わが友ホロゴン・わが夢タンバール

34.13ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」13 現代の重装騎兵をご紹介いたしましょう


前回の文章をお読みになった方は、
私が一眼レフの重みに耐えられなくなったことにお気づきになったはず。
でも、重みというのは相対的なものです。
カメラのことにたとえますと
誰か奇特な人から、ある日、出先で突然ライカの創業以来の全機種をもらったとします。
「これ持って帰れるのなら、全部あげるよ」
実は、これがどの程度の重さか、私には分かりませんが、
きっと相当に思いでしょうね。
だけど、絶対に持って帰るでしょうね、それも重さを苦にせず!
こう考えると、むしろこう考えるべきでしょうね。
私は、一眼レフの重みに耐えるほど、一眼レフに意味を感じなくなった。
すごい奴らのことを思い出しました。
随分前、アテネの国立博物館で、ギリシア古典期の重装歩兵の兜を見たことがあります。
なんと、金属の塊のようなぶ厚さ!
重装歩兵はホプリテースと言いますが、全身にこのような金属製の甲胄を付け、
重い楯と重い槍を持って、走ったのです。
アテーナイの重装歩兵がペルシアの圧倒的な戦力を打ち破った、
有名なマラトンの戦いには、4つの疾走があったと、
歴史の父ヘロドトスは書いています。
まず、マラトンでの戦闘が始まったとき、
名将ミルティアデスの率いるアテーナイ重装歩兵は、
ときの声もあげず、無言でペルシア軍めがけて疾走してきたのです。
身体中どころか顔までも兜で覆った重装歩兵たちを見て、
ペルシア人は叫んだことでしょう、「わあ、ターミネーターだあ!」
もうこれだけで、勝負あった、というところ。
ほとんど損失なしに、ヘルシア軍に壊滅的な打撃を与えたアテーナイ人、
ふと見ると、ペルシア艦隊がスー二オン岬を回って、
アテーナイに向かおうとしているのに気づきました。
戦闘員全部がマラトンに出動していたアテーナイ人たち、
甲胄のまま、アテーナイに駆け戻ったのです。
その前に、勝利を伝える伝令兵がアテーナイに走った話は有名ですね。
でも、もっと凄いのは、スパルタ人たち。
王様をはじめとするスパルタ兵は、アテーナイを救援せんと、
甲胄をつけたままスパルタから駈けに駈けて、途中で勝報を聞いたというのです。
信じられないような体力!
この4つの走りのすべてに共通するのは、責任感でしょうか?
祖国の自由のためであれば、甲胄の重さなんて苦にならない!
でも、やっぱり重かったでしょうね。
こんな風に考えますと、一眼レフの重さを苦にするなんて恥ずかしいですね。
そこで、現代の重装騎兵をご紹介いたしましょう。
そう、バイク野郎たち。
でも、現代の騎馬(ここでは自転車と車)も役に立たなくなると、
いつかはこんな風に捨てられる。
つわものどもの夢のあとですね。

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# by Hologon158 | 2008-10-22 22:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)

34.12ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」12 私は一種の運命を感じるのです


二度ばかり、RAさんのお話をしました。
鶴橋に無理矢理呼び出したわけですが、
RAさん、出がけにふと思いつきました。
実は、レンズを一つ手に入れたばかりだったのです。
ご存知でしょうか?
戦後ツァイスは、レンズメーカーとしての起死回生の策として、
超弩級一眼レフ、コンタレックス・シリーズを発売したのです。
ところが、ニコンがほぼ同時に、もっと廉価なニコンFを発売。
コンタレックスは超豪華、超高価なカメラだっただけに、
各国報道機関もカメラマンたちもみんなニコンに殺到し、
コンタレックスは、古今最高のレンズ群を用意しながら、
行き倒れとなってしまったという歴史があります。
このレックス(と略するのが通)の25ミリを手に入れたのです。
以前このレンズを愛用していたのですが、
あまりにもレックスのシステムが重いために、手放していたRAさん、
やっぱり夢よもう一度と急に思い立ったのでした。
でも、ボディがありません。
そこで、あるクラシックカメラ店でⅠ型を予約した直後だったのです。
2人無事出会うことができて、まず喫茶店で休憩しましょう。
その席で、RAさん、まことに申し訳ないという顔で、25ミリを取り出したのです。
というのも、私が口癖のように、カメラコレクション売ってしまいましょう、
メインを決めないと、自分の写真は撮れませんよと言い続けてきたからです。
ところが、このレンズを見た途端、私、長年の懸案解決策を思い付いたのです。
私自身、長年コンタレックス・スーパーをメインとして撮ってきたのですが、
ホロゴンに乗り換えてから、無用の長物と化していたのです。
「RAさん、それじゃ、ぼくのスーパーを使ってください!」
私のスーパーが猛烈に美しいことを知っているRAさん、
「それはいけません。高く売れるのですから!
ぼくは安いI型でいいですよ」
2人で押しくらまんじゅうすること約10分、ついにRAさんが折れました。
彼は、翌日、I型を買い取りに出かける予定だったのです。
私が突然、RAさんを呼び出そうと決心したために(こんなことは初めて)、
私は、愛機をもっとも信頼できる友人に使ってもらえることとなり、
RAさんも、機能的にも品質的にも美しさにおいても遙かに劣るⅠ型を使わずに済んだのです。
この経緯を思い返しますと、私は一種の運命を感じるのです。
現実には、すべてのランデブー、すべての出来事が、
これと同じように、あることが起こらなければ、これはなかったという、
非常に稀な条件が次々と起こることによって起こります。
因果の連鎖というのは、そういうものです。
でも、そんなことを言っていたら、人生、あまりにもつまらない。
いやあ、良かった!
こんなことが起こるなんて!
などと、心から喜べる出会い、事件があったとき、
その発生する確率の低さを思いを巡らせて、
ああ、運命だなあ、と心から喜ぶ、それでいいじゃありませんか!
翌日、さっそく宅急便でお送りしました。
標準レンズの王様と私が信じているプラナー50mmF2付きです。
梱包するとき、もう一度、カメラをなでまわして、
「いい人だから、幸せになるんだよ」って、言い聞かせました。
なんだか、こっくりうなづいたような気がしました。
長年、使わなかったので、この日の来るのを覚悟していたみたい。
その翌日、RAさんからお電話。はずんだ声で、お礼をおっしゃった後、
「ちゃんと磨き上げたら、ぴっかぴかになりましたよ、
(このカメラのメッキは猛烈に美しくて、ほんとうにキラキラ輝くのです)
今度会ったとき見せたら、絶対に、取り戻したいと思いますよ」
私、「そうかも知れませんよ、見せない方がいいですよ!」と言いつつ、
内心、にやりといたしました、
レックスの手前そう言ってあげないと駄目だけど、
ぼくにはホロゴンウルトラワイドという伴侶がいるので、それはないな!
今回の写真のものたちとの出会いだって、一種の運命なのですね。

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# by Hologon158 | 2008-10-22 18:39 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.11ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」11 次の角を曲がると、なにが待っているか、分からない!


路地裏で歩く醍醐味、
次の角を曲がると、なにが待っているか、分からない!
出現するものは、まるで予想不能、そして、奇想天外!
たとえば、蟻塚のことを考えてみましょう。
何百年もの歴史を持つ蟻塚があるそうです。
また、オーストラリアのシロアリの塚は26フィートのものもあるとのこと。
学者の説では、人間のビルに換算すると、
エンパイア・ステートビルの4倍の高さ、
直径は5マイルに相当するということです。
その中に何百万というシロアリが生活しているのです。
一つの国ですね。
巡回班が居て、温度、湿度をチェックして、通路を開けたり閉じたりすることで、なんとこの全体の空気を均質に保つとのことです。
ほんとうですかねえ?
完全に同一温度、同一湿度の基準を体内に持っている巡回班が、
数知れずビルディング全体に散開して活動しているのであれば、
それも可能なのかも知れませんね。
ちょっと話がそれました。
私が言いたかったことはこうです。
そんなシロアリの塚の通路を私たちが歩くことができたとして、
たしかにさまざまな部屋があり、
さまざまな栽培、繁殖を行っているそうですから、
実に豊かな営みをくりひろげる光景を見ることができるでしょう。
でも、通路のそこを曲がったら、なんと戦前からと思われるゴミ箱があった!
わあ、この窓の下の花壇、なんて美しいのだ!
あれっ、どうしてこんな所にこんな美しい壺があるの?
などという、意表を突くような光景に次々と出くわすことは、おそらくないはず。
人間の路地だからこそ、
さまざまな個性のある人間が住んでいるからこそ、
ホースがこんなに見事に壁のオブジェと化していたり、
自転車、靴などがコラージュ風の光景を作り出したり、
現代の造形アートと見まがうほどのけったいな応急壁を作ったり、
太さの違う管を組み合わせて、壁面アートを創り出したり、
隣家の屋根の記憶を懐かしく保っていたり…
これらの光景はみんな、
作った家人の個性、そして風土を映し出しているのではないでしょうか?
だから、人間って面白いのですね。

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# by Hologon158 | 2008-10-22 07:27 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.10ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」10 毎年毎春、不死鳥のように甦る植物のように


たった今ですが、先日、鶴橋を一緒に歩いた友人RAさんから電話。
嬉しいニュースです。
この数ヶ月、心臓やさまざまの神経症状に悩まされ、
ときにはあまりにひどいので、もう駄目かとまで思いつつ、
それでも気力を振り絞って、
日曜日のように、ときに写真にも付き合っていただいたのですが、
その翌日、ひょんなことから突然、これまでの症状が猛烈に軽減してしまったのです。
今週は、大病院での精密検査まで予約していたのに、
なんだか今の具合ではその必要もなさそうとまで感じるほどの回復。
この方に出会って、自分の人生は変わったとまで思う恩義のある方だけに、
ほんとうに嬉しいですね。
そんな気持ちで、ブログにアップする写真を選ぶことに。
さて、弱りました。
私の写真って、暗い色調が多いですね。
そこで、ここはやはり緑を主題にすることに決めました。
毎年毎春、不死鳥のように甦るのが植物です。
冬、枯れて死んでしまったと見えて、実は地面の中で生きている。
そんな植物の強靱さをお祝い代わりにさせていただきました。
残念ながら、彼はインターネットをしませんので、
私のブログをご覧頂くことはできません。
代わりに、あなたにご覧頂くことにいたしましょう。
1枚目で、女主人、水を丁寧にあげていますね。
そうなのです、人間だって、たまに水をさしてもらう必要がありますね。
写真って、その水なのじゃないでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-10-22 00:01 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.9ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」9 お前さん、仕事で遊ぶことを知ってるね!

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私が自分のために写真を撮っている証拠がこれ。
こんなもの、誰も撮らない!
同行の友人たち、誰も撮りませんでした。
でも、私は撮りました!
パターンの反復が大好きなのです。
そこにリズムを感じ、音楽を聴きます。
誰かが、ここににコンクリートブロックを置くことに決めたのです。
こんな露天に置いておいていいのでしょうか?
おそらく保管場所が確保できない状態で、
ブロックの在庫をいきなり抱え込んだのでしょうね。
私にはブロックビジネスなどまったく分かりませんから、
もっと別の理由があるのかも知れません。
もしかすると、ペルシャ絨毯のように、
露天にこんな風に寝かしておくと、ほどよく熟成する?
なんてことはないでしょうね。
なにはともあれ、ここにひとまず置きましょうということになったのです。
あなたなら、どう置きますか?
そんなに広い場所を占拠するわけには行きません。
いつ撤去できるか分からない状態でしょうし、
地所の有効利用ということも考えなければなりません。
でも、だからと言って、高く高く積み上げるわけにはいきません。
崩れて子供が下敷きにでもなったら、一大事。
そこで、自ずと置き方が決まってきた筈。
合理的な設置保管方法は、ブロックの形状に応じて、自ずと制限されるのでは?
こうして安定した置き方が割り出されたとき、
そこに自ずとリズムが生まれるのではないでしょうか?
リズムとか音楽というのは、単純な要素の合理的、自然的な配列だからです。
以上、私のかってなへりくつかも知れませんが、
とにかく私はこんな配列を見ると、うれしくなってしまうのです。
きれいじゃないですか!
誰か知らないけど、
お前さん、
仕事で遊ぶことを知ってるね!
# by Hologon158 | 2008-10-21 18:43 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.8ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」8 等身大の写真を撮ればそれで十分楽しい


私は、大変に狭い世界に生きている人間のようです。
写真のことが好きになって何年になるか、
ずっと写真大好き人間を通してきました。
もっと他のこともやったらいいのに!
でも、写真って、突っ込めば突っ込むほど深くなり、
押せば押すほど広くなる、そんな得体の知れない世界なのです。
だから、いつまで経っても、写真のことが分からない。
だから、毎日のように発見がある。
すると、さらに好きになる。
もう泥沼ですね。
でも、そんな風に曲がり路を曲がり曲がりしていると、
だんだんわかってくる部分もあります。
こんな風に言いますと、外野席すかさず、
「おお、そうかい、それじゃ、自分に才能がないってことも、
もう分かったかい?」なんて声あり。
お答えしましょう。
「あなた、私をバカだと思ってるのですか?
もちろん自分に写真の才能がないことは先刻ご承知ですとも」
そんな自明のことではなくて、
私にわかった一番嬉しいこと、それは、
才能がなくても、写真をたっぷり楽しめること!
昔、写真は芸術か否かなんて、馬鹿げた議論がありました。
どんな作品も芸術と認められる、そんなジャンルはありません。
絵画であっても、彫刻であっても、書であっても、
あるのは、芸術作品と、そうでない無数のがらくた(おっと失礼、失敗作)。
でも、写真はちょっと様相が違います。
写真はアプリオリに芸術のジャンルに属するわけではありません。
芸術作品を目指す写真もあれば、まったくそうでない写真もあります。
パブリックな発表を目指す写真もあれば、個人的な楽しみの写真もある。
誰も気にせずに、好きなように撮ればよい!
私はこんな当たり前の認識に達して、
それからは等身大の写真を撮ることができるようになったのです。
今回も、そんな自分だけの写真を3枚。

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# by Hologon158 | 2008-10-21 16:43 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.7ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」7  道路脇の雑物の効用ってなんだろう?


ドイツのリンデンタールに、新石器時代、おかしな人たちが住んでいました。
住居群がみんなばらばらで、形が不定形。
流れるような曲線状に大地に切り込まれ、
その床はなだらかな窪みになっているのです。
バーナード・ルドフスキー「驚異の工匠たち」(鹿島出版会)という奇書が情報源。
著者は、現代人は、住居を箱とかんがえるのに、
リンデンタール人は住居を包みというコンセプトで考えていたと考えます。
そして、こう書いています、
「私たちは、人類の進歩の途中のどこかで、
巧みにしつらえられた空間を楽しむ能力を喪失したのではないか」
「この床は純粋な彫刻である。
しかし、それはたんに指先で触れるだけではなく、
身体全体との巧妙な接触で感じ取る彫刻なのだ」
この床は屋根で覆われていたようです。
そうすると、日が落ちると、乏しい燈火照明だけの室内は、
床がさまざまな角度と様々な深さによって、
さまざまなグラデーションのダークプレイスを作り出し、
とても幻想的だったはず。
家人は、その不規則な床を足裏で覚えていて、とてもスムーズに動き回ったことでしょう。
そして、それぞれにお気に入りの窪みをもっていて、
思い思いの姿勢で夜の憩いを愉しんだに違いありません。
私たちには想像もつかない、別種の憩い。
そこで思うのですが、私たちを取り巻く空間に存在するものたち、
それが私たちの心と生活とを知らぬ間に彩っているのではないでしょうか?
大都会のビルの谷間、新興住宅地の整然としたストリートを歩くとき、
少なくとも私は、大変に居心地が悪いのです。
逆に、さまざまな古いものたち、廃物たちが路傍に待ちかまえている、
古い路地裏を歩きますと、なにか得したような、あたたかな気持ちになるのです。
とすると、私のような路地裏人間と大砂漠で一生を過ごす砂漠の民との間には、
途方もないほどのカルチャーギャップ、精神構造の違いがあるのかも?
もっと言えば、ロックのストリートが似合う若者たちと、
グレン・グールドとビル・エバンスが好きな私との間にも、
砂漠の民と同じくらいのギャップがあるのかも知れませんね。

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# by Hologon158 | 2008-10-21 14:36 | ホロゴンデイ | Comments(0)

34.6ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」6 わっと黒いけど、たいしたことはない


今、目の前に丸山応挙の「氷図屏風」という二曲一双の屏風絵を置いています。
本物を前に置けるほどの大富豪であればよろしいのですが、
まあ、大富豪にはそれなりの苦労が多いようですから、パス。
ただの紹介本の写真で我慢しましょう。
ちいさな写真です。
でも、それだけで、この人も天才だったと判ります。
そんな絵です。
180センチの長い横幅の屏風いっぱい、ほとんどなにもないのです。
底部3分の1くらいに、実に鋭利な描線が走り、
一目で、これは氷のひびが走る池、そして時は厳冬とわかります。
「これが天才の絵なんだよ、
あんたら、描けるかい?」
応挙の声が聞こえてきそうです。
ジョットーの円を思い出します。
さしずめ、こちらは「応挙の線」か?
一枚見ただけで、これは天才だよと即決できる芸術作品というものがあるものです。
ダ・ヴィンチの聖母子像の習作デッサン。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」。
写真にもそんな作品がありますね。
カルティエ=ブレッソンのサンラザール駅裏の水溜りを飛ぶ男の写真。
木村伊兵衛の農村の若者たちの群像写真。
エドワード・ウェストンの「レッドペッパー」
芸術作品というものは、本来、そんなものです。
人目見たとたん、なにかがぱっと弾け、視野がぐっと広まり、
心が天空を駆け巡ります。
前回の眼科医の言葉にしたがえば、
「わっと出てきたら、わかります」
心と魂の強壮剤としては、天才の芸術作品が一番。
でも、そんな天才たちが次の作品を生み出すために払ってきた犠牲を考えると、
天才たちは、その芸術作品の代償、代価として、
自らの心身を文字通りすり減らしてしまうといわざるを得ません。
そんなことを考えるにつけ、いつも考えるのです、
ああ、芸術家でなくてよかった!
写真界で見ましても、傑作写真を生み出して、名声を作り上げた写真家たち、
芸術家でもないのに、大先生に祭り上げられ、
やむなくそれにふさわしい威厳を繕っていきていますが、
その内実は、すでに創造性が枯渇して久しいことが多いようです。
新機軸によって一家を成した芸術家は、
その次のステップとして、その新機軸に足元をすくわれるわけです。
ピカソのように、次々と脱皮して、まったく独創的な絵画史を次々と創始する、
こんな天才はほとんどいないのですから、
芸術家ってつらいものですね。

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# by Hologon158 | 2008-10-21 10:28 | ホロゴンデイ | Comments(0)

34.5ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」5 わっと黒いものが出てきます


10日ほど前から、目に異常発生!
闇の中で頭を振ると、左目に光状のものがチラリと見えるのです。
網膜はく離ではないか、ちょっとひやひやものでした。
なにしろ一日中パソコン三昧の私、脛に傷持つ身なのですから。
今日、眼科で診察してもらいました。
女医さんだったので、ちょっと安心しました。
男性に目をさわられるって、ちょっといやじゃありませんか。
眼底検査を受けました。
今、それが終わって眼科の待合室でこの文章を書いています。
瞳孔を完全に開く薬とやらを注されて、なんだか目がちらつきますが、
ブラインドタッチングで書きますので、平気。
さて、その前に行われた検査では、先生、目に強いライトをあてながら、
「上見て、左上見て、左横見て…」と、なんだか横断歩道みたいな指示。
私、そのたびに目をぐりぐりと360度回転。
大通りでこんなことをしたら、必ず救急車が飛んでくる、恐怖の必殺技。
薄暗くした6室の診察室で、患者さんたちみんなこれをしているのだ!
そう考えると、ちょっと噴き出しそうになりました。
検査が終了すると、先生、カルテに記入しながら、軽く、
「年を取ると、網膜の下の白い部分が膨れて、こんな現象が起こります。
しばらく経ったら、直ります。
光がひどくなったり、黒いものがわっと出たりすると、
網膜はく離の危険がありますので、すぐに来てください」
「どれくらいで直りますか?」
「一年の方もいますし、もっとかかる方も」
どこが「しばらく」なのですか?
「黒いものがわっと出るって、どんな感じですか?」
先生、こともなげに、
「わっと黒いものが出てきます。出てきたら、ちゃんとわかります」
私、内心、そんなものですかね、語彙と表現力をもちっと豊富にしてほしいな。
「パソコンをよく使うのですが(ほんとは一日中使っている!)、問題ないでしょうか?」
「関係がありません」(ほっ)
「朝ストレッチで激しく70回、頭と上半身を回転させるのですが」
「ぜんぜん関係がありません」(ほっ)
「どうしたら直るんですか?」
「時間がたつのを待つだけです」
こういうのいやですね。
なにか努力とか工夫とかをすれば事態がよくなる、
そんなことばかりだったらいいのですがねえ。
質問することがなくなって、しょうことなしに最後に、
「年はとりたくないものですね。年とるのを遅らせる薬なんてないでしょうか?」
先生、にっこり笑って、「そんなものがあったら、私も欲しいです」
以上の次第で、失明をおそれる苦悩の日々ついに来たる、という危険も去り、
本日アップしますような緑の自然を見つづけることができそうです。

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# by Hologon158 | 2008-10-21 00:08 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.4ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」4 青丹よし奈良の都は遠くなりて


西の京と言っても、関西以外の土地にお住まいの方にはなんのイメージも湧かないでしょう。
関西の人だって、奈良以外の土地の人は同様かも知れません。
それほどに奈良はローカルになってしまったわけです。
かつての青丹よし奈良の都の時代であれば、
もう少しポピュラーであったかも知れません。
でも、この疾風怒濤の時代、眼前の変化があまりにも迅速強烈であるために、
過去の歴史は次第に忘却の淵に沈みつつあるように思われます。
第二次世界大戦の敵味方の構成を知らない若者が欧米で増えていると読んだことがあります。
日本だって同様でしょう。
まして、千数百年前の都のことなんて誰も無関心。
ところが、私のようにこうして奈良の地に住み続けていますと、
飛鳥、奈良の時代のことがまだまだ身近に感じられるのです。
遺跡として、気配として、環境として、歴史的な風土が息づいている感じなのです。
私に言わせると、このような感じがあること自体、大したことです。
歴史的記憶と地理的記憶とが交じり合う、なんらかのメカニズム、機序がありそうです。
実に我田引水の暴論であることをまず自白しておきますが、
ひょっとしたら、飛鳥のひとたちが西日を浴びて投げかけた影が、
飛鳥の地になんらかの印象を残したのではないでしょうか?
だとすると、今でもそうじゃないでしょうか?
燦燦たる陽光を浴びて、あるいは西日が長い影を作るとき、
せっせせっせと奈良の地を歩き回っている、私のような人間は、
いたるところに自分の足跡だけでなく、
人間としての痕跡を残しつつあるのではないでしょうか?
ただの影なので、さほどの痕跡ではないにしても、
大地は特定の人間の影の特徴をしっかりと記憶していくのです。
いつの時代かに、未来の美しい女性が西ノ京を訪れます。
そのとき、ふっとなにかを感じるのです、
ひとりの男の存在を。
はるか古えに、盛んに歩き回っていたらしい。
でも、ちょっと奇妙。
男よりも、その手のカメラの方が実在性が高い!
一つ目のキュクロープスのような異様な形状。
女性は、ある種の透視能力を働かせて、カメラのロゴを読み取ります。
「ホロゴンウルトラワイド? なに、これ?」

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# by Hologon158 | 2008-10-20 22:58 | ホロゴンデイ | Comments(2)

34.3ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」3 車庫の奥深くを安住の地に定めて


昨日は、昼食どき急に思い立って、堺の友人を電話で呼び出しました。
私よりも随分年上なのです。
1ヶ月に1回くらいは付き合うよと常々おっしゃっている人ですから、
急に呼び出されて、「死んでも行くものか」と最初は思ったそうですが、
すぐ思い直して、鶴橋までおいでになりました。
撮影を終えて後の反省会で、彼からこんこんと諭されました、
「死に急ぎはする必要がないけど、
生き急ぎもしない方がいいですよ。
横から見ていると、あんまりにも生き急ぎしておられるようで、
ちょっと心配ですよ」
たしかに毎日毎日、朝から翌日午前2時まで、ゆったり休む時間もなく、
あれこれあれこれと忙しくなにかをし続けている人生。
昼寝もしないのですから、からだもちょっとしんどいでしょうね。
でも、楽しくてやめられない!
さて、この友人、クラシックカメラの収集家です。
死蔵するのではなく、日替わりで、とっかえひっかえ使ってあげる奇特な御仁。
昨日手にしていたカメラは、むかしのコニカⅡという金属製35ミリカメラ。
ヘキサー45ミリというのが付いていて、極めて日本的なデザイン。
カメラの前面の両側には湾曲した金属板が貼られ、
両手でグリップする形にグッタペルカが残されています。
金属板の湾曲、よーく見ますと、
なんと尾形光琳の「紅白梅図屏風」の中央流水の形。
その金属板の左側、レンズの底部に沿って、おかしな形の板がもう一枚。
レンズに付いている取っ手を左に回しますと、この板で停まります。
そこが最短撮影距離のストッパーというわけです。
でも、反対側の無限大のストッパーは、ビスなのです。
なぜ、最短も、目立たないビスにしなかったのか?
金属板右側を見ますと、このカメラのアクセントとして、
十円玉ほどの大きさの円盤(Konikaのロゴ入り)がこの流水の中に浮かんでいます。
これが太陽とすれば、そうだ、最短のストッパーはお月様なのでした。
つまり、流水に浮かぶ日月というわけ。
なんと、デザイナーは琳派に属するアーチストだったわけです。
これみんな私のただの思いつきですが、
こんな遊びがあるのもクラシックカメラの醍醐味。
現代のカメラはほとんどすべて単なるメカニズムとなってしまい、
デザインは機能一辺倒に傾いてしまいました。
パソコンだって百社全部そっくりの時代。
アップルが生き残っているのは、
そうした風潮の中でアップルだけが人間的なぬくもりをデザインに残しているからでは?
西の京の村落を歩いていますと、大きく入り口が開いた車庫がありました。
奥に見えたのは、一つ目巨人。
トラクターのようですが、すでに車庫の奥深くを安住の地に定めて隠居生活。
これくらいで、ゆっくりさせてもらうよ。
そんな声が車庫の奥からゆったりと聞こえてくるようでした。
こんな顔できたら、私もしばし深い休息に心身を浸すことができるのですがねえ...

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# by Hologon158 | 2008-10-20 14:07 | ホロゴンデイ | Comments(4)

34.2ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」2 バレリーナが見事に踊り終わって


以前、メタモルフォーゼの作例として、今回の縦位置を出したことがあります。
たしかにどんより曇った日でしたが、
ここまで、この木が輝いて見えたわけではありません。
私がやったことは、もちろん脳内露出計のあてずっぽうの目分量ですが、
八重桜がちょうど白くなるような露出値に設定することだけ。
あとはホロゴンがやってくれました。
すべてがホロゴンの摩訶不思議な周辺減光のおかげ。
この写真を見ていますと、ちょっとおかしな気分になってきます。
バレリーナが見事に踊り終わって、ポーズ!
でも、誰も観ていない。
そんな感じ。
でも、おそらく木はそんなこと気にしていないでしょうね。
この水の豊富な場所をたった独り占領して、
のびのびと暮らすことができるのです。
ぐっと張り出した枝はまるで背伸びをしている姿。
満足感があふれ出てくるようです。
おのれの場所に満足し、
おのれの地位に不満を抱かない、
おのれの人生に心から満ち足りた思いができる、
そんな人がこの世に幾人いるでしょうか?
きっといるはず。
0.5パーセントかもしれません。
0.05パーセントかもしれません。
もっと少ないかも知れません。
それでもかなりいるはずなのです。
一度会って、どんな人生なのか教えてほしいですね。

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# by Hologon158 | 2008-10-20 13:20 | ホロゴンデイ | Comments(0)

34.1ホロゴンデイ13「2007年5月12日の西の京」1 一々の微塵の中に、仏国海が安住し


さて、ブログをはじめてからずっと、これはやりたいと念願してきた、
「ネパール1989年」を無事(かどうかは分かりませんが)終えることができ、
近場でほっと一息つくことにします。
昨年、奈良市の西部、西の京と呼ばれる一帯を友人たちと歩きました。
奈良朝の著名な古刹、唐招提寺、薬師寺が、
近鉄橿原線の東側に沿って、南北に並んでいます。
どちらも入山料が必要なので、これは避けることにして、
橿原線の西側田園地帯を3駅分歩きまわることにしました。
「ネパール1989年」は、一昔前の、幾種類かのレンズを駆使するアマチュア写真家風撮り方、
今回は、すでにホロゴンたけなわといった感じに一変します。
全部ホロゴン15mmF8による超接近水平垂直撮影法の写真たちです。
またか、もう飽きたわ、などとうんざりなさらないで、
気を取り直して、お付き合いください。
ショック療法として、
最初から、ロボーグラフィ全開とさせていただきました。
奈良は、野仏の多いところです。
大和盆地そのものがいわば仏の身体に似た形をしています。
そのせいでしょうか?
どこに行っても、なにを見ても、野仏を連想させるのです。
野仏がどのような気持ちから、その場に安置されたのか?
私にはまったく分かりませんが、
おそらくは、近親の供養のためではないでしょうか?
私は、仏教のことも詳しくはないのですが、
華厳経にこう書かれています、
「一々の微塵の中に、仏国海ブッコクカイが安住し、
仏雲があまねく護念し、弥綸ミウンして一切を覆う」
要するに、どんな塵一つの中にも仏様とその国土がゆったりと収まっているのです。
野の石にも木ぎれにも、あなたにも、私にも。
この言葉をまともに信じたら、
人間はどんなこともおろそかにはできないことになりそうです。
素晴らしい教えですね。
そのことをしっかりと頭に入れて、私の写真をご覧ください。
すこしは、「ふむ、ありがたい写真だな」とお感じいただけるでしょうか?
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# by Hologon158 | 2008-10-20 11:13 | ホロゴンデイ | Comments(0)

33.30ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」30-完- 真紅の姉妹が暮れ方の広場を駈けていった

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日が沈む直前、バドガオンは、高原の薄い空気のせいでしょうか、
直視しがたいほどに強烈な斜光線を放つ太陽の下、
なお一層黄金色に輝きます。
「直視しがたい」というのはちょっと意味不明かも知れませんね。
私は、実は、このような太陽であっても、赤道直下の正午の太陽であっても、
すんなりと直視できるのです。
「水滸伝」では、悪徳大臣の悪性の証拠として、太陽直視を上げています。
どうやら、私も大臣になったら、悪名を馳せることになったのでしょうね。
さいわい、大臣とはまったく無関係の、その他大勢、一介の市井人。
どうか、みなさん、ご安心ください。
おっと、すぐ話しが逸れてしまいますが、
そんな金色まぶしい広場を美しい姉妹が笑いさざめきながら、
私の横を駆け抜け、太陽に向かって駈け去ってゆきました。
陽光のまぶしさに細めていた私の目には、
2人の姿は蜃気楼か幻のようにフレアーの中に消えていきました。
というわけで、1998年1月のネパール写真展はこれで終わり。
ホロゴンウルトラワイドの使い始めの頃、
私が撮っていたのは、こんな写真たちでした。
友人たちに見せますと、十人中十人までが、異口同音に、
「昔の方が良い写真を撮っていましたね!」
私、江戸っ子ではありませんが、内心、毒づきます、
「ふん、てやんでえ!」
私は、人に良い写真だと思ってもらうことを写真の目標にしていません。
大好きな光景を大好きなホロゴンで撮って記録することが、私の写真。
15ミリから500ミリまでさまざまなレンズをとっかえひっかえ使って、
一眼レフで使っていた当時、
私の撮影技術はそんなに劣悪ではなかった感じがします。
でも、ホロゴン15mmF8に専心するようになり、
ひたすら超接近水平垂直撮影法で日の丸構図だけで撮ってきた今、
そうした撮影技術は全部失われてしまいました。
でも、そんな時代に戻る気持ちはこれっぽっちもありません。
子供の頃、新聞の投書欄で読んだ新婚ワイフの報告を思い出しました。
どこか新婚旅行のメッカに夜行列車が到着したときのこと。
列車の中から続々と新婚さんばかりが現れたそうです。
新婦、そんなカップルの女性を当然ながらすばやくチェックして、愕然!
みんな、私よりもずっとずっとキレイ!
こんな人たちに比べられたら、私への愛情なんてすっ飛んじゃう!
どうやら平凡な普通のお姉ちゃんだったらしい新婦は、
おずおずと新郎の横顔をうかがいました。
すると、新郎が新婦に向かってにっこりと笑ったのです。
その笑顔には、そんな比較をしている気配などみじんもなく、
ひたすら新婚の喜びが溢れていたのでした。
よい話しなので、まだ覚えています。
私、まさにこの新郎なのです。
プロアマを問わず、優れた写真家を見ても、まったく心は動じない。
優れた写真を撮りたいのではないのですから。
無手勝流のど素人撮法で私には十分。
なんの努力も要さず、
才能もセンスも不要、
ホロゴンが私のために大好きな写真を撮ってくれる!
明日からまた、そんなホロゴン写真をどっさりアップさせていただきますね。
# by Hologon158 | 2008-10-19 23:18 | ホロゴン写真展 | Comments(4)

33.29ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」29 暮れ方の古都には金色の光が溢れていた


今、帰りました。
今日は、大阪きっての韓国料理の本場鶴橋に行ってきました。
韓国料理が目的ではありませんよ。
と言いつつ、昼食には本場もののビビンバを頂きましたが。
もちろん写真を撮りに行ったのです。
どちらかと言うと、都会のストリートフォトを撮る気持ちの薄い友人2人が、
本日は無理なので、独り撮影に出ることになり、
さて、どこに行きたいか、そう思案したところ、たちどころに回答がでました。
「鶴橋、ここしかない!」
この2、3年お留守になっていましたが、ロボーグラフィの宝庫なのです。
まるで、ハノイの36ストリートやイスタンブールのバサールのように、
狭い区域の市場にびっしりと各種商店が並び
その周辺は私の大好きな路地が編み目のようにつながっています。
最後は、西日が傾く黄金の時間を愉しみ、
午後5時、まだ撮影可能な明るさなのに、無念、フィルムが尽きました。
でも、合計12本、楽しみです。
もっとも、先週の13本と併せて、現像に出していない分が25本、
ラボで現像中が17本、自宅でスキャン待ちが45本と累積赤字は激増。
まるで危機に瀕した経済大国並。
これじゃ、いくら営々とスキャンしても、終わりそうにないですね。
「下手の鉄砲数撃ちゃ当たる」式撮影法はそろそろなんとかしなきゃ。
でも、路地裏を歩くと、周囲からめったやたらに伏兵が斬りかかってくるので、
「こしゃくなり、返り討ちにせん!」とはやり立って、
まず右で一枚、振り向いてすかさず左で一枚、といった具合。
これじゃ、いつまで経っても、下手の鉄砲はなおりそうにありません。
駄弁はこれくらいにして、さっそく本日の写真にかかりましょう。
バドガオンの典型的なアパートの前はちょっとした広場。
暮れ方です、黄金に染まる広場の中央、私の2メートルばかり前に、
茣蓙をしいて、ご婦人がたがひなたぼっこ。
左手から老人が散歩帰りで、私のすぐ左横を通り過ぎました。
その瞬間を一枚撮影しました。
その2,3秒後、左から少年、右から老人が私の前を通りすぎようとしました。
そこですかさずもう一枚。
つまり、定点観測的連続写真。
向こうの高土間の男が幾人か、私に気づいているようですが、
ドラマの主人公たちはまるで気づかず。
めだたないカメラの効用でした。

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# by Hologon158 | 2008-10-19 21:50 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.28ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」28 午後の一服って、そんなに美味しいのですか?


どなたにも、自分の人生で絶対に味わうことのできないなにかがあるものです。
私の場合は、喫煙の喜びもその一つ。
煙を吸って、どうしてあんなに気持ちよさそうに眼を細めるのか?
どうも皆目見当がつきません。
では、一度吸ってみたらどうなの?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
でも、そんなことはしない。
なんでもかんでも経験しなくちゃならないということになったら、
身体も心もいくつあっても足りません。
たとえば、不倫は禁断の喜びだそうです。
でも、味わいたいとは思いませんよね。
失う価値の方がずっとずっと多いのですから。
私たちは、いろいろなアイテムを道中集めていって武装する戦士のようなものです。
自分の人生にぴったり合ったものだけを集めたいものです。
自分の目標を達成するのに役立つものだけを集めたいものです。
私がそんなつもりから捨てたものの中に、
捨てなきゃよかったなと、ちょっと後悔するものが一つあります。
それは、時間的余裕、ゆとりの時間。
神様は私に、めまぐるしく走り回る人生を与えてくださったようです。
どこかで一休みして、じっと手を見るなんてことができない人生。
バドガオンの王宮広場のたたき。
折りからの黄金の時間、斜光線を一杯に浴びて、
老人が安らいでいます。
手には、煙草が一本。
これほどまでに安らぎに満ちた顔をこれまでにご覧になったことがありますか?

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# by Hologon158 | 2008-10-19 08:00 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.27ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」27 これほどまでの集中力でなにかができたら


絵を描くって、一体どんな行為なのでしょうね?
バーとランド・ラッセルの叔母さんが、画家のことを、
「なんて退屈なことをなさっているのでしょうね」と言ったそうです。
これは現象面だけを外から見ての印象。
上村松園の絵に、よく簾が描かれています。
簾ごしに人々を描いたものもあります。
その簾の線の細かいこと!
髪の毛だってそうです。
単調な繰り返し作業だけを取り出したら、まことに退屈なことでしょう。
でも、画家がたえず構想を頭に描きながら、
紙やカンバスの上にそれを実現して行くこの行為は、
ひょっとしたら、大変にスリリングな作業なのかも知れません。
この少年の全身にそんな気配が現れているではありませか?
退屈を感じている気配など毛ほどもありません。
むしろ精神は緊張と興奮の極にある感じ。
まだ中学生ほどにしか見えない少年なのです。
でも、心はすでに画家の境地。
画用紙に描かれた絵も、普通子供が描く絵とはレベルが違います。
片足を石段に乗せたスタイルのかっこよさ!
眼と手をご覧ください。
見もせずに、右手で筆を洗いつつ、
眼は画像をしっかりと凝視している!
まるで画家!
左手はパレットを保持しているのですが、その親指は跳ね上がっています。
緊張、興奮のせいでしょうか?
すぐうしろで好奇心を燃やす見物人がいるのですが、少年まったく気づかず。
私がホロゴンを画用紙のすぐ上に突き出したのですが、少年まったく気づかず。
私だって、これほどまでの集中力でなにかができたら、
文句なしなのですがねえ。

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# by Hologon158 | 2008-10-18 23:42 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.26ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」26 ネパール人カップルは今なおカーストに泣き


バドガオンの裏通りを歩いているとき、
とても可愛い女の子に出会いました。
早速一枚撮りますと、横の土産物店からお父さんが出てきました。
スニルというまだ30前の青年。
これがきっかけで親しくなり、滞在中、随分お世話になりました。
決して金目当てではなかったこととは、
旅が終わっているので、はっきりと断言できます。
彼の言葉どおり、ほんとうに日本人が好きだったのです。
美しい妻アンジュと子アルスナと3人でつましく土産物店を経営して暮らしています。
幸せそうに見えますが、実は解決不能の悩みを抱えているのです。
彼の父はバラモン(カーストの最上位の家門)、
ところが、奥さんは最下位のカーストの出なのです。
父は、いったんは息子を勘当しましたが、孫ができて、勘当は解け、
息子とアルスナは出入りを許されています。
でも、まだ妻の出入りは許されていないのです。
スニルは遠大な目標を立てています。
まず、アルスナには最高の学問を修めさせ、最高級の就職をさせる。
これにより、ネパールにおける女性の地位を高めたいのです。
父が将来亡くなりますと、ネパールは均等相続なので、
堂々と父の屋敷(ヒンズー寺院を改造した広大な建物)に妻とともに入り、
一族に、妻アンジュを認めさせる。
そして、将来は、ネパールからカーストを撤廃する、これが最大の目標。
喫茶店で幾度か水だけを飲みながら語る彼の言葉には、頭が下がる思いでした。
そのためにもお金を貯めなければなりません。
朝6時にヒンズー寺院に行って、ご詠歌を詠います。
7時と19時にたった2回、野菜カレーの食事、飲み物は水だけ。
20時、再び寺院に行って、ご詠歌。
お宅に招待され、夕食をよばれました。
アルスナが玄関に出迎えてくれました。
私のお皿(ダルバールといいます)はお客様仕様、
でも、スニルのお皿は山盛りのご飯だけ。
傍らの小さなボールに入った野菜カレーとご飯とを右手で巧みにこね合わせ、
みるみる平らげてしまいました。
アルスナの純真無垢な瞳を思い出します。
彼女のお父さんの目標がすべて達成されるように、祈りたいものです。

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# by Hologon158 | 2008-10-18 20:39 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.25ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」25 ネパールでフランス人の誕生パーティ?


バドガオンには、カトマンズからタクシーで移動しました。
運転手さんに、よいホテルを探してくれと頼みますと、
王宮のすぐ側のとてもよいホテルを探してくれました。
5階建ての小さなホテルです。
その上の屋上テラスに小さなバンガローがあって、
ここにフランス人ソーシャルワーカーとネパール人青年が宿泊。
毎年夏3ヶ月もネパールに滞在する習慣だというのです。
よいご身分ですね。
でも、ちょっと不思議なのは、
常にこのネパール人青年を伴って旅行するらしいのです。
フランス人は大柄で磊落な人物。
ネパール人は小柄で、とても賢そうな青年。
非常に親密なので、ひょっとしたら愛し合っているのかも知れません。
5階がレストランになっていて、ここがとても美味しいのです。
スペイン風のシズラーが猛烈に美味しくて、はまってしまいました。
このレストランに、2人も下りてきて、
側のテーブルで朝食、夕食をとりますので、時折ぶつかります。
そんな関係で親しくなり、
フランス人の誕生日にはゲストとして招かれました。
2人が部屋にこもって準備していたかと思うと、
お皿にフランス風のパテ料理を盛って、意気揚々と現れました。
ワインもパテもさすがにフランス人の用意したものだけあって、
見事なお味、たいへんに和気藹々の晩餐となりました。
その翌日、この2人と、別に親しくなったネパール人と4人で
タクシーをチャーターして、隣の村に行きました。
なんでも何年に一度という珍しいお祭りがあると誘われたのです。
お祭りそのものもその村も別に印象的ではなかったのですが、
ヒンズー寺院の一角で、
叙事詩マハーバーラタの朗誦が行われていたことだけは覚えています。
吟唱者は老人で、朗誦はちょっと退屈なほど冗長。
世界で一番長大として知られる叙事詩です。
あれじゃ終わるまで何年かかることやら?
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    [撮影メモ]
     青年が一人、吟唱者に背を向けて座っています。
     別に退屈したせいではないでしょうが、
     その対比がちょっと面白いので、一枚頂きました。
     青年はホロゴンをのぞき込んでいるのです。
     その表情から、
     自分が撮られたとは想像だにしていないことがうかがわれますね。
# by Hologon158 | 2008-10-18 17:10 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.24ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」24 ゴミ箱を豊かにしても意味ないですね


「写真を撮るとは、
頭と眼と心が一本のおなじ照準線上で狙いをつけることだ」
アンリ・カルティエ=ブレッソンの言葉です。
カルティエ=ブレッソンの肉声を岩波書店「こころの眼」で読むことができます。
あんなに匿名性を重んじ、なにも語らず、自分の写真も撮らせなかった人が、
晩年になって、映画を撮らせてくれ、本も出版してくれたことを、
私は心から感謝しています。
瞬間の芸術としての写真に対する、極めて深遠な洞察に満ちている、宝庫のような本。
でも、この「頭と眼と心が一本のおなじ照準線で」って、
どういう意味なのでしょうか?
私の音楽の先生(二胡の演奏家)があるとき、こう言いました、
「私は生徒の皆さんよりもずっと音程とリズムが分かっています。
だから、生徒がどう音程がずれ、どうリズムがあっていないか、わかります。
でも、生徒は、私がどう分かっているのか理解することができない。
小澤征爾さんは、私よりもずっと音程とリズムが分かっています。
でも、私には、小澤さんがどんな風に分かっているのか、理解できない」
謙虚ですが、極めて正確な自己認識。
プロだから言える言葉です。
写真も同じなのでしょうね。
私たち、カルティエ=ブレッソンの写真をあうだこうだと批評します。
でも、ほんとはぜんぜん分かっていないのです。
おそらく、カルティエ=ブレッソンが頭と眼と心を一本の照準線に合わせるとき、
ほんとにびしっと合ったことが、彼には分かったのです。
私のような素人にも、ときどきそんな瞬間があるようです。
それが本写真展17の沈思の少女を撮った瞬間だったのかも知れません。
でも、たいていはそんな照準線を意識することはないまま、漫然と撮っているだけ。
でも、一つだけ、守っていることがあります。
スナップは、二枚目を撮らない。
カルティエ=ブレッソンの言葉を今あてはめてみますと、
二度目を撮ろうとするとき、
おそらく頭が照準線から大きく外れてしまうのでしょうね。
心だって、最初の感動が去って、やっぱり照準線からずれていく。
そうすると、目だけが照準線上にあっても、
できる写真は、ピントがあっただけの、ただの駄作。
以前、私の所属したクラブのリーダーの写真家は、
こんなとき、にこやかにおっしゃったものです、
「ゴミ箱に捨ててください」

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    [撮影メモ]
     本日の写真は、そんな駄作の2組の母子。   
     1枚目は豊かな家庭。
     2枚目はそれほどでもない家庭。
     母親には苦労がシワとなって取りついています。
     あれから、11年。
     この2人の子供はどんな風に成長したでしょうね?
     どちらが幸せかな?
     2枚目の子、幸せだったら、いいのだけど。
# by Hologon158 | 2008-10-18 13:01 | ホロゴン写真展 | Comments(4)

33.23ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」23 壁落書きも時とともに芸術に?


私がパウル・クレーが好きなことは前に書きました。
一生、これがクレーだと分かるようなティピカルな絵を一切描かなかった人でした。
でも、彼が使った道具立てはそんなに複雑ではなかった感じがします。
極めて単純な幾何学文様がクレーの語彙の中心をなしていたように思います。
○、△、◇のようなものたち。
なかでも、とくに核として使われたのは○ではないでしょうか?
私がネパールに行った当時、クレーを知りませんでした。
この壁を見たとき、ちょっと嬉しくなりました。
これはおそらく長い間の寄せ書きの集積なのでしょう。
最後の仕上げが黒い手。
でも、この壁の核は白い太陽。
つまり、クレーの○ではありませんか。
これが落書きなのか、なにかの意図で描かれたものなのか、
さっぱり分からないのですが、
幾人かの参加者のうち、最後の一人は明らかに絵を描くつもりだった感じがします。
ブルー
稚拙ですが、この絵を強調するために、ブルーを書き添え、
周辺に、これは字なのでしょうか、ブルーの文様を書き散らしました。
私は、色の中では、赤の次に青が好きなのです。
このブルー、そんなに深みのある色ではありませんが、
この壁をアートスペースに変貌させたのではないでしょうか?
絵の分からぬ者の勝手な想像なのですが…

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    [撮影メモ]
     ホロゴン15mmF8って凄いな!
     そう思うことがよくあります。
     こんな風に書くと、皆さん怪訝に思われることでしょう。
     私は、ホロゴン15mmF8を道具だとは考えていないのです。
     伴侶、仲間。
     ホロゴン15mmF8のやることに、私は責任がありません。
     このときも、私はただ壁にホロゴンウルトラワイドを向けただけ。
     でも、ホロゴン15mmF8はちゃんとブルーの大切さを認識して、
     太陽をちょっと脇にずらして、ブルーでそれを囲んでくれたのです。
     ノーファインダーで撮るときのお作法はこうです、
     撮影位置は一瞬の感覚で決める。
     情景を前にして、ここがいいかな、それとも、なんて考えない。   
     すっと行って、すっと撮る。  
     ここで迷うと、ファインダーをのぞきたくなります。
     すると、ホロゴン15mmF8は「どうぞ、ご勝手に」と身をひいてしまう。
     ちょっときむづかしいやつなのです。
     私は、ホロゴンは女性なのだとちゃんと見抜いているのです。
# by Hologon158 | 2008-10-18 10:16 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.22ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」22 ひなたぼっこ一家の心はもっとあたたかく


もう少し「美」について書きます。
ある機会に、若い友人夫妻に私の写真を見せたことがありました。
まさに、この「ネパール」でした。
2003年撮影分と併せて70枚ばかりで私家版写真集を作っていたのです。
お二人、「ふむふむ、いいですね、あ、これ好きだな」なんて、
適当に喜んでおられたのです。
でも、絶対的な温度としては微熱程度でしょうか?
うなされるほど、私の写真集に夢中になったわけではありませんでした。
そうしたところへ、風景写真を撮る方がおいでになったのです。
退職されてから写真を始めた方で、折り目正しい人物で、
そのお人柄にふさわしい、きちっとした構図で、
多彩華麗な色彩の四季を撮っておられます。
その方、若い友人夫妻とはまったくの初対面ではありましたが、
「私も写真を持っているのですよ、ご覧になりますか?」
アルバム仕立てのポートフォリオを取り出して、お二人に見せたのです。
このアルバムを開いた途端のお二人の反応が素晴らしかったですね。
「わあー、すーごーい!
きれーい!」
頁をめくる手ももどかしく、一枚一枚、同種の感嘆詞が最後まで続きました。
温度的には、かんぜんな高熱にうなされるせん妄状態。
この違い、まことに圧倒的でした。
なにもお二人を恨んでいるのではありません。
風景写真家の方をねたんでいるのでもありませんよ。
誤解のないようにお願いします。
これは常に私の写真に起こる典型的な反応なのです。
感心したように振る舞いながら、
内心、「なんでこんな変なものばかり撮るの?」という疑問詞が、
鑑賞者の頭上5センチばかりを円環のように取り巻いているのが、
私にははっきりと見えるのです。
私の場合、写真を始めた当初からずっとこの調子を続けてきました。
でも、考えてみますと、これでよいのです。
美しいものを美しく撮っているのですから、讃歎は当然。
美しくないものを、私にだけ美しいと思える方法で撮っている、
これじゃ、人が私の写真を美しいと思えないのも無理がありません。
それじゃ、人が私の写真を美しく思えるようにがんばるぞ!
などと、決して考えないのが私。
たとえば、本日の写真をご覧ください。
これまで人にこの写真を見せても、反応は今ひとつでした。
ただ撮っただけじゃないの?
はあ、そうですか、いいですねえ。
この程度。
でも、私にはこれが美しいのです。
お母さんを中心に子どもたち7人がびっしり集まって、
ひなたぼっこをしているのです。
この一家、陽光を浴びて身体があたたまりつつあるようですが、
心はもともと大変にあたたかいのです。
私がカメラを向けたときの反応でそれが分かります。
撮った結果の写真にはそのあたたかさがしっかり見えています。
母親似の女の子たちに対して、どうやら男の子たちは父親似。
お父さん、長男に似てがっしりとした容貌ながら、
やはりあたたかい人物なのです。
両親揃ってあたたかく、子供に愛情豊かに接するのでなくては、
こんな風に緊密に一体の家族はできあがらないはず。
こんな風に考えますと、
仕事に出てここには居ないご主人の顔も見えてくるよう。

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# by Hologon158 | 2008-10-18 00:15 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.21ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」21 どこの国でもお姉ちゃんってやさしいのだ


前にも書いた記憶がありますが、
アジア諸国では、お姉ちゃんが弟、妹の面倒を看るならわしのようです。
どこに行っても、お姉ちゃんがしっかりと弟妹を監督しています。
お兄ちゃんではなくて、お姉ちゃんというのが味噌。
勝手に出歩き、自分勝手な遊びに夢中になるお兄ちゃんは、
子供の教育係としては不適格のようです。
幼い弟妹の養育係となることで、お姉ちゃんは母性愛をはぐくみ、
自分の子をいつかもうけるための準備をするのでしょうか?
私も、おぼろげながら、お姉ちゃんについて遊び回っていた記憶があります。
昔は、日本も低開発国風だったわけです。
もっと昔、万葉の時代にも大津の皇子とおねえちゃんの大伯皇女の姉弟愛は有名ですから、
この時代はまさにアジア風養育法がなされていたようですね。
2人の相聞歌は美しいですね。
姉 吾が背子を倭へ遣ると小夜ふけて暁露に吾が立ち濡れし 
弟 足引きの山の雫に妹待つと吾れ立ち濡れぬ山の雫に 
皆さんのお姉ちゃんいかがでしたか?     
ネパールのお姉ちゃんはとりわけ母性愛に富んでいるようです。
至る所で、赤ん坊をおんぶしたり、
もう少し大きくなった幼弟を連れて遊んだり、と、
ネパールのお姉ちゃんは家庭内での役割分担をしっかり果たしていました。
今回はそんな姉弟を2組アップしてみました。
1枚目のお姉ちゃん、弟とさほど年が離れているわけでもないのに、
この母性愛に満ちた表情をごらんください。
3枚目はおそらく友達。
なぜって、服装と履き物をご覧ください。
どうも貧富の差がありそうな気がするのですが…

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# by Hologon158 | 2008-10-17 21:47 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.20ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」20 ちびっこ商人たち、もうかったかな?


真・善・美
あなたは、この世で一番大切なものとして、どれをとりますか?
こんな風に尋ねますと、必ず、一人位、こう答えるものです、
「愛!」
この人、ちょっと屈折していますね?
三つの内でどれかをお尋ねしているのです。
昔、私がお世話になった方に、その娘さんが同じ質問をしたそうです。
この方は、常に毅然として果断、人の上に立つに足る器でしたが、
惜しくも50歳で世を去ってしまいました。
お世話になった方たちが追悼記念論集を出版し、
その中で、娘さんが父の思い出を書き記していたのを読んだのです。
書斎で仕事をしている父に戸口からこう問いかけたのです、
「お父さん、真善美っていうけど、どれが一番大切なの?」
彼は振り返りもせず、たちどころに一言、
「もちろん、美だよ」
娘さんはちょっと驚いたと付け加えていました。
この人は、職業柄、当然に「善」または「真」と答えることが期待される人だったのに、
その言葉にいささかもためらいがなかったからです。
私は、まだ30過ぎだったのですが、この文章を読んで、
無性に嬉しくなったことを思い出します。
私も同じ答えをするからです、当時も今も。
なぜか考えてみました。
答えは簡単、
なにが善か、なにが真かを決めるのは大変に難しいうえ、
状況、時代、条件次第で変わってしまうことだってありえます。
善、真は人間関係、社会関係の中で問われるべきことだからです。
でも、美は絶対です。
誰にとっても美か、などということはこの際問題ではありません。
私にとって、なにが美か?
大切なことはこれしかありませんし、これは即座に分かります。
そして、その瞬間、ある形象を、情景を、人を美しいと思うと、
その瞬間は永遠に美の瞬間であり続けます。
美を疑うことはできないのです。
なぜこんなことを書くのか?
私は、自分がたいへん特殊な美的感覚の持ち主であることを知っています。
私が美であると認めるものを、誰もが美であると認めるわけではありません。
これは当たり前のことなのですが、
たいていの方が美を認めるものだけを美と考える、大変平均的な方もいます。
私の場合、私が美と認めるものはたいていの方が美と認めない、
そういう意味で、特殊であることを認めざるを得ません。
でも、私は、自分が美しいと感じるとき、
それがなんであれ、その感覚を否定するつもりはありません。
否定することは、自分を否定することにほかならないのですから。

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     [撮影メモ]
      本文と写真はほとんど関連がありませんね。
      でも、ふと感じることがあって、
      どうしても忘れないうちに書いておきたかったのです。
      写真はバドガオンのお祭りの路傍風景。
      子どもたちが読み終わった漫画を集めて売っています。
      よくご覧ください。
      とくに昔男の子だったあなた、なんだか懐かしく感じませんか?
      少年時代の友達がそっくりここに居るではありませんか?
      きりっと賢いリーダー、
      お茶目なふざけ屋さん、
      おっちょこちょい、
      平凡だけど、しっかり屋、
      すばしっこい奴、
      ほんのちょっと抜けているけど、人がいいの。
      いつも端っこにいる脇役タイプ。
      あなたはその内、どのタイプだったですか?
      えっ、きりっと賢いリーダー?
      まさかー!
      私はもちろん、おっちょこちょいでしたね、今でもですが。
      でも、この子どもたちみんな、
      活き活き溌剌としているではありませんか!
      こんな古きよき時代の少年像を再現しようと思ったら、
      やっぱりフレクトゴン35mmF2.4のような古式レンズがよい、
      そうお感じになりませんか?
# by Hologon158 | 2008-10-17 18:25 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.19ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」19 写真にしない方がよいものだってあるというお話


近ごろ、2つの写真プロジェクトを平行して進めています。
すでにちょっと書いたかも知れません。
どちらも実にささやかな試み。
ようするに、運動が第一目的。
昼食後、手持ちの各種カメラを手に職場周辺をぐるりと周り、
約20分で1本撮ります。
仮題「食後の一本(A role after Lunch)」
お休みで、お出かけのない日は、歩いて数分のところにある、
小さな村落をぐるりと探訪し、こちらは40分ばかりで2、3本撮ります。
今のところ、仮題さえ付けていません。
この2つ、猛烈に面白いのです。
まず、第一にエリアが大変に狭い。
第二に、ホロゴンだけではなく、さまざまなレンズを試し撮りできる。
レンズが違うと、同じものがまったく別物に写ります。
あんまり違うので、ものそのものがメタモルフォーゼしたかのようにさえ見えます。
そこで、狭い場所でも、バラエティに富んだ写真が撮れます。
もっと素敵なことは、狭い場所でも、毎回新しい発見があり、
毎回どこかが変化していて、その変化した部分が時にフォトジェニック。
いわば、絵のクロッキーのような役割を果たしてくれそうです。
本日もお休みでした。
午後3時半すぎ、外を見ると、まさに黄金の時間が到来しそうな気配。
大急ぎで飛び出しました。
ホロゴン15mmF8と、ビオゴン35mmF2.8付きライカM4-P。
コスモスがまだ咲いています。
コスモスの向こうに柿の巨木がすでに柿の実を付けています。
すがすがしい秋の蒼空を背景に撮ります。
すでに日は西に傾いて、
木の下にぐるぐる巻きにした透明ブルーのホースが逆光に輝いています。
少し行くと、路よりも一段下のあぜ道に純白のバケツ。
少しだけ水が入り、西日がバケツの内側に草の影で水墨画を描き出しています。
ふと、見ますと、曲がり角があります。
入ってみて、さあ、驚きました。
こんな所に細い路地裏があったのです。
しかも、フォトジェニックな情景がそこかしこに溢れんばかりに見つかります。
持参フィルムがその瞬間尽きました。
人一人かろうじて通れる路地を進むと、小さな草地に出ました。
その中でがっしりとした初老の人物が農作業中。
「こんにちは、いいところですね!」と声を掛けますと、
「ええとこでしょ」と返してくれました。
それから、私のカメラに目をとめて、こちらに寄ってこられました、
「見たこともないようなカメラ持ってますな」
カメラをお見せして、ちょっと自慢話、
「どちらもよく撮れるんですよ。
ちょっと古めかしい写りがなんとも言えませんよ」
しばらく歓談して、別れしな、ご主人、
「またおいでなさい」
そのにっこり笑ったお顔が本日最高のシーンでした。
フィルムが無くなっていたのが残念!
でも、こんなとびっきりの笑顔は、フィルムにではなくて、
心の奥にしまっておくべきでしょうね。
そして、浮き浮きと家路につきました、
そう、ちょうど、この少年のように…

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# by Hologon158 | 2008-10-17 00:06 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.18ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」18 祭り嫌いに、祭りだワッショイ!


祭りを撮るのが好きでないことは書きました。
皮肉なことに、そういう私の前にいつでも祭りが出現するのです。
バドガオンでも合計3つのお祭りに巻き込まれてしまいました。
1つめは、バドガオン郊外の小さな村で。
村に入り込んだ途端、どこでもドアから現れたように、
仮面の神様を中心とする祭列が突如出現し、
広場に入り込みました。
村の人が総出でこれを出迎えて、もうてんやわんやの大騒ぎ。
外国人は私一人でしたが、この外国人も祭りの渦の中に埋もれてしまい、
もうまるでもみくちゃ。
誰も私のことを気にする人なんて居ません。
仮面の神様にお祝儀を上げているようですね。
若い女性、マニキュアの指で捧げものの器を上品に支えて、
騒乱の渦に巻き込まれても、この表情を崩しません。
それが美女の美女たるゆえんかも知れませんね。
きりっとあちらに視線を流したりして、かっこいいですね。
ひょっとしたら、恋人が見ているのに気づいていたのかも。
3枚目は、バドガオン最大のお祭りの見物客たち。
2つ目のお祭りです。3つ目は後で書きます。
なまはげかスペインの闘牛祭りのようなお祭り。
十数人の仮面をかぶった神様が大通りを闊歩し、
100人以上の男の子たちがその前方を逃げます。
まだこちらは子だくさんなのです。
時折、神様が狂ったようにいきなり駆け出し、
男の子をつかまえます。
つかまえられた男の子が賢くなるのか、
鬼にされてしまうのか、
食べられちゃうのか、
ちゃんと聞いたのですが、全部忘れました。
それだけでなく、お祭りの写真、ろくに撮っていない!
ハレの日の催し物は、私の言うロボーグラフィには当たらない、
どうもそう感じてしまうようです。
それに、日本のお祭りにハイアマチュアの人たちがどっさり集まり、
そこのけそこのけとカメラマン同士押し合いへし合いする光景を見るたびに、
あんなみっともないことをしたくない気持ちもちょっとあります。
なまはげ祭りを道路脇で見物するのは女の子たち。
こころなしか、面白くなさそうな、沈んだ表情ですね。
なんで男の子だけが参加できるの?
ヒンズー教はまだまだ男性上位。
思えば、日本が近代化できた根底には、
日本人が極めて非宗教的だったことがあるかも知れませんね。
おかげで、女性が日増しに強力化されつつあるようですね。
ときどき戦士のような風貌、足取りの見上げるほど背の高い女性に出会いますね。
そんな方とすれ違うとき、心の中で思わず最敬礼。
ありがとさんよ、ぶっとばさないでくれて。
思い返せば、先ほどの祭りの美女も大きかったなあ。

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    [撮影メモ]
     炯眼な方は、私がこれまでに幾枚か望遠レンズを使っていることに
     お気づきになっていることでしょう。
     そう、一本、望遠レンズをバッグに忍ばせていたのです。
     友人から借りたアストロベルリンのタッカー125mmF2.3。
     M42仕様になっていますが、かつての映画用レンズ。
     70ミリ用だと聞いたことがありますが、本当かどうか?
     知る人ぞ知る、超名レンズ群、それがアストロベルリン。
     加工賃も含めて超高価なレンズもあるようです。
     でも、F2.3シリーズは安価で、しかも見事に写ります。
     このレンズもたしかに良いレンズ。
     黒エナメル塗りの見事な作りでした。
     大変に柔らかい描写をするレンズでした。
     今回の3枚の内、縦写真がそれです。
     美女にぴったりのレンズかも知れませんね。
# by Hologon158 | 2008-10-16 21:16 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.17ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」17 沈思の女性って美しいですね

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アテネ国立博物館で観たと記憶していますが、
「沈思のアテーナイ」というレリーフ、
これは忘れることができません。
美しい横顔がちょっとうつむいて、沈思の眼差し。
小品ですが、
ギリシア美術史上もっとも美しいレリーフだと思いたいですね。
古来、美しい女性をうつむかせて描いた絵が少なからずあります。
フェルメールの女性の多くがうつむいています。
それがフェルメールの魅力の秘密の一つなのかも知れません。
レンブラントにも有名なバテシバがダビデ王に懸想されて思い悩む絵があります。
実はレンブラントの奥さんなのです。
レンブラントは、愛妻のもっとも美しい姿を描こうと思い立ったのです。
そして、彼が選んだのは、バテシバであり、うつむく姿勢だったわけです。
なんだか納得できないような、納得できるような感じ。
その後に、私のうつむく少女の写真を話題にのせるのは、
ちょっと面はゆいというか、身の程知らずという感じがします。
そのうえ、この写真、私の前のブログでも今回のブログでも既出。
二重に、お許しくださいとまず言っておきます。
でも、この写真は、この旅行の最高の収穫なのですから、
これを外すわけには参りません。
それに、このふっくらなほっぺ、
ちょっと両手で包んでみたいと思いませんか?
この写真を見るたびに思うのです、
この子、いったい何を考えているのだろう?
知りたいですね。
この子が今では成人直前だろうと考えますと、感無量になります。
この世の中、私の関知しないところで一杯大切なことが変化していくのですね。
この子に、今会って、このとき何を考えていたのって尋ねても、答えられないでしょう。
たいていの悩みって、そんなものですね。
何年か経つと、もう悩んだことも忘れてしまう。
人間って、忘却を生きる武器にしているようですね。
でも、こうして写真に撮ってしまうと、
この少女自身はこのときここでなにか思い悩んでいたことを忘れているのに、
撮った方は忘れることができなくなっているのです。
おかしなものですね。

      [撮影メモ]
       この写真の使用レンズをあてられる人はまずいないでしょう。
       改造レンズだからです。
       コニカのいにしえの6×4.5判パールについていた標準レンズ、
       ヘキサー75mmF3.5なのです。
       往年の名レンズです。
       不思議なことに、中判用の名レンズを35ミリ用に改造しても、
       撮れるものの質感、味わい、厳しさは、
       中判オリジナルのときとまるで変わらないようです。
       パールは蛇腹がへたって穴だらけというのが時にあるようです。
       もしそんなものを見つけたら、是非手に入れて、
       有名なレンズ改造家宮崎さんにお願いしてみたらいかが?
       こんな風に、濡れたようにしっとりと、
       そして、活き活きと写りますよ。
       いいですよ…
# by Hologon158 | 2008-10-16 18:11 | ホロゴン写真展 | Comments(4)

33.16ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」16 黄金の時間にさしかかったのは曲がり角だった


アンリ・ラルティーグ、
この写真家をご存知でしょうか?
7歳のとき、父からカメラをプレゼントされて、
死ぬまで、その大半を無名のアマチュアとして撮り続けた人です。
私など、生涯の全部を無名の素人として撮り続けることになりますので、
この人はまさに生涯の模範。
その写真が幼少時から晩年までずっと魅力的なのです。
さまざまなフォーマットのカメラで撮り続けたようですが、
強烈に魅力的なのが、1:2.1という極端に長い長辺をもつカメラのもの。
いつも長辺の一方の画像が横流れしていますので、
ひょっとすると、レンズが回転するパノラマカメラなのかも知れません。
このカメラによる作品、全部空気感があって、雰囲気満点。
私も昔ワイドラックスというパノラマカメラを使ったことがあります。
レンズがくるりと140度回転します。
シルクロードに2週間のバスの旅に出かけるというので、
急遽手に入れ、三脚につけて試し撮りしてみました。
35ミリフィルムが9センチ幅にワイドになり、
見事なパノラマになっていました。
これはシルクロードの広大な砂漠を撮るのに強力な武器になると勇んで出かけました。
10本近く撮ったでしょうか?
現像から上がってきたポジを、胸をときめかせつつのぞき込んで、
唖然、呆然、茫然、憤然、そして凍り付いてしまいました。
そのすべてのネガの両側にソーセージがしっかり写っていたのです。
私の指!
なんにも考えずに、普通のホールディングをしていたのです。
まだホロゴンウルトラワイドを手に入れる前のことでした。
画角110度のホロゴンでも指が写るのです。
140度で写らない筈がない、バカ、バカ、バカ!
ただちにワイドラックスを売り飛ばしてしまったことは言うまでもありません。
でも、売り飛ばしたことに後悔はありません。
とてもシャープですが、とても硬い写りなのです。
ラルティーグの使用したレンズはおそらくブローニーなのでしょう。
大変にやわらかい。
ビビというとても可愛い奥さんを田舎の街道上で撮った作品があります。
パノラマを縦位置に撮っています。
底部から街道が画面ほぼ3分の2まで昇って行き、
その中央に、美しいビビがすっと立っています。
その頭部の少し上の方で、街道の白い路面が右にカーブして消えてゆきます。
ビビの背後にはたった一本の大樹がすっと聳えています。
つまり、下面から街道、ビビ、大樹と空だけでシンプルに構成されています。
もちろん大地と空とは黄金分割。
1923年、まさに古き良き時代だった!
この写真一枚が時代の雰囲気を力まず自然に映し出しているのです。
単なる記念写真、でも、ただならぬ芸術!
私は、いつもこの人の写真を見るたびに、心の中でつぶやいてしまいます。
この人は欲がなかったのだ!
天才だった!
でも、長い間、自分では気づいていなかった!
カルティエ=ブレッソンとラルティーグ、
写真の2人の天才はどちらもフランスの古きよき時代の裕福な家庭の生まれ。
この符合になにか意味があるような気がしてきます。
たとえば、豊かな人間関係に取り囲まれて育つことによって、
人と人との触れあい、コミュニケーションのニュアンスのすべてを感じ取れる、
そんなセンシティブな人間に育ったのかも?
そして、スナップを撮るとき、その豊かな感受性が活きているのかも?
くれぐれもご注意申し上げます。
天才の作品を観た後で、自分の写真を見るものではありませんよ。
その落差にめまいしてしまうでしょうから。

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# by Hologon158 | 2008-10-16 15:24 | ホロゴン写真展 | Comments(2)

33.15ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」15 この3人、今も仲良しだろうな!


カトマンズの東近郊の古都バドガオン、
バクタプルとも呼ばれますが、
バドガオンという音楽的な響きが大好きなので、
私はバドガオンとしか呼びません。
カトマンズ、パタンに二王国と鼎立したバクタプル王朝の都です。
まあ、行ってみてください、
町ぐるみ文化遺産、町ぐるみ古都の重厚な雰囲気に包まれ、
まるでタイムマシーンで17世紀に運ばれたような気分になります。
この町の路地裏、最高!
まず、住民たちが実にあたたかい!
一週間以上この町に居て、毎日毎日ほとんど路地裏だけで過ごしました。
当然幾度も同じ場所を通過します。
こんな観光客も珍しいと見えて、
住民たちもすぐに私のことを覚えてくれました。
この3人の友達もそうでした。
寒い冬です、ひなたぼっこが一番。
思い思いに編み物に励んでいます。
この寒さで裸足。
質実剛健の民族なのです。
この3人を見て、三国志演義を思い出しました。
劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟の誓いをします。
ただの一介の市井の人に過ぎなかった、ちょっと無頼の若者たち。
でも、この友情が歴史を作り出します。
一人ではなにも出来なかったかも知れない3人、力を合わせると、
劉備は帝王となって王朝を創業し、
他の2人は「万夫不当」(1万人がかかってもかなわない)の英雄として、
歴史に名を残すことになります。
たがいに能力を伸ばし合った、私はそう信じます。
古典ギリシアのアテーナイ、
ルネサンスのフィレンツェ、
エリザベス1世のロンドン、
ルイ14世のパリ、
フランス革命のパリ、
江戸末期の明治維新を作り出した長州、薩摩、
これらの小さな地域に、わずか2,30年の間に、空前の人材が輩出して、
わんさかわんさかと御輿を担ぐようにして、
歴史をがらり、くるりと回転させてしまいました。
なんで?
私のかってな憶測ですが、
相互刺激効果!
これしかないと、私は信じます。
あいつがやれるなら、おれもやれる!
そんなことをお前がしたか?
よし、おれもやったるで!
この3人の女性だって、そうでしょう。
たがいに相手の編み物の成果を見て、
そうか、私なら、こうしてみよう!
私の一番言いたかったことにたどりつきました。
前回、私の友人2人のちょっととんまな実態をばらしてしまいましたが、
実のところ、私の現在はこの2人とその他数人の友人たちに負っているのです。
例外もありますが、私も含めてたいていは実に平凡な写真を撮ってきた連中。
ところが、たがいに親交を深めるうちに、
次第にそれぞれの良いところが不思議にぐんぐん伸びてきたのです。
今、それぞれに、その人しか撮らないような独特の写真を撮っています。
ほんとうに皆さんにお見せしたいほどのものばかりなのです。
いつか彼らの個展を東京と大阪でする、
これが私の夢。
私はどうなのか、ですって?
私にはこのブログがあるじゃないですか!
これこそ、私自身の夢。
夢を現実に生きている、それが今の私なのです。

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# by Hologon158 | 2008-10-16 11:07 | ホロゴン写真展 | Comments(0)

33.14ホロゴン写真展「1998年1月冬のネパール」14 陶器師町の陶器干しをホロゴンで


その人の人間性を知りたかったら、友達を見れば分かる。
そんな風に言う人がいます。
この言葉も、リンカーンのあの容貌についての言葉同様、嫌いですね。
そんなことをされたら、たまったものじゃない。
とくに私の場合は!
私の親友の一人ADさんは、28ミリの名人なのですが、
仏様顔負けの柔和でおだやかな人柄。
ここまではよいのです。
ときどき大変にずっこけることがあります。
滋賀県の近江八幡に撮影に出かけたときのことです。
広々とした水郷沿いの路を友人数人で三々五々撮影して歩いたのです。
もう一人の親友RAさんが後方でフィルムを変え始めました。
ライカのバルナック型なので、ちょっとややこしい詰め替え作業。
道ばたにたたずんだまま、なかなか終わりません。
30メートルばかり前方に進んで立ち止まって、彼を待つ私とADさん。
7,8分経って、ADさんが憐憫の眼差しをRAさんにくれながら言いました、
「いやあ、長いですね。
そんなに難しいのなら、家でしっかりと入れ替えの練習をしておかなくちゃ!」
そして、破顔一笑!
その顔は自信に満ちていました。
10分以上経ってようやくRAさん、フィルム交換完了。
やってきたRAさんに向かって、
「RAさん、カメラ持ちすぎですよ」などと、さんざん冷やかして、
さて、先に進もうとしたとき、ADさん、ふと手元を見て、
「あれっ、フィルム終わってますよ」
私とRAさん、10メートルばかり先で立ち止まり、RAさんを待ちました。
彼もバルナック型だったのです。
彼のフィルム交換、何分かかったと思いますか?
RAさんときっかり同時間!
そういう私も、実は先日もっとひどい失敗をやらかしました。
先日もサンプルを一組ホロゴンデイシリーズとしてアップしましたが、
近ごろ、職場界隈と、我が家の近く鹿野園界隈とをお気に入りの猟場にしています。
ときどきホロゴンウルトラワイド以外のカメラとレンズも愉しんでいるのです。
ある日、私もバルナックで撮影を愉しみました。
フィルム交換ももう少し手際よくやってのけました。
翌日、現像に出したフィルムを受け取りに参りました。
店主、「どうなさったんですか? 
フィルムのど真ん中が最後まで完全に切れてしまっていましたよ」
どうやら力任せにフィルムを巻き上げてしまったようです。
遅いけど確実なお二人、早いけど、撮影済みフィルムを一本損した私。
絶妙のコンビというところでしょうか?

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# by Hologon158 | 2008-10-16 00:04 | ホロゴン写真展 | Comments(2)