わが友ホロゴン・わが夢タンバール

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787.01 ホロゴン外傳262(2018年4月18日奈良町に満を持してスーパーアンギュロン21mmf4)



この頃、素敵な言葉がよく見つかります。

「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」

室町の茶人、村田珠光の言葉だそうです。
同種の馬群の中を駈けていると、
観る人が観れば分かるのでしょうけど、
観る目のない人には、
どれが名馬でどれが駄馬か、分からないものです。
でも、藁屋にただ一頭繋がれている姿を見れば、
誰の目にも名馬のただならぬ輝きには目を見張るでしょう。

アートはすべてコントラストが鍵です。
というより、この世界のすべてはコントラストが鍵です。
ホワイトヘッドはいみじくも喝破しました、
存在が創造的に変化していく鍵はコントラストにある。
どんな存在も安定、静止は堕落に通じます。
生きるためには変化し、向上するしかないのです。

トインビーは文明の誕生、発展の鍵は「挑戦と応戦」にあるとしました。
彼の名句は「オールを休めると、文明は滅亡する」
人間もそうですね。
オールを休めると、失速し、老化し、死に至ります。
無敵の勝者がある日無残にも一敗地にまみれる運命に見舞われます。
無敵であった手法をどんな状況にも頼りきってしまうためです。
死ぬまで失速したり老いたりしたくなければ、
ひたすらオールをこぎ続けること、
どんどんと革新していくこと、
これしかないのです。

あなた、テレビづけになっていませんか?
新しい情報を手に入れたい?
だったら、パソコンで十分、そうお考えではありませか?
でも、テレビ、パソコンから日々得る新しい情報が、
あなたにどれだけ役に立ちますか?
泡と消えて行くだけではありませんか?
一昨日のニュースがなんだったか覚えていますか?
生きることはニュースを追い求めることではありません。
自分自身の成長に役立つなにかを手に入れ、
変化し続けること、成長し続けること、ではありませんか?

ホワイトヘッドの最重要のコンセプトは、
「新しさnovelty」。
旧套墨守は退歩の引き金でしかない、
新しさこそが躍進の引き金、というわけです。
でも、新しさは従来の生活、従来の見方の延長上には見つかりません。
まったく新しい場に自分をどんどん自分を置いていかない限り、
新しさに直面することはできません。

こんな風に考えると、はたと気づきます。
私のように、どこにも行かないで、
いつも同じ場所で写真を撮っている人間に、
新しさはどこにあるでしょう。
どこにもないかも知れません。
でも、私のモチベーションは落ちません。
新しさは外になくてもよい、
内に新しさを感じることだって、できるはず、
私はそう考えたいのです。

負け惜しみでしょうか?
負け惜しみなのでしょう。
でも、私は開き直っています。
私のロボグラフィに新しさなどありません。
私にとっては、写真としての新しさなど無関係。
私は写真家ではないのです。
自分の人生に写真を活かしたいだけ。
私にとっては、今日、このロボグラフィに出会ったこと、
それが新しい体験。

村田珠光の言葉、「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
こんな私に、どんな意味を持つでしょうか?
私にとっては、ロボグラフィこそ、それなんだ、
そう言いたい。

私は「人生、意気に感ず」という言葉が大好きです。
余談ですが、
中国人が古来一番大事にしてきた価値はなんだと思いますか?
私は「義」だと思います。
「義を見てせざるは勇なきなり」
これも名言ですね。
司馬遷の史記が今なお私たちの心をときめかせ続けるのは、
中国人が文字通りこの言葉を生きてきたからです。
一度約束したら、生涯守り続ける、
状況の変化なんていう現実主義はとらない、これが古代中国人でした。
司馬遷の「刺客列傳」はまさに義を守り、義に死んだ人々の記録。
諸葛孔明なんて、自分を見いだしてくれた劉備との約束を守り続けて、
一生義を守り、義に死んだ人間ですが、
そのような人が文字通り山ほど居るのが中国史の面白さです。

私もそんな人間でありたいと願ってきました。
その一つの実行が、「始めたことはやめない」です。
妻と一生生き続ける、というのが、私にとって最も大切な義なのですが、
このいわば大義に続いて守ってきたのが、
実のところ、写真を愛し続けることでした。
(音楽への愛情は実のところ妻よりも古いのですが、
これは妻も同様なので、お互い、許し合っているわけです)

職業生活の日々は長く厳しい時代でしたが、
それを一度もくじけずに、心身を壊さず生き延びることができたのは、
どんなに忙しくても、どんなに仕事が待っていても、
毎週末には撮影に出て、写真を撮り続けたことでした。

風景写真家はどうやら季節に左右されるようです。
季節ごとに被写体となる風景を追い求めるのですが、
たとえば、冬枯れともなると、長い休眠に入ることとなります。
目的地の往還はひたすら移動だけ。
ロボグラフィは違います。
一歩家を出た瞬間から撮影は始まります。
そして、家に入る瞬間まで撮影が続きます。
観ることは、ロボグラフィと出会うこと、
そして、ロボグラフィはどこにでも隠れているのですから。
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」
なんでもない道ばたにはそんな名馬が待っているのです。

私にとって、「名馬」とは、私をはっとさせる存在。
やあやあ、そんなところで、頑張ってるじゃないか!
そう感じさせてくれるものたち、それがロボグラフィ。
私の写真は全部そんなロボグラフィ。

そして、私も社会の中で、
道ばたのロボグラフィとまったく同じ存在です。
誰も私のことなど気にとめない。
誰も私のことを忘れている。
でも、私の心は生き生きと躍動しています。
私は、体格も普通で、容貌、容姿はさえず、
風采の全然上がらない人間ですが、
でも、自分で言うのもなんですが、目だけは生き生きしています。
どの瞬間、どの場所でロボグラフィたちに出会えるか、
完全に予測不能の人生なので、油断できず、心をわくわくさせて、
周囲を観察しつつ歩き回っているのですから、
私にとっては、「途中」というものがありません。
いつも絶頂体験の可能性を秘めた瞬間が待っている!

こんな風に感じられるようになったのも、
私が写真で体験を記録するという態勢を創り出したからです。
どんな人も自分の好きなこととなると、
目が輝き、動作がキビキビとしはじめます。
私にとって、全瞬間がそれなのですから、
ずっと私の心は生き生きとし続けている。
自分で意識的に生み出した生き方ではありません。
私の人生にいつしか染みついた生き方です。
だから、私にとっては本物。

ホロゴンをソニーα7に付けて、
奈良町を歩きました。
他のどんなレンズとも異なる描写をプレゼントしてくれます。
完璧に近い補正が施された現代レンズの愛用者には、
容認しがたい癖の画像でしょう。
私のブログ写真など、ほとんどのアマチュアカメラマンの目には、
容認しがたいほど稚拙な失敗画像と映っていることは、
私も承知しています。
それでよいのです。
おかげで、私はひっそりと自分のブログ日記を楽しめます。
今回のスーパーアンギュロン21㎜F4によるロボグラフィたちも、
私にとっては、胸おどる瞬間の記録。




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by hologon158 | 2019-04-30 22:36 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

786.03 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)3 かなりうれしい


4月6日土曜日、新大阪のココプラザで考えたこと。

ココプラザにはもう3年通って来ていますが、
これまでに経験したことがないほど、人に溢れていました。
私を含めて、ほとんど80パーセントは、
どうやら第二の人生を生きる高齢者。
でも、一つ共通していることがあります。
目が生き生きしている!
自分のやりたいことを見つけて、一生懸命に打ち込む、
それが楽しくてたまらない!!
そんな人たちだからです。

私がここに来る目的は、二胡の学習です。
ですが、本人には酷な発言ですが、
見込みはありません。
二胡という楽器、スペシャルです。
あまりにも難しく、あまりにも学ぶことが多すぎます。

大抵の二胡学習者は楽しんでいることでしょう。
そこそこにそれらしく弾くのであれば、それで良いのです。
でも、私の師匠の劉継虹先生は別格中の別格なのです。
中国本土でも比肩する演奏家がほとんど居ないだけでなく、
二胡の伝統的な奏法の面では、あまりにも深遠な二胡教育家。
そんな演奏家だからこそですが、
日曜教室のレベルとはあまりにもかけ離れた、
極めて正統かつ本格的な教育をされるのです。

楊琴はピアノに、二胡はヴァイオリンに似ています。
楊琴は、なんとか弦をスティックでたたけば、曲がりなりも音が出ます。
二胡は、弓で弦をこすっても、本来の音は出ません。

楊琴は音を正しく出す方法を会得する必要があるのに対して、
二胡はそもそも本来の音を作る方法を会得する必要があります。

楊琴は努力次第でなんとかなる部分があります。
二胡は、方法、考え方が間違っていたら、どんなに努力しても、
曲がりなりにも弾けるようにはなりません。

私は性格的に楊琴に向いていますね。
1回でだめなら、百回でも繰り返す、そんなやり方。
二胡は、やり方が間違ったら、どんなに努力を重ねても無駄。
やれやれ。

実は、このレッスん後数日して、
はじめて曲がりなりにも二胡らしい音が出るようになりました。
すると、不思議なことに、他の楽器まで一斉に段を上がるようです。
3月頃から、突然、楊琴が本来の音らしい音が出て、
本来のトレモロらしいトレモロが出るようになりました。
2年ほど前に木管楽器の稀代の制作者杉原さんに作っていただいた、
往年の名制作者デンナーのアルトリコーダーの復刻も、
長い間、音が思うように出なかったのですが、
先月末、ようやく朗朗としてカラッとしたサウンドが出るようになりました。
それぞれに全く異なる性格、全く異なるジャンルの楽器なのですが、
どうも私という人間がなにか関門のようなものを突破かすり抜けてかして、
それぞれの楽器らしい音を鳴らせるようになったようなのです。

なぜほとんど同時に一つの段階を上がることができたのか?
理由は分かりませんが、ポタリポタリと少しずつコップに水を入れて行って、
突然満杯になって、水がさっとコップの外面を流れ落ちた、
そんな現象なのかも知れません。

どなたも人生で幾度も同様の体験をなさっているでしょう。
私は何事もそのようなレベルに達するのが遅い人間なので、
今回のように、一斉にレベルアップするということが遅咲きに起こったのでしょう。

一番最初に起こってほしい写真撮影では、
いつまでも初歩的なレベルに止まっているのが悔しいですね。
でも、それはこういうことかも知れません。
写真というものは、曲がりなりにもアート的な側面を持っているものです。
才能がない限り、努力だけでカバーできるレベルを突破することはできません。
私がやっている楽器で、私が達したレベルは、どれもこれも、初歩の初歩、
完全初心者から基本レベルへのアップ程度の出来事だった!
でも、かなりうれしいですね。





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by hologon158 | 2019-04-26 23:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)

786.02 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)2 先行文字文明


私は考古学が大好き。
とくに古代遺跡の発掘を巡って、近頃は動きが激しくなっています。
とくにトルコのギョベクリ・テペの発掘により、
古代史学界の常識は完全に粉みじんになってしまいました。
ドイツの考古学者シュミット教授の発掘調査によって、
どうやら1万1500年前の遺跡だと判明したのです。

当時はまだ狩猟経済の時代で、社会も文化もまったく未熟だった、
文明はシュメール、アッカド、エジプトで始まった、
長い間、そう信じられてきました。
でも、ボスニアのピラミッドもトルコのギョベクリ・テペも、
定着社会の成熟を前提としてしか成立しなかったことは明らかです。
明らかにそこには文明があったのです。

でも、確かにシュメール、アッカド、エジプトの文明は、
突然、出現したとしか思えないほど、
これら諸文明に先行する文明への成熟プロセスが見つかっていません。
たとえば、メソポタミアの楔形文字も、エジプトのヒエログリフも、
完成形だけがいきなり出土して、
文字の発展を示す先行遺物がまったく見つかっていません。

それなのに、その数千年以上前の文明が、
世界中でどうやら次々と発見されつつあるようです。
ピラミッドと来たら、さまざまな形はありますが、
世界中に数え切れないほど見つかりつつあります。
南極にもギザの三大ピラミッドにそっくりのピラミッド群が見つかっています。
しかも、遙かに巨大。

こんなとき、地質学者がこんなものは自然にできたものだよ、
とこともなげに言ってのけます。
でも、このような発言は、
自然にできたピラミッドを例証して行ってほしいものです。
そんなことをしてくれた学者はいませんが。

与那国島の海底遺跡もそうです。
どう見ても人工物!
地質学者のうちには、そんなものは海流の流れによってできるから、
ただの自然物と、軽く一蹴する学者がいます。
じゃ、そんな遺跡まがいの自然形成物を見せてほしいものです。
柱状節理の地形とはまるで違います。
とくに、与那国島の場合、海底に没したのは最近なのです。
日本列島はもと朝鮮半島、山東半島と地続きでした。
だから、与那国島も海上にあったのです。
ところが、1万2000年前から7千年前あたりまでの間に、
氷河期末期の北極氷河壁の崩壊、巨大隕石等の原因によって、
水没してしまったのです。
じゃ、その後の海流現象だと言うことになりますが、
その程度の時間の経過の中で、
与那国島の海底遺跡のような形状の直角壁が幾段も形成されるでしょうか?
とんでもありませんね。
何十万年もかかるのではありませんか?

有名な遺跡の中にも、未知の超古代文明の所産と考えられるのがあります。
たとえば、ギザのスフィンクスと大ピラミッド。
すでに、大ピラミッドの石ブロックは、
ダイヤモンドの旋盤カッター痕が発見されています。
しかも、その痕跡から推測されるそのカッターたるや、
現代の同種カッターよりも高速だったことが痕跡で分かるというのです。
私もその痕跡を見ました。
回転する同心円形の擦過痕が付いていました。
石のブロックをまっすぐ貫通している完全円形の穴も見つかります。
これも回転ドリルでないとできません。
古代エジプト文明にはそのような機械文明はありませんでした。
ことは単純です。
そんな機械文明が大ピラミッドを作った、
だから、古代エジプト文明の所産ではない、
そう結論するほかはないのです。

大スフィンクスについては、地質学者のロバート・ショック博士がすでに、
サハラ砂漠が形成される前の、まだ雨が降っていた時代、
すなわち、遅くとも7000年前、
おそらく1万5000年前に作られたものと推定しています。

もちろんエジプト学者たちはこれらの新説を一切無視しています。
そんなことを認めたら、エジプト史は完全に白紙化されてしまうからです。
学問すべてが、新たな知見によって、
過去の常識は転覆されてしまう運命にあります。
古代史学者ほど哀れな存在はありませんね。
大抵の学問はそれでもなにかまだ立場を救う地盤の一部が残されるものです。
でも、古代史学の場合は、大抵の場合、
とても脆弱な基盤に基づく推論が根拠となっているために、
その基盤が崩れると、推論そのものが雲散霧消してしまいます。

たとえば、大ピラミッドの場合、
当時の建設技術では絶対に実現できないほどの完璧な精度で建てられています。
現代技術をもってしても無理なほどなのです。
日本の建築会社が5分の1ピラミッドに挑戦して、見事失敗したそうです。
どうやら曲がりなりにも建てることさえできなかったそうです。

私は建築の素人ですが、現代技術でも絶対に無理と思う工作を、
一つ思いつきます。
大ピラミッドには、王の間等の内部空間から、
3本の穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊群を設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
これこそありえませんね。
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を、
ピラミッド内に見つけ、かつ精確に穴を開けたのでしょうか?
岩石の山ですよ、そんなこと、できると思います?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載しています。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、
四隅に立って、2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
と、こともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、一辺200mを超えるピラミッドの初段、二段目に、
ずらりと石が積み上げられたとき、その外辺が本当にまっすぐかどうか、
目で見たら分かると思いますか?

反対側の端に助手が中心に黒丸が打たれた円形ボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、黒丸が出た瞬間に、検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?

象形文字や楔形文字についても、同じことが言えますね。
どんな古代文字も、太古の原初の絵文字から出発して、
少しずつ少しずつ、字の形、書き方、意味が変遷していきますね。
一番よく分かるのが、中国です。
少しずつ少しずつ発展して来た有様、プロセスが、
発掘によって明らかになりつつあります。

日本の場合も、古代文字がどんどん見つかりつつあるようです。
でも、中国から文字文化が到来することによって、
古代文字とその文化そのものがかなり抹殺されてしまったようです。
つまり、突然字が出現する文化では、文字は外来の資産なのです。
エジプト、メソポタミアでも同様な状況に思われれます。
突然、ヒエログリフ、楔形文字が完全体で出土します。
プロトタイプや原始的な先行文字はほとんど見つからないようです。
やっぱりどこからもたらされた外来の資産なのでしょう。
ということは、そのような文字文化を発展させた文化があったはず、
ということになります。
それは何を意味するか?
さしあたって明々白々たる推論が可能です。
シュメール、アッカド、エジプトは最初の文明ではなく、
少なくとも、先行する文字文明があったはず!

すぐ近くに形成されたギョベクリ・テペ遺跡は、
先行文字文明にあたるのでしょうか?
どうやら、遺跡には文字は見つかっていないようです。
だとすると、ギョベクリ・テペを建設した人々は、
先行文字文明ではないのか、
それとも、その後に文字を発明したのか、
そのどちらなのでしょうね?
とはいえ、世界中どこにもまだヒエログリフ、楔形文字に先行する、
文字文明は見つかっていないようです。
それがもしかすると、アトランティスかも知れませんね。





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by hologon158 | 2019-04-24 22:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

786.01 ホロゴンデイ215(2018年11月10日信貴山の伽藍で我がホロゴンが千枚行にトライ)1 大ピラミッド



私は建築の素人ですが、
現代技術でも絶対に無理と思う工作を一つ思いつきます。
大ピラミッドには、内部は極めて複雑に作られているのですが、
それでも不足、と言わんばかりに、
3本の細い穴が空に向けて開けられているのです。
グラハム・ハンコックは、
この穴が特定の時期に特定の星に向けて開けられていると主張しています。

そこで、質問。
どうやってこの穴を開けたのでしょう?
この穴はピラミッドの構造である岩石群を何十mも貫通しているのです。
建設前に石たちに穴を開けておいて、しかるべき位置にその石を据えて、
ぴたりと星空を見るのぞき穴となるようにした?
そんな完璧な精度で貫通穴のある石塊を製作して設置するなんて、
現代でも絶対に不可能ですね。

もう一つは、ピラミッドを作ってから、穴を貫通させた!
そもそも特定の時期に特定の星がのぞける正確な方向を
どうやってピラミッド内で確認する方法、
そして、その方向に向けて小さな穴を開ける方法なんて、
あるでしょうか?
現代でもないのではありませんか?

そもそもピラミッド学者たちが今まで研究して、
そんなことに気づかないこと自体、不思議です。
どんな学問研究でもそうですが、常に学際的な研究方法が必要です。
そこで、研究者は自分の畢生の研究を万全ならしめるために、
必要な学問を専門的に修得するために必死の努力をし、
さもなければ、必要な学問の専門家をリクルートして、共同研究します。
でも、旧式な考古学者たちはあまりそれをしないで、
自分の頭で、未知の分野を憶測することで済ましているのでしょうか?
怠慢、というほかはないのでは?

ピラミッドの最底辺は約230m、わずか数㎝しか誤差がないそうですね。
ヨーロッパの学者だったと思いますが、
啓蒙書でピラミッドの建て方を記載していました。
工事が一段一段と上がって行くにつれて、四隅に立って、
2方の稜線を見渡すと、まっすぐかどうかが分かります、
とこともなげに書いています。
本当に、分かりますか?
たとえば、ピラミッドの約230mに底辺の石が積み上げられたとき、
その一辺が本当にまっすぐかどうか、見たら分かると思いますか?
まっすぐじゃないと分かったとして、どうやって修正するのですか?
アホなことは言わないでくださいね。

ちょっとその方法を考えてみましょう。
肉眼だけでは絶対に無理ですね。
反対側の端に助手が中心に黒丸が書かれたボードを手にもって、
石積みからそろそろと差し出したのでしょうか?
そして、まっすぐ黒丸が出た瞬間に、
検査官はさっと合図したのでしょうか?
200m先に肉眼で見える黒丸って、どんな大きさでしょうね?
ご自分で目測200m先の建物の角を遙かに望見して、
どの程度の大きさの黒丸がそこに差し出されたら識別できるか、
ちょっと実験なさったら、分かります。
30センチの黒丸でも分からないでしょう!
大ピラミッドの底辺の四辺はたしか2、3㎝の誤差しかないはず。
上記の方法では、そんな精度は無理ですね。
僅かに僅かにカーブしていたら、どうするのですか?

しかも、それが分かったから、どうだというのですか?
すでに巨石たちをびっしりと隙間なく並べ終わったのですよ。
修正なんかしようがないではありませんか?
まっすぐに見えるようになるまで、表面を削ってゆくのでしょうか?

測定によると、ピラミッドの頂点から垂線を下ろすと、
底辺の中心部から3㎝ほどしか外れていないそうです。
現代建築の精度をはるかに凌駕しているそうです。
どうすれば、そんな精度を実現できるのでしょうか?
上記のいつくかの例を検討しただけで分かります。
少なくとも、通説の建設時期の工業技術では、
大ピラミッドの建設は絶対に不可能だった!
現代の技術でも無理かも知れないのですから。

とすると、一体大ピラミッドはいつ、誰が建設したのでしょう?
古代史は、現代の史学者たちの憶測完全にかけ離れた展開であった、
そう推測するのが正しいようです。




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by hologon158 | 2019-04-19 22:51 | ホロゴンデイ | Comments(0)

785.02 ホロゴンデイ214(2018年11月5日大和西大寺をホロゴン斜視線が走り)2 捨てられた物



アンディ・ウォーホールの面白い言葉に出会いました。

  「捨てられた物や
  役に立たないと思われている物には
  おもしろくなる可能性が
  十分にあるんじゃないかって、
  いつも思っていた。
  リサイクルみたいなものだね。
  不要品にはユーモアが詰まっていると
  常に感じていたんだ。」

これ、まさに私が写真を始めて45年、
最初からずっと感じてきたことでした。
ロボグラフィは、どんなものにも、どんな人にも、
それ以外の何者かに変化してしまう瞬間の記録なのです。
最初から、私はそんな瞬間に見せられてきたのです。
だから、私は最初からロボグラフィだった!
撮り方も被写体も最初からずっと同じでした。
つまり、私は写真に関しては、45年間ずっと不変だったわけです。

よくよく思い出しますと、幼児の頃から、
道ばたに出会う物たちもみんな生きていると感じてきました。
生まれつきだ、そう思っています。
4歳の頃の孫プリンスが私とそっくり同じだと気づいたからです。
二人で歩いていて、ふっと孫が言ったのです、
「あそこにライオンがいるよ」

私の写真がまったく人の関心をよばない理由も分かっています。
私が見ているような見方をする方が大変に少ないからです。
当たり前です。
この世、いわば真っ当な見方ができる人たちが作っているからです。
私のような人間がたくさんいたら、こうはならない。
私のように万物に変化(ヘンゲ)を見る人は確かに居ますが、
みんな違う見方をします。
ですから、互いに相手の観たものを共感するわけではありません。
だから、そんな人でも、私の写真を見ると、
「なんだ、これ?
ただのゴミ箱じゃないか」

マルセル・デュシャンの「便器」が一斉を風靡しました。
ものの見方に決まりはない、自由なんだ、
そう教えてくれたから、と言われています。
でも、私は好きではありません。
今まで多くの芸術家たちがやってきたことです。
そんな当たり前をわざわざ汚く見せるのは好きではありません。
デュシャンがいくら仰々しく、
「教えてあげよう、
君たち、ものの見方は自由なんだよ」
なんて教えても、
「便器は便器、ただそれだけ」と答える人は、
デュシャン以前と以後も変わりはしていない。

いささか影響を与えられたのは、アーチストの方でしょう。
「そうか、なにをしても良いんだ!」
その結果、どうなったか?
アートはどんどんと消滅し、
グラフィックスばかりが氾濫する時代となってしまいました。
理由は簡単です。
アートを創造するためには、それなりの才能と技能が必要ですが、
グラフィックスはちょっと気の利いた頭の持ち主なら、
才能も経験も修行も技術もなく、創作できるからです。
これは才能の下克上。
おかげで、ガラクタの才能が幅を利かせて、
本物の才能を蹴散らしてしまう時代になってしまいました。

これが21世紀の潮流です。
政治家をご覧ください。
日本もアメリカも最低の人間が牛耳っている。
ただの道具に成り下がったからです。
世界を動かしているのは、今や、各国ではありません。
世界を股にかけるコングロマリットです。
これたちが地球の真の支配者。
人間?
今や人間は統計される数になってしまいました。
統計して管理するのは、世界を牛耳っているコングロマリット。
いつの間にか、天秤の重さは逆転してしまいました。
でも、ご心配無く。
あなたは、まだ「ものの数ではない」わけではありません。
一応、統計数値として数えてもらえるのですから。




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by hologon158 | 2019-04-17 23:06 | ホロゴンデイ | Comments(0)

785.01 ホロゴンデイ214(2018年11月5日大和西大寺をホロゴン斜視線が走り)1 アーシング


今、私はどこに居るでしょう?
神社を取り巻く林間道の中です。
聞こえてくるのは、風、葉ずれ、さまざまな小鳥たちのさえずり、
そして、遠くの車の音。

そんなところで、なにをしているのか?
膝の上にバッグを置き、
その上にニューポメラを開いて、この文章を書いています。
でも、本来の目的はそこにはありません。
ウォーキングシューズを脱いで、土道に裸足を付けています。
そう、アーシングをしているのです。

私がアーシングを始めたと聞いて、
私の親友のAKさんは笑いました、
『そんなのインチキです。」
でも、私は続けています。
なぜって、私は、老いを遅らせることができる工夫であれば、
なんでも試してみるつもりなのです。
そして、実際にやってみると、効果があると思えるからです。

仕組みは簡単です。
現代の人間にはあらゆるルートで静電気が流れ込んでいます。
人間は本来電気的存在です。
脳のニューロンは互いに離れています。
情報伝達は電気的に行われるのです。
その有様の再現イメージをYouTubeで見ることができます。
ニューロンとニューロンの間に火花が散っているのです。
つまり、そのような電導と化学物質の交換が情報伝達の方法なのです。
でも、体内に貯まる余分な静電気は
そうした体内での電気的活動を妨げる危険があるのです。

そこで、体内にたまった静電気を絶えずアースしようというのが、
アーシングの基本目的なのです。
方法は実に簡単。
私は、我が家の裏庭にアース棒を差し込んで、
アース線を二階書斎まで引いて、
アース専用のマットにこれをつないで、
書斎に居る間ずっとマットに裸足を載せて、
体内の静電気をアースしています。

マットから足を外すと、途端に静電気の数値は跳ね上がります。
だから、始終アースしておくよう努力することとなります。
たとえば、浴槽内にも銅板を落とし込み、
上記のアース棒につないでいます。
布団の足下にもマットを置いています。
こちらのマットはダイニングキッチンのオーブンレンジ用アース栓につないで、
昼間はキッチンでの調理、食器洗いの足下でアースしているわけです。
折悪しく、ではなく、折良くでしょう、食器洗い機が壊れました。
私に仕事を作ってくれたわけです。
私は実のところ食器洗いの名人です。
在職中もすべての洗い物は私の担当でした。
どんなに仕事が堆積していても、
私は仕事のことは妻に一切話さない主義ですので、いいわけできない。
そこで、圧倒的に高能率、超高速で仕上げるように練習を積みました。
退職すると毎日日曜日なので、
三度三度、乾いた食器を食器棚に片付け、食器を念入りに洗います。
昼、夜のどちかの食事の用意もします。
というわけで、その間ずっとマットの上で作業しますので、
まあ、四六時中アーシングをしていることになります。

一昨日、その歴然たる効果を体験しました。
その日夕方、近鉄駅前のバス発着場に行くため、
大きな交差点を渡ることにしました。
商店街を出たところで、
前方の青信号が終わりかけていることに気づきました。
前方に、タクシー乗り場のタクシー待機スペース、大きな交差点。

「猛然と」かどうかは主観的な表現ですが、
ほぼ70mほどだけなのですが、以前の私なら、諦めました。
でも、今はバス時刻が切迫して、次の信号を待つ時間的余裕がない。
でも、バスに乗りたい、
そこで猛然と駆け抜けました。
最初から最後まで脚がよく上がり、まったく疲れを感じないで、
同一速度で駆け抜けることができたのです。
しかも、呼吸もまったく上がらず、すっと並足に戻り、
呼吸の乱れは皆無でした。

実のところ、そんなに元気よく駈けることができるとは、
思っていませんでした。
3ヶ月ほど前から、朝のストレッチにスクワットを採り入れ、
20回から30回、30回から40回と少しずつ回数を上げているところです。
このスクワットの効果も加味されているのでしょう。

でも、体の軽さ、体をまったく意識しないで済む軽快感には、
かなりのものがあり、
近頃、味わったことがない、新しい感覚じゃないか、
だとすると、やっぱりアーシングの効果が現れ始めたのじゃないかと思われるのです。

昨日は自宅で過ごす日でしたが、
どうせ暇なのです。
必ず近所の神社の林間道を散歩して、ついでに裸足になって、
林間アーシングを楽しんで見ることにしたのです。
つまり、まず、裸足になってベンチに座りました。
そのために、最初から靴下ははかず、
ビニール包装のおしぼりを数本バッグに忍ばせました。
おしぼりで足裏をきれいにして、靴を履くことにしたのです。
折から新調したばかりのポメラも快調。

えっ、足裏が冷たくないか、ですって?
それが不思議です。
全然冷たくないのです。
痛くないか、ですって?
ぜーんぜん。
なにしろご先祖様は何代か前まで
裸足で一生過ごしていたのですから。
私自身、小学生の頃、運動会はもちろん、
なにかと裸足で駆け回っていました。
田舎の子供だったのです。

半時間、ポメラを使っていたのすが、突然思い立ちました。
そうだ、裸足で散歩してみよう。
出発!
痛い!
この林間道、でこぼこで石ころだらけ、
そして、さまざまなとげだらけの実とかかけらとが、
そこかしこに待ち伏せをしているのです。
でも、我慢しました。
約150mほどの短いハーフコースです。
ここで最初から音を上げていたんじゃ、どうしようもありません。

日本におけるアーシングの唱道者の一人がエハン・デラヴィさん。
YouTubeでエハン塾と検索しますと、その模様が記録されています。
実に面白い。
時折いい加減な発言も見つかりますが、これは、「知らぬが仏」
それよりも私の好奇心を満たしてくれ、さまざまな未知の貴重な情報を教えてくれます。
詳しく知りたくなったら、自分で研究すればよいだけ。
私のぼけ防止法は、こうした知的好奇心を満たすYouTube番組、
そして、BBCのナショナルジオグラフィックなどの英語番組のYouTube版。



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by hologon158 | 2019-04-15 18:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

784.02 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)2 ヨボヨボに?



784.02 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)2 今日は何を?
引退生活に入ると、日々、一つの問いにさらされますね。

「生きているというために、
今日は何をしたらよいのだろうか?」

容易に答えられない問いですね。
さりとて、職業生活に明け暮れていた当時、
本当に生きていたんだろうか?
そう真剣に問いかけてみると、
なんだか仕事に明け暮れているだけで、
本当に生きるためには何をどうすべきか、
というこの問いを意識していなかったのでは、
という気もしてきます。

仕事を大いに楽しみましたが、
さりとて、それが「よく生きること」なのか?
そう真剣に考えてみますと、
どうもそこまで創造的なことでもなかった、という気がします。
結局、そんなことを悠長に考える暇もなく、
必死で毎日の生を生きていたのかも知れません。

そう考えると、引退後、
こうして生きる意味、目的を真剣に考えるようになったのは、
せめて遅ればせでも、遅くはない、今からでいいから、
自分の人生を意義ならしめようとする努力なのだろう、そう感じます。

よくこういう高齢者が居ます。
「あとは、死を待つだけですよ」
一種の韜晦趣味なのでしょう。
でも、こんな見せかけは実質になる危険があります。
そんな風に考えた途端、
「待つこと」以外に意味のある行動はあるのでしょうか?
待つためには、毎日、一体なにをすればよいのでしょう?

そんなことも含めて、なんにも考えていない人もいるでしょう。
そのように、人のダイナミックレンジは広大です。
一方の端には、
やること、やりたいことがあふれるほどあって、
日々、精一杯生きている人もいるようです。
他方の端には、
生きるために必要最小限のこと以外なにもしない、
なにも考えない、という人もいるでしょう。

先頃のイチローの引退劇は教訓的でした。
イチローは少なくとも50までは大リーグでプレイできる、
そう確信し、そのための努力を続けていました。
でも、大リーグの関係者、とくにマリナーズは、彼の意思には敬意を払いつつ、
でも、彼の時代は過ぎた、彼はチームを優勝に導くだけの力はなくなった、
そう正確に見抜いていたのでしょう。
でも、大リーグ史上屈指の至宝の意思は尊重して、
彼のために扉を開け続けていたのでしょう。

でも、彼は去年一年間フィールドでプレイをしませんでした。
おそらく大リーグでのプレイは0.0O1秒ほどのズレが致命的になる、
それほどの刹那が交錯する世界のようです。
その感覚は実戦でしか磨かれず、保たれないものでしょう。
彼は一年間実戦から遠ざかることで、
彼が何十年も培い、保ち、磨き続けた刹那の感覚は次第に薄れてゆき、
一度薄れてしまいと、年齢による体力の微妙な衰えも手伝って、
二度と戻らないこととなってしまったのではないでしょうか?

イチローの体験から、ローマ帝国の軍団兵の平時での調練が、
すべて二倍の重さの装備を使って行なわれた理由が明らかになります。
実戦では何十分の一秒かの遅れが死につながります。
それが分かっているから、アドレナリンは平時の何十倍も排出され、
瞬発力も平時の何十倍も鋭くなるのでしょう。
でも、平時の調練では、それが実戦ではないことが分かっているので、
当然ながら心身はのどかに流れ、
瞬発力は実戦時の何十分の一かに落ちてしまいます。
そこで、心の弛みを、装備の重さでカバーして、
実戦時の緊張感を生み出すようにしたのでしょう。

とすると、私たちの課題も自ずと明らかになります。
私たちは、日常、常にこの平時のローマ軍団兵状態なのです。
実戦の緊張感、悲壮感、決死の覚悟など心身から抜けきって、
ほとんど眠りこけた状態に近い心身なのです。
こんな寝ぼけた自分を揺り動かして、
実戦さながらの緊張感、悲壮感、決死の覚悟を心身に漲らせる、
そんな揺り戻しを画策しなければならないのではないでしょうか?

路上に出て、ロボグラフィを撮るとき、
ストリートスナップも試みることにしています。
写真家の皆さん、個人情報の保護の規制に縛られて、
もはやストリートフォトの写真家は消えつつあります。
予め声をかけて撮りましょう、と推奨されています。
ポートレート作家はそんなことを言われる前、昔からやってきました。
そうすることで、被写体となった女性たちに最上の姿と心を用意させて、
その人のもっとも美しいと自他ともに納得するポートレートを撮る、
それがポートレート作家の身上なのですから、当然の作業。

でも、カルティエ=ブレッソン、木村伊兵衛を初めとする、
ストリートフォトグラファーの狙いは違います。
ストリートで展開する人々の人生の一こまから浮かび出る、
人間たちの自然な交錯の瞬間から浮かびあがる、
人間生活の面白さ、人々の心と振る舞いの豊かな表出を記録する。
そんな瞬間芸の達人たちはどうやら陸続として、
ストリートフォトから撤退し、人間の環境を様々に撮ることによって、
そこに写っていない人間たちの営みの面白さを表現する方向に、
一斉に転進してしまいました。

結果は悲惨です。
退屈です。
写真に撮らなければならない必然性が感じられない。
名人芸など不要になってしまい、
子供や猿にカメラを持たせても、出来る芸じゃないの?
という感じさえしてきます。
心が躍らず、驚きも感じない。
はっきり言って、詰まりません。

要するに、ストリートフォトの写真家に試練の時が到来しています。
そのような難しさを克服して、
心躍る写真アートを創造するには、どうすればよいか?
課題が克服困難なほどに難しければ難しいほど、
その課題に創造的な回答を見つけ出せる写真家は、
優れた写真芸術を生み出すことになりそうです。
どんな場合でも、条件が難しくなり克服困難になるほど、
そのような試練、挑戦に見事打ち勝つことができれば、
ストリートフォトが撮りやすかった過去の数十年には、
到底実現不可能だった境地を開拓できるかも知れないからです。

「写真は表現である」と当然のように言われてきました。
その背景には、折角写真を始めたんだから、
人に賞賛され、驚嘆されるような名作を撮りたいという、
カメラマンたちの自然な願望があるように思われます。
芸術史上では、写真と映画は、
20世紀が確立したリアリズム芸術の新技法、新分野、
そう位置づけることができるのでしょう。

でも、私はご免です。
自分の人生のために写真を撮ることにしました。
写真には、表現芸術の側面があるとしても、
そのような側面を志す写真家はごく少数です。
世界の99%のカメラの使い手のスタンス、志望は違います。
自己表現の気持ちがあろうが、なかろうが、
自分自身の心が満たされたら、それで十分、
人の反応などどうでもよい!
だって、他人がどう思おうとも、私とは関係がないんだから。
たまに他人に賞賛されても、それがどうだって言うの?
言った本人はとっくの昔にその写真のことなど忘れてしまい、
私も賞賛されたことなど忘れてしまい、
人生になんにの付け加えてくれないのですから。

誰にとってもそうですが、記憶なんて、どうでもよいのです。
今、現在がすべて!
今、なにをするか?
それが私の心をどう満たし、どう喜ばせてくれるか?
明日へのエネルギーになってくれるかどうか?
それだけが大切。

私のブログに偶然迷い込んだ人は、とまどい、あきれるでしょう。
これはなんだ?
なんでこんな意味不明、支離滅裂の文章と写真をずらずら並べてるの?
そう、それがまともな反応です。
遠慮することはありません。
さっさと退散して、2度とおいでになることはありません。

私は私で、自分と遊ぶのに忙しいのですから。
アレクサンドロスが樽の哲人ディオゲネスを表敬訪問したとき、
大王はうやうやしく尋ねました、
「先生のお望みをなんでもかなえたいと思いますが?」
隠者は即座に答えました、
「ちょっとそこどいてくれんか?
あんた、お日様をさえぎってるよ」

まだ学生の頃、この話を読んで、
私が瞬時に、どちらの立場に共感したか?
分かりますか?
お分かりですね。
もちろんディオゲネスです。
でも、多くの人はディオゲネスになりたいなんて思わないでしょう。
アレクサンドロスのようになれるとは思えないけど、
やっぱりアレクサンドロスの方がずっと魅力的、
そうお感じでしょう。
そうだったら、このブログにおいでになることなどありません。
時間の無駄です。
王道を堂々と歩み続けましょう。





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by hologon158 | 2019-04-13 17:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

784.01 ホロゴン外傅261(2018年10月22日スピードパンクロ40㎜f2の奈良町変化)1 全員白!



私が年をとったせいでしょうか?
町歩きをしますと、どうしても、高齢者ばかり目についてしまいます。
しかも、ちょっと恐ろしい感じがします。
というのは、なんだか高齢者たち、どんどんヨボヨボになっていく!
その中には見覚えがある感じの人もかなり混じっていますが、
その人たちもどんどん高齢となっていくのでは?
ビジネススーツ姿の男性たちにも、
私が現役の頃見かけたり、出会ったりした人ではないか、
と感じる人も見かけますが、やっぱり老いている!

私は若い頃、日本の社会は新陳代謝を繰り返しながらも、
盛んな社会活動が交錯するエネルギッシュな様相を
変わらず保ち続けるものと思っていました。

昭和20年、30年代のコンサート風景写真を見たことがあります。
居並ぶ聴衆が真っ白なのです。
なにが?
ワイシャツとブラウスが全員白!
並ぶ男女は全員、青年たち!

実に異常な光景。
でも、思い返せば、当然だったのです。
第二次世界大戦を終えた世界はかなり文化交流を増し、
日本でも、ラジオで耳にする音楽はクラシックが激増し、
クラシックコンサートが激増しました。
でも、大戦で壮年男女の多くを失った日本のクラシック愛好者は、
必然的に青年層の比重を増していたのです。
年配者は激減し、かつ音楽など楽しむ余裕もなかった?

今、クラシックコンサートには、
そのように戦後まもなくクラシックに目覚めた男女たちが、
今や、高齢者層となって生き残っている!
そして、若い年齢層の多くはクラシック離れをしていく。

社会は安定性を失い、未来は予測不能で、
不安要素が数知れず渦巻いています。
悠長に、モーツァルトにゆったりと耳を傾けるよりも、
耳をつんざく大音響、ガンガンとリズムを刻むドラム、
そして、割れた絶叫のボーカル、そんな騒音音楽のシャワーを浴びて、
今を忘れたい、そんな層がどんどんと増えているのではないでしょうか?

そして、大阪のような大都会に激増した高層マンションが
若い勤労者層を吸収してしまい
奈良のような地方都市は、
むしろ高年齢層が余生を送る地域に移行していくようです。
ですから、大阪や東京では青年層がまだ動き回っているけど、
奈良のような衛星都市圏では、高年齢層の比率が増大し続けている、
というのが現状ではないでしょうか?

でも、少し冷静になって思い返すと、もう一つ。
私が歩くのは概ね平日のアフタヌーンです。
若い勤労者層はみんな屋内で働いています。
奈良の町を歩いているのは観光客と高齢無職老人ばかり。
でも、こうしたファクターをさておいても、
日本全体で老人層が増加していることは疑いがありません。

ついでに書きますと、
女性たちが年々、日に日に、強さを増していきつつある、
そんな感じもしますね。




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by hologon158 | 2019-04-10 21:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

783.02 ホロゴン外傅260(2018年11月2日エクター35㎜f3.3が肘塚経由で奈良町へ)2 大仏様



3月27日水曜日、つまり、かなり前のことですが、
妻は神戸に出かけ、私は子供たち(猫ですが)を家に残して、
昼食後、東大寺に向けて出発しました。
別に大仏様に呼ばれたわけではありませんが、
仏像の撮影が許されているのが東大寺だけ。
時々は、大仏様にお目にかかり、
博物館で日光、月光菩薩に挨拶するのが習慣になりつつあります。

東大寺参拝者のほぼ80パーセントはどうやら外国人観光客。
段々と純然たる観光スポットの地位に収まりつつある感じがします。
もっとも、私だって、なんの信仰ももっていないのですから、
観光客とほぼ同じスタンスですが、
偉大な仏像たちを敬愛する点では、誰にも劣らないと自負しています。

いつも書くことですが、
国宝中とくに傑出した仏像のほとんどは奈良に集まっています。
とくに、東大寺の日光、月光両菩薩、興福寺の阿修羅、
戒壇院の四天王、薬師寺の薬師三尊像、唐招提寺の鑑真和上像、
法隆寺の百済観音、中宮寺の如意輪観音、と並べると、
全世界の彫像芸術の最高峰の一つを形成している傑作群だ、
私はそう確信しています。
ですから、お目にかかる機会があれば、
ご挨拶しておくことにしています。
これが奈良人の特権、私はかってにそう確信しています。

大仏様は、私の感覚にとっては、仏像芸術とはとても思えません。
あまりにも壮大な存在感なのですから。
大仏殿建立当時の大仏様は遙かに巨大だったそうです。
大きなものなど見たことのない奈良時代の日本人にとっては、
現代の私たちには想像できないほどに奇跡的なお姿で、
一生忘れることのできない印象を刻み込む、
未曾有に壮大な存在だったでしょう。

私も同種の体験をしました。
小学校6年1学期までは大和高田市に住んでいたのですが、
幾度か東大寺を訪れた記憶があります。
6年夏休みに大阪府豊中市に移転して以来お目にかからないまま、
大学1年になって、東大寺を再訪しました。
そして、大仏様を見上げて、びっくり仰天しました。

  「あれっ?
   大仏様って、こんなに小さかったの?」

でも、2、3年経って大仏殿を訪れたときの印象が傑作です。

  「大仏様って、こんなに大きかったの?」

本来のパースペクティブが戻ってきたようです。
この体験で、私は学びました。
パースペクティブは自分自身と他の存在との兼ね合いで変わる、
いわば伸縮自在の尺度なのですね。
当然、と言えば、当然です。
でも、どうしても、大仏様はこんな風に見えるはず、と、
勝手に私たちの方で思い込んでいるために、
足をすくわれることがあるようです。
楽しいですね。

当日持ち出したセットは、先日のエルマー35㎜F3.5の対抗馬。

ソニーα7
ズマロン35㎜F3.5

長年、ライカの広角レンズの最高峰は
ズミクロンでもズミルックスでもなく、これ、
と、確信していました。
それなのに、近頃、エルマー35㎜のが急上昇しているのですが、
今回は、にわかに、コダックの怪物レンジファインダー機、
エクトラ用の35㎜レンズ、エクター35㎜が割り込んで来た感じ。
コダックらしいやや赤みを帯びた温かい色感が温かみを醸し出し、
しかも、とてもコクのある印象が濃厚で、ただ者ではない感触。
自分らしい写真表現に満ちた作品を創造した写真家には、
レンズそのものの存在感が邪魔になるかもしれません。
でも、私はひたすらゾクゾクとさせてもらって、感謝、感謝!

レンズたちよ、もっともっと自分らしさをせせり出して、
互いにがっぷり四つで果てしなく勝負し続けて!




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by hologon158 | 2019-04-08 22:48 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

783.01 ホロゴン外傅260(2018年11月2日エクター35㎜f3.3が肘塚経由で奈良町へ)1 古い辻で



楊琴伴奏レッスンの師、二個演奏家の陳少林先生から、
楽器演奏の極意を教えていただきました。

1 放松(ファンスオン)  脱力して
2 慢練(マンリェン)   ゆっくりと
3 数拍子(スウパイズ)  ただしいリズムで

先日、吉田正さんの写真教室の仲間から教えていただきました、
ストレッチのような運動はできるだけゆっくりとすべき。
そうすると、体が覚えるから。

なんだか人生すべてにわたって、同じことが言えるのでは?
そんな感じがしてきました。

私は「どんなことも素早く」をモットーに生きてきた人間です。
どうやら、いつもセカセカ、セカセカと急いでた、
という感じで、ハッとさせられています。
今頃になって、生き方全般にわたって見直しを迫られることに?
やれやれ...
でも、何事も遅すぎるということはない、そう思いたいですね。
これまでのままだったら、セカセカセカセカ棺桶に...
そんな具合で一生が終わってしまうかもしれないぞ!

思い出しました。
仕事について何年かして、私より2年先輩と同僚になりました。
この人、姓名も昔のおとぎ話の主人公とそっくりで、
語りっぷりと来たら、もう悠長そのものでした。
一方、私と言えば、今でこそ少し落ち着きましたが、
二十歳台の頃は速射砲で、まるで早口競争そっくり。
すると、その人がまったり、じんわりと私をたしなめました、
「あんなあーー、すまんけど、
あんたの言うこと、あんまり早すぎて、
なに言うてるのか、ぜんぜん、分からんがなーー」
私の方は彼の口調があまりにも悠長なので、
やっぱり理解困難でしたから、おあいこというところ。
これが文字通り「波長が合わない」という現象だったようです。

でも、と、反省。
彼の言うことの方が正しかったかもしれません。
もう一度、人生も演奏も見直してみるときが来ているのかも?


今回の写真は、最近ご無沙汰しているコダックのレンズ。
エクター35㎜f3.3。
コダックがオリジナルのレンジファインダーカメラ、
エクトラのために用意したレンズです。
どんな風な意気込みで造ったレンズか、知りませんが、
怪物カメラのエクトラにいかにもふさわしい重厚な描写力が魅力。
独特の存在感を醸し出してくれる名レンズです。





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by hologon158 | 2019-04-06 22:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)