わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2083 秋の一日 (2023年10月3日ジュピター35㎜Fが奈良町の秋に気づき)まだ暇知らず


2023年10月3日晴れ
本日はぶらりとネパールカレー店に足を延ばしました。
市役所の西、総合商業施設ミナーラの一階フロアー。
平日なので、のんびりとカレー料理を頂けるだろう。
そう踏んで、おっとりと出かけたのですが、
到着時はすでに12時45分頃。
かなり席が詰まっているではありませんか?
私は、休日の混雑時、
席を探して右往左往している人たちの姿を見るのが嫌い。
四人席を一人で占領している自分が、図々しいんじゃないかと、
気になってしまうのです。

席は見つけたけど、メンバーが5人で、1席足りなくて、
立ち往生している姿を見つけることがよくあります。
たいていの方は、開いてるイスのある場所の人に、
「イスを貸してください」と言いづらいようです。
だから、よけいなお世話だと言われそうですが、
必ず自分のテーブルの余分なイスを持っていってあげます。

お節介だと言われることがよくあります。
でも、平気です。
ある種、生まれつきなので、どうしようもありません。
あまりよくあることではなさそうですが、
こんな性格は生まれつき、家庭、生育歴、
さらには、成長する環境によって次第にはぐくまれるもので、
意識的に努力するものではなさそうです。
今更どうしようもありません。
ある種の運命でしょうね。

さて、本日は、

ソニーα7s
ジュピターー12 35mmF3.5

このレンズも、やはり第二次世界大戦後にドイツに連行された
ツァイスの技術者たちの設計にかかるのでしょう。
廉価に作られたせいで、ほとんどただ同然で入手しましたが、
描写はもちろん、
極上!

奈良町を一巡して、いつものように、
伸ばした右手の先にカメラを握り、
そちらも見ずに、縦位置撮影を続けます。
撮影者を見ているようなショットもときに見つかります。
これは私の手の先のカメラを見ているのです。
その状態で撮影する素人は居ませんので、
そして、私はぶらぶら散歩のただの人にしか見えないので、
シャッター音などないカメラがほとんどなことも手伝って、
私がその状態で自分を撮ったとは、誰も気づきません。

当時、レンズ技術はもちろん戦争技術でした。
そして、ドイツのツァイスの光学レンズ製造技術は世界トップクラス、
と言うより、トップだったでしょう。
日本海海戦で、旗艦三笠上の東郷平八郎提督の胸には、
ツァイスのナイトグラスがぶら下がっていたことは有名です。
私ももちろん(というのは語弊がありますが)、
ツァイスのナイトグラスを手に入れました。
夜間の星観察には、みなさん、反射望遠を手に入れます。
たしかに楽しい。
でも、ツァイスの双眼鏡を目に当てて夜空を見上げると、
肉眼で見えない星星がくっきりと輝き、
自分が星間を航行しているような気持ちになれます。

ツァイスの写真用レンズももちろん同様の性能です。
あんまりよく写りすぎたので、
レンズ製造コンセプトを「光学技術」よりも
「レンズ描写の芸術性」に置いたライカが、
光学性能よりもむしろ味わいに重きを置いたことにより、
写真家の世界では一等地を抜くことができたと言えそうです。

写真芸術のツールとして求められた芸術性は、
言ってみれば、「よく写る」と「よく写らない」の狭間のどこかで、
「おもしろく写る」「美しく写る」という印象を醸し出せるレンズが
写真家の心を掴むらしい、そう言ってもよいでしょう。

私は、いつの時代も「写真家」ではなく、
よく言えば、「写真よりレンズ描写に関心が深い」、
悪く言えば、「ただのレンズフェチ」でした。
今、私が、写真芸術といかなる関係もない、
ただの路傍の写真好きの身に納まることができたのも、
こうした私の関心方向のしからしめる当然の結果だったようです。

もう一つの可能性も時々考えることがあります。
「レンズをあれこれ楽しむ、
ただのレンズフェチのロボグラフィストではなくて、
写真愛好者が見て、喜ぶような写真を撮る気になっていたら、
私のれっきとしたアマチュア写真の大家として、
人に知られる存在になれたんじゃないかな?」
でも、この思案は、頭をもたげると、
瞬時に自己否定してしまいます。
「ありえない!」

職業は、常に孤独に戦い続ける、そんな性格でした。
そのうえ、酒を飲まない、
テニスのように、人と一緒にする趣味がない、
という、よく言えば「独立独歩」、
意地悪く言えば「孤独な」人間だったから、
どうやら、私は、カメラ、レンズ、写真を、
ある種の同行者(ドウギョウシャ)、「支え合う僚友」、
そんな風に考えるようになってしまったのでしょう。

人間的な支えは愛する妻と家族たちで十二分でした。
おかげ様で、79歳の今まで、大病も小病もなく、
心身健康に生きてくることができました。
この10年、お医者さんに受診したことも皆無。
薬もなし。
検査しないうちに、どんどんと体のどこかが蝕まれている!
その可能性の方が高い!
誰もがそう考えるでしょうね。
私はそうは考えません。
激しい行動をしたときの「疲労感」をバロメーターにしています。
どこかに健康上の問題があれば、必ず疲労感にひしがれるでしょう。
でも、私はそれがありません。
毎朝半時間きっかり、ヨガマットの上で、
肩甲骨、腸腰筋、腹筋、背筋、等々、
運動を担当する筋肉を中心に柔軟体操を25年以上、
毎日欠かさず続けています。
聞くところによれば、たいていの方が、こんな風には続きません。
ちょっと疲労感があっただけで、おやすみ。
なにか体調不良、病気にかかると、もうその後はお休み。
そして、だんだん断続的となり、ある日ふっつりやめてしまう。
そんなものでしょう。
私は何事も始めると、やめない!
上記の柔軟体操も1日も欠かさず続けています。
体のどこかに不調があれば、おそらく体操を終えると、
どこかが痛んだり、不調感を感じたりすることがあるでしょう。
でも、私はそれが絶無。
たとえば、一日中外出して歩き回っても、疲労感はゼロ。
帰宅後ただちに猫たちのご飯を用意してあげ、
ときには、人間の昼食、夕食も作ります。
夫婦在宅時の昼食はすべて私。
週二回、夕食も私。
食事後の食器洗いも、誰が食事を用意しようとも、
私が担当します。
未だに布団で寝ていますが、
夜、寝室に布団を敷き、朝、畳んで、押入れに収納するのも、
すべて私。
力仕事は全部私。
こんな具合で、家事でも多忙ですが、疲れは一切なし。

要するに、体を壊している暇がない!













たいていの方は、開いてるイスのある場所の人に、
「イスを貸してください」と言いづらいようです。
だから、よけいなお世話だと言われそうですが、
必ず自分のテーブルの余分なイスを持っていってあげます。

お節介だと言われることがよくあります。
でも、平気です。
ある種、生まれつきなので、どうしようもありません。
あまりよくあることではなさそうですが、
こんな性格は生まれつき、家庭、生育歴、
さらには、成長する環境によって次第にはぐくまれるもので、
意識的に努力するものではなさそうです。
今更どうしようもありません。
ある種の運命でしょうね。

さて、本日は、

ソニーα7s
ジュピターー12 35mmF3.5

このレンズも、やはり第二次世界大戦後にドイツに連行された
ツァイスの技術者たちの設計にかかるのでしょう。
廉価に作られたせいで、ほとんどただ同然で入手しましたが、
描写はもちろん、
極上!

奈良町を一巡して、いつものように、
伸ばした右手の先にカメラを握り、
そちらも見ずに、縦位置撮影を続けます。
撮影者を見ているようなショットもときに見つかります。
これは私の手の先のカメラを見ているのです。
その状態で撮影する素人は居ませんので、
そして、私はぶらぶら散歩のただの人にしか見えないので、
シャッター音などないカメラがほとんどなことも手伝って、
私がその状態で自分を撮ったとは、誰も気づきません。

当時、レンズ技術はもちろん戦争技術でした。
そして、ドイツのツァイスの光学レンズ製造技術は世界トップクラス、
と言うより、トップだったでしょう。
日本海海戦で、旗艦三笠上の東郷平八郎提督の胸には、
ツァイスのナイトグラスがぶら下がっていたことは有名です。
私ももちろん(というのは語弊がありますが)、
ツァイスのナイトグラスを手に入れました。
夜間の星観察には、みなさん、反射望遠を手に入れます。
たしかに楽しい。
でも、ツァイスの双眼鏡を目に当てて夜空を見上げると、
肉眼で見えない星星がくっきりと輝き、
自分が星間を航行しているような気持ちになれます。

ツァイスの写真用レンズももちろん同様の性能です。
あんまりよく写りすぎたので、
レンズ製造コンセプトを「光学技術」よりも
「レンズ描写の芸術性」に置いたライカが、
光学性能よりもむしろ味わいに重きを置いたことにより、
写真家の世界では一等地を抜くことができたと言えそうです。

写真芸術のツールとして求められた芸術性は、
言ってみれば、「よく写る」と「よく写らない」の狭間のどこかで、
「おもしろく写る」「美しく写る」という印象を醸し出せるレンズが
写真家の心を掴むらしい、そう言ってもよいでしょう。

私は、いつの時代も「写真家」ではなく、
よく言えば、「写真よりレンズ描写に関心が深い」、
悪く言えば、「ただのレンズフェチ」でした。
今、私が、写真芸術といかなる関係もない、
ただの路傍の写真好きの身に納まることができたのも、
こうした私の関心方向のしからしめる当然の結果だったようです。

もう一つの可能性も時々考えることがあります。
「レンズをあれこれ楽しむ、
ただのレンズフェチのロボグラフィストではなくて、
写真愛好者が見て、喜ぶような写真を撮る気になっていたら、
私のれっきとしたアマチュア写真の大家として、
人に知られる存在になれたんじゃないかな?」
でも、この思案は、頭をもたげると、
瞬時に自己否定してしまいます。
「ありえない!」

職業は、常に孤独に戦い続ける、そんな性格でした。
そのうえ、酒を飲まない、
テニスのように、人と一緒にする趣味がない、
という、よく言えば「独立独歩」、
意地悪く言えば「孤独な」人間だったから、
どうやら、私は、カメラ、レンズ、写真を、
ある種の同行者(ドウギョウシャ)、「支え合う僚友」、
そんな風に考えるようになってしまったのでしょう。

人間的な支えは愛する妻と家族たちで十二分でした。
おかげ様で、79歳の今まで、大病も小病もなく、
心身健康に生きてくることができました。
この10年、お医者さんに受診したことも皆無。
薬もなし。
検査しないうちに、どんどんと体のどこかが蝕まれている!
その可能性の方が高い!
誰もがそう考えるでしょうね。
私はそうは考えません。
激しい行動をしたときの「疲労感」をバロメーターにしています。
どこかに健康上の問題があれば、必ず疲労感にひしがれるでしょう。
でも、私はそれがありません。
毎朝半時間きっかり、ヨガマットの上で、
肩甲骨、腸腰筋、腹筋、背筋、等々、
運動を担当する筋肉を中心に柔軟体操を25年以上、
毎日欠かさず続けています。
聞くところによれば、たいていの方が、こんな風には続きません。
ちょっと疲労感があっただけで、おやすみ。
なにか体調不良、病気にかかると、もうその後はお休み。
そして、だんだん断続的となり、ある日ふっつりやめてしまう。
そんなものでしょう。
私は何事も始めると、やめない!
上記の柔軟体操も1日も欠かさず続けています。
体のどこかに不調があれば、おそらく体操を終えると、
どこかが痛んだり、不調感を感じたりすることがあるでしょう。
でも、私はそれが絶無。
たとえば、一日中外出して歩き回っても、疲労感はゼロ。
帰宅後ただちに猫たちのご飯を用意してあげ、
ときには、人間の昼食、夕食も作ります。
夫婦在宅時の昼食はすべて私。
週二回、夕食も私。
食事後の食器洗いも、誰が食事を用意しようとも、
私が担当します。
未だに布団で寝ていますが、
夜、寝室に布団を敷き、朝、畳んで、押入れに収納するのも、
すべて私。
力仕事は全部私。
こんな具合で、家事でも多忙ですが、疲れは一切なし。

要するに、体を壊している暇がない!



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# by hologon158 | 2023-12-24 23:03 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2082 フェルメール (2023年9月29日スーパーアンギュロン21㎜Fが奈良町の秋に気づき)なぜか巨人



2023年9月29日(金)

今日は大阪市平野区久宝寺の孫の家に。
図書館の本が転がっていました。

  こどもと絵で話そう
ミッフィーとフェルメールさん
国井美果・文 菊池敦己・構成
  美術出版社

楽しい本です。
多くの人がそうではないか、と思うのですが、
私にとって、フェルメールは、小品がほとんど、
しかも寡作。
それにもかかわらず、美術史上の巨人です。
ジョットー、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、
ラファエル、ベラスケス、レンブラント、
ゴッホ、ピカソと並ぶ高みに聳えます。
私にとっては、いわば、美術史の巨人8傑。

他の人はまた全然別の画家を選ぶでしょうね。
私は、他の人が誰を選ぶか、関心がありませんし、
他の人は、私の選択を否定するでしょうね。
それで良いのです。
芸術に客観的偉大性など無縁です。
偉大な画家たちと私たちの関係は、
完全にプライベートなのだと、私は信じています。

画家ごとに生涯に書いた絵を敷き詰めた面積を比較して、
省エネ画家をリストアップしますと、
フェルメールはダントツ一位でしょう。
二位はダ・ヴィンチでしょうね。
ほとんど描かなかったし、
たとえ描き始めても、
たいてい完成に至らなかったのですから。
そんな遅筆でも、あれだか超絶の名作を
ものしているのですから、まさしく巨人。

それにしても、不思議なことです。
フェルメールは誰に絵を習ったのでしょうね。
誰にもならっていないのかな?
というのも、フェルメールの絵を眺めると、
まるで時代からも、世界からも、
ポンと飛び出たかのように思えるからです。
実際、美術館、画集、ネット、どれもこれもなかった時代です。
一般人はもとより、画家たちだって、
美術の歴史、伝統、最高傑作たちをどうやって知ったのでしょうか?
それとも、近場の最近の画家しか知らなかったのでしょうか?

私のあてずっぽうの推測ですが、
たとえば、フェルメールを考えてみますと、
運河に取り囲まれた商人たちの町です。
フェルメールは、若い頃、
アムステルダムあたりには出かけて、
当時収集されていたヨーロッパ絵画のほんの一部、
そして、フランドルの画家たちの作品を知って、
ヨーロッパ絵画の偉大な伝統の一端を知ったのでしょう。
でも、最大の画家たち、
フネサンス期のダ・ヴィンチたちの作品も、
彼より後世のフランドルの最高峰レンブラントも
知らず仕舞いだったでしょう。

つまり、彼はどうやら自らの天才だけで、
フェルメール画を創造したようです。
何しろ、彼に一番近い画風は印象派なのですから、
彼には、彼が当時知り得た絵画の伝統はほとんど無用!
彼の心、頭脳、アートへの熱き思い、そして、
もっとも大切なファクター、創造衝動が相まって、
出現するはずのない商人世界フランドルから、
古今未曾有の画家が生まれ出たのではないでしょうか?

つまり、本物の天才には、
絵画の基本的ファクターが一応備わって居たら、
それで十分。
後は、自らの創造性の翼が羽ばたくことによって、
古今未曾有の境地に飛翔することができた。

天才とは、前人たちが想像したり、
歴史が生み出すとは予測できない、
とんでもない人類未到の離れ業をしてのける人なのです。
フェルメールはまさしくそんな天才中の天才です。

あまりにもさりげない作品ばかりです。
そんな作品集を美術書で見てきた人には、
私の言う言葉に感じてしまうでしょう、
「あまりにも大げさだ!!
中くらいの画家、その程度じゃないの?」
そうおっしゃる方の方が多いでしょうね。
そんな方には、申し訳ありませんが、
「デルフトに行ってから、ものを言うんだな!
本物のすごさを知らずに、知ったかぶりするんじゃないよ!」
私は、彼の傑作の一つ、
「真珠の首飾りの少女」の現物を
ベルギー、マウリッツハイス美術館で見ました。
外光が真珠に映る反射面は、どうやら一筆。
彼は具象派ではなく、印象派なのだ!
何世紀も時代に先駆けて出現した印象画家なのだ!
それが私の信じる大切な確信のひとつです。

向かい側には、彼最大最高の傑作「デルフトの光景」がありました。
この作品も比類がありません!
画集で見る限り、「あったり前の凡作!」
そうとしか思えないでしょう。
だけど、この作品との1時間は、
ガツンと脳天をかち割られたような体験でした。
まったく「どうってことのない光景!」
だけど、その絵を見るとき、
私は、フェルメールが生きた町に居ました。
人間の描いたただの「絵」なんかじゃない!
現実なんだ!
私の心はそう叫び続けて居ました。

私の狭い体験では、これに匹敵する体験はわずかです。
保管する美術館の名は省きますが、
私がじかに体験できた傑作たち。
同じ画家の「牛乳を注ぐ女」
ベラスケスの「ラス・メニーナス」
ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」
ダ・ヴィンチの「モナ・リサ」と「最後の晩餐」
ミケランジェロの「最後の審判」
これらの作品たちこそが、私にとっては、
フェルメールの前記2作と比肩する、
美術史上の最高傑作、人類の至宝である。
そう思えてなりません。

私は、特に、「レースを編む女」を愛しています。
ルーブルで見ました。
とても小さな絵です。
これが傑作?
そう思う人が多いでしょう。
私も実物にぶつかるまでは、そう思っていました。
でも、この絵に対面したとき、瞬時に悟りました。
この絵は「モナ・リサ」や「最後の審判」のレベルにはないとしても、
その芸術性においては、けっして引けをとらけない傑作なんだ!
少女の手の先付近にはビシッとピントが決まり、
少女の前方、見る側から見れば、こちらに近い卓上、
意図が色別にまとめられています。
その赤い糸に目を近づけて、驚きました。
色の固まりなのです。
だけど、少し離れて見ますと、もつれた糸の固まり。
精密画ではない!
印象派だ!
精密極まりない細密画とは対極にある、
完璧な印象派。

少女の左耳後ろに見える頭髪も色の固まり。
でも、少し離れて見ますと、束ねた髪の毛。
すべての形が同様に、精密から色の固まりまで、
距離に応じて、巧みにぼやかされ、
少女から前方の布まで、壁からしっかりと離れて、
そこに立体的に立ち上がっています。
精密描写から茫漠描写まで、
望遠鏡、望遠レンズを使って撮ったかのように、
ピントの合い方が的確、正確なのです。
奇跡、そうとしか言いようのない表現力。

その表現力がタイムマシーンを創造したのです。
この小さな絵には、昔の少女が生きている!
画家は、美術史の伝統にはるか何百年も先んじて、
人間の現実認識能力をフルに再現する技を、
実現していた!

「フェルメールの最高傑作はなんでしょう?」
私は即座に答えるでしょう。
「アホか!
そんな順番をつけることを不可能にするのが、
美術史上の最高傑作たちだ!」

私は、美術史家たち、最高の識者たちの評価がどうであれ、
そんなものは気にしては居ません。
人類史上の最大、偉大な作品には、
一人一人が自分のすべてをかけて対峙し、
その偉大さを味わうべきです。
序列を付けるなんて無理。

でも、その他の数知れない傑作群から、
自然に浮かび上がってくるのが、
最大、偉大の作品たちです。

私は極めて記憶力の弱い人間ですが、
他の偉大な体験と同様に、
目を瞑ると、
偉大な絵画や像、彫刻たちがまざまざと浮かび上がります。
日本で世界で、
私はそんな体験を数知れずさせてもらいました。
その記憶が私の精神を奮い立たせます。
現代は逼塞、蟄居の時代です。
でも、逼塞させられる蟄居生活の中でも、
心は自由に、私の心が生き生きと拡大した、
さまざまな体験の記憶が蘇るにつけ、
私は、心の翼を広げて、天空を滑空するのです。

さて、写真

ソニーα7s
スーパーアンギュロン21mmF3.4
まだ9月というのに、すでに晩秋の気配。
でも、海外からの訪問客は夏着のまま。
ヨーロッパ諸都市の多くがいわば夏知らず。
日光浴と日焼けが夢の人たち。
これしきの涼しさは夏風情のままなのかも?
どうやら日本人の方が敏感で、寒さに弱いのかも?
スーパーアンギュロンは、ホロゴンと対比すると、
ある意味で、夏着の人たちを好む描写が得意のようです。
ドラマチックな表現を得意とする、
ある種気張った描写性が白人の姿の再現力に富む。
そんな風に言うと、やや牽強付会に受け取られるでしょうけど、
私にはそう感じられます
画角が広いはずのホロゴンよりも一層ドラマチック。
不思議なレンズです。

実のところ、私は普通の性格、普通の能力、普通の感受性。
そのせいでしょうか?
スーパーアンギュロンにやや行き過ぎじゃないの?
華麗過ぎじゃないの?
そんな印象を時々抱いてしまいます。
不思議なほど魔術的なレンズです。
それだけに、多くの写真家がこのレンズに執着して、
魔術的な作品世界を構築してきました。

それに引き換え、ホロゴンで名作を生んだ写真家を、
私は知りません。
画角は格段に広いから、画面構成が極めて難しい。
画質がかなりナチュラルなので、
華麗なアート的表現などできない。
むしろ広さに足を取られて、画面全体を使って、
作品らしく仕上げることが難しい。
超広角的な歪みが周辺でまともに露呈されるために、
作品化の基本的ポイントである「四隅を押さえる」
ということができません。
つまり、四隅がややダラける中で、
画面中央だけで作品世界を展開しなければならない。
これはプロの写真作家でもかなり難しい作業です。
まして、ど素人の私にそのあたりを克服することなど、
ハナから無理です。
だから、私はホロゴンを武器にして写真家活動をしたい、
などと、夢にも考えたことがありません。




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# by hologon158 | 2023-12-22 21:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2081 時代遅れ (2023年9月21日オリオン28㎜F5.6は奈良高畑町を静かに歩み)演出の気配


2023年9月21日(木)、曇り
今日は気分転換。
白毫寺町のマンションに向かいました。
裏道づたいに徒歩で半時間、
ロボグラフィ撮りがてらだと約40分。
すれ違った人間2人、脇を走った車数台。
まさに過疎地帯でしかない。

持参したセットも、私にとっては格別のお気に入り。
前回に続いての出番。
ブログ記事になった順番が続いただけのことですが...

ソニーα7s
オリオン28mmF6

カメラは黒尽めのボディ。
(ロゴ等黒字に白の刻印は全部消して)
レンズは白尽め。
ニッケルでしょうか?
ロシアレンズですから、
あくまでも実用に即したメカニカルな姿。

私はこのセットを右手に握り、
ぶらりと垂らしたまま、
視線はあくまで前方に固定したまま。
縦位置、ノーファインダーで撮ります。
気楽そのものです。

この「気楽」という状態が、
私にとっては常に目標。
自分が、昔の言葉で言う「隠居」だ、
なんて考えたことはありません。
人生を楽しむ限り、生涯、現役です。
なにをする現役なのか?
「今、ここで、人生の歓びを満喫する!」
これが仕事。

79歳。
この年齢になると、たいていの方がかなり故障がち、
どこかに支障を来しているでしょう。
私の場合、それがありません。

生涯、座業を続けてきたので、
当然ながら、軽い痔がありましたが、
今では、ほぼ治ったらしく、
生活上、ほとんど支障を感じません。
絶えず歩き回っているせいでしょう。

55歳から始めた起床直後のストレッチを、
今まで一日たりとも欠かしたことがありません。
半時間ほど、全身を強化する体操を続けます。
腹筋、背筋、腸腰筋、肩胛骨等、等々。

毎日、午前2時半瞬時に就眠し、6時間きっかり熟睡。
午前8時半目携帯のタイマーが鳴り始めた瞬間、
ぱっと目を覚まし、さっとタイマーを止めて、起床。
ロボットのように規則正しく、例外はなし。
不眠になったこともありません。
両親からよほど効率のよい心身を受け継いだのでしょう。

以前、内科と歯科で月一回受診していました。
55歳の頃だったでしょうか?
突然、右目網膜下隅(第四象限でしょうか?)の網膜が死にました。
1週間天理よろず病院に検査入院して、身体に異常ゼロ。
症状は、右目網膜動脈閉塞症の結果。
どうやら心臓から目に向かう動脈のどこかにスポットがあって、
その中で動脈血が滞留して、血栓を作ったのだろうという推測。
現実には、全身の動脈を検査しても、そのようなスポットは見つからず。
おそらく当時、奈良から職場まで前後5時間かかって通勤して、
40人の職員を指揮しつつ、通常の職務の2倍以上の激務をこなしていたせいで、
ストレスが溜まったのだろう、ということでした。
全国で医学史上最初の症例でした。
つまり、私の症例論文は医学誌に掲載され、
現在では、眼科医学書にも記録されているのでしょう。

なお、私は右目下隅4分の1が見えないのですが、
まったく意識していません。
長年4分の3の視野で生きてきたせいでしょう。
意識しようとしても、なかなか難しい。
人間というものは習慣の生き物なのです。
どんなことも慣れる!
なにかをできないこと、
どこかに不具合があること、なんか、
速やかに忘れることです。
それがなくても、生きることができ、
人生を楽しむこともできます。

たとえば、あなたが頭が少々悪くても、
慣れてしまいますね。
自分より頭の良い人間の思考、行動なんか
想像もできないのですから。
自分が想像できないことについて、
悩む必要などありません。
空を飛べなくても、気になりませんね。

上記の検査入院が私の人生唯一の入院歴。
血栓予防のために、小児用アスピリンを毎日服用。
この小児用アスピリンと痔の座薬をもらうため、
ただそれだけのために長年通院しました。
数年前ふっと気づきました。
健全な心身生活をやってたら、血栓なんかできない。
小児用アスピリンなんか服用する必要なんかない!
痔?
10年以上、出血もその他の症状もまったくない!
便秘になったこともない!
座薬もやーめた!

医師に相談もせず、私はそう決断しました。
それ以来数年経ちますが、まったく健康そのものです。
風邪も引きません。
ときどき、出会った人と立ち話を交わします。
私は生涯人と話をする仕事でしたので、
人見知りをしないからです。
ときどき、尋ねます、
「私が何歳か分かりますか?」
先日も、超高級85㎜レンズを持った写真家に出会い、
10分ほど歓談しました。
35歳でした。
彼にも尋ねてみました。
「50歳前後じゃありませんか?」
もしかすると、世故に長けた人で、
こんな質問をするオジンは、
自分を若く見て欲しいという気持ちから、
そう尋ねるんだから、
実はかなりの年配だろうな、
でも、せいぜい何十歳か割引してあげよう。
喜んでくれるだろう、と、
世渡りの練習する人もいるでしょうね。
この戦術はかなり有効です。
私も大いに喜んで、
彼と分かれてから、かなりご機嫌でしたね。

幾人かの医師が書いているのを見ました。
「人間、70歳を過ぎたら、激しい運動は避けた方がよい。
腕立て伏せとか腹筋体操のようなストレッチも効果ないので、
やめましょう。」
私は25年間そのストレッチを毎朝半時間、
ヨガマットの上で続けてきました。
腹筋、背筋、腸腰筋のような筋肉体操もかなりやります。
79歳ですが、かなり有効です。
死ぬまで続けることになりそうです。

主治医が厳かに家族に告げます、
「どうやらあと二日もてば......」
家族がどっと泣き崩れます。
そのとき、私ががばっと起き上がり、
「おっと!
今朝のストレッチ、検査があって、まだやってない!
今からやりましょ!!
イッチ、ニー、サーン、シー.......」

冗談はこれくらいにして、
今回の写真。
近頃、オリオン28mmF6の使用頻度が高まっています。
一番目立たない、さりげない小型レンズだからではありません。
とにかく描写性が穏やかで、ナチュラルだから、
誇張されたと感じられるような感触は皆無。
いつも、その場を自然に再現できている、
という印象が、他のレンズよりも強いのです。

誰も読まないから、遠慮なく書かせていただきますが、
現代の写真芸術には常にどこか、
肉眼を裏切るような誇張が感じられます。
すごすぎるのです。
たとえば、自然体なら、とても美しい容貌の女性が、
専門家の美容師によって、並々ならぬ美女に変身させられる。
そんな印象があるとすれば、
それを良しとするのが現代の風潮。
どこか演出の気配。
私はそんな風潮に思わずのけぞってしまうタイプ。
要するに、時代遅れなのでしょう。
そうであれば、私は喜んで時代遅れになりましょう。



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# by hologon158 | 2023-12-18 15:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2080 凱風快晴 (2023年9月9日オリオン28㎜F6なら奈良町をあるがままに)成るように成れ


9月9日(土)、晴れ。
台風一過、凱風快晴。
夏休み中の2家族の孫たちの襲来も無事完了。
本日は、久しぶりにロボグラフィ散歩です。
無理はせずに、ゆったり歩くだけに止めたい。
そこで、ターミナルまでのバスはパスして、
肘塚地区経由の旧道づたいに、徒歩で行きつけの喫茶店に。
いつもの席で、いつもの簡易なランチをいただきながら、
いつも通り、小型ワープロでつれづれなるままに、
頭をよぎる思いをそのままバンバン入力しています。

さて、本日のセットは、
前回がホロゴンだったので、当然のように、
そのサブの地位をほぼ確保しているレンズセット

ソニーα7s
オリオン28mmF6

ロシアのレンズ制作者たちの意図はなんであれ、
今使ってみますと、とてもナチュラルな画像。
派手さがまるでありません。
無理をしないで、ただただ等身大に現実を写し止める、
そんな姿勢に、使う度に好感を感じます。

もしかすると、私も老いたのかも知れない、
そう感じるのは、なんのことはない、
ただの日常風景をケレン味のないレンズで、
ごくありのまま撮った写真を眺めるときです。

どこか社会の規範から完全に抜け出て、
自分の好む静寂の境地に浸りきっている、
そんな印象を一枚ごとに強めてくれるからです。

「しゃばっ気を失ったら、
あんた、もうおしまい。
あの世のドアに首を突っ込んだようなものだよ」
そんな声が聞こえてきます。
でも、私は平気です。
人間誰もがそうでしょうけど、
少年時代は、死のことなどまったく念頭にありませんでした。
成人すると、少し死の気配を感じ取りますが、
その気配は、時折の体験による、人生への警告。
「おちおち、のらくらと生きてちゃだめだよ。
人生って、短いんだからね」
まだまだ、ただの理屈です。

でも、私のような年齢になると、
そして、コロナ社会、コロナ世界では、
周りに死の気配は横溢しています。
地球全体が高齢化社会になりつつあることも手伝っています。
死の情報が日々バンバン飛び込んできます。

私と妻の双方の両親は4名とも、
奇しくも84歳前後で世を去っています。
周辺で出会う人たちも目に見えて老い衰えつつあります。
私など、8月1日の経過とともに、
砂時計はクルリと回転して、
新しい年齢の砂が落ち始めました。
「両家の恒例に従い、あなたの余命は5年です」
双方の両親が全員84歳で世を去っているからです。
そんな気配も感じられます。
でも、私はこの心の警告を聞いて、びくともしません。
別の事例も知っているからです。

仕事で出会った94歳の瓦制作会社のオーナーは、
まだ背筋もビシリと延び、
玄関のちょっと高めの叩きからポンと飛び降り、
玄関外の傍らにどっしりと置かれた、
古い大きな鬼瓦をぐいと抱え上げて、
私に見せてくれて、
誇らしげに言いました。
「わしが作った瓦ですわ。
これを組み込んだ家の主の経営する会社は、
おいそれとは倒産していませんよ!」
私は納得しました。
「確かに、作成者の化身なんだな!」

私も今、心密かに、でも、ブログではおおっぴらに、
確信しています。
「ぼくも、ホロゴンたち、ぼくのレンズたちが健在である限り、
元気旺盛に生きるぞ!」

私は没後のことなど全然気にしていません。
生命は有機体Organismであり、
有機体はその組成の根幹を失えば、
生体の分子はすべて自然に戻ってしまいます。
オーガニズムは分解してしまうと、
オーガニズムでは無くなってしまいます。
でも、まさしく自然に戻るだけ。
オーガニズムであるからこそ、生命が宿り、
行動し、考えることができます。
思考し、感じる頭脳がなくなれば、
自然に戻るだけです。

こんな風に考えを進めていますと、
ファランクスのことを思い出しました。
アレクサンドロス大王の生み出したマケドニア帝国の無敵軍、
そのファランクスは、基本的に槍兵隊でした。
最前列に、一面の槍ブスマの壁ができるように、
最前列で一人で扱う短槍から、
次第に槍を数人で支える最長槍まで、
幾列もの重装歩兵が互いに援護しつつ一致団結して、
一個の巨大な破壊兵器を構成しました。
平坦な地面では無敵でした。

紀元前197年、
マケドニア王ペルセウスの率いるマケドニア軍が
ローマ軍と激突しました。
ローマ軍団は、マケドニアのファランクスとは
まったく異なるコンセプトで構成されていました。
一人一人が槍、剣を振り回せるよう、
かなり自由な空間を確保しながら、
隊列が有機的に連動する、いわば、可変戦列。
たがいに補い合って、強力な集合体を組み、
状況に応じて、さっと別の形に並びなおす。
自由でかつ強靱な陣形を構成していました。

そして、ローマ軍はマケドニア軍を、
大地が凸凹だらけのキュノケスファライの荒原に、
巧みに誘い込んだのです。
最初から、
マケドニア軍団自慢のファランクスの槍ぶすまに、
真っ向からぶつかって、木っ端微塵にされるつもりなど、
皆無!
その真逆の仕掛け!
凸凹の地面で、マケドニア軍団の方が、
バラバラに分解してしまいました。
一方、一人で自由に動けるローマ軍ファランクスは、
凸凹の地面をものともせず敏捷に前進し、
ばらばらになって、丸腰になったマケドニア軍を、
文字どおり殲滅してしまいました。

「剣によって生きる者は、剣によって死す」
「堅陣によって戦う軍は、陣の解体とともに死す」です。
平地では、ファランクスを瞬時に組み上げて、
一致団結して無敵を誇ったマケドニア軍の戦列は、
凸凹の荒れ野では、適切な隊形に並び直せず、
足並みもばらけて、惨めに崩れ去って、壊滅しました。

この逸話によって、なにを言いたいか?
写真家は、コンセプトを心に保持しつつ、
お好みの撮影場所で、得意の画像をキャッチします。
でも、それ以外の場所では、そもそも撮影などしません。
たとえば、桜の樹林を撮影に出かけた写真家は、
もし予期せぬ春の嵐で桜花が散り果て、
裸の樹列しか残っていなければ、撮影せずに帰路につくでしょう。
帰り道にどこかに立ち寄って、撮影、なんて融通は利かせません。

ロボグラフィスト(私の造語)は違います。
私一人かも知れません。
家を出たら、すでにどこでも撮影場所です。
桜の樹林になどわざわざ撮影に行きませんが、
もし、偶然、桜の樹林に出会ったら、撮るでしょう。
桜に散り果てた樹林に行き会ったら、
その樹林と地面の桜花を撮りまくるでしょう。
フォトジェニックだから撮る!
のではありません。
ただ、通りかかったから、撮る!
私が居たから、撮る!
その場の姿、形、景観を。
ただ、それだけです。

その場をとくに記録したいわけではありません。
それがなんにもないただの田舎道でも撮るでしょう。
どちらも、私がそこに通りかかったから。
美しいこともあり、なんの変哲もないこともあるでしょう。
どちらにせよ、撮ります。
私がそこに行きかかったからです。
私の足取りを記録するだけ。
要するに、たんなる人生の里程標のようなものです。

駕籠かきが客を乗せて、
「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声よろしく駆けます。
ワッショイに意味があるわけではなく、
また、一歩一歩になにかの標識になるわけでもない。
でも、この掛け声なしに、駕籠かきをすると、
きっと、すぐに、ばててしまうでしょう。
「枯れ木も山の賑わい」ならず、
「ロボグラフィも私ならではの足取り」
他人にはなんの意味もないけど、
私には十分意味があります。
ブロガー本人だけではなく、
誰にとっても意味のある記事を書け、
そう言われると、ブログなんか書けなくなります。
プライベートだからこそ、自分にとっては、
それこそが大切な記録です。

常に、自分以外の人間にも意味のある行動をせよ!
そう命じられると、
人間、たちまち挫折するでしょうね。
そんな行動なんて、簡単には思いつけません。
簡単には実行できませんね。
でも、ひとまず、自分に意味のある行動を選びたい。
いつか、私という人間を支えてくれるかもしれない。
くれないかも知れない。
でも、成るように成れ、だ。



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# by hologon158 | 2023-12-18 14:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2081 暑気払い (2023年9月19日スーパーアンギュロン21㎜F3.4が奈良町で自由に振舞って)少し大人しく


2023年9月19日(火) 晴れ、暑い。
まだまだ真夏日が続く、そんな感じがする、
前回も書きましたが、まさしく異常気象。
ますます、はた迷惑、という感じです。
下旬には突然気温が下がるだろうとの予報もありましたが、
近ごろ、私はお天道様も気象台もあまり信用していません。
日々、その日の予報位なら、ある程度当たるでしょう。
そのあたりの予報に気をつけながら、
古の大和の都を縦横無尽に、おっと不正確、
縦横よく歩く道ばかり、往来して、
古都奈良の夏まがいの秋の風情を楽しむことにしましょう。

本日のセットは、

ソニーα7s
スーパーアンギュロン21mmF3.4

近ごろは、超広角レンズは横位置専科、
その他のレンズは縦位置専科、
そんな原則で動いていました。
原則は破るためにあるようなものです。
人生の楽しさは原則破りの妙味にあるのかも?
と、いい加減な理屈も少し付けて、
これからは、時には、気分次第出、
超広角を縦位置で、
その他のレンズも横位置で撮る楽しみも味わうことにいたしましょう。

お間違えのないように。
退屈なロボグラフィ写真に少し活気を与えたいから?
とんでもありません。
写真家たりうるには才能という大前提が必須です。
生涯ただの写真好き、レンズ好きの私には、
写真の才能などありません。

以前、写真の仲間と梅田のギャラリーに入りました。
折りから、まさしくロボグラフィの写真展。
仲間は歓びに沸き立ちました。

「私のロボグラフィにそっくりだあ!」

聴けば、なんと小学生の写真。
なんの先入見も予備知識も先例もなしに、
使い捨てカメラを与えられた小学生たちが撮ったら、
あーら、アホラシ!

「なんだ、なんだ!
ロボグラフィなんて名前を付けて、
もったいぶっているけれど、
所詮、小学生が撮れる程度の写真だった!!」

それ以来、私が大きな顔をしたときなんかに、
このときの話を持ち出して、喜ぶ顔、顔。
でも、私も、まだアマチュア写真を撮っている時代から、
私のストリートフォトをひたすら、
「何にも考えないで、何にも作らないで、
偶然の出会い頭、ノーファインダーで、
なんの作意もなく撮る!」
そう決めていたから、
そう外野席から囃されても、当然と受け止めていました。

でも、こんな体験は、私が、アマチュアとは言え、
写真作品を創造するというスタンスで撮ることには、
かなり無理があることにしっかり気づかされました。

作意なく、偶然を撮っても、
写真作品を創ることには絶対につながらない!
要するに、私はアマチュア写真家をもって自認していた時代から、
すでに、ただ偶然に頼るだけの撮影方法に頼る限り、
撮れるものは小学生レベルでしかなく、
写真作品の作家としての創造性などには
絶対につながらないことが明らかだったわけです。

でも、確かにいえることは、
虚構の土台の上にしっかりとした家は建てられない!
写真家の才能もないのに、アマチュア写真家の気持ちで、
写真作品を創ろうと思っても、それは無理!

まあ、難しく考えないで、
いつもどおり、撮影順に並べてみましょう。



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# by hologon158 | 2023-12-16 22:22 | ホロゴン外傳 | Comments(0)