらに大変なことに。
やっぱり、孫プリンス道に止まって、「オンブして」
すると、孫プリンセスも、「疲れた、抱っこして」
というわけで、自分のバッグとピアノ練習帳の入った手提げを抱えつつ、
孫プリンスを背にオンブし、孫プリンセスを抱っこして帰ることに。
でも、これはさすがに無理でした。
100mほどでダウン。
すると、二人ともこれで満足したのか、すたすた。
なんだ歩けるんじゃないの?
月一回の付き添いですが、毎回、難行苦行にちょっと近いですね。

そこで、なにが嬉しかったか、です。
実のところ、こんな行き帰り半時間の後でも、
まるで疲れを感じなかったし、翌日にも全然残りませんでした。
私もまだ若い!




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by hologon158 | 2018-08-05 17:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

734.01 ホロゴン外傅233「2018年2月26日ヘクトール28㎜F6.3大阪野田本町をお忍びで」1 明日の我が身


司馬遷の「史記」や、
ローマ史の古典、たとえば、タキトゥスなんかに、
通常絶対に起きないような自然現象、人間事象に関する記事が
挿入されています。
王朝の滅亡を暗示する出来事とされたのです。

今年になって前代未聞の気象事象が各地に発生しています。
日本にもただならぬ自然現象が続発しています。
ただの雨と思われていたのに、未曾有の豪雨に化けてしまいました。
日本列島に襲来する台風は原則として南西から北東に進みます。
それなのに、今回の台風は逆行しました。
司馬遷やタキトゥスなら、日本の支配者の権威失墜、政権交替の予兆、
そう断言したでしょう。

冗談を、と、お考えでしょう。
でも、もちろん現在頻発している異常な気象現象が、
現政権の非政が原因であるとは考えませんが、
人類全体の共同責任で起こっている地球的規模の生態系破壊、
自然破壊が私たちの想像を絶する形で、
地球上の生命全体の危機を引き起しているのではないか?
私はそう真剣に疑っています。

健全な生態系は最強捕食者を頂点とするピラミッド型であるべきです。
そうしないと、全階層に食料が行き渡りません。
もしどれかの階層の生物が滅んでしまいますと、
生態系に致命的な危機を引き起こしかねません。
最強捕食者は適度に捕食を調整する術を知っています。
けっして無用な乱獲は行いません。

ところが、現代の最強捕食者は、ライバルを抱えた会社たちです。
シェアを拡大し、市場を支配するためには、
主力製品を無制限に増産して、ライバルを圧倒しなければならない。
適度に捕食を調整するなんてことはしません。

あらゆる産業が水を必要としています。
最良の猟場は地下水です。
でも、山という山が収益性のある杉、檜の一木林にされ、
保水性の高い、いわゆる雑木林や竹林が激減し、
さらに、川という川が河床も斜面もコンクリートで固められて、
地下水となるべき山の水はストレートに海に運ばれてしまい、
地下水は激減しつつあります。
(近ごろの大雨で予想外の水害が発生している理由もここにあります。
かつては、山の雨水は雑木林、竹林、河床、斜面が引き受け、
地下に沈降するので、大雨の全部が河川に流れ込まないうえ、
河川の堤防ごとに、決壊の危険のある部分がある程度明確だったので、
水害への対応がかなりできていたのに、今や、
河川が処理できないほどの激流を抱え込む時代になったのです)
一方、中国は急速に全土が砂漠化しつつあります。

つまり、今や地球に独裁者として君臨する人類が、
下手をすると、ねずみ算式にあっという間に倍増するでしょう。
すべての資源の消耗も同様にねずみ算式に増大しまいます。
「明日をも知れぬ身」
ときどきそう言いますね。
現代の私たち、私たちもそうではないでしょうか?




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by hologon158 | 2018-08-03 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

733.02 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が源氏」2 女性たち

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「源氏物語」は、基本的には男性中心の物語かも知れません。
でも、「源氏物語絵巻」となると、絵巻だけに、
描写の中心は基本的に男性と女性が対等という感じ。
ずらっと順不同に並べてみました。
平安朝の美女たちって、かなり現代の理想からは離れていますね。
これを見て、お感じになるかも知れません。
なんだ、平安朝の女たちって、みんなお多福さんじゃないか?
現代に来たら、あまり評価されなかった部類の女性たちが、
この時代には幅を利かせていたんだなあ、

でも、このような考え方は大間違いですよ。
時間という要素を都合良く取り外してしまい、
自分の時代中心、つまり、自分の好み中心にしているから、
そんな風に感じるのです。

よく考えてみて下さい。
あなただって、平安時代の高位のお公家様に生まれていたら、
まるで違った感じ方をするに違いないのです。
どの時代も、大生はその時代の風流に応じて、美女の理想を育み、
どの時代も、女性たちは当代の美女の理想に向かって変身してきたのです。
若紫や玉鬘も現代に来たら、私たちが身震いするほどの美女に変貌するでしょう。
でも、現代の目が大きく、鼻がつんと高い美女たちも、
平安朝に飛んだら、これらの絵のような慎ましやかな淑女、乙女に変身するはず。

ただし、一つだけ、留保があります。
絵巻の美女たち、一人として、目を上げていません。
慎ましく淑やかに伏せています。
でも、もし顔を上げ、目をぱっと見開いたら、
輝く瞳の大きな眼だったかもしれないのです。

平安朝の絵師たちは、いわゆる「美女」を描くとき、
リアルな容貌を避けて、
当時の美女のイコンに沿った相貌を採用したようです。
浮世絵も同様です。
そのために、私たちは、平安朝の女たちは下ぶくれのお多福顔だったし、
江戸時代の女性はちょっと面長で小さな目鼻ののっぺり顔だった!
でも、そうでしょうか?
何時の時代も、さまざまな容貌の女性が居て、
美女と言われる女性たちの容貌も様々だったはずです。
Youtubeで時折江戸末期から明治にかけての美女たちの写真がアップされます。
仰天ですね。
現代でも稀なほどに、現代的な理想の美女を思わせる、
切れ味豊かな眼差しで、頭脳明晰を思わせる女性たちが登場します。
平安時代でもそんなに違いはないのでないか?
そのように考えても、あまり不思議ではない感じ。

その理由の一つ。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人の頭蓋骨、
さらには古代シルクロードの発見遺体の頭蓋骨を復元すると、
おどろくほど現代人と変わりません。
ときおり、かなり類人猿風に先祖返りしているのが見つかりますが、
これはなんらかの病的な変形ではないかと推測する学者もいます。
つまり、人類学者は、
人類は数万年前にすでに現代人同様の状態にまで進化しており、
その後は進化を気配を見せていないので、
数万年前の人間は現代人と身も心もなんら変わりはなかったと考えているようです。

こんな風に考えてきますと、
ということは、紫の上は実在していたら、
化粧をとった昭和の美女たちとあまり変わりのない美貌だっただろう、
いや、それどころか、私たちが出会っても、
本当に身震いするほど美しかった!
そう推測しても間違いのではないでしょうか?
そんな風に考えてきますと、
源氏物語の美女たちがますます生き生きと、
ますます温かく、蘇ってくるようではありませんか?

それにしても、絵巻の画家の描写力、色づかいのセンスは天才的ではありませんか?
控えめで、上品で、繊細。
このような表現は、平安朝の貴族階級の人々の正確な表現だった感じがします。

今回の女性たちは高貴な身分の姫君、奥方、そしてその女房たち。
かなり振幅のある階層の女性たちなのですが、
ご覧になって、一つ、全女性に共通する点があると思いませんか?
よーくご覧になってください。
現代女性にはほとんど期待できない表情ではありませんか?
そう、そうですね。
全員、伏し目、ですね。

これはなにを意味するのでしょうか?
教育においても、結婚においても、その後の人生においても、
終始、受け身の姿勢で生きること、それが当然、
そう考えていたのでしょうか?
源氏物語をお読みになった方ならお分かりでしょうが、
そうでない女性も登場します。
でも、現存の絵巻部分に残されている女性たちは、
どうやら伝統的な受け身の姿勢を進んで選んでいるようです。

でも、これらの女性たちをじっと見ていたら、
いや、当時の女性たちも肝心要の土壇場では、
きっと目を見開いて、
男性どもにガツンと反撃を食らわせたのでは?
そんな感じがします。
歴史の転回点と言える重要な正念場に登場する女性たちが、
腰砕けになりそうな夫や子供を叱咤激励して、
試練を立派に乗り越えさせた、そんな例はいくらでもあります。
源氏物語絵巻の女性たちを眺めていると、
平安時代でも同様だったのでは?
そんな感じがしてきました。






by hologon158 | 2018-08-02 18:09 | 美との対話 | Comments(0)