わが友ホロゴン・わが夢タンバール

742.00 美との対話3「2018年9月19日中国古代の青銅器文化にただただ唖然」


図書館で次の本を見つけました。

  「中国古代の造形」(杉原たく哉) 小学館

あんまり凄いので、自分でも購入しました
次々と登場する中国古代の青銅器等の発掘品たち。
もう唖然とする異貌の世界。
まず、ざっと並べてみましょう。。
説明しませんから、ただただ、味わってください。




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とりわけ驚いたのは、三星堆の発掘品です。
2枚目の黄金仮面と3がそれです。
顔の峨々たる輪郭、
超自然的な風貌、
厳格な表情、
飛び出た目、
なにもかもが人間を超越しています。
まさに仮面ですが、これに限らず、
古代中国人たちの想像した造形美術は、
いずれも現実界を超越した異貌、異形です。

古代中国人がリアリズムを知らなかった、
写実のアートを創造する能力などなかった、
ということが絶対的にありません。
ちょっと後世になりますが、秦の始皇帝陵の兵馬俑が、
中国人陶工たちの写実力を十二分に証明しています。
4枚目、5枚目がそれです。
さらに、古代の中国人たちの生み出した動物像、
とくに9枚目の馬を見れば、
中国人たちがリアルな動物たちの姿をありのまま認識し、
かつリアル無比に造形する能力を持ちながら、
なぜかデフォルメしているのです。

縄文土器を思い出します。
縄文人は上記の古代中国人よりも数千年も先んじて、
人物像、動物像、土器を生み出しました。
これこそ、古代史最大の謎です。
大陸文化の影響を受けたのだとする説があります。
ところが、いつまで経っても、縄文文化に先行する文化は、
中国大陸に見つかりません。
数千年遅れてやってきた文化が縄文文化に影響を与え?
これじゃ、まるでSFの世界です。

この縄文文化の産物たちも、
不思議なことに、すべてが例外なく、
写実を遙かに超越した異貌、異形の創造物なのです。
いわゆる遮光器土器と呼ばれる異形の人形たちを思い出してください。
遮光器を付けているのだとする説が有力ですが、
じゃ、顔の下半分はどこに行ったのですか?
口がちょぼっと付いているだけ。
猛烈なデフォルメ、アブストラクトの表現?

顔全体を覆うような遮光器って、見たことがありますか?
遮光土器はほぼ全部異様なほどに膨らんだ服を着用しています。
縄文人たちはこんな異様な紋様、異様なデザインの服を
着けていたのでしょうか?
三星堆の仮面と同じくらいに、異様な存在、
そうではありませんか?
遮光器を付けていただろう、なんて軽く済ませて、
分かったつもりになるのは、いささか軽薄すぎるのでは?

人類は飛躍的に脳量が増大したホモサピエンスに進化して以来、
いかなる進化も示していないそうです。
つまり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も、
現代人と風貌、体型ともに変わらないのだそうです。
かつてはネアンデルタール人がゴリラ風の顔に復元されていましたが、
発掘されるサンプルが増加した現在、
上記の風貌はある種の疾患のせいで、通常の人たちのは、
現代人のヴァリエーションの幅に入るのだと分かっているようです。
つまり、超古代人たちは、外観、中身とも、
現代人とぜんぜん変わらないのだそうです。
今でも、裸になってジャングルを飛び回れば、
古代ネアンデルタール人より野生的な人がたくさんいますね。

大阪の御堂筋線の地下鉄に乗る度に、驚愕に近い印象を受けます。
もちろん、私もそんな一人なのでしょうけど、
なにしろ一生見慣れてきたので、自分のことはさておくことにして、
こんなに人間って、バラエティに富んだ体格、容貌、スタイルなのか!
海外の人も多くなっているせいもありますが、
それ以前から同様の印象をずっと受け続けて、笑ってしまいます。
これが日本人だ、これが中国人だ、なんていう基本体型など、
存在しません!

ということで、1万年以上前に日本を闊歩していた縄文人たちも、
はるか後世の古代中国人たちも、現代人と同様の写実力を有していた。
でも、彼らは、通常、現代人にはまねができないほどに、
奇想天外な異形の造形を連綿と生み出し続けたのです。
とりわけ強烈な異形の文化の展開が見られるのは、
四川省の三星堆遺跡。
今回の掲載分では3枚目だけなのですが、
三星堆の発掘品はみなこれに似て、異様そのものです。

ウィキペディアによれば、遺跡は広大です。
東西5〜6000m、南北2〜3000m、総面積12平方キロメートル、
紀元前2800年頃から約2000年続いた文化だということです。
一大文化、政治勢力がここで栄えていたのでしょう。

中国の中心地帯を支配した王朝を並べてみますと、
夏は紀元前2070年頃から1600年頃まで、
殷は紀元前1600年頃から紀元前11、12世紀まで、
周は紀元前1046年から256年までだそうです。
とすると、三星堆文化は夏よりはるか前から始まり、
周の支配になってから200年ほども続いた、
超古代文化だと言えそうです。
ところが、どうやら中国の正史には記載されていない!

私が読んだ当時の史書と言えば、春秋左氏傳と史記だけですが、
三星堆に関する記事を読んだ記憶はありません。
私の推測する真相はこうです。
どの国の歴史もそうですが、
中国でも、その版図の諸国はさまざまに交流し、
さまざまに影響を与えあって進展してきたことでしょう。
でも、そのすべてを目撃し、記録することなど誰にも不可能です。
ある特定の時代にある特定の史家が、彼の手の届く限りの情報を前にして、
史書に記録するに値すると彼が判断した事績を記載して、
史伝を編纂します。
そうすると、人間たちの苦闘の歴史は連綿と続いていたのですから、
正史の記載に漏れたものが、後世の私たちにとって、
本当に知るに値するものではなかったはずと、とても言えませんね。
三星堆はこうして左傳、司馬遷の筆から抜け落ちてしまったのですが、
だからと言って、中国の政治文化史に取るに足りない小枝だ、
と即断することはできそうにありません。

そこで、三星堆の歴史を推測してみましょう。
三星堆文化は殷時代から西周時代にまたがっています。
人類の常として、政争紛争はなかったわけではないでしょう。
でも、我が国でも、およそ1万5000年前から紀元前の終わり頃まで、
縄文土器を作り続けた文化が続いたのです。
さまざまな政争紛争があったとしても、
同一文化圏の部族紛争の域を超えなかったから、
縄文文化が続いたのだと言えそうです。
そうすると、三星堆文化も周辺諸国と無用に争わず、
むしろ平和共存を続けたからこそ、長く続いた。
まさに中国の縄文文化に比肩できるような、
平和の文化だったのかもしれませんね。

その傍証がある、そう考えたいのです。
中国の諸都市がそうであるように、三星堆も城壁で囲まれていました。
でも、残された遺物たちは、博物館に展示されている限り、
青銅の目を見張るような遺物たちに傷、損傷、破壊のあとはありません。
敵国に滅ぼされた遺跡と平和裡に衰退滅亡した遺跡は違います。
モヘンジョダロを思い出して下さい。

当時、青銅は剣、槍、甲冑にも使用されていたはずです。
征服した部族、種族が三星堆の人々と信仰をともにしていたとすれば、
そもそも戦争などなかったでしょうし、
もし異種であったとすれば、
これらの巨大な青銅製品は武器に作り替えられてしまったでしょう。
それなのに、完璧な形で埋没して見つかったということは、
三星堆文化は人知れずひっそりと歴史の襞に覆われて地中に消え去った、
そう考えるほかはないのではないでしょうか?

いずれも想像を絶するような形姿のお面たち。
おそらく三星堆の人たちの風貌の一部は継承しているのでしょう。
でも、あくまでも厳格そのもののまなざし、表情は人間を超えていて、
まさに神寂びた佇まい、気配は神々しささえあります。
三星堆人はまさに神と対座し、神に語りかけていたのでしょう。
もしかすると、三星堆人は人間境と神境とは、
重なりあう別次元の同一世界と感じていたのかもしれませんね。






# by hologon158 | 2018-09-19 21:33 | 美との対話 | Comments(0)

741.01 ホロゴン外傅238「2018年3月23日マクロスイター50㎜F1.8と春日大社で」1 衰退期


今日、ある人物に出会ったのですが、
その方がこうおっしゃったのです、
「高齢男性のほとんどが、人の話を聴く耳をもたないですね」
痛い話です。
あなたはいかがですか?
「人の話を聴けない人は、
自分に適した健康法を勉強することができません。
だから、長生きもできません」
ますます耳の痛い話です。
私も、その一人なのですが、
さすがに、近頃は、真剣に耳を傾ける気持ちになっています。

日本社会全体が老人社会になってしまいました。
数年前に、大都会を除く、日本の地方都市には、
出産可能な人口がほとんどゼロに近いと読んだことがあります。
地方都市を訪れる旅人は、名物の家並の多くが空き家か、
それとも売り家になって、町の活力は失われ、
老人だけが寂しく暮らしていることに驚きます。
ということは、日本の食料生産の土台である、
農業、漁業を担う人口が失われつつあるのでしょうか?
日本は一体どうなってしまうのでしょうね?
この危惧をいつも感じてしまいます。

私の住む奈良市もそんな地方都市の一つです。
自然災害が非常に少ないことと、大都市近郊であることから、
住宅建設はかなり盛んです。
奈良市の旧市街の外にそんな住宅地が拡大しつつあります。
でも、町の中心部、旧市街地区は人口密度が激減しつつあります。
簡単に言えば、老いた女性たちばかりになりつつある。
これは、私にとっても、予想外でした。
まだかなり元気です。
まだまだ長生きするつもり。
でも、あと10年も経てば、
奈良市中心部はゴーストタウンになってしまうのでは?
7、8年前に奈良県の西端部に近い五條市に行って、
それと同然の体験をしてしまいました。
旧市街はほとんど人影がない!

奈良市は今かなり賑やかです。
でも、その人波の90%以上が、
内外からの旅行客なのです。
つまり、旅人たちを割り引けば、
奈良市はすでにゴーストタウン?
かなり心配です。




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# by hologon158 | 2018-09-18 14:44 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

740.03 ホロゴン外傅237「2018年3月10日スピードパンクロ35㎜F2も近江八幡で大暴れ」3 骨折


別ブログ「レンズ千夜一夜」に書いたと記憶しますが、
左肋骨を1本折りました。
でも、10日で痛みがほとんどなくなり、
2週間でほぼ直りました。
まだ肋骨は完全にくっついていないでしょうから、
もう少しストレッチは控えます。
でも、生活は終始平常運転しました。

私はベッドが大嫌いで、
お布団に横になるとホッとします。
通常なら、です。
肋骨が折れてしまうと、まず横になるのが一苦労。
どんな風に寝ころぼうとしても、激痛。
でも、不思議です。
横になった直後に眠りにつきます、例外なく。
そして熟睡し、骨折の痛みを感じたことは一度ない。
夜間2、3度小用に立ちますが、これがまた同じ苦労。
でも、横になった途端に、コトン。
生まれてからずっと完全熟睡人間だったことが幸いした、
そんな感じですね。

そんな状態でも、布団一式を畳んで、
押し入れにしまうのは依然私が担当です。
下手に動くと、突然左胸に痛みが襲うので、
かなり苦労しましたが、
これも頭を使えばなんとかなるものです。
難問クイズに挑戦というスタンスで楽しむ性格が、
こんなときに私を助けてくれました。
主に右手と腰を使い、左手はできるだけ動かさない。
一度に持ち上げるところを二度に分ける。
こんな分散方式でなんとかやりくりしました。

でも、ほぼ完治してみると、嬉しいものですね。
食器洗いも私の仕事なのですが、
シンクの真上にある乾燥棚から小さなボールが落ちました。
骨折してる方の左腕がさっと伸びて、空中でキャッチ。
ニンマリしましたね。
殿はほぼ完治されましたぞ!

3日前、廃棄物処理業の軽トラックの流す音楽に気づき、
飛び出て呼び止め、使わなくなった電気製品その他を出しました。
数度階段を往復して、運び出しましたが、
こんなときは肋骨のことなど忘れますね。
タイムドメインの砲丸型スピーカー大小2セットも、
素敵なサウンドのスピーカーですが、涙を吞んで廃棄。
友人が作った、底面10数㎝もない高さ120㎝ほどしかない、
小型軽量の柱状スピーカーとでも言うのでしょうか、
この超安価なスピーカーに完全に敗北してしまったからです。
4ヶ月ほど前のことでしょうか?
それ以来、私の書斎はザ・シンフォニーホール状態。
ということで、「涙を吞んで」と勢いで書きましたが、
実は「惜しげもなく」さよならしました。

業者のお兄ちゃんに「引き取り価格は1万2千円でお願いします」
そう言われて、ギョッ!
完全に使える良い物ばかり出して、金まで出すの?
楽天やヤフオクに出せば、2、3万にはなるのでしょうけど、
私はそんな器用なことができる人間じゃありませんので、
私も、大阪弁は使えなくても、精神は大阪人です。
「まだ使えるものばかりだから、1万にして」と値切って、
シャンシャンお手うち、2人でにっこり。

そんなことで、書斎のフロアもスッキリしたし、
肋骨骨折ともおさらばできました。
一昨日には、突然両手の手首が自由に回転するようになり、
揚琴のスティックさばきがかなり滑らかになりました。
昨日は、付虹先生の揚琴レッスンでしたが、
宿題の「月圓花好」が一発でオーケーになりました。
でも、「良いでしょう、次の曲に行きましょう」だけ。
劉継虹先生もそうですが、付虹先生、決して褒めない。
妻に、ちょっとがっかりしたと報告したら、
妻怒り、「当たり前じゃないの?
あなた、褒めてもらうために習いに行ってるの?」
おっと、妻も両先生と同類だった。

ということで、まあ、ようやく絶好調に戻った感があります。
ストレッチはずっとお休みしてきましたが、
あと1週間したら、再開します。
いつもの復活プロセスを始めます。
最初の日は、そうですね、各運動3回ずつ。
それから、毎日基本動作は1回ずつ、
主力運動は2回ずつ増やしましょう。
主力運動は30回から60回ですが、基本動作は各10回ですから、
基本動作は丁度8日で、主力運動も2、3週間で復活します。
その頃には、たとえば、ブリッジのように150回数える運動は、
自然に復調するでしょう。

昨日朝、バス停でご近所の奥様に会いました。
「もうこの頃どんどん歳をとって行く感じで...」
そうおっしゃるお顔は、たしかにかなりシワが濃い感じ。
「そんなことはありませんよ」
と返しましたが、結局、
「住宅地の住民全員でどんどん歳をとっていきますねえ」
「ほんとん、ねえ...........」
そこで、180㎝はあろうかと思われる長身の紳士が到着。
よく一緒になる方で、見ると、まだ姿勢はすらりとしていますが、
後ろ姿を拝見して、ほとんど肉がそげてしまって、仙人の風情。
丁度バスが来て、老齢の話題から逃れて、ほっ!

拝見しますに、多くの方は老いることを当然と考えて、
老化を防ぐための努力はとりたてておやりになっていない。
それも一つの生き方かも知れません。
でも、私は、簡単に老いるつもりはありません。
さまざまなストレッチ、マッサージ、ウォーキング、
そして、よく食べ、よく眠り、よく歩く、
健康で、清く正しい生活!
老化を防げることであれば、やれることはなんでもやります!
以前に幾度か話題に上せた水素吸引も、
始めてからかなり経ちますが、ほぼ一日も欠かさず続けています。
私の強みは、やると決めたことは続けることができること。

105歳でなお矍鑠としておられる、芸術家お二人のことを、
かなり前に書きました。
そのお二人が老化に対して決然と戦っておられる姿を
知ってしまうと、
私だってできる、そう考えて、ますます努力してきました。
はっきり分かること、それは、
たゆまぬ努力はしっかりと報われていること。
皆さんもがんばりましょうね。
いくつになっても、若返り術は始められます。

「明日、審判の時が来る、そう教えられても、
「私は木を植える」、
そうルターは言いました。
私なら、こう言いましょう、
「明日、世界が終わりの時を迎えると教えられても、
私はストレッチをし、ブログを書き、写真を撮るために出かけ、
揚琴、リコーダー、二胡を練習し、子供達(猫ですが)の食事を用意し、
妻とおしゃべりをする」
(おっと、妻がラストになってしまいました。
これは妻に内緒)





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# by hologon158 | 2018-09-15 15:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

740.02 ホロゴン外傅237「2018年3月10日スピードパンクロ35㎜F2も近江八幡で大暴れ」2 突然、秋!


突然、秋、ですね。
残暑が戻ることがあるのでしょうか?
気象庁がどう言っているか、調べる気にもなりませんが、
なんだかこのまま秋に突入する気配があります。
これも異常気象のつながりなんじゃないか、
心配になります。

ノーベル賞作家のガルシア・マルケスに、
「百年の孤独」という小説があります。
30代に一回読んだだけですから、ほとんど覚えていません。
その中で、3か月間でしたか、土砂降りが続く、
というような前代未聞の現象が描かれていました。
小説全体がそんな奇想天外な出来事で満たされているので、
そのときも、ただ面白く感じていただけでした、
「そんなバカなことが起こるはずはないね、
マルケスさん、とんでもないことばかり思いつく人だな」

でも、2018年になって、段々とマルケスの想像力って、
自然が生み出す奇想天外には負けているんじゃないか、
という気がしてきました。
山陽道を東に駆け抜けた雨が生み出した惨害は、
マルケスの長雨では起こっていなかったようです。
台風の逆走だって、そうです。
そして、近頃の2度の台風のコースもまた異常ですね。

この夏、炎天が続きました。
来年はもっと暑くなるだろうという予測すら見られます。
そのうち、日本人も腰蓑一つで歩き回るかもしれません。
ファッション界も色めき立っていることでしょう。
「蓑の色は蛍光ブルーかグリーンがいい!」
「そうだ、ベルトからは、ボタン一つで、
絶えず水滴が蓑を滴り落ちるようにしよう」
「それだけじゃ、不十分だ。
5分に1回は頭上からシャワーが霞のように降り注ぐようにしよう。
どんな××も「水も滴る美人」だ!」

電気業界もそうでしょうね。
来年の猛暑を予測して、電気関係の会社では、
携帯式クーラーが目下最大の開発対象かも知れませンね。
「携帯クーラーで、あなたはどこに居ても、
さわやかな切れ者!」
なんて、キャッチフレーズばかり先行開発されているかもしれませんね。

こんな夏には炎天下動きまわらないことしか対策はありませんが、
炎天下あるいは冷房のないところで働く人たちは、
郵便屋さん、宅急便その他の配達要員、土木建築業界等、
数知れずいます。
みなさん、無事乗り切ったでしょうか?
今日、豆腐の移動販売車が我が家にもやってきました。
「近藤豆腐店」という奈良一番のおいしい豆腐作りの店。
その担当の初老の男性、盛りには「汗中顔」という悲惨な状態。
気の毒、としか言いようのない状態で、
冷やしたサイダーを飲んでもらったこともあります。
でも、見事乗り切られ、今日は爽やかな風貌でした。
凄い体力、気力!

私が仕事をしていた頃の公官庁は、冷房温度を押さえるために、
庁舎内はネクタイ、背広なしとしていましたが、
今はどうなのでしょう?
とにかくかたぐるしい礼儀作法から解放されたのですから、
今は気楽なものです。

先日、榛原の子供ランドに長女一家とドライブしたのですが、
訪れる若い家族のお父さんたち、おじいちゃんたち、
私をのぞく全員が、なんと呼ぶのでしょうか、
半ズボン姿でした。
私が独裁者になったら、ファッション警察をもうけますね。
スタイルが悪くて、観ると気持ち悪くなるようなおっさんたちは、
第一回検挙で黄色蓑強制着用、
第二回で真紅の蓑強制着用、
第三回で検挙、3日間拘禁。

ファッション等級に応じた着衣免許制度を作りたいですね。
もちろん男女いずれも、厳守。
超Aクラスは、いかなる服装でも、ときには服装なしでも許される、
最低の超Cクラスは、イスラムの最大限隠蔽型ブルカのみ許される。
低クラスの各種制限は心当たりのある方が自分で問い合わせしましょうね。

それにしても、これからどんな破天荒な天災地変が襲来するでしょうか?
いつもまったく予想しなかった災厄が年々襲いかかる時代になっていましたが、
今年はそれが束になって襲いかかっています。
昨年との災厄膨張率を加味しますと、
来年はさらに恐ろしい災厄が連続襲来するのではないでしょうか?
6千万年前、ティラノザウルスも同じように感じていたのではないでしょうか?

このような時代が来るとは思ってもいませんでした。
このような時代にふさわしい生き方は何か?
これも一人一人真剣に考えるべき課題ですね。
誰にも妥当する生き方などありません。
マルチン・ルターの選んだ生き方が最上かも知れませんね。
「明日、最後の審判が来ると分かったら、あなたはなにをしますか?」
ルターの答えはこうでした、
「それでも、私は木を植える」
私の答えはこうです、
「今一番やりたいことをします。
それが長年月かかるものであっても、それをします」
ルターと少し似ていますが、もっとプライベート。
社会のこと、世界のことなど、構ってなどおれません。
でも、子供たち(猫を含む)、孫たちは別。
最大限、一緒に楽しい日々を重ねたいものです。




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# by hologon158 | 2018-09-12 18:11 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

740.01 ホロゴン外傅237「2018年3月10日スピードパンクロ35㎜F2も近江八幡で大暴れ」組写真


8月30日木曜日、写真家吉田正さんの写真教室の日でした。

大半の方は原則5枚、パソコンデータで持参されます。
スクリーンに投影して、講師のアドバイスを受けます。
私はそんなことをしたことがありません。
必ずプリントします。
私は、幾度も書きますように、写真家ではありませんが、
人に写真を見せるのであれば、プリントすることにしています。
学会で研究発表する際の標本データじゃないんだから、
という気持ち。
私が写真家を目指していた時代は、
「写真をデータで」なんて言葉はそもそも存在しませんでした。
フィルムやベタ焼き、試し焼きなどは、人に見せるものではない。
ポジフィルムの投影も私は大嫌いでした。
写真は暗闇で幻灯機のように見せるものじゃない、
私はそう考えていました。
最後に所属した写真クラブでは、そんな見せ方が主体でした。
私は、ポジそのものを持参した時期もありましたが、
いやになり、きちんとプリントして持参しました。
そして、今、吉田写真教室で起こっていることと同じことが起こりました。
大半の方は私の写真になど興味、関心をもたなかったのです。
だから、私が写真を片隅の卓上も並べても、大半はおしゃべり。
数人がぼちぼちと近寄ってきたり、立ち去ったり。

でも、私はそれで満足。
我ながら、自分の写真に興味を持つ人が居るとは、
当時、全然思えなかったし、今はなおさら、思っていません。
自分のためにだけ、撮る。
人に見てもらうためには、撮らない。
それが20数年前、ホロゴンによるロボグラフィを撮り始めたとき、
厳然として確立した、私のポリシーだからです。

かつてアマチュア写真家のつもりだった時代にも、
自分なりの気持ちで原則を立てていました。
① コンクールには絶対に出さない。
② 人に見せるときは、必ず組写真にする。
当時から、私は単写真の傑作主義は捨てていました。
なぜ?
自分には写真の才能がないことを知っていたからです。
でも、そんな私でも、写真を楽しめる方法がある、そう考えました。
その方法は2つ。
① 組写真を構成して楽しむ。
② 私家版写真集を作る。
私にぴったりの楽しみ方です。

もっともかなり早期に写真クラブをやめましたので、
長い間、もっぱら②の方法で楽しみ、
友人に見せるときに、①の方法で並べて見てもらうことにしていました。
写真集は成功でした。
オリンパスの昇華型熱転写プリンター、
型番は忘れましたが、P-400だったでしょうか?
今もってこれを超えるものはない傑作プリンター。
その理由は面倒なので書きませんが、
このプリンターを使って自分の写真集を40冊ほど、
友人の写真集を10冊ほど作りました。
完全に出版物同様に編集し、大阪長居の雲雀屋製本所に持ち込み、
布装固表紙、背表紙に型押しの表題を彫り込んでもらって、
完全なる出版物の体裁に仕上がりました。
20年以上経ったものでも、今も新品同様で、
頁を開くと、ピッカピカの写真を楽しむことができます。
布にカビが来ない限り、百年でも保つでしょう。

そういうわけで、写真を編集し、組写真を組む訓練はかなり積んできました。
ということで、昔取った杵柄じゃありませんが、
吉田教室では、プリントを教室中央の机に並べて、ご覧いただきます。
生徒さんは、ほとんど銀塩プリントも組写真も体験がないようで、
こんなとき、写真をどう見たらよいのか、ご存じないようです。
机のまわりに、関心なさそうな風情でぐるっと取り囲み、
ずんと直立したまま、傍観する方がほとんど。
組写真を見るためには、正面に来て、しっかり見下ろし、
視線を走らせて、そのシーケンスがなにを物語るか、
全体を見渡しながら、考えを巡らせるものです。
そんなことをする方は大変に少ないですね。
先生が「前に来て、まあ、見てください。面白いですよ」と誘っても、
その言葉に応じて正面に移動した方は、
かなりの回数を重ねている内に幾人いたか?
そのように言われて動かないということは、
「私はこの写真たちに興味がないよ」という、
かなり無礼な意思表示であることにも気づいておられない。
そんな調子ですから、熱心に見ていただく方がほんの一握りという状態。

でも、いつもわくわくしてプリントし、構成を考え、
わくわくして持参するのは、吉田先生にお目にかけるから。
実に熱心に鑑賞され、的確に私の意図、気持ちを見抜いてくださいます。
写真に対する愛情にあふれておられます。
私は、長い写真人生で、人の写真を見るときの態度で、
人間の値打ちが分かるということを学びました。
ほとんどのアマチュア写真家は、自分の写真を溺愛し過大評価しますが、
人の写真には目もくれず、関心などまるでありません。
自分のことしか話さない、人の話には耳を貸さない、そんな人がよく居ます。
そんな態度で、写真そのものを愛してはおられないことが分かります。
ご自分を愛しておられるだけ。

さて、今回の10枚セットは、いつもながら、
「奈良町夢幻」
タンバール90mmF2.2の開放で撮ったロボグラフィたち。
タンバールらしい夢のような茫漠、朦朧写真8枚に、
細工をしている女性、ラップに包まれた野菜セット、
2枚の若干現実感ある写真を組み合わせました。
上下各5枚2段組。
上段の左から読むように作り、
上段2枚目と4枚目に上記の若干現実感ある2枚を置き、
上下とも、中心に華麗な色合いの芯を置き、
両側に、四方に拡散していく方向性で、ロボグラフィを並べました。

吉田教室では、いつも一番最後にご覧いただきます。
今回はちょっと評判がよかったようです。
持参するロボグラフィは大半が美よりも醜に傾く傾向がありますが、
今回の写真はタンバールづくし。
その色彩には古色風の味わいがあるので、
まずまずだったようです。
その証拠に三人の方が写真を「欲しい」とおっしゃって、差し上げました。
家に持ち帰っても、どうせ捨てるだけなので、助かりました。




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# by hologon158 | 2018-09-09 22:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

739.01 ホロゴンデイ208「2018年3月10日ホロゴン15㎜F8Uが近江八幡を少し切り取り」


奈良東向商店街に古い中華料理の老舗があります。
「飛天」
私が30数年前奈良に転居してきた当時から続いています。
私も無事息災に過ごしてきましたが、
その間中、飛天もがんばってきたわけです。
当時あったレストラン、飲食店の95%は消えてしまいました。
生き残ったレストランの戦術はそれぞれに違います。

洋食レストランの「早川亭」は、
シェフが奈良女子大の学生たちのアルバイトを使って、
一人で続けてきたのですが、
その戦術は、シェフの手製料理たった3種の昼食メニューを死守。
ビーフハンバーグ定食
海鮮定食
ビーフカツ定食
(ディナーがこれにコース料理が加わるだけ)
どれもスープとサラダがついて、
絶品と言いたくなるほどの見事な料理です。

一方、飛天は私たち一家が行くようになった当初は、
メニューが豊富なだけで、いわば普通の中華料理店でした。
ところが、あるとき、どうやらシェフが変わったようです。
それからは、独創的で、日本人の舌に合うような、
かなり楽しい中華風創作料理店に生まれ変わりました。

一昨日、長女一家と合計6人、3会の畳の会席室を予約しました。
実は1年以上ご無沙汰していたのです。
おいしい。
でも、ちょっと待てよ?
味がちょっと変わっているじゃない?
四川料理麻婆豆腐がきました。
頂いて、ちょっとびっくり。
この十数年舌鼓を打ってきた、飛天名物の麻婆豆腐じゃない!
ほぼ完全に、中国で頂く麻婆豆腐!
どうして?

中国人は一人一人スペシャルなお好みをしっかり持っています。
昔、上海旅行中に、
日本人女性と中国人男性のカップルと知り合いました。
どちらも北京大学生、才気煥発の二人です。
私とも大変に意気が統合して、
三人で中華料理店に入り、夕食をいただきました。

まだ大学生でしたが、中国人男性に注文を任せました。
すると、彼は、メニューを子細に検討し、
ウェイターと詳しく協議して、
はじめて決定の運びとなりました。
これはありふれたやりとりのようです。
お隣のやはり若い男性、ウェイターとやはり長い間協議したあげく、
すっぱり立ち上がって、出ていってしまいました。
ウェイターも「こんなことは自然」という表情。
私のように、「メニューの選択は君に任せるよ」とか、
多くの日本人のように、「みんなと同じでいいよ」
なんて付和雷同的いい加減さはかなり稀なのかも知れません。

まして、中華料理こそ世界一と確信しているのですから、
多くの中国人旅行客からは、硬軟とりどりでしょうけど、
かなり和風バリエーションにクレームがあったのか知れません。
レジで尋ねてみました、
まさにそのとおりのようで、
「中国人客が大幅に増えて、本場からシェフを一人呼びました」
ということでした。
日本人よりの一人当たりの単価も跳ね上がるのでしょう。
これからもこの傾向が増大するという予測も絡んでいるでしょう。
そこで、飛天はまだまだ環境に適合し、生き残るべく、
変化をおそれず、がんばっているわけです。
ただし、日本人である私にとって、歓迎すべき変化か?
どうもそうでもないみたい。
どうやら当分は中国人客が増加すると踏んだようです。
かくして、そんな潮流の中で飛天が下した判断は、
中国系の伝統への回帰、という方針転換だったわけです。

こんな形で中国化が一歩一歩進んでゆくのでしょうか?
私の大好きだった麻婆豆腐、まあ、おいしいにはおいしいけど、
かなり違和感と落胆を覚えたことは否定できません。
ただし、孫たちが自由に走り回る空間の中で、
他の客を気にせずにゆっくりと食事できる座敷を
気軽に利用できる数少ないレストランです。
若干の不平には目をつぶって、今後も利用し続けることでしょう。

このような出来事は何を意味するのか?
ちょっと即断に過ぎるかも知れませんが、
深く静かに進行しつつある中国との一体化の潮流の現れなのではないか?
奈良でさえそうであるとすれば、
大都市ではさらにその傾向が先行しているのではないか?
そんな気がして、少し怖くなってしまいます。

さて、写真は半年前です。
毎年恒例の近江八幡正月詣でも今年で途切れました。
でも、あまりに惜しいので、呼びかけて、3月に近江八幡に参りました。
サブに持参したのがホロゴン15㎜F8U。
ホロゴンウルトラワイドから抜き出したホロゴンです。
メインは内緒。
次回からごらん頂きます。




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# by hologon158 | 2018-09-06 16:29 | ホロゴンデイ | Comments(0)

738.03 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F2奈良公園逍遥」3


8月10日金曜日、
妻は長女系の孫たちふたリのピアノレッスンの付き添い。
私は月1回のルーチンの診療所通いでした。
実のところ、別に悪いわけじゃないんだけど、
予防のためにもらっています。
だから、診察まで不要。
毎日元気だからです。
でも、そうは行かないので、診察を受けます。
数日前に軽い風邪に久しぶりに罹患しました。
医師には、一昨日がピークで、ちょっと鼻が潤い、
のどが少し痛くなったけど、
昨日にはどちらも雲散霧消した、と報告しました。
一応、聴診器で胸部を検査することになりました。

枝雀さんの落語にそんなシーンがありますね。
これが楽しい。
「先生に聞いたんですわ。
聴診器使ってなにか分かりますか?」
先生「分かりません」
(そして、続けます)
先生「脱いでください。
パンツまで脱がなくてもよろしい。
一度脱いだら、はかなくてもよろしい」
先生「吸ってください。
へーて(吐いて)ください。
吸ってください。
へーてください。
吸ってください。
へーてください。
へーてください。
へーてください。
へーてください。
どうしたの?
つらいの?」
というようなシーン。
お医者さんの指示どおりがんばる患者がけなげです。

私の担当医は名医の声望の高い方ですが、おっしゃいます。
聴診器を使ったら、「異常があれば、分かります」
空気が気管支から肺胞、肺胞から口へと、
風船を膨らませたり縮ませたりするのですから、
その音は肺、気管支の異常を反映しないはずがありませんね。

今回も、「吐いてください、吸ってください」でしたが、
「吸ってください、吸ってください」はありませんでした。
さらりと終了。
なんの異常もなかったようで、
「来月は、前回検査からちょうど半年なので、
血液を採るように指示しておきますから」

終わりがけ、先生に、
「異常な暑さですから、先生もお体に気を付けてください」
患者からそんなせりふは普通ないようで、
先生、苦笑しつつ、喜んでおいででした。
本日はお盆前ということで、異常に受診者が多い日でしたが、
待合室は満席状態で、しかも全員高齢者。
これじゃ、お医者さん、つまらんだろうなあ。

面白かったのは、みなさん、密接距離が異常に短いようです。
密接距離(personal space)は文化人類学者E.T.ホールの考案。
人間同士の関係性を定義する用語の一つです。
人間には、国、民族、個人によって、
自分の周辺に他人が接近することを許容する距離が違う。
どこまで他人が近づいたら、侵犯されたように感じて、
不愉快になり、ときには怯えるか?
個人的なバリエーション、広狭はありますが、
一般的に民族ごとにその平均値がかなり違うのだそうです。
密接距離が狭く、ときにはゼロでも許容する民族は、
アラブ、インド、中国、韓国。
一番広いのはドイツ。
日本はちょうど中間なのだそうです。

たとえば、中国に参りますと、私の友人が笑って、
「ツアーコンダクタの陳さん、歩いてる僕においついて、
いきなり手を握って歩くんだから、おどろいたよ」
もちろん二人とも男性。

私も韓国の地下鉄でびっくりしました。
座席にびっしり詰めるだけ詰めて座ります。
私の目の前はまだ若い青年男女。
とてもハンサムな男と、とても美しい女性。
電車が大きく揺れるにつれて、
二人ともぴったり密着したまま、左に揺れ、右に揺れ。
まるでチークダンスのようで、ほほえましく、
なんだか映画の一シーンのような、ユーモラスな光景でした。
駅に着きました。
二人とも立ちました。
そして、右に左に分かれて出ていってしまいました。
日本では考えられない位に親密な風情だったのに、
ただの相客だった!
内心、笑い転げました。

でも、診療所に戻りますが、そこまでは行きませんが、
今時の老人たち、かなりこれに近い密接距離を許容するようです。
狭いソファーに男女こもごも3人、詰め詰めに座って、
まるで動じませんね。
私はだめです。
許容するのは妻だけ。
あとはすくなくとも30cm、できれば50cm、
できれば1mは離れていただきたい、そんな気持ちです。

一生、職場でも、一人離れて仕事をしてきたせいもありますが、
子供の頃から、あまり群れるのは好きではなかったのですから、
どうやら生まれつきのようです。
ドイツ人か、もしかするとそれ以上かもしれません。
ドイツ人だったら、友人同士の男女が挨拶として、
頬にキスしたりするかもしれません。
私は絶対にそんなことはしませんから。
まあ、そんな習慣が日本にあっても、
私には誰もしないでしょうけど。



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# by hologon158 | 2018-09-02 23:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

738.02 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F2奈良公園逍遥」2 私の美


(前回の続き)
さて、これからが本題です。
もしかすると、私は完全に間違っているのかもしれません。
でも、私は自分の長年の体験から知っているのです。

私にとって美は、ほかの人と違う。
私が美しいと心を打たれるものを、
他の人が全員、なんだこれは、ゴミじゃないの、ということがある。
逆に、多くの人が、死ぬほど美しい、これこそ完璧なアートだ、
と騒ぎまくっているのに、私にはなんにも感じられない、
そんな体験をどっさりしてきました。

みなさん、お笑いになります。
私は自分のロボグラフィを「これは美しい!」
そう感じて、撮っていることがあります。
もちろん、そう思っていないときもあります。
でも、美しくないけど、私の心にぐいと食い込んで来たのだから、
れっきとしたロボグラフィ、という存在もあります。
でも、私にとって文句なしに美しいものさえも、
大抵の方は、美しいとは思えないようです。

友人と一緒にストリートを撮影しながら、
以前は、「どう? これ、いいじゃない?」と、
勧めたものでした。
でも、20回に19回は、どなたも反応しませんでした。
私が撮ったロボグラフィの写真を人に見せても、
まったく同様に、無反応です。
むしろ冗談、そう受け取られるようです。

7、8年前、私ははっきりと確信しました。
私は人と違った見方をしている。
ほとんどの人は私の見方を理解することはない。
それどころか、理解したくないようだ。
そう確信したとき、はっきりと考えを変えました。
ブログをパブリックな表現手段とは考えなくなりました。
完全にプライベートな体験の記録庫。

それでも、ほんの数名の方が私の見方に共感してくださるようです。
そんな方もご自身の美的感覚と世間のそれともずれを感じておられるのでしょう。
でも、そのずれ方は人によって全然違うかもしれません。
だから、私たちの共感は常に一部の重なりの領域に入ったときだけなのでしょう。
それぞれに独特の個性が美とぶつかって生きているのですから、
むしろ重なりの領域はかなり小さいのかもしれません。
みんな「孤島」で生きているのです。
カール・ヤスパースは、
「私たちは一人ずつ島に住んでいる」と言いました。
私のブログ2つは、私の島の生活日記、ということになりそうです。

そんなプライベートな日記を公開の状態に置いておくことで、
別の島に住んでいる友人たちに、
「ぼくはここで元気に生きてるよ」というメッセージを発している。

私もかなり沢山の人となんらかの交渉を持ってきました。
随分親しくなった方も沢山います。
皆さんもそうでしょう。
私も、その大半の方と音信不通になっています。
私は筆無精なので、住所が変わったことさえ知らせていない。
多くの友人にとって、私は行方不明者なのでしょう。

もっとも私は元気一杯です。
かなり年齢を加えましたが、全身シワ一つない。
今が一番強壮です。
(ただし、頭髪だけ若干薄くなりましたが)
でも、私が生涯に知り合った方の中には、
なんらかの事情があって、世を去った方もいるかも知れません。
ヨボヨボになってしまった方もかなり居るでしょう。

美と出会いながら生きていく、
これが私の第2の人生の唯一のテーマであり、
唯一の関心。
そして、思うのですが、
美だけを見つめ続けること、
これこそ、長生きの最大の秘訣だ!



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# by hologon158 | 2018-08-30 21:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

738.01 ホロゴン外傅236「2018年2月28日スピードアナスチグマート28㎜F1.5奈良公園逍遥」1 妖変



私は耐えず美のことを考えています。
でも、いつも美に向き合っているわけには参りません。
美はレアなものですから。

しかも、美というものは極めてプライベートな体験です。
ある人とあるもの、情景との出会いに美が生まれます。
生まれながらに、いわば、アプリオーリに「美」は存在しません。
美は存在ではなく、現象なのですから。
出来事eventです。

そんなことはない、「モナ・リサ」は誰が見ても、美しい。
でも、「モナ・リサ」を美しいと思わない人だって、
かなり存在するだろうと推測されます。
それに、じゃ、誰も見なければ、どうでしょうか?
誰も見ないものを美しいか否かを論じるのはナンセンスですね。

鏡というものがない時代、山奥の一軒家に、
現代に連れてきたら、その美しさに誰もが圧倒される、
そんな女性が生まれたら、どうでしょう?
比較できる女性もなく、鏡もなく、ただナチュラルに日々を過ごして成長し、
父母もただ生きるに汲々として、
娘が美しいかどうかなど考えたこともなかったとしたら、
どうでしょう?
「美しい」「美しくない」という言葉さえなく、
比較対照する機会もないまま、自分が美しいなどと夢にも考えないでしょう。
そんな可能性は現代でさえも世界中至るところにあるでしょう。

それに、「美しい」「美しくない」は日本人の観念のこもる言葉です。
これに対応すると思われる言葉が各言語にあるようですが、
その言葉が日本語のそれと完全に重なりあうものであるかどうかは怪しい。
日本人の「美」に対応する言葉がない言語だってあるでしょう。
たとえば、関西弁には「まったり」という言葉がありますが、
このような方言には独特の意味があって、
他の地方にはこれと同一の言葉、概念が存在しないかも知れません。
同じ日本人で同じ日本語を使っていても、
完全な相互理解が常に保証されているわけではありません。

「美」はすぐれてプライベートな観念です。
とすると、地域ごとどころか、夫婦間でも、まったき理解が可能ではない、
と考えることさえできます。
さらには、自分自身でも、美的感覚はめまぐるしく変わっていきます。

美とは「驚きの体験」です。
馴れると、美はすりへっていきます。
実のところ、あらゆる体験が反復によってすり減って、
意識されなくなります。
慣れたものは無視する、
見慣れないものに注意する、
それが人間の生存の秘訣、というわけです。

だから、体験はすり減らぬように大切にしなければなりません。
たとえば、夫婦がそうですね。
あんなに愛し合ったのに、もうなにも感じない、
逆に、いとわしい、そんなご夫婦もいるでしょう。
夫婦の愛情を保つのは、木を植えるのとおなじ。
たえず水をやり、たえず滋養分をあげ、
たえずケアをしなければなりません。

美に対する感受性も同様です。
たえず自分の心に滋養分、水を与えてあげなければならないのです。
たとえば、あなたが美しい人であるとしましょう。
着るものに、化粧に、つまり外観にばかり滋養分を与えるのは危険です。
見かけ倒しになってしまいます。
本当に美しい人になりたければ、美しい人であり続けたければ、
心にこそ滋養分、水を与えてあげなければなりません。
心が美しくなければ、どんなに美しく装っても、
その振る舞い、言葉でお里が知れたり、
思わぬ馬脚を現したりすることになってしまいます。

私のブログはロボグラフィで埋まっています。
これは必ずしも「美の列伝」ではありません。
私の心を動かすものは美しいものばかりではありません。
「真善美」と言われます。
美だけがこの世の大切なものではありませんね。

私のブログは、私が出会った、
町の片隅でがんばっているものたちの列伝です。
私はどんなものにでも感情移入する性向を持っているようです。
「こいつ、やるじゃないか!」
「すごい、こんなところでがんばっている!」
「まさに掃き溜めの鶴だ!」
感じ方はそれぞれに違います。
でも、私の心を動かしてくれたら、シャッターを落とします。
私の写真は極めてプライベートな心の記録と
言えそうです。

私のブログは文章がたっぷりあるので、検索にかかりやすいはず。
でも、私の写真は、例外的な一部を除き、拒否現象を誘うようです。
まして枚数が半端じゃないので、
「二度とごめんだ」現象にまで落ち込むようです。
そうなるように、文章にも工夫を凝らしています。
と言うより、工夫を凝らさないようにしています。
写真がめったやたらに無意味であるのに呼応して、
文章と来たら、思いつきの羅列に徹しています。
起承転結など、絶対に考慮しません。
あるとしたら、こじつけの論理だけ。
私のことを「頭がおかしいんじゃないの?」、
そう思っている人もかなりいるでしょう。

私が平気でこんなことができるのも、
元来平凡な、どこと言って突出するところのない人間なのに、
かなり特殊な人生を送ってきたせいで、
隠れた変人奇人の域に迷い込んでしまったのかも知れません。
テレビも新聞も見ないので、世間の常識なるものも無縁。
人と合わせることも、人に従うことも、生涯したことがないので、
完全独りよがりの人生。

でも、一つ言えることがあります。
朝8時に起きてから夜午前2時半就寝まで、
あくび一つせず、やりたいことを様々にやり続けて、
飽きない、疲れないのですから、
私にとって、私の人生は楽しくてたまらない。
ありがたいことです。

ダルメイヤーのCマウントレンズの逸品、
スピードアナスチグマート25mmF1.5

曜変を起こした天目茶碗は天下の逸品とされます。
このレンズは、 曜変こそ起こしませんが、
妖変を起こすことができます。
私のロボグラフィは、常に、現実の光景、ものが、
他のなにかに変容していると見えることに醍醐味があります。
なんて思っているのは私だけで、
大抵の真っ当な御仁には、その他のなにかなど浮かび上がらず、
ただ訳の分からぬ写真ばかり並んでいるじゃないか、
こんな写真見せられる身にもなってみろよ、さよなら!
ということでしょう。
おかげで、私は気兼ねせずにロボグラフィを楽しみ続ける、
だから、写真に飽きない、というわけです。
今回は、奈良公園の妖変ロボグラフィ、と参りましょう。





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# by hologon158 | 2018-08-25 16:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.03 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」3 美とは何?


私はいわゆる美学なるものを勉強したことがありません。
その必要があると考えたこともありません。
なぜ?
美、位分かりやすいものはないからです。

たとえば、曲がり角を曲がったとたんに、
疾走してきた自転車にガツンとぶつかるようなものです。
あなたの心はズッデンドウと転がされ、
あるいはメラメラと燃え上がります。
美しいものに出会ったら、
その瞬間に分かるからです。
分からないものは、私にとって「美」ではないのです。

美術展や博物館で、イヤホーンを付けて回っている方を見かけます。
余計なお世話ですが、
やっぱり、これはよしましょう。
目の前に誰かに手をぱらぱらと振られた状態で、
アートと対面するようなものですよ。

おもしろい実験があります。
「アー」と声を出しながら、簡単な数字の計算をする。
できません。
一度に2つのことができない、それが人間です。

しているように見えるのは、瞬時に仕事を交代しながらできる人がいるから。
実は私がそうです。
たとえば、バックグラウンドミュージックを流しながら作業をします。
作業をするときは、音楽は聞こえていないのです。
私は国家試験の準備の勉強をするとき、
大好きなオペラをガンガン鳴らしながらしました。
邪魔にはなりませんでした。
ちゃんと合格したのですから。

理由は簡単。
集中に役立つからです。
試験勉強に集中すると、音楽は聞こえなくなります。
音楽が外界の邪魔な雑音を消してくれます。
勉強に疲れると、音楽に耳を傾けると、心が安まります。
いずれにせよ、他の雑音に気を取られることがありません。
他人が出す雑音は、計算のときに、
横で「アー」と声を出して邪魔されているようなものです。
音楽は、そんな風に他人が出す雑音を聞こえなくしてくれるのです。

でも、これは私の性に合った方法だったかもしれません。
誰もがそうではないでしょう。
私の友人は一笑に付しました。
そんなことをしたら、名曲に全部気をとられてしまうよ。
集中の方法は人さまざま、というわけです。

でも、集中が人間だけの特技ではありません。
すべての動物が集中によって生きています。
集中は生存のための必須の道具、条件なのです。
人間の目は集中に適しています。
一瞬の注意の的はピンポイントなのです。
しっかり集中しますと、それ以外のものは完全に意識からなくなってしまう。

でも、全部見えているじゃないか?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
実は、それは違います。
全部見えてなんかいません。
ピンポイントの集中スポットを高速でずらして、又は、飛ばして、
まさに走査線の仕事をして、注意の対象からはずれているものまで補完して、
外界の姿を脳裏に描き出そうとします。
つまり、知覚は生存のための道具ですから、
ただちに、脳が手助けに駆けつけるのです。
つまり、外界の走査がある程度進むと、
まだ注視していない部分は脳の記憶がさっさと補ってしまいます。

私たちが眼前の光景を眺め始めたと思っても、
すでに頭脳活動が絵を描いてしまっている。
そこに、異常なものが見えたら、
頭脳が、そうであるべきだと思う像に作ってしまいます。
脳が外界のすべてを記憶しているわけではありません。
頭脳は強力な画家なのです。
すでに持っている記憶を頼りに、さっと絵を描いてしまうのです。
でも、その描く絵が正確とは限らないのです。

でも、集中の名人なら、頭脳にだまされません。
今、目の前にある一点に集中することができます。
敵の剣と対峙したとき、
名人の目は切っ先だけに集中すると聞いたことがあります。
だから、動いたら、その瞬間に動きの方向、相手の意図が見えてしまう。
本当かどうかは知りませんが、ありそうなことだと思います。

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの逸話が
これを証明しています。
偉大な哲人で偉大な数学者でした。
彼の弟子もまた偉大な哲人で数学者のバートランド・ラッセル。
彼が先生のお宅に紹介したい人物を連れていったときのことです。
庭に居ると聞いて、二人で庭に出てみました。
芝生の上にホワイトヘッドが座り、ノートに計算式をすらすらと
書き連ねている状態でした。
ラッセルは友人を伴って、ホワイトヘッドの前に行って立ち、
仕事が終わるのを待ちました。
仕事はすぐ一段落するだろうし、
ちょっと視線をはずすだけで、来客の4本の脚に気づくはず!
10分経っても、ホワイトヘッドは二人に気づかず、
仕事の手を休めませんでした。
畏敬の念に心を打たれて、二人はそっと立ち去ったということです。

ホワイトヘッドは、イギリスで数学、数理物理学の分野で頂点を極めてから、
ハーバードの招聘を受けて、70を過ぎてから、哲学教授となり、
形而上学に及ぶ一大哲学大系を築き上げました。
生涯に3人の仕事を1人でやってのけたと言われました。
そんな膨大な業績もこの集中力あってのことなのでしょう。

ということで、なにかをしたければ、
正しく集中すること、
これが第一の条件です。

美術館などでイヤホーンで説明を受けながら芸術を鑑賞する、
いかにも便利に見えます。
でも、芸術を見て、知識を増やしてどうするのですか?
目と心を働かせるべきときに、頭を働かせて、どうしようと言うのですか?

思考と感動は絶対に合体できません。
肝心なことは、芸術を見て、なにかを感じること、
これではありませんか?
知識に耳を傾けながら、芸術を鑑賞して、
芸術を正しく理解しよう、というのは、
本末転倒、勘違いもいいところです。

そうやって懇切丁寧な説明を聞きながら、
ぐるっと展示を見終わります。
あなたは言葉も出ないほどに感動していますか?
それはないでしょう。
じゃ、せめてイヤホーンが語ってくれたことを記憶してますか?
それもないでしょうね。
外から与えられた知識はあなたを素通りして抜けていくでしょう。

後日、思い出したいことは、心を揺さぶられた体験ですか、
それとも、ゴッホの「ひまわり」を確かに観た、という大切な思い出ですか?
そんな思い出を積み重ねて、なんになるのですか?
芸術は知識ではないのですよ。
対決であり、出会いであり、真剣勝負でもあります。
ガツンとぶつかり合って、
どれだけ衝撃をしっかり受け止めることができるか?
それに集中すべきでではありませんか?

アートを取り巻く事情、作家に関する知識がアートの理解を高める、
なんて、勘違いもいいところです。
知識からアートにアプローチしても、知識がおぼろになったら、
アートそのものもおぼろになってしまいます。
アートを理解しようとしてどうするのですか?
アートを理解することなんて、できないのに。

ガンとぶつかって受けた衝撃は忘れることができません。
なにもかも忘れて、そのものと裸で対峙し、裸でぶつかりあう、
これしかアートとの出会いの方法はありません。
知識が増えるのではなく、自分の心が豊かになる、
ときには自分が変わってしまう、あるいは変らないかも知れない。
でも、なにかが起こるかもしれない。
ただそれだけなのです。

つまり、こういうことになります。
アートの出会いはすぐれてプライベートです。
あなたはたった1人の伴侶に出会うでしょう。
誰とも共有できない人間関係を築き始めるでしょう。

私たちの体験、人間関係の中で一番大切なものは、
すべてこの種の極めてプライベートな交わり、
ぶつかり合い、せめぎ合いなのです。

アートも同じです。
誰もが感動すべき偉大なアートなんてものは、現実には存在しません。
それは評論家たちが作り上げた幻想です。
そんなものはありません。
「モナリザ」
うん、ルーブルで観たけど、なんにも感じなかったなあ。
そんな人もざらに居るでしょう。
芸術は国会じゃないのです。
多数決なんかなんの意味もありませんね。




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# by hologon158 | 2018-08-23 15:43 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.02 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」2 訣別


ちょっと古くなりますが、平成18年8月2日木曜日、
図書館通いの日でした。
2週間の変換期限です。
昼食後出発しました。
炎熱、でした。
気象台発表では、奈良は36度ですが、
遮るもののないコンクリート道で燃え上がる太陽にさらされては、
38度か39度でしょう。
まったく記憶にないほどの炎暑の夏ですね。
これが後2、3週間続くと、もう大地が干上がってしまうでしょう。

妻の厳命で庭に水をまきますが、
これが本当の「焼け板に水」ですね。
だれかが検証した結果では、水まきは地面から数ミリ程度で、
それ以下には及ばないので、実は植物にはなんの効果もないのだそうです。
雨のように全土を静かに満遍なく濡らし続けないとだめだそうです。

この日は、ブログの「美との対話」のために、
フラ・アンジェリコ画集を借りました。
清澄感と霊感に満ちた聖画が大好きだからです。
信仰がないので、私の鑑賞は皮相なレベルにとどまるのでしょうけど、
平気です。
どんな人も、どんなことについても、
自分の能力の範囲内で理解し味わえるだけです。
それに、「私はキリスト者です」とのたまわる御仁が、
どれだけ深い信仰を抱いているか、怪しいものです。

私は深く確信しているのですが、
もしキリスト教の地獄があの世に存在するとしたら、
そこには、キリスト者であると称して、人と虐げ殺戮し、
富をむさぼったりしたような自称キリスト教徒が
そこにはひしめいているはずです。
「汝の敵を愛せ」という戒めに反した王様、女王様、
将軍たち、政治家たちもほぼ全員地獄落ちして、
「騙された!」「神を殺せ!」「イエスをやってしまえ!」、
などと口走っていることでしょう。

一方、天国に昇天できた、聖なる確信を抱き、
十戒を全うに遵守し、愛に満ちて生きた、
真実のキリスト者たちのほとんどは子供たちだけで、
大人の姿は寥々たるものだろう、と確信しています。

この日借りたフラ・アンジェリコ画集からピックアップして、
すでに本ブログの新シリーズ「美との対話」に収録しました。
彼の描く人々は、キリスト教の旗印を掲げて、
異教徒の領土に侵入し、略奪殺戮をほしいままにした、
似而非キリスト教戦士たちとはまったく異質な境地にあります。
このような人たちはルネサンス当時も絶滅に瀕していたし、
現代キリスト教世界の指導層からは完全に消えてしまったのでは?

現代世界は完全な生きるか死ぬかの弱肉強食の世界。
あらゆる理想は画餅になってしまいました。
自由、民主、平和
これらの言葉を実践している国家も政府もなくなりました。
日本の事情はさらに悪い。
政治家も官僚も検察官もマスコミも日本国憲法の存在など、
きれいさっぱりと、忘れ去っています。
国民も日本国憲法のことなど忘れ去ってしまいました。
私はかなり絶望しています。
ますます美の世界に沈潜していくことになりそう。




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# by hologon158 | 2018-08-20 22:12 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

737.01 ホロゴン外傅235「2018年2月20日スーパーアンギュロン21㎜F3.4又も奈良町」1 不安


ちょっと嫌なことを書きます。
人生、安穏に生きたい方は読まないでおきましょう。

8月7日火曜日、
突然孫プリンスが喘息で点滴を受けることになり、
共稼ぎの父母に変わって、私が面倒をみること。
早速小児科医院にかけつけました。
幸い、2日連続の点滴で、順調に回復しはじめたようです。
タクシーで孫プリンスの家に帰宅したのが午前11時半すぎ。
午後6時半、ママと妹の孫プリンセス1号が帰宅するまで、
孫プリンスと過ごしました。

午後4時すぎ、お昼寝を始めたのですが、
ふとテレビを見ますと、
画面は、なぜか孫プリンスがみていたYoutubeから、
一般テレビに移動してしまい、ニュース番組。
日本ボクシング協会の理事長が暴力団と交際していたことがばれたり、
どこかの医科大学が受験の際、かなり長期間、
密かに現役から2浪までの男子受験生に
一定の点数加算をしていた事実が内部調査でばれたり、と、
中国の王朝末期や江戸時代の官僚たちの生態と相通じるような、
とんでもない腐敗横暴。
今時、まだ男女差別をする連中の頭の構造を疑います。

でも、まったく意外に思いませんね。
自民党が次々と日本国憲法に違反する立法、施策を重ね、
(それ、どんなこと?
あなたがそうおっしゃるなら、
あなたも日本国憲法のこと、基本的人権のこと、
なんにも覚えておられない......)
総理大臣が友人たちのために官庁を動かして、
不法な行政行為を敢行したり、
これらすべてが現代の権力者たちの実態です。
もう日本国憲法の保障する自由平等平和などは
ただの紙切れの書き付け同然に脇に寄せられ、
かなり多くの国民も憲法のことなど思い出しもしない。
さらには、孔子の仁義礼智信の理想も忘れ去られてしまい、
ひたすら金と権力だけがものを言う世界になってしまいました。
総理や大蔵大臣、今回のボクシング協会の理事長、
どれもこれも、飽食横暴に歪んだ卑しげな風貌の人間たちが
誰はばかることなく日本を支配している時代です。
はっきりと末世末法、そうとしか言いようのない惨たる有様。

古来、政治が、支配者が腐敗すると、様々な異変が起きる、
そう言われてきました。
まさにそんな異変が世界中に爆発的に発生しつつあります。
この数年、毎年、予測不能の天災地変に見舞われてきましたが、
前代未聞の暴走大雨、台風逆走に見舞われた日本だけではありません、
今年になって、世界中でとんでもない現象が、
爆発的に乱舞する状態になっています。
地軸が動いただけでなく、
地球全体で地殻が激しく揺れうごきつつあるようです。
どちらが原因なのか、それさえも分からない状態。
そのおかげで、南極大陸を覆う深い氷層に深い亀裂が走り、
グリーンランドほどの巨大な氷塊が離脱する危険が高まり、
南極大陸や周辺の海域に不測の危険が発生するおそれがあるそうです。

太陽も、活動の核である黒点の活動が異常に減退しつつある傾向の中、
ついに一ヶ月間ゼロという異常事態が発生したり、と、
前代未聞の事態が発生しつつあります。
太陽系内を彗星が無数に様々な軌道を描いて駆け回っており、
6千万年前の恐竜絶滅の主たる原因も、
そうした彗星の衝突にあったことが明らかになっています。
近頃、南極にも、その彗星よりもかなり大きな彗星が作った、
クレーターが見つかっています。
地球は不断に数知れぬ変動、災厄に見舞われて、
幾度も種がほとんど絶滅する危機に見舞われてきたのですが、
地球上の生命史はそんなカタストロフィを乗り越えた猛者たちが
連綿とつないで来た苦闘の記録なのでしょう。
現代はどうやらそうして彗星群との交錯がはげしくなる周期に
当たっているのだそうです。

これまでは、種はなんとか生き延びて、新たな展開を遂げてきました。
でも、現代は違います。
とくに人類は、他の種のほとんどを絶滅させることにより、
生存圏ニッチを無理矢理拡大して、繁栄を遂げてきました。
10年ほど前に読んだ学説によると、
毎年4000種が人間活動によって滅びつつあるということでした。
とすると、当時すでに減っていた種は、
現在までの10年間にさらに4万種も滅んでいる計算になります。

日本で言えば、人間のうち、農業と漁業に従事する人間が
これからの10年でほとんどいなくなるでしょう。
食料の自力生産力が激減しつつあります。
そして、恐ろしいことは現代人の生活はメカニズムだよりなのです。
縦横に張り巡らされてきた電気、水道、ガス等のエネルギー源と鉄道、
そして、道路網によって支えられています。
これらがすべて日本人の生命線となっています。
たとえば、阿蘇山は地球上でもっとも巨大なマグマを蓄えつつある火山で、
世界地震学会が爆発の危険がある火山の1番に上げるほどに危険な状態。
これが爆発したら、日本のほぼ全土がマグマで覆われてしまいます。
その瞬間、上記の生命線は消滅してしまい、
日本人はマグマで覆われた国土の上で座して死を待つ羽目に陥りそうです。
富士山が東側に噴火したら、関東はマグマに覆われ、
交通機関は壊滅し、マグマを除去することなど何ヶ月も不可能になり、
日本の国家機能の中核が活動不能になってしまう危険があると言われています。
日本の各地で火山が活発に活動し始めているようで、不安ですね。

縄文期にも幾度か北極の氷河壁の決壊によって、
蓄積されていた大量の水が大津波となって南下し、
海面がその都度何十mか上昇することにより、
各大陸の沿岸部をその都度かなり海面下に沈めてきました。
縄文人は、内陸部を原始林に覆われて、道などないので、
おそらく海岸部に居住し、
海に沿った平地や水路を利用して交通していたはずです。
つまり、その都度、居住地の多くを一瞬にして奪われた筈。
でも、縄文時代は続きました。
生存者たちが新たな海岸線に居住地を開いて生き続けたのでしょう。
現代人はもとよりそんな自活力を完全に失っています。
そして、自然を完全に破壊してしまったために、
自給自足など完全に不可能になっています。
文字通り食うか食われるかの地獄絵となりかねません。

世界中がそんな危機に曝されている訳ではありません。
地震王国の日本列島が地球規模の激動にさらされて、
明日をも知れぬ状態になっているかもしれない、
でも、それが分かってもどうしようもないので、
政府も研究機関も沈黙している、ということでしょう。
昭和期の経済勃興の上昇機運と、
冷戦を経て高まった世界平和への潮流を体験して、
かなり幸せな人生を享受できたのが私たちです。
でも、そんな幸運が段々とすり切れて行きそう、
そんな嫌な気配を感じます。

私たちにできることって、何でしょう?
なんだか日々人生を精一杯生き、
今手に入る歓びを心行くまで享受する、
これだけですね。



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# by hologon158 | 2018-08-17 11:41 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

736.00 フラ・アンジェリコ「2018年8月13日フレクトゴン35㎜F2.4が聖画と会う」




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私は夏季休暇をかなり取れる職業を選びました。
どうやら夏はしっかりお休みをとる、という習慣が、
子供の頃についてしまって、その癖は治らなかったようです。

そして、私の孫プリンス6歳が生まれて初めての夏休みに、
宿題を最初に3日で全部仕上げてしまったと聞いて、
「夏は遊ぶ」という性癖は遺伝性なのかも知れない、
と、本気で疑うようになっています。

その夏休みを利用して、海外旅行を楽しみました。
最初はツアーでしたが、後半になると、一人旅でした。
残念ながら、イタリアは2回、マイナーな場所だけ。
ルネサンスの本場フィレンツェ、ヴェニスは行かず仕舞い。
ちょっと心残りです。

おかげで、偉大な画家たちの絵に接したのは、
他国の美術館の展示で、という結果に終わりました。
イタリアルネサンスの画家の傑作の多くはフレスコ画なので、
ついに無縁のままになってしまいました。
おかげで、偉大な宗教画家のジョットー、フラ・アンジェリコは、
画集だけのお付き合いになってしまいました。

先ほど、このブログ記事を書く参考にしようと、
ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」(白水社)を書棚から取り出し、
目分量でさっと頁を開きました。
すると、開いた頁は81頁、
どんぴしゃり、「フラ・アンジェリコ」でした。
なにかご縁がありそうです。

その頁に、
「落ち着いた善良な性格であったため、心の安らぎ、
特に魂の救済を願い求めて、伝道修道会に身を投じるに至った」
本当に、そんな人が描いた絵ですね。

ヴァザーリは、彼の絵を眺めるときの気持ちを描いています、
「信じがたいほどの優しい感情が心の中に湧いてくる。
これらの祝福されたる魂は天国以外には存在しないような気がしてくる。
いや、これらの魂に肉体を与えるならば、このような表現以外なかった、
と言った方がよかろう」

そして、
「この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見当たらない。
作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描き直したりはしなかった。
最初一気に仕上げたままで置いておくのが常だった。
それが神の思し召しだというのが本人の言葉であった」
これらの言葉が絵の印象とぴったり一致しているのが素敵ですね。

立体感はかなり不足しています。
それを補うように、清澄な空気感に満たされています。
そんな表現が題材にいかにもふさわしいですね。

ちなみに、私は、幾度も書きましたように、無宗教です。
形だけでも、信仰者のふりをする、そんなことはできません。
だから、でしょう、
様々な宗教のあらゆる種類の造形をアートとして鑑賞できます。
純粋にアートとして味わうので、本来の受取方ではないのでしょう。
でも、そんなことはどうだって良い。
人が私のことをどう考えるかは、その人の問題。
私の知ったことではありませんから。

フラ・アンジェリコの絵も良寛さんの書もひとしく、
静謐の気に満ちています。
響きは神韻、そんな感じがします。
フラ・アンジェリコも良寛もなにかを描き上げた瞬間、
にっこりとしたことでしょう。
そんな肯定的な気配を味あわさせてくれるのが素敵ですね。







# by hologon158 | 2018-08-14 16:47 | 美との対話 | Comments(2)

735.02 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」2 お休みです


8月6日月曜日、晴れ。
気象庁は「奈良 36度」ですが、
実感は「奈良 38度」、まさに炎天でした。
日本晴れ、と言いたいところですが、
実感は、「熱帯晴れ」
でも、私は暑さ寒さに強いし、春秋ももちろん強いので、
一年中ずっと平気です。

でも、ちょっとがっくり。
毎月第一、第三月曜日は陳少林先生の揚琴伴奏レッスン。
みっちり仕上げて、「どうだあ!」と言いたい、
そう期待して行ったのですが、教室はもぬけの殻。
事務所で尋ねますと、「中国に帰られて、お休みです」
聞いていなかった!
大和西大寺駅に戻る途中、私の次の生徒さんとばったり。
彼女も知らなかった!
どうも、陳少林先生、伝えたつもりで、伝えてくれなかったようで。

でも、だから、どうってことはありません。
日本一立ち直りの速い男と言われた私です。
「じゃ、大和文華館で日本画たちとじっくり面会しよう。
きっと喜んでくれるだろう」
でも、「月曜日 閉館」
ネットで調べると、奈良の美術館は、興福寺の国宝館も含めて、
全部、閉館!

それでも立ち直れますね。
西大寺から近鉄奈良駅に移動し、
近くの行きつけのパン屋さん二階の喫茶室でゆったりと休憩。
メールを一つ書き上げました。
1時間して、炎天下ロボグラフィ散歩に出発。

本日の装備もまた私にとっては超一級です。
ソニーα7
ビオゴン21mmF4.5
ツァイスのレンジファインダーカメラ、コンタックスの超広角レンズです。
伝説の名レンズです。
超広角レンズの場合、近頃は使い方を統一しています。
超接近以外は、F8固定焦点で、ノーファインダー撮影。
つまり、ホロゴンと同じ使い方にすることにしています。
開放にするメリットがあまりないからです。

固定焦点の仕方はこうです。
F8にしたときのヘリコイドリング枠の無限指標の位置に、
ヘリコイドリングの無限のマークを合わせます。
そうすると、概ね最短距離80cmから無限までのパンフォーカスとなります。
こうすると、私は無敵となりますね。
右に左にバッタバッタと切り倒しつつ前進する眠り狂四郎状態。

この状態で、奈良町の商店街の一筋西側の道を南下し、
古い市場を撮影した後、
奈良町に回り、近鉄奈良駅付近まで逆戻りして北上しました。

たくさんの美しい女性たちとすれ違いました。
みんなはつらつとして元気いっぱいですね。
炎天などまったく気にしていない。
帽子も日傘も不要、という人がかなり居ますが、
これは心配ですね。
肌が荒れますよ。
それにしても、昔と違い、肢体がすらりと延び、足取りも伸びやかで、
美しく、エネルギー一杯ですね。
日本人、中国人、韓国人、区別がつかないときがかなりあります。
どの国でも、女性が伸びやかになっていくようですね。
それに対して、男性は普通ですね。
どうしてかな?

最後に、近鉄奈良駅前のパン屋さんの喫茶コーナーに落ち着いて、
この文章を書き上げました。
この日は妻が一泊旅行に出かけた初日でした。
私はこの数年旅に出たことがありません。
在職中は年1回夏期休暇に長期海外旅行を楽しみましたが、
これは過重な仕事を抱えてのリフレッシュ。
有り体に言えば、いっさい忘れて、解放されたかったから。
仕事がなくなると、旅の意欲がさらりと消えてしまいました。
在職中の旅は、一にも二にも撮影旅行でした。
一つの町に滞在します。
下町のホテル、というより旅館を自分で見つけて、
下町を毎日歩き回るのが日程。
名所旧跡は私にとって無縁、無益。
たとえば、イスタンブールだったら、トプカピ宮殿?
それ、どこ?
記憶力の悪い私には、名所旧跡を訪問しても、さらりと忘れてしまいます。
でも、下町、市場、裏通り、スラムだと忘れません。
足ざわり、臭い、空気間、人間たち、
全部忘れません。
写真という記憶のよすががあるからです。

もっともイスタンブールだけはちょっと事情が違います。
記憶のよすがが残っていない。
150本リバーサルで撮りました。
書斎の床に一日だけ置いておいたのです。
明日、ホルダーに収めようと思ったのです。
棚の上になぜ置かなかったのか?
悔やみきれません。

2週間置いて行かれた我が子の一人デビル(猫ですが)が、
その夜、まんまと復讐に成功したのです。
150本のリバーサルシートの山(高さが30cmほどだったでしょうか?)、
翌朝見ると、全体にびっしりと、臭気溢れる液体。
化学反応しているらしく、洗ってとれるものではありません。
ご丁寧にいたずらしてくれたものです。
合計5400枚のうち、無傷で残ったのは、なんと、
たったの16枚!
イスタンブールの路地の隅々、というほどではありませんが、
かなり歩き回って撮ったロボグラフィは夢の果てに消えて行ってしまいました。
傑作なのは、たった16枚なのに、その中に猫の写真が3枚も!
この比率で猫写真を撮ったとすれば、1012枚?
それはありませんね。
どうやら、同族のよしみで、猫の神様が災難を避けるように配慮されたようで。

もちろんメインレンズはホロゴン。
写真人生で一番悔しい災難でした。
でも、デビルをけ飛ばしたり、なんて、仕返しはいたしません。
なぜ?
かわいい我が子に手を上げられましょうか?

ついでに言いますと、猫たちはかなり人間を理解しています。
認識能力もあります。
デビルは毎日夕方6時きっかりに、書斎にやってきて、
私がリコーダーを吹いていたりすると、
リコーダーをぐいと押し退け、ときには譜面台を押し倒してしまいます。

デビルの三代後、我が家の今の末っ子ピッピ、
自分がばりばりと爪研ぎをして破った襖の隅に、
ママ(私の妻です)が猫写真のポスターを貼りました。
すると、やってきて、しげしげと猫の顔をチェック。
「ふむ、大した奴じゃない!」

話を元に戻しましょう。
退職後、私が出かけた旅行らしい旅行というのは、
西遊旅行の雲南省の旅でした。
これでコリゴリになりました。
移動に継ぐ移動、まるで旅ガラスでした。
私のように一都市長期滞在型の人間にはまるで合いません。
そして、気づきました。
地元で十分じゃないか!
こうして、すっぱり旅をやめてしまい、
地場産業ならぬ地場徘徊に徹して、満ち足りた生活を送っているわけです。
私のブログが、人の来ない完全日記化したのも当然です。
プライベートな雑文と、フォトジェニックな楽しさをまったく欠いて、
ただただ薄汚れた駄写真ばかりが果てしなく並んでいるのですから。

お陰様で、ひっそりと自分の書きたいことを書き、
記憶したい片隅を写真に記録して、
さまざまな形で、読み返し見返すことができる日記を
ウェブ上に保管してもらえるという、
隠者にとっては願ってもない手だてを、
超廉価で提供していただいているのですから、
思うことはいつも一緒です。

エキサイトよ、永遠なれ、!




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# by hologon158 | 2018-08-07 23:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

735.01 ホロゴン外傅234「2018年2月7日キネタール37.5㎜F1.8大阪平野区をさらりと」1


8月3日金曜日、大阪加美の孫たちのピアノレッスン付添日。
お兄ちゃんは6歳の小一、両親が共稼ぎなので、
夏休みも保育室に通っています。

午後2時半までに私が迎えに行く約束。
前回は、私の妻が遅れたために、玄関前で待った孫プリンス、
しばらくして心配になり、泣きながら小学校に戻ってしまいました。
今回はそんなことにならぬよう、
私が午後2時半までに小学校に迎えに行くことにしました。
その後、いったん近くのマンションの自宅に戻り、
午後5時からのレッスンに間に合うよう、
二人で孫プリンセス1号(二女に二人のプリンセスがいます)を
迎えに行くことになっています。

小学校の保育室は2室、
1、3、6年と、2、4、5年の2室に分れています。
1時間ごとに10分間体育館で走り回ることができますが、
それ以外は、3学年の男女数十人が一室に入って、過ごします。
2人の保育担当教師(どうやら退職組)が監護する仕組み。
その1人、中学校教師を引退した男性の先生に話を伺いました。
クーラーは2台付いていて、天井の扇風機で空気を循環させているけど、
中は猛烈な暑さだそうです。
その先生にうかがいました、
私の孫プリンスは球を投げるのが得意で、足も速いのだそうです。
うれしいですね。

私もそうでしたが、孫プリンス、絶えず軽い病気にかかっています。
今回は胃腸炎。
自分で体温計で測り、飲み物も自分で選んで飲みます。
実のところ、体温も正常で、元気です。
少年野球に所属していますが、盛夏の間はお休み。
子供たちもそうですが、第一、コーチたちが保ちませんね。

体を持て余す孫プリンス、バットを素振りし、
ボールを投げ、走り、とめまぐるしい。
その合間に、
「こんなん、してんで(こんなことしたよ)」
と、2冊、算数と国語の学習帳を見せてくれました。
分厚い!
びっしり最後まで書き込まれています。
「ふーん、こんなに沢山やってるんだねえ」
私の1年生の頃、こんな沢山の練習問題、やりましたかねえ?
中身を眺めて、「すごいねえ....!」
孫もまんざらでもなさそうな顔つき。

ところが、帰宅してその話を妻にしますと、
「それ、夏休みの宿題よ。
夏休み始まったら、すぐに全部してしまったんだって」
びっくり。
というのも、私も夏休みの宿題を先にしてしまう口で、
日記以外の全部を最初の2日で仕上げるのが常でした。
あなたもそうでしょうけど、私も勉強嫌いでしたから。

でも、そんなことをする子供には出会ったことがありません。
もっとも片端から尋ねたわけではありませんので、
実はありふれた夏休みのすごし方なのかもしれませんが、
我が家では、私以外、初めてのケース。
たいていはまず遊ぶだけ遊んで、
夏休みの終わりにあわてて済ませるというタイプ。
私の印象では、
①夏休み終わりごろにする、
②毎日する、
③最初にやってしまう、
この順番で逆ピラミッド構造なんじゃないでしょうか?

歩きながら、なにかを見たら、別のなにかに見えてしまう、
そんな私のメタモルフォーゼ癖も孫プリンスと共通しています。
なんだか孫プリンセス2号もその傾向がありそうです。
どうやらこの性癖は劣性遺伝子によって伝えられるようです。
でも、人類の生存にはある種の効能を発揮するようです。
前方の草むら、竹藪の中に敵の伏兵を発見する斥候の適性も
この種のメタモル癖がからんでいるかも知れません。
もっともいざ戦争となったら、私は後方の安全地帯に収まって、
全戦線をしっかり見渡して、果断かつ独創的に全軍を指揮して、
偉大なる勝利に国を導く、そんな役割がふさわしいと思っていますが。

小学校の保育室は小中学校の先生方の
退職後の職場の一つになっているようです。
中学校を退職した先生としばらく話しました。
孫プリンスは、体は小さいけど、エネルギーがあって、
走ったり、ボールを投げたりするのが得意だとおっしゃっていました。
これはとりわけ私にうれしい情報です。

孫プリンスはスポーツはなんでも得意のようです。
保育園最後の運動会で縄跳びレースをしましたが、
手首で縄を高速で回しながら、縄に足を取られずに韋駄天のように駈けて、
場内観衆からどよめきが起こっていました。

私とはそのあたりが大違い。
ボールを投げたり、野球をしたり、サッカーをしたり、
水泳をしたり、という体育の主要な運動は全部からきしだめでした。
駈けるのは速かったし、
生まれて初めての職場に着任して、休み時間に卓球を始めたら、
すぐに人並みに試合ができるようになったり、と、やればできるようで、
未だに体は敏捷にうごき、一日歩いても、ほとんど疲れず、翌日に残らない、
といった状態を総合すると、
どうやら、私は、運動適性がなかったわけではなく、
運動をせず、各種スポーツのやり方も教えてくれる者がいなかったため、
運動が苦手なままに成長したようです。

そんな苦い体験をふまえて、娘たちには再三アドバイスしてきました、
孫たちには、あらゆるスポーツを学ぶ機会を与えるように。
孫プリンス1号も孫プリンセス1号も、ありがたいことに、
しっかり運動能力を開発する機会を与えてもらっているようです。

ピアノの先生のレッスンはちょっとしたお笑い劇のようでした。
最初の受講者である孫プリンセス1号、
「じゃ、わたちがなにをするか決めます。
わたちが先に2回決めて、先生がその後1回」
これじゃ、ピアノレッスンになりません。
レッスンは半時間ですが、適当なところで、
「これでおしまい」
さっさと私のところにやってきます。
ほとんどコントロール不能。
ところが、先生、こんなハプニングにもちらともうろたえず、
ちゃんと対応して、なんとか続けさせて下さいます。
さすがに良い先生です。

孫プリンスは、先月のピアノ発表会の準備練習の頃から、
突然ピアノに目覚めました。
マンションなので、電子ピアノですが、
木製キーで、打鍵の感触がかなり良いピアノを使うようになって、
先生の教室で教えられた感触を家でも味わえるようになり、
両手で異なる動きをすることが楽しくなったようです。
鍵盤にもたれるようにしていた両手首も上がり、
かなりピアノ演奏者らしい弾き方にもなりました。

もともと、祖母、両親とも実に正確な音程で歌えるので、
かなり素養には恵まれているようです。
この日も、童謡の一つをドレミで口ずさんで、音程も正確。
そんな芸当できるの? と、驚きました。
ピアノの先生の指導にも的確に反応し、
集中力をきらしません。
野球の能力もそうでしょうけど、
ピアノをある程度自在に弾けるようになれば、
一生さまざまな形で音楽を楽しめるでしょう。
たゆまず続けてほしいものです。

最後に、この日、一番嬉しかったこと。
孫プリンセスを保育所から引き取り、
ピアノの先生のお宅まで15分の道のりを歩いている道中の後半、
突然、孫プリンス立ち止まり、「お腹がいたい」
まだ胃腸炎が完全になおり切っていない状態です。
やむなく、後半はオンブをして行きました。
小学校に入った孫をオンブできる、なんて、嬉しいですね。
もっとも燃えるような太陽を正面に見て、西にまっすぐ歩きます。
日陰がほとんどないので、わずかな日陰、電信柱の棒の影伝い。
まるでサーバイバルごっこのようでした。

でも、レッスンが終わって帰途につくと、さらに大変なことに。
やっぱり、孫プリンス道に止まって、「オンブして」
すると、孫プリンセスも、「疲れた、抱っこして」
というわけで、自分のバッグとピアノ練習帳の入った手提げを抱えつつ、
孫プリンスを背にオンブし、孫プリンセスを抱っこして帰ることに。
でも、これはさすがに無理でした。
100mほどでダウン。
すると、二人ともこれで満足したのか、すたすた。
なんだ歩けるんじゃないの?
月一回の付き添いですが、毎回、難行苦行にちょっと近いですね。

そこで、なにが嬉しかったか、です。
実のところ、こんな行き帰り半時間の後でも、
まるで疲れを感じなかったし、翌日にも全然残りませんでした。
私もまだ若い!




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# by hologon158 | 2018-08-05 17:19 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

734.01 ホロゴン外傅233「2018年2月26日ヘクトール28㎜F6.3大阪野田本町をお忍びで」1 明日の我が身


司馬遷の「史記」や、
ローマ史の古典、たとえば、タキトゥスなんかに、
通常絶対に起きないような自然現象、人間事象に関する記事が
挿入されています。
王朝の滅亡を暗示する出来事とされたのです。

今年になって前代未聞の気象事象が各地に発生しています。
日本にもただならぬ自然現象が続発しています。
ただの雨と思われていたのに、未曾有の豪雨に化けてしまいました。
日本列島に襲来する台風は原則として南西から北東に進みます。
それなのに、今回の台風は逆行しました。
司馬遷やタキトゥスなら、日本の支配者の権威失墜、政権交替の予兆、
そう断言したでしょう。

冗談を、と、お考えでしょう。
でも、もちろん現在頻発している異常な気象現象が、
現政権の非政が原因であるとは考えませんが、
人類全体の共同責任で起こっている地球的規模の生態系破壊、
自然破壊が私たちの想像を絶する形で、
地球上の生命全体の危機を引き起しているのではないか?
私はそう真剣に疑っています。

健全な生態系は最強捕食者を頂点とするピラミッド型であるべきです。
そうしないと、全階層に食料が行き渡りません。
もしどれかの階層の生物が滅んでしまいますと、
生態系に致命的な危機を引き起こしかねません。
最強捕食者は適度に捕食を調整する術を知っています。
けっして無用な乱獲は行いません。

ところが、現代の最強捕食者は、ライバルを抱えた会社たちです。
シェアを拡大し、市場を支配するためには、
主力製品を無制限に増産して、ライバルを圧倒しなければならない。
適度に捕食を調整するなんてことはしません。

あらゆる産業が水を必要としています。
最良の猟場は地下水です。
でも、山という山が収益性のある杉、檜の一木林にされ、
保水性の高い、いわゆる雑木林や竹林が激減し、
さらに、川という川が河床も斜面もコンクリートで固められて、
地下水となるべき山の水はストレートに海に運ばれてしまい、
地下水は激減しつつあります。
(近ごろの大雨で予想外の水害が発生している理由もここにあります。
かつては、山の雨水は雑木林、竹林、河床、斜面が引き受け、
地下に沈降するので、大雨の全部が河川に流れ込まないうえ、
河川の堤防ごとに、決壊の危険のある部分がある程度明確だったので、
水害への対応がかなりできていたのに、今や、
河川が処理できないほどの激流を抱え込む時代になったのです)
一方、中国は急速に全土が砂漠化しつつあります。

つまり、今や地球に独裁者として君臨する人類が、
下手をすると、ねずみ算式にあっという間に倍増するでしょう。
すべての資源の消耗も同様にねずみ算式に増大しまいます。
「明日をも知れぬ身」
ときどきそう言いますね。
現代の私たち、私たちもそうではないでしょうか?




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# by hologon158 | 2018-08-03 22:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

733.02 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が源氏」2 女性たち

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「源氏物語」は、基本的には男性中心の物語かも知れません。
でも、「源氏物語絵巻」となると、絵巻だけに、
描写の中心は基本的に男性と女性が対等という感じ。
ずらっと順不同に並べてみました。
平安朝の美女たちって、かなり現代の理想からは離れていますね。
これを見て、お感じになるかも知れません。
なんだ、平安朝の女たちって、みんなお多福さんじゃないか?
現代に来たら、あまり評価されなかった部類の女性たちが、
この時代には幅を利かせていたんだなあ、

でも、このような考え方は大間違いですよ。
時間という要素を都合良く取り外してしまい、
自分の時代中心、つまり、自分の好み中心にしているから、
そんな風に感じるのです。

よく考えてみて下さい。
あなただって、平安時代の高位のお公家様に生まれていたら、
まるで違った感じ方をするに違いないのです。
どの時代も、大生はその時代の風流に応じて、美女の理想を育み、
どの時代も、女性たちは当代の美女の理想に向かって変身してきたのです。
若紫や玉鬘も現代に来たら、私たちが身震いするほどの美女に変貌するでしょう。
でも、現代の目が大きく、鼻がつんと高い美女たちも、
平安朝に飛んだら、これらの絵のような慎ましやかな淑女、乙女に変身するはず。

ただし、一つだけ、留保があります。
絵巻の美女たち、一人として、目を上げていません。
慎ましく淑やかに伏せています。
でも、もし顔を上げ、目をぱっと見開いたら、
輝く瞳の大きな眼だったかもしれないのです。

平安朝の絵師たちは、いわゆる「美女」を描くとき、
リアルな容貌を避けて、
当時の美女のイコンに沿った相貌を採用したようです。
浮世絵も同様です。
そのために、私たちは、平安朝の女たちは下ぶくれのお多福顔だったし、
江戸時代の女性はちょっと面長で小さな目鼻ののっぺり顔だった!
でも、そうでしょうか?
何時の時代も、さまざまな容貌の女性が居て、
美女と言われる女性たちの容貌も様々だったはずです。
Youtubeで時折江戸末期から明治にかけての美女たちの写真がアップされます。
仰天ですね。
現代でも稀なほどに、現代的な理想の美女を思わせる、
切れ味豊かな眼差しで、頭脳明晰を思わせる女性たちが登場します。
平安時代でもそんなに違いはないのでないか?
そのように考えても、あまり不思議ではない感じ。

その理由の一つ。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人の頭蓋骨、
さらには古代シルクロードの発見遺体の頭蓋骨を復元すると、
おどろくほど現代人と変わりません。
ときおり、かなり類人猿風に先祖返りしているのが見つかりますが、
これはなんらかの病的な変形ではないかと推測する学者もいます。
つまり、人類学者は、
人類は数万年前にすでに現代人同様の状態にまで進化しており、
その後は進化を気配を見せていないので、
数万年前の人間は現代人と身も心もなんら変わりはなかったと考えているようです。

こんな風に考えてきますと、
ということは、紫の上は実在していたら、
化粧をとった昭和の美女たちとあまり変わりのない美貌だっただろう、
いや、それどころか、私たちが出会っても、
本当に身震いするほど美しかった!
そう推測しても間違いのではないでしょうか?
そんな風に考えてきますと、
源氏物語の美女たちがますます生き生きと、
ますます温かく、蘇ってくるようではありませんか?

それにしても、絵巻の画家の描写力、色づかいのセンスは天才的ではありませんか?
控えめで、上品で、繊細。
このような表現は、平安朝の貴族階級の人々の正確な表現だった感じがします。

今回の女性たちは高貴な身分の姫君、奥方、そしてその女房たち。
かなり振幅のある階層の女性たちなのですが、
ご覧になって、一つ、全女性に共通する点があると思いませんか?
よーくご覧になってください。
現代女性にはほとんど期待できない表情ではありませんか?
そう、そうですね。
全員、伏し目、ですね。

これはなにを意味するのでしょうか?
教育においても、結婚においても、その後の人生においても、
終始、受け身の姿勢で生きること、それが当然、
そう考えていたのでしょうか?
源氏物語をお読みになった方ならお分かりでしょうが、
そうでない女性も登場します。
でも、現存の絵巻部分に残されている女性たちは、
どうやら伝統的な受け身の姿勢を進んで選んでいるようです。

でも、これらの女性たちをじっと見ていたら、
いや、当時の女性たちも肝心要の土壇場では、
きっと目を見開いて、
男性どもにガツンと反撃を食らわせたのでは?
そんな感じがします。
歴史の転回点と言える重要な正念場に登場する女性たちが、
腰砕けになりそうな夫や子供を叱咤激励して、
試練を立派に乗り越えさせた、そんな例はいくらでもあります。
源氏物語絵巻の女性たちを眺めていると、
平安時代でも同様だったのでは?
そんな感じがしてきました。






# by hologon158 | 2018-08-02 18:09 | 美との対話 | Comments(0)

733.01 美との対話1 源氏物語絵巻「2018年7月29日フレクトゴン35㎜F2.4が貴族たちと競り合って」


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今回は美との対話の第一回です。
源氏物語絵巻からのピックアップ。

あなたは「源氏物語」を読みましたか?
私も学生の頃、世界の古典を全部読みたいと意気込んで、
岩波の「日本古典文學体系」(古い!)を30冊ほども買い揃え、
読めるモノからせっせと読みまましたが、
この全集本、読書用と言うより、監修者の研究業績の発表、なのでしょう。
読んでいて、あまり楽しくない。
そのうえ、素人の私にはよく分からない。

結局、与謝野晶子さんの現代文への翻訳を楽しみました。
でも、帯に短し襷に長し、ですね。
時代の香りが少し不足しているのです。
言葉って、心と一体ですね。
平安朝のたおやかで健やかで爽やかな姫君、若紫が、
どうしても明治大正のお嬢様に感じられてしまいます。

いつ頃でしたか?
新潮社が「日本古典文学集成」という、
新しい古典文学全集を編纂しました。
私が待っていたのはこれでした。
本文の横に必要最小限の訳文が赤の小文字でさりげなく付けられています。
原文と訳文を同時に読んでいきますと、
いつしか訳文が目に入らなくなります。
原文の意味をかなり我がものにできるのです。
極めて巧妙にできた教育システムをさりげなく組み込んでいる。
全集を読み進むにつれて、本文だけが見えるようになって、
かなり理解できている、
そんな状態になることができました。
おかげで「源氏物語」を心から楽しむことができました。

若紫から紫の上に成長した平安の美女は、私にとっては、
「オデュッセイア」のペネロペイアや
「イーリアス」のアンドロマケーから始まる、
麗しくたおやかな美女の系譜の一人となりました。

余談ですが、私は紫式部による紫の上の描き方が
かなり中途半端で尻切れトンボに終わったという感じを拭えません。
若紫は、心優しい庇護者のおじさまに暖かく守られていると感じて、
安らかに共に暮らしていたおじさまにある日突然押し倒され、
妻とされてしまいます。
若紫は光源氏を愛していたけれど、
男性の伴侶としてではなかったようです。
まして、光源氏には葵の上という正妻が厳然と存在する。
裏切られたという気持ちをついにぬぐい去ることができなかったようです。
しかも、光源氏はその後もさまざまな女性にたえず心を奪われ、
しかも、どの人も手厚く遇するのですから、
いかに平安の時代であれ、正妻なのに、
最愛の妻として遇されているとはとても思えなかったでしょう。

光源氏は、そんな紫の上の気持ちを知りつつも、理解することができず、
まして、紫の上の傷心を真心から温かく包んであげようという努力などしません。
欲しい女性はみさかいなく我がものにし、
そんな女性たちから慕われていくのですから、
紫の上の心にかかったまま晴れない暗雲をはらす術を知らない。

紫の上はたとえようもなく美しい女性に成熟します。
ある日、紫の上が殿中の御簾の陰で外を眺めていました。
ところが、突然御簾がそよ風に吹かれて
フワリと風に翻りました。
光源氏の息子夕霧は、その翻った御簾の隙間に、
紫の上の麗しい姿をかいま見て、
恋心を激しく燃え上がらせます。

光源氏が、御簾の向こうに座らせた玉鬘の周りにたくさんの蛍を放って、
このうら若き乙女の姿をたとえようもなく美しく浮かび上がらせて、
弟の兵部卿宮を恋に誘おうと試み、まんまと成功するシーンも、
世界の文学史上最高のシーンですが、
御簾ごしの紫の上のシーンもこれに劣りません。
私にとっては、「源氏物語」最高のシーンです。

「源氏物語絵巻」は平安朝末期の「隆能源氏」と通称され、
源氏物語を題材にする絵巻物の最古の作品で、
国宝に指定されているほどの傑作だそうですが、
ほんの一部しか残っていません。
元は天地20cmしかない絵巻物でした。
どれほどの長さがあったのでしょうか?
いつのときか、バラバラに切り離されて額装になって、
離ればなれとなり、各地に保管されたものが見つかっています。
どのような経緯がそこに隠されているか、
私は知りません。
ウィキペディアを信用するとすれば、
54帖全部について、ピックアップされた名場面と詞書が並べられ、
全部で10巻程度あっただろうと推察されています。
源氏物語のもっとも華麗な前半部分はほとんどなくなっています。

おそらく絵巻物のオリジナルの持ち主はかなりの地位の人、
皇族もしくは貴族だったはず。
でも、平安末期以降江戸幕府成立までの未曾有の大戦乱時代に、
所有者たちは、困窮落魄の運命をさまざまにたどったことでしょう。
そしてその有為転変の果てに絵巻もばらばらになり、
それぞれの放浪を経て、流れ着いた幾代目かの持ち主もさらに金に困って、
買い主の希望に応じて、切り売りしていったのでしょう。

どうやら絵巻制作当時以降の貴族たちの日記、記録には、
制作の経緯、絵巻の有為転変の情報となる記述は見つからないようです。
制作者も保有者も明らかになっていないのですから、不思議です。
でも、戦乱の世には所有たちも生きるに忙しく、
じっくりと芸術作品を鑑賞するだけの精神的余裕はなく、
その存在価値はかなり低く、
生活費捻出のための経済的価値しかなかったのかもしれません。

今回のシリーズを開始するための準備として、
ヨドバシカメラから複写用の無反射ガラスを取り寄せました。
28×35.6cmの大四つ切りサイズです。
この無反射ガラスを本の上に載せると、
天井の蛍光灯の影響を回避でき、しかも平面性を確保できます。
これを使って、
私の大好きな部分をクローズアップすることで、
私の視線がどんな部分を中心に絵を賞味したかが分かる仕掛けです。

まず、男たちをごらん頂きましょう。
残念ながら、光源氏の姿は残されていないようです。
誰が誰であるかはあまり意味がないので、省略。
皆さん、いかにもお公家さんですね。
下ぶくれでおっとりとした風情で、そっくり。
そして、実にシックな装いに身を包んでいるあたり、
女性とはかなり違った方向ですが、おしゃれだったのでしょう。
さまざまなシーンですが、物思いに深く沈む姿は魅力的です。
下卑たところも、浅薄なところもかけらもありません。
平安朝末期の貴族たちが数チームに分かれて分担したとされています。
でも、ほんの一部で数チームだとすると、
全体ではさらにチームも増えて、かなりの多人数の合作だったのでしょう。
それにしても、その画風の統一感、筆の力、線の確かさ、色遣いの上品さ、
すべてにおいてかなり高度の水準に止まっている感じがします。
このようにクローズアップしますと、
そんな画家たちの妙技がますます冴えわたっていることが分かりませんか?
平安朝貴族が、詩歌管弦書画等、多方面の教養を磨くことで、
出世し、地位を安泰なものにしたと言われていますが、
「源氏物語絵巻」は、平安朝貴族の実力の高さを遺憾なく証明している、
そんな風に受けとってもよさそうですね。


# by hologon158 | 2018-07-29 21:39 | 美との対話 | Comments(0)

732.03 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」3 美との対話


この暑熱の夏には、ひたすら美と向かい合って暮らす、
そう決意したことは前回書きました。
具体的には、できるだけ美術館巡りをしてみたい、と考えたのですが、
書斎にはかなりの数の画集、写真集が並んでいることに気づきました。
それを見直すのもよいのですが、
見直しながら、私の心をぐっとつかんだ名作たちの、
いわば「神的な細部」について、あれこれ文章を書いてみることで、
私の心になおいっそう私の名作たちを定着、沈殿させたい、
そんな気持ちになったのです。

言うまでもないことですが、
偉大なアートに言葉は蛇足です。
自分の感動を言葉に直す必要もありません。
そんなことができるはずもないのですから。
ただひたすらガツンとぶっとばされて、
言葉もなく立ち尽くす、
それが偉大なアートとの出会いですね。

絵の前に立った途端にぺらぺらと講釈を垂れる人がいますが、
こんな人、ぜんぜん感心できませんね。
この人、実は心でアートにぶつかっていない。
ただ頭で、思考で、アートを理解しようとしているだけですね。

でも、本物のアートの本質は言葉、理解を絶している、
そうではありませんか?
そうでなきゃ、描く意味がない。

画家は自分の心の激動をかろうじて視覚的に表現しようと、
あるときは悪戦苦闘し、あるときは激流にどっと押し流されて、
この作品がなぜかこの夜に生まれ出た。
鑑賞者もまた、観た瞬間、心をぐいと鷲掴みにされて、
ただぼうぜんと立ち尽くす。
心は驚きと喜びで一杯となり、時間の経つのも忘れる、
そんな希有の体験にガガーッと押し流される。
それが本物の出会いなのでしょう。

でも、私の心をぐいと鷲掴みにしたアートとの出会いは、
生涯にそんなに沢山はありません。
せいぜい十指で数える程度です。

あなたはいかがですか?
もう数えきれないほどに幾度も幾度も出会ってきましたか?
それなら、よほど感じる心が大きく深いのでしょう。
と、とりあえず申し上げておきますが、
内心では、私は信じていませんけど、ね。

世の中には、アートとの出会いを、
武蔵坊弁慶の刀の千本どりと同列に置いていると疑わしい人がいます。
「ルーブルでモナリザを観ました!
深く感動しましたねえ。
忘れることもできません。
フェルメールをもう23枚も観てきました!
これはもう心の極楽、パラダイスですわあ!
画集で見たつもりになっている人、かわいそう!
わたしほど、本物を沢山見ている人は少ないでしょう。
ワッハッハー!
幸せー!」

この人、きっと手帳に目録を付けているのでしょう。
「2008.8.23 ルーブル モナリザ 10点」
「2009.1.3 マウリッツハイス美術館 
 真珠の首飾りの少女 8点」.....

一枚一枚、来歴、故事、創作後の有為転変等、
生き字引さながらに、
淀みなく、ぺらぺらとおしゃべりもできる人がいます。
「一流の教養人なのである」と言った風貌、物腰もなかなか立派です。
こんな方はご自分の学歴もこちらから尋ねる前に打ち明けられます。
もっとも私はどなたにも学歴を尋ねたことなど生涯に一度もありませんが。
でも、この人にとっては生涯の勲章であり、人物証明であるというわけです。
なんだか、その後の半生がその果実、付け足しにすぎない感じ。

こんな人に出会うと、ふっと感じてしまいます。
この人、一生、受験戦争で生きているんだなあ。
知識、体験は自分の中に蓄えて、生きる糧にするのではなく、
人にひけらかして、社会の中の高いクラスに自分を位置づけよう、
そんな気持ちで生きている人なんだなあ。

これまで生涯に出会った外見の良い人、
服装をびしっと決めている人には、
そんな外観、評判重視人間が多かったようです。
学歴をひけらかす人はたいていの場合、成熟不足ですね。
大学を出てからこれまでの生き方、これが大切なのに、
学歴だけでひとかどの人物になった気の人にはそれが分からない。

私が本物だなあ、そう思った人間は、
とりたてて容姿容貌は卓越しているわけではないけど、
つきあえばつきあうほど、じわじわと真価が現れてくる、
そんな人ですね。
学歴がじゃまをしていない人ほど、
そんな本物になる方が多い感じさえします。

おっと、話が逸れてしまったようです。
私がブログでやりたいと思っているアート散歩は、
正真正銘の本物のアートと出会いのリポートではありません。
もっと軽い気持ちで、
さまざまなジャンルの美しいものたちとつきあってみたい。
その出会いの体験を軽い気持ちで分析してみたい、
そうすることで、美とじっくりと出会い、
自分の心をブラッシュアップしたい、
と言いつつ、真相は、ぼけるのを防ぎたい、というわけです。




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# by hologon158 | 2018-07-28 11:57 | ホロゴンデイ | Comments(0)

732.02 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」2 美術の夏!


今日はそれほどでもないのですが、酷暑が続きますね。
私の居住地の正午の気温はおとといまでは37度。
子供の頃、大阪で34度を記録したと、
マスコミが騒いでいたことを記憶しています。
それなのに、今では日常茶飯事に37度。

合衆国では50度を超えたところがあるようですね。
あなたは50度を体験したことがありますか?
私はあります。
中国新橿省のトルファン。
西遊旅行の西域2週間の旅の途中、立ち寄りました。
高昌故城という古い都市を観光したのです。
1時間ほど滞在することになりました。
一行の皆さんは、近くにあるたった1本の大樹の陰にかたまって、
ぼうぜんと廃墟を見渡していました。

52度だったと記憶しています。
これ位になると、思考力も鈍るのだそうです。
私もそのせいでしょうか?
熱射病になる危険も忘れて、かっと照りつける太陽の下、
廃墟の間を少し歩速を遅めて歩き回り、
コンタックスRTSⅡでかなり沢山の写真を撮りました。
当時はポジフィルムを使っていたのです。
幸い熱射病にもなりませんでした。
バスが戻ってきて、一同ほっとした表情で乗車する際に、
ガイドがざく切りにしたスイカを手渡してくれました。
そのおいしかったこと!

昼食はテントの陰の屋台店のようなところで、
焼きそばのようは現地料理を頂きました。
麺がかなり太く平たいので、キシメンのような印象。
まっくろのスープがたっぷりかかって、ぶつ切りの野菜も一杯。
熱々で、かなり刺激の強い味でしたが、
「そうか? 
こんな暑さをぶっとばすためには、
こんなホットでホット(熱くて辛い)な料理が一番なんだな!

ああ、あの頃は若かった!
どこに行っても、なにをしても、疲れることがありませんでした。
まして、翌日に疲れを残すこともありませんでした。
こう書きつつ、ふっと気づきました。
実のところ、こうして隠退の身となった今も、
一日中ロボグラフィを楽しんでも、足取りは変わらず、
ちっとも疲れませんし、まして翌日に疲れが残ることもありません。
顔なんて、真っ黒です。
屋外労働者諸君ほどではありませんが、まあかなり近い。

でも、この37度の夏、さすがに二の足を踏みます。
気象庁発表は芝生上通気の良い百葉箱内の温度計の表示でしょう。
都会のコンクリート路面、周辺のビルの壁面の照り返し、
空調の排気、そして、遮るもののない直射日光等が、
寄ってたかって気温をさらに高めて、
45度程度の高温は日常茶飯事。
それに、住宅地では、全戸が夜中も空調を切れず、
周辺の気温を日中に近い温度に保っていることでしょう。

もっとも、我が家は別です。
というより、別でした、昨年までは。
猛暑のさなかでも完全に閉めきって、
寝室は2面のふすまも閉じてしまい、
空調どころか、扇風機もなしに熟睡していたのですから。

さすがに、今年は無理、
寝室のふすまを2面とも15センチほど開けて寝ています。
奈良市街地より2、30mは高台で、風通しがよいせいでしょう。
昨年以前との違いはそれだけ、と言いたいところですが、
妻はどうやらそうでもないらしいけど、
私の方は毎朝ぐっしょり汗に濡れています。
昨年までにはほとんど体験したことがない不快現象。

どうやら今年の酷暑はさしもの私にもかなり危険だな、
そう感じてきました。
そこで、例年したことがない方針変更に踏み切りました。

① 当分撮影はアーケードの下、屋内に限定する。
関西には各都市にアーケード街がかなりあります。
そんなアーケードの陰を動き回ることにしましょう。

② 芸術の夏に切り替える。
美術館を私の心身の避暑地とすることにしましょう。
時々孫たちとイオンに参ります。
メインのプロムナード中央に親切にソファが置かれています。
お店に惹き付けるためですから、中央外向きに置かれています。
先日、橿原のイオンに平日参りました。
さすがに人は少ない。
一番目立つのが退職老人たち。
ちょうど両面各4席ずつ、
ちゃんと肘掛けもついたソファを占領していたのは、
8人の退職老人だった!
手にはなにも持たず、バッグもなく、ただぼんやりと座っているだけ。
聞くところによりますと、一日中滞在する方もいるそうです。
この夏、そんな避暑老人がイオンをことさらに愛用しているようです。

私は、生涯、このようになにもしないで時間を過ごす、
ということをしたことがありません。
目が覚めてから目をつぶるまで、
絶えずなにかをしていなければ気が済まない。
どうやらイオンは私には向いていないようです。
なにもしないことはもちろんですが、
私は買い物をしない人間なので。

最近杉岡華邨美術館、松柏美術館で、書道、日本画に魅せられました。
関西は東京ほど美術館には恵まれませんが、
小粒の美術館でもなにかを感じさせてくれたら、十分。
あまり「これでもかこれでもか」では疲れますし、
観客がぞろぞろの中で観るのはご免です。
できるだけ観客の少ない美術館を狙い撃ちしていきましょう。
思いがけず、心が洗われる体験に遭遇するかも知れません。

実は、もう1つ、美術の夏を充実させるアイデアがあるのですが、
これは次回に。



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# by hologon158 | 2018-07-27 16:37 | ホロゴンデイ | Comments(0)

732.01 ホロゴンデイ207「2018年11月16日ホロゴン15㎜F8U河内山本に出現」1 自分の人生を生きる


7月23日月曜日、陳少林先生の揚琴レッスン日でした。
陳少林先生の教室は奈良YMCAに所属しています。
秋の発表会で、それぞれ独奏の他、合奏することになりました。
陳少林先生の二胡生徒6名、揚琴伴奏の私、陳少林先生、
この8名で「赤とんぼ」「糸」「北国の春」を合奏します。
その練習日でした。
選曲もよく、楽しい時間を過ごしました。

孫たちが東京に帰り、我が家はひっそり閑としてしまいましたが、
反面、すべての時間を自分のために使う自由が戻りました。
その楽しみの一つが陳少林先生の教室というわけです。

こんな風に外出した機会にはいつも路地遍歴も楽しみます。
ところが、今や関西は経験したことがないほどの酷暑の連続です。
自宅に居てさえも、熱射病になりかねないのですから、
炎天下歩き回るのは考え物ですね。

私も今よりもっと若いときは元気いっぱい、
少々の暑さなどものともしませんでした。
在職中は年一回夏季に海外の諸都市の路地を遍歴するのが楽しみ。
熱帯に近いバンコクやハノイ、シンガポール、香港、インド、
はてはネパール、イスタンブールにも参りましたが、
いつも現地で現地人の泊まる旅館を見つけ、
原則その都市のスラム、裏町ばかり歩き続けました。
足で歩くので、3日ほど経つと、突然、土地勘ができます。
磁石、地図を見なくても、
足が自然に行きたいところへ私を運んでくれました。

どの都市でも、英語が通じる稀な機会をのぞけば、
言葉はほとんど通じません。
でも、どんな寂れた路地裏を歩いても、まったく平気、
なんの不便も危険も感じませんでした。
私が無敵の格闘家だったから?
とんでもない。
私は生涯子供の頃から今の今まで、
幼児の兄弟喧嘩をのぞけば、喧嘩などしたことがない人間です。
いじめに遭ったこともありません。
友人たちに聴いても、
皆さん、例外なく、幾度かいじめや暴力に遭っています。
私は運動が不得意で、ずっとやせっぽちの読書好き少年だったのに、
いわゆる不良たちも含めて、
誰も私にいじわるをしかけてきたことがありません。
誰も私に気づかなかった?
そうかも知れませんが、交友関係で苦労したことはないし、
戸外の遊びはずっと大好きで、友人たちと遊びまわったものです。
小学校の同窓会で、当時の友人から、
当時からすでにかなり態度がデカかったと聴きました。
そのせいでしょうか?
生涯誰にも頭を下げない人生を送れたのですから、
私は一種の幸運人間なのでしょうか?

海外でもこの幸運は続いていたようです。
よくまったく人気のない路地を撮影していると、
青年たちが数人、昼日中から、
道を塞ぐようにして屯していることがありました。
そんな中を突っ切るのですが、
こんなときはこちらから現地語で挨拶をして、
にこっと目を合わせて、通り過ぎることにしていました。
向こうも挨拶を返してくれます。
カメラを手にする外国人なのですから、
観光客なんだろうとは思っても、
こんなところに来るはずもなし、と戸惑っている様子。
そのせいでしょうか、いつも何事も起こりませんでした。
ここに居て当然という、平然とした無表情、
これが役立ったのかもしれません。
こんな状況も今ははるかな過去になってしまいました。

それにしても、懐かしいですね。
人生を夢中に突っ走ってきて、
気がついたら、あの懐かしい頃から、
遠い遠い境地にいつしかたどり着いて、
後戻りはできない、というか、後がない、
という境遇になってしまったのですから。
老境なんて山のアナタの空遠く、と思っていたのに、
気がついたら、あっと言う間に、
お世辞にも若いとは言えない年輩に!

それなのに、不思議ですね。
私の心の中には、過去の自分がかなり残っているようです。
記憶力が人一倍悪い私にして、その実感を否定することができません。
だから、老いた、という気分がまったくありません。

生理学的には記憶の襞のどこかにすべてが記銘されるけど、
その一部しか想起できないというものだそうです。
つまり、人間の体験は地層のように層状に積み重なっていくようです。
たいてい古い記憶は新しい記憶の層の下に埋もれたまま。
でも、ときに断層が起こり、褶曲が起こり、穴が空き、
そんな過去の層がふっと姿を現すことさえあります。
そのきっかけは予想できません。

プルーストが彼の大作の中で、
たしかマドレーヌ菓子だったでしょうか、
一口食べた瞬間に、幼い頃のことがまざまざと思い出される、
というシーンがありますが、
こんな体験は誰にでもありますね。

私も、夏、スイカをいただきますと、
子供の頃、いとこたちが訪ねてきたとき、
縁側に全員がくつろいで、
お盆に盛ったスイカの切れ端をほおばったことを思いだします。

アイスキャンディー(今はほとんどありませんが)をいただきますと、
母から言われて、米屋(級友の当麻君の家でした)にひとっ走りして、
来客を含めて全員の数だけ、
白い紙袋2つにギューギューに詰め込んだキャンディーを両手で抱えて、
家まで走り帰ったことを思いだします。

おもちゃの鉄砲をみると、
3歳半の私が弟の分娩が始まって家から出されて、
玄関先の竜舌蘭の築山であそんでいて、
錆びたおもちゃのピストルを見つけたことを思いだします。

真夏に原則としてたった一回だけ、
暑さにたまりかねてかき氷をいただきますが、
ときおり、小学校6年生のときのことを思い出します。
大阪府豊中市の自宅から吹田市まで、
父につれられての初めての墓参に出かけたのです。
その途上、真夏なのになぜか歩いて、
天井川の橋のたもとにあった峠の茶屋に、汗だくになってたどり着き、
生まれて初めてかき氷を頂いたときのことを思いだします。
父はラムネを注文しました。
半分ほどに減った私のかき氷にこのラムネをたっぷり振りかけて、
「こうやったら、おいしいぞ」
これも生まれて初めての味でした。
のどをピリリと刺激して、本当においしかったことを思い出します。

こんな風に幼少年時代のことをあれこれ思い出しますと、
意外にもさまざまな記憶がよみがえることに驚かされます。
有名人が一定の年齢に達したとき、
自伝を書きたくなるのも理解できますね。
でも、彼らはスペシャルな人生を送り、
自分の人生は後世の人たちに学ぶべきものが沢山隠れている、
そう考えるから、公刊を予定して自伝を書きます。

私のように、知る人のない無名の市井人の体験には、
こんなことをしてはならない、という反面教師的役割こそあれ、
人に資するようなものはなにもありません。
自伝など書きたいとも思いませんね。

こうやってブログに書き散らしている駄文の山は、
百科事典ほどの量になりそうです。
もちろん誰も読む人なんか居ませんが、
書きためて、いつか読み返すことに意義があるのではなく、
ひたすら書きまくることで、自分の頭脳を活性化したいためだけ。
(当初は、いつか読み返すつもりでしたが、
すでに記事が1万を越してしまいました。
読み返すなど、もう不可能になってしまいました)

私の父はぼけずに歩き回り、84歳で突然世を去りました。
母は十数年アルツハイマーにかかったまま、
体だけは頑健を保ち、やはり84歳で世を去りました。
つまり、私にはかなりの確率で体力だけはかなり保ちそう、
でも、頭の方は2分の1の確率で天国と地獄に分かれる!
これはゆゆしい事態です。

私はこんな未来がかなり早くからわかっていたので、
体力、頭脳力どちらについても、鍛えに鍛えてきたつもりです。
鍛えたからと言って、ボケが防げるとは思いません。
でも、おかげさまで、総体としては、まだかなり強壮です。
衰えを感じる細部はないわけではありませんが。

ここでは、主題が記憶なので、
頭脳力のことについて書いておきましょう。
私がやってきたことは、消極的には、
テレビ、ラジオ、新聞等、受動的な情報入手法は絶対に頼らない。
テレビは30年以上、孫の家以外では、観たことがありません。
ラジオは持っていない。
新聞も20年以上完全に謝絶。
こうして自分の頭ですべてを考える、そんな習慣を付けたのです。

「なんだ、それで一人前の社会人と言えるか?」
そう言われそうですが、
どっこい、私はもちろん一人前の社会人です。
現代のように、マスコミが、一部を除き、あれこれ形は変えてであれ、
完全に体制側に組みして、巧みに情報封鎖、世論操作をやっている時代に、
新聞、テレビでたらし込まれた知識で、
日本のこと、世界のことが全部分かっている気持ちの人よりは、
私の方がずっと目が開いています。

私がやってきたことは、情報は、少ない方がよい、
ガセネタの情報は邪魔になるだけ、
自分がよく生きる上に必要なことだけを選択的に採集しよう、
自分の頭で何事も考えてみよう、
そのために、ものごとをいつも自分流に組み立て直しながら、
文章を書くことで、頭を整理し、鍛えよう、
たえず自宅ではマック、外出先ではポメラを駆使して、
自分の思考の速度で文章を入力して、
頭と指先の敏捷性を高めよう、
そんなやり方です。

英文、和文タイプライターの頃からこのやり方を鍛えてきました。
考える速度でタイピングできます。
指を、頭を敏捷に働かせるのは爽快です。
指を使えば使うほど、頭が働きます。
すりにバカは居ない。

おかげで、入力速度は伸びるばかり。
この文章も、揚琴レッスンの前に昼食を頂きながら、
さらっと打ち上げました。
なにも前もって構想しません。
とにかくタイピングし始める。
始めると、段々と書くことが一本の筋にまとまっていきます。
もっとも、他人から見れば、支離滅裂、ただの書き散らしなのでしょう。
それならそれの方が都合がよい。
私という人間の内奥をさらけ出さなくて済みます。
そして、自分の人生を1人生きることができます。



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# by hologon158 | 2018-07-24 11:53 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

732.01 ホロゴン外傅232「2017年11月9日エクター50㎜f1.9」2 絶えず撮り続ける


藪野健「絵画の着想」(中央公論新社)には、
素敵な言葉が見つかります。
すでに一つ紹介しましたが、もう一つご覧頂きましょう。

簡単な方法ではあるが、
いつも身近なところに、紙と鉛筆を置き、
しかも絶えず描き続けることだ。
気負って「さあ描くぞ」というときには、
美の神は、
既にその場から離れてしまうものだ。

写真にもあてはまる、私はそう感じます。
書き換えてみましょう。

簡単な方法ではあるが、
いつもどこに居ても、カメラを手に歩き、
絶えず撮り続けることだ。
気負って「さあ傑作を撮るぞ」というときには、
写真の神は、
既にその場から離れてしまうものだ。

写真家は、プロは知りませんが、アマの場合は、
一般にフォトジェニックとされている景観にたどりつくと、
やおらカメラバッグからカメラを取り出すものです。
でも、フォトジェニックとされている場所は、
大抵の場合、さまざまな条件、状況で撮り尽くされています。
よほどの光、時間、景観がそろった状態で、
よほどの才能、センス、美的直感力が備わった人でないと、
独創的な写真作品は撮れないものです。
下手をすると、高名な写真家の作品の二番煎じになりかねません。

私のように、写真趣味の素人に徹して、
自分の心覚えのために、自分の足跡を写真に収めたい、
道すがら出会った路傍の掘り出し物を記録したい、
そんな心構えで歩く人間にとっては、
自分が歩く道すべてが撮影対象となります。

どこかの駅に下り立つと、もうカメラは手にあります。
大抵の場合、下車直前にバッグからカメラを出すのが習慣。
駅のちょっとした汚れ、ポスター、等々、
なにが見つかるか予測できないから。
どんなに薄汚れたものだって、レンズを通せば、
光の条件、撮る角度などの具合が幸せに作用してくれれば、
私にとっては、絶妙の絵になってくれます。
基本的に場面とレンズの相乗効果。
私には予測不能の現象なので、
そんな変化が予期せぬ形で起こり、私を喜ばせてくれます。
けっしてレンズを駆使してはいません。
私のコントロールとは無関係に起こります。

写真の神はレンズを通して微笑みかけてくれます。

以前よく一緒に歩いた風景写真好きの友人に、
どう答えるか分かっているのに、
撮影が終わったときに尋ねたものです。
「どういい写真撮れた?」
「うん、1枚撮れた」とにっこり。
でも、彼にしても、他の友人にしても、
私に向かってこの種の質問など絶対にしません。
私の回答も決まり切っていたからです。
フィルム時代なら、「うん、8本撮れたよ」
今なら、「うん、472枚撮れました!
調子は中くらい、でしたね。





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732.01 ホロゴン外傅232「2017年11月9日エクター50㎜f1.9」1 地味なイメージ


風景写真家の中には、撮影に出かけるとき、
すでに、どこに行き、どう撮るか、構想ができあがっている方がいます。
初めての場所について、そんな構想が浮かぶはずがありません。
たいていの場合、
特定の情景を見事に写真に収めた作品が念頭にあります。
アマチュアの方なら、独創性なんてハナから念頭にありません、
あの写真を自分でも撮ってみたい!
それがモチベーションとなって、艱難辛苦をものともせず、
同種の光景が期待できる季節、天候、時間帯を目指して出発します。

写真家なら、そんな傑作写真が刺激となって、
自分ならもっと独創的な光景を写し止めることができると、
満を持して、出かけることでしょう。

ストリート写真家はちょっと違った動き方をします。
どんな情景に出会うか、予測は不可能です。
どんな情景が眼前に現出しようとも、とっさにこれに反応して、
シャッターを落とす覚悟でストリートを歩いていきます。
どんな情景も、一瞬後には方向、時間、光線、背景等がすべて一変してしまい、
魔法のような瞬間の記録から、ただのがらくたスナップに一変してしまいます。

カルティエ・ブレッソンや木村伊兵衛は
そんな魔術的な一瞬を写し止める名人でした。
当時は、完全なマニュアルカメラでしたから、
絞り、シャッター速度等の組み合わせもピントも
すべて瞬時に正しく設定しなおしながら、
まさに超絶技巧で、名作を続々と生み出しました。
さまざまな歴史的瞬間を写し止めた報道写真家たちも同様でした。

でも、今やそんな名人芸は過去のものとなったようです。
現代のデジタルカメラなら、オートフォーカスで、
秒何コマもバラバラッと連続撮影してしまい、
RAW設定なので、コンピュータソフトを駆使して、
あらゆるパラメータを自由自在に調整しなおし、
空気感も背景も光線状態も望みのままに調節できてしまいます。

こうしてできあがったものを写真作品と呼んでよいのか?
私はきわめて疑問です。

現代の写真家たちに昔のマニュアルカメラを持たせてご覧なさい。
まず、写真を撮ること自体ができない。
写真そのものを撮ることから修行、修練しなければなりません。
つまり、写真作品を自分の手と感覚だけで創造する修練も素養も
まるでできあがっていない。
ということは、撮れた写真はカメラに撮ってもらい、
画像ソフトに作ってもらったようなものではありませんか?

私が21世紀に入ってからの写真作品にいかなる感興も抱けないのはそのせい。
高齢化社会となり、退職者がカメラを持った途端に
写真作品を自在に制作するようになり、
90になっても個展を開催される方がおられるのは、
このような高下駄のせいなのです。

銀塩フィルムだけで作品づくりをして、
個展を重ねてこられた女性写真家が、
銀塩プリントペーパーの生産が終わると同時に、
個展開催をおやめになりました。

その理由を私はこう推量しています。
ご自身が撮影時、プリント制作時になめてきた辛酸を
まったく理解しない自称写真家たちが個展にやってきて、
あれこれ批評し批判するのを甘受したくない、
という気持ちからだろう。

もとより、私がデジタルカメラを使い始めた瞬間に、
私が自分の写真に対しても同様の疑問を抱くようになったのは当然です。
でも、もう銀塩カメラには戻れない。
ですから、いつも書いているとおり、
私は、自分のことを写真家などと考えることは20年近く前にやめました。

自分の写真を「ロボグラフィ」と呼ぶようになりました。
これは写真の一形式ではありません。
「私が道ばたで出会ったものたち」の記録。
だから、できるだけ忠実な記憶再現に止めたいけど、
100本を超える新旧各種のレンズたちを使うので、
撮ったままだと、明暗ばらばらになってしまいます。
常に、マニュアルフォーカス、絞り優先露出、
マイナス1補正、Jpegで撮ります。

でも、レンズが違うと、明暗さまざまです。
だから、ファイルをブログ掲載用に小型化するとき、
濃度だけあわせるように、レベル補正処理をします。
それ以外は一切手を加えません。
なるべく銀塩写真に対するスタンスを変えたくないからですが、
写真をことさら美化したいという気持ちもありません。
もう人に見せる写真作品など撮っていないからです。

こうして写真作品を撮るのをやめ、
どのような意味でも写真家であることをやめた今では、
写真的構図で決める気持ちもありません。
私の人生のささやかな一コマなど、
どなたも関心を抱かず、記憶に止めないでしょう。

でも、私は自分が歩いた道の記録なのです。
ささいな一こまが私の心になにかを刻みつける、
そんな一瞬もあるかも知れません。
とすると、カメラを常時携帯して、至る所で撮っている私は、
ロボグラフィの一枚を見たときに、
そんな大切な一瞬の心の揺らぎを思い出すかも知れません。
こうして、私のロボグラフィは、
私一人の内奥の秘密を蔵した記憶倉庫となるかも知れません。

私はこの気持ちを片時も忘れません。
だから、誰も喜ばないような不可思議な路傍写真を並べています。
今回からは、2回に分けて、
コダックのレンジファインダーカメラ、エクトラの標準レンズ、
エクター50㎜F1.9が撮った奈良町ロボグラフィです。
コダックらしいあたかかで切れ味のよいレンズです。
ビシッと容赦なく切り取り、立体感豊かな画像に仕上げてくれます。
化けものカメラ、エクトラにこれを付けて、銀塩フィルムで撮ったら、
どんな作品が出来上がったのだろう?
きっと温かな暖色系の小揺るぎもしない画像になっただろう、
そんな風に憶測していますが、これも過去の夢と化しました。
ソニーα7で撮ると、割合地味なイメージ。
気に入りました。





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# by hologon158 | 2018-07-18 11:50 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

731.02 ホロゴン外傅231「2018年1月27日ペッツ50㎜f2京都四条で試し切り」2 着想だけみたい



図書館で面白い本を借りました。
藪野健「絵画の着想」(中央公論新社)

副題が「描くとはなにか」

目次は4項目。
”描く”ということ
着想から完成まで
絵とは何だろう
画家のアトリエを訪ねてみると

慧眼の士なら、これだけで、どんな本かお分かりでしょう。
私のように、絵が好きだけど、絵のことが良くわからない、
つまり、素人さんに絵を描く行為を紹介しようという本。
でも、本質は、画家志望の皆さんの指針を与えることらしい。

とにかく絵を描くことが大好きな人らしい。
この本に収められた絵だけで、何枚あるでしょう?
68枚!
実に精緻な景観です。

私はこの画家に出会ったのは初めて。
画壇でどのような位置を占め、どんな風に評価されているか、
一切知りません。
ずいぶん旅をしておられるようです。
現実にその場で作品づくりを始められたのでしょう。
でも、私には、その場で作品を完成したとは思えません。
私には写生画とは見えないうえ、
画家は長時間と大変な手間をかけて、リアルな情景を
彼本来の幻想空間に変容させていったことが明らかだからです。
どうやら西洋ではブリューゲル、デューラー、ボスのような、
日本では葛飾北斎、若沖のような、
偉大な画家たちの幻想絵画の伝統に連なる作家のようです。

ただし、残念ながら、私にはぜんぜんピンと来ないのです。
たいていの作品が大スケールの景観図です。
おもしろい構図、デザインですが、いかんせん、
私の感覚が古すぎるのかも知れませんが、
どこが核心、芯なのかが分からない。
人物が描かれていますが、その人自身はなにかを主張しません。
添景にすぎない、希薄な存在感。
ややこしいだけ。
総体はただの面白空間にとどまっています。

JR京都駅ビルを思い出しました。
有名な建築家の作品として、当時、評判になりました。
私は初めて訪れて、絶句しました。
と殺された牛の肋骨のど真ん中に立った、
そのように感じたのです。
おそらく室内空間の天井の高さは当時の世界ナンバーワンクラス。
でも、その空間を作る壁面がジクソーパズル風に雑多なデザインで、
誰に目にも明らかなような建物の核心、デザインの柱が見あたらない。
異空間と感じさせてくれるような、
私の心にガッと突き刺さってくるような叫び、歌が感じられません。

私の感覚が古いのでしょう。
でも、別に新しくなりたいとは思いません。
現代のあらゆるものがあまりにも人工的で、
コンピュータグラフィックスめいてしまい、
心をときめかせ、なごませ、奮い立たせてくれる魂の歌など、
聞こえてきません。
ますます手作りの芸術を求めたいですね。

フェルメールが制作にとんでもない時間がかかったのは、
私の勝手な推測ですが、
彼が完全に眼前の実景を前にしつつ描いたからです。
彼の30数枚は、ほぼ彼の全作品であると推測されているようです。
そのかなり多くは同じ室内に設定した状景を描いています。
室内配置をすると、完成まで動かさなかったに違いありません。
登場人物にはときどき来てもらったでしょう。
そのタイミングは、完全に同じ光線状態のときに限定されます。
でも、同じ光線状態になることなど、なかなかありません。
その日に登場人物が来れるとも限らない。
だから、仕事が捗らなかったのです。

私の妻の兄はフェルメールのような大家ではありませんが、
かなり優れた風景画家です。
日本でもヨーロッパでも放浪はしないで、
限られた都市、限られた場所に通い詰めました。
彼もその場でしか描かない画家です。
絵を描きながら一番心にかけたのは、
同じ光線状態でいつも向かい合うということでした。
同じ場所、同じ天候、同じ時間帯に通うので、
一日に何カ所か梯子をすることもありました。
でも、そのようにその場の雰囲気を直につかもうとするので、
作品が心にぐいと食い込んできます。

藪野さんは実景を幻想空間に変えてしまいます。
ある種の物語となった絵、そんな感じがします。
でも、その物語が私の心に届かないのです。
というのは、曲線を誇張したダイナミックが空間表現が、
かえって、その曲線に観る人の視線を誘ってしまい、
絵そのものの言葉に耳をかす余裕がなくなってしまう、
絵の仕掛けが絵の物語よりも優先してしまう、 
そんな感じがするのです。
惜しいですね。




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# by hologon158 | 2018-07-13 23:12 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

731.01 ホロゴン外傅231「2018年1月27日ペッツ50㎜f2京都四条で試し切り」1 岡目八目



「岡目八目」という言葉があります。
ど素人でも、問題の渦中に頭をつっこんでしまった玄人より、
ものがよく見えるというような意味ですね。
すでに紹介しましたが、
地質学者のロバート・ショック教授もエジプト学に対し「岡目八目」。
スフィンクスの地肌が典型的な雨水による浸食であることを見抜いて、
エジプトにまだ雨が降っていた時代にスフィンクスが作られた、
という新説を提起しました。

従来、スフィンクスはカフラー王の建設とされてきました。
顔がカフラー王のものであるというのが根拠の一つでした。

ショック教授はニューヨーク警察鑑識課の専門家に調査を依頼しました。
専門家は、現地に赴いて、専門調査を行って、
カフラー王とはまったく似ていない別人であるとの結論を得ました。
この結論は当たり前です。
私のような素人でも、比べて見れば、分かります。
アゴの出具合が全然違います。
これをよくも「似ている」とシャアシャアと言ってのけた学者たち、
目は小さく、度胸は特大ですね。

しかも、この顔がオリジナルでないことは一目で分かります。
顔だけ黒々つるつる!
本体も、その本体が収まる窪地の周壁も古びてよれよれ、
雨水による浸食でしかできない切れ込みだらけなのに、
スフィンクスの顔だけは水の浸食も風による風化の痕跡も皆無。
スフィンクス本体はまぎれもなくライオンです。
それなのに、顔部分は度はずれで小さすぎます。
この2点からして、スフィンクスの顔は、雨がなくなった後代に、
元のライオンの顔を削って人間の顔に作り替えた可能性があります。

ちなみに、スフィンクスは、三大ピラミッドのある大地から
下降してくる斜面に繰り込まれた四辺形の窪地に鎮座しています。
この窪地のピラミッド側の法面の浸食跡が一番激しいのです。
これまさに、西のピラミッド台地からの斜面が、
雨水を集めて窪地に流れ込ませ、激しく浸食したから、
と説明できます。
砂混じりの風なら全面に均等に吹き付けるのですから、
このような法面だけを削るとはとても考えられません。

長い間スフィンクスは顔だけを残して砂に埋もれていたのです。
とすると、顔だけが砂で激しく削られ、
溝が沢山できたというのであれば、理解できます。
でも、砂上に曝されていた顔だけが黒々、つるつる。
砂に埋もれていた部分にばかり、それも不均等に溝がつく、
なんて、とても理解できません。

でも、エジプト学の権威たちは小揺るぎもしないようです。
浸水による浸食の可能性は絶対に認めない。
なぜなら、エジプト文明発祥の期間中、雨などなかったから。
ネットのある記事では、
大ピラミッドよりも後世の遺跡にも同種の縦の切れ込みが見つかるので、
スフィンクスの縦の傷もなんらかの原因で後世につけられたものであると、
軽く浸食説を片づけています。
でも、そんな縦の傷ができた原因そっちのけで、こんな説明だけで、
スフィンクスとその周壁の浸食を説明できるとはとても考えられません。
それでも、「ハイ、一件落着」に持ち込もうとする、
地球上の文明は紀元前4000年代頃にはじめて出現した。
それ以前には文明も、国家も、大規模建設もなかった!
どこまでもそう言いたい!
なんだかエジプト学者たちって、猛烈に貧弱な学問意識に頼っているようで、
なんだか日本の政治家、官僚たちそっくりですね。

でも、今では、事情がかなり不利になってきたようです。
海底にさまざまな大規模の遺跡が世界各地で発見されつつあります。
地質学者は、氷河期の終わりに、2度、
北極の膨大な雪解け水を支えていた氷河壁が崩壊して、
高さ何十mという大津波が地球北半球を襲い、
沿岸部がかなり水没してしまったと、考えています。
ハンコックたちは、現在発見されつつある海底遺跡は、
氷河期当時既に栄えていた諸文明の痕跡のだ、と主張します。
まだ史学界に認知されていません。
完全に古代史学のパラダイムを崩壊させてしまい、
史学者たちの知識の基底が雲散霧消、瓦解してしまいかねないから。

でも、私には、現在発見されつつある海底遺跡が、
紀元前4000年紀以降に海底に没した記録などないのですから、
現代の文明史観ではこれらの遺跡の存在は説明不可能で、
先行文明が上記の経緯で海底に没したと考えることでしか説明できない、
そう思われます。

まさに日本列島でも同じ事情があります。
縄文時代は約1万5000年前から1万2000年、
と、気の遠くなるほどの長年月続いたのです。
この不思議なほどの持続性を根拠づける遺跡があまりに少なすぎます。
縄文土器のこれほどの連続性を保つためには、
ある一定の人口を必要としたことは疑いがありません。
縄文人たちは1万2000年も日本列島に生き続けたのです。
当時の他の世界とは完全に没交渉だったのでしょうか?
社会構造はぜんぜん変化しなかったのでしょうか?
そんなはずはないでしょう。
でも、縄文文明は外部の影響を吸収しつつ、基盤はしっかり保ったのです。
日本列島全体で縄文土器が作り続けられたのですから。
だとすると、さまざまな変化に抗して持続するだけの強固な地盤が
日本列島全体に存在したと考えないわけにはいきません。
もし異質かつ強力な民族が侵入したりしたら、縄文文化は分断され、
日本列島に虫食い状態で他の文化が取って代わったことでしょう。
でも、信じがたい長年月一定の文化を保ち続けた。
それなのに、現状、あまりにも貧弱な情報しかないのは解せません。
社会の十分な発展も人口もない状態で、
1万2000年もの間、縄文土器だけがなぜか連綿と作り続けられてきた、
というのはあまりにも不可思議な事態ではありませんか?

でも、日本列島海岸部にあった縄文人の遺跡のほとんどが、
与那国島海底遺跡を含めて、2度の巨大津波により水没してしまった、
そう考えますと、今後の海底遺跡の発掘により、
縄文時代にも一つの文明が存在したことが証明される可能性があります。
(ただし、2度の大津波は想像を絶する激しい規模だったので、
水没した遺跡のすべてから地上のすべてを削り去られてしまった、
という可能性が高いと言うべきでしょう)

話は飛びますが、ピラミッドにせよ、南米の遺跡にせよ、
文明の発達段階としては説明不可能な事実がたくさん見つかっています。

たとえば、一辺約230m、高さ150mの大ピラミッドが、
あのような完璧な精度、方向の四角錘として建設できた方法は、
まったく解明されていません。
ピラミッドの石の面には高速回転鋸の痕跡が見つかります。
どんな動力で動かしていたのでしょう?

さらに、ピラミッドにもティノティトラン等の南米遺跡にも、
高速に回転する鋸で繰り出した痕跡のある完璧な円形の穴が見つかります。
まるで電動ドリルがあったかのようです。
Youtubeで見ると、その深さは30、40cmは優にあります。

またマチュピチュは標高2430mの尾根の上に建設されています。
人口は最大でも約750名と推定されているようです。
誰がいつ建設したのかまったく不明のようですが、
重さ10トンにも及ぶ巨石を組み込んだ構造物が
尾根を埋めているのですから、
どうしてこんな石の都市が建設できたか、完全に不明。

バールベック神殿の「トリリトン」と呼ばれる巨大な礎石も謎です。
ウィキペディアによると、長さ約18m、高さと幅が約4m、
重さはなんと650〜970トンなのだそうです。
この巨石がもっと小さな土台石の上に置かれています。
なんでそんな面倒なことをしたの?
訳がわかりません。
石切場からの切り出し、運搬、設置のすべても謎です。
サクサイワマンはどうやら砦、城なので、巨大城壁が必要だった。
でも、神殿ならそんな巨石でなくても完全に用が足りた、
それなのに、楽々易々と切り出し、設置工事できたのです。
要するに、古代人には簡単な工事だったのです。

私にはその回答は簡単です。
つまり、
① このような工事を楽々とやってのけた古代人たちは、
簡単にできる方法を知っていたのです。
ということは、すべての面でではなくても、
ある面ではこれらの工事をやった人たちは、
現代人には分かっていない別の方法を開発していた!

② 現代人が知らない知恵、知識、学問、科学がある!
巨大遺跡群を見れば、一目瞭然です。

③ つまり、人間は単純にだんだん賢くなってきたわけではない!

実はこんなことは自明です。
たとえば、ホメーロス。
ホメーロスが盲目であったかどうか、
彼が「イリアッド」「オデュッセイア」をともに創造したのか、
それとも暗誦していただけなのか、まったく不明ですが、
どちらにせよ、事情は変わりません。
誰かがこれらの偉大な長大かつ完璧な文学を生み出し、
しかも、誰かが繰り返し暗誦できたのです!
そんなことができる人が現世に何人存在するでしょう?

人類ははっきり退化しつつある、
それが私の強固な印象です。




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# by hologon158 | 2018-07-11 22:26 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

730.03 ホロゴンデイ206「2018年1月23日ホロゴン15㎜F8Uは奈良町に出現していた」3 ピアノ発表会


昨日は、大阪で孫たちのピアノ発表会でした。
かなりよい先生のようです。
その証拠に、生徒たちのレベルが年々上がっています。
今回はこれまででベストでした。
全員リズムに狂いがないことがその証拠。

6歳の小学校一年生の孫プリンスは2年目。
まだ大した曲は弾けませんが、段々とやる気が出て来ました。
発表会寸前では毎日課題曲2曲を10回ずつ練習するほどに。
そして、無事終わったら、曰く、「もう二度と弾きたくない!」

4歳になったばかりの孫プリンセス1号は最初の発表会です。
生徒の中で一番新しく、一番小さな彼女、出番は2度の予定でした。
最初は、初心者4人で鈴などで音階を協力して作る2曲。
ところが、これが始まる直前から楽屋から号泣が聞こえてきました。
私はお兄ちゃんに「泣いてるじゃない?」
すると、孫プリンス、きっぱりと、「違う。あんな声で泣かない」
でも、彼女だったのです。
楽屋にちょっと遅れて入ると、すでに他の3人がドレス姿なのに、
自分はまだ着替えていなかった!
このことで、どうやら平常心を失ってしまったようです。
結局、舞台上でもママに抱かれたまま泣き続けました。

ピアノ演奏はママの低音部に合わせる二重奏2曲。
出番は3番目だったのですが、まだ泣き止まないために、
先生がアナウンスしました、「後で弾いてもらいます」

プログラムがかなり進んでから、遅れて登場。
そのときは落ち着きを取り戻し、間違いもせず、
ちゃんと演奏しました。
やれやれです。

これで出番は終わり、と思ったら、
第1部の終わりに、「ビデオがちゃんと撮れなかった人がいます、
もう一度演奏していただきます。」
それが孫プリンセス1号だったのです。
このあたりになると、もう慣れきったもので、平然と舞台に上がり、
ままと一緒に2曲をもう一度演奏しました。
神様が予定の2度の出番にちゃんと帳尻を合わせてくださったのです。

お兄ちゃんは独奏2曲。
まだ初心者用の簡単な曲ですが、落ち着いて弾ききりました。
近ごろピアノが好きになって、毎日かなり練習した成果でした。
最後に記念撮影をしましたが、孫プリンス、ただ一人の日焼け顔。
少年野球と水泳とピアノ、やること一杯。
運動選手タイプなので、ピアノはいつまで続くか、心配していましたが、
どうやらまだまだ続けてくれそうです。
もし高校生あたりまででもレッスンを受け続けたら、
一生の資産になるのですが、そこまで意欲がもってくれるか?

実のところ、祖父(私)、パパ、本人、共通点があります。
自分がほんとにやりたいことにだけ能力を傾けることができ、
そうでないことはほどほどしかやらない。
社会的に成功するのは覚束ない感じの性格ですが、
自分の人生を楽しむにはぴったりの性格。
競争するより、自分で楽しむ方を選ぶタイプです。

私としては、社会的に成功するためにはがんばるけど、
自分の心からの楽しみなどなに一つない、
そんな外観だけの唐変木になどなってほしくないので、
彼の性格を矯正するつもりはありませんね。



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# by hologon158 | 2018-07-09 22:34 | ホロゴンデイ | Comments(0)

730.02 ホロゴンデイ206「2018年1月23日ホロゴン15㎜F8Uは奈良町に出現していた」2 愛するものたちへ



今期の催しものは、上村松園さんの子、松篁さんの作品、
「愛するものたちへ」展が展示された第2、第3室に移ります。
母子、作風はまるで違います。
松園さんは、美人画、人物画、風俗画を得意としましたが、
松篁さんは、偉大な母親との競争を避けたのでしょうか、
それとも、とても、敵わないと考えたのでしょうか、
動物、昆虫、子供をよく描いているようです。

江戸から明治の風情をかなり残している松園さんの画風と異なり、
かなり現代的日本画です。
日本画らしく、遠近感は捨象して、鳥たち、樹々たち、花たちが、
画面一杯にデザインされて、華麗です。

ただし、鴛鴦(オシドリ)の雄にはちょっとたじたじとなります。
目のまわりに目も覚めるような純白が華麗にデザインされた姿で、
美しい、というより、滑稽に感じられるのです。
そんなオシドリの雄たちが闊歩する絵は、
なんだか、私には違和感一杯でした。

むしろ日本画の伝統にかなり近い単色系の「早秋」「樹陰」「芦」、
こんな地味な作品がぐっと来ます。
画帖に金魚の秀作が沢山並んでいます。
正真正銘の名人の手、名人の目を感じさせてくれて、
見飽きません。

松園さん、松篁さん、お二人そろって文化勲章を受けておられます。
他にそのような例があるかどうか知りませんが、
凄いことですね。

才能もさることながら、作品作りの努力の凄まじさに頭が下がります。
花が一杯ついた枝を継ぎ足した大きな紙一杯に鉛筆で描いた下図。
お母さんの作品ですが、凄まじい気合いに満ちています。
二枚の美人画の習作も同様に、気合いがこもって、
それ自体がアートですね。
長時間集中力を保ったまま、一気に描き上げて行った、
そんな感じがします。
ベートーヴェンが交響曲を書き上げて行ったのと同じ勢い、
同じ没入なのでしょう。

ああ、芸術家でなくてよかった、
これが正直な感想です。
凡人、能無し、これが一番気楽!



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