わが友ホロゴン・わが夢タンバール

<   2019年 02月 ( 10 )   > この月の画像一覧

777.02 ホロゴン外傳256(2018年9月17日キノプラズマート19㎜F1.5が西大寺を古式豊かに)2 志をはたして



「ふるさと」


良い歌ですね。
小コンサートでのアンコール曲の定番ですね。
私の師匠陳少林先生の和歌山教室の発表会でも、
これをやりました。
聴衆が全員歌いました。

その第3節の冒頭が時代を感じさせます。

   「志をはたして
   いつの日にか 帰らん
   山は青き ふるさと
   水は清き ふるさと」

このあたりで、かなりの方の目に涙が浮かびます。
これで成功!
聴衆は、ああ、今日はいい歌を歌えたし、感動もした、
まあ、よいコンサートだったなあ!
でも、かなりの方が、この曲のおかげで、
演奏会から受けた印象を半ば失ってしまうのが現状のようです。
でも、それでも良いのです。
「今日は良かったなあ!」
そう思ってもらったら、下手な演奏が混じっていても、
寛大に許してもらえるのですから。

話はちょっと逸れました。
私が言いたかったことは、
  「志って、なんだ?」

あなた、志をお持ちですか?

現代人で、志を抱いて故郷から都会へ上っていく、
そんな人がどれ位いるでしょうね?
志という言葉を自分の人生に取り込んでいる人がどれ位いるでしょうか?
既に死語になっているのではないか?
そんな感じさえします。

かなり以前のことですが、
マスゾエとか言う政治家が多額の公費を私費に流用したことがありました。
その弁護人になったのは検察官出身の弁護士でした。

その一人について聴いたことがあります。
どこか田舎の小さな町の初めての司法試験合格者だった!
公民館で祝勝会が開催され、
検察官に任官したときはさらに盛大に祝賀会が開かれたそうです。
まさに「志を果たした」でしょう。

でも、そんな立志伝中の人物が、
権力を傘に着たり、権力者に尾っぽ振ったりするのですから、
惨めですね。
ちょっと昔の話ですが、ある弁護士、
公金横領事件で、すべて公務のための必要経費だったとする、
依頼者のとんでもない言い訳をオーム返しに強弁したことがありました。

でも、本来の責務は違いますね。
犯罪を現実に犯していたら、
適切な刑を受けて、社会復帰できるようにし、
犯していなかったら、あくまでも無罪判決を勝ち取ることにあります。
よくあの弁護士に依頼すると、軽い刑で済み、
あわよくば無罪判決を勝ち取ってくれる、という評判の人がいます。
どんな方法でも良い、依頼者の罪を無しにしたり、軽くしたりするのが、
弁護士の本来の責務だと主張する方もいるようです。
こんな弁護士はとんでもない失格弁護士です。
まして、絶対に罪を軽減できないような言動に固執する依頼人に、
正道に立ち戻るよう説得もしないで、
刑を重くするようなでたらめな言い訳を一緒になって強弁するというのは、
とんでもない無能弁護士です。
この人は、故郷の町の声望を高めてくれるという、
人々の期待をあっさり裏切ってしまったわけです。

でも、本人はそうは思っていないし、
故郷の人々も別の反応を示した可能性の方が大きいかもしれません。
「うちの※※ちゃん、がんばってるね!
とうとう、有名になったねえ!」

現代の政界のトップが目を覆うような愚行、愚言を繰り返しても
「我が世の春を謳歌すうる」姿をさらけ出し続けているのも、
彼らが本来の人間としての判断力など持ち合わせていないから、
いつまでも鉄面皮にのさばり続け、
一方、選挙民も、あっちがだめだからこっちでという二者択一式にこだわり、
自分が入れる候補者の資質、政見をしっかり見極めない、
というずさんな投票にのっかって、トップまで上り詰める、
という現代の惨たる現状を見事に体現していると言えそうです。

「ふるさと」が作られた当時の「志」も、もしかすると、
人生の目的を実現しようという高邁な意志ではなく、
ただ単に社会的に成功することを良しとする世情を、
せちがらく反映していたかもしれません。

私は、別の意味で、問題児であったかも知れません。
「志」を抱いたことがなかったからです。
ちょっと変わった人間だったかも知れません。
大人にちっともなりたくない、
えらくなって、社会に貢献したいなんてちっとも思わない、
そんな晩稲の少年。
まして、お金持ちになんか全然なりたくない少年。
これが私でした。

これも一種の志だったかも知れません。
私はまんまとこの志を遂げて、お金はなく、
どこにも凱旋せず、ただひっそりと、しかし、
思う存分自分のやりたいことをやりたいように人生を過ごし、
今も、誰も見向きもしないロボグラフィをひたすら撮影し、
ネットの片隅でひっそりとブログを一人で楽しみ、
誰に聴かせる宛てもない楽器をひたすら修練する、
という、まさに隠者の人生を送っているのですが、
よくよく思い返してみますと、
なんだ、子供のままずっと生きてきたんじゃないの!
我ながら、この首尾一貫性に恐れ入ります。
もちろん、こんな生き方は、人の評判にもならず、いわば片隅に生きるだけのことですから、
切磋琢磨も努力も要するわけではありません。
労せずして、かなえることができるのですから、
「志を果たし」たとは言いがたいのでしょう。
でも、いわばいかなる報償もない生き方なのですから、
他からの支持、尊敬、支援など一切期待せず、
孤独に生きることが必要になります。
だから、どうしても意気消沈して、失望感にさいなまれる危険があります。
誰にでもできることではないでしょう。
私にそれができているのは、自分で言うのもなんですが、
私が強い人間だからです。

なぜ、強い人間に成れたか?
そんなことはわかりません。
でも、子供の頃から、ずっとこうでした。
誰にも頭を下げず、徒党を組まず、さりとて、無視されることもない、
そんな人生を小学生の頃から一貫してきました。

生まれつき、なにかそんな素質を持っていたのでしょうけど、
私には、そんな人生をこうして続けてこれた理由を一つ知っています。
私は空想、想像が大好きなのです。
空想の中で、私は自由に変身できました。
ときにカエサルであり、
ときにアレクサンドロスであり、
ときにソクラテスであり、
ときにはオデュッセウスでした。
とにかく誰にも頭を下げない英雄であり続けたようです。

幸い現実では英雄にはならずに済みました。
ろくな最後を遂げないのが、英雄の多くの運命だったのですから。
もちろん、私だってまだ死んでないのですから、
これからどんな運命に見舞われるか、知れたものではありませんが、
少なくとも、今はなんとか不幸に見舞われることもなく、
人生を楽しんでいます。
ありがたいことです。




c0168172_15064178.jpg
c0168172_15064974.jpg
c0168172_15071036.jpg
c0168172_15071941.jpg
c0168172_15072609.jpg
c0168172_15073258.jpg
c0168172_15074332.jpg
c0168172_15075623.jpg
c0168172_15080211.jpg
c0168172_15080950.jpg
c0168172_15085131.jpg
c0168172_15084498.jpg
c0168172_15085735.jpg
c0168172_15090835.jpg
c0168172_15092391.jpg
c0168172_15092996.jpg
c0168172_15093514.jpg
c0168172_15094123.jpg
c0168172_15094614.jpg
c0168172_15095973.jpg
c0168172_15130940.jpg
c0168172_15100614.jpg
c0168172_15131620.jpg
c0168172_15132358.jpg
c0168172_15133527.jpg
c0168172_15133090.jpg
c0168172_15134284.jpg
c0168172_15134831.jpg
c0168172_15135308.jpg
c0168172_15140036.jpg
c0168172_15140669.jpg
c0168172_15141271.jpg
c0168172_15142438.jpg
c0168172_15143043.jpg
c0168172_15143641.jpg
c0168172_15144261.jpg
c0168172_15144882.jpg
c0168172_15145438.jpg
c0168172_15150164.jpg
c0168172_15150736.jpg
c0168172_15151803.jpg
c0168172_15153020.jpg
c0168172_15153999.jpg
c0168172_15154692.jpg
c0168172_15155286.jpg
c0168172_15155879.jpg
c0168172_15160477.jpg
c0168172_15161767.jpg
c0168172_15162343.jpg
c0168172_15163669.jpg
c0168172_15164942.jpg
c0168172_15165580.jpg
c0168172_15170108.jpg
c0168172_15171602.jpg
c0168172_15170855.jpg
c0168172_15173407.jpg
c0168172_15174012.jpg
c0168172_15175187.jpg
c0168172_15175767.jpg
c0168172_15180697.jpg
c0168172_15182033.jpg
c0168172_15183000.jpg
c0168172_15183767.jpg
c0168172_15184479.jpg
c0168172_15185532.jpg
c0168172_15190128.jpg
c0168172_15190992.jpg
c0168172_15191550.jpg
c0168172_15193131.jpg
c0168172_15195970.jpg
c0168172_15200573.jpg
c0168172_15201338.jpg
c0168172_15201965.jpg
c0168172_15202581.jpg
c0168172_15203227.jpg
c0168172_15203929.jpg
c0168172_15204526.jpg
c0168172_15205293.jpg
c0168172_15205884.jpg
c0168172_15210517.jpg
c0168172_15211257.jpg
c0168172_15212132.jpg
c0168172_15212794.jpg





by hologon158 | 2019-02-27 15:24 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

777.01 ホロゴン外傳256(2018年9月17日キノプラズマート19㎜F1.5が西大寺を古式豊かに)1 近江八幡



一月、写真の仲間4人と近江八幡で正月恒例の撮影会を行いました。
撮影会ではある方向に向かって一同そろって向かうのですが、
古株男性3人はこぞってオーソドックスなシーンの写真家です。
足の長いのも、短い(おっと失礼)、あんまり長くないのも、
ポイントポイントを抑えて、しっかりとした構図の作品を作りつつ、
どんどん先行してしまいました。

私は遅れる、遙かに後方にと取り残される、
これが恒例のシーン。
普段は、他に何人メンバーが加わろうとも、同じ、
取り残されるのは私一人。
でも、今春は違いました。
新規加入のOKさんは、
私とは無関係に、ロボグラフィを愛好するようになった方で、
なにしろ撮り方が徹底しています。
三歩進んで二歩後退、という風情で、
完全に入神の境地。

一方、私は歩く速度にほとんど近いスピードで、
手あたり次第ロボグラフィと対談するというやり方なのです。
でも、OKさんが私を遙かに上回るロボグラフィを発見する姿に、
負けじ魂を発揮して、というのは嘘で、
私はなんにせよ、人と競争するのが大嫌いですが、
さすがにあっちで待ち、こっちで待ちしている内に、
でも、ただ待ってるのはつまらない、と、という気分に。
お金となると、ない袖は振れませんが、
ロボグラフィは、アプローチ次第で、いくらでも増えます。

近江八幡の堀端から初めて水郷に、という予定でしたが、
今回は異例中の異例、後続両名が水郷入り口についたときには、
先行三名は水郷をたっぷり撮ってしまった後でした。
その一人DAさんは常に先行する人で、
得意の口癖を口にしました、
「もうなにもありませんよ。撮ってしまいましたから」

そうフォトジェニックなシーンは撮り尽くしたでしょうけど、
ロボグラフィには一顧だにしない人たちですから、
ロボグラフィはいくらでも残っていました。
こんな風にメンバーそれぞれに自分の被写体を、
ふんだんに提供してくれるのが近江八幡です。
だから、初春には近江八幡撮影会から始めて、
それぞれに勢いをつけるという訳です。

その後ネットで、
みなさんのこの日の収穫を見せていただくことができました。
自分のことはさしおいてのことですが、
DAさん、AKさんお二人の写真は見事な近江八幡の情景写真。
思わず目を見張ってしまいました。
お二人とも妻子と長期間離れての単身赴任を経験して、
写真が俄然豊かな精神性を帯びるようになったという感じがします。
トインビーが「辺境が文明を生み出した」ことに気づいて、
一世を風靡した文明史観を創造したことを思い出します。
日本の「可愛い子には旅をさせ」と同じ精神ですね。
苦労することで人間に深みを増し、
その経験が写真を変えたのでしょうか?

OKさんのロボグラフィも拝見できました。
同じ路傍写真でも、私のは落ち穂拾いですが、
OKさんのロボグラフィは、路傍のフォトジェニックシーンの発見。
私の感覚では探知できないようなイメージ。
私たちは同じ光景を並んで見ても、
まったく違ったものを見ているものです。
主体の数だけ世界があるのかもしれません。



c0168172_22351448.jpg
c0168172_22352171.jpg
c0168172_22352627.jpg
c0168172_22353276.jpg
c0168172_22353969.jpg
c0168172_22354501.jpg
c0168172_22355017.jpg
c0168172_22355580.jpg
c0168172_22360525.jpg
c0168172_22361107.jpg
c0168172_22361647.jpg
c0168172_22362248.jpg
c0168172_22363314.jpg
c0168172_22363958.jpg
c0168172_22364512.jpg
c0168172_22365029.jpg
c0168172_22365681.jpg
c0168172_22370292.jpg
c0168172_22370719.jpg
c0168172_22371458.jpg
c0168172_22372127.jpg
c0168172_22372684.jpg
c0168172_22374011.jpg
c0168172_22374728.jpg
c0168172_22375420.jpg
c0168172_22380101.jpg
c0168172_22381768.jpg
c0168172_22382554.jpg
c0168172_22383036.jpg
c0168172_22383889.jpg
c0168172_22384494.jpg
c0168172_22384991.jpg
c0168172_22385733.jpg
c0168172_22395434.jpg
c0168172_22400325.jpg
c0168172_22400930.jpg
c0168172_22401543.jpg
c0168172_22402153.jpg
c0168172_22402725.jpg
c0168172_22403310.jpg
c0168172_22404218.jpg





by hologon158 | 2019-02-25 22:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

776.02 ホロゴン外傳256(2018年8月10日タンバール90㎜F2.2が奈良町夢幻を演出)2 死後の世界



私はテレビを観ないのですが、
YouTubeはかなり楽しんでいます。
と言っても、テレビ番組ではなく、
YouTube用に作られたビデオが主体。
でも、テレビ番組らしいもので、
ちょっとおもしろい表題があったので、のぞいてみました。

 死後の世界は100%存在した

なかなか良くできた番組で、
かなりシリアスな意図に基づいて作られたようです。
表題からしてそそられます。
もし死後の世界があったら、
私のような無神論者はあわててしまうでしょう。
「こんなこととは知らなかった。
知ってたら、信心してたのに!」
と悔やんでも、もう遅い。
死後の道はだんだんと下り坂となり、
闇の門を通ると、そこはもう地獄!
業火がかなたの空を紅いに燃え上がらせて......
こんなこととは知らなかった!
もう死んでしまいたい、と悔やんでも、
死んじゃってるんですから、手遅れ..............

このビデオ、ご覧になった方もおいでかも知れませんね。
名医の誉れの高い医師が、脳の機能が完全に停止してしまいます。
昏睡状態、でも、気づきます、
まったく信じていなかった死後の世界に居る!
教会音楽のような音楽が囂々と響きわたる道を行くと、
美しく輝く女性に出会います。
まったく見も知らぬその女性はやさしく告げます、
「あなたにはまだ世のためにすることがあります。
お帰りなさい」
そして、医師は奇跡的に蘇生します。

彼は幼くして養子縁組されたため、
実父母とは絶縁状態で育ったのですが、
このことがあって、にわかに切望します、
実父母にも会っておきたい!
でも、探し当てた実父母はすでに世になく、
実の弟妹が居たことも知りますが、
妹の方も若くして亡くなったことを知らされます。
でも、ある日、弟から妹の写真が送られてきました。
そして、その写真を見て、呆然としてしまう!
それはあの世で会った美しい女性だった!!
こうして、彼は、死後の世界は本当にある、
そう確信したのです。

彼の書いた本はベストセラーになり、
彼は各地を講演して歩く日々を送っているそうです。

すごいニュースではありませんか?
医師の証言は確固たるもので、
疑いの余地のないものだとしたら、
私も「私は無神論者ですから」と澄ましている場合じゃない!
死後の世界を保障するどれかの宗教に、
ただちに入信した方がよいのではないか?

でも、次の瞬間、考えたのです。
待てよ、待てよ!
この顛末を観ていて、
ふっと「おかしいな」と思ったことがあったのです。

なんで、キリスト教音楽のような音が響くの?

この宇宙が生まれてから百数十億年と言われています。
人類、つまり、ホモサピエンスはたった20万年!
それなのに、人類用だけに、それもクリスチャン用にも特化して、
ちゃんと死後の世界が用意されている?
そんなことってありうるだろうか?
もし宇宙内の有機体が死んだら、
この宇宙は共通一個なのだから、死後の世界も共通、
あらゆる有機体を迎え入れるようにできているんじゃないの?
だって、ホモサピエンスが生まれる前の死後の世界には、
クリスチャンはおろか、人類そのものがいかなかったのだから!
6千万年前だったら、地球上の支配者は恐竜だったんだから、
たとえば、ティラノザウルスが惜しまれつつ世を去ったら、
その死後の世界にはそんな音楽は響き渡らなかったんじゃないの?

そこで、考え直してみました。
医師のお話の中に疑いの余地のある部分はないだろうか?
ありました。
一つだけ確実性が保証されていない証言が見つかりました。
第二の世界で彼が出会った女性が彼の妹であったこと。
これがすべての根本です。
本当に彼は妹に出会ったのでしょうか?


死後体験時の医師はたしか60を過ぎていました。
妹は若くしてなくなったのですから、
半世紀近く昔の写真なのです。
若くして亡くなった妹を写した写真は、
かなり古かったことは確かです。
その写真に写されている女性と、
彼が直接対面した輝く女性とは、
まったく別のシチュエーションにある存在なのです。
ちょっとした似よりがありさえすれば、
医師は同一性に一気に傾いたでしょう。
彼にはそうしたい動機があったからです。

結局、写真と記憶の一致という同一性を裏付ける証拠は、
彼の証言だけなのですが、
その証人は目撃時、事実上死んでいた!
心肺は停止し、脳も完全に機能を停止していたのです。
これじゃ、世界のどこの国に行っても、
証人の証言能力さえ疑われる事態です。

せめてあの世の女性が、
「私はあなたの妹の※※です。
19※※年※月※日、※の病気で※歳で死んでしまいました。
それ以来、お兄さんを天上から見守ってきたのです。」
というような、妹でないと知り得ない、
そして医師が知らなかった客観的事実を
しっかり告げてくれていて、
生き返った後でその言葉を人にも告げたうえ、
その真実性を調べてみたら、どんぴしゃり、そうだった!
女性の言葉は真実であった、というのであれば、
私も信じる気になれました。

それともう一つ。
死者は第二の生では、死亡したときの姿を保つのでしょうか?
じゃ、赤ん坊や幼児は第二の世界でも、
その状態にとどまるのでしょうか?
肉体を失っているのに、そんなことがあるとは思えませんね。
魂だけの存在として、もっと異質な姿を呈するのではありませんか?

それとも、兄がなくなったけど、
その直後の誰かの決定により、
急遽この世に戻すことになって、その誰かに呼び出され、
亡くなった当時の妹の姿に戻って、
この世からのルートに派遣されたのでしょうか?
だったら、妹であると名乗ってもよいではありませんか?

もう一つ、さらに疑問が浮かびます。
物故者を第二の生から第一の生に戻す権限は、
第二の世界の誰かにあったのです。
だとしたら、第一の生から第二の生に移す権限も
第二の世界が握っているのではありませんか?
第一の世界での寿命を延ばす権限があるのですから。
だとしたら、なんでこんなすぐ撤回するような、
いい加減な死亡決定が下されたのでしょうか?

こんな風にあれやこれや考えていきますと、
むしろこうなのではないでしょうか?
確かに心肺と、脳機能は停止した。
でも、それは現在の医学界が「死」をそう定義しているだけ。
真実には、そのオーガニズム全体が機能を停止しない限り、
まだ完全には死んではいない状態にあって、
そんな状態で死後体験のような夢を見ることができた!
たまたまその夢の中の女性が、
会いたかったのに会えなかった妹に似ていたため、
(どの人種でも似た人は沢山います。
白人種は目と口がかなりくっきりしているため、
他人の空似はよけいに起こりやすいと言えないでしょうか?)
医師は、考えられる限り最高の可能性に気づき、
一気呵成に、その可能性に飛びついて、
確信したのではないでしょうか?
あれは妹だったのだ、絶対にそうだ!

ホワイトヘッドは、宇宙の基本成員は、
人間とか猫っではなくて、人間とか猫とか銀河系を構成する、
Actual entity,Actuial occasionであると考えました。
この基本成員がさまざまに組み合わさって、
さまざまな階層の構成分子となるのです。
だから、Actual entityは不死です。
これこそ宇宙のかけらなのです。
だからこそ、組み合わさった有機体は死んでも、
Actual entityは別の有機体を構成して生存を続けます。
私たちは星のかけらでできているのです。
でも、有機体は死んだら、その組成はばらばらになって、
おしまい。
そんな感じがするのですけど、ねえ。

というような次第で、
私は当分無神論者を続けることにしましょう。
どんなことでも確信がない限りは、しない!
私はそんな風に生きてきました。
「怒濤の心証」がとれない限り、動かない。

じゃ、なんでロボグラフィ、撮ってるの?
人間の顔でもないのに、人間の顔だ、と、一枚撮り、
動物の走る姿でもないのに、狼だあ、と、一枚撮る。
これって、確信もないのに、撮っているんじゃないか?
そんな茶々を入れる方がいるかもしれませんね。
とんでもない、その瞬間にはそう確信している、
だから、撮るのです。
あなただって、奥さんと結婚しているとき、
確かに愛してるって、確信したから、そうしたんじゃない?
で、今、どうなってます?



c0168172_17354798.jpg
c0168172_17355370.jpg
c0168172_17355987.jpg
c0168172_17360550.jpg
c0168172_17382302.jpg
c0168172_17383077.jpg
c0168172_17383592.jpg
c0168172_17384110.jpg
c0168172_17384628.jpg
c0168172_17385245.jpg
c0168172_17390019.jpg
c0168172_17390629.jpg
c0168172_17391196.jpg
c0168172_17391679.jpg
c0168172_17392312.jpg
c0168172_17392862.jpg
c0168172_17393433.jpg
c0168172_17394455.jpg
c0168172_17395055.jpg
c0168172_17395552.jpg
c0168172_17400169.jpg
c0168172_17400602.jpg
c0168172_17401563.jpg
c0168172_17402241.jpg
c0168172_17402905.jpg
c0168172_17403512.jpg
c0168172_17404198.jpg
c0168172_17404619.jpg
c0168172_17405253.jpg
c0168172_17405854.jpg
c0168172_17410761.jpg
c0168172_17411321.jpg
c0168172_17412002.jpg
c0168172_17412748.jpg
c0168172_17413484.jpg
c0168172_17414147.jpg
c0168172_17414790.jpg
c0168172_17415267.jpg
c0168172_17415855.jpg
c0168172_17420493.jpg
c0168172_17420908.jpg
c0168172_17421579.jpg
c0168172_17422200.jpg
c0168172_17423120.jpg
c0168172_17423886.jpg
c0168172_17424414.jpg
c0168172_17425113.jpg
c0168172_17425617.jpg
c0168172_17430404.jpg
c0168172_17431016.jpg
c0168172_17431509.jpg
c0168172_17432117.jpg
c0168172_17432758.jpg
c0168172_17433226.jpg
c0168172_17433878.jpg
c0168172_17434337.jpg
c0168172_17434985.jpg
c0168172_17435508.jpg
c0168172_17440068.jpg
c0168172_17440930.jpg
c0168172_17441557.jpg
c0168172_17442197.jpg
c0168172_17442729.jpg
c0168172_17443544.jpg
c0168172_17444204.jpg
c0168172_17445072.jpg
c0168172_17445809.jpg
c0168172_17450769.jpg
c0168172_17451651.jpg
c0168172_17452328.jpg
c0168172_17453528.jpg
c0168172_17454225.jpg
c0168172_17455289.jpg
c0168172_17455923.jpg
c0168172_17460570.jpg
c0168172_17461117.jpg
c0168172_17461729.jpg
c0168172_17462324.jpg
c0168172_17463042.jpg
c0168172_17463666.jpg







by hologon158 | 2019-02-20 18:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

776.01 ホロゴン外傳255(2018年8月10日タンバール90㎜F2.2が奈良町夢幻を演出)1 桃源の路地



 「桃源の路地の細さよ冬ごもり」


与謝蕪村の句ですね。
京の片隅にわびしく一人住まいした俳人は、
かなり寂しい思いをしていたに違いありません。
なぜ、それが分かるか?
そうでもない限り、わざわざ、我が家は桃源郷なんだ、
と気張って主張するでしょうか?

赤貧洗うがごとし、というほどではなかったでしょう。
でも、細い路地の奥にある侘び住まいであることは否定しようがない。
あまり金はない。
でも、彼には俳句があり、絵がありました。
そして、最高傑作「春風馬堤曲」に現れているように、
彼には夢とロマンも豊かにありました。
心という点にかけては、
蕪村は誰よりも豊かなひとだった、
そう言ってもよいでしょう。

でも、彼を知らぬ人は誰も、
彼を豊かな人とは認識していなかったに違いありません。
俳句、文人画、どちらもそんなにポピュラーなものではなかったでしょう。
近隣の人たちも、蕪村が有名な俳人であり、画家であることは
漏れ聞いていたかも知れません。
でも、見た限りでは、貧相でうらぶれた老人が豊かであるなどと、
決して思えなかったでしょう。

蕪村自身だって、自分の人生が自分の目から見ても、
大成功だったなどとは考えられなかったでしょう。
まして、自分が後世自分が、日本文学史の中で、
屈指の文人、アーチストとして有名になり、尊敬されて、
何十冊も評伝、論考が書かれることになるなんて、
夢にも想像していなかったでしょう。

自負心はあっても、現実がともなわない、
心の中にはアイデア、夢、構想が渦巻いているのに、
つい空回りしてしまって、もどかしい思いだったのでしょう。
だから、自負心と焦りがこもごもに彼を後押しして、
こんな句をものしたのではないでしょうか?

  あんたたち、知らんね。
  誰も知らんだろうね。
  こんなにちっぽけな家だけど、
  中に住んでいるのは、かくいう我が輩なんじゃぞ!
  日本広しといえども、俳句と南画にかけては、
  わしに並ぶものなぞいないんだ!
  そんなわしがお住まいになるこの家は、
  桃源郷でなくてなんなのだ?

もう一つ、とても有名な句があります。

 「うづみ火や我がかくれ家(ガ)も雪の中」

雪に包まれながら、すばらしくあたたかな世界を見事に描いた
「夜色楼台図」は、まさにちっちゃなうづみ火で、
おのれの誇り、自尊心を救おうとしていた蕪村の陋屋の
周囲に広がる民家の光景でしょう。
たくさんの庶民たちがそれぞれに我が家に籠もって、
一家団欒もあれば、孤独もあるけど、
でも、誰もが寒さがこたえる、
なんとか己が心と体を温めたいと、密かにもがいている世界でした。
その中には蕪村の家もちゃんと描かれているのかも知れません。

上記の句も絵もしっかり蕪村の心を表しています。
蕪村が孤独な寒居にいてもなお、
芸術によっておのれの心を温めることができ、
そして、自分の周りで、自分と同じように暖をとろうとしている
人々にも思いを致すことができたのです。
でも、自分が歴史に残ることなど知る由もないのに、
己が矜恃を捨てることがなく、
しかも、人への思いやりを忘れることもなかった。
だからこそ、与謝蕪村は偉大な芸術家として歴史に残ることとなった、
そんな風に考えたですね。

と、そこまで考えて、ふっと思いつきました。
蕪村の境遇には、私にも共通するところがかなりあるなあ.....
もちろん、私は文人でも画家でもありません。
家族、友人、一部の知人以外には誰一人知るものもなく、
奈良の郊外の小さな住宅地の片隅で、
細い路地づたいにたどり着く陋屋にひっそり生きているのですから。
多くの人がそうでしょう。
もしかすると、あなただって?

人知らぬ身であることなど、苦痛でもなんでもありません。
自分から求めたことなのですから。
人に知られるなど、禄なことではありません。
有名人の多くが、有名となったばかりに、
羨望、妬み、憎しみ、怒りの的とされて、でも、
どこに行っても、なにをしても、人の目を避けることができないまま、
苦しみ、悲しみ、焦り、寂しさ、絶望に心を引き裂かれ、
次第に健康を損なわれていきます。

私は、生涯金儲けとは縁がなかった人間なのですが、
でも、人からねたまれ、そねまれ、恨まれることもなく、
明朗快活に日々を送ることができます。
退職後、中古住宅に移り住むにあたり、
ちっちゃな書斎部分を建て増ししてもらい、
かつ窓という窓を二重サッシにしました。

この書斎、北側に向いているのが弱点ですが、
それよりも何よりも、私はその可愛い書斎の中の王者なのです。
引っ越しのたびの整理に生き残った本たちに天井まで囲まれ、
揚琴、二胡、リコーダー、ときにはハーモニカと、
いろいろな楽器を好きなだけ鳴らし、
思いつく限りバンバンと文章を書いて、ブログを楽しみ、
一日の終わりには、壁掛けスクリーンに韓流ドラマやムービーを投影して、
麗しきヒロインたちの悲しくも美しき人生を再体験し、
半時間の半身浴を楽しんで、身体を温めた後、
ストレッチポールによる脊椎体操をして、心身スッキリとしてから、
布団に入ると、瞬時に入眠し、深い眠りを楽しむことができます。
朝、ポンと目をさますと、瞬時に覚醒し、
ただちに布団の横に敷いたヨガマットに移り、
またストレッチポールを縦横に置いて脊椎体操し、
それから15分間ほど、
自分でプログラムを組んだ10を超える柔軟体操を楽しみ、
さっと着替えをして、
さあ、今日も元気に一日を楽しもう!

これもまた桃源郷也!
私はそう信じています。
そんな次第で、私でも、与謝蕪村という人を少しは理解できるんじゃないかな、
そう思っています。

私は自分が無名の一市井人のまま終わることを知っています。
でも、自分が心から愛する素敵な家族を持ち、
心から敬愛できる友人たちを持ち、
写真、4種の楽器演奏を心から楽しみ、
数知れない音楽、美術等の芸術で心を温め、
偉大なギリシャ、中国、日本の古典たちに親しみ、と、
生き甲斐にできる趣味を文字通りどっさり持ち、
日々朝から晩まで休むことなくエンジョイし、
5時間半ぐっしり熟睡して、瞬時に覚醒して、再び生活を始める、
そんな毎日。
誰も私のことを知らなくても、いっこうに気になりません。
私が私の知るべき人たち、愛すべき人たちを知って、
(その中にはブログを介して知り合った友人もいるのですから、
ブログ万歳、ですね)
その人たちと交わることができれば、
それで十分。

蕪村は自分の芸術家としての器を知っていたから、
そんな自己評価と現実とのギャップにときに苦しんだこともあるでしょう。
私の方と来たら、自己評価と現実とはぴたり一致して、
他人評価など「おとといお出で」状態なので、
いまさら自己改革もへちまもあったものじゃない。
ひらすらご機嫌で生きているわけです。




c0168172_11142190.jpg
c0168172_11142819.jpg
c0168172_11143468.jpg
c0168172_11143952.jpg
c0168172_11144975.jpg
c0168172_11145465.jpg
c0168172_11150044.jpg
c0168172_11150640.jpg
c0168172_11151145.jpg
c0168172_11151796.jpg
c0168172_11152347.jpg
c0168172_11152896.jpg
c0168172_11153452.jpg
c0168172_11154086.jpg
c0168172_11154656.jpg
c0168172_11155399.jpg
c0168172_11163168.jpg
c0168172_11163873.jpg
c0168172_11164379.jpg
c0168172_11164906.jpg
c0168172_11165508.jpg
c0168172_11170068.jpg
c0168172_11171156.jpg
c0168172_11174070.jpg
c0168172_11175264.jpg
c0168172_11175864.jpg
c0168172_11180472.jpg
c0168172_11181160.jpg
c0168172_11181725.jpg
c0168172_11182315.jpg
c0168172_11182874.jpg
c0168172_11183536.jpg
c0168172_11184305.jpg
c0168172_11184916.jpg
c0168172_11185528.jpg
c0168172_11190182.jpg
c0168172_11190733.jpg
c0168172_11191363.jpg
c0168172_11191935.jpg
c0168172_11192583.jpg
c0168172_11193196.jpg
c0168172_11193734.jpg
c0168172_11194393.jpg
c0168172_11194951.jpg
c0168172_11195736.jpg
c0168172_11200497.jpg
c0168172_11201005.jpg
c0168172_11201658.jpg
c0168172_11202775.jpg
c0168172_11203353.jpg
c0168172_11203908.jpg
c0168172_11204525.jpg
c0168172_11205124.jpg
c0168172_11205717.jpg
c0168172_11210387.jpg
c0168172_11211033.jpg
c0168172_11211664.jpg
c0168172_11212295.jpg
c0168172_11212804.jpg
c0168172_11213429.jpg
c0168172_11214621.jpg
c0168172_11215289.jpg
c0168172_11215838.jpg
c0168172_11220410.jpg
c0168172_11221323.jpg
c0168172_11221964.jpg
c0168172_11222557.jpg
c0168172_11223485.jpg
c0168172_11224040.jpg
c0168172_11224626.jpg
c0168172_11230046.jpg
c0168172_11230738.jpg
c0168172_11231439.jpg
c0168172_11232171.jpg
c0168172_11232828.jpg
c0168172_11233615.jpg





by hologon158 | 2019-02-19 11:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

775.03 ホロゴン外傳254(2019年2月9日マクロスイター50㎜F1.8が天満橋筋を妖精のごとく)3 ワープロ時代



2月16日土曜日、午前6時15分起床ですが、苦になりません。
6歳の孫プリンスが郊外の運動場で少年野球の練習があるので、
ママが付き添うため、久宝寺に住む長女夫妻の家に行って、
4歳の孫プリンセス1号(1歳の3号まで居ます)と一緒に過ごしたのです。
孫と一緒にいるのは格別楽しい仕事です。
「若い」どころか、「幼い」盛りですが、
エネルギッシュで、その元気のフレーバーが私を若返らせてくれます。

現在の私の生活は、どうやら、音楽と写真、そして、ブログが中心です。
どれも、少しずつ積み上げていくものばかり。
たとえば、リコーダー、揚琴、二胡の楽器学習。
天才じゃないので、一つ一つ技法を学んで、遅々とした歩みですが、
だんだんとそれらしい演奏ができるようになっていくプロセス。
このプロセスが滅法楽しいですね。

長女が孫プリンスと一緒に帰宅して、
入れ替わりに、私は新大阪駅まで移動。
優れた二胡演奏家劉継紅先生のレッスンを受けました。
3年で、はじめて、褒められました。
「弦の音がやわらかくなったじゃないの!」
レッスン一時間前まで別室で練習したときは、固かったのに、
突然、ソフトになった!
私には理由が明白です。
その後、私の使っている二胡は劉継虹先生が指導用に使った!
優れた演奏家が使うと、楽器が別物のように、音が輝き、
その余韻が残っていたのです!
でも、これも一歩は一歩、素直に喜んでいます。

思うに、私は、こんな風に積み上げるのが人生の醍醐味、
と考えるようになったようです。
1989年12月にホロゴンウルトラワイドと出会ったのが、
そんな積み上げ人生への転機、そうはっきり分かっています。

何度も書きましたが、
ホロゴンは画角110度、ほぼ視野いっぱい写ります。
1.5mも離れますと、もうだだっぴろい光景が
どんと向こうに突き放されたようになって、とても写真にはなりません。
もっとも、そんな広大な写真を撮るのが超広角の醍醐味、
そう考える写真家の方が多いようです。
それでなくちゃ、超広角を使う意味はない!
私はそんな風には感じません。
超広角の醍醐味は深く撮れること、そう考えるからです。

でも、路上スナップをホロゴンで自在に撮るにはどうしたらよいか?
これがホロゴンを使い始めた私の課題となりました。
この課題をなんとか解こうとする努力の日々は今もなお続いています。
私が当初採った解決策はシンプルでした。
ノーファインダー、ウェストレベルでの「超接近水平垂直撮影法」。
この技法については何十回も書きました。

その方法を自分のものにするために、
弁慶にならって、千本斬りを目標にしたのですが、
フィルム時代に優に2千本を超え、
経済的負担が減ったデジタル時代になってからは、
その倍は優に撮ったでしょう。
でも、言うはやさしく、行うのは難しいものです。
未だ苦闘中。

ブログは、ホロゴンと違い、楽しさ一方。
開始後1年ほどで、
心を切り替えて、日記ブログに徹するようになって、
自分の人生の煉瓦を積む、という気持ちになりました。
私の場合、外出は、孫の世話をする場合を除き、カメラ必携。
歩いた道をロボグラフィの連鎖でつなぐという人生スタイルが、
自然とできあがったようです。

私の2つのブログのように、
らちもない書き殴りの雑文がどこまでも続き、
ようやく写真コーナーにたどり着いたら、
こちらはもっと訳のわからない写真たちが延々と続く、
というようなブログはありませんね。

自分でも一旦作ったら、見直しなんかほとんどしない位ですから、
他人はなおさらでしょうから、アクセス数は間違いなく一桁でしょう。
(開始1年経過後今まで、両ブログのアクセスは不明です。
日記になったら、人が見るかどうかの関心は自然消えました。
アクセス中チェック中、ずっと100に届かなかったのでしたから、
今はもうほとんどアクセスはないでしょう。
おそらくアクセス数自体は少しあるでしょうけど、
それは、私の文書量、使用レンズ量が多いから、
検索にひっかかる確率が高いためで、
ほとんどは、一瞥で「おっと失礼、間違いました」でしょう。)

フェイスブック等のヒューマンネットワーク拡散のギアと異なり、
ブログは、なんらかのツテか偶然がない限り、アクセスなどしない、
かなり閉鎖系のサイトです。
よいものを選んだものです。

私の写真は純粋に記録ですから、撮影分は全部搭載したいのですが、
時間が惜しい。
だから、ほぼ3分の1ほどに選択し、
歯抜けですが、厳密に撮影順に並べているので、
かなり当時の再現にはなってくれます。
さりとて、見直しはまったくしていませんが、
歩いた道をもう一度辿りながらブログを作るのは楽しいものです。
パソコンの開発とともなって、キーボード入力方式が標準化されて、
一番恩恵を受けているのは私でしょう。
まったく疲れ知らずで文章が作成できます。

小説家も恩恵を被っているでしょうね。
腱鞘炎患者の小説家は記録的に減少しているのではないでしょうか?
そこで、ついでに考えてみますと、
一番被害を受けているのは、小説の愛読者でしょうね。
小説が長大複雑錯綜化の一途を辿っている感じがします。
樋口一葉にしても宮沢賢治にしても、
一つ一つの文章も筋立ても大理石に刻むように完璧に彫啄されています。
そんなコクのある文章はなくなりました。
米国人はかなり以前からタイプライターで叩き出すスタイルでしたから、
SFなんか、アシモフ、ハインラインあたりから、
長大な連続小説の傾向が急激に進んだ感じがします。
どうも「筆を進める」から「叩き出す」に変わったのです。

日本語もはっきりと変わりました。
漢字制限もなくなったのでしょうか?
テレビ、新聞を一切見ないので、
政情どころか、基本情報にもほとんど接しない、隠者同然の私ですから、
こんなことも知らないのですが、
隠者生活なので、不自由していません。
いずれにせよ、とても読みやすい標準的な文章になった感じで、
宮沢賢治や太宰治に見られた作家特有の特異な言葉づかい、文体が
ほとんど影を潜めてしまった感じがします。
ワープロの変換機能の影響かも知れませんが、
それ以上に、人間が標準化されて、
読みやすいけど、全然コクがないという感じ。

実に私の文章もそっくり同様、と言うわけです。
これには理由があります。
私のブログ文は、他のブロガーとは役割が違うからです。
文章の体裁、内容はともあれ、
私の内心では、読者へのメッセージ性など皆無。
ひたすら指の体操、頭の体操をしているだけ。
その証拠に、文章を書き始めるにあたり、
書きたいことが決まっていることがほとんどありません。
適当に指の体操をしている内に、だんだんとばらばらの細部がまとまって、
どうにか方向が見つかるという感じ。
つまり、ここでも、積み上げ方式をとっているのですが、
アピール性がないので、ほとんど「口から出任せ」だからです。
まじめに読む方はいないと思いますが、
時間の無駄はよしましょう。
私は現代のワープロ時代に適応できる人間だったということでしょう。




c0168172_12415861.jpg
c0168172_12420593.jpg
c0168172_12421057.jpg
c0168172_12421651.jpg
c0168172_12422155.jpg
c0168172_12422647.jpg
c0168172_12423155.jpg
c0168172_12424061.jpg
c0168172_12424670.jpg
c0168172_12425173.jpg
c0168172_12425781.jpg
c0168172_12430202.jpg
c0168172_12430861.jpg
c0168172_12431344.jpg
c0168172_12431982.jpg
c0168172_12432418.jpg
c0168172_12432956.jpg
c0168172_12433439.jpg
c0168172_12434051.jpg
c0168172_12434686.jpg
c0168172_12435174.jpg
c0168172_12435648.jpg
c0168172_12440306.jpg
c0168172_12441066.jpg
c0168172_12441738.jpg
c0168172_12442311.jpg
c0168172_12442860.jpg
c0168172_12443416.jpg
c0168172_12444025.jpg
c0168172_12444543.jpg
c0168172_12445183.jpg
c0168172_12445640.jpg
c0168172_12450297.jpg
c0168172_12450845.jpg
c0168172_12451974.jpg
c0168172_12452743.jpg
c0168172_12453396.jpg
c0168172_12453936.jpg
c0168172_12454610.jpg
c0168172_12455212.jpg
c0168172_12460341.jpg
c0168172_12463905.jpg
c0168172_12464851.jpg
c0168172_12465585.jpg
c0168172_12470402.jpg
c0168172_12471193.jpg
c0168172_12471680.jpg
c0168172_12472218.jpg
c0168172_12472868.jpg
c0168172_12473470.jpg
c0168172_12474082.jpg
c0168172_12474697.jpg
c0168172_12475363.jpg
c0168172_12475919.jpg
c0168172_12480528.jpg
c0168172_12482213.jpg
c0168172_12482823.jpg
c0168172_12483524.jpg
c0168172_12484107.jpg
c0168172_12484997.jpg
c0168172_12485544.jpg
c0168172_12490120.jpg
c0168172_12490908.jpg
c0168172_12491782.jpg
c0168172_12492370.jpg
c0168172_12493500.jpg
c0168172_12494450.jpg
c0168172_12495123.jpg
c0168172_12495867.jpg
c0168172_12500476.jpg
c0168172_12501166.jpg
c0168172_12501702.jpg
c0168172_12502564.jpg
c0168172_12504383.jpg
c0168172_12505316.jpg
c0168172_12510099.jpg
c0168172_12510771.jpg
c0168172_12511452.jpg
c0168172_12512039.jpg
c0168172_12512770.jpg
c0168172_12513338.jpg
c0168172_12513921.jpg
c0168172_12514858.jpg
c0168172_12515512.jpg
c0168172_12520244.jpg
c0168172_12520808.jpg





by hologon158 | 2019-02-17 12:55 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

775.02 ホロゴン外傳254(2019年2月9日マクロスイター50㎜F1.8が天満橋筋を妖精のごとく)2 トマス・マートン



「人間の最大の誘惑は、
あまりにも小さなことに満足してしまうことだ」

20世紀最高の宗教家の一人、トマス・マートンの言葉だそうです。
どんなことを小さなこと、大きなことと評価したのは、分かりません。
なにかに夢中になるときは、他のことが小さく見えるものです。
しかも、大きなことを成し遂げようとすれば、
さまざまな小さな、だけど不可欠なことを、
一つ一つ片づけていく必要だってあります。

たとえば、優れたアイデアが閃き、
大急ぎで部屋に戻ってメモしたい、
でも、大切な要件で連絡することがあって、
電話に急いでいる最中だった。
だから、まず電話で大事な要件を済ませて、
ほっと一息ついた途端に、
「そうだ、宝石のようなすごいアイデアを思いついたんだった!」
と、急ぎ書斎に戻ろうとしたら、
そのアイデアが何であったか、完全に失念していることに気づく。
いったい、電話の要件とアイデアとどちらを選ぶべきだったんだろう?
というようなことはよく起こります。
誰にとっても、事の大小を見極めるのは大変に難しいことですね。

トマス・マートンは偉大な思想家であったので、
修道院は修道僧としての務めのかたわら、
マートンが執筆活動を続けることを特別に認めたそうです。
そのおかげで、マートンは続々と優れた著述を発表し続けることができたのです。
修道院はなにが大切なことか、ちゃんと判断できたわけです。

でも、一つ、おかしなことが起こりました。
真偽は分かりませんが、ある記事によれば、
マートンは51歳のとき、入院中、看護婦学生と恋に落ち、
還俗まで考えたことがあったそうです。
たった53歳で事故死してしまったのですから、その2年前のこと、
まだ壮年の盛りでした。
すでに宗教家として名声を確立していたのですから、
世俗の喜びを捨て去り、神にひたすら仕える道を選んでおきなら、
いったいこれはどうしたことなんだろうと戸惑ってしまいます。
でも、事情が分からないので、
どう考えて良いのか、判断することは控えましょう。

でも、修道院がマートンに修道士としての務めを超えて、
宗教家としての対外活動をとくに許したのは、
彼が世界の悩める人々を神の下へ導く偉大な働きをすることが、
世界のために大切であると考えたからですね。
彼にはそんな使命があった!
還俗、結婚がそんな使命を振り捨てる結果につながる可能性は、
なかったのでしょうか?
彼の著書、発言等の活動は、
彼が修道士であることを前提にして成立していたのではないでしょうか?
そう考えると、かなり判断に苦しみます。

でも、私は信仰を持たないせいでしょうか?
私としては、なんと人間的な感情に溢れた人なんだ、と、
好感が持てます。

でも、彼は結局恋人との愛の人生を選ばないことにしたようです。
それなのに、たった2年後、宗教会議のためバンコクを訪れて際、
ホテルの扇風機に感電して亡くなってしまい、
世界のために貢献を果たす道を絶たれてしまうのですから、
皮肉と言えば皮肉です。

恋を選んでいたら、彼は、もしかすると、何十年も長生きして、
さらに偉大な貢献を果たしたかも知れませんね。

彼は、決断を貫いて還俗していたら、長生きを続けることができて、
人間的にもさらに深みを増して、
むしろもっと自由な立場で活動するようになり、
人類に対してさらに豊かな貢献を果たすことができたかも知れません。

そう考えると、「なにが大切か?」という問いは、
そのときそのときの問いへの回答が、
人生を決定的に左右しかねないものであるけれども、
だけど、その回答が人生にとって正解であるかどうかは、
誰にも分からない。
そう考えるのが正しいのでしょう。

ついでに付記しておきますと、
マートンの事故死は、自分の使命を忘れたことへの
天罰だったと考える人もいるかも知れませんが、
これはちっぽけな人間の邪推というものです。
私は神様を信じませんが、
もし神様がおいでになるとしたら、
あんたと同じようなケチな野郎じゃないよ、
そう言いたいですね。

人生って、あらゆる瞬間が選択ですね。
どんな小さなことも、人生を変えます。
ちょっとしか変えないけど、
時間がたつにつれて、
その選択の結果は人生を大きく変えてしまいます。
あなたはあなたの人生を何倍も豊かにしてくれる大切な友と、
道一筋違えたばかりについに出会うことなく終わったかも知れないのです。
でも、失われた可能性は結局可能性ではなかったわけです。
私たちは毎瞬毎瞬自分が選んだ道をしっかり踏みしめ、
失われた可能性など歯牙にもかけないで、
しっかり人生を自分で作っていく、
それしかないのです。

たとえば、結婚のように、一度選ぶと人生の最後まで続く道に足を踏み入れることが沢山あります。
こうなると、自分の選択の結果、責任を負うことになった人たちと自分自身がともに共存共栄できる最上の道を探し求めたいものです。
そうして、その道を行き着くところまでしっかりと足を踏みしめながら歩いていく、
これが人間の生き方というものです。

トマス・マートンも、人生の途中で分岐点にさしかかり、もう一つの道の美しい可能性をかいま見たけど、
結局、最初の選択を守り、もう一つの道を選ばなかったわけです。
彼はその後人生の最後まで、その最終的な決断を後悔しなかったでしょう。
そうであればこそ、正しい選択をした、と言うことができそうです。




c0168172_22090315.jpg
c0168172_22091189.jpg
c0168172_22091620.jpg
c0168172_22092202.jpg
c0168172_22092818.jpg
c0168172_22094027.jpg
c0168172_22094740.jpg
c0168172_22095685.jpg
c0168172_22100123.jpg
c0168172_22100701.jpg
c0168172_22101939.jpg
c0168172_22102489.jpg
c0168172_22103006.jpg
c0168172_22104293.jpg
c0168172_22104847.jpg
c0168172_22105374.jpg
c0168172_22110099.jpg
c0168172_22110657.jpg
c0168172_22111226.jpg
c0168172_22111707.jpg
c0168172_22112257.jpg
c0168172_22112718.jpg
c0168172_22113448.jpg
c0168172_22114125.jpg
c0168172_22114700.jpg
c0168172_22115220.jpg
c0168172_22120055.jpg
c0168172_22120560.jpg
c0168172_22121247.jpg
c0168172_22121890.jpg
c0168172_22122448.jpg
c0168172_22123537.jpg
c0168172_22124022.jpg
c0168172_22124688.jpg
c0168172_22125244.jpg
c0168172_22125777.jpg
c0168172_22130444.jpg
c0168172_22130967.jpg
c0168172_22131540.jpg
c0168172_22132176.jpg
c0168172_22132664.jpg
c0168172_22133276.jpg
c0168172_22133864.jpg
c0168172_22134414.jpg
c0168172_22135240.jpg
c0168172_22135947.jpg
c0168172_22140514.jpg
c0168172_22141246.jpg
c0168172_22141785.jpg
c0168172_22142346.jpg
c0168172_22142946.jpg
c0168172_22143542.jpg
c0168172_22144174.jpg
c0168172_22144786.jpg
c0168172_22145257.jpg
c0168172_22145854.jpg
c0168172_22150484.jpg
c0168172_22151208.jpg
c0168172_22151816.jpg
c0168172_22152430.jpg
c0168172_22152991.jpg
c0168172_22153571.jpg
c0168172_22154149.jpg
c0168172_22154735.jpg
c0168172_22155356.jpg
c0168172_22160275.jpg
c0168172_22160909.jpg
c0168172_22161649.jpg
c0168172_22162330.jpg
c0168172_22162961.jpg
c0168172_22163550.jpg
c0168172_22164210.jpg
c0168172_22164861.jpg
c0168172_22165513.jpg
c0168172_22170183.jpg
c0168172_22170871.jpg
c0168172_22171442.jpg
c0168172_22172051.jpg





by hologon158 | 2019-02-15 22:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

775.01 ホロゴン外傳254(2019年2月9日マクロスイター50㎜F1.8が天満橋筋を妖精のごとく)1 真実よりも



写真は両義的な媒体である、
そう言ってもよいかも知れません。
Photograpy(光の絵)を「写真」と訳したのは、
おそらくジャーナリストだったのではないでしょうか?
写真は最初の最初から、真実を写し出すものではありませんでした。
それは、19世紀の新しいロマンチシズムの媒体であった、
そう言った方が正確ではないかと思います。

だから、人類最初のポートレート写真家の一人、
マーガレット・キャメロンの肖像写真は、
レンズ、写真という最新の媒体によって、
ファンタジーを創造するものでした。
リアリズムを追求するものではなかったのです。
つまり、真実よりも美を表現しようとしたのです。

私が大学に入って、親友と二人で塾を始めて、
その収入で最初に買ったのはカメラでした。
ミノルタSR-1とレンズ2本、50㎜と35㎜。
随分気に入って、かなり使ったと思います。
もちろんモノクロームの時代でした。

でも、就職と同時に結婚したとき、
妻が持参したカメラは35㎜カメラではありませんでした。
ミノルタの六×四・五判のブローニー。
妻は、私の自慢のカメラセットを尻目に、
自信たっぷりに、「このカメラの方がずっときれいに撮れるよ」
ついているレンズはChihoko75㎜F4.5だったと覚えています。

そのセミ版の写真を見て、文字通り仰天してしまいました。
夢とファンタジーに満ちたイメージが浮かび上がっていました。
このときから、私は変わりました。
「真実よりも美」
これが私の写真理想となってしまったのです。

先日、久しぶりに大阪の天満橋筋商店街を撮影しました。
何十回と訪れた街です。
日本一と呼ばれる大アーケード街。
1年以上ご無沙汰してたせいで、びっくりしてしまいました。
以前はかなり静かな商店街でしたが、
打って変わって、外国人観光客で溢れていました。

ホロゴンやスーパーアンギュロンなら、
超接近スナップを楽しんだでしょう。
でも、私がわざわざ選んでソニーα7に付けて持参したのは、
マクロスイター50㎜F1.8
宮崎貞安さんの名作ゾンネタール50㎜F1.1と並ぶファンタジーレンズ。

なぜ前者を選択したか?

理由など、ありません。
ふっと脳裏を過ぎるのです、
「明日はマクロスイターで撮りたい」

成功でした。
なぜか夢を撮りたい、
そんな気分だったからです。





c0168172_17101729.jpg
c0168172_17102502.jpg
c0168172_17103056.jpg
c0168172_17103660.jpg
c0168172_17104180.jpg
c0168172_17104871.jpg
c0168172_17105370.jpg
c0168172_17105902.jpg
c0168172_17110423.jpg
c0168172_17112248.jpg
c0168172_17112722.jpg
c0168172_17113394.jpg
c0168172_17113884.jpg
c0168172_17114453.jpg
c0168172_17114964.jpg
c0168172_17115577.jpg
c0168172_17120031.jpg
c0168172_17120715.jpg
c0168172_17121295.jpg
c0168172_17121772.jpg
c0168172_17122416.jpg
c0168172_17123048.jpg
c0168172_17123663.jpg
c0168172_17124202.jpg
c0168172_17124894.jpg
c0168172_17125339.jpg
c0168172_17130070.jpg
c0168172_17130794.jpg
c0168172_17131214.jpg
c0168172_17131816.jpg
c0168172_17132491.jpg
c0168172_17133193.jpg
c0168172_17133817.jpg
c0168172_17134488.jpg
c0168172_17135062.jpg
c0168172_17135688.jpg
c0168172_17140480.jpg
c0168172_17153634.jpg
c0168172_17154424.jpg
c0168172_17155334.jpg
c0168172_17155931.jpg
c0168172_17161947.jpg
c0168172_17162544.jpg
c0168172_17163146.jpg
c0168172_17163804.jpg
c0168172_17164569.jpg
c0168172_17165225.jpg
c0168172_17165805.jpg
c0168172_17170401.jpg
c0168172_17171087.jpg
c0168172_17171724.jpg
c0168172_17172424.jpg
c0168172_17173155.jpg
c0168172_17173716.jpg
c0168172_17174350.jpg
c0168172_17175070.jpg
c0168172_17175713.jpg
c0168172_17180329.jpg
c0168172_17180912.jpg
c0168172_17181794.jpg
c0168172_17182439.jpg
c0168172_17183137.jpg
c0168172_17191745.jpg
c0168172_17192638.jpg
c0168172_17193397.jpg
c0168172_17194046.jpg
c0168172_17194708.jpg
c0168172_17200128.jpg
c0168172_17210547.jpg
c0168172_17211680.jpg
c0168172_17213828.jpg
c0168172_17215225.jpg
c0168172_17215977.jpg
c0168172_17220655.jpg
c0168172_17221384.jpg






by hologon158 | 2019-02-14 17:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

774.02 ホロゴン外傳253(2018年8月10日スーパーアンギュロン21㎜F3.4も奈良町に怒濤のごとく)2 冬ごもり



「桃源の路地の細さよ冬ごもり」

与謝蕪村の句です。
京の片隅にわびしく一人住まいした俳人は、
かなり寂しい思いをしたに違いありません。
なぜ、それが分かるか?
そうでもない限り、わざわざ、我が家は桃源郷なんだ、
と主張するでしょうか?
赤貧洗うがごとし、というほどではなかったでしょう。

でも、細い路地の奥にある侘び住まいであることは否定できませんね。
あまり金もない。

でも、彼には俳句があり、絵がありました。
そして、最高傑作「春風馬堤曲」に現れているように、
彼には夢とロマンも豊かにありました。
心という点にかけては、
蕪村は誰よりも豊かなひとだった、
そう言ってもよいでしょう。

でも、彼を知らぬ人は誰も、
彼を豊かな人とは認識していなかったに違いありません。
俳句だって、文人画だって、
そんなにポピュラーなものではなかったでしょう。
近隣の人たちも、蕪村が有名な俳人であり、画家であることは
漏れ聞いていたかも知れません。
でも、見た限りでは、貧相でうらぶれた老人が豊かであるなどと、
決して思えなかったでしょう。

蕪村自身だって、自分の人生が自分の目から見ても、
大成功だったなどとは考えられなかったでしょう。
まして、自分が後世自分が、
日本文学史屈指の文人、アーチストとして有名になり尊敬され、
何十冊と本に書かれることになるなんて、
夢にも想像できなかったでしょう。
自負心はあっても、現実がともなわない、
心の中にはアイデア、夢、構想が渦巻いているのに、
つい空回りしてしまって、もどかしい思いだったのでしょう。

そんな自負心と焦りがないまぜになって彼を後押しして、
こんな句をものしたのではないでしょうか?

あんたたち、知らんね。
誰も知らんだろうね。
こんなにちっぽけな家だけど、
ここに住んでいるのは、かくいう我が輩なんじゃぞ!
日本広しといえども、俳句と南画にかけては、
わしに並ぶものなぞいないんだぞ!
そんなわしがお住まいになるこの家は桃源郷でなくてなんなのだ?

もう一つ、とても有名な句があります。

うづみ火や我がかくれ家(ガ)も雪の中

雪に包まれながら、すばらしくあたたかな世界を見事に描いた
「夜色楼台図」は、
ちっちゃなうづみ火で己の誇り、自尊心を救おうとしていた蕪村の
陋屋から望見した民家の光景でしょうか?
たくさんの庶民たちがそれぞれに我が家に籠もって、
一家団欒もあれば、孤独もあるけど、
なんとか己が心と体をあたためようとしている世界でした。
これが彼の世界。

上記の句も絵もしっかり蕪村の心を表しています。
蕪村が孤独な寒居にいてもなお、
芸術によっておのれの心を温めることができ、
自分の周りで、自分と同じように暖をとろうとしている人々にも
思いを致すことができたのです。
でも、自分が歴史に残ることなど知る由もないのに、
己が矜恃を捨てることがなく、人への思いやりを忘れることもなかった。
だからこそ、与謝蕪村は偉大な芸術家として歴史に残ることとなる、
そう言ってもよいかも知れません。

と、そこまで考えて、ふっと思いつきました。
蕪村の境遇には、私にも共通するところがかなりあるな.........
もちろん、私は文人でも画家でもありません。
でも、家族、友人、一部の知人以外には誰一人知るものもなく、
奈良の郊外の片隅の陋屋にひっそり生きているのだから。
多くの人がそうでしょう。
もしかすると、あなただって?

人知らぬ身であることなど、苦痛でもなんでもありません。
人に知られるなど、ろくなことではありません。
有名人の多くが、有名となったばかりに、
どこに行っても、なにをしても、人の目を避けることができず、
羨望、妬み、憎しみ、怒りの的とされ、
苦しみ、悲しみ、焦り、寂しさ、絶望に心を引き裂かれ、
健康を損なわれ、短命に終わった方も多いでしょう。

我が家も細い路地づたいにたどり着く陋屋です。
金儲けとは生涯縁がなかった、
そして、生涯人を踏み台にしたことのない人ですから、
人からねたまれ、そねまれ、恨まれることもなく、
明朗快活に日々を送ることができます。
ちっちゃな木造建て売り住宅の中古に移り住むにあたり、
ちっちゃな工夫ですが、狭い書斎部分を建て増ししてもらい、
かつ窓という窓を二重サッシにしてもらいました。
引っ越しのたびに整理に整理を重ねて残った本たちが書斎を埋め、
揚琴、二胡、リコーダー、ときにはハーモニカと、
いろいろな楽器を好きなだけ鳴らし、ブログを楽しみ、
半月前から始めたストレッチポールによる脊椎体操をし、
その後、壁掛けのスクリーンに投影した韓流ドラマや映画を楽しみ、
一日の終わりには、半時間の半身浴によって身体をポカポカ温め、
布団に入る前にも一度ストレッチポールを楽しみ、
布団に入ると、瞬時に入眠し、深い眠りを楽しむことができます。
ついでに言いますと、
朝目をさますと、瞬時に覚醒し、
ただちに布団の横に敷いたヨガマットに移り、
またストレッチポールで脊椎体操し、
15分間、自分でプログラムを組んだ10を超える柔軟体操を楽しみ、
さあ、今日も元気に一日を楽しもう!
熱がない限り、この習慣は変わりません。
しかも、熱など記憶する限り上がったことがありません。

これもまた桃源郷也!
私はそう信じています。
そんな次第で、私もほんの少しは、ほんの少しですが、
与謝蕪村という人を理解できるんじゃないかな、
そう思っています。

私は自分がついに無名の市井人のままに終わることを知っています。
でも、自分が心から愛する素敵な家族を持ち、
心から敬愛できる友人たちと親しみ、
写真、4種の楽器演奏を楽しみ、
数知れない音楽、美術等の芸術で心を温め、
偉大なギリシャ、中国、日本の古典たちに親しみ、啓蒙され、と、
生き甲斐にできる趣味を文字通りどっさり持ち、
日々朝から晩まで休むことなくエンジョイし、
5時間半ぐっしり熟睡して、瞬時に覚醒して、再び生活を始める、
そんな毎日。
誰も私のことを知らなくても、いっこうに気になりません。
私が私の知るべき人たち、愛すべき人たちを知って、
(その中にはブログを介して知り合った友人もいるのですから、
ブログ万歳、ですね)
その人たちと交わることができれば、
それで十分。

蕪村は自分の芸術家としての器を知っていたから、
自己評価と現実とのギャップにときに苦しんだこともあるでしょう。
こちらは、自己評価と現実とはぴたり一致して、
他人評価など「おとといお出で」状態なので、
いまさら自己改革もへちまもあったものじゃない。
ひらすらご機嫌で生きているわけです。

ネットを見ますと、有名人がどんどん亡くなっているという感じ。
でも、私は、人知れず、徹底的に長生きしてやるぞ、
もちろん妻と一緒に!
そう心に決めています。




c0168172_19054620.jpg
c0168172_19055345.jpg
c0168172_19055918.jpg
c0168172_19060468.jpg
c0168172_19060946.jpg
c0168172_19061581.jpg
c0168172_19062060.jpg
c0168172_19062540.jpg
c0168172_19063134.jpg
c0168172_19063781.jpg
c0168172_19064249.jpg
c0168172_19064862.jpg
c0168172_19065424.jpg
c0168172_19070161.jpg
c0168172_19070675.jpg
c0168172_19071189.jpg
c0168172_19071636.jpg
c0168172_19072375.jpg
c0168172_19072879.jpg
c0168172_19073393.jpg
c0168172_19074079.jpg
c0168172_19074669.jpg
c0168172_19075536.jpg
c0168172_19080543.jpg
c0168172_19081194.jpg
c0168172_19081717.jpg
c0168172_19082564.jpg
c0168172_19083040.jpg
c0168172_19083661.jpg
c0168172_19084244.jpg
c0168172_19084859.jpg
c0168172_19085639.jpg
c0168172_19090154.jpg
c0168172_19090786.jpg
c0168172_19091588.jpg
c0168172_19093138.jpg
c0168172_19093827.jpg
c0168172_19094362.jpg
c0168172_19094941.jpg
c0168172_19100088.jpg
c0168172_19100667.jpg
c0168172_19101256.jpg
c0168172_19101832.jpg
c0168172_19102647.jpg
c0168172_19103350.jpg
c0168172_19105831.jpg
c0168172_19111711.jpg
c0168172_19112391.jpg
c0168172_19113191.jpg
c0168172_19115437.jpg
c0168172_19115971.jpg
c0168172_19120606.jpg
c0168172_19121362.jpg





by hologon158 | 2019-02-10 17:23 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

774.01 ホロゴン外傳253(2018年8月10日スーパーアンギュロン21㎜F3.4も奈良町に怒濤のごとく)1 夢にも思わぬ



メソポタミアでは、古代の粘土板が数多く発掘されて、
そこに刻まれた様々な文学が復活されています。
あんな互いに区別困難な楔形文字をよく読めるものですね。

その一つが「ウルの滅亡哀歌」です。
ウルはシュメールの古い都の一つ。
こんなものです、
([]内は私の印象です)

「エンリルはギビル(火と光の神)を助手として、
天の大暴風に呼びかけた。
天から雄叫びをあげる大暴風は、
大地で吼え立てて国を滅ぼす暴風は、
堤防を貫く裂け目のごとく制御しがたい悪い風は、
町の船々に襲いかかってひと飲みにしてしまう。
  [大津波を伴っていたのでは?]
彼はこれらをすべて天の土台に集合させた。 
  [北極から押し寄せたのでは?]
彼は暴風の目の前で火を放った。
荒々しい暴風とともに荒野の灼熱の熱さを放った。
雨をたっぷりと含んでいる雲のごとくに、
彼は火をたっぷりと降り注がせた。
  [もしかすると、彗星の落下も同時に起こったのでは?]
昼間の輝かしい光、良い光を彼はつかんだ。
国土には輝く太陽が昇らなくなり、
夕方の星のごとくぼんやりと輝くだけだった。
喜び、涼しさのある夜を南風が掴んだ。
そこで国土には輝く太陽は昇らなくなり、
夕方の星のごとくぼんやりと輝くだけだった。
喜びと涼しさのあるはずの夜を南風が掴んだのだ。
彼らの杯はほこりで覆われている。
黒頭たちの上を風が吹き抜けていった。

シュメールに罠がしかけられた。
国中で人々は防御壁を構築するが、
暴風はそれらをまとめて無にしてしまった。
どんな涙もその悪い風に願うことはできない。
あらゆるものの上を吹きすさぶ暴風は国土を打ち震わせた。
暴風は洪水のごとくに町々を破壊した。
国土を滅ぼし尽くす暴風は町に沈黙をすえつけた。
すべてを失わせてしまう暴風は禍をもたらしながらやってきた。
火のごとく焼き尽くす暴風は人々に空虚さを据え付けた。
エンリルが憎しみにまかせて命令を下した暴風は、
国土を切り刻む暴風は、
ウルの上に衣服のごとく覆い被さって、
リンネル(布)のごとくに広がった。
暴風はライオンのごとく勢いあふれて突進する。」

人間によるただの征服戦とは次元が違います。
天空そのものが襲いかかってきて、
その攻撃には津波、嵐、洪水、とさまざま天候激変が、
未曾有のスケールで一挙に襲いかかってきたことがわかります。
だから、これは神の怒りと分かったのです。
彗星の激突が巻き起こした地球の半ばを覆うような粉塵、
それに伴う天候異変が太陽の隠したのではないでしょうか?

人々の滅亡の惨状が描かれた後で、
返し歌が書かれています、

「ああ、暴風たちが国土を一緒になって打ちのめしてしまった。
天の暴風が、雄叫びあげる暴風が、
国土に何日もとどまったあの悪い暴風が、
町町を破壊し尽くす暴風が、
家家を破壊し尽くす暴風が、
牛小屋を破壊し尽くす暴風が、
羊小屋を破壊し尽くす暴風が、
聖なるしきたりを麻痺させるあれが、
重々しい策謀を転覆させてしまったあれが、
国土に良い物を断ってしまったあの暴風が、。。。」

この哀歌は、古代に起こったシュメールの諸都市の滅亡が、
神の手による未曾有の天変地変であったことを報告しているようです。

地質学によれば、紀元前1万1000年前から7千万年前にかけて、
三度、北極の氷河壁が一気に崩れ、未曾有の高さの津波となって、
すべてを破壊しつつ南下したことが判明しています。
その都度、海位は何十メートルも跳ね上がって、
沿岸の諸都市と住民を一気に滅亡させてしまい、
丘陵、山岳部等の内陸の住民だけが残されたのです。
当時の文化、文明の主要拠点は一気に絶滅させられたのでしょう。

現代でも、今や北極も南極も異常な温度上昇にさらされているようです。
南極では、巨大な亀裂が氷原を真っ二つに切り離しつつあるとのことです。

何億年か何十億年か前に火星に大異変が勃発し、
地球に似た水の惑星だった火星から、
大気と水を一気に奪ってしまったと言われています。
つまり、天文学的規模で見ると、
太陽系も惑星たちも地表の生物を絶滅寸前に追い込むほどの異変を、
太古の昔に幾度も体験し、その事情は今も変わらないのかも知れません。

日本はとくに立て続けに破滅の危機にさらされています。
一番最近の災害は福島原発事故による原発汚染。
完全な言論封殺のおかげで、日本国民は原発事故は過去のものとなり、
福島県は復興しつつあると思いこんでいる方がほとんどのようです。
あなたもそうかも知れませんね。
本当にそうでしょうか?

第三原発でしたか、原子炉の爆発によって、
燃料棒が行方不明(おそらく原発外の地面のどこかに沈殿?)。
原発2基の屋上の設置された燃料庫内の使用済み燃料棒は、
現在取り出しが不可能となっていますが、
その理由は正規の位置に垂直に立っておらず、散乱しているため。
とくに、第三原発は悲惨です。ごらんになったように、
原子爆弾の爆発を思わせるキノコ雲を立ち上げて爆発したのです。
原子炉の真上に置かれていた使用済み燃料庫も爆発炎上したか、
そうでなくても冷却機能など消失してしまっているはず。
となると、使用済み燃料棒たちはどうなっているのでしょうか?
絶えず水で冷却しなければならないのに?
つまり、福島原発による汚染は今なお進行中なのです。

原発事故後2年ほどでしたか、
ある大学の専門家が汚染地図を作製して更新し続けました。
更新のサイクルは忘れましたが、汚染状況は刻々と拡大し続け、
関東一円、東京でも次第に深刻化を増していました。
私は絶えずAccessして、やきもきしていました。
そして、ある日、汚染地図はネットから消えました。
消えた理由は明らかですね。
かくして、日本は天下泰平の日々に戻りました。

でも、本当に泰平なんでしょうか?チェルノブイリでは、
広大な地域が無人化されました。
その地域に人々は戻ったでしょうか?
なぜ、福島原発は自然に問題解決されてしまったのでしょうか?
チェルノブイリほどの無人地帯がもうけられず、
福島県は復興したと言わんばかりですが、
本当に安全なのでしょうか?
放射能測定は高いビルの上にポールで高くした計器でされていると、
聴きました。
これじゃ、汚染など全然起こっていませんね。
原発行政を続け、東電等の原発会社を保護するためです。
政府、東電に為すすべはなく、現実になにもできていないのに、
国民は、頼りのないのは無事な証拠、とばかり、
日本繁栄、無事息災を決め込んでいる、というのが現状です。
現実には、汚染地域は、人間的時間で考える限り、
永遠に居住不能となったのに.....?

世界各国も、誰かがのたまわった「完全にコントロールされている!」
という妄言を信じたわけではありません。
密かにオリンピック開催地の汚染状況も調査していることでしょう。
でも、今更、選手派遣を中止するわけにはいきません。
原発汚染を理由に明示すれば、日本政府との摩擦は免れない。
他の中止理由など存在しない。
だとすると、短期間の選手派遣はさほどのダメージを残さないと、
これまた根拠なしに判断して、オリンピック派遣に踏み切っている、
そんなところでしょう。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ポリシーです。
ただし、選手たちの危険負担の下に!

そんなところへ、南海トリュフ、硫黄島、阿蘇山、富士山等の火山大噴火、
各地の地震等の危機のどれかが起これば、
まさにエンリルの禍の再現となることでしょう。
火山灰は、全交通機関、原発等の発電所の機能停止、
水源地の汚染と水道への水の供給の停止を不可避的に発生させ、
生存の危機に陥った全国民への救援も当分の間、おそらく何週間か、
完全不能となってしまうのですから、
国民の90パーセントは死滅の危機に曝されるでしょう。

私の場合、まだ生まれたばかりの孫たちが居ますから、
せめてその子たちが寿命を全うするまでは起こらないでほしい、
そう祈るばかりです。

阪神大震災が起こってから、世界中が騒々しくなり、
にわかに地球規模での災厄の危険性が明らかになってきました。
若い頃、そんな未来が待っているなんて、
夢にも思わなかったのにねえ.........
民主主義社会が完全に消えて、独裁国家になるなんて可能性も、
夢にも思わなかったのにねえ.........?

でも、古代には少なくとも一度起こったらしいのです。
同じことがまた起こらなければ良いのですが.........



c0168172_12323508.jpg
c0168172_12324398.jpg
c0168172_12324913.jpg
c0168172_12325562.jpg
c0168172_12330271.jpg
c0168172_12330833.jpg
c0168172_12331618.jpg
c0168172_12332254.jpg
c0168172_12332803.jpg
c0168172_12333338.jpg
c0168172_12334057.jpg
c0168172_12334618.jpg
c0168172_12335229.jpg
c0168172_12335751.jpg
c0168172_12340275.jpg
c0168172_12340898.jpg
c0168172_12341444.jpg
c0168172_12342155.jpg
c0168172_12342723.jpg
c0168172_12343322.jpg
c0168172_12343877.jpg
c0168172_12344567.jpg
c0168172_12345250.jpg
c0168172_12345853.jpg
c0168172_12350489.jpg
c0168172_12350991.jpg
c0168172_12351546.jpg
c0168172_12352106.jpg
c0168172_12352600.jpg
c0168172_12353235.jpg
c0168172_12353733.jpg
c0168172_12354354.jpg
c0168172_12354953.jpg
c0168172_12355504.jpg
c0168172_12360520.jpg
c0168172_12361237.jpg
c0168172_12361745.jpg
c0168172_12362456.jpg
c0168172_12363006.jpg
c0168172_12363699.jpg
c0168172_12364377.jpg
c0168172_12365013.jpg
c0168172_12365619.jpg
c0168172_12370537.jpg
c0168172_12371287.jpg
c0168172_12371840.jpg
c0168172_12372462.jpg
c0168172_12373025.jpg
c0168172_12373705.jpg
c0168172_12374381.jpg
c0168172_12375034.jpg
c0168172_12375682.jpg
c0168172_12380215.jpg
c0168172_12380983.jpg
c0168172_12381522.jpg
c0168172_12382159.jpg
c0168172_12382728.jpg
c0168172_12383373.jpg
c0168172_12383984.jpg
c0168172_12384537.jpg
c0168172_12385148.jpg
c0168172_12385703.jpg
c0168172_12390336.jpg
c0168172_12391050.jpg
c0168172_12391813.jpg
c0168172_12392526.jpg
c0168172_12393135.jpg
c0168172_12393719.jpg
c0168172_12394438.jpg
c0168172_12395063.jpg
c0168172_12395717.jpg
c0168172_12400472.jpg
c0168172_12401037.jpg
c0168172_12401607.jpg
c0168172_12402324.jpg
c0168172_12402943.jpg
c0168172_12403872.jpg
c0168172_12404510.jpg
c0168172_12405120.jpg
c0168172_12405772.jpg
c0168172_12410378.jpg





by hologon158 | 2019-02-07 12:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

774.00 ホロゴン外傳252(2018年8月2キネタール50㎜F1.8が奈良町を堂々闊歩) おおどかに



私が7年ほど前に最後にチェックしたとき、
せいぜい平均数十人のアクセス数でしたが、
今や数人を除き、ほとんどの方が我がブログから撤退されたでしょう。
2019年に入って、私のブログはほぼ完全に日記となるましたが、
なんだか重荷を肩から下ろしたような、
軽やかな気分は気持ちいいものです。

退職後、すっかり金銭的余裕がなくなってしまい、
海外旅行はおろか、国内旅行もこの数年おさらばして、
もっぱら、奈良、大阪を中心としてロボグラフィ遍歴の日々。
そんな田舎ブログにおいでになる方はないので、
安心して、ローカル色豊かな店々のプレゼンテーション、
つまり、有り体に言えば、田舎くさい店飾りを、
飽きもせず幾度も幾度も撮りまくって、ブログに投稿。
それも、一記事の掲載写真量が段々と増えて行って、
今回など100枚。
仮にどんな方が来ても、この枚数では辟易して、
早々に撤退なさって、もう二度とおいでにならないでしょう。

クックの映画用レンズ、キネタール50㎜F1.8は、
戦前から戦後にかけてハリウッド映画界に名声を誇った、
スピードパンクロの後継機種と思われます。
私は37.5mF2レンズでキネタールに親しみ、
スピードパンクロ50㎜F2がついに我がものになる可能性がなくなったとき、
クックレンズの主戦投手の地位につくかと思われたのですが、
スピードパンクロ35㎜F2がどの地位を軽く奪ってしまいました。
こちらの方が玄妙なる描写で私の心を奪ったからです。
今でも、スピードパンクロ35㎜F2は、私の心の中では、
パンタッカー50㎜F2.3に次ぐ、第三のレンズ。
もちろんホロゴンが永遠の主役。

でも、今回、久しぶりにキネタール50㎜F1.8を使ってみて、
このレンズもやっぱり魔物らしい!
キネタール50㎜F1.8が私のレンズ中に第四位にのし上がることは無理。
ゾンネタール50㎜F1.1も居るし、マクロスイター50㎜F1.8も居ますから。
でも、これからは時々使ってあげることにしましょう。
硬く鋭いレンズ、そう思っていましたが、なかなかどうして、
玄妙幽玄の味わいも醸し出してくれることが分かったからです。




c0168172_18234619.jpg
c0168172_18235268.jpg
c0168172_18251978.jpg
c0168172_18252477.jpg
c0168172_18253088.jpg
c0168172_18253508.jpg
c0168172_18254008.jpg
c0168172_18254507.jpg
c0168172_18255516.jpg
c0168172_18260045.jpg
c0168172_18272017.jpg
c0168172_18272760.jpg
c0168172_18273300.jpg
c0168172_18273971.jpg
c0168172_18274463.jpg
c0168172_18275072.jpg
c0168172_18275605.jpg
c0168172_18280166.jpg
c0168172_18280766.jpg
c0168172_18281207.jpg
c0168172_18281969.jpg
c0168172_18282562.jpg
c0168172_18283104.jpg
c0168172_18283773.jpg
c0168172_18284250.jpg
c0168172_18284810.jpg
c0168172_18285685.jpg
c0168172_18290212.jpg
c0168172_18291433.jpg
c0168172_18292119.jpg
c0168172_18292759.jpg
c0168172_18293381.jpg
c0168172_18293977.jpg
c0168172_18294410.jpg
c0168172_18295077.jpg
c0168172_18295657.jpg
c0168172_18300287.jpg
c0168172_18300807.jpg
c0168172_18301540.jpg
c0168172_18302193.jpg
c0168172_18302754.jpg
c0168172_18303418.jpg
c0168172_18304687.jpg
c0168172_18305293.jpg
c0168172_18305874.jpg
c0168172_18310581.jpg
c0168172_18311138.jpg
c0168172_18311701.jpg
c0168172_18312304.jpg





by hologon158 | 2019-02-03 18:36 | ホロゴン外傳 | Comments(2)