わが友ホロゴン・わが夢タンバール

720.03 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」3 古市町ウォーキング


4月4日水曜日
パワーウォーキングを続けています。
今日は妻が外出。
午後3時半頃には、豆腐屋の出張販売が来ます。
奈良で一番おいしい近藤豆腐店です。
奈良町に豆腐料理の店を営んでいます。
才能豊かなシェフが創作豆腐料理のコースを食べさせてくれます。
どれもこれも独創性に溢れ、豆腐が大好きになります。
その豆腐を自宅でいただけるのです。
毎週来てくれます。
私の住んでいる住宅地で、たった3、4軒だそうです。
健康に良い上に、猛烈においしいのにねえ。

おっと話がずれました。
この豆腐の販売車が来る前に帰宅しなければなりません。
妻のためにおいしい豆腐料理を作らなければならないので。
昼食は一人です。
その豆腐店の高菜漬けと豚三枚肉と卵と野菜で、
高菜焼きめしを作りました。
中華鍋を振り回してふっくりと仕上げました。

妻が居ると、あれこれおしゃべりしながら昼食を楽しむのですが、
一人のときは、ポメラで作文するか、読書しながら、頂きます。
消化に悪いかもしれませんが、作文にせよ、読書にせよ、
一層捗るので、おかまいなしです。
私は国家試験もゴウゴウとオペラをかけながら勉強しました。
父と同じ仕事を目指していたのですが、
お隣のご主人もたまたま同業でした。
後日、父に言ったそうです。
「あんなに音楽大きな音で聞きながら、よく通ったものだ」
そう言いつつ、自分は自宅で仕事をするときは、
古い倉を改造した書斎の密閉空間にこもって、
やっぱり音楽をかけていたのですから、
よくも私のことを言えたものだ、と言いたいところ。
私はどうやら、彼同様、
音楽をかけることで精神集中できるタイプのようです。
生涯音楽をかけ続けてきました。

この文章は、今回のショートトリップの回帰点にある、
コンビニのベンチで書きました。
いつものとおり、草餅と「おーいお茶」をコンビニで買って、
お三時(実はまだ2時15分ですが)を楽しみ、
ソニーのウォークマンが韓国のヘグム音楽を鳴らす中、
一心不乱にポメラDM20に文章を打ち込みました。
1文書の制限がなくなったので、文書作成に集中できます。
気持ちのよい風がほおをなぜ、ヘグムが心をなぜ、
草餅が舌をなぜてくれます。
至福のとき!



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# by hologon158 | 2018-04-21 23:16 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.02 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」2 ヘビーウォーキング


4月30日金曜日(もうあれから20日も経っていますね)、
昼食後ウォーキングに出かけました。
そんな言葉があるかどうか知りませんが、
「ヘビーウォーキング」と呼ぶことにしました。
できるだけ脚力を鍛え、かつ撮影もしちゃおう、という、
欲張りプログラムです。

ご近所は田園過疎地帯です。
鹿野園町、白毫寺町まで、撮影しつつ、早足で40分歩きました。
ちょっとした休憩場所があるので、しばらく滞在し、
チョコレート少々とミネラルウォーターでエネルギーを補給。
ソニーα7に付けたのは、宮崎貞安さんの近作、
アポクアリア28mmF2。
右手で握り、ホロゴン以外のレンズの習慣で、
縦位置専科ですから、
そのまま手を突きだして、ノーファインダー撮影できます。
休憩を挟んで、結局前後各40分程度の撮影を楽しみながら、
わざとグイグイ早足で歩きました。
快調そのものの撮影散歩で、
前半で209枚、後半で115枚、合計324枚撮っていました。
概ね分あたり5枚、というテンポ。
まず、快調だったようです。

フォトジェニックな被写体が沢山見つかった、
ということではありません。
私とフォトジェニックとは無縁。
私が「いいな」と思ったものがそれだけ見つかった、ということ。
「いいな」と思うのは、写真としていい、ということとは無縁。

ただただ、こいつ、がんばってるな、
そう感じたら、撮る、それだけ。
私の写真は、私の心の弾みの記録、というだけのこと。

おかしなものです。
私は祭りが好きではありません。
でも、偶然、地元の小さな祭りの行列によく出会います。
私は桜が好きではありません。
別に桜に恨みはありませんが、
人が集まる場所が大嫌いなだけ。
今回もかなり沢山桜に出会いました。
一気に満開、という感じです。
わずかな時間しか花を咲かせられない、
それが桜の運命のようです。
自分でもそれが分かっているので、
必死で両手を天に向かって突き上げている、
そんな感じがあって、儚くけなげですね。
日本人はそんな桜の気持ちに反応するのかも知れません。

私は、桜に特別な思い入れはありません。
桜と言うと、桜見物の群衆、三脚を持ったカメラマンを思い出します。
この連想が深いなので、桜も少しとばっちりを食っているかも知れません。
袈裟が憎けりゃ、坊主も憎い、という逆パターンのようです。
でも、今回の道でも桜に会いましたが、
上記の付随物には会わず、おかげでかなり撮りました。
でも、基本的には、これもロボグラフィだから。

健康を増進するために始めたウォーキングです。
快調でした。



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# by hologon158 | 2018-04-20 21:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

720.01 ホロゴン外傅223「2017年11月27日奈良帯解をクセノン50㎜F2.8が駆け抜け」1 杉岡華邨


奈良町に書道家杉岡華邨の書道美術館があります。
かな書の一人者として、1995年文化勲章を受章した人です。
2000年に美術館ができたのですから、すでに18年。
私はずっと横目に見ながら通り過ぎてきました。
書に無縁だったわけではありません。
私の姉はかなりの書道家です。
私も書に関心がないわけではありません。
でも、折に触れて書に出会って、
「ああ、いいな」と感嘆できれば、それで幸せ、というスタンス。
でも、仮名文字はなかなか理解しがたいものが私にはありました。
だから、18年で初めて入館したわけです。

かなの書を一気にこれだけ見たのは生まれて初めて。
さまざまな歌、詩を書の作品にしたもので、
原文が下に貼られています。
でも、おかしいですね、書の文字とぜんぜん似ていない。
草書体なので、完全に崩してあるようですが、
どうしてここまで崩せるのか、
でも、ぜんぜん形が似ていない、
堪能な人は他人が書いた草書もすらすらと読めるんだろうかと、
戸惑ってしまいます。

でも、対座するようにして、じっと見つめていて、
ふっと感じました。
音楽と一緒だと考えることにしよう。
理解するのではなく、感じるしかない。
読み解こうとしないで、形を賞味しよう。

そうすると、なんだか印象が違ってきました。
わくわくと楽しさが湧いてくる作品がいくつか見つかりました。
すると、おぼろげながら、華邨先生の心の動きも、
違った風に感じられるようになりました。
もしかすると、書家も、言葉を頭で受け取らず、
言葉の向こうに響く音楽を感じながら、
筆を走らせたんじゃないだろうか?
頭で考えて、構成しようとするのではなく、
その時、その場の気持ちのままに一気呵成に筆を走らせ、
書き終わった瞬間に、はっと目が覚める、そんな感じ?

こんな風に感じるようになったからと言って、
仮名の書が味わえるようになったとは思いません。
こちらの方がまだ、頭で考えようとする姿勢から、
完全に抜けきってはいないからです。
だから、今回の成果は、
仮名の書が面白いと感じられるようになったことではなく、
時々訪れて、もっともっと沢山の書に接してみよう、
そうしたら、突然、なにかが感じられる、
そんな日が来るかも知れない、という程度でした。
それだけでも、一歩前進、そう考えたいですね。

今回から、久しぶりのレンズ特集。
ソニーα7に付けたのは、クセノン50㎜F2.8。
レチナⅡcに付けられていたシュナイダーの名レンズです。
私がレンズの凄みに生まれて初めてショックを受けた、
そのレンズこそ、これでした。
どうして、そんな風に思ったか?
まあ、奈良市南端の帯解で撮った写真たちをご覧下さい。
「ほんとにそうだなあ、凄いレンズなんだなあ」
そうお感じになるとしたら、あなたは我が党の士なのです。





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# by hologon158 | 2018-04-18 21:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.04 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」4-完-老化を防ぐ


絶えず、考えていることがあります。

老化を防ぐにはどうしたらよいか?
もちろん体を動かし、鍛えることは大切です。
でも、もっと大切なことがあるのでは?
そのことをおろそかにすると、老化が進む、
それは何か?
ちょっと考えると、答えは明らかですね。
どんな場合でも、司令塔が一番大切です。
人間の場合で言えば、頭、これですね。

まず、頭が先だ!
どんなに体が丈夫、頑健でも、頭がぼけたら、急速に老化が進みます。
頭がしっかりしていたら、老化を防ぐための作戦を常に検討し改善し、
プログラムを組んで実施することができます。

どうやら、頭もまた、鍛えなければならないようです。
ぼんやりしていたら、頭はどんどん擦り切れて行きます。
では、どうやって鍛えるか?
私は、なんでも自分の頭で考えるのが好きです。
子供の頃から、いつも自分で考えてきました。

頭を使うというのはどういうことでしょうか?
自分の人生で解決しておくべき問題を、
自分で見つけること、
これが出発点ですね。

なにも問題がない人って、いるでしょうか?
私は信じます、そんな人は居ません。
生きるって、絶え間なく問題にぶつかり、
これを解決しようと苦闘する連続なのですから。

問いを正しく見つけ出すこと、これが最初の難問です。
多くの失敗はこの最初の難問を解くのに失敗して、
的外れの問いを設定してしまうことに起因します。

そして、問題も、その解決の方法も人様ざまですね。
だから、人間は独自の文化、独自の文明を創り出してきたのです。

引退してみると、仕事上の問題はなくなってしまいました。
毎日毎日、自分の歩くべき道、目的、方法を、
自分の力で創り出し、見つけだしていかなければならないのです。

昔、漫画サザエさんで見たのですが、
夫のマスオさん、暴漢の大男に襲われます。
突然、マスオさんは、これが夢の中だと気づきます。
すると、マスオさんは、にっこりして、
「じゃ、やってやるぞ!」
そして、暴漢を一発でぶっとばしてしまうのです。

引退後の人間って、このマスオさんですね。
なにかをしなければならない、という制約も義務もありません。
失敗しても、いいのです。
「失敗は許されない」なんて、力む必要がまるでない。
結果だって、どうでもよいのです。
あることを企画して、実行する、この作業が大事。
ある種の訓練であり、ある種の啓発にもつながります。
そうした企画と実行の積み重ねが、
いつかとんでもないほど達成感のある何かに繋がるかもしれない。
秘訣は、「笑顔で楽しく」
ただこれだけですね。




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# by hologon158 | 2018-04-17 23:01 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.03 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」3 張本氏、退場!


私はスポーツというスポーツが全部できないという、
おそらくこの世に類例はあるまいと思えるほどの、運動音痴です。
だんだん分かってきたのですが、
それほど運動神経が悪いわけではなさそうです。
年をとっても、敏捷性はむしろ増してきて、
今が絶頂、という状態。
これは揚琴を練習してきたからのようです。
超高速で1㎝ほどから数十㎝まで無時間移動をしなければ、
音楽にならないから、これも一種の運動のようです。

では、なぜ運動をしなかったのか?
嫌いだったのです。
そんなことをするよりは、本を読んでる方が好きだった。
そして、家族の誰も、私に運動しようと勧めなかったからです。
ちなみに、両親とも、小学校から大学まで、
私の学校での学習、成績について一切尋ねませんでした。
なんらかの干渉もなし。
無関心だったり、冷たかったりしたわけではありません。
私にすべて任せてくれた、そんな感じがします。
でも、そのお陰で、運動も一切しないままだったわけです。

でも、運動そのものは好きでなくても、
ずばぬけた才能の持ち主で、かつ、
人間的にも魅力のあるスポーツマンには、
時折強い関心を抱いてきました。
古くは、F1のアイルトン・セナがそうでした。
近くは、もちろん、イチロー。
そして、今、大谷君。

高額の報酬を棄てて、最低年報に甘んじて、
大リーグという修羅の戦場に身を投じ、
おそらくニューフェースとしては、
大リーグ史上もしかするとベストテントップと思える位の。
大車輪の活躍を投打に見せています。

でも、私が書きたかったことは彼のことではなく、
プロ野球界の大御所の一人、張本勲氏の大谷評のこと。
大谷選手が3試合連続ホームランを打った快挙に対して、
「まぐれか、大リーグの投手の程度が下がったか、
おそらくその両方でしょう」
と評して、諸方面から酷評を受けていることはご存じのとおりです。

酷評は当然ですね。
志を貫いて、大リーグに身を投じた後輩の若い選手に対する
あたたかな気持ちなど微塵も感じられませんね。
まあ、そんなご意見番的な姿勢が彼の存在価値なのかも知れません。

でも、不思議です。
彼位の大御所的な立場に立てば、
いい加減な発言は許されないことを知悉しているはずなのに、
これはなんという不用意な、いい加減な発言でしょう。

理由は明白単純です。

① 第一にホームランを打つという行為がまぐれにできる、
という可能性などありません。
パチンコではないのですから。
定評のあるホームランバッターでも、3試合連続でホームランを打つのは、
生涯に幾度もないのではないでしょうか?
日本のプロ野球でも、実力もない誰かが、
3試合連続ホームランなど打てた例はあるはずがありません。
まして、日本のプロ野球から、まったく異質な要素が沢山ある
大リーグに移った途端に3連発できる、そんなまぐれが起こりうる、
そう考えると人がいるとしたら、
その人の頭を疑う方が確実ですね。

② 次に、投手の劣化の可能性ですが、
大谷選手は日本で何回「3試合連続弾」を記録しているのでしょうか?
私はまったく知りませんが、投手としての登板の合間に、
散発的なDHを挟んでいたでしょうから、
一度もないのではないでしょうか?
そうすると、そのような大谷選手が大リーグに行って、
大リーグの投手の劣化が原因で、いきなり「3試合連続弾」を達成できた?
そう考えるとしたら、張本氏は、大リーグの投手の質は今や日本以下では、
と疑っていることにならないでしょうか?
でも、そう疑う根拠は、日本でも「3試合連続弾」をできたことがないのに、
大リーグでできたから、ということ以外にはないのではないでしょうか?
でも、大リーグの質が低下しているということが事実なら、
そんな大リーグに大谷選手がなぜ行きたがったのでしょうか?
要するに、大リーグの投手の質の劣化なんてことをほのめかしているのは、
張本氏お一人なのではないでしょうか?

張本氏は、さらに、8番という位置は日本では一番下手なバッターの席順なので、
そんな位置で打っても大したことはないと言いますが、
いかにも大リーグのピッチャーが、打席順だけに着目して、
大谷選手をバカにして手を抜いたのが「3試合連続弾」だと言わんばかりですが、
これもあまりにも杓子定規風の膠着した意見ですね。
最初のホームランのピッチャーには、大谷選手のことなど知らないのですから、
油断があったかも知れません。
でも、23歳のルーキーが鳴りもの入りで大リーグ入りを果たして、
しかもいきなりホームランを打ったとなると、2試合目、3試合目のピッチャーは、
こんな若者にしてやられてなるものか、と、
大谷選手を徹底的にマークして、最大限の注意を払って望んだはずです。
それなのに、2番目に打たれたのは、昨年サイ・ヤング賞を授賞した人なのです。
「8番バッターだから、大したことはない」なんて油断していた筈がない。
そんなこと、張本氏にもではっきり分かっているはず、と言いたいところですが、
もし分からなかったとしたら、耄碌、としか言いようがありませんね。

このように考えてきますと、どうやら張本さんは、
大谷選手のことを頭から否定したい気持ちで一杯なのではないでしょうか?
多くのベテラン選手も同様ではないか、と、私は疑います。

なぜ?
大谷選手の生き方は、
これまでのほとんどすべての野球人の生き方と別次元だからです。
ほとんどすべての野球人は、歴史に残るためには、
人よりも優れた記録を達成し続ける必要がある、そう考えているはずです。
大谷選手のように二股をかけていたら、
首位打者であれ、最優秀投手であれ、他のいかなる記録であれ、
他のすべてのライバルに打ち勝ってトップの座を占めるなんて、至難。
だから、バッターにせよ、ピッチャーにせよ、どちらかを選ぶべきだ!

ところが、大谷選手は、他の選手に優る記録を樹立したいなんて、
おそらく考えてもいないのではないでしょうか?
とにかく野球が好きだ、
だから、打ちたい、投げたい、走りたい!
全身で野球の醍醐味を味わいたい!
そして、野球はチームでするものなのだから、
チーム全員が、その能力をあらんかぎり尽くして、
一致団結して勝利をかちとる醍醐味を味わいたい!

張本氏のように、日本の野球史上に残る大記録を達成して、
その成果、名声に寄りかかって生きて来た人にとっては、
こんな大谷選手の生き方は理解と想像を絶しているのでしょう。
むしろ、自分の生き方を真っ向から否定されている、
そんな感じがするのではないでしょうか?

しかも、自分のことを振返ってみると、
大谷選手のようなことをしたいと願っても、出来るはずがなかった、
そうお分かりなのでしょう。
そうすると、そんな不可能なことをやすやすとやってのける大谷選手って、
とてもとても理解できないし、理解したくもない、
そうお考えになっているのではないでしょうか?

いずれにせよ、大谷選手は、「3試合連続弾」達成後も、
さらに目を見張るような活躍、貢献を続けています。
日々の活躍が重なるにつけても、
アメリカでは、「稀有の才能しか実現できない驚異」と、
今は大リーグ史上トップクラスの天才児とさえ、
見なされているようです。
張本氏の「まぐれ説」が妥当しないことは完全に証明済み、
そう言えそうですね。
彼が大リーズ史上どれほどの存在であるかは、
イチロー選手同様に、これからの長い年月の間に確立してゆくことで、
それはまた別のこと。

リーグが終わってみて、たとえ、彼がどこかで失速したとしても、
彼の鮮烈かつ空前のデビューが与えた戦慄と驚異と感動は、
大リーグファンの心から消え去らないでしょう。
なぜなら、そんな瞬間、瞬間の感動こそ、人間に対する讃歌となって、
人々の心を揺り動かし、人々に生き甲斐を与えるのであり、
蓄積された記録には、尊敬、敬愛の情はかきたてるとしても、
人々の心を揺さぶる感動になどなりえないからです。

張本氏に言いたいですね、
私のような野球のことをろくに知らない人間にも容易に分かる、
このようなスポーツ讃歌の本質を分かっていないんじゃない?
あなたはスポーツマンじゃなかったのじゃない?
たんなる点取り虫でしかなかったのじゃない?




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# by hologon158 | 2018-04-16 22:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.02 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」2 日々成長


4月3日のことでした。
昨日、次女の二人の娘が保育所に入所しました。
私にとっては、長女の年上の2人に続いて、
神様が私たち夫婦のためにプレゼントしてくださった、
プリンセス2号と3号は、まだ2歳と4ヶ月の幼さですが、
ママが自宅で独立稼業を営んでいる関係もあり、
かつ保育園教育を受けてきたプリンスとプリンセス1号の成長ぶりを見て、
保育園の利点を様々に認識して、
思い切ってこの際2子を保育園に預けることにしたのです。
祖父母である私たち夫婦も大賛成です。
仲間や年長、年下のさまざまな構成員の社会に入ることで、
驚くほど心身が成長することが期待できるからです。

2歳のプリンセス2号はとりわけ保育園特性がありそうです。
先日、幾度か保育園で顔をあわせたお友達と遊ぶ機会がありました。
プリンセス2号、そのお友達に、
「力を合わせてやろう!」
(2歳程度だと、互いにコミュニケーションをとることがなく、
一緒に遊んでも心もやることもバラバラが多いのですが)

私の妻、孫たちはネネと呼んでいますが、
ママが「ネネがあさって来て、お泊まりするよ」と言うと、
プリンセス2号、にっこり笑って、
「それは楽しみだね」
(自分だけではなく、母親の気持ちも感じている感じ)

どちらも、彼女がすでに社会性のある思考、行動をできることを
物語っている、そんな感じがします。

プリンセス2号、保育園で先生やお友達と初顔合わせしたそうです。
出席をとるため、一人ずつ名前を呼ばれました。
他のお友達は、自分で答えられない幼児はもとより、
プリンセス2号と同年のお友達も全員お母さんが代わりに
「ハイ!」
プリンセス2号だけは、名前を呼ばれると、
すっと右手を挙げながら、一人立ち上がりました。
お母さんたち、「おおっ」

この調子なら、保育所生活にすんなりとけ込んでくれそうです。

一方、長女の2子、6歳のプリンスは6日小学校に入学しました。
3歳のプリンセス1号は保育園3年目で、
部屋がこれまでの2階から1階の、年長さんと並ぶ部屋に移ります。
全員、新しい環境で、新しい人生、新しい成長を始めるわけです。

孫たちに引き替え、私は、なーんにもしなくてもよい、という状況。
でも、すでに何度も書いてきましたが、
朝8時起床から夜(翌日)2時半就寝まで、
全部私の時間です。
絶対に昼寝をしないで、家事も含めて、次々とやることを変えつつ、
一日中なにかをする毎日。
私が作った昼食を夫婦で頂いてから、
私は書斎でいろいろと作業をしていたのですが、
突然、眠気を感じました。
昼寝をしないのは、眠気を感じないからですが、
珍しく眠気を覚えたのはここ数日忙しかったせいでしょうか?
かくてはならじ、と、席を立って、
自分で命名するところのパワーウォーキングに出発しました。
もちろん撮影するのですが、歩調はプレストで、という構えの運動法。
ソニーα7に、
ヘクトール28mmF6.3を付けました。

最近変更した方針に従って、
28mmから21mmまでの広角レンズは、ホロゴンと歩調を合わせて、
近接以外は、F8で撮ることにしたからです。
高畑町バス停で下車し、破石町から奈良町に向かって撮影しつつ西行しました。

午後3時10分から午後4時50分まで、
途中の40分ほどの喫茶店休憩を挟んで、
1時間で218枚の収穫。
ちょっと少な目だったようです。
その理由は、レンズにあったようです。
なぜか、1枚シャッターを切ると、
露出がでたらめになるのです。
露出補正ダイヤルを前後に動かすことで、適正露光に戻ります。
他のレンズだと、めったやたらに連写できますが、
今日のヘクトールはブラインドすると、
とんでもない白飛びの画面になってしまいます。
ノーファインダーで伸ばした手の先で撮るのが、
私の広角撮影法なのに、それができず、
ちょっと疲れました。

まあ、このような調子ですから、
私の方は、孫たちと違って、日々成長、というのはほど遠い現況、
そう言うほかはないようですね。




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# by hologon158 | 2018-04-15 10:37 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

719.01 ホロゴン外傅222「2017年11月14日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪に」1 使わないと錆びる



頭は使わないと錆びますね。
退職まもなくにしてもう錆びてしまっている人に出会います。
そんな人は、かつて体にしみこんだ習慣だけで生きている感じがします。
とりあえず一番安全、ということでしょう。

でも、日々、いろいろと問題が起きます。
なぜ問題が起きるか?
身につけたルーチンでは処理できないから、問題が生じるのです。
そんな場合の標準的対処法はこうです。
解決策を探そうとしないで、とりあえず無視する。
さらに、問題がこじれるだけではないでしょうか?

我が家でも、問題が起こります。
先日も起こりました。
我が家は広大なので、洗面台の右側に全自動洗濯機がぴたり接着しています。
浴室を改築するとき、かなり大きめの洗濯機と洗面台とが
一面にぴたり収まるように設計したからです。
その後、洗濯機を買い換えましたが、
ちゃんとその幅員に収まるものが見つかりました。

当然ながら、洗濯機の背面に隙間があります。
時折なにかがその隙間に落ち込みます。
ゴミ取り挟みを手に入れて、取り出していました。
昨朝、洗顔後、顔を拭いたタオルをハンガーにかけようとして、
この隙間の底に落っことしてしまいました。
ゴミはさみで取り出しましたが、
おろしたてのタオルが汚れてしまいました。
落ち込んだものが汚れないようにするには?
そう考えて、閃きました。
段ボール箱を工夫して、洗濯機の後ろを高く底上げしました。
こうすれば、落ち込んだものはひょいと拾い上げられ、汚れません。

さて、あなたはどうですか?
頭使って、日々の問題を解決していますか?
テストを2つ、出しましょう。
どちらも喫茶店で見つけた不具合。

① 洋風便座の左手の壁にトイレットペーパーのハンガー。
その上に被さるようにして、片持ちのハンガー2個で支えた小棚があり、
未使用のトイレットペーパーが置いてあります。
その棚にメモ書きが貼られていました。
「この棚に手をかけないでください。
落っこちます」
触ってみると、たしかにグラグラしています。
でも、とくに老人には、
なにか支えがないと立ち上がれない人だっています。
注意書きなんか気がつかない人もいるでしょう。
どうしても、この棚につかまって立ち上がろうとしてしまいます。

② 同じくトイレの話で申し訳ありませんが、
別の喫茶店では、別の表示が便座の奥の面に貼られていました。
「便座を落とさないでください。
大きな音が出ます。
そっと上げ下げしてください」
見ると、通常の便器ですが、
便座は木製で、ただの蝶番で上げ下げするタイプ。
重い木なので、ぽんと下ろすと、ガタンと便器に衝突します。

さて、どちらのケースでも、メモ表示だけで十分でしょうか?
考えごとをしたり、もともと不注意であったりする人が、
壁の棚につかまって立ち上がろうとし、
便座をバタンと便器に落とす可能性を払拭できませんね。

では、どうすればよいか?

ハハハ、明敏なあなたはもうお気づきですね。
つまらない写真があんまり沢山並んでいるので、
こうした文章は、
ほとんど見る人のない写真を無理に見せようという仕掛けなのだ!
というのは、冗談です。

あなたが普段自然に自分の頭を働かせているかどうか、
これをテストするリトマス試験紙、そうお考えください。
(答えの一例は、記事の末尾にあります。)
ただし、忘れないでください。
頭を普段から使っているかどうかは、このような問題にぶつかって、
ちゃんと正解を出せるか、で分かるものではありません。
自分で自然に問題そのものに気づくかどうか、これですよ。

問題にぶつかって、正面からこれを解決しようとしない、
そんな消極的な姿勢は、もっと深刻な消極性の先触れです。
つまり、そんな風にしていると、問題にぶつかっても、
それが問題であると気づかないところまで進行してゆきます。
それが「ボケ」です。

どうしたら、そのような悪循環に陥らないで済むか?
私が思うに、
生活を全面的に楽しむこと。
生活の時間をすべて自分の人生のために使うこと。
常に人生の途上で問題を見つけることが、
老化を防ぐ最上の方法であると考えること。

そんな生き方の背景、根拠として、
自分は老人になった、もう後は老化の一途を辿って、
いつか必ず到来する死を迎えるばかりだ、
なんて考えない!
いつも書きますが、百歳を超えてもなお矍鑠として、
ライフワークを楽しんでいる方が居られます。
平成27年では61,568人も!

あなたは幾つですか?
75歳?
だとすると、あなただって、生き方次第では、
100歳を超える長寿を楽しめるかもしれないのです。
誰も、自分はそうなる、そうならないと、決めつけられない!

そんなとき、あなたはどう生きますか?
① どうせ無理だから、まあ、普通に生きよう.....
② そんな可能性があるのなら、そうなるように、
頑張ってみよう!
それがこれからの人生のライフワークだ!

あなたはどちらですか?

さて、私が、両方のトイレで即座に思いついた回答はこうでした。
①については、
棚を支える2個の片持ちハンガーをもっとがっしりとしたものに変えるか、
それとも棚の中央に1個補強して、
この棚を支えにして立ち上がろうとする人がいても、
びくともしないようにする。
でも、さらに親切な解決は、
便座の横の棚に体を支えるバーを設置したり、
便座を囲む支え手すりをセットすればよいでしょう。

②については、
便座の底部にセットされた3個の支えが便座に当たる位置に
クッションとなるゴムを貼り付け、あるいは、
オリジナルの支えよりちょっと高めのゴムを何個か、
便座底部に貼り付けましょう。
こうすれば、注意書きに気づかず、つい便座を落としても、
衝撃を和らげ、音を消すことができます。

私は、①の喫茶店主にはそうアドバイスし、②の店主にはしませんでした。
なぜ?
①の店主は若い女性で、パッと顔を輝かせて、礼を言い、
1ヶ月ほどして再訪すると、そのとおり工夫して、
私を見ると、ニコニコ顔で「おかげさまで」と喜んでくれました。

②の店主は口ひげを貯え、
「わたしゃ、ひとかどの者なのじゃ」という構え。
こんな方には、私が別案を出しても、
よけいな差し出口を、と反発されるだけでしょう。
だから、やめました。

これは私の偏見かも知れません。
自分が至って平凡な外観なので、
いかにも優れた人物でござい、と言わんばかりの風貌の人間に、
いわれなき偏見を抱いているだけかも知れませんね。
でも、外観の良い人に中身が伴っていない、
そんな人に沢山出会ってきました。
なぜでしょうねえ?



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# by hologon158 | 2018-04-12 14:57 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.06 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」6 ポメラDM20


ポメラが壊れたので、
上位機種のPOMERA DM20を手に入れました。

完全にこれまでと同じだけど、
完全に違うポメラ。
使い勝手がぜんぜん違います。
入力画面、入力文字選択の自由度、1ファイルの文字制限、
すべてがけた外れに大きくなりました。
キータッチもかなり高級感があり、安定しています。
いくらでも書きたくなるという信頼感、
うれしくなってしまいます。

人間って、どんなことでも、ケアしないと、錆び付きます。
頭はその典型ですね。
在職中は仕事の必要に迫られて、否応なく頭を使わざるをえません。
でも、退職すると、その生活状態次第では、
別に頭を使わないでも、惰性だけで生活できます。
でも、どんどんと頭は錆び付いていきます。

私が在職中にブログを始めたのは、その防止策としてでした。
この作戦は見事成功した、私がそう考えています。
手紙にしてもそうですが、たいていの方は、必要がない限り、
そして、相手がいない限り、文章など書きません。
もっと言えば、必要がない限り、頭を使いません。

ブログにせよ、文章にせよ、
多くの人は、コミュニケーションの道具であり、
ブログや文章のメッセージの宛先は自分以外の第三者だ、
そう当然に考える方が多いようです。

でも、別の考え方もできます。
人は、人とのコミュニケーション、交わりがないと、
本来の人生とは言えない、そう考えます。
その通りです。
でも、このとき、交わりの対象となる人には自分自身も含まれる、
と考えたいものです。

次第に、他人とのコミュニケーション、交わりの機会は減少していきます。
多くの人は、退職とともに一種の喪失体験に見舞われます。
自分が属してきた組織を通じて築いてきたヒューマンネットワークが消えてしまう。
そのネットワークの誰もが、退職者をネットワークから除去してしまいます。
退職者との関係を継続する必要も時間的余裕も欲求ももたないからです。
多くの退職者は、在職中、職務に専念する余り、
職場外のネットワークなど開拓する余裕がなかったので、
同じ退職仲間をのぞけば、
いわば1人ぼっちになっている自分を発見して、愕然とすることになります。

私は、在職中から幾種類ものネットワークに関わるようになっていました。
そのかなり多くはすでに過去のものとなりましたが、
まだいくつか心を共にできる仲間のネットワークが健在です。

でも、私が一番大切にしているのは、
もちろん妻を中核とする家族ですが、
それと同じくらいに大切なネットワークがあります、
それが、自分自身との交わり。

昔々のことです。
インドの古王国の王様が愛する妃マッリカーに尋ねました、
「そなたがこの世で自分よりも愛する人はいるか?」
もちろん、期待した答えは、
「陛下ですわ」
でも、王妃様は答えました、
「王様、私自身よりも愛している人はおりません。
王様はいかがですか?」
なんだか、古代の女性も、現代の女性たちに劣らず、
正しく開かれた心を持っていたのですね。

私の妻も、マッリカー妃と同じなのですが、
私もやっぱり自分を一番愛します。
そんな自分とつきあう場、
それが私の2つのブログ、というわけです。
私のブログに訪れた方はただちにそれが分かるようです。

その証拠の一つ。
友人がこう尋ねたのです、
「ブログの写真を見ていると、ときどき同じ写真が重複していますね。
そんなとき、あれっ、どこが違うんだろうか、と、
一生懸命違いを探してしまうんですよ。
こんなブログは他にはありませんねえ」
私は平気です。
「それは、ぼくがブログを見返さないからですよ。
ブログの写真が重複していても、
ぼくには何の痛痒もないんだから、平気ですよ」

正直なところ、文章にせよ、写真にせよ、校訂の手間は一切とりません。
文章だって、誤字脱字、どころか、誤りだってあるでしょう。
でも、忙しく生きている人間が日記を書くとき、
最初から読み返して、誤りがないか、検閲するでしょうか?
そう、あなただったら、するでしょう。
完璧を期して生きておいででしょうから。
私は、生きることとは、過ちを犯すことだ、
というスタンスで生きてきましたから、
残り時間がどれだけあるのか、分からない今、
完璧を期しながら、完全な人間として生きよう、なんてことはしない。

ポメラはそんな「ぶっとばし人生」の私には最高の道具。
画面が大きくなり、入力文字もさらに大きくなってポメラDM20なら、
もっと長い日記文が書ける!





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# by hologon158 | 2018-04-10 22:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.05 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」5


東晋の名宰相謝安の逸話だったと思います。
「世説新語」に記載されていました。
うろ覚えですが、こうです、
長年のライバルで、心から尊敬している別の名臣が
罪に問われる事態となりました。
その人は、謝安の一族と並ぶような名族の当主でした。
有罪だったようです。
赦免を請願するために、宮殿の廊下に、
一族もろともずらりと座り込みました。

謝安は、赦免を嘆願するために皇帝に拝謁しようと、
その廊下を通りかかりました。
そして、長年の老友を横目に見下ろしながら、
これ見よがしにつぶやいたそうです、
「これから虫けらを一ひねりしてやろうわい」
(完全に忘れましたので、これは私の想定セリフです、念のため)
そして、皇帝に拝謁すると、声涙振り絞って、赦免を嘆願しました。

皇帝は宰相の嘆願を聞き入れ、
罪に問われた老臣を赦免しました。
老友はそうとも知らず、謝安を恨みました。
謝安は、老友の誤解を解くためには、
ほんの一言、老友に自分の行為を打ち明けたらよかったのです。
でも、それをしなかった。
なぜ?
そうすれば、必ず宰相が友人のために働いたことは、
遅かれ早かれ洩れてしまったでしょう。
宰相ともあろうものが、職責を忘れて、友人のためにお政道を曲げた、
というそしりを免れなかったでしょう。

現在、行政府は炎上しています。
何者かが、あるいはなんらかの状況が、
何十人にも及ぶ官僚をして、
きわめて悪質な刑法犯罪に平気で踏み切らせたのです。
これまでもやってきたからこそ、
彼らは組織ぐるみで平気で公文書の改ざんを行なったのです。

皆さん、一体この事件をどう考えているのでしょうね。
これは、日本の憲政史上、まれに見る重大な事件なのです。
多くのことを意味しています。
官僚たちは平気で国家と国民に対する忠実義務を踏みにじり、
刑事犯罪を共謀して敢行する組織であること。
そして、このような隠蔽、隠滅工作はこれまでも常時行われてきたからこそ、
躊躇なく敢行したこと。

官僚たちは、主権者である国民から付託を受けて、
国民の代わりに行政を担当し、国民のために行政すべき義務を負っているのです。
でも、彼らは、そんなことは忘れ果てて、
国民のことなどちらりとも頭に置いていません。
今回は誰のために?
首相夫妻の意を直接もしくは間接に受けて、行なった不正行政行為を隠匿し、
組織を、ひいては首相夫妻を守るために?

田中角栄を追いつめた時代の東京地検特捜部だったら、
巨悪を撃つべく、まず、官僚たちを一網打尽していたでしょう。
自らも権力の一員たらんとする官僚に成り下がった現在の検察庁は、
ひたすら「捜査中」の看板を掲げた霧のなかに事件をそっと押し包み、
時日を稼ぎつつ、国民が忘れるのを待つ作戦のようです。

いつも書いて来たことですが、
現代日本は民主主義でも立憲主義でもありません。
民主主義の衣を被った自民党と大資本の寡頭政治の国なのですから。
軍国主義の時代の日本よりも巧みかつ完全なる報道管制の下、
真の主権者があてがってくれた情報だけを頼りに、
それでもがんばってくれてるじゃないの、
ほかに国を任せる党もないのだから、
目をつぶってあげましょう、とのんびり構えて、
国民は日々の平安を貪り、
日本国憲法なんて完全に忘れ去り、
ついでに、自分たちが日本の主権者であることなど気づきもしない、
これが現代です。




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# by hologon158 | 2018-04-08 23:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.04 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」4 カオス効果


ケルト文様もそうですが、
タペストリーの図柄、曼陀羅、みんな好きです。

なぜ好きなのか?
一見しても、よく分からないからです。
それなのに、独特の気分を味あわせてくれます。
要するに、カオス効果。
意味不明の図柄が私の心になにかをかき立ててくれるのです。
ゴブラン織りも同じような効果を出してくれます。
でも、不安やいらだちをかき立てるようなものはごめんです。
あくまでも、茫洋と浮かび上がってくるイメージが超越的で、
私の心をぐっと押し広げ、
永遠への憧憬を醸し出してくれる、
そんな美しい文様、模様でないと。

なぜ、そんなイメージ体験を求めるのか?
それはこの世があまりにも薄汚れ、希望がないからです。
宗教は、勧善懲悪、盛者必滅を基調として、
恵まれない人たちにいくばくかの希望を与え、
盛者、権力者に度を超した横暴、悪行を控えさせる威力を持っていました。
今、宗教は支配の道具にこそなれ、
権力者たちを正義、善、仁、義に向かわせる力はすでに失ってしまいました。
宗教は信者たちの間でだけ通用し、
信じない者には残酷、悪虐を尽くしても、
それが神の業の遂行であると合理化する、
手前味噌のスローガンと化してしまいました。
どこにも救いがないのですから、
本当の意味での末世、それが21世紀です。

私はタペストリーや曼陀羅、ケルト文様を眺めていると、
なんだか、上記のような現世の悪逆非道の向こうに、
一つの安らぎを見いだすように感じるのです。
権力をむさぼり、他人を踏みにじる、
そんな権力亡者たちの首相や官僚たちが、
そのような人間におとしめられ、それに気づかず、断じて悔いないことこそ、
彼らに課せられた劫罰なのだ、と分からせてくれるようです。
人を心から愛し、慈しみ、
美しいものを心から賞味して、心を清めることができる、
誰に向かっても恥じることのない人生を送ることができないからです。

私はよく書きます、
「これからは美しいものしか見ないでおこう」
なかなかそれはできないことですが、
とりあえず、テレビや新聞を見ないことで、
耳や目に安らぎを与えること、
それが私の毎日です。

でも、いくら考えても、どうも納得できませんね。
なぜタペストリーや曼陀羅を眺めていたら、心を清められるのか?
すべての人が一様に、心を清められるわけでもないでしょう。
とりあえず、私はそんな気分になれます。
どうやら、複雑極まりない紋様を読み解こう、味わおう、
という困難で答えのない作業が世の汚濁を忘れさせるのかも?



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# by hologon158 | 2018-04-04 22:17 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.03 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」3 一段ガタンと落ち


私がかなり長い間一緒に撮影に歩き、
一緒にイギリスも旅行した友人がいます。
内科医でした。
山辺の道で出会って、一緒に歩き始めて、
私がしばらくしてこう言いました、
「お医者さんですね」
私の一族には医者が多いので、
態度、姿勢、雰囲気、振る舞い、語り口から、
医者を見抜くのは得意なのです。

これがきっかけで親しくなったのですが、
65になった頃の彼の言葉が忘れられません。
「人間、60を越すと、ガタンガタンと階段を下りるように、
体が弱っていきますよ」

そのとき、私は決意しました、
「よし、僕はそうならない!」
そのために、歳を加えるにつれて、
運動量、行動量を増やしてきました。
ローマ帝国の軍団兵の調練法に習ったのです。

彼らは、史上珍しい位の知的な調練をしました。
たとえば、有史以来、艦隊をもたず、海戦など経験したことがないのに、
歴史上でも有数の海戦の名人であるカルタゴ艦隊との決戦を強いられて、
どうしたか?
浜辺に戦闘艦の実物大模型を作り、
櫂漕ぎの席を作り、市民たちが並んで、実物の櫂を握り、
太鼓に合わせて漕ぐ練習をしたのです。
そうして、見事カルタゴ艦隊と互角に戦える艦隊を造り上げました。
なんだか、かなりアマチュア的ではありませんか?

ローマの軍団も独創的でした。
隙間を置いて一人一人が自由に動きやすい空間を残して、
どんな態勢にも即応できるフレキシブルで強力な軍団を組んで、
ヨーロッパから地中海沿岸の諸国を征服しました。
その訓練法もまさに知的でした。
2倍の重さの甲冑と兵器を使って訓練したのです。
だから、戦場では軽々と戦えたのです。

私は、あまり思考力に長けた人間ではありません。
人生すべて直感、勘、インスピレーションに頼って生きてきました。
そんな私には、ローマ人の訓練法に共感するところが非常に大きかったようです。
彼らにならって、
歳をとるにつれて、運動、エクササイズを増やしてきたのです。

私は、よく書くことですが、
一度始めたら、たいてい、やめません。
だから、エクササイズは増えるばかり。
数ヶ月前に取り入れたのは、朝、靴下を片足立ちではくこと。
服を全部着込んでから、最後に靴下をはくのです。
下着のままで、立って靴下をはくのは簡単です。
全部着込んでいるから、ズボンの裾を押し上げつつ、
靴下を上まで引き上げるとなると、
にわかにバランスを取るのが難しくなります。

そして、数日前から始めたエクササイズは、
外出しないで、家にこもるときの足の訓練。
階段を昇降するたびに、必ず、3往復するのです。
体を手で引き上げずに、膝を大きく力一杯引き上げつつ昇降します。
2段飛びも加えます。

昨年加えて大成功だったのが、腹筋体操。
逆V字に肘を床にセットして、
その肘とつま先だけで全身を水平にホールドして、
目下は200数える間静止。
(最初は10数えることから始めましょう)
これはあらゆるエクササイズの中でも最もめざましい効果を上げました。
少し出始め、かつ筋肉から脂肪に変わりつつあった腹部が、
3ヶ月ほど経つと、ほぼ完全に平らになったのですから。

こうして歳を加えるにつれて、運動を増やしてきたおかげで、
退職後、まだ階段を一段ガタンと落ちたという感じになったことはありません。
ありがたいことです。

もっとも体力を保てている一番大きな理由は、
私の心の持ち方、生活法にあると、私は考えています。
一日中、無為に過ごすことがない。
昼寝もしない。
自分から体と頭を使うなにかをやり続ける。
さまざまなことに好奇心を燃やし、
好きなことに熱中する。
そんな「人生を楽しむ」姿勢が一番大切かも知れませんね。




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# by hologon158 | 2018-04-03 11:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.02 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」2 写真倉庫


もちろん写真作家たちは、写真表現作品を営々として創造しています。
でも、写真作家でもなんでもに素人が、
「私はこれらの作品で現代のアンニュイを表現してみたいと考えたのです」
なんて、言っても、考えたんじゃなくて、
こじつけただけじゃないの?
撮影時にそんな作品創造を構想して、
その構想にふさわしいシーンを追い求めて撮ったなんてできないじゃないの?
私はそう感じてしまいます。

どこで、その違いが分かるか?
簡単です。
言葉によるキャプションを全部取り除きましょう。
そうやって見せられたとき、
多くの人が作家の意図を的確に感じ取れるでしょうか?
感じ取れるなら、その写真は「写真作品」と言えそうです。
でも、たいていのいわゆる「写真作品」は落第。
言葉による説明の補足なしには、まるっきり理解不能ではありませんか?
まして撮影者の感じたことを想像するなんて不可能。
撮るときに撮影者の心になかったことをあとで付け加えるなんて、
ほかの芸術で起こるでしょうか?

コラージュがそうじゃないか?
そうおっしゃる方もおいででしょう?
でも、コラージュでは、
集められた素材は、アーチストが基本的構想の下に組み上げられ、
その全体の構図の中で完全に一体化し、
すべての素材の役割、関係性は一望すれば明らかになります。
写真ももちろんコラージュの素材になります。
題名が付けられても、内容を説明したり、補足したりするようなものではなく、
その題名もコラージュの一部となるように工夫されます。

写真だけ複数枚並べて、題名なしに、
作者の意図通りのコンセプトを的確につかみとれる人は稀でしょう。
それはそれで面白い発見、啓発となるでしょうけど、
作者の意図をしっかり把握してもらえなかったという、
隔靴掻痒感は残るはずです。
結局、それは美術界のコラージュと同等の芸術形態とは
言いにくい感じがします。

もっとも美術の世界でも、
たとえば、抽象画となると、コラージュ以上に理解は難しくなります。
結局は鑑賞者が自由にアイデアを遊ばせることになります。

ただし、写真の場合は、どんな風に組み合わせたところで、
写真は具象なので、自在に組み合わせる記号にはなりにくい。
アートのように自由な発想、アイデアを遊ばせるのは難しい。
作者がわざわざコンセプト文を付けると、
今度は、観衆はこの文章に心を縛られることになります。
組写真がドキュメンタリーにがなりえても、アートにはなりにくい、
そう結論せざるを得ない感じがします。

私の二つのブログでは、原則として30枚の写真を撮影順に並べています。
完全に私のストック、私の目の記憶なので、機械的に配列するだけ。
いかなる意味でも、私以外の人にアピールしたい何物も持ち合わせていない。
組写真ではありませんし、まして、コラージュでもありません。

このことはもう何十回となく明記してきました。
ネットに公開している限り、
なんらかの検索でヒットして、
ただのプライベートストックに過ぎないとは知らないまま、
一種の写真作品と誤解される方が居られるかも知れないからです。

こんな風にブログをプライベートな日記兼写真倉庫にしている人は、
私だけではないでしょう。
でも、私はブログサーフィンをしませんので、出会ったことはない。
私同様に、皆さん、人知れず、ひっそりと楽しんでいるのでしょう。

ただし、私のブログの場合、
検索にかかるデータがかなり含まれているために、
検索に偶然ひっかかることがあるようです。
でも、大抵の方は一目で辟易でしょう。
私のブログを時折訪れる人は、私の知る限り、数人。
おかげさまで、ますますブログ生活を楽しむことができます。

でも、近頃、記事数は減少の一途。
あれこれと忙しいので、投稿の時間がなかなかとれない。
いくらなんでも、撮影の収穫をすべてアップできない。
だから、半数程度に減らすのですが、その選別が一番やっかい。
少し前から、選別作業をオミットすることにしました。
60〜80枚を撮影順に選択して、ブログ用に縮小する作業中に、
不要写真をどんどんとパスするのです。
かなり楽になりました。



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# by hologon158 | 2018-03-30 22:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

718.01 ホロゴン外傅221「2017年11月13日スピードパンクロ50㎜F2奈良町散歩」1 忘れない!



スピードパンクロ50㎜F2の目も醒めるような画像を眺めていると、
これほどまでに際だって個性的かつ華麗な画像こそ、
このレンズが設計されたコンセプトだったのだろう、
そう推測せざるを得ません。
もちろんデジタル処理がスピードパンクロの個性を
かなり増幅している可能性は無視できません。

でも、私は今ではほとんどソニーα7をベースとして、
諸レンズを対比しているのですから、
レンズ間に際だった個性差があることは疑うことができません。
銀塩時代もその個性をさまざまに追い求めたのですから。
だとすると、映画制作者たちも、作品、情景を、
レンズの際だつ個性の助けを得て、
独特の映像美を生み出したい、
そう考えていたに違いありません。

名作は印象的なシーンの巧みな編集によって生み出されました。
そのもっとも印象的な表現の好例として、
私は、エイゼンシュタインの「イワン雷帝」1944年と、
キャロル・リードの「第三の男」1949年を上げたいと思います。
どちらも使用レンズは知りません。
オーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムの姿が出現するシーンは、
映画史上屈指の登場シーンですが、
この映画のモノクローム画像の切れ味の鋭さに、
スピードパンクロだったんじゃないかな、
そう考えたいですね。

スピードパンクロは19世紀末から1965年頃まで連綿と作られました。
これはスピードパンクロの名器であることの証明でしょう。
私が中将姫光学さんからお借りしているスピードパンクロ50㎜F2は、
レンズ番号に照らして、1920年代のようですが、
「第三の男」制作当時はまだ現役の花形レンズだったようです。

こうした名シーンを観るにつけ、
レンズの表現力が登場人物の演技を際だたせる武器になっています。
とすると、私たちの写真にも大きな効果をもたらしてくれる、
私はそう信じます。
写真家たちの強力な味方になっている。
だとすると、私のような素人写真となると、
個性的な写真をほしければ、
もう名レンズに頼るのが一番早道、ということになりそうです。

だから、私は正直に書いています、
レンズに撮ってもらっている。
だから、私は、私の写真に関する限り、
「自分が撮った」とは決して申しません。
「レンズに撮ってもらった」これが正直な気持ち。

そんなこと当たり前なんだから、
わざわざいつもどのレンズで撮ったかなんか、
言わなくてもいいじゃないの?
たとえば、この絵はどんなブラシ、どんな絵の具で描きました、とか、
この小説はモンブランで、鉛筆で、ボールペンで、ワープロで書きました、
なんて、誰も言わないように、
写真だって、道具をわざわざ明記する必要はないよ、
そう皆さんおっしゃるでしょう。

でも、私は事情が違います。
写真でなにかを表現した、
写真作品を創りたい、
そんな気持ちがまったくないからです。

こんな私にとって、レンズが与えてくれる個性的な外観はありがたい。
とりわけ、スピードパンクロ50㎜F2には惑溺してしまいます。
1920年代の製品なのですから、まさに百年前の光学製品。
この百年間、世界のレンズ会社が時代の要求に応じて、
改良に改良を重ねてきたのが光学機器の華レンズです。
それなのに、百年前のレンズに魅せられる?
なぜ?
理由は簡単です。
光学性能の進歩は、撮られた写真の進歩とは無関係だからです。
写真に進歩もなにもない、
私はそう信じます。
写真は必ずしもアートではありませんが、
その写真がどんな意味を持つとしても、イメージには違いありません。
イメージが鑑賞者にどんなインパクトを与えるかは、
すべての芸術同様に、一律に決められるものじゃありません。
極めてプライベートな体験。
紀元前の兵馬俑の兵士たちの生々しい命の印象は、
現代の彫刻芸術をときに遥かにしのぐほどです。
時代、時間、機器等の媒体、それらすべてが、
芸術性に関わることもあれば、関わらないこともあります。

でも、写真に関する限り、私の場合は一つ言えることがあります。
現代の完璧な光学性能のレンズで撮った写真は、
私には無縁です。
光彩陸離としているので、見た瞬間は心がもちろん動きます。
でも、次の瞬間忘れてしまう!
スピードパンクロ50㎜F2で撮った写真は?
忘れない!
なぜでしょうなねえ..................?



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# by hologon158 | 2018-03-28 15:15 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

717.08 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」8-完-


私は映画をTSUTAYAから借りて、自宅で楽しんでいます。
何年か前、まだ在職中、思い立って、
アメリカ映画を映画館で観ました。
実写とコンピュータグラフィックスが組み合わされて、
大画面、大音響、大迫力の映画でした。
凱旋門のような石の門の真っ正面のシーン。
その門が突然破裂して、阿鼻叫喚の大音響とともに、
ティラノザウルスがこちらに向かって飛び出しました。
いくらなんでも、ティラノザウルスでも生身の体です。
そんなことできませんね。
あまりにも刺激的過ぎます。
映画館で映画を観るのはやめました。

昨夜、ニュージーランド映画「ホビット」を観ました。
J.R.R.トールキンの名作ファンタジー「ホビットの冒険」の映画化。
と、思うでしょう?
でも、前作「ロード・オブ・ザ・リング」も、
トールキンの畢生の大作「The Lord of the Rings」を、
一生懸命映画化しようとしても、
結局、原作の雰囲気、精神は、まったく再現されることなく、
ただの大がかりがファンタジー映画にすぎなかったのですが、
本作と来たら、もうまるで完全に別物になっていました。

ファンタジーのインフレーションが高じて、完全に破産状態。
トールキンファンが観るものじゃありません。
こうした現象は日本でもどんどんと進んでいる感じがします。

どうも現代はなにもかもが過剰化の上昇曲線を
果てしなく昇っていく、そんな感じがします。
料理の味が濃くなる傾向は「味覚の堕落」を証明しています。
映画のあらゆるファクターが極端に濃厚になっていく傾向は、
「感受性の堕落」「感覚器官の鈍磨」を証明しています。
どちらの場合も、繊細、微妙、デリケートな味わいを
見分ける能力をすり減らしていきます。
世界中でそうした堕落が、つまり無神経化が進みつつある、
そんな感じがします。

日本人はかつて繊細な心情、情感を備えた民族であると、
自負してきました。
でも、今はどうなのでしょうねえ?



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# by hologon158 | 2018-03-24 23:22 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.07 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」7 晴れ舞台


私は、祭り騒ぎがはっきり苦手です。
晴れ舞台でなにかをする、ということ位、
ぞっとすることはありません。
だから、参加することも見ることも好きではない。
でも、人生、そんな機会がどうしても巡ってきます。
それが人生ですね。

そんな機会に突然何段もギアアップできる人がいますね。
めざましく、晴れがましく、立派に見えますね。
思わず喝采しますが、私はゴメンです。
生まれつきのようです。
私の6歳の孫プリンス、3歳の孫プリンセス1号は違います。
4歳から参加するようになったピアノ教室発表会でも、
お兄ちゃん、なんだかウキウキとした表情です。
妹まで、2歳から特別参加していますが、
まったく平然と、平常心で舞台に立っています。

七五三の子供ファッションショーにまで参加。
最後に、インタビューを受けて、ポーズで終わりますが、
参加者の皆さん、普通に、Vサイン程度。
最後に、兄妹が登場しましたが、
2人とも、全身を突然華麗に動かして、独特のポーズを決め、
満場、大爆笑となりました。
妹など、インタビューでしゃべり続けて、止まらない。
誰に似たのでしょうね?

なにはともあれ、そんな性格が私の写真に出ていますね。
私は、祭りという祭り、孫たちのおひな祭りは別として、
まるで興味も関心もなく、
写真に撮るためわざわざ出かけることもありません。
でも、そんな人間の前によくひょっこり顔を出すのが、
このお祭り。
旅先でも、撮影日にも、偶然ですが、よく会います。
これもロボグラフィですから、撮ります。
でも、ご覧頂いたら、お分かりでしょう。
祭りを最大限表現しようなんて心がまえがないので、
出会い頭、ただのロボグラフィとしてヒョイと撮るだけ。

今回出会ったお祭り、まことに地元限りのフェスティバル。
沿道に観客もなく、私と友人以外には写真を撮る者もなし。
全員地元の参加者だけ、という寂しさ。
奈良の郊外ですが、すでに過疎化しているのです。
住宅地もありますが、こちらはただのベットタウン。
昔ながらの住民のお祭りには関心がない。
ほんの一握りの地元民だけが随行しているという感じ。

そんな中にちょっと目を惹く美人も居たりして、
祭りに華を添えています。
子供ファッションショーの私の孫たちのポーズのようなもの。
こんな美人がいるだけで、お祭りらしさが際だつようです。
そんな祭りの華を通りすがりにホロゴンで写し止める、
そんなことはしないのが、私。
ロボグラフィというものは、
日頃誰も気に留めないような種々との出会いなのですから。



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# by hologon158 | 2018-03-22 11:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.06 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」6 何かを捨てる?


夕食には恒例の反省会を楽しみます。
餃子の王将を利用することが多いようです。
なぜ?
① 餃子に目がないから。
② 安いから。
社会的地位、格式、体面、体裁なんていう、
見かけは生涯無視して生きてきた私です。
そんな人間にぴったり来るのが、この餃子、
そうではありませんか?

退職後、精神的ギャップ、適応不全に苦しんだり、
華やかなりし過去を引きずったりしている
「昔エリート、今ただのおっさん」が沢山おられます。
私は、元来、そんな意識も地位もなく、
妻と二人で一庶民としてひっそり生きてきた人間ですから、
こうしたギャップはまるでありません。
ありがたいことです。

ついでに書きますと、
庶民のみなさんにも淡い階層意識がある方がかなりいます。
こういう方は、自分より目下か、目上かを本能的に見極めて、
言葉づかいや態度を変えます。

ところが、私は、万人は平等であると信じて生きてきたので、
誰にも同じ丁寧な態度、丁寧な言葉で接します。
すると、時折、タクシーに乗ったりしたときによく起こりますが、
こちらは丁寧な言葉でしゃべり、
運ちゃんはぞんざい、横柄に答える。
それでも、平気です。
なにも私をバカにしているわけではありません。
これは実は見かけだけのことが多いようです。
そんなしゃべり方しか知らないのです。
ところが、こちらも丁寧なしゃべり方しかしたことがない。
でも、外観は、主客転倒という感じがないわけではありませんから、
ちょっと吹き出しそうになります。

まあ、そんな私には、
完全庶民御用達の「餃子の王将」は似合いです。
食べ方も立ち居振る舞いもまるで地のままで通せるからです。
この日も、店内は庶民だらけでした。
右隣は、若いカップル。
無音のまま、華麗なる身振り限度で雄弁に語り合っていました。
左隣はかなり質素な身なりの老夫婦、
その向こうは、幼い子二人を同伴の若い夫婦。
向こうの4人席は中国人旅行者、
その向こうは、それぞれ一癖ありげな風貌の、
がっしりとした若衆4人。
まあ、全員、庶民です。
全員、例外なく声高に談笑。
気楽、気軽な雰囲気がなによりもご馳走ですね。

ただし、一つだけ、ちょっと様変わりがありました。
私がビールを止めたのです。
お湯割りの焼酎、それもコップ一杯だけ。
いつも一緒にジョッキを傾けていたDAさんも、
「それはいいことです」ときっぱり言って、
水割り焼酎、ライムソーダに変更。
私に悪いと、ビールを差し控えてくれたのです。
WKさんは、一番若く、まだ現役ですが、
酒はほとんどたしなまないので、水割り梅酒。
おかげで、ちょっぴり静かな談笑風景でした。

だんだんと何かを捨てる、
それがこれからの人生の趨勢かも?
でも、絶対に捨ててはならないのは、友人、ですね。



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# by hologon158 | 2018-03-19 22:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.05 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」5 近江八幡詣で


毎年正月早々、写真の友人たちと近江八幡の水郷を歩く、
これがここ何年かの習慣でした。
今年は、私も、次女が正月早々に出産したことなど、あれこれ重なって、
多忙を極めていたこともあり、
友人たちも遠慮してくれて、
ついに企画もしないまま日が流れました。
私もこのところようやく平穏な日常に戻ったことで、
友人たちに呼びかけました。
でも、友人たちもそれぞれに生活があります。

結局遅れに遅れて、3月10日に決行。
参加は4人、DAさん、EMさん、WKさん、そして、私。
DAさんはライカM3の使い手でしたが、
今はソニーα7派に転身しつつあります。
EMさんは、かつてはストリートスナップ、今は都市の景観の写真家で、
奈良、大阪、神戸で4つばかり写真教室を教えている写真家、
WKさんは、気配を写真に撮る名手で、今は朝まだき闇の墓地に潜んで、
夜明けの景色を撮るという、
不気味にして奇怪な写真世界に深く沈潜しています。
どこの墓地か、言わないでおきましょう。
あなたがまだ日の出前の墓地に入り込んで、
闇に大きな目がギラリと光ったら、
WKさんだと思っていただければ、ほぼ間違いがありません。
もっとも、正真正銘のお化けの可能性も50パーセントほどありそう。
よく考えてみますと、私が一番まともであると言えそうです。
いや、よく考えなくても、そうですが。

午前10時JR京都駅発新快速で出発。
午前10時33分近江八幡駅発。
路線バスに乗り換えて、バス停「丸山」で下車。
東側の広がる水郷地帯に向けて進行。
私の装備はソニーでそろえました。

ホロゴン15mmF8U付きソニーα7
スピードパンクロ35mmF2付きソニーNex

いつもどおり、撮影がはかどり、足は遅れました。
前方の南北道を左に折れることにより、
水郷の北側の丘を取り巻く村落をまず目指していたのですが、
前方では、遙か先行した3人は逆に右に折れて、
水郷の島の公園に向かっています。

折から通りかかった漁師の老人に尋ねました、
「あの島から北に橋が見えますが、
あの橋づたいに、あちらの丘の村に行けますか?」
「ああ、行けるよ」
この言葉で安心して、水郷の島の公園で友人たちに追いついたのですが、
橋をわたって次の島に行ってみると、
その向こうは水路で、向こうの丘にたどり着くルートなどありません。
見事、だまされてしまいました。
おそらく目的地の住民だったのでしょう、
「こちらは生活しているんだ、
物見遊山に写真撮りに来られてたまるか!」
というところでしょうか?

さて、どうしようか?
鳩首協議のうえ、もう昼食時間まで半時間、
一旦、水郷の入り口に新しくできた観光客目当ての施設で、
昼食をとってから、
午後のルートを相談することに一決。

かつては、ウェルサンピアでしたか、簡易保健施設があって、
その食堂の近江牛すき焼きランチが絶品でした。
新レストハウスには幾つかレストラン、カフェが開業していましたが、
かつてこのあたりで経験したことがないほどの盛況で、
ものすごい群衆がレストランに列を作っています。
テレビかなにかで紹介されたり、宣伝されたりでしょう、
昨年までには近江八幡の水郷にはほとんど人影もなかったのに、
えらい様変わり。
でも、予言できます。
2、3年で閑古鳥でしょう。
現代人は新しいものに群がるのですから。

徒歩7、8分のところに海産物販売を兼ねた食堂があります。
ウェルサンピア廃業後の行きつけです。
行ってみると、案の定、客はゼロ。
駐車場もあり、メインロードに巨大な看板をあげているのに、
この始末。
行列を作って長時間待つ位なら、こちらを選ぶ、
そんな人はいない!
なぜ?
テレビで観なかったから!
はっきり言って、そんな人たちとおつきあいするつもりはない。
互いに共通する話題がなにもないのでしょうから。

近江牛焼き肉ランチ1400円を注文。
おいしい料理でした。
でも、長い時間待たされました。
しかも、ほとんど冷えていました。
どうやら焼き肉を丁寧に冷ましてくれていたようで。
これじゃ、口コミで人を集めるのは無理かな?
味は良いのに、惜しいですね。
でも、おかげさまで、広い店内に私たち4人、
くつろぎのひとときを楽しむことができました。
料理店を出発したときはすでに2時過ぎだったと記憶します。

八幡宮に向けて古い家並みをそぞろ撮影しつつ移動しました。
定番のルートです。
私は、ソニーα7からホロゴンを外し、
スピードパンクロ35mmF2に代えました。
ホロゴンでは、撮影後の液晶画面が真っ暗なので、
なにを撮ったか、まるで分からないからです。

今考えると、8倍のグラデーションフィルターを付けていたせい。
ホロゴン15mmF8は、周辺光量がセンターの8分の1しかありません。
そこで、うろ覚えですが、
8倍と16倍のグラデーションフィルターが付属されています。
もともとグレーがかって暗いフィルター、
中央が周辺よりもぐっと分厚いために、
光量がかなり平均化される仕掛けです。
ストリートでは、逆光ではほとんど撮らず、
明るいものを順光で撮りますから、
撮影結果は液晶でかなり明るく見えます。
自然の中では、たえず逆行気味に陽光が差し込み、
液晶画面では、中心がぐっと暗く見えるので、
いつもどおり、液晶で像をチェックしたりせず、
ノーファインダーで撮りますので、いったい何を撮ったか、
どう撮れたか、まるで分からないわけです。

ホロゴン使いの写真家たちに出会ったことがありませんが、
たった一人分かっているのは、田中長徳さん。
猛烈に高く評価しておられます。
でも、ネットに搭載された紹介ビデオでの振る舞いが不思議。
彼のホロゴンに対するコメントはまさに絶賛なのに、
卓上に両肘をつけた両手の先でホロゴンウルトラワイドの両脇を
しっかりと掴んで、「カシャッ」「カシャッ」と空撮りしています。
これじゃ、撮れた画像は両脇に太い指が2、3本写り込んで、
まるで両側にソーセージを写し込んだようになるでしょう。

つまり、田中長徳先生、素手でホロゴンウルトラワイドを掴んで
ストリートで撮ったことが一度もないのです!
狭くて後ろに退けない狭い室内で、
ホロゴンウルトラワイドを三脚に付けて撮っただけなのです。

でも、ホロゴンウルトラワイドを使った方は誰も忘れないでしょう。
どんなにホールドしにくいか?
大きな手の人なら、親指と人差し指で大きく開いて、
ボディの両側の天板と底にかけて、がっしとホールドできるでしょう。
でも、ボディがかなり大きいので、きっとすぐに疲れてしまいます。
私は、左手を直角に開いて、親指でボディの左側壁を押さえ、
左の他の指をボディ底部に添えて、支えとし、
右手人差し指を右側上部のシャッターボタンにかけ、
親指を右側背面から、他の3本を右側壁から、ボディを押さえ、
こうして両手でボディを5方から押さえて、落ちないように支えて、
ほとんどいつもウェストレベルあたりに構えて撮りました。
これでもかなりアクロバチックで、誰かの体が当たったら、
ポトンと落ちてしまったでしょう。
だから、ストラップを右手にぐるぐる巻いて、落下を防ぎました。
一度も落ちそうになったことも、落としたこともありません。
これも、フィルムロールで2千本ほども撮り続けたから。
常用しないで、仕事の必要でテンポラリーにホロゴンを使う、
プロの写真家の多くは三脚を常用していたのでしょう。

ところが、ホロゴンウルトラワイドからレンズだけ取り出して、
ライカMマウントに改造してソニーα7に付けて、
驚喜しました。
ソニーα7のボディを普通にホールドしても、
写真に指が写らない!
フランジバックの関係で、
改造ホロゴンのレンズの高さが、ウルトラワイドよりも、
ソニーα7の方がわずかにボディ前面より高くなっているのでしょう。
おかげさまで、ホロゴンを普段使いできるようになりました。

でも、今回は、日差しが強すぎました。
半逆光になっただけで、かなり刺激的なフレアーが発生し、
かつなぜか画面に暗闇がかかります。
森山大道先生の後期モノクロームプリント時代に、
引き伸ばしプリントの段階で、絶妙に焼き込んで、
随所に謎の暗部が謎を生む仕掛けがされていましたが、
作家ならぬ私には、そんな仕掛けは無用です。

そこで、スピードパンクロ35mmF2に付け代えたのですが、
これが大成功。
1930年代のノンコーティングのレンズですから、
とにかく穏やかで、しかも、品があります。
私は、本来、ネーチャーなど撮らない人間。
水郷を歩いても、水郷の美しい景観を撮るのではなく、
そこかしこに隠れているロボグラフィたちを撮るのですが、
やっぱり古いストリート、路地のロボグラフィを撮り出すと、
まさに故郷に帰ったような気分。
大いに楽しみました。
収穫はホロゴンが67枚、スピードパンクロが349枚、
合計416枚。
短かった撮影時間の割には収穫はかなり大でした。

ところで、私の近江八幡詣では毎年恒例なので、
記事もおそらく8から10回に及んでいるでしょうけど、
近江八幡の中核とも言うべき日牟禮八幡宮に関する記事も、
写真もおそらくゼロに近いでしょう。
なぜか?
十数回に及ぶ近江八幡詣でで、
たったの一度も神社を訪れていない。
神道にいささかも共感も尊崇も関心もないから。

そんな私でも、二女の第二子が産まれて、
正月、一家で春日大社でご祈祷をして頂きました。
これは、娘、孫のためなら、
矢の中、火の中、神社の中もいとわない! 
という、健気な気持ちから。
我ながら、偉い!
でも、神道の神様、わかっているでしょうね。
最前列一番右の男、うやうやしく装っているけど、
ちらっとも信じておらぬ!
不届きなやつめ!
ま、これまでのところは、あまり天罰を受けた体験はなさそう。
これからかな?
来世で受けるのかな?
そのときは叫びましょう、
「親鸞上人、助けて下さい!」
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」なので、
私も助けて頂けるかも?




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# by hologon158 | 2018-03-17 21:53 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.04 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」4 井上亮のこと


誰にでも、人生の中で、
これだけは起こって欲しくなかった、
そんな出来事があるでしょう。
そんな中で、もっとも痛恨な出来事と言えば、
大切な人を失うこと、
これではないでしょうか?
両親といった近親を失うことも、
もちろんその中に含まれますが、
誰にせよ、寿命、定命とは言えないような年齢で、
あまりにも唐突に失なった人のことはとりわけ痛恨ですね。
私の場合は、親友の死がそれでした。

井上亮

2002年、享年55歳でした。
食道ガンでした。
彼が異色の心理学者、練達の心理療法士として、
かなり有名であったことを知ったのは、彼の没後なのです。

彼と知り合ったのは、1985年のスリランカ旅行でのことでした。
なぜか意気投合して、普段は月1回位は一緒に呑み、
それ以来、彼が世を去るまで、記憶では5回、
1989年8月から翌90年7月までのカメルーン留学を挟んで、
海外旅行を二人で楽しみました。

とにかく良く呑む男でした。
南西アフリカのナミビアをキャンプ旅行したときなど、
二人テントで過ごしましたが、
就寝前は差し向かいでウィスキーを呑み、
その日の反省会でした。
もっとも、反省させられるのはいつも私で、
彼が勝手に私に代わって反省してくれるという次第。
私は元来欠点だらけで、
家庭でも家族ら常時反省を求められる毎日ですから、
きわめて打たれ強い人間なので、
素直に耳を傾け、真摯に反省し、
酒とともにさらりとすべてを忘れ去る毎日でした。

夏期休暇を利用して、
イングランド、スコットランド、アイルランドと旅しました。
死ぬまで一緒に旅をしようと言い合っていたのですが、
2001年のある日、突然、電話がありました。
「食堂ガンにかかった。
ネットで調べてみると、致命率は60%強。
かなりあぶない感じがする。
両親のいる名古屋でいい病院はないだろうか?」
さっそく名古屋在住の整形外科医の義兄に尋ねて、
ガン治療の名声高い某病院を紹介してもらいました。
でも、受診したときには、すでに末期で、
幾箇所も転移していました。
あっと言う間に世を去ってしまいました。

ただし、手遅れであったことを知ったのは、後日で、
まだ十分間に合うはず、そう考えいていたので、
当時私は大きな仕事を抱えて、電話で数回話しただけで、
ついに見舞いに行くことができませんでした。
入院中お見舞いできなかったことがいつまでも心に残り、
彼の夭折にかなりの打撃を受けましたが、
その中には恨みのファクターもありました。
まだまだ仕事に旅に、人生を謳歌できたはずなのに、
突然、彼が自分の人生の時間を断ち切られたこと、
そして、私も、二人で行くはずだった旅の伴侶を失い、
心にポッカリ大きな空洞を開けられた感じだったからです。
今でも、心のキズは心の隅に残されています。

1989年、彼は文部省の奨学金で留学することになったのですが、
彼が選んだ留学先は西アフリカのカメルーンでした。
呪術師に弟子入りして、呪術を学んだのです。
彼から、彼の専門の話を聴かされたことはありません。
話しても分かるまい、と思っていたのでしょうが、
ほんのわずかに聴いた話では、
呪術師へのイニシエーションとなるテストは、
夢の中で、指折り数えながら1から10まで数えることだったが、
彼はそれをパスし、
そのあと、様々に教えを受けたこと(いくつか聞きましたが、
理解不能の境地のことなので、覚えていません)、
修行中、裸同然で暮らしたこと、
帰国の途について、ジュネーブでトランジットしたとき、
余った資金でローレックスを買ったこと程度しか覚えていない。

留学期間を終えて、帰国することとなったとき、
呪術師は、最後のテストを行い、
これをパスした彼に、師匠はこう言ったのです、
「もうこの国には呪術を学ぶものはいなくなった。
お前には私の知る限りのことをすべて教えた。
秘法を行う道具と、隠された神をお前に託そう。
お前がわしの跡継ぎであることは記録しておくから、
いつか呪術を学びたい者が現れたら、
お前が、わしがしたように、弟子にすべてを教え、
わしが託した一切の秘法を伝えてくれ」

彼の家でその話は聞きました。
「どこに秘宝はあるの?」
「誰にも見せるわけにいかないので、
廊下の押入深くに隠してある。
あんた以外には誰にも話していない。」
この秘宝も、得体のしれないガラクタとして処分され、
マリの呪術師の秘宝と呪術の奥義は失われてしまったのでしょう。

彼の書斎は、特製の大きな書斎机をどんと真ん中に置き、
背面に書棚、前面は隣の居間に面していて、間の襖を開き、
対面の壁に沿って配置されたステレオセットで音楽をかけ、
ウィスキーグラスをグビグビと傾けながら、
夜間朝方まで研究を続けました。

ナミビアでも、他の旅先でも、
夜必ず二人でウィスキーを呑みましたが、
酒豪ではない私はせいぜいグラス2杯程度で、
いつもなにか摘んでいたのに対して、
彼は生のウィスキーをぐいぐいと煽り、
アテはなしでした。
なぜ、そんな飲み方をするんだろう?
いつも不思議に思っていました。

彼にカウンセリングのことを聞いたことがあります。
その語り口から、
彼の呑み方の謎がすこしほぐれた感じがしました。

カウンセリングの成否を決めるのは、
相談者の邪魔をしてはならない、ということでした。
決して反応してはならない。
終始完全に受容器となって、
すべてを自分の中に納めていかなければならない。
聞き棄てしちゃえと、忘れるわけにはいかない。
相談者が陥った状況を打開して、相談者を救うのは、
あくまでも相談者自身なのだから。
カウンセラーは相談者を出来る限り理解し、
脇からそっとその手助けをするだけ。

でも、相談者たちの苦しみ、悩みをすべて引き受けていけば、
カウンセラーはどうなるのでしょう?
彼の心はやり場のない苦悩、惑乱の泥沼になってしまうのでは?
アレクサンドロスはゴルギアスの結び目を一太刀で切り離し、
長年の難題を一挙に解決してしまいました。

でも、井上さんの話を聴けば聴くほどに、
彼の心の中に伸び続けた縄は、容易に結び目は見つからず、
見つかって、これをほどいても、
その奥にまた別の結び目があるために、縄はほどけない、
そんな感じがありました。

私の大学時代の親友が同じ大学の同僚でした。
彼の話は示唆的です。
井上さんは気配を消す名人でした。
会議で、群衆の中で、ふっと気配を消してしまうのです。
すると、周囲の人間は彼がそこに居ることを忘れる。
大学の教授会は、多くの会議がそうであるように、
どうでもよいことを果てしなく蒸し返し、論じ直しの場。
そんな状態になると、彼の心はその場から消えてしまった。

彼と待ち合わせをしたことが幾度かありましたが、
人ごみの中に紛れ込んだ彼の姿は、沈黙に包まれ、
どこかその場から遊離していました。
彼は完全に気配を消していたのです。
そこに居る。
でも、誰も気づかない。
これこそ、受容器と化したカウンセラーの存在様式だったかも?

彼は、こうして自分自身の心に毎夜深く沈潜して行って、
心の奥底に沈殿している相談者たちと対話していたのかも知れません。
夜の静寂の時間こそ、何物にも邪魔されない沈潜のときだったのでしょう。
でも、解決の道を示す曙光は見えて来なかったのでしょう。
途方に暮れ、焦燥にいらだつ心をなだめるため、
あるいは、多くの宗教家にとっても、
恍惚の境こそ、悟りに導く最良の環境であることから、
もしかすると、彼は、酩酊状態こそ最良の精神環境だと考えて、
ひたすらウィスキーを身体に流し込む日々だったのでは?
身体を傷つけていることは十分承知しながら、
いわば、死と競争しながら、
人間心理の深淵への旅を重ねていたのではないでしょうか?

彼は、自分の業績を本にまとめないで、世を去りました。
没後、彼のエッセイ、諸論文が一冊の本にまとめられました。
「心理療法とシャーマニズム 井上亮」(創元社)
私が知ったのは、つい数日前です。
717.02 ホロゴンデイ202
「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」2 写真集
この記事で彼のことをちらっと書いたことがきっかけで、
グーグルで検索して、初めて知ったのです。

私は心理療法のことなどほとんど勉強したことがありません。
ヴィクトール・フランクルの本を幾冊か読んだ程度。
井上亮の論文を読んでも、理解できるとは思えませんが、
とにかくかつて互いに心を割って付き合った親友の本です。
手に入れないわけにはまいりません。
早速アマゾンで取り寄せました。
これから、じっくり読んでみます。

その序文の中に彼の一つの言葉を見つけました。

「結局、治療者は被治療者のもっている病をすいとる。
もし、病のもとであるギンナウォルが被治療者に
はいっているなら、それを治療者が自分にひきうける。
それをまともにやったら、死んでしまうから、
ギンナウォルからどうして身をまもるかを
よくしらないといけない」

序文の記載者はこうお書きです、
「ひょっとしたら、被治療者のギンナウォルが
井上さんの体をむしばんでしまったのかもしれない」

彼もこれに近いことを私に言ったことを思い出しました。
そこまで深みに入り込まなくてもよかったのに.........
彼は自分が長く生きられないことを知りながら、
心理療法の神髄をつかむため、研究に没入し、
ついに自分の命を生け贄のように投げ出した、
そんな感じがします。



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# by hologon158 | 2018-03-15 22:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.03 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」3 写真を愛して


私は最初の最初から、今と同じ撮り方をしていたようです。
つまり、写真作品を創るためではなく、
自分が出会ったものたち、光景を記録したい。
そんな人間に巧い写真は不要でしょう。
それに、私はそんな写真の才能などなかったのですから、
自分の背丈にあった写真趣味というわけです。

写真を始めた頃から今に至るまで、
巧い写真家にもどっさり出会ってきました
センスのある写真家にもどっさり出会ってきました。
写真の巧さにはある程度修練、努力が効果を上げるようです。
でも、写真のセンスとなると、
持って生まれた感覚であり、
いくら努力しても、身に付きませんね。
私はきわめて早期にそのことを悟り、
写真で人と競争するのはやめたわけです。

写真を始めた2年目と3年目、
当時住んでいた宮崎県の公募展に応募して、
最初に入選した後、残り3回は銀賞を受賞しました。
写真史に残るような高名な写真家の審査員から、
「久しぶりに彗星のごとく現れた大型新人」と言っていただきました。
この講評はよほど嬉しかったか、未だに忘れませんね。

でも、それできっぱり公募展への出品は絶ちました。
人との競争は自分の写真をゆがめる、そう感じたからです。
正解でした。
その後、公募展に受賞を重ねて、自分の写真を失った人、
いわゆるコンテスト屋になってしまい、
写真よりも、受賞歴、名声、ときには賞金を優先する、
写真屋になってしまった人にたくさん出会いました。
写真に対する愛情よりも、
他のなにかを愛するようになってしまうのです。

そんな人は一目で分かります。
目がやさしくない。
人を見ていない。
人の写真をちっとも本気で見ていない。
まして心から喜ぶことなどない。
人の写真を本気で見ているときは、
撮影場所や技法を知るため。

本物の写真家はそんな自称写真家タイプの人とは違いますね。
本当に写真を愛していますね。
私は、自称写真家のみなさんとはつきあわず、
本物の写真家、そして、私のように、写真は巧くないけど、
本気で写真を愛している人との交遊を大切にして生きてきました。
おかげで、本物の友情を培うことができた、
そんな感じがします。




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# by hologon158 | 2018-03-13 13:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.02 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」2 写真集


久しぶりに書棚から1冊の写真集を取り出しました。
「アイルランド 1999.8」(2000年5月発行)
何を隠そう!(なんて、隠すまでもないことですが)
私が雲雀屋製本所に製本を依頼して作った写真集第1号、
それがこれです。
オリンパスP-400という昇華型熱転写プリンター、
ご存じでしょうか?
知る人ぞ、知る!
パソコンの写真プリンターの最高峰の一つです。

なぜ、最高峰?
興味があれば、調べてみて下さい。
私にとっては、そんな理論よりも結果がすべて。
18年経っても、画像はプリント直後の生彩を保ち、
画像も純白の白地も、いかなる劣化もありません。
大阪長居の製本所の布地堅表紙の製本も布地表紙も、
いささかも劣化していません。
完璧な写真集、でも、たった一冊のプライベート版。
懐かしいですね。
心理学者井上亮、すぐれた写真家のINさん、
2人の親友と巡ったアイルランド西海岸の旅の記録。

この写真集を最初からめくってみました。
当時はもちろんポジフィルムを自分でスキャンして、
マックでプリントしていた時代です。
現代のデジタル写真との大きな違いは、
写真のコクにあった、そんな感じがします。
同じ色彩でも、ぐっと深いのです。
オリンパスP400の超精密プリントと相まって、
実に見事な色彩です。
写真も悪くない!
(自分で言うから、間違いがありません)
50頁ほど、かなり見応えがある印象に満足。
(あたり前です。自分が撮影したものから厳選したのだから)
ホロゴン、フレクトゴン35mm、ヘクトール73mmF1.9等、
往年の私の常用レンズで撮っていますから、
味わいは格別です。

懐かしい時が刻み込まれています。
でも、ちょっともどかしい。
一つ一つの写真が、次の写真とは場所も時も隔てられています。
ぶつ切りの思い出。

でも、写真集って、そんなものです。
写真家って、けっして撮影順に並べたりはしません。
いわば、現実は写真世界に組み替えられています。
時系列でもなければ、場所の連鎖もありません。
それが、独特の世界を浮かび上がらせるのが、
写真集の面白味なのでしょう。
これも一種の仮構の業なのです。

私も、当時から「写真ど素人」を標榜していましたが、
写真集を作るときだけは、
いわば「写真家ごっこ」を楽しんでいたので、
写真集ごっこを楽しんだわけです。

でも、久しぶりに写真集を一冊開いて見て、
悟りました、
「やっぱり、ごっこは、所詮、ごっこだな」

実際のところ、私は当時も今と同様、
自分の人生の記録として、写真を撮り集めていたのです。
人に見せるのは、いわば、おつきあい、名刺代わりに過ぎませんでした。
そんな私が写真家風に振る舞っても、似合うわけがありません。
その一番の理由は何か?
2008年からブログを始めて、はっきりと悟りました。
自分の写真は「表現」なんかじゃない!
人に向かってなにかを訴えたいという気持ちが全然ない!
私にとっては、純粋な日記であるブログ、
これが一番ふさわしい。
私は当時も今も変わっていないようです。


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# by hologon158 | 2018-03-09 23:55 | ホロゴンデイ | Comments(0)

717.01 ホロゴンデイ202「2017年10月8日ホロゴン15㎜F8U佐保路遍歴」1 死活の問題


さて、前回の撮影の3日後に、
今度は、ホロゴンウルトラワイド改造のホロゴン15㎜F8Uで、
大和西大寺から始めて、佐保路を歩いてきました。
なにしろノーファインダーで撮り放題なのですから、
収穫は660枚です。
ブログ収録はその半数に抑えることにしましょう。

さて、本文は前回の続きです。
引退後の生存原理を話をもって行こうと思っていたのですが、
気がついたら、孫のことにすっかり心が傾いていたようです。

そこで、今回は話を引退後の生存原理に戻しましょう。
仕事がなくなったら、どんなことを糧に生きていけばよいのか?
難しい課題ですね。

以前に書いたことがありました。
ある有能をもって鳴る辣腕のリーダーが、
70歳で公職を退く人たちの送別の宴で、
ごくごく晴れやかにお祝いの言葉を述べました、
「さて、皆さん、本当にご苦労様でした。
皆さんはこれで社会のためにすることはなくなりました。
これからは悠々自適の日々をお過ごし下さい」

物は言い様、ですね。
ちょっとドラスティックに過ぎたきらいがありました。
ご当人は、マイナスにとられるとは思ってもいない。
でも、送り出される側のリーダーは頭に来たようです、
答辞の冒頭にいきなり、
「ただいま、私たちはいつ死んでもよい、
というありがたい言葉を頂戴いたしましたが、...」

こうなると、まるで喧嘩ですが、
当然ながら、この送別の言葉の意味はそんなところにはなく、
「社会のためにこれまで十分尽くしていただいたのですから、
これからは自分のために思う存分人生を楽しんでください」
という意味だったのでしょう。
ものは言いよう、ものは取りようで、難しいものです。

でも、自分が引退してみて、考えるのですが、
「自分のために思う存分人生を楽しむ」って、
言うはやすし、行うは難し、ですね。
これができる人はとても少ない、そんな感じがします。
たいていの人は、とくにサラリーマンは、
会社、社会のために自分の人生を削りに削って生きてきたので、
今更、自分のために、と言われても、
そんな心の余裕も、覚悟も、精神的資源もない、
そんな人が多いようです。

引退後、「さあ、これからはやりたいことを思う存分やるぞ!」
と快哉を叫ぶことができる人は、
実のところ、普段からなんとか時間を削り取って、
やりたいことを存分にやってきた人なのかも知れません。

そこで、質問。
すでに引退しているあなた、
あなたは今自分の人生を生きていますか?
テレビ漬け、新聞漬け、朝寝、昼寝の毎日ではありませんか?

長生きしている人の多くは、
生き甲斐となるなにかにいつまでも没頭、熱中できる人のようです。
そんな人は男性に少ないようで、
元気に長生きしている人の割合は、女性8、男性2ほどではないでしょうか?
男はもう「余生じゃ」と気落ちしている。
女は「さあ、これからがホントの人生だ!」と意気軒昂の方が多い。

でも、男性も老年期をウカウカと過ごすわけには参りません。
考えてもご覧なさい。
あなたは信仰をお持ちですか?
どの宗教もあなたの来世のために特別のプログラムを用意しています。
信仰がありながら、ウカウカと過ごした人にはそれ相応の報いの来世。
もっとしっかり気を引き締めて生きたら良かったのに!
そう後悔するかも知れません。

もしあなたに信仰がなければ、私もそうですが、
自分の人生は一回限りなのです。
私たちは星屑でできている、
そう言われます。
すべての恒星がいつかは膨張し、爆発して超新星となります。
地球のような惑星もすべて運命を共にします。
すべてが宇宙屑となり、再び凝集し、恒星となり、惑星となります。
そして、生命が誕生し、人間のような霊長類に進化し、
文明を生み出すこともあるでしょう。
私たちは前代の恒星の一生のなれの果てというわけです。

というわけで、私の細胞を構成する原子、分子は、
このような進化のリングの中でさまざまな役割を担ってきたわけですが、
でも、前世の記憶を伝えるメカニズムなどないようです。
生命の記憶の媒体は遺伝子ですが、
この遺伝子自体、現世の生命体を生み出すために、
現世に構成されたものなのですから、
前世の記憶などあるはずがありませんね。

ということで、一体、生命って、どんな存在なのか?
死後の運命はどんなものか、誰にも分かりませんね。
こうなると、信仰のあるなしに関わらず、
これからの人生をどう過ごすかは、死活の問題なのです。
お互いがんばりましょうね。




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# by hologon158 | 2018-03-07 23:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」6 競争


うろ覚えですが、
ネットの記事で、キム・ヨナさんが、
今回のオリンピックのフィギュアの演技を観て、
言ったそうです。
「私にはとてもできない」

素直な賛辞と受け取ると、とても謙虚な言葉です。
現役であれば、絶対に言わなかったでしょう。
彼女がすでにゲームの世界から身を引いているからこその言葉。

でも、実のところ、もしキム・ヨナや真央ちゃんが現役であれば、
同じようなことをしようと努力し、そして見事やってのけたでしょう。
スポーツの世界の原理は「競争」にあります。
「人にできることなら、私にもできる」
「負け惜しみの才能」
これあればこそ、
「あいつにできることなら、私にもできる!
いや、できなければならない!
絶対にやるーーーー!!!」
こうして、さまざまな競技が世界記録を更新してきました。

私の孫プリンセス1号も、保育園の運動会で、
5人一組の駆けっこに見事1着でした。
後で褒めると、即座にきっぱりと、
「勝つつもりやったから!」
3歳ですでにまともに競争しています。

私は、なにか才能に恵まれたとしても、
この才能だけには恵まれませんでしたね。
私はこの心のステップを曲がりなりにも踏んだことが、
一度もないようです。
いつも思うのは、
「人ができても、それがどうした?」

私の基本原理はこれ一本でした、
「好きだから、やる」
必要があるときは、
「好きだから、がんばる」
要するに「自家発電型」
でも、どうやら、パフォーマンスの上限は、
他家発電型にはどうしても及ばないようです。

引退後よく思うのですが、
私が好まない言葉ですが、
いわゆる「老境」に入った人間にとって、
競争原理は多くの場合役に立たないのではないでしょうか?

同じ条件で生きる人がとても少ない環境に生きなければならない。
極端に言えば、「無人島のロビンソン・クルーソー」、
これが私たちの置かれた状況なのです。
競争しようにも、ライバルがいない。
こうなると、自分で生存原理を見つけなければなりません。
いろいろ思いつけます。

「競争は忘れろ!」
「自分の心に問え!」
「まず、動け!」
「なんでも試してみよう!」
「なにをやってもよいのだ!」
「何歳になっても、これから!なのだ!」

結局、自足こそ原理。
このような一般原理に、
私は自分の原理を付け加えます、
「美しいものだけを見よう」
「自分にはどうにもしようがないものは忘れよう」

私の孫たちはかなり才能に恵まれているようです。
たとえば、一番上の孫プリンス、6歳ですが、
野球、そして、阪神タイガースが大好きで、
昨年のシリーズ途中の故障者の故障の経緯、
その負傷の状態、治療状態、現在の状態を、
さらさらと列挙できます。
保育園の4つの年齢別クラス全員を知っていて、
その姓名、誕生日をさらりと列挙できます。
3月に保育園を卒園して、小学校に入学します。
3月に父兄と一緒にお祝い会を開きます。
2月に、その時点で、参加が決まっているのが何人で、
それは誰々、参加しないのが何人で、誰々、
未定が誰々で、その未定の理由、
これらをさらさらと列挙してくれました。
どうやら一度耳にすると、心の中にしっかり収まり、
無理に思い出す必要がないようです。
そして、保育園の誰がどんなことがすきで、誰と仲良く、
誰と仲が悪いか、ということもしっかり把握しています。

パパ(娘婿)に、将来、記憶力を使う職業を選べるね、
そう言いますと、ちょっと苦笑いして、
「ほんとに好きなことしか覚えないんですよ。
そんな気持ちになれる職業が見つかるかどうか、
ですねえ?」

私は孫プリンスや上記パパのように、
覚えたことは、思い出す必要がない、
ただ、頭からさらりと飛び出す、そんな能力が絶無。
でも、一つだけ共通しています。
「好きなことしかやる気にならない」
幸い私はそんな職業を見つけました。
なんということはありません、
父親と同じ職業。
でも、私は孫プリンスに私と同じ職業は勧めたくない。
私は人と競争はしなくても、
人の下に立つのは真っ平ゴメン人間でした。
だから、一生誰にも邪魔されず、やりたいようにやれる職業、
そう考えて選んだのですが、今は完全に様変わりして、
かなり窮屈なようです。
孫プリンスにも、孫プリンセス3人にも、
もっと自由で、もっと人にやさしい職業を選んでほしい、
そんな気持ちでいます。
できたら、芸術家がいいなあ............




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# by hologon158 | 2018-03-06 11:25 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.05 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」5 人類の頂点


不思議ですね。
私はテレビは見ませんが、
iPhoneの冬季オリンピックのニュースをちらっと見るだけでも、
各種スポーツで、果てしなく記録が更新されていきます。
一番めざましい例が、陸上競技の短距離100m。
長い間、10秒を切ることは人類には不可能とされてきました。
ところが、誰でしたか、この限界を破って、9秒台の世界記録を樹立した後は、
幾人も世界記録を更新しつつあるようです。

でも、現代人の体力、スポーツ能力は人類の頂点にある、
というのは、どうやら間違いのようです。
さまざまな文化で、さまざまな驚異的な体力を実現していたからです。
ざっと考えただけでも、江戸時代の飛脚の脚力、駕篭かきの運搬力、
中世ヨーロッパの甲冑で身を固めて、巨大な馬を乗り回した騎士たち、
これらの運動能力は現代人を遥かに超えています。

さらに、古代ギリシアの重装歩兵(ホプリテース)は、
およそ30キロほどの重量に及ぶ甲冑を身に付け、
巨大な盾と槍をもって、走り回りました。

マラトンの戦いでは、勝利の知らせを兵士の一人が、
戦場から走り続けてアテーナイに伝えた話が有名ですが、
それよりももっと重要な走りが会戦開始直後にありました。
アテーナイの重装歩兵たちがペルシア軍の戦列に向かって、
韋駄天走りに突撃したのです。
常識にない戦法でした。
軽々と走ってくる全身甲冑のモンスターに、
軽装備のペルシア兵たちはすくみあがってしまったのです。

ギリシアの重装歩兵の韋駄天ぶりはクセノポン、
「アナバシス(一万人退却)」に記録しています。
ペルシアの王子キュロスは、王位継承の争いに参加すべく、
ギリシア兵1万人を雇います。
小アジアからペルシア本土に向けて進発した後、
平原で両側に分かれて陣形を作り演習を行いました。
ギリシア兵の主体である重層歩兵が、
いきなり反対側の陣に向けて全速力で突撃したのです。
反対側の陣は、演習であることを忘れ、恐怖にかられて、
ギリシア兵が到達する前に散り散りに潰走してしまいました。

戦場でたいていの軍隊は全速力で突撃はしませんでした。
なぜそんなことをしなかったか?
理由は簡単に推測できそうです。
思うに、そんなことをしたら、
敵陣に到達するために、戦列はばらばらになってしまい、
しかも、へとへとになってしまって、
戦うどころではない状態になってしまったでしょう。
ところが、ギリシアの重装歩兵は、一糸乱れぬ戦列を保ったまま、
疲れも見せずに全速力で走ることができたのです。

なんでそんなことができたか?
古代ギリシアは一種の政治、軍事の演習場だったのです。
いずれも侮りがたい政治力、軍事力をもつポリスが何十と並立して、
覇権を競い合ったのです。
思想も政治も軍事技術も築城術も、
とにかくありとあらゆる面で、
古典ギリシャ人たちは実験を繰り返し、実践し続けることで、
あらゆる分野で比類のない発展をとげることができたのです。

彼らのこと、ホメーロス、テミストクレスやペリクレス、
プラトン、ソクラテス、アリストテレスのことなど、考えてみますと、
古典期のギリシア人たちは後代をはるかに凌ぐ知力、体力を備えていた、
そんな感じがします。

どうやら人間は、それぞれの時代において、
生きのびるために必要な体力、身体能力を、
どうにかして鍛え出しながら生きて来たようです。
現代人も同様でしょう。
でも、現代のオリンピック等の競技で培われる体力が、
人類が現代を生き延びるために必要な資源になるだろうか?
そう考えてみますと、どうもあまりにも人工的、にわか作り的で、
あまり資源にはなりそうにない、という感じがします。
むしろ薬漬け、人工食料漬けの人生を送らざるを得ないのが現代。
そんな現代人の体力は史上でも最低なんじゃないでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-03-04 15:02 | Comments(0)

716.04 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」4 二胡教室発表会


2月17日土曜日、
和歌山の県立図書館、メディアアートホールで開催された、
第五回陳少林、瓦野早紀子二胡教室発表会に参加しました。
瓦野さんは陳少林先生の弟子ですが、
頭脳明晰に加えて音楽的才能にも恵まれて、
優れた二胡奏者、二胡教師に成長した方です。

私は、陳少林先生の講師演奏の「陽関三畳」に、
揚琴で伴奏しました。
元来、古琴の古曲なのですが、
それを二胡の大家閔恵芬さんが二胡曲に編曲したものです。
これになんだか読みの分からない少数民族の作曲家が、
見事な揚琴伴奏譜を付けてくれました。
この二胡と揚琴のコラボレーションが実に見事で、
類い稀な二胡名曲ができあがりました。

名曲になった由縁の一つが、
揚琴が単なる伴奏に終わらず、
二胡としっかりと絡み合って、絶妙の二重奏になっているからです。
揚琴が活躍します。
冒頭がハーモニクスで始まり、ハーモニクスで締めくくるなど、
揚琴の技巧を凝らして、実に多彩に二胡と渡り合うのです。

私はほとんどこの一曲を陳少林先生と合奏したいがために、
ずっと陳少林先生に師事してきました。
すでに3回ほど人前でこの曲を弾きました。
でも、今から考えると、
よくもあんな未熟で、人前で臆面もなく弾けたものです。
近ごろはかなり上達したようで、自分でもかなり自信が出てきました。

でも、大きな落とし穴がありました。
揚琴は本体と脚部を併せて30キロ近い重さがあります。
車を運転しない私には、自分の揚琴を運ぶのは無理。
だから、陳少林先生がご自分の揚琴を用意してくださいます。
ただ、陳少林先生はもとより二胡奏者で、
いわば、ピアニストと同様に、自分の楽器を使わない。
今回の揚琴も、ご自分の伴奏者のYさんに預けている楽器。
そのため、とかくメインテナンスが不足ぎみのようで、
150本前後ある弦のかなりがヘタッテしまい、
弦によっては、スティックで叩いても、振動が不足。
低音部に至っては、まるっきり振動しないので、
本来の「ボーン」という深い振動音ではなく、
「コキン」という金属音だけになってしまっていました。
こんな楽器でも、プロが鳴らし方を工夫すれば、
ど素人の私がいきなりこんな楽器に対面して、
ぶっつけ本番では巧く行くはずがありませんね。

ただし、少しはあがりましたが、
演奏にはぜんぜん差し支えなし。
最後まで楽譜をしっかり確かめながら、
一応正確な演奏はできました。
最後のハーモニクスも寂しげなサウンドが出てくれました。

それでも、時折、「コキン」なんて雑音が混じるので、
次の音はちゃんと出るんだろうかなんてことに気をとられ、
十分には演奏に集中できませんでした。
まあまあ正確な演奏という程度を出ない伴奏でした。
満足感ゼロ、疲労感大。

演奏としては、もちろん陳少林先生と瓦野さん、
お二人の講師二胡演奏が見事でした。
陳少林先生のもう一人の弟子で、
長年ピアノ伴奏、助手を務めてきた女性奏者も、
実に見事に艶麗な二胡を聴かせてくれました。
このような優秀な演奏者を二人も育てられたのですから、
陳少林先生も大した教育者なのです。

二胡のかたわら、古箏を学んでこられた女性奏者も、
すでにプロ並みに成長し、実に絢爛たる古箏独奏を披露、
いつまで経っても途上国の私とは才能と努力の差は大きい!

他にも数人、二胡素人の私の目には驚くばかりに、
達者な演奏をする方がいました。
その他の皆さんも驚くほど高水準。
ほとんど音程をはずしたりせず、
それぞれに「聞かせる」演奏だったのですから、
かなり驚きの発表会でした。
そんな中でずっこけ気味の私です。
今後の方向を改めて考えてみないわけには参りません。
そろそろ「陽関三畳」一枚看板は辞めにして、
新しい曲を学び始めよう。
でも、陳少林先生の揚琴メインテナンスが済むまでは、
コンサート、発表会に出るのは止そう。
人生、一生懸命がんばっても、あちこちに罠あり、
なかなか思うようにはいかないものですねえ。



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# by hologon158 | 2018-02-27 22:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.03 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」3 ソール・ライター


2月15日木曜日、
4ヶ月ぶりに吉田正写真教室を受講しました。
先生も受講者の皆さんもお元気で、
以前に変わらず活発で和気藹々とした教室でした。

例の通り、前半は講義、後半は受講者の写真講評。
前半で印象的だったのはやはり優れた二人の写真家。
まず、わざわざ持参された写真集は、
マイケル・ケンナのモノクローム写真集。
私も同じ写真集を持っていますが、
写真展には未だ遭遇したことがありませんでした。

吉田正さんのお話では、
どうやら四つ切り程度の大きさで常に展示していたそうで、
写真のスケール感豊かな作風とは裏腹のプレゼンに、
彼の意図は垣間見えるようです。
大げさな写真世界を構築する気持ちはまるでなく、
自分の作品たちが一貫してミクロコスモスの雰囲気をたたえるよう、
写真家は工夫していたのかも知れません。
一枚、一枚が自足して、静寂の気を漂わせています。

もう一人は、ソール・ライター。
ドイツの出版社シュタイデル者が発掘した写真家として、
映画まで作られて、
どうやら世界的に有名になったようです。

YouTubeでも、紹介ビデオを観ることができます。
Saul Leiter
https://www.youtube.com/watch?v=RJdIJkt3Gz8

私が一番知りたいことは、
彼がファッション誌の写真家の職を捨てて、
隠遁してしまい、人に知られることなく、
こつこつと独特のストリート作品を撮り続け、
しかも自分から進んで、ストリート作家として、
世に作品を問う気持ちなどまるでなかったこと。

一体どうして、写真作家としての人生を捨ててしまったのか?
どうやって暮らしていたのか?
興味深いですね。
吉田さんのお話では、
同居の女性が生活費を稼いでいたようです。
奥さんなのかどうかは定かではないのですが、
そうまでして、どこにも発表する気もないままに、
あまり人が関心を抱きそうにない写真を撮り続ける、
そのあたりがまるで分かりませんね。

私のように、もともと別の職業を持っていて、
写真は完全にホビーに徹していて、しかも、
そのことを人にあまり知られたくないのであれば、
写真家的な行動をセーブするのは当然です。
でも、彼は、すでに職業写真家としてキャリアを積み、
そのキャリアに乗っかって、自分の写真世界を世に問う、
そんな道筋が普通と考えられるのに、
そうした形をとらなかったのですから、不思議ですね。

もう1つ、面白いことがあります。
ソール・ライターがそんな風にして撮り貯めた写真群、
たいていの写真好きの方には、本来、完全に無縁の、
極めて地味で、かなり意味不明な写真だらけ。
私はどうか、と言いますと、
圧倒的に驚嘆する写真が少しあり、
なんだか分かる写真もあります。
でも、半分以上は私には理解不能で、
正直言って、「ゴミ箱行き」と言いたくなります。
そのあたりがカルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛、
セバスチアン・サルガドとはかなり違う感じ。
それなのに、今、熱狂的な賞賛を浴びていること、
これがよく分かりません。
どうやら私はぜんぜん写真のことなど分かっていないらしい。

そのあたりが、無名のまま世を去った後で発掘された、
女性写真家、ヴィヴィアン・マイヤーと違う、
そう私には思われます。
ヴィヴィアン・マイヤーの写真群は驚異に満ちています。
カルティエ=ブレッソンのような偉大な写真家ではありません。
あくまでもアマチュア写真家のスタンスで生きた人です。
写真撮影が生活であり、人生であり、喜びであった、
一人のアマチュア写真家が日常に接する出来事、人々に、
素直に反応している心の記録が残されています。
その写真群は、撮影者の新鮮な驚き、喜び、
作為のない自然なリアクションの瞬発性に満ちています。
私には、撮影の瞬間のヴィヴィアンの気持ちが分かります。

でも、ソール・ライターが撮影時、どんな気持ちだったか、
私には分からないことが多い、と言うほかはありません。
彼の撮りたい写真を撮ろうという作意がありありと感じられ、
しかも、その作意に共感を感じることが中々難しいのです。
彼を発見したシュタイデル社の写真集を手に入れて、
再三、ページを繰ってみるのですが、
「ああ、この人って、こんな気持ちでこれを撮ったんだな!」
そんな共感が心に閃かないものがかなりあるのです。

伊丹市立美術館で写真展が開催されます。
2017/4/29(土・祝)-6/25(日)

私にはソール・ライターが理解できるんだろうか?
それを確かめに参ります。
理解できれば嬉しいし、理解できなくても、支障はありません。
私はそんな人間だというだけ。




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# by hologon158 | 2018-02-24 15:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」2 母なる大地


昨日、我が家に2ヶ月ほど滞在した二女一家が帰宅しました。
第二子出産のためでしたが、波瀾万丈の2ヶ月でした。
撮影に出られたのは、その前の1ヶ月を含めて、
たった2回。
その他、所用で外出したついでに、ヒットエンドランで撮っただけ。

ロボグラフィはその点しごく便利にできています。
犬も歩けば棒に当たる、と言いますが、
私の場合は、レンズ歩けばロボグラフィに当たる、でしょう。

今回のホロゴンは、今回の疾風怒濤時代が来る直前の撮影です。
至極、のどかに、のんびりと撮っていますね。
私にとって、ホロゴンは故郷、母なる大地なのですから。



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# by hologon158 | 2018-02-19 22:50 | ホロゴンデイ | Comments(0)

716.01 ホロゴンデイ201「2017年10月5日Mホロゴンが奈良町巡行」1 私の故郷


ちょっとした機会に、
和歌山から奈良に写真を撮りに来るアマチュアカメラマンの
プリントを観ることができました。
自分のことは棚に上げて、言わせていただきますと、
まるで駄目でしたね。

① 被写体がありふれています。
誰でも、そちらに向いて撮れは、どんな初心者であれ、
同じような写真が撮れてしまうでしょう。

② のっぺりとした光で、くっきりと浮かび上がりません。
ただ、撮っただけだなあ、という感じ。

③ ディジタルプリントの質があまりにも低すぎます。
なにかしらアート処理をして、粒状化し、淡彩に仕上げています。
でも、そんなアート処理がここでなんのためになされたか、
それが分かりません。
リアルな画像よりも印象的で、美しい画像になるのであれば、まだしも、
ぼけぼけにすることで、特定の場所が不特定のどうでもよい場所、
行きたくもない場所になってしまうのはいかがでしょうか?

推測するに、この写真家、
自分がどんな画像にしたいのか、分かっておられません。
確固とした写真観も、撮影技術も、デジタル処理能力もないまま、
画像処理ソフトを漫然と試しているにすぎません。
技法の文献ばかり読んで、
写真史の方はしっかりと学んでおらず、
自分の感性もしっかり鍛えておられないのでしょう。

以前にも、
「カルティエ=ブレッソンの写真には、
手ぶれや、ピントのずれがあるのが、よくありますねえ」
こう言って、自分にはそんな失敗はないと言わんばかりに、
優越感の表情でにんまりする人に出会ったことがあります。
手ぶれ防止の現代カメラに寄っかかっているに過ぎず、
銀塩カメラを手にしたら、ろくな写真も撮れないのに、
そんなこと、ちっともご存知ないうえ、
カルティエ=ブレッソンがわざわざそんな写真を
作品として発表している真意も価値も分からないのですから、
ただの「ど素人」。
自分たちがカルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛を超克してしまった、
そう心から信じている写真家がプロにもアマにもどっさり居そうです。
つまり、みんな、ただの「ど素人」です。

私は、そんな幻想を抱かないので、
そして、写真史は、写真術や写真思想の超克の歴史ではなく、
時代とともに変化しているだけと知っているので、
自分が40年撮り続けても、素人の域から一歩も出ていない、
まして、偉大な先人たちを超克するなど想像だにできない、
そう確信できます。
私も素人ですが、少なくとも自分の場所は弁えています。

最初の頃に書きましたが、
私は、オリンパスの昇華型熱転写プリンター、
確かP400だったと思いますが、このプリンターで印刷し、
写真集仕立てに編集し、製本所に本格的に製本してもらって、
数十冊、各1冊限りの写真集を作っていたことがあります。

久しぶりにその一冊を書棚から抜き出しました。
そんな写真集の第1巻「アイルランド」です。
2000年5月15日発行。
印刷時に表面をコートしていますので、
20年近く経っているのに、いささかの劣化もありません。
製本所の造本も見事です。

当時はカルティエ=ブレッソンに倣って、
ストリートスナップ中心でした。
スナップ、瞬間芸の写真が混じっています。
一応のスナップ技術を必至で駆使していたようです。
今では完全に夢と化した技術を、
当時は曲がりなりにも使えたようです。

10年一昔と言いますが、20年も経てば、
私は当時の私とは完全に別人。
写真に対する思い入れも撮り方もまったく別もの。

ただし、こうした写真集製作は、
自分が写真作家だと信じたり、志したりしたからではありません。
写真家である「かのように」の遊びとしてでした。
今、私は、その正反対、真実の素人遊びとして、
ブログを楽しんでいます。
私の2つのブログはどちらも、
作品としての思い入れなど一切ないままに、
「味噌も××も一緒にした」かのように、
自分の撮った写真を撮影順にただ倉庫の棚に収めていく、という、
作品発表とはなり得ない、プライベートな貯蔵作業。
そこに、人の理解を拒むような、完全自動書記風の、
雑念速記作業がダブルのですから、
よほどの暇人以外には、
私のブログをのぞいてみようとは思わないでしょう。

でも、私の気持ちはすっきりしています。
自分に高下駄を履かせたりしていない。

初心に戻って、ホロゴンを使ってみました。
やっぱり私の故郷です。




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# by hologon158 | 2018-02-16 12:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)

715.05 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」5-完-写真は足し算


「写真は引き算だ」
よく言われる言葉です。
どんな人が見ても、なにを撮りたかったか、分かるように、
邪魔なものは全部画面から外せ!
これが写真家に課せられる至上命令。

実際、なにを撮りたかったか、さっぱり分からないのが、
初歩的なアマチュア写真の通例です。
要するに、撮影者だけが撮りたかったものを知っています。
でも、それを邪魔するファクターが一杯画面にひしめいている、
だから、見る人には、撮影者が何を撮りたかったか、分からない。
そんな写真がほとんどです。

撮影時、光景を前にして、なにが邪魔で、なにが必須か?
初心者にはなかなか分からないものです。
撮って、撮って、撮り続けて、
撮れた写真を観て、観て、見続けて、
ようやく経験的にしっかりと身に付くものです。
そこで、「写真は引き算である」
そう言われるのです。
最初からそれが分かる人がいます。
でも、あなたは、自分がそうだと思っても、
その判断はたいていの場合間違っています。
そう思った方が安全です。

私はもともと不器用でセンスなどない人間でしたから、
ただただ闇雲にシャッターを切っていただけでした。
でも、写真経験が40年を超えると、かなり分かってきました。
分かって来たのに、その挙げ句が面白いですね。
私は、人が見て、どう思うか、なんて、
すっかり超越してしまいました。
人は人、私は私、そうじゃないですか?
だから、光景を整理して写真を撮る必要がなくなってしまいました。

私の父が出張で東京に出かけました。
今から何十年も前の話です。
東京駅は当時も雑踏で、人がひしめいていました。
はるか後ろから呼び止められました。
「※※くーん!」
父は振返りました。
東京在勤の友人です。
「この人ごみの中で、僕のことがよく分かったな?」
すると、友人は答えました、
「分からないでか!
東京で、そんな格好できる人間なんて、お前くらいだよ!」
父は、手持ち品を入れた風呂敷を腰に巻いていたのです。
人が見てどう思うかななど、一向に気にせず、
成り振りかまわず、やりたいことをやる男だったのです。
私の父ですから。

そんな父を持った私です。
ホロゴンウルトラワイドを手に入れた頃からですが、
自分の写真を人が見てどう思うかなど、気にするのはやめました。
私がなにを撮りたかったは、人がどう思おうとも、
私一人が分かっておれば、それでよいのです。
写真に余分なものが一杯詰まっていても、
まったく問題がありません。
私は自分が何を撮りたかったか、分かっているし、
別に人に見てもらう必要もなくなってしまったのですから。

たしかに写真は「表現」です。
でも、私の写真は、私に向かっての表現。
どんなに沢山のガラクタ、邪魔者が写真に写っていても、
自分がなにを撮りたかったかは、ちゃんと分かっています。
つまり、目の前の光景、がらくたの山のような光景、
これこそ私が撮りたい写真なのですから。
私にとって、
「写真は足し算」なのです。



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# by hologon158 | 2018-02-12 15:32 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

715.04 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」4 拒否反応


半月前、左下奥歯にブリッジを入れてもらいました。
後ろから2、3番目がダメになったのです。
だから2本をカバーする遠隔ブリッジ。
最初は違和感がありましたが、
一週間で、気がついたら、ブリッジを入れた左側で、
違和感なく、ものを咬んでいました。

ところが、その後数日で急変。
そのブリッジの支えの両側2本の歯、
おそらくその歯茎が痛み始めたのです。
痛みは次第にクレッシェンドしてきました。
週末は歯医者さんがお休みなので、
先週金曜朝、行きつけの歯医者さんに飛び込みました。

なかなかの腕前の先生なので、たちどころに原因を解明。
私の噛み合わせがかなり強いうえ、咬みどころが移動するので、
ブリッジ部分に力がかかってしまったのです。
噛み合わせのきつい部分を少し削っていただき、
噛み合わせを調整していただくと、
もうほとんど痛みはなくなりました。

どなたもそうですが、食事中、なにかを夢中に考えているので、
歯のことなど忘れてしまいますね。
信長も詠ったように、「人生五十年」の時代には、
人間は、身体にガタが来る前にたいてい世を去っていました。
男女とも世界有数の長寿国となった日本人は、
とりわけて、さまざまな部位がすり減るという憂き目に、
誰もが出遭うことになりそうですね。

無事歯科医の治療が済んで、外に出て決断。
この日は夕方孫プリンス6歳のピアノレッスンの付き添い日。
さっさとJR奈良線の大和路快速で平野に移動することにしました。
これに備えて、スピードパンクロ35mmF2付きソニーα7を、
バッグに忍ばせてきました。
前回京都に持ち出したのは、スピードパンクロ50mmF2。
35mmは私の所有です。
場所は違いますが、ここは一つ勝負させてみよう、というわけです。

50mmは、私に言わせると、
私の所有するアストロベルリン50mmF2.3と並ぶメタモルレンズ!
メタモルフォーゼを起こす異貌のロボグラフィを生み出すレンズ。
そして、スピードパンクロ35mmF2は、
私にとっては、アストロベルリンに次ぐ、メタモルレンズ。
ならば、同族の50mmとどれだけ勝負できるか?
さあ、お立ち会い、というわけです。

35mmはチビレンズです。
レンズの大きさは50mmの半分位。
35mmフィルムサイズを完全にカバーするには足りない、
という点では、どちらも、一緒。
不足の程度も同じ位。
だから、どちらも35mm映画フィルムのレンズとして、
同系列の姉妹レンズではないか、と思うのですが、真相は不明。

昼食を、JR平野駅近くのすてきな喫茶店でいただいたのですが、
私は、近ごろ時間間隔がマヒしてしまい、まだ午前中と誤解して、
豪華な果物、ゆで卵、トースト、コーヒーのセットを注文。
470円で豪勢なモーニング!
でも、食べながら、時計を見て、キョトン!
もう正午を回っていた!
というわけで、撮影しながら、平野から加美に南下して、
午後4時、孫の保育園近くの喫茶店に転がり込んで、
カレーライスを注文してしまいました。
お腹がペコペコだったのです。

スピードパンクロ35mmF2は、いつもながら、絶好調。
50mmに共通して言えることが一つ
開放最短撮影距離の接写をしたときの背景、
とくに空のボケの雰囲気が大変に甘いのです。
まさに幽玄。
ゾンネタールのようなクリーンで冴えた透明感とは違います。
むしろぎっしりと空気が詰まった感じ。

カレーライスは適量で、しっかりと煮込まれて、満足。
これからこのお店、愛用させていただきましょう。

午後4時25分、喫茶店を出発。
描写性はかなり似ています。
暗部の描出力が優れていて、
光の当たった部分にほんわりとフレアがつくので、
夢のような味わいが自然に出ます。
ただし、50mmはかなりデモーニッシュな傾きがあって、
豪勢なメタモルフォーゼをひき起こしてくれます。
35mmはかなり穏やかです。
デモーニッシュな味はほとんどありません。
それだけに普段使いしやすいとも言えそう。

先日の京都では、寒さによる電池の激しい消耗に苦しみました。
今回はそんな苦労は絶対にしないぞ!
JR奈良駅のコンビニで熱いお茶を購入し、
ダウンジャケットの内ポケットに入れ、
電池4本入れたバッグをそれにピタリと当てて収納。
JR平野駅下車後、その1個をソニーα7に装填。
すると、電池残量はしっかりと100%表示。
京都では、100充電しておいたはずの電池2個の、
ソニーα7に装填時の残量表示が10%と40%だったのとは大違いです。

さて、保育園に孫プリンスを迎えに行き、
今来た道をまっすぐ引っ返して、
ピアノの先生のマンションに参りました。
6歳ですが、私と対等に話します。
さて、今日はどんなおもしろいニュースを聞かせてくれるか?
楽しみにしていたのですが、彼の近ごろの関心は阪神タイガース。
阪神タイガースの公式ブックを舐めるように読み、
平かなとカタカナしか読めないのに、
選手たちの漢字名等、野球に関係のある漢字を自習。
昨年のタイガースの負傷選手たちの負傷時の顛末、
その後の復帰の具合を事細かに教えてくれます。
どうして、そんなディテールを知ったかの、謎。
「昨年、病気で消えていた選手がいたね?」
すると、即座に、
「横田?」
「今、どうしてる?」
「二軍でがんばってるよ」
知っていることは、思い出す必要がありません。
右手がどちらか、目がどこについているか?
そんな問題と同様、答えが分かっているようです。
私はそんな記憶力とは無縁だったので、いつも驚き。
ちょっと羨ましいという感じ。

ところで、ブリッジ部の痛みですが、まだ続いています。
分かりました。
2本の歯がダメになって、その両側の2本でブリッジ。
つまり、両側、とくに内側の歯に負担がかなりあって、
拒否反応を起こしているのです。
2本の欠損を放置したら、
上の歯が降りて来るというリスクを回避するため、
このブリッジは絶対に必要なのですから、
当分、右側主体でものを噛むこととして、
なだめなだめながら、段々と慣れてもらわないと。



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# by hologon158 | 2018-02-07 16:22 | Comments(2)

715.03 ホロゴン外傅220「2017年9月27日ズミクロン35㎜F2の新大阪」3 笑いの天才


2月1日木曜日、
奈良町に出かけました。
それにしても、2018年元旦になったと思うと、
あっと言う間に、2月。
「白駒が隙を過ぐるが如し」
まことにその通りです。
ときどき、考えます。
昔の哲学者ロックが、時間とはPerpetual Perishingだと言ったのは正しい。
でも、自分の人生が砂時計のように崩れ続けて、
あっと言う間になくなってしまう、なんて、
絶対に許すものか?
人間のさまざまな営みはまさに「抵抗」ですね。
むざむざ崩れさってよいものか!
でも、そんな営みにいそしむ人間たちが心を同じくするわけでもなさそう。
むしろ人間って、てんでばらばら、それが面白い。
今日久しぶりに図書館に参りました。
なにか読むに値する本を探したい、
そう考えたのです。
でも、無惨な結果に終わりました。
どれを見ても、ぜんぜん食指が動かない!
そこで気づきました。
結局、私は世界を広く知りたいとは思っていない!
私が好む場所、人、もの、アート、そんなものだけを、
私の関心のサーチライドは照らし出しますが、
それ以外のものはちらっとも興味を抱けない。
そうなのです。
本来の落語の楽しさを味わうためには、
格調も風格も邪魔なんじゃないか?
そんな感じがしてしまうのです。

その点、二代目桂枝雀は、私が出会った限りでは、
最高の「笑いの天才」、
そう言い切ってもよさそうです。
Youtubeに数知れずアップされています。
江戸の落語と大阪浪速の落語との違いであり、
私が大阪人であるから、そんな感じ方をするだけ、
そうなのかもしれません。

志ん朝のときもそうでしたが、
枝雀についてグーグル検索して絶句しました。
すでに亡くなっていたのです。
凄いと思う人の多くがすでに世を去っている、
そんな経験が多すぎます。
凄い人間のストックが段々と減っている、
そんな感じを拭うことができません。
政治家なんて、なんだかカスだけ残った感じ。

枝雀の死がショックだった理由が
どうやら鬱病が高じての自殺だったということ。
ウィキペディアによりますと、
「古典落語を踏襲しながらも、
超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、
客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する」
でも、その陰には、心身をすり削る苦しみが、
彼をさいなみ、擦り切らせていったようです。
あらゆるものに広く深くサーチライトを当てる、
そんな人生は私には無縁だったのです。
結局、桂枝雀の落語CDを5枚借りて退散しました。
なぜ、枝雀か?
落語ファンデもなかった私が突然落語に目覚め、
立川志の輔、古今亭志ん朝と出会い、
目下落ち着いた先は桂枝雀、
というわけです。

なぜ?
志の輔はエネルギッシュで、
とくに創作落語の語りに抱腹絶倒させられます。
でも、志ん朝に出会うと。
まだまだ本物の域に達してはいないな、という感じ。
緩急自在の呼吸、という点で、志の輔はまだまだ、と感じるから。

志ん朝という人は本物の落語の天才、
そんな感じがします。
語りの呼吸、緊迫感は一分の隙もなく、
古典落語を今創作しつつ語る、そんな自在さがあります。
でも、最高に面白いか、というと、
残念ながら、いつも最高に面白いとは言いがたい。
古典芸能としての落語の継承者、中興の祖としては申し分ないけど、
落語の本質が「笑い」、リラクセーションにあるとすれば、
志ん朝はその本質をいつも極めてくれているとは言いがたい。

私が最近落語熱に感染して、出会った中では、
そんな落語の本質、奥義に一番近かったのは、
どうやら桂枝雀らしい、私はそう考えています。

YouTubeで、彼の講演を見ていますと、
なんと目が悲しげなことか?
どこか屈託があり、鬱屈があり、途方に暮れた視線に戸惑います。
人々の苦悩を和らげ、その人生にいくばくかの潤いと慰めを与えるため、
しばしの笑いを生み出すために、どれだけ苦しみ、どれだけ苦悩したか?
そうして、ついには一人の天才が鬱病の末に自殺を図って死に至る、
なんて痛ましいことでしょう。
もう言葉が続きませんね。




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# by hologon158 | 2018-02-04 23:33 | ホロゴン外傳 | Comments(0)